「ク、クラウドさん!」 女性の必死な呼び声がし、ティファはギョッとするとその場に立ち尽くした。 ko・ku・ha・ku今日、クラウドは仕事がオフだった。 本当は依頼が入っていたのだが、依頼主に急用が出来た為キャンセルとなったのだ。 そして、今日はその依頼以外、仕事の予定が無かった為、クラウドは思わぬ休日を手に入れた。 この休日を、子供達は勿論、クラウド自身とティファも喜んだ。 そして、家族水入らずの時間を夕方まで満喫したのだ。 本当なら、セブンスヘブンも臨時休業にして日帰り旅行にでも行きたかったのだが、生憎天候に恵まれず、朝からシトシトと雨が降っていた。 その為、外出する事もなく朝から夕方まで家の中で家族は過ごした。 店を休みにするかとも考えたが、どうせどこにも行けずに体を動かしていない。 『家族揃って店を開くのも良いんじゃないか?』 クラウドの提案に、子供達は諸手を挙げて賛成した。 クラウドが水色のエプロンを身につけて接客する姿は、子供達にとって非常に嬉しい事だった。 慣れない接客を必死にこなそうと頑張るクラウドに、どうにも誇らしさを感じるのだという。 ティファも子供達の嬉しそうな顔を見て、店を開けることに決めた。 そして、その為の準備を今までしていたのだが、例によってちょっとした調味料が残り少ない事に気がついた。 別に今日買いに行かなくても、今夜くらいは大丈夫だ。 そう言うティファに、 『たまには店の事で役に立っておかないとな』 と、言い残し、雨の降るエッジにクラウドは傘を差し、徒歩で買い物に出掛けた。 しかし、ちょっとした買い物の割には帰るのが遅い。 心配したマリンが、『クラウド、もしかして料理酒とお酢、間違えてないよね…?』と一言漏らした。 クラウドならあり得る! ティファは急遽、子供達に留守番を頼み、帰宅の遅いクラウドを迎えに行く事にしたのだった。 携帯を使うことも考えたのだが、『ティファ、クラウド携帯置いてってるみたいだよ』と、デンゼルがカウンターを指差す。 彼の黒い携帯が、ぽつんと残されているのを見て、三人は苦笑した。 「「行ってらっしゃ〜い!」」 子供達に見送られながら、ティファは雨の降るエッジの街に繰り出した。 商店の立ち並ぶ通りまで、店からさほど離れていない。 クラウドにお願いした店に着くまで、ティファは傘の咲く街中を、彼の姿を見逃さないように気をつけながら歩いていた。 時折、店の常連さんとすれ違っては『今夜も飲みに行くからね〜!』と声を掛けられ、それに笑顔で応える。 そうこうするうちに、あっという間に目的地についてしまった。 ここに来るまで、彼とはすれ違わなかった。 という事は、もしかして料理酒の種類で迷っているのだろうか……? あり得る! 生真面目な彼の事だ。 様々なメーカーの料理酒が並べられている陳列棚の前で、深刻な顔で迷っているクラウドの姿を想像し、ティファは一人、笑みを零した。 そして、一歩店内に足を踏み入れた時、別の入り口から彼が重そうな袋をぶら下げて出てきたのを見つけた。 どう見ても、その袋の中身は一本ではない。 迷いに迷った結果、手当たり次第に購入したのだろう。 何しろ彼の携帯はセブンスヘブンのカウンターの上なのだ。 連絡を徒労にも取れなかった彼の苦肉の策に、ティファは一つ息を吐くと、彼に声をかけようと口を開いた。 しかし、ティファが声を出すより一瞬早く、別の女性が彼を呼び止めた。 クラウドがキョトンとしてティファとは反対の方を向く。 ティファの目にも、クラウドの向こうに女性が立っているのが見えた。 若くて美人だった。 茶色の髪をポニーテールにし、緊張で紅くなった顔は同性のティファが見ても目を奪われる。 どこか亡き友人を髣髴とさせる彼女の姿…。 もしも、彼女の大きな茶色の瞳が、淡いグリーンだったら、亡き友人により似ていただろう。 ティファは、咄嗟に傘を盾にして自分の姿を隠すと、足早に店の角へと身を隠した。 そっと顔を覗かせ、彼女と向き合うクラウドと、クラウドを呼び止めた彼女を盗み見る。 女性がクラウドに何を話そうとしているのか…。 それは考えなくても分かる事だった。 緊張した面持ち、高潮した頬、潤んだ瞳……。 それらが示す事は、ティファには一つしか思い浮かばなかった。 鈍い彼には今のところ良く分かっていないようだが、それも僅かな時間だろう。 自分の鼓動がまるで自分の物ではない程、早鐘を打っている。 じっとりと、体中から汗が滲み出る。 息の仕方を忘れてしまったかのように、呼吸が苦しい。 ティファが見ていることなど知らないクラウドは、そのまま必死な面持ちをしている女性に懇願され、近くのカフェに入って行った。 カフェの中に消える直前に見えた、クラウドの戸惑った表情が、ティファの視界に焼き付く。 ティファは、そのまま暫くカフェのドアを見つめていたが、やがてグッと唇をかみ締めるとセブンスヘブンへと戻って行った。 「おかえり、ティファ!…あれ?クラウドは?」 「ティファ、びしょ濡れじゃない!どうしたの!?」 子供達は笑顔で出迎えたが、髪から雫を垂らしている彼女を見て目を丸くした。 「あ、うん。なんだかすれ違ったみたいで…。クラウド…、まだ帰ってない?」 心配そうな顔をする子供達に、出来るだけ自然に声をかける。 「うん、まだだよ?それよりも、傘持って行ってたよね?どうしてそんなにびしょ濡れなの?風邪ひいちゃうよ!」 マリンが慌ててタオルを取りに走る。 デンゼルは、カップに蜂蜜とお湯を注ぎ、簡単な飲み物を作ってティファに差し出した。 「ありがとう、二人共。うん、傘差してたんだけど、途中で風に煽られちゃって、タイミング悪くお店先の日よけに溜まってた雨水がドバーッと!」 「ブッ!」 「ティファ、災難だっだね〜!」 おどけたティファに、子供達は吹き出して大笑いした。 そんな子供達の笑顔に、ティファも笑って見せたが、心は少しも笑っていなかった…。 そして、幸いな事に、ティファの心情を聡い子供達が気付く前に、ティファはカップを持ってカウンターへ避難することに成功したのだった…。 開店準備が終わる頃、漸くクラウドが帰宅した。 遅い帰宅に、子供達は不平満々、心配少々の顔で出迎えた。 頬を膨らませる子供達に、苦笑しつつ謝るクラウドに、ティファも子供達の真似をして怒った振りをした。 「すまない。どれを買って良いのか分からなかったから…」 申し訳なさそうに買い物をカウンターに並べる。 ティファが予想したとおり、各種のメーカーの料理酒が次々と姿を現した。 「こんなに沢山、どうするんだよ〜」 「ま、その内使うだろ?」 「そうだけど…。こんなに沢山一度に買わなくても、分からなかったらどれか一本だけ買って来たら良かったのに…」 「あ……」 呆れかえる子供達に、クラウドはポカンと口を開けると、ばつが悪そうにティファを見た。 失敗した時、子供達に怒られた時、約束を守れなかった時などに見せるのと同じ表情をするクラウドに、ティファは一瞬自分の顔が醜く歪むのを感じた。 しかし、それも一瞬。 瞬時に「は〜…」と溜め息をつく振りをして下を向き、表情をごまかす仮面を被る。 「全く…。良いわよ、確かに毎日使うものだから、構わないわ。でも、これからはマリンが言うようにして頂戴!」 ビシッと人差し指を立てて見せると、彼は紺碧の瞳を細めて微笑んだ。 「ああ、本当に悪かった」 その笑顔に、ティファの胸が鈍く痛む。 そんな言葉を聞きたいんじゃないの…。 彼女の話は一体なんだったの…? 彼女と一体何を話したの…? どうして、こんなに帰るのに時間がかかったの…? どうして…。 何も無かった様な顔をしているの…? 聞きたい事を何も聞かず、笑いたくないのに笑顔を貼りつかせ、ティファは家族の前で『いつものティファ』という仮面を被り続けた。 「よ〜!久しぶりだな、クラウドの旦那のエプロン姿!」 開店と同時に、セブンスヘブンはいつもの如く、常連客でごった返した。 普段店を手伝う事の出来ないクラウドが、水色のエプロンを着けて接客する姿に、常連客達は嬉しそうに話しかける。 店の仕事に未だに不慣れなクラウドは、右往左往しながらも一生懸命仕事をこなした。 その姿が、初々しい、と常連客達の間では、クラウドは密かに人気だった。 もっとも、そんな事を本人に言えば、彼は恥ずかしがって二度と店を手伝う事はないだろう。 その為、彼は未だにその事実を知らずにいたりする。 「それにしても、相変わらずティファちゃんの料理は最高だよな〜!」 「フフ、ありがとうございます」 客達と話をし、料理を作り、酒を出す。 仕事をしている間、ティファは夕方の出来事を考えずにすんだ。 嫌な事があった時は、何もせずにベッドに潜り込むか、只ひたすらがむしゃらに体を動かすに限る。 前者だと、当然周りの皆が心配してしまうので、こうして店を営み、仕事で汗を流す方を選ぶしかないわけだが、それでも今のティファにはありがたかった。 客と他愛ない話をしてふざけて笑い合うと、夕方の出来事が遠い過去のように思えてくる。 「ああ、良いよな〜、クラウドさんは!」 「はい?」 カウンターに座っていた常連客が、しみじみと羨ましそうな顔をする。 小首を傾げるティファに、常連客はニヤ〜ッと笑うと、丁度通りかかったクラウドを引き止め、 「だって、こんなに美人で器量よしで、おまけに料理上手な女、そうそういないだろ?」 な? 「あ……。ええ、まぁ…」 顔を赤らめてボソッと零した彼の言葉に、話しかけた常連客と、周りの常連客が一斉に冷やかし声を上げる。 そんな中、只一人、ティファだけが青白い顔をして立ち竦んでいた。 亡き友人にどこか面立ちが似ている彼女と共に、カフェに消える彼の後姿が突然脳裏に浮かぶ。 もしも…。 もしも、彼女が星に還っていなかったら…? 私の事、そういう風に言ってくれた……? クラウドの反応を見て楽しんでいる常連客と、照れているクラウドはそんなティファに気付かない。 気付いたのは看板娘と看板息子だった。 そっとカウンターに戻ったマリンが、ティファの手をそっと握る。 「大丈夫?」 小声で囁かれた愛娘の言葉に、ティファはハッと我に帰り、慌てて笑って見せた。 「うん、大丈夫。ごめんね、何だか疲れが溜まってるみたいで、ちょっとボーっとしちゃった」 「大丈夫か?お店、少し早めに閉めちゃおうよ…」 デンゼルもやって来て客に聞かれないように小声で囁く。 「ううん、大丈夫だよ。ごめんね、心配かけて」 「でも……」 「フフ。本当に二人は私に過保護ね。大丈夫よ、だって二人共とっても助けてくれてるんだもん」 優しく頭を撫でると、子供達は嬉しそうに微笑み、接客の為にカウンターを出て行った。 その小さな背中を見送り、ふと顔を上げたティファの視線が、心配そうな紺碧の瞳とまともにぶつかった。 何か言いたそうにしている彼に、笑顔すら返す事も出来ず、動揺したティファはフイッと視線を逸らして料理に戻ってしまった。 『しまった!』 咄嗟のことに、仮面を被る余裕が無かった。 今の態度に、クラウドは不信感を抱いただろう。 絶対に、クラウドには知られたくなかった。 夕方見た女性とクラウドに、嫉妬している事を…。 勿論、他の誰にも知られたくないのだが、世界で一番彼には知られたくない。 こんなにも醜い自分の心に、触れて欲しくない。 もしも、夕方見た女性の髪が茶色ではなく、黒だったりブロンドだったらここまで醜い感情は生まれなかっただろう。 分かってる…。 未だに自分は、大好きな友人に嫉妬している…。 本当に…、本当に大切で、一番の親友なのに…。 それなのに、その大切な思いと同じ位、彼女に嫉妬している。 それは、彼女が自分には持っていない輝きを持っているから…。 死して尚、その輝きを自分と彼、そして仲間達の心に宿している彼女の存在に…。 どうしようもないくらい嫉妬している……。 込上げてくる自己嫌悪の波に、ティファは必死に耐えた。 そんなティファに、紺碧の眼差しが突き刺さる。 自分の心の闇に気付いた今のティファに、クラウドの眼差しを受け止めるだけの余裕は微塵も無かった。 只ひたすら、仕事に精を出す振りをするだけで精一杯だった…。 「「「ありがとうございましたー!」」」 最後の客を見送ると、マリンは嬉しそうに『閉店』の札を下げた。 いつもよりもうんと早い閉店に、子供達は満面の笑みで片づけを手伝っている。 子供達が寝るまでにはまだ早い時間の閉店に、ティファは最後まで反対だった。 しかし、頑として閉店する事を主張するクラウドと、諸手を挙げて賛成する子供達、更には、 「たまには早く店閉めて、ゆっくり家族の時間を持つのも良いんじゃないか?」 という常連客達の言葉に、ティファは折れるしかなかった。 閉店する事を提案したクラウドの真意は、恐らく先ほどの自分の態度だろう。 何故、あからさまに視線を逸らしたのか…。 それを聞きだすつもりなのだ。 だからこそ、早い時間の閉店に反対したのだ。 遅かれ早かれ、彼がその事について問いただす事は分かっていたが、それでもその時間を少しでも遅らせたかった。 もしかしたら、時間が遅くなれば彼もその件を忘れてくれるかもしれない…、という淡い期待を持ってもいた。 しかし、こうも早く仕事を切り上げてしまっては、クラウドが忘れてくれているという可能性は皆無に近い。 ティファは、必死に先ほどの言い訳を考えていた。 「じゃ、お休み〜!」 「お休みなさ〜い!!」 「ああ、良い夢見ろよ」 「お休み、二人共」 閉店後、家族で沢山話をしてすっかりご満悦の子供達は、ニコニコと子供部屋へ戻って行った。 子供達を見送った後、二人が残された店内はシンと静まり返った。 先ほどまでの活気が嘘のようだ。 気まずい空気が流れる。 ティファは、カップを片付けるべくカウンターへ向かった…、が。 「いい、俺がやる」 二の腕を引っ張られ、後ろから抱きすくめるようにしてクラウドがティファの手から盆を取り上げた。 「あ、良いよ。私が…」 「良いから」 少し強い口調で言うクラウドに、思わず体を強張らせる。 そのままカウンターへ行って洗い物をする彼を、ティファは突っ立ったまま見つめていた。 「そんなところに立ってないで、座ったらどうだ?」 苦笑するクラウドの顔は、特に怒っているわけではないようだ。 その事に、体の力を抜くと、ティファは黙ってソファーに腰を掛けた。 やがて、新しい珈琲を煎れてクラウドが戻って来た。 差し出されたカップを手に、ティファは何となく緊張する。 隣に腰掛けたクラウドが、一口珈琲を啜るのを見て、思い出したように自分も珈琲を口に運んだ。 「なぁ、ティファ…」 「……なに?」 暫しの沈黙の後、クラウドが静かに口を開いた。 思わず、心臓がドキリと跳ねる。 「しばらく、店を休まないか?」 「え…?」 予想もしなかったクラウドの言葉に、ティファは思わず彼の顔を見た。 そして思った以上に近い紺碧の瞳に、慌てて視線を逸らそうとする。 が、そのティファの顎に手をかけると、クラウドはじっとティファの瞳を覗き込んだ。 「ほら、そうやってすぐ視線を逸らす」 「あ…、っと、その…」 「ティファがそうやって視線を逸らそうとする時は、決まって無理してる時なんだよな」 「え?」 目を丸くするティファに、クラウドはフワリと微笑みかけると、そっと彼女を抱きしめた。 「今日も無理して店してただろ?全く、少しは自分を大切にしろよ」 クラウドの言葉に、ティファは彼が思い違いをしていることに気がついた。 確かに、今日は必死だった。 彼に醜い心を知られないように…。 それなのに、彼は自分の中にある汚い感情を知らず、こうして優しく労わってくれる。 彼にこんな風にしてもらえるような、女じゃないのに…。 彼の腕に包まれ、幸福と罪悪感の板ばさみになる。 自分の中で、狂おしいほどの感情がせめぎ合い…。 どうしようもなく涙が溢れて止まらなくなった。 「ティファ?な、大丈夫か?」 体を小刻みに震わせ、嗚咽を漏らす彼女に、クラウドはびっくりすると、あやすようにティファの背を優しく撫で、抱きしめる腕に力を込めた。 「ティファ…一人で無理するな。たまには頼れよ…な?」 優しい言葉に、ますます涙が溢れ出す。 そっと彼の背に腕を回し、ギュッと服を掴む。 ごめんなさい。 こんなにも醜い私なのに…。 それでも…。 私はあなたを失いたくないの…。 だから、どうかお願い…。 このまま、私の心を見ないで。 このまま、私の傍に居て。 どうかどこにも行かないで…。 どうか他の誰にも心奪われないで…。 どうかこのまま……。 それは、言葉にならない、彼女の告白……。 あとがき |