その日、セブンスヘブンに前触れもなくハリケーンがやって来た。



彼の浮気




 最近ティファは精神的に落ち込む事があった。
 それは、特に何が原因と言うわけでもない。
 季節柄のせいか、時折、澄みきった高い空を眺めていると、ふと人恋しいというか、無性に寂しいと感じてしまう事があった。
 別に、彼が仕事が忙しすぎて家庭をおろそかにしている…というわけではない。まぁ、仕事で深夜過ぎても帰宅出来ない日も勿論あったりする。
 しかし、大抵は日付が変わるまでには帰宅してくれるし、何より子供達と共に過ごす時間を得る為、必ず数週間に何日か連続で休みを取れるようにスケジュールを調節してくれる。
 そして、その数日間を、家族の為に有意義な時間となるべく家族サービスに勤しむのだ。
 そこまで家族と仕事の両立をこなしてくれているクラウドに、不満などあるはずも無い。
 要するに、ティファは秋の初めのこの季節に、何となく人恋しくなっただけ…なのだ。
 ま、確かにクラウドはここ数日非常に忙しくしているのは事実なのだが、この現在のスケジュールが終わったら、家族で再びチョコボファームに行く予定になっている。
 前回初めてチョコボファームに行った際、少々(?)トラブルを起こすと言うハプニングを子供達はしてくれたが、今回はそういう心配は無いだろう。
 それに、チョコボファームに行く事を伝えた時の子供達の嬉しそうな顔!
『うっわ〜!本当!?』
『俺、前行った時にクラウドとティファに迷惑かけちゃったから、もう二度と連れて行ってくれないのかと思ってた!!』
 満面の笑みで「「ありがとう!!」」と言う子供達に、クラウドとティファは、このスケジュールを無事にこなして、家族の時間を持てるよう頑張ろう!そう誓い合った。
 それからと言うもの、クラウドもティファも店が閉店してから話をするのは、いつも日帰り旅行についての計画や、前回の子供達の様子を思い出して笑い合ったり…と言った、極々普通の楽しい会話だったのだ。

 それでも…。
 ふと、ティファは『寂しいな…』、と感じてしまう事があった。
 そして、『その時』も、丁度何度目かの憂鬱期の真っ只中にあった。

 その日…。
 開店の準備をダラダラとしながら、どうにも重い気持ちを抱えている為か、さっぱり準備が進まず、益々気分の滅入っていたティファは、突如、乱暴に開けられたドアに驚いて顔を上げた。

 息を切らして額にびっしり汗を浮かべて立つのは、ティファよりも二つ程年下に見える若い女性。
 ストレートの黒髪を肩口で切りそろえ、漆黒の瞳を潤ませ、そして可愛いフリルの付いたワンピースのスカート部分をギュッと握り締めて、真っ直ぐティファを睨む。
 そして開口一番、まさに天地がひっくり返るような事を叫んだ。


「私!絶対にあなたに『彼』は渡しませんから!!!」


 突然乱暴にドアが開けられ…。
 初対面の女性(しかも、パッと見るとかなり可愛い)が現れて…。
 挨拶もなく突然『彼は渡しませんから!』と叫ぶ。

 このような状況に突然見舞われ、驚かない人間がいるだろうか…。
 世界は広い。
 もしかしたら、一人くらいは何事にも動じず、涼しい顔をしたまま応対できるかもしれないが、生憎セブンスヘブンの女店長はそうじゃなかった。
 呆けたままポカンと口を開け、一言も発しない。
 ティファのこの姿は、滅多に見ることの出来ないほど間抜けな顔だったが、幸いにも子供達は今日からお友達のご家族と一緒にキャンプに行ってて留守である。
『あ〜、デンゼルとマリンがいなくて良かった』
 心の中では意外と冷静な意見を呟くティファがいたが、さて、その冷静さもあっという間に霧散してしまった。

 この人…、さっき何て言ったかしら…。
 ああ、そう言えば、『彼は渡しません』って…………!?

「あ、あの…」
 漸くティファの脳にまでそれらの事柄が到達した時、ティファは真っ青になった。
 そして、完全にパニックになりそうになりながらも、目の前で顔を真っ赤にしている女性と話をしなくてはならない事に気がついた。
「え…と、それってどういう意味ですか…」
 つっかえつっかえ、その言葉を漸く口にする。
 たったそれだけの台詞で、口の中はカラカラだ。
 女性は、真っ赤な顔を更に赤くすると、興奮しきったのか涙腺を緩ませてしまった。
 ポロポロと涙をこぼしながら、それでも一生懸命言葉を吐き出す。
「わ、私…、あなたに比べてこんなだけど、…それでも、…彼の事が、本当に……本当に大好きなんです!い、いくら、…彼に貴女を想ってるって言われても……絶対に諦めません…!!」
 そう言い終わった彼女は、ワッと泣き出してしまった。
 堪えに堪えていた涙が、限界に来たのだろう。
 肩を揺すり、嗚咽を漏らしながら顔を覆って泣く女性に、ティファは完全にパニックになった。

 な、何でこの人、初めてここに来たのに泣いてるの…?
 ううん、それよりも、この人の言う『彼』って、やっぱり……クラウド!?
 嘘…どうして彼女がクラウドの事想って泣くの…?
 クラウド、私の為に彼女をフッてくれたの?
 で、でもそんな話し聞いた事無い…、あ〜、でもそんな話、クラウドでなくても他の人だって自分の…その…彼女に、話したりしない…よね…?
 ……て言うか、私、クラウドの……『彼女』で間違えてない……よね?

 などなど、かなりの混乱具合であったが、それでも泣きじゃくっている女性よりはまだマシな域を保っていた。
「あ、あの…とりあえず、もう少しお話を…」
 幾分か頭が冷えてきたティファは、泣きじゃくる女性に声をかける。
 しかし、女性はキッと睨み上げると、
「いいえ!ライバルの目の前で泣くだなんて、そんな恥を晒した今、これ以上の辱めは受けたくないです!!」
 そう吐き捨て、クルリと踵を返して店のドア目掛けて駆け出した。
 ところが…。

 ガンッ!キャッ!!ドドッ……!!!

「な、大丈夫ですか!?」
 慌てふためいて駆け出したせいか、テーブルの角にもろにぶつかり、バランスを崩して派手に転倒した。
 しかも、転倒した際に椅子を何脚か道連れにするというおまけつきだ。
 椅子に埋もれるようにして床に倒れ伏している女性に駆け寄ると、椅子をどけて助け起こす。
 女性は涙でグショグショの顔を歪ませ、心底惨めそうな顔をして唇をかみ締めた。
 それはそうだろう…。
『恥を晒した今、これ以上の辱めは受けたくない!』
と、大きな口を叩いた直後の赤っ恥。
 この目の前の女性でなくても、屈辱感と羞恥心で惨めになること間違いない。
 ティファは、とりあえず身近に合った椅子へ女性を座らせると、珈琲を煎れるべくカウンターへ足を向けた。

 ティファが珈琲をセットしている間、女性は肩を小刻みに揺すりながらさめざめと涙を流していた。
 その様子をカウンターの中から見るとはなしに見ていたティファは、胸の中が不安と苛立ちでざわざわと波立つのを止める事は出来ないでいた。

『…この女性(ひと)、クラウドの『何』なのかしら…』

 勿論、クラウドの事は信じている。
 しかし、こうして目の前に『彼は渡しませんから!』などと、言わば宣戦布告をする女性現れたのだ。
 それでも尚、落ち着いていられるわけがないではないか…。
 何とも言えない気まずく重苦しい雰囲気が漂う中、珈琲メーカーのコポコポという音と、女性のすすり泣く声だけが店内に響いていた。

『……今夜は臨時休業ね……』

 ティファはそっと溜め息を吐いた。



「……すみません」
 恐る恐る目の前にコーヒーの入ったカップを置いたティファに、いくらか頭の冷めた女性が小声で礼を言った。
 その事により、ほんの少し安堵すると、向かいの席に腰を下ろす。
「……それで、あの……」
 話を切り出そうとして言葉に詰まり、カップに視線を落としてそわそわするティファに、女性はポツリポツリ話しだした。
「……貴女の事は、彼以外の人達からも聞いてます…。とても評判良いですから…」
「はあ…、どうも……」
「私と三つしか歳が違わないのに、子供さんを引き取って育ててらっしゃるんですよね…。本当、凄いと思います…」
「…いえ、大した事では……」

 何とも弾まない会話に胃の辺りが重くなる気分がするティファに、女性はそっと視線を上げた。
「……最初は、私も憧れてたんです…」
「え……?」
 誰に…?と言うティファの表情に、初めて女性ははにかむような微笑を浮かべた。
「ティファさんに…憧れてたんです」
 思わぬ発言に目を丸くする。

 自分に憧れていたと言う割には、先程の剣幕は並々ならぬものを感じたのだが……。

 そんなティファの気持ちを察したのだろう。
 女性は気まずそうに視線を逸らすと、珈琲を一口啜り、呼吸を整えた。
「先程は…本当に済みませんでした。でも……憧れてた人がライバルだなんて……。彼に貴女以外は考えられない……だなんて言われて……もう頭がパニックになってしまって……」
 そう言いながら、段々感情がその時に引き戻されたのだろう…。
 みるみるうちに、大きな瞳に涙が浮かぶ。
「でも……でも、彼の事……本当に大好きなんです…。だから、誰にも渡したくなくて…!でも、そのライバルがティファさんだなんて…!だって……どうやったって勝てないじゃないですか……!!だから、カッとなっちゃって……訳が分からなくなって……それで…つい……」
 つっかえつっかえ、必死に言葉を紡ぐ目の前の女性に、どうしようもなく胸が痛む。

 誰よりも大切な人に振り向いてもらえない辛さ…。
 それは、ティファ自身、二年前の旅の最中に感じていた痛みだ。
 ライバルは自分も大好きな女性。
 今、目の前の女性が感じている痛みと、自分が二年前に感じた痛みは同じ種類のものではないだろうか…?
 だとしたら、先程見せた取り乱しようも理解出来る。
 苦しくて、悲しくて、どうしようもない感情が胸の中でせめぎあった結果の行動なのだろうから…。

 でも、だからと言ってこの女性にクラウドを渡す事など出来るはずもない。
 何より、自分の気持ちだけでなく、クラウド自身の気持ちも尊重されなくてはならないのだから。

 だがしかし…。
 もしもクラウドが自分よりもこの女性に心惹かれることがあったら…?
 今は、女性よりも自分に気持ちがあるクラウドも、これから先の保障などどこにも無いではないか。
 自分に比べて、この目の前の女性は本当に女性らしい。
 嫉妬に苛まれてライバルのところに乗り込んでくる事と言い、さめざめと泣く姿と言い、そして何よりも醸し出している女性特有の『守ってやりたい』という儚さがある。
 自分にはそう言ったものがない。
 どう贔屓目に見ても、男性の心をくすぐるのは、この目の前で涙を浮かべている女性ではないだろうか!?

 精神的に沈み勝ちであるティファが、自分に自信を持った考えが出来るはずもなく、どんどん思考はネガティブな方向へと突き進んでいく。

 先程の言葉を最後に黙り込んだ女性共々、涙が出そうになってきた。
 これ以上暗くなりようが無い空気が、にわかに振動した。
 それは今、聞きたい、そして聞きたくない『彼』の帰宅を知らせるエンジン音。
 フェンリルのバイク音だ。
 配達の仕事を終えたクラウドが、寄り道もせずに帰宅したのだった。

 ティファは顔を上げると、ドアに駆け寄って女性の事をクラウドに問い詰めたい衝動に駆られた。
 それを何とか押さえ込んでいる間に、何も知らないクラウドが足取りも軽くドアを押し開けた。


「ただいま……?」
 一歩店内に足を踏み入れたクラウドは、そのあまりの重苦しい空気にたじろいだ。
 目の前には涙を一杯に浮かべた二人の女性。
 一人はクラウドの大切な人。
 そして、もう一人は……。
「…ティファ、お客さんか?」
 クラウドののんびりした問いに、ティファはカッとなった。
 この目の前の女性を見て、何も知らないような顔をするなど、一体どういう了見か!?
 クラウドのせいで、自分とこの人はこんなにも心を痛めているというのに!!
 思わず怒鳴り散らしそうになるティファの目のまで、女性はクラウドに視線を移した。
 そして……。

「あ……お邪魔してます…」

 さらりと口にした挨拶に、ティファは固まった。

 …お邪魔してます……って、それだけ!?
 もっと他に何か無いわけ!?

「あの……クラウド…この人……」
「ん…?この人がどうしたんだ?…もしかして仕事の依頼か?」
「え……そうじゃなくて……。え…???」
 どうにも今までの話の流れから考えて、このリアクションはありえない。
 混乱するティファを見て、クラウドは首を傾げ、女性は不思議そうな顔をしていたが、やがて何かを悟った表情になると苦笑して見せた。
「あ……すみません。あの……私の言ってた『彼』って、クラウドさんの事じゃないです」


 はい…!?


 あまりの言葉に、張り詰めていた心の糸がブツンと切れる。
『……私って…ほんとバカ…」
 ティファは眩暈を覚え、そのまま卒倒した。



「それで、相手が俺だと勘違いしたのか?」
 呆れ返るクラウドに、ティファは顔を真っ赤にさせるとおずおずと頷いた。
 時刻はもう夜半過ぎ。

 あの後、気を失ったティファに動転した女性を宥めすかし、ティファを自室に運んだクラウドは、あらましの事情を彼女から聞いた。
 そして、ティファが完全な勘違いをした事を知り、深い溜め息をついたのだった。
「なんでそんな勘違いしたんだよ…」
「だって…、彼女『彼』って言ってて名前言わなかったから…てっきり…」
 やれやれ…と肩を竦めるクラウドに、ぐうの音も出ない。
 しかし、うな垂れるティファをクラウドはどこか楽しそうに見つめていた。
「彼女が『彼』とだけしか言わなかったのに、俺だと思い込んだって事は、ティファの頭の中の『彼』って言葉に反応するのは『俺』だけって事かな…?」
 そう言って悪戯っぽく微笑む紺碧の瞳に、ティファは目を瞠った。
 てっきり、気分を損ねてしまったと思っていたからだ。
「あのさ…。この際だから色々聞いとこうと思うんだけど…」
「え……?」
 クラウドはベッドに腰を下ろし、優しい眼差しを向けて口を開いた。
「最近、何だか元気なかったからな、心配してたんだ。でも、『元気ないな?』って言ったって、どうせ『大丈夫』としか言わないだろ?いつかはちゃんと話を聞こうと思ってたんだけど、なかなかタイミングが掴めなくてさ…」

 言葉を選びながら真摯に語るクラウドに、ティファは目の奥が熱くなるのを感じた。

 ああ、彼はちゃんと見ててくれたんだ…。
 理由もなく『寂しい』と感じていた自分の姿を、ちゃんと……。

 柔らかな笑みを浮かべ、そっと彼に手を伸ばす。
 そして、当然の仕草として抱きしめてくれる彼の胸に頬を寄せ、いつになく素直に自分の想いを言葉に出来たティファは、もう寂しくなかったのは……。

 当然のお話……。




 おまけ

「それで、夕方の女の人の彼氏の事だけど…」
「うん」
「何でも常連さんらしい…」
「え!?」
「だから…」
「だから?」
「どんなに想っても報われないって事を、うんと教えてやらないとな」
「え…?って、ちょっと!」
「仕事で疲れて帰ったのに、更に心配させたお詫びはないわけ?」
「う……」
「やっぱり、ちゃんとお詫びはいるよな?」
「……ごめんなさい…」
「というわけで、明日は二人揃って朝寝坊だな」
「……う〜…」
「いやか?」
「……聞かないでよ…」

 翌日二人が起きたのは、太陽が高く上ってからだったとか何とか…。


あとがき

『彼の浮気』とか題名付けときながら、
実際に浮気をしたのはオリキャラの彼氏でした…(笑)。
こういう『ちょっとずれた題名』を付けるのが好きなんですよね〜。
ま、実際クラウドが浮気できる筈ないので、この題名自体がおかしいのですが〜…。

はい、こんな雑話にお付き合い下さり、有難うございました!