不思議だ…。

 クラウドはそう思った。



カフェオレ




 いつもなら彼女が自分の為に煎れてくれるコーヒーはブラック。
 彼女の分にはミルクが入っている。
 だが。
 今、目の前に差し出されたカップには……カフェオレ。
 甘いものがそんなに好きではないクラウドに、ティファがこうしてカフェオレを出すという事はこれまでなかった。
 少し困惑しながら顔を上げると、柔らかな微笑を浮かべている愛しい人。
 決して……これは嫌がらせではない……らしい。
 いや、自分自身、こうしてカフェオレを出されてホッとしているのだ。

 いつもなら…そんな事はないのに。
 今夜だけは…。

 だが、何も言ってないのに、どうしていつもと違うものを…?

 隣のスツールに腰をかけた彼女にクラウドは躊躇いながら声をかけた。
「どうして…今夜はカフェオレ?」
「あ、イヤだった?」
「いや、違う。そうじゃなくて………」
「うん…なんだかいつもより疲れたような顔してたから。ほら、疲れた時って、胃も重くなるし、少し甘いものが欲しくなるかなぁ……って……思って……」

 段々尻すぼみになる彼女の言葉に、クラウドは軽く目を見開いた。

「…疲れた顔……してたか?」

 確かに今回の仕事はハードだった。

 わがままな客。
 仕事を遮るかのような悪天候。
 WROの広報誌を見た、と言って騒ぐミーハーな人達。
 更には立て続けに急ぎの仕事が舞い込んできて帰宅するのが二日も遅れてしまった。

 家族に会えないのがこんなに辛いと感じるなんて…。

 携帯から聞える愛しい子供達と彼女の声に、胸がキュッとなる。

 そして、漸く帰ってこられたかと思えば既に日付は変わっていて。
 前もって帰宅することを伝えていたため、ティファは起きて待っていてくれたが、流石に子供達は夢の中だ。
 可愛い子供達の寝顔に頬を緩ませ、そっとその額に唇を落とし…。
 汗を流して戻ったクラウドの身体は、今回のハードスケジュールで鉛のように重かった。
 更には、仕事と家族に会えなかったストレスから胃の具合も…ちょっと厳しい。

 だが、それを口にすると彼女は気を使うから、あえてなんでもないような顔をして、いつも通りセブンスヘブンのドアを開けた……つもりだった。
 だが…。


「え…?うん、そりゃ分かるわよ。だっていつもと全然違ったもん」
「…………全然?」
「うん、すっごくしんどそうだった。それに、電話の声も時間が経つごとに段々元気なくなっていくし…」
 心配したのよ?


 そう言って微笑み、そっと手を伸ばして頬に触れるティファを、クラウドはぼんやりと見つめた。
 触れられた頬がほんのりと温かい。
 指先から…手の平から彼女のぬくもりが自分の中に注がれてくるようだ。

 知らず知らずの内に、頬に触れる彼女の繊手に自分の手を添え、そっと目を閉じる。
 ほんの少し、彼女が身じろぎしたのだろう。
 添えられた手から伝わってくる。
 しかし、それも本当にほんの少しだけ。
 あとは、クラウドに話しかけることもなく、手を引っ込める事もなく…。
 ただ黙って自分の手を彼に預けていた。

 暫く店内には時計の針の音だけが小さく響いていた。
 シンと静まり返った店内には誰もいないかのような錯覚すら覚えさせる。
 だが、温かな空気はやんわりと二人を包み、久方振りにクラウドは心から安らぎを感じた。


 頑張って…。
 頑張って、頑張って…。
 必死になって働いて…。
 腹の立つことがあっても持って生まれた『無表情』と『無愛想』という『宝物』を武器に、相手に自分の苛立ちがばれない様振舞うことが上手くなった。

 そう…思ってたのに…。


「結局…ティファにはバレバレか……」
「え?」

 そっと目を開けると、頬を染めて自分を見つめている彼女が、不思議そうに目を瞬いている。
 名残惜しく感じながら彼女の手を離すと、クルリと正面を向いてカップを手に取った。
 ほんの少しの照れ隠し。
 ティファにそれが伝わったかは分からないが、クラウドがカップを口に運ぶのを食い入るように見つめている。


「……美味い」
「本当!?」
「ああ…美味い」


 良かったぁ〜!

 嬉しそうな声を上げるティファに、クラウドはもう一口啜った。
 若干、温くなったカフェオレだが、砂糖を抑えたほのかな甘みが心地良く喉を通って優しく胃に広がる感触がする。

 甘いものが苦手な自分の為に作ってくれたカフェオレ。
 きっと、こんなに砂糖を抑えて作ったことはないだろう。
 そう……自分だけだ。
 この『カフェオレ』が飲めるのは…。
 子供達ですらこれは飲めない。
 甘さが足りないから…。
 自分のためだけの『カフェオレ』。

 何とも言えないくすぐったさが胸に広がる。
 それを気取られないように、もう一口…もう一口とカフェオレを啜り、気が付いたら…。


「ご馳走さん」
「わぁ、もう全部飲んでくれたの?」

 あっという間にカップは空。
 嬉しそうに手元のカップを覗き込んできた彼女の髪が、ふんわりと鼻腔をくすぐる。

「良かった、全部飲んでくれて」
 パッと顔を上げ、手放して喜ぶ彼女に頬が緩む。
「いや、礼を言うのは俺の方だろ?ありがとう、美味かった」
 素直に感謝の言葉を口にすると、彼女の頬の赤みが更に増す。
 はにかむように微笑む彼女に、クラウドの頬が更に緩む。

 そうして微笑み合って…。
 今更のようにお互いの距離に気付いた二人はそわそわと視線を彷徨わせた。

 手元のカップを覗き込んでいたのだから、ティファとクラウドの距離はかなり近い。
 まぁ、だからと言って今更照れるのもどうかと思うのだが、それでもこの二人にとってこの距離はやはり照れ臭いもので…。
 お互い、相手の笑顔に心臓を鷲掴みにされているなど思いもしないで、ぎこちなく身体を離した。

 隣のスツールに腰を下ろし、ぎこちない手つきで自分のカフェオレを口に運ぶティファを、視界の端に映しながらクラウドは小さく…本当に小さく息を吐き出した。
 ここ数日の鬱々としたもの全てが、その吐き出された息に込められていたかのようで…。
 吐き出した後、心の中にはストレスや疲れが残っていなかった。
 代わりに、本当に安らかな思いで満たされる。

『やっと…帰ってこれた』

 その安堵感。
 隣でコクコクとカフェオレを飲む彼女に、どうしようもないほど依存していることに改めて気付く。
 独りであの教会で過ごしていたなど信じられない。
 よくもまぁ…。
 この幸せを手放して、独りで『悲劇のヒーロー』を気取っていられたものだ。

『本当に…バカだったなぁ…』

 思わず自嘲の笑みに口が歪む。
 途端に、
「どうしたの?」
 心配そうなティファの声。

 どうしてこうも彼女は自分の些細な変化に敏感なんだろう…?

「いや、ちょっと思い出したことがあって…」
「………そう…」

 それ以上、突っ込んで聞こうとしないティファに、
『あぁ…気を使ってくれてるんだな…』
 と気付く。
 だが、『家を出たときの事を後悔してた』と正直に言えば、彼女は絶対に悲しそうな顔をするだろう。
 そして、

 ― あれはきっと、必要な事だったんだよ ―

 そう言って微笑んでくれるのだ。
 無理をしてでも…笑顔を見せようとしてくれるのだ。

 ティファは…そういう人だから。
 優しすぎる人だから。
 だから、こうして自分は『ここ』に帰ってこられるのだから。


「なぁ、ティファ」
「…ん?」

 声をかけると、ほんの少しビクッとしたティファに苦笑する。

「いや…その…悪かったな…」
「え……何が?」
「いや…まぁ……色々?」
「…?どうしてそこで疑問系なの…?」
「あ〜……うん……その…、なんと…なく?」
「………また疑問系…?」
「…………」
「…………」

 ほんの少し見つめ合って。
 お互いが不思議そうな顔をして、小首を傾げていて…。
 謝ったのはクラウドの方なのに、クラウド自身、上手く何に対して謝ったのかが分からなくなってきて最後まで結局疑問系。
 もしも第三者がいたら滑稽に見えるその光景だが、二人の他誰もいない店内。
 ツッコミを入れる人間はいない。
 そうして…。
 その不可思議に見つめ合うこと数秒。

「「プッ!」」

 どちらからともなく噴き出して笑い合った。
 夜中を過ぎて静まり返っている店内に、二人の笑い声が小さく響く。
 ティファは声が響かないように口元に手を当てて…。
 クラウドは必死に声を上げないように前かがみになって。
 そうして笑い合っている二人の胸には互いへの想いで溢れてる。

「もう、本当にクラウドは可笑しいんだから」
「……ハハ…本当だな…」
 ひとしきり笑って落ち着いてきたティファが、涙目で口を開いた。
 クラウドも息を整えながらそれに答える。
 一息大きく吸い込んで完全に呼吸を整え、ティファが真っ直ぐクラウドを見つめた。

「…でも…」
「でも…?」
「………良かった」
「え…?」
「クラウドが…また笑ってくれるようになって……良かった」
「ティファ…」
「私の隣で笑ってくれて……嬉しい」
「………」
「…本当に…嬉しいよ……クラウド」
「……うん」

 ― 俺も、ティファがそう言ってくれて嬉しい ―

 その言葉を口にしないまま、胸の中で呟く。
 そうして、そのままそっと手を伸ばし、『笑いすぎ』ではない涙を浮かべているティファの両頬を包み込む。
 肌理(きめ)の細かい肌をしている頬に、銀色の雫が伝う。
 そっとそれを拭ってそのまま彼女を引き寄せて。

 想いを込めて口付けを贈る。

 彼女の温かな手がそっと胸に添えられ、身体を預けてくれる。
 この幸福は、もう絶対に手離せない。
 少し身体を離して今度は両腕に抱き込んで…。
 ティファの両手が背に回されたことに安堵と至福を感じる。
 ティファの髪に頬をすり寄せると、彼女もまた甘えたようにクラウドの首筋に頬を押し付けた。


 ティファが泣いたのは…他でもない自分のため。


 ― 電話の声も時間が経つごとに段々元気なくなっていくし… ―
 ― 心配したのよ? ―


 先ほどの彼女の言葉が胸に響く。
 きっと、家を飛び出してしまった頃を思い出したのだろう…。
 もしかしたら…帰ってこないのではないか…?
 そう思ったのかもしれない。
 なにしろ、予定外の仕事が立て続けに入ってしまい、帰宅する予定の日を二日も過ぎてしまったのだから。
 そう不安になったとしても…全然不思議じゃない。

 そこまで考えてクラウドは唐突に気が付いた。
 少しでも早く帰りたいと思っている……そう言ったことがないことに。

『ちゃんと言葉にしないと……ダメ……だよな…』

 分かっている。
 自分がいかに言葉が足りないか。
 それでもティファは自分が隠そうとしていることに気が付いてくれた。
 それは、彼女に余計な心配をかけまいと思って疲れているとか、仕事が辛い…とか、イヤなことがあった…とか…、働いていたらイヤでもぶつかってしまうもの。
 だが、それをティファは敏感に感じ取って労わってくれる。
 でも、だからと言ってクラウドの心の中まで見えているわけじゃないのだ。


 ― 思いを伝えられるのは言葉だけじゃないよ ―


 決戦の前日に自分に向けて言ってくれたティファの言葉。
 でも…。
 言葉だけじゃなくて態度でも彼女に伝えようとしただろうか…?
 ちゃんと、しっかりと、はっきりと…彼女に自分の思いを…『想い』を伝えようとしただろうか?

『した……けど…足りない…かな…?』

 ティファが自分に『心配している』『ちゃんと見ている』と態度で示してくれた事を考えると、圧倒的に自分は足りない。
 だからこそ、彼女はこうして涙を流しているのだし…。

 結局のところ。

 どう足掻いてもクラウドはティファには勝てないわけで、それをまたクラウド自身も十分自覚している。
 更には、これからの人生で彼女がいない生活は……想像できない……というかしたくない。
 ならば…。
 自分に出来る最大限の事をすべきだろう。
 そして、その最大限のことは……。


「ティファ…ありがとう」

 ちゃんと言葉に…。

「こうして帰ってこられて…本当にホッとしてる」

 苦手でも…なんでもいいから…。

「本当は…すぐに帰って来たかったんだ」

 下手な言葉でもいいから…。

「でもさ…ちょっと…断れなくて」

 上手く言えなくても構わないから…。

「本当に…ごめんな」

 頑張って…最後まで…。


「デンゼルとマリンに………ティファに会えなくて……寂しかった」


 ほら。
 最後までちゃんと言うことが出来ると…。


「……うん……うん!私も……寂しかったよ」


 ちゃんと彼女は受け止めてくれる。
 くぐもった声を必死に押し出して、彼女は応えてくれる。
 そうして、ちょっと身体を離して見つめ合って…。

 また、想いを伝えるように唇を合わせると、言いようのない幸せが全身を駆け抜ける。

『本当に……溺れてるな…』

 至福を感じながらそう思う。
 ティファ・ロックハートという女性に、バカみたいに溺れてる。
 そして、溺れてる自分が……割と……というか、かなり気に入っている。
 そう思ってまた一人、頬を緩めた。





「また、カフェオレ作ってくれるか?」

 腕の中でまどろむ彼女にそう言うと…。

 クラウドの愛しい人は極上の笑みで頷いた。
 嬉しそうに笑みをこぼすクラウドに、ティファもまた思った。


 疲れて帰宅したクラウドに、また甘さを抑えた彼だけの為のカフェオレを煎れてあげよう。


 そのカフェオレはセブンスヘブンのメニューには載らない。
 口に出来る人は…。
 たった一人だけだから…。



 あとがき

 なんとなく思いついて即行で書き上げたお話し…。
 本当に…何となくなのですが……。

 やっぱりクラウドは甘いものが苦手なんでしょうかね?
 ゲーム本編とかでも『苦手』というシーンはなかったんですけど、イメージ的に何となく。
 案外、甘いもの大好きだったら……大爆笑です(笑)