理由がどうあれ、私は幸せになってはいけない。

 だから…。



 ― 死が 訪れる その時まで 最高の 演技を ―



 それが、私に出来る唯一の贖罪と信じている…。

 いや。


 信じていた。





Fairy tail of The World 〜 懺悔の後の贖罪は 〜






 歌姫とおだてられ、最高の存在だと誉めそやされてその気になっていたあの頃。
 なんと愚かで浅はかな愚者だったことか。
 だが、あの頃がなければ、今、この時ようやく手にした『真の平和』はなかっただろう…。

 しかし、その為の犠牲のなんと多かったことよ。
 己が欲望のままに突き進む人間が、力ない人間を蹂躙する様は、さながら『作り物』の世界だった…。
 一瞬一瞬のうちに、命が消える。
 想いが踏みにじられる。
 弱者が泣き、優しき者が喰われる。

 世の中とはそういうものだ。
 それに気づいているかいないかだけの違い。
 常にこの世では『不幸』が産声をあげ、急成長をしている。
 この星はいつでも『激動の世』。
 決して『平穏』な時代はない。
 その激動の時の流れで育まれた加害者、被害者の心に出来た『闇』を利用し、私は願いを果たした。
 だから、私はその代償を払わなくてはならない。


 断じて、私は『幸せ』になってはならない。


 兄は私と『彼』を救うために『男娼』にまで身を堕とした。
 本来ならば、私こそが『娼婦』となるべきなのに。
 こんな身体(うつわ)なぞ、いくらでも下衆共にくれてやろうものを…。
 いや、今でもそうすることを厭わない。
 そうすることで……兄上の過去が払拭されるなら…。

 だが、過去は消せない。
 消えた命も戻らない。
 過ぎ去ってしまった『出来事』は『過去』として失われ、決して元には戻らない。

 温故知新という言葉がある。
 過去を知って未来に生かせ。
 確かにそれは言いえて妙。
 だが、だからといって過去に犯した過ちが帳消しになるわけではない。

『なかったこと』には出来ないのだから。

 だから今日も私は生きる。
 最愛の人の隣で生きる。
 幸せになってはいけない……と自身に言い聞かせるそばから、至福を感じつつ時を過ごすという矛盾を繰り返しながら…。

『アルファ』

『アルファ…いや、アイリ、愛してる…心から』

『キミが苦しんでいることは分かってるのに…ごめんね、それでも、どうしてもキミを死なせたくない』

『キミと一緒に生きて…幸せになりたい』

 あぁ、それなのに、あなたはそうやって私を『許されざる境遇』へと導く。
 誰よりも私は罰せられなくてはならないのに。
 そう…知っているはずなのに、頑なにあなたは言い張る。


 ― キミが 不幸だと 僕達は 不幸せどろこじゃないんだ キミの不幸は 僕達……いや、僕にとっては この上無いほどの 苦しみなんだ それを 忘れないで… ―


 なんと甘美な言葉だろうか…。
 私には断じて許されない、この甘い感情…。

『私も愛してる』

 そう思わず呟いたことを激しく後悔する。
『彼』の嬉しそうな顔に胸をときめかせた反面、愚かしい自分には不釣合いなこの状況に吐き気がする。

 いや、していた。



 いつも、自己嫌悪に陥ったそんな時には…。

 決まって『声』が聞える。


 ― どうして死なない? ―
 ― 何故、『彼』を拒まずに生きている? ―
 ― あぁ…なんと口惜しいことか! ―
 ― 誰か殺してくれ、この女を!! ―
 ― 貴様なんぞが幸せに!?輝(ひかり)の世界を歩くというのか!? ―



 闇から解放した数多の魂達の群れに加わることが出来なかった者達が、暗闇から憎しみと激しい妬み、怒りを込めて私を死に誘う。

 確かに、彼らの言う通り。
 彼らのいる『地獄』こそが私には相応しい。

 それは今もそう思っている。
 でも…意味が違う。

 兄上が安心して去った後、私は彼らの元へ堕ちるその日まで、精一杯幸せに生きようと思うようになった。
 何故…かって?

 その理由はただ一つ。


 愛しているから。
 兄を…。
 従兄弟を…。
 母を、伯母を、私を愛してくれたすべての人を愛しているから。
 愛しすぎて気が狂いそうなほどに。


 だから、私はこの命尽き、地獄に堕ちるその時まで誰よりも幸せに生きる。


「ねぇ、本当にそう思ってるの…?」

 真っ白な空。
 地面には一面、黄色と白の花々。
 その中に、彼女は花のように口元を綻ばせながら立っていた。
 傍らには漆黒の髪をした紺碧の瞳を持つ青年。
 彼もまた…笑っている。

 最期の最後まで欺いて…駒に利用した人達。

 彼女も彼も、穏やかな目で笑っている…。

「なぁ、本当にそう思ってるのか?」
「あなたが死んだ後、地獄に堕ちるだなんて、本当に思ってるの?」

 クスクスと、可愛い声をもらしながら笑っている彼女は、本当に美しいと思う。

「バカだなぁ。そんなわけ無いだろ?アルファ、じゃない、アイリが地獄行きなら他の人間の大半が地獄行きじゃないか」

 まるで太陽のように、彼も笑う。
 あぁ…出来る事ならば、彼らもクラウド・ストライフやティファ・ロックハート、いや、今はティファ・ストライフだが、彼らと一緒に生を全うしてもらいたかった…。


 …私があの時、闇の中からバレないように手助け出来たら良かったのに…。
 でも、不可能だった。
 もう彼らの命は死の運命に飲み込まれていた。
 私が介入したら、闇にひた隠しにしていた私の真の目的がバレてしまっただろう…。

 だからと言って、私が見殺しにした罪は消えない…。

 助けられる命を見殺しにした大罪は決して消えない。


「私が地獄に堕ちないなどありえません。それこそ、全ての『理(ことわり)』に反しています」
「そんなことないわ」
「アイリがずっと自分を殺して、最後まで強い意志を貫いてくれたから、星はやっと苦しみから解放されたのにさぁ」


 …そうですね。
 あなた方は星一番のお人好しなので、そう言うでしょう。

「何言ってるの?」
「よく言うぜ。言っとくけど、アイリ以上のお人よしはいないと断言出来るね」

 その言葉、そっくりそのままお返しします。

「なぁに言ってるんだか…」
「本当にもう少し自分を大切にしても良いんじゃないのか?でないと、キミを大切に思ってずっと待っている『あいつら』に失礼だろ?」

 …そう言われると何も言い返せないのが歯痒いですね。

「あら、そう?ちっとも悔しそうに見えないけど?」

 私はあまり表情に出ないんですよ。

「もう。本当にそういうひねくれたところ、可愛くないわ」
「まるでクラウドみたいだなぁ」

 それはクラウドさんに失礼ですよ。

「なに言ってるの?そんな事ないわ!」
「そうだな、アイツなら案外小難しい顔して『アイリさんもか…、お互いに苦労するな』とか言いそうだけどな」
「あ、本当!ふふっ、それ言いそうね!」
「だろだろ?あっは〜、見てみたいな、あいつのそういう顔」
「うん、見てみたいね。だから…」
「あぁ、だから…さ…」

「もう、自分を許してあげたら?」
「もう、良いだろ?これまで自分を殺して存在していた分、幸せになったら良いじゃないか」
「きっと、アイリが幸せになったら、あなたを愛している人もうんと幸せになれるから…」
「俺達も含めて…な」

 自分を許す…?
 それは面白い発想ですね。

「そう?ただの視点の逆転よ」
「そうそう!アイリがここまで頑張ってくれなかったら、闇から輝(ひかり)に戻りたくて苦しんでいた魂たちは、これから先、半永久的に苦しんだことになるじゃないか」

 あぁ、それはそうですね。
 ですが、それはそれ、『罪は罪』ですよ。

「もう!頑固なんだから!」
「ほんっとうに可愛い顔して強情だなぁ…」

 顔は関係ないと思いますが…まぁ、褒め言葉として有り難く頂戴します。


 二人が呆れたように溜め息を吐いた。


 私はそんな二人に背を向けるべくゆっくりと足を移動させた。
 斜めに立つようにして目を細めて二人を見る。
 こんな陳腐な言葉で…お二人が納得されるとは到底思えないのだが…言わずにはいられない。


「本当にありがとうございます。私は幸せです…心から」


 お二人の顔が途端に曇った。

 ふ…。
 本当に想像通りの反応ですね。
 結局、私はあなた方を本心から喜ばせることは出来ない。


 そのままゆっくりと背を向ける。

「アイリ」
「アイリ」

 振り返らないで「はい」と応える。

「私達がアイリのこともすごく愛していることを忘れないで!」
「俺達がアイリのことも、あいつ等と同じくらい大切に思っていることを忘れるな!」

 おやおや。
 お二人には似合わない言葉ですね。
 分かりきっておられると思ったのですが…。

 ゆっくりと少しだけ顔を向ける。

 二人が悲しそうな…必死に縋る顔をしていた。
 予想通りだ…。
 本当に私は彼らを幸せに出来ない…力なき愚者。
 だが…。
 せめて少しの不安くらいは取り除いて差し上げなくては…。


「忘れろ、と言われても無理ですよ」


 ゆっくりとお二人の顔が安堵によって穏やかに綻ぶ。
 私にはその笑顔だけで充分過ぎる。


「アイリ、生きている間、すべてをかけて幸せになって!」
「『その時』が来たら、絶対に迎えに行くからな!独りで地獄に堕ちようったって、そうはいかないぜ!」


 そうですね。
 あなた方はそう言うと思いました。
 ですが、『その時』は、あなた方を巻き込まないように独りで地獄に堕ちて(行って)みせましょう。
 既に、私を勝手に『皇帝』と崇めた愚か者達が、私のために場所を確保してくれていますから、最後くらい、彼らの希望を叶えてやっても良いでしょう。




「僕が彼女と一緒にいますから、大丈夫ですよ」


 突然、フンワリと背中から抱きしめられた感触。
 耳元にかかる彼の吐息。

 それだけで…数千年もの間、闇に凍らされていた心が暖かく溶けていく…。

 本当に…私は彼を愛している。
 ずっと前から…。
 先の世からも変わらずに彼を愛している自分を、誇りに思うくらいは…許して頂けますか?


「アイリ…帰ろう。もう良いだろ?」

 抱きしめてくれる腕が少し強くなる。
 ずっと待たせてしまったことに申し訳なさが込上げる。
 彼はずっと待っていた。
 私が『生と死の狭間』で揺れ動かずに済むその時を。
 そして、私はそのことを知りながらも、まだ『死』に誘う声を完全に無視するだけの力は無かった…。

 でも…。


 今は…違う。
 私は生きて見せよう。
 精一杯、幸せに生きて見せよう。
 そして、『その時』が来たら、私は地獄へ堕ちる。
 地獄で手ぐすね引いて待っている愚者達に、いかに私が幸せに時を過ごしたのか、自慢するために。


「アイリ…、言っておくけど、キミが行く所が僕にとっての楽園だから」


 …。
 本当に…心を読むのが相変わらず上手いですね。
 でも、その時は負けませんよ。
 今回は、『生きる』という選択を選らんだので、私の意志はカーフと兄上に負けてしまいましたが、その次は私が勝ちます。
 あなたがいくら望んでも、絶対に地獄の口はあなたを受け入れない。
 そのように、私が内側から鍵を掛けますからね。


「ふっ。そう上手く行くと良いな、アイリ?」


 成功させて見せましょう?

「そ、じゃあとりあえず…」

 おどけた様に片眉を上げて微笑んだ彼に、不覚にもときめく。
 そっと落とされた口付けは額に。
 それだけで、心臓が大きく脈打つ。

 本当に…私は幸せです。
 これでまた、一つ『かの者達』に悔しがらせるネタが出来ましたね。

「まったく、アイリは強情だなぁ」

 呆れたように大袈裟に目をグルリ、と回して、カーフ…いえ、ライはニッコリと笑った。

「ま、それはおいおいの事として、とりあえずもうそろそろ良いんじゃないかな?」

 ライの言わんとしている意味にすぐ思い至る。
 ゆっくりと頷き、先ほどから私達のやり取りを見守っていたお二人へ向き直る。

 そうして、ゆっくりと頭を下げた。
 お二人が慌てた気配を感じつつ、感謝の言葉を口にする。


「ありがとうございました。最後まであなた方が助けてくださらなかったら、今の平和はありません」

 当然のように上がる否定の声を無視して、顔を上げる。
 困ったように笑っているお二人を、私は心から尊敬している。
 母と伯母、兄とライ、それにクラウド・ティファ夫婦とその仲間達。
 その方々と同じくらい、私は彼らを尊敬している。

 だから、せめて最期くらいは…。


「本当に今でも充分幸せですが、もっと幸せになって見せます。見ていて下さい」


 お二人の顔が華の様に…太陽の様に輝いた。

 とても嬉しそうに。


「幸せになってね」
「誰よりも幸せになれ!俺達のためにも!!」
「クラウドやティファ、シュリ君やラナさん達のためにも」


 グニャリ。
 視界が歪む。
 急速に遠ざかるその『狭間の世界』から、最後の声が聞える。


「どうか、アナタを憎む者達が喜ぶような選択はしないで」
「俺達はアイリを憎む者達が歪んだ歓びに湧くのを我慢出来ないんだからな!覚えとけよ!!」


 *


「アイリ、じゃあ行く?」
「はい」

 私達は今、何もない荒野に立っている。
 360度、何もない。
 空を見上げると、どこまでも澄み渡る青空。
 吸い込まれそうな…美しさだ。

 私達は帰らなくてはならない。
 クラウド・ストライフとその妻、更には生まれたばかりの命は闇に狙われている。
 闇は決して消えはしない。
 彼らに気づかれないよう、闇から守るために一足先に戻った兄と合流しなくては…。

 守り続けることは恐らく難しいだろう…。


「では、行きましょう」
「あっと、ちょっと待って」
「はい?…って…」

 呼び止められた先にあったのは言葉ではなく…。


 温かな彼の口付け。
 そっと、何度も啄ばむように…すべてを包み込むように…何度も何度も。


「僕は諦めないから。キミと一緒に人生を全うして、必ず『母上達のところ』に連れ帰ってみせる」
「それは無理です。今度は負けませんから」
「ハハハ、本当に頑固だなぁ」
「えぇ、そうでなければ、今ここにはいませんからね」
「でも、僕一人なら負けちゃうかもしれないけど、僕は一人じゃないからね。シュリもクラウドさん達も僕の味方をしてくれるだろうから、やっぱり今度も僕達が勝つよ」

 ニッコリとそう言った彼に、軽く肩を竦めてみせる。

「受けてたちましょう?」
「うん、勝負はまだまだこれからだからね」

 そうして、そっと手を繋ぐ。

「「 帰ろう 」」





 漆黒の双翼と白銀の双翼。
 漆黒の髪と白銀の髪。
 そして…紅玉の瞳と紫紺の瞳をした『天使』は、空へ向かって飛び上がった。

 ぐんぐん二人は空を行く。

 新しい戦いを始めるために…。


 *


 ガタン。
 突然、会議中に立ち上がったシュリを、リーブ以下、他のメンバーもビックリして注目した。
 しかし、当の本人は、虚空を見つめたまま微動だにしない。
 恐る恐る、隣に座っていた壮年の大佐が声をかけようとして。


「「「 !? 」」」


 その場の全員が固まった。
 無表情で無愛想というのが売りの青年が、窓の外をジッと見つめて微笑んでいた。

 彼が何故、穏やかに微笑んでいたのかをリーブが知るのはもう少しだけ先の未来。

 そう遠くない将来だった。