if 〜もしも〜




 人生には沢山の『もしも○○だったら…』とか『もしもあの時△△だったら…』と振り返る時期が訪れる。
 それは、突飛な出来事に出くわした時や、逆に特に何もないのにふとした拍子に思い出すので、『こういう時にもしも○○だったら〜…と思うのだ』とは断定出来ない。
 また、過去を振り返り、『あの時□□だったらなぁ…』と想像し、今の自分の状況を省みて落胆する結果を連れて来ることもしばしばだ。
 いや、むしろ、『もしも〜』と思う時には、今よりも素晴らしいモノを手にしている自分がいたと想像してガッカリすることが多いかもしれない。

 でも…。


 *


「ティファ〜!これ、こっちで良かった?」

 元気で明るい声が美しい女性にかけられた。
 女性は穏やかな微笑みを浮かべて少年を振り返る。
 そして、嬉しそうに軽い笑い声を上げると、
「うん、それで良いよ。ありがとう、デンゼル」
 感謝の言葉を返した。
 少年はフワフワした髪の毛を弾ませながら女性の元へ駆け戻りながら、
「良いって、これくらい!いっつもティファは少しのことで大げさなんだから」
 照れ臭いのをごまかすようにわざと頬を膨らませて見せた。
 女性には少年の微妙な心の機微がちゃんと分かっていた。
 ただただ、嬉しそうににこにこ笑いながら、
「ふふ、ごめんね、デンゼル」
「もう!だからすぐに謝る」
「ふふ…そうね。ダメね、私ったら」
「いや…その…ダメとかじゃ……ないし……」
 もごもごと口ごもる少年に笑みを深くした。

 目の前でクルクルと表情を変える少年。
 そして、カウンターの中でグラスや皿を綺麗に拭いている少女。
 特別、なにか良いことがあったわけではないが、この『普通』が『普通』として自分を温かく取り巻いてくれていることが嬉しくて幸せに感じる。

 この2人の子供達がいない『セブンスヘブン』など、今では想像すら出来ないほど、この幼い子供達はティファやクラウドにとっては勿論、店の常連客達にとっても大きな存在となっていた。
 時々、子供ゆえに体調を崩して店の手伝いが出来ない日もある。
 その時は必ず、客達は子供達の身を案じ、中にはわざわざお見舞いの品を買いに行ってまた店に戻る…という心配りまでしてくれる人がいた。
 そんな子供達と一緒に仕事が出来ることを、ティファは『なんて幸せなんだろう!』と思わずにはいられない。
 本当なら、ティファとマリンの2人だけでこの店を切り盛りしていたはずなのだ。

 養父であるバレットが油田開発のため、幼いマリンをクラウド達に託してから暫くの間は2人だけで店を回していた。
 決して大きな店ではないが、それでもエッジの街の人達にとっての人気店であることから、毎晩忙しくクルクルと働いたものだ。
 それが、クラウドの家出少し前に彼がデンゼルを連れてきてから、大きく生活が変わったとティファは思っている。
 勿論、良いほうに…だ。

 最初、本当にとっつきにくかった少年だったが、いつの間にかティファやマリンに屈託のない笑顔を見せてくれるようになった。
 本当に…いつからだったことか…?

 最近、その辺の記憶がティファの中で曖昧になっている。
 きっと、今が幸せで仕方ないからだろう。
 だが、忘れているのではなく、頭の中の宝箱の奥底に眠っているだけで、ひょんな拍子で思い出すとティファは考えている。
 それに、出会った頃を振り返るほど、まだティファもデンゼルも、同じ時を過ごしてはいない。
 あと何十年か経って、デンゼルが素敵な人と出会い、恋をしたり、結婚したり…。
 そういう『変化』があった時に、ティファの頭の中の宝箱のふたがポン…と開いて、その当時のデンゼルが懐かしい顔を出してくれるのだろう…。

 そんなことを考えると、そういう日が早く来て欲しいような…、まだ来て欲しくないような、ちょっぴり複雑な気持ちになる。

『これが、親心…ってやつかしらね』

 ティファはクスリ…と微笑んだ。
 自分の考えがちょっとばかり照れ臭く、可笑しかった。
 だが、そんなことを考えられる余裕があるという事実は、ティファに至福を感じさせた。
 子供達がしてくれることは、特別なことではない。
 そう……、なんでもないことなのに、どうしようもなく一つ一つの仕草が愛おしくてたまらないのだ。
 マリンがちょっぴり眉根を寄せて真剣にグラスを磨いている姿とか…。
 デンゼルがティファの負担を少しでも減らそうと、率先して重い花瓶や置物をテーブルの上や、店のドア先に移動させてくれたりする細やかな心遣いとか…。
 そんなちょっとしたことが、身体に電流が走るほどの歓喜をもたらせると子供達は知っているだろうか?
 知っているからこそ、こうして頑張ってくれるのだろうか?

 いや。

 きっと、子供達は無自覚だ。
 無自覚、無意識に、ティファを喜ばせてくれている。
 勿論、その無意識に喜ばせたい、と意識下で感じているのはティファだけではなく、クラウドに対しても…。
 そうして、セブンスヘブンに来てくれる客達にも…。
 更には、クラウドとティファの大切な仲間達にも…。

 そうやって、子供達は自分達の周りにいる人達を、無意識に『幸せに』したいと行動に移している節がある。
 これは、天性の才能だ、とティファは思っていた。
 人間は、無自覚で人を傷つけることがある。
 傷つけた本人は無自覚なので当然気づかずに過ごしてしまう。
 だが、傷つけられた人間は、被害者なのでいつまでもそれを引きずってしまう…。

 人間模様は、得てしてそういう『被害者』『加害者』に別れてしまう傾向にあるとティファは感じている。
 それは、彼女のこれまでの生い立ちを考えると決して非難出来ないだろう。
 だが、デンゼルとマリンは全くもって正反対なのだ。
 無意識に人の喜ぶことを頑張ろうとしている。
 それが…とても嬉しい。
 そしてそれは、ティファの誇り。
 こんなに可愛くて、愛しい存在である子供達と一緒に時を過ごせることが出来ることが…。


 もしも…。
 あの時、クラウドがデンゼルを連れて来なかったら…?
 セブンスヘブンに連れて来るのではなく、孤児院か、もしくは病院に運んでいたら?
 今の幸せな時間はなかったかもしれない。
 いや、デンゼルと言う存在を知らないで、今日まで生活していたとしたら、それはそれなりに楽しい毎日となっていただろう。
 少なくとも、マリンは確実に自分達が引き取って『家族』としたのだから。
 だが…。
 クラウドにとって、デンゼルと言う存在は非常に大きな位置を占めている…とティファは思っている。
 やはり、男同士…ということだろう。
 それが、ティファにはちょっぴり面白くない。
 デンゼルが一番最初に心を開いた相手はクラウドだった。
 その当時は、とても面白くなかったのも事実。
 星痕症候群で苦しんでいるデンゼルを主に看病していたのは、ティファとマリンだった。
 クラウドは配達の仕事で忙しかったし…。
 だが、それもいつしか『仕方ないか…。男の子にとって、クラウドはまさに理想の男性像だし』という諦めに変わり、更にその『諦め』は、『愛おしくて仕方ない存在』へと昇華した。
 まさに、『クラウドに憧れていることも含め、デンゼルが愛しい』と思えるようになったのだから…。
 そして、その心の変化はマリンにもしっかりと根付いていた。
 星痕症候群で苦しんでいる時、マリンがよく看病をしていた。
 ティファはどうしても『家族』を養っていかなくてはならなかったので、働かなくてはならなかったのだから。

 それもこれも。
 クラウドが、星痕症候群に侵されていることをひた隠しに隠して、自分達家族の前から出て行ってしまった頃から顕著にその傾向が現われ始めた。

『ま、今となっては良い思い出よね』

 ティファはその当時のことを何気なく思い返し、またクスリ…と笑った。
 デンゼルがテーブルを拭き清めながら不思議そうに笑っているティファを見た。
 だが、あえて『どうして笑っている』のかは聞かなかった。
 別に聞く必要がないと思ったのか、ティファが笑っている原因についてさして興味がなかったのか…。
 それは分からないが、少年にとって唯一つ、確実に言えることは、ティファやマリン、クラウドが笑ってくれていると自分も幸せだ…ということ。
 そして、このセブンスヘブンの住人として生活出来るという幸せ。
 それだけで充分だった。


 *


「それにしても、本当にティファちゃんは幸せそうに働いているよねぇ、いつもいつも」
 ある日。
 店の客にティファはそう言われた。
 客はほろ酔い状態であったこともあったのだろうが、それにしては、笑っているその顔の下に渦巻いている『やっかみ』『嫉妬』がチラチラと覗いているのを感じ取るには充分なものがあった。
 ティファは、
『さて…どうしたものかしら…?』
 ほんの少しだけ考え込んだが、
「えぇ、とっても幸せですから」
 ニッコリと笑って正直に答えることを選んだ。
 ウソをつく必要が全く思い浮かばないことと、周りの客からそう見られていることが誇らしかったからだ。

「こんなに幸せな人間は、私以外では数えるくらいしかいないって断言出来ます」

 ちょっぴりおどけてそう付け加えると、周りの客達からドッと冷やかしの声が上がった。
 ティファの言葉に素直に羨ましがる客、胡散臭そうな顔をする客、そして、嫉妬する客。
 様々ではあるが、その客達にティファは臆する必要を微塵も感じなかった。
 マリンとデンゼルが、客達の反応にギョッとしたのが視界の端に映って、ティファはますます胸をそらせた。


「だって、こんなに可愛いくて、私のことを助けてくれて…。クラウドのことも、私のことも大事に思ってくれる子供達がいるのに、不幸なはずがないじゃないですか」


 デンゼルとマリンの心配そうな顔が、輝く笑顔に変わる。
 ティファは会心の笑みを浮かべた。
 客達の笑い声が店を活気づかせる。
 子供達の笑顔がそれに花を添えた。

 ティファの答えに、絡んだ客は少しだけ引き攣ったような笑みを浮かべたが、やがて諦めたような顔をして店を去った。
 自分がひがんでも仕方ない、と思ったのだろう。

「また来て下さいね」

 お決まりの台詞でその客を見送りながら、『きっともう来ないだろうな…』とティファは思った。
 そして、それが別に悲しいとか、店主として失格とか思わない自分に少しだけ驚いていた。
 以前の自分なら、店に来てくれた客がまた来てくれるように…と、一生懸命だったのに。

『これも余裕…ってやつかな…?』

 内心でクスクスと笑う。
 自分がここまで余裕を持てるようになったのは、やはりデンゼルとマリンがいてくれたからだと言い切れる。

 ある意味、『子は鎹(かすがい)』という言葉が、自分達家族にピッタリ当てはまっていると思う。
 デンゼルとマリンは血の繋がりこそないが、それ以上の…、『血よりも濃い』もので繋がっている。
 クラウドが家出していた頃もそうだ。
 マリンがいてくれたから、エアリスの教会に出向くことが出来た。
 マリンが『クラウドに会いたい』と素直に言葉で表現してくれたから、クラウドを待つことが出来た。
 もっとも、あの時はクラウドが帰ってくる前に銀髪の男にマリンを攫われるというとんでもない失態を犯してしまったのだが…。
 だが、もしもあの時、クラウドが銀髪の男がやって来る前に教会に戻っていたら?
 そしたら自分はどうしただろう?
 きっと、マリンは素直に『一緒に帰ろう!』とクラウドに自分の気持ちを伝えただろう。
 だが、彼はどうしただろうか…?
 マリンの訴えに応えてくれただろうか?
 星痕症候群の発作で倒れてしまったクラウドと、銀髪の男にノックアウトされて失神してしまった自分。
 意識がないお陰で、レノとルードにセブンスヘブンに送ってもらえた。

 …と言うことは、やはりあれはあれで良かったのでは…?という結論が出る。

 きっと、クラウドは意識がなくなっていなければ、『家』に戻ることを頑なに拒否しただろうから…。
 悲しそうな顔をするマリンに、それでもクラウドは拒否する言葉を口にしただろう…。

 マリンが悲しむ顔を見て、自分を傷つけながら…。

 今では分かる。
 クラウドが抱えていた恐怖心が。
 たった一人で死と直面しながら、誰もいない場所でただ一人、死んでいく恐怖。
 どれほどの恐怖だっただろう…?
 ザックス、エアリスと言う何物にも変えがたい親友を目の前で失ってしまった過去を持つ彼にとって、たった一人で死を迎えるというのは、一種の『贖罪』でもあったに違いない。
 自分一人が、愛する人達に囲まれて幸福のうちに死を迎えるなど、そんな権利はない、そう思っていたに違いない。
 いや、もしかしたらそう言った意識はなかったかもしれないが、無意識に彼はそう思っていたと思う。
 だからこそ、彼にはデンゼル、マリンという子供達が必要だった。
 純真で、ストレートに思いをぶつけてきてくれる存在が…必要不可欠だった。

 そして、ティファにも。

 時折、ティファ達の絆を知らない第三者が、ティファとクラウドが血の繋がりのない少年・少女を養っていることに対し、
『まだ若いのに…大変ね』
『本当に子供達を愛し、育んでいけるのか…?』
 同情の眼差しや、胡散臭そうな顔を向けてくることがある。
 勿論、店の常連客達は、そんなことは言わない。
 セブンスヘブンで働いている子供達の姿、そして、そんな子供達を愛おしそうに目を細めて見つめるクラウドやティファの姿を知っているのだから、そんな『同情』や『胡散臭そう』な顔をするなど全くもってナンセンスだ。
 クラウドにはティファが。
 ティファにはクラウドが必要なように、クラウドとティファの『家族』として、デンゼルとマリンは必要不可欠な存在。
 むしろ、店に一度でも来た事がある人間が、第三者視点で『同情』等の感情を持ったとしたら、その人間の感性を疑う結果となる。


「ティファ〜。ホッコリ定食追加ね〜!」

 数ヶ月前の思い出に浸っていたティファは、マリンの明るい声に現実へと引き戻された。
 満面の笑みで愛娘を見る。

「了解!すぐに作るわね」

 マリンがニッコリと笑いながら頷いた。
 デンゼルもニコニコしながら空いた皿を下げている。
 今夜も店は大繁盛。。

 
 良く働く子供達と、きびきびと無駄な動きが一切ないティファでも、流石に三人だけでこの店を切り盛りするのは大変だ。

『ん〜…、楽しいんだけどやっぱりここまで忙しいともう一人くらい人手が欲しいわね』

 忙しすぎて目が回る…と言うことはないのだが、やはりもう少し人手が欲しい、と最近では特にそう感じていた。
 だが、デンゼルもマリンも、誰かを雇うとか、そういうことを全く口にしなかった。
 むしろ、ティファが『誰かアルバイトでも雇うかと思っている…』と持ちかけたら、即反対されるだろう。
 一度もそう言う話をしたことはないが、なんとなく子供達が反対するような気がしていた。

 この店は、家族が力を合わせて頑張るものなのだから…。

 無意識に子供達がそう思ってくれている、とティファは感じている。
 だから言わない。
 それに、ティファも本気で人手を欲しているわけではない。
 仮に、本当に人手が必要となるくらいなら、店の営業時間を短縮したら良いだけの話。
 と、そこまで考えてティファは軽く吹き出した

 自分こそが、『セブンスヘブンは家族が力を合わせて営んでいくもの』だと思い込んでいるのだと思ったのだ。

 そんな自分の考えに子供達が無意識に染まってくれている…、そんな考えがポン、と頭に浮かんだ。
 自分勝手な想像かもしれないし、子供達がもしかしたら『他の人、雇っても良いよ』と言うかもしれない。
 だが、やはり反対するだろう…と結論付けてしまうのは、自分の『願望』なのかもしれない。

 子供達にとっても、自分が感じているくらい『セブンスヘブン』が大事な『家』なのだ…と。

 自分勝手な独りよがりになっていないか…、などと不安にはならない。
 何しろ、こんなに楽しそうに、幸せそうに、元気一杯で骨惜しみせずに働いてくれている子供達を目の当たりにしているのだから。
 逆に子供達がティファに対して遠慮をしているから『しんどい』『もっと他にも人を雇ってくれたら…』と考えているのに言い出せない、などと勘繰ったら、怒られてしまうだろう。

『ティファは俺達のこと、なんにもわかってないんだな!』『サイテー!家族でしょ、ティファ!』

 頬をパンパンに膨らませて怒る子供達を想像して、ティファはまた小さく吹き出した。
 カウンター席の客が不思議そうに目を瞬いているが、自分の空想の世界に没頭していたティファは気づかなかった。
 客もあえて、ティファに声をかけて突っ込んだりせず、ただただティファが幸せそうに微笑んでいる姿を、うっとりと見つめるのだった…。


 やがて、時計の針が子供達の就寝時間を告げる時刻となった。
 まだまだ客は残っている。
 子供達も張り切って働いていたので神経が興奮状態にあるため、まだ眠くない。
 だが、ティファは子供達の就業時間は絶対に譲らなかった。
 子供達を呼び寄せ、しゃがみこんで二人の目線に合わせる。

「今夜もありがとう。二人共、ゆっくり休んでね」
「うん」「ティファ、あんまり無理しないでね?」

 少し名残惜しそうにしながらも、デンゼルとマリンは素直に頷いた。
 ニッコリ笑ってティファにお休みのキスをする。
 ティファも子供達の頬にキスを贈って、2階の居住区へ見送ろうとした。

 が…。

「「 あ!! 」」

 デンゼルとマリンがパッと顔を見合わせ、満面の笑みを浮かべながら駆け出した。
 ティファと、子供達を見送ろうとその背を見つめていた客達が首を傾げるほどの唐突な動作。
 その答えはすぐに分かった。


「「 おかえり、クラウド!! 」」


 裏口から帰宅したクラウドの気配に敏感に気づいたデンゼルとマリンのはしゃぐ声が店の中まで響いてきた。
 クラウドの名前を耳にした途端、ティファの頬に朱が差す。
 茶色の瞳は輝き、子供達を見つめていた時に浮かべていた笑みとは違う『女の微笑み』を口元が模(かたど)る。
 古い常連客になるほど、『やれやれ…』と、苦笑しているのは、もう今夜は店じまいだと分かったからだ。
 先ほどまで『女店主』だったティファが、『恋する乙女』になってしまったのだから…。


「じゃ、俺はこれで」
「俺も」
「俺は…もう少しだけ…」
「「「 空気読め! 」」」


 数人の客達がニヤニヤ笑いながら、勘定分のギルを置いて席を立つ。
 中にはしぶとく居座ろうと頑張る男もいたが、早々に退散すれば良かった…と、後悔することになった。

 なにしろ。


「おかえりなさい、クラウド」
「あぁ、ただいま、ティファ。遅くなってすまない」
「ううん、良いの。無事に帰ってくれて本当に良かったわ」


 決してベタベタしているわけではないのに、見ているだけで砂を吐きそうなほどの甘いオーラ。
 子供達を片腕ずつで軽々抱っこし、のっそりと現われたのは金髪・碧眼の美青年。
 身長はさほど高くないのに、充分すぎる存在感。
 深い海の色を湛えたその瞳は、ただ一人だけに注がれている。
 そして、そのただ一人も彼しか見えていない。
 数人の客が黄色い歓声を上げ、甘い雰囲気はパチン…と消えてしまったかのようだ。
 ハッと、我に返った四人が歓声の上がったほうを見る。
 数名の女性客が、手に手にカメラを持って無遠慮にバシャン、バシャン、とシャッターを切った。
 途端、青年の眉間に深いシワが寄る。
 彼女達の態度に、ティファの眉も吊り上った。
 子供達は逆に、あきれ返った顔をしている。

「なんでああいう非常識なことを平気でするんだろ…」「あれが『厚顔無恥』って言うのよ」
「すげぇ!マリン、なんでそんな言葉知ってるんだ!?」「この前来てくれたお客さんが教えてくれたの」

 子供達の小声のやり取り。
 クラウドとティファの怒りが何となく削がれる。
 ティファが、クラウドに抱っこされたままのデンゼルとマリンを見ると、二人の子供達はニッコリ笑って見せた。
 その笑顔に、何となく毒気を抜かれる。
 そして、同じく何となく虚脱したようなクラウドと目を合わせて…苦笑してしまった。
 それで終わり。
 二人の天使には敵わない。
 ムクムクと沸き起こっていた怒りは、あっという間にプシュ〜ッ…と気を抜かれてしまった。

 ティファは軽く頭を振ると、顔をシャンと上げて微笑んだ。
 クラウドも笑みを返す。
 また黄色い歓声が上がったが、今度はシャッターチャンスを彼女達に与えはしなかった。

 サッとお盆をかざしてクラウドの顔を隠したのだ。
 絶好のシャッターチャンスを邪魔したティファに、彼女達の不満の唸り声が上がったが、周りの男性客達と何より女店主からの冷たい視線で彼女達はあっさりと引き下がった。
 ギルを置いて、そそくさと店から退散する。

 それを皮切りに、残っていた客達も引き上げていった。


 そうして。
 子供達を子供部屋に送った後、汗を流し終わったクラウドが1階の店舗スペースに下りてみると、そこには夕食が彼を待っていた。
 ティファはカウンターの中で最後の仕上げ、と言わんばかりにクラウドのための酒を作っている。
 シャカシャカ…とリズム良くシェイカーを振るティファは、いつ見ても素晴らしい…と、クラウドは思った。
 腕が良いだけではなく、とても絵になるのだ。
 キリッとした表情。
 きびきびとしている中にある柔らかな動き。
 そして…。

「はい、お待ちどうさま」

 グラスに注ぎ終わった後に見せてくれる微笑。

 彼女以外の人間に酒を作ってもらいたいなど、これから先、絶対に思うことはないだろう…と断言出来る。
 口にした食事、酒。
 その全てが自分の好みにピッタリと合う味。
 温もり一杯の食事は、ティファがクラウドのために丹精込めて作ってくれたもの。

『もしも…あの時、あのままだったら…?』

 手を止めて料理を見つめる。
 洗い物をしていたはずのティファが見つめる視線に気づき、顔を上げると、やはりそこには少し心配そうな顔をした愛しい人。
 クラウドの頬が自然と緩む。

「いや…なんでもないんだ。これ、美味いよ」
「ほんと?良かった」

 料理を褒めると必ずティファは嬉しそうに顔を輝かせる。
 目をキラキラさせて喜ぶ彼女は、小さい頃から変わらない、とクラウドは内心で嬉しく思った。
 そう。
 愛して止まない幼馴染は、変わらぬ愛くるしさを保ったまま、自分の傍にいてくれる。


 もしも、あの時、彼女が背中を押してくれなかったら…。
 今の幸せはないだろう。


 幸せを噛み締めながらそうしみじみと思う。


『ティファも……そうだと良いな』


 ティファも、自分と一緒にいることに幸せを感じてくれているのは分かっているが、それでも願わずにはいられない。
 これから先も、彼女の傍で共に幸せな時を歩まんことを。
 ゆっくりとした足取りでカウンターから出てくるティファを目で追いながら、クラウドはゆっくりと手を差し出した。
 ティファが照れ臭そうに頬を染めながら、それでもゆっくりと繊手を伸ばす。

 手と手が重なるまで…あと数秒…。

 恋人の時間まで…あと少し。



  ―『もしも』―

『もしも』と言う言葉は、歴史には存在しない。
 だが、あえて『もしも○○だったら』と言わせてもらえるならば…。

 セブンスヘブンの住人にとってはきっと、不幸せな結果しかなかっただろう。

 今がこんなに幸せなのだから。


『もしも』と思うよりも…。
 今、出来ることを……一緒に。



 あとがき

 マナフィッシュは、よく『あの時○○だったらなぁ…』とか思う人間です。
 ほんっとうに、ウジウジ考えちゃんですよね。
 ですから、むしろ今回の話のように『もしも○○だったら、今よりも不幸せだよね』とか『今、出来ることを頑張ろう!』って思える人を尊敬しています!
 うん、マナフィッシュ、人間が出来ていませんから…。

 少しでもお暇つぶしになれば嬉しいです。