「もう、なにそれ!信じられない!!」

 怒り心頭。
 顔を真っ赤にして怒るティファに、だがしかし、クラウドもすっかり頭に上った血のお陰で”折れる”という考えが全く浮かばず、逆にティファの怒りによってますます怒りが煽られた。

「なら良い。勝手にしろ」

 冷たい一言を冷たい口調で吐き出す。
 ティファの双眸に涙が浮かんだが、それが悲しみのせいではなく強すぎる怒りのせいだとイヤでも分かった。
 だからますますクラウドは腹が立つ。
 ティファも同じだ。
 アイスブルーの瞳に侮蔑の色すら浮かんでいることが悔しくて腹立たしくてたまらない。
 だから…。

「言われなくても勝手にするわよ!!」

 実に子供のような言い返しをしてしまったのだった。






健全な関係







「なあ…なんか、今日の料理、全体的に味が濃くないか?」
「あぁ、俺も思ってた。んでもって、なんかさぁ、火を通しすぎてる気がするんだが…こういう料理なのか?」
「「「さぁ〜…」」」

 そこかしこで客たちが囁き合っている。
 デンゼルとマリンは、身の縮む思いでいっぱいだった。
 心の中で『『ごめんなさい、ごめんなさい!』』と繰り返す。
 だがしかし、どうしてもその事実を料理を作った本人には言えないのだ、今日は。
 2人は丁度、店内の対角に位置する場所で接客に勤めていたが、期せずして同時にチラッとカウンターへ視線を向けた。
 いつも通りを装い、カウンター客と笑いながら調理をしている店主がいる。
 だがしかし、笑っているはずなのに目が笑っていないのでなんとも言えない違和感がそこにはあった。
 客もそれを感じているはずなのに、いつも以上にティファが話し相手をしてくれるのが嬉しいのだろう、熱心に話しかけている。
 いつもなら失礼にならないよう適度に話を切り上げて調理作業に専念したり、他の客へ話を振ったりして一定の距離を保っているのに、今夜はむしろティファの方こそが積極的に話し込んでいるように見えた。

 それが子供たちの不安を煽る。

 ティファらしからぬ接客態度の原因は分かっている。
 昨夜の喧嘩だ。
 深夜、たまたまトイレに起きたデンゼルがクラウドとティファの喧嘩に気づいてしまった。
 ビックリしたデンゼルは急いでマリンを起こし、2人揃ってこっそり喧嘩を覗き見したのだ。
 クラウドもティファも、気配を読むことに長けているのだが相当頭に血が上っていたらしく、結局最後まで子供たちに気づかずに過ぎてしまった。
 そうして、今朝。
 2人が不安を抱えて朝食に降りた時には既にクラウドの姿はなく、
「クラウド、仕事に行ったわよ」
 にっこりと必要以上に笑うティファが、いつも以上に豪華な朝食を整えて待っていた。

 喧嘩の途中から覗き見をしたので何が原因なのかさっぱり分からないが、ここまで本格的な喧嘩は初めてのことだ。
 顔を真っ赤にして眉間に深いしわを寄せてクラウドを睨みつけているティファと、冷め切った顔で鋭く睨みつけるクラウドの姿はデンゼルとマリンを深く傷つけた。
 大好きな2人が喧嘩をするところなど、絶対に見たくはない。
 だが、だからと言って、
『じゃあ、知らないところでなら喧嘩しても良い』
 というわけではない。
 当たり前だ。
 大好きな2人にはいつまでも仲良くしていて欲しい。
 お互いにヤキモチを焼きながら、それでも相手を信じて強く立つ2人がデンゼルとマリンは好きだった。

 なのに。

「ティファちゃん、なんかちょっと疲れてる?」
「え?そんなことないですよ。どうしてですか?」
「いやぁ…なんかちょっと…いつもと味が違うなぁ…って」

 それまで話をしていた客とは別の客が恐る恐る、と言ったように声をかけた。
 それまでティファをほぼ独占して話に花を咲かせていた若い男は少しだけムッと眉根を寄せたものの、口や態度にそれ以上の不快感は表さなかった。
 彼も内心、そう思っていたのかもしれない…。

 ティファは味付けのことを言われて目を見開いて驚いた。
 慌ててフライパンの中身を菜箸でつまみ、小皿に取る。

「!?」

 息を呑んで固まったティファに、見守っていた客たちが苦笑ともとれる笑みを浮かべた。


 結局、その日の営業は散々だった…。


 *


「ティファ、大丈夫?」
「疲れてるんだよ…、もう休もうよ」

 普段なら寝ているはずの子供たちが心配そうにパジャマ姿で見上げてくる。
 それがティファにはたまらない。

 ごめんね、大丈夫だよ。

 口先だけの安易な言葉で納得してくれるほど子供たちは甘くないし、そもそもそんなこと、自分がこれっぽっちも信じていないのに説得力などあるはずがない。
 悲しそうに眉尻を下げてそこから動こうとしない子供たちに、ティファは取り繕った笑顔の裏で泣きそうになるのを必死に抑えていた。

 昨夜、クラウドと初めて大喧嘩をしてしまったことが、こんなにも多方面に渡って悪影響を出している。
 公私混同なんかしない!と、日頃、己を律して頑張っているつもりだったがこの体たらく。

 まったくもう、私のバカ!

 心の中で何度毒づいたことか。
 子供たちにここまで心配をかけてしまったことも情けなさに拍車をかける。
 今日は全てが空回りだ。

 子供たちの言う通り、後片付けなど明日にして今すぐ寝てしまおう、どうせ今日は何をしたって散々なのだから…。
 そうも思うのだが、無駄にしてしまった食材や子供たちには知られたくない数々の失敗の痕跡を明日まで放りっぱなしにしておくなど、気になって気になって寝るどころの話じゃない

「ごめんね、2人とも。これを片付けないと明日が大変だから」

 そう言うと、予想通りに「じゃあ手伝う!」と2人揃ってパジャマの袖をまくった。
 それが嬉しいやら困るやら…。
 何しろ、2人の知らない失敗の残骸がカウンターの中に潜んでいるのだ、知られたくない…。
 なるべく2人に余計な心配をかけないよう、言葉を選んで断りの台詞を口にする。
 しかし、早々簡単に折れてくれる子供たちではない。
 なんだかんだ言って、ティファを手伝おうとする。
 一体この頑固さは誰に似たのだろう?と、少しずれたことを考えながらティファは苦笑した。
 苦笑しながらも、頑としてカウンターの中に入れず、
「ありがとう、でも大丈夫。いつも1人でしてることだし…」
 そう言って言葉を切り、諦めそうにない子供たちに向かって切り札を舌に乗せた。

「クラウドのご飯、作ってあげたいから」

 途端、2人の攻撃とも言える手伝いの申し出はピタリ、と止んだ。
 変わりに慎重にティファの表情を見つめてくる。
 ティファの言葉にウソや無理がないかを確認しているのだ。

「うん、分かった」
「ティファ、無理しないでね?」

 いつもならニッコリ笑って言ってくれるだろうその台詞。
 しかし今夜はデンゼルもマリンも伺う様な、不安を表しているかのような神妙な表情しか見せてはくれず、2人が子供部屋に上がって行った足音が完全に消えてから、ティファは2人が今日、一度も自分に向けて笑ってくれていなかったことに気がついた。
 同時に、2人がクラウドの今日のスケジュールを聞いてこなかったことにも気がついた。

「……あ〜〜……」

 ティファはガックリとうな垂れた。
 自分たちの昨夜の喧嘩をひた隠しにしていたのに、バレていたのだと分かったからだ。
 思わず自己嫌悪のあまり、髪を掻き毟りたくなる。

 しかし、うな垂れ蹲(うずくま)っているばかりではいつまで経っても片付けは終わらない。
 消し去りたい痕跡(失敗の数々)と向き合うべく、ティファはノロノロと顔を上げた。
 重い足取りでカウンターの中に入りしゃがみ込むと、隠すようにして床に置いていた残骸を種別ごとにビニール袋へ投入する。

 焦げた食材、辛すぎた料理、ヒビの入った皿、欠けたジョッキ…etc。

 今日一日でどれだけの”無駄”を生み出してしまったのか…、自分で自分が信じられない。
 これだけの失敗を一日でしたことなどただの一度もないというのに。
 イヤでも認めざるを得ない。
 クラウドという存在が自分にどれだけの影響力を持っているのか。

 ティファは重い重い溜め息をついた。

 嫌々している作業ははかどらないし、時間もノロノロとしか進まない。
 ゴミ袋へ残骸を仕分けていく作業のなんと虚しいことか。
 惨め過ぎて涙も出やしない…。

 ようやっと残骸と”普通”に店の片づけを終えた頃には精根尽きていた。

 屈んだ作業の多かったせいで鈍く痛む腰を伸ばし、店内の時計を見る。
 23時半を指すその針を見てティファはまた1つ、溜め息をついた。
 そろそろクラウドが帰って来てもおかしくない頃合だ。

「……」

 キッチンの上に置いてある食材を暫しねめつける…。
 それは、1人分の夕食の材料。
 子供たちを体よくあしらった台詞を実行するためのものだ。

 ティファは両腰に当てていた手を溜め息をつくと食材へ伸ばした。
 半ば投げやりに夜食を作り始める。
 作るのがイヤなのではない。
 喧嘩中なのにわざわざ夜食を作るっておかしくないだろうか?とバカみたいな疑問が頭を占めているからだ。
 それに…。

「これ……作って無駄になったらどうしよ…」

 はぁ〜…。

 また溜め息。
 昨夜のクラウドの怒りを思い出す。
 今まで軽い口喧嘩やすれ違い、思い違いのようなものはあったが、あそこまでお互いの意見をぶつけて衝突したことはただの1度もなかった。
 だから、喧嘩した翌日である今日、クラウドがどういう態度でくるのかさっぱり分からない。
 分からないから不安になる。
 あれだけ冷たい目で睨んだ人が、自分が作った物を食べてくれるとは到底思えない。
 しかもこんな時間に…。

 ノタノタとした動きで調理していたティファの手が完全に止まる。

「…止めようかな」

 ポツリ。
 小さな呟きはシンと静まり返っている店内で異様に大きく響いた。
 それがまた、なんとも言えない侘しさを感じさせる。
 しかし、もしも…だ。
 もしも、万が一、クラウドが夜食を食べるつもりで帰宅して無かったらどう思うだろう?
 今まで欠かさず用意していたので、ある意味ティファにとって夜食を作るということは習慣になっている。
 夜食を作らないのは意地を張って意地悪をしているように思われるだろうし、なによりも今、ティファの中にあるのはクラウドへの怒りよりも喧嘩をしてしまったという事実に対する動揺の方こそが強い。
 だから、夜食を作る作らないでこんなに心乱れている。

 作って食べてくれなかった時、自分はどれくらい傷つくだろう?
 夜食がある、と思って帰宅したのに用意してなかった場合のクラウド以上に傷つくだろうか?

 ここまで考えてティファはふるり…と頭を振った。
 ノロノロとではあるが手を動かし始める。

 悩んでいても仕方ない。
 折角作っても食べてくれないかもしれないし、夜食を用意していなかったとしても別にクラウドは傷つかないかもしれない。
 喧嘩中なのだから当然の仕打ちだ、と、冷静に飄々と何も無いテーブルを受け入れてしまうかも…。
 しかし、やはりそれは自分がイヤなのだ。
 喧嘩中であろうとなかろうと、家族のために一日働いて頑張ってくれている彼のために自分が出来ることをしてあげたい。
 そう、結局のところ、腹は立ってもクラウドに惚れてしまっている自分にこそ分が悪いのだ、いつでも、どんなときでも。

「結局……私は勝てないんだよね〜……」

 口に出して負けを認める。
 思いのほか、負けを認めたことが苦しくないことにティファは苦笑した。
 認めてしまったことで少しラクになる。
 ラクになったから作業が少し、軽やかになる。
 基本的に料理が好きなティファは、やがて完全にいつものペースを取り戻し、クラウドのために胃に優しい鍋物を準備し終えた。

 調理の後片付けを終えて店の電気を消したとき、丁度時計は0時を指した。
 いつもならこの場でクラウドを待つのだが、流石に喧嘩中に待っているのは辛い。
 というよりも、クラウドへの腹立たしさを確かに感じながらも、それ以上にクラウドに冷たい怒りをぶつけられる恐怖心の方がうんと強い。
 冷静になった今、よくよく考えてみればクラウドの言い分にも一理ある、と頷けてしまうから余計にクラウドの反応が怖い。
 ならば、謝ってしまえば良いのだろうが、流石にティファにも少しの意地がある。

『勝手にしろ』

 吐き出された全否定の言葉は今でもティファの心に深く突き刺さっている。

(あんな言い方しなくても良いじゃない…)

 暗い気持ちで胸の中で呟くと、ティファはゆっくりと冷たいシーツの中で目を閉じた。
 だが、神経が昂(たかぶ)っているので中々眠れそうにない。
 何度も寝返りを打ちながら、どうしても意識は階下へ向けられる。
 クラウドはまだ帰らない。
 連絡もない。
 もしかしたら、今夜は帰ってこないつもりなのだろうか?

(ああ…そうかもね…。今夜は帰ってこないかも…)

 ズキリ…と、自分自身の出した結論に胸が痛む。
 今夜、帰ってこなかったことを朝、子供たちになんて言えば良いだろう?
 帰ってこなかったことは伏せて、『仕事に行っちゃった』とウソをつくべきだろうか?
 しかし、聡い子供たちにはすぐウソがバレてしまいそうな気がする。
 これ以上、子供たちを不安にさせたくはない。
 子供部屋へ渋々上がっていった子供たちの振り返った顔に浮かんでいた不安を思い出すと自己嫌悪で死にたくなる。

(デンゼルとマリンのためにも…、明日、電話してみよう…)

 きっと、携帯は留守電に切り替わるだろう。
 ディスプレイに表示された名前が自分からなら絶対に出ない。
 それでも良い、留守電にメッセージを残せばいいのだ、あの家出の頃のように…。

 家出。

 二文字が激しく胸を締め付ける。
 もしも、今回の喧嘩が原因でまたいなくなったらどうしよう!?
 突然気づいたその可能性にティファは目を見開いた。
 身を起こし、携帯に手を伸ばす。
 ディスプレイに表示された時間は1時半。
 まだ帰ってきていない。
 ということは、いよいよ今夜は帰らないということだ。
 今夜一晩だけならそれで良い。
 だけど…。

 激しくなる動悸に合わせるようにして息が上がる。
 ティファは居たたまれない気持ちに襲われ、ベッドから抜け出しショールを肩にかけると階下へ向かった。
 今から電話をするつもりはなかったが、ベッドで横になっていられるような心境ではなくなったのだ。
 暗い店内に最低限の照明を点ける。
 ほの暗い明かりの下、とりあえず熱い紅茶を淹れる。
 クラウド用の夜食がポツン、とカウンターの彼の席に置き去りになっているのには目を向けない。
 湯の沸く音が静まり返った店内に響き、どうしようもなく寂しさがこみ上げる。


『ティファはお人よしだから簡単に自分のテリトリーへ他人を入れてしまう。それが心配だと言っているんだ、もう少し警戒心を持てと言う俺のどこかおかしい?』


 昨夜の喧嘩でクラウドが口にした言葉が蘇る。


『クラウドは他人を信じなさすぎなのよ!そんなことじゃ、いい人間関係は築けないじゃない!』


 クラウドに向かって吐き出した言葉が蘇る。
 人付き合いが苦手な彼に、よくもまぁ、酷いことが言えたものだ…。

 やはり、自分こそが悪いのだろうか?
 クラウドは心配してくれただけなのに…。

 ティファは紅茶のカップを手に、カウンターのクラウドの隣の席に腰を下ろす黙って紅茶の水面を見つめていた。
 口に運ぶことをしないでただ見つめ、手の中にあるカップからの温もりを感じる。
 もう何度目かの溜め息が紅茶の面を揺らしたとき、ドアが軋む音にハッと顔を上げた。
 深い漆黒の闇に浮かび上がるようにして金髪が仄暗い照明の光を受けて鈍く輝いていた。
 思わず立ち上がり、足音を殺して現れたクラウドを言葉無く見つめる。
 クラウドもなにも言わず、黙ってティファを見つめる。
 顔の半分以上が影に隠れてしまい、表情が分からない。
 ティファは黙ったまま、荒くなった呼吸を鎮めようと大きく何度か深呼吸をした。

(ほら、ちゃんと『おかえり』って笑って言ってあげないと…!)

 竦み上がっている己を叱咤する。
 しかし、焦る気持ちとは裏腹に身体は全く言うことを聞こうとせず、唇はわななくだけで言葉を紡ごうとしない。
 早く何か言わなくては、折角帰って来てくれたクラウドがまた怒ってしまう…。
 焦燥感だけが募り、膝が震えてくる。

 そんなティファをクラウドはただ黙って見つめていた。
 かと思うと、ギョッとしたように息を呑み、大股でティファへと近づいた。

「ティファ、ごめん。俺が悪かった!」
「………え……?」

 そのままの勢いで抱きしめるのかと思いきや、ティファの目の前で脚を止めたクラウドは傍目にも分かるほど激しく動揺していた。
 戸惑うティファにおどおどしなが触れて良いものか躊躇うような仕草を繰り返し、眉尻を下げて必死の形相で覗き込む。
 予想していたクラウドの憤りも、蔑みも、呆れもその瞳には無い。
 わけの分からないティファに、クラウドはますますオロオロとうろたえた。

「ごめんティファ。勝手にしろだなんてウソだから!俺が悪かった。だから…泣かないでくれ」

 ティファは大きく目を見開き、反射的に目元へ手をやった。

「あ……」

 指先が濡れている。
 その時、ようやっとティファは自分が泣いていることに気がついた。
 気がつくと同時に胸の奥から嗚咽がこみ上げ、抑えがたいほどの衝動がティファを襲った。
 震える唇をかみ締め、必死に涙と嗚咽を食いしばろうとしたが到底抑えることなど出来ない。
 涙を見せるなんて卑怯な手段だと己を激しく非難しながら、それでも涙は止まらない。
 止まらないからクラウドが激しく動揺し、ひたすらうろたえている。
 もうこうなったら喧嘩がどうこう言っている場合ではない。
 それに、ティファはもう怒ってもいないし、だからこうして泣いているのは悔しくて泣いているのではなく…。

 嬉しいから。
 帰ってきてくれて嬉しいから。
 嬉しいから涙が止まらない。
 でも、それを伝える言葉を口にするには嗚咽が邪魔をする。
 伝えられないからクラウドを困らせる。
 ならどうしたら?

 ティファは深く考えることも躊躇うことなく、取り乱すクラウドへ思い切り抱いた。
 ビクッ!とクラウドが震えたが構わない。
 必死になって腕を回して、こみ上げる嗚咽で途切れがちになりながら、「おかえりなさい」と言葉にした。
 その言葉を耳にした途端、クラウドの全身から緊張が抜け落ちる。

 躊躇いも力加減もなくクラウドは嗚咽で震えるティファを掻き抱きついた。


 *


「実は…ガレージで一晩明かそうかと思って…」

 ひとしきり泣いたティファが落ち着いた頃、2人してベッドに潜り込んで固く抱き合っている。
 クラウドは自分がどうしていたのかを恥ずかしそうにポツリポツリと白状した。

「ティファが…怒ってると思ってさ。頭冷やして色々考えてた。今の俺があるのもティファのお人よしっていう美徳のお陰なのに偉そうなこと言ったしな。でも…」
 言葉を切って腫れぼったい目をするティファを見つめる。
「ティファは…あまり人を疑わない。だから、今回の『お手伝い』って言うのも簡単に引き受けてしまっただろ?シーッ、最後までとりあえず聞いてくれ。世の中、ティファみたいに善意だけで動いている人間は少ないんだ。ティファ、俺達は”ジェノバ戦役の英雄”だ。俺達が望んでいなくても、世の中の人たちはその肩書きに過剰に反応する。それが良いことならなにも言わないけど、利用しようとする奴だっているんだ。今回の『復興のお手伝い』って具体的にどの団体が企画していることか知ってるか?」
 ティファはスカイブルーの瞳を見つめながらゆっくりと首を横に振った。
 そう言えば…知らないことだった。
 ただ、顔なじみの常連客に頼まれたから二つ返事でオッケーしたに過ぎないという事実に初めて気づく。
 クラウドは苦笑した。

「な?つい先日、リーブから注意するように話が来たばかりなのに、ティファは顔馴染みの常連客ってだけでその団体がどういう働きをしているのか詳しく調べることなく全面的にサポートするって約束しただろ?でもさ、考えてみてくれないか?最初は確かに慈善事業の真似事をするかもしれない。でも、もしも仮にバックにマフィアが絡んでたら最終的に”ジェノバ戦役の英雄”という肩書きはとんでもない悪事に加担してしまうことになるだろ?」

 ティファは目を見開いた。
 考えもしなかった可能性だが否定はしない。
 確かにそういう団体は存在するし、クラウドの言ったとおり、リーブから注意するよう話しをされたばかりだ。
 今回のことでは完全に自分に否があった。
 それなのに、頭ごなしに『否定』されたことでカッとなり、喧嘩をしてしまったのだ。

 恥ずかしい。
 死ぬほど恥ずかしい。
 浅はかな自分、短慮な自分。
 そして、悪いのは自分なのに何度もクラウドに謝らせてしまった愚かな自分が情けなくて情けなくて…たまらない!

「あの……クラウド」
「シーッ!ダメだ、ティファ。謝るな」

 謝ろうと口を開いたティファに、クラウドはしかし、謝ることを許さなかった。
 ティファの唇に指を添え、淡い笑みを浮かべる。

「とかなんとか偉そうなことを言いながら、ごめん、実はただの嫉妬なんだ」

 目を丸くするティファに、クラウドは恥ずかしそうに笑った。
 そして、それ以上まじまじと見つめられるのは我慢出来ない、と言わんばかりにティファを抱き寄せ、その頭を深く抱え込む。

「ティファが…嬉しそうに『頑張ってるみんなの役に立てる』って言ったのを見て…、最初はティファらしいって思っただけだったんだけど、話を持ちかけたのがいつも店に来る若い男だったって知った途端、腹が立ってさ…。アイツ、俺が店に出られない時間もティファのところにせっせと通ってたんだな、って思うとどうにもこう……」

 つっかえながら、最後にはただのボヤキにしか聞こえないその告白に、ティファはどんどん顔に熱が集まるのを自覚した。
 自覚するから余計に恥ずかしい。

「ほんと…、こういう喧嘩って寿命が縮むよな。俺、今日一日で何度フェンリルで事故りそうになったか…。配達先では物壊すし、散々だった…」
「クラウドも?」

 驚いて顔をパッと上げると、これまた驚いたクラウドが目を丸くして「ティファも?」と返した。
 アイスブルーの瞳を見つめながらゆっくり頷くティファに、クラウドはポカン、としていたが優しく双眸を細めると再びティファの頭を深く抱きこんだ。

「物壊した配達先の人がすごくいい人でさ。必死に謝ってるうちに何故かティファと喧嘩したってことまで話してて…。そうしたら、その人なんて言ったと思う?」

 見上げようにも抱き込まれているため動けないティファは、無理に距離を開けようとはしなかった。
 クラウドとの間に隙間など数ミリも作りたくない気分だった。
 だから、黙ったまま首を微かに横に振る。
 クラウドはおかしそうに小さく笑った。

「『それはそれは、実に良いことですな。今まで自分の思いを互いにぶつけるなかっただなんて、不健全な関係だったんですよ。ようやっと健全な関係になれたのですから、むしろ今回のことは大切にすれば良いです。勿論、しょっちゅうだと困りますけどね』ってさ。えらく達観したおじいさんだった」

 ティファはその話を聞いた瞬間のクラウドを想像してクスリ…と笑った。
 きっと、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしたに違いない。
 クラウドもティファに合わせてクスリと笑うと、ふ〜…っと満足げな息を吐き出した。

「明日」
「うん?」
「ティファが用意してくれてた夜食食べるから、朝ごはんに」

 ちゃんと気づいてくれていたのだとティファの心が喜びに震える。
 しかし、口にしたのは別のこと。

「朝ごはんは朝ごはんで別に作るのに?」
「大丈夫、ちゃんと食べる。俺、食べ盛りだから」
「ふふ、食べ盛りはデンゼルとマリンくらいの子のことでしょ?」
「いいんだよ。俺もティファの手料理に関したらいつでも食べ盛りになるんだから」
「お腹壊しても知らないよ?」
「絶対大丈夫」

 きっぱり言い切ったクラウドにクスクスと笑いながら、ティファはクラウドに回していた腕に力を込めた。
 クラウドも強く抱き返す。
 昨日、喧嘩して一緒にいられなかった分を取り戻すかのように…。

「ごめんな、ティファ」

 最後にそう謝ったクラウドへ、ティファも謝罪の言葉を口にしようとしたが、落ちてきた唇にそれはとうとう叶わなかった。


 翌日。

 不安そうに顔を曇らせながら階下へ降りてきた子供たちは、クラウドとティファが笑顔で語り合っている姿にパッと顔を輝かせた。
 そうして更に数日後。
 クラウドの”仮説”がなんと現実のものとして巷を騒がせることになる。
 そのニュースに当然、ティファは仰天するわけだが、彼女以上にクラウドこそが驚いて暫し固まったりするわけなのだが、それはまた別の話。



 あとがき

 クラウドとティファが喧嘩しても、絶対にクラウドはティファに勝てないと思います!て言うか勝つな!!(← え?)
 2人が喧嘩すると、周りが微妙に被害を受けてしまうような気がするのは私だけでしょうか?
 勿論、この場合一番の被害者は子供たちになってしまうわけなのでしょっちゅう喧嘩はして欲しくないですけど、たまには派手に短い喧嘩もバカップルには必要不可欠な要素かと(殴!!)

 はい、ごめんなさい。
 お付き合い感謝です〜♪