「ど、どどどどうしたの、クラウド!?」
「…………」
「クラウド…?」
幸福
閉店後。
いつもの様にクラウドの帰宅を、のんびり後片付けをしながら待っていたティファは、「ただいま」も言わず、急に抱きしめて来たクラウドに恥ずかしさで顔を真っ赤にさせた。
しかし、その余りにもいつもと様子の違う彼に戸惑い、声をかける。
いつもの彼なら、必ず「ただいま」と口にしてくれると言うのに…。
「…どうしたの…?」
しかし、クラウドは黙ったまま、ティファを抱きすくめるだけだった。
ティファはそんなクラウドの背に、そっと手を回して優しく抱きしめた。
何かあったのだろうか…?
いや、何かあったに違いない。
こんなにも小さな子供が縋りつくように自分の事を抱きしめてくるのだから…。
背に回されたティファの手に、クラウドはビクッとしたがそれも一瞬だけ。
そのまま、彼女の温もりに甘えるように、黙ったまま二人してただ、抱き合っていた。
「…ティファ…」
「うん?」
「…ごめん…」
「何が?」
暫くして…。
そう言って漸くそっと体を離し、どこかバツの悪そうな顔を見ることが出来たティファは、内心でホッとした。
あまりにも儚く、頼りなげに感じてしまったので、いつもと変わらない姿のクラウドに自然と笑みがこぼれる。
温かなティファの笑みに、クラウドも釣られて微かに微笑むと漸く、
「ただいま」
と、口にした。
「それで、どうして『ごめん』なの?」
ティファから珈琲を受け取りながら、クラウドは「ああ…」と少々困ったような声を出すと、一口珈琲を啜った。
ゆっくりと温かい液体が喉を通り過ぎる感触を味わってから、心配そうな眼差しのティファに困ったように微笑んだ。
「さっきは本当にごめん。心配…しただろ…?」
「そりゃそうよ…。だって何にも言ってくれないんだもん…」
「…うん、だから…。さっきの『ごめん』は、『心配かけてごめん』て言う意味なんだ…」
「あ、そうなの…?」
「ああ…」
「………」
「………」
それきり、どちらともなく黙り込んでしまう。
店内の時計の音だけが静まり返った空気を微かに震わせている。
やがて、珈琲を飲み終えてしまったティファは、場を繕おうと「珈琲…お代わりいる?」と小さく声をかけた。
黙って頷き、自分のカップを差出したクラウドに、安堵の笑みを浮かべるとカウンターへと足を向ける。
カウンターの中で、コーヒーメーカーに粉をセットし、手際よく作業をしている彼女の姿を、何とはなしに見つめていたクラウドは、ふとカウンターの自分の指定席へ目を移した。
そこには、『予約席』のプレートを挟んだチョコボのクリスタルガラスが鎮座している。
その光景に、フッと目を細めて小さく笑うと、丁度珈琲を煎れ直したティファと目が合った。
不思議そうな顔をしながら、カップを差し出し、先程まで座っていた席に再び腰を下ろす彼女を、黙って見つめる。
そんなクラウドの視線に、ソワソワとしながらティファはカップを口につけ、上目遣いに金髪の青年を見やった。
「…そんなに見られたら落ち着かないんですけど…」
「ん、悪い」
「…全然悪いって思ってないでしょ…」
「ん、バレたか?」
「もう!」
照れ隠しで頬を膨らませるティファに、この夜初めてクラウドはいつもの笑みを彼女に向けた。
「今日、配達の依頼主が殺人未遂の現行犯で逮捕されたんだ」
「え!?」
「彼を押さえたのは…俺。丁度その現場に居合わせたものだから…」
「…そう」
唐突に語られた内容に、ティファは文字通り目を見開いた。
そして、ポツポツと言葉を紡ぐクラウドを、痛ましそうな目で見つめる。
「…それで、その…殺されそうになった人は…?」
「ん、ああ。それは大丈夫だ。ちょっとかすり傷が出来ただけだな。俺が来るのがあと少し遅かったら、確実に死体になってたんだろうけど…」
言葉を切ってカップに視線を落とす。
ティファは黙ってクラウドが口を開くのを待った。
「それで…。その依頼主なんだけど、いつもは気が優しくて温和な人だったんだ。でも…」
一つ溜め息を吐くと、まっすぐ自分に注いでくる茶色の瞳を見つめ返す。
「今日、彼が泣きながらナイフを振りかざしてるのを見た時に…咄嗟に体が動かなかった…」
「………」
「いわゆる『痴情のもつれ』ってやつなんだけどさ。その彼の恋人…って言って良いのやら…。彼女、他に何人も男がいてな。正直に言うと、彼女宛てに俺が贈り物を届けたのは、その彼だけじゃなかったんだ」
クラウドの言葉をすぐに理解出来ず、ティファは困惑して首を傾げた。
「んと、どういうこと…なのかしら…?」
「あ〜、つまり…。彼女には何人も愛人がいた。それは分かるだろ?」
「うん…」
「それで、その沢山の愛人達が、彼女に贈り物をしていたんだ…。ストライフデリバリーで…」
「……そうなの!?」
「ああ…」
話の内容が漸く脳に達したティファは、思わず大きな声を出してしまい、慌てて口を押さえた。
そっと居住区へと続く階段を窺うが、どうやら休んでいる子供達の目を覚ますほどではなかったようだ。
それにしても、今聞いた話はどうだろう!?
俗に言う『痴情のもつれ』から起きた悲惨な事件というやつではないか…。
確かに世の中はまだまだ不安定だ。
身を売らなければ生きていけない人だって沢山いる。
それに、いくら世の中がこれから豊かになっていったとしても、男と女がいる限り、この様な悲しい話は尽きる事が無いのではないだろうか…?
それでも…、人間が異性に惹かれずに生きていく事など不可能なわけだ…。
「何だか…悲しいね…」
「……ああ」
「それで、クラウド…辛そうだったのね…?」
「……ごめん」
「良いのよ、謝って欲しいんじゃないの。ただ…私に甘えてくれたのが嬉しかった…かな…」
少しはにかむ彼女に、金髪の青年は胸を衝かれた。
こうして弱い自分も受入れてくれる存在がいる自分は、何て幸福なのだろうかと思う。
それだけに…。
「『彼』には、『彼女』は相応しくなかったんだ…」
「え…?」
「逮捕された依頼主…」
唐突に話を戻したクラウドに戸惑ったティファは、クラウドの表情が自身を責めて歪んでいるのに気がついた。
そっと席を立つと、クラウドの隣に寄り添うようにして座りなおす。
「クラウド…。クラウドが悪いんじゃないよ?」
そう優しく語り掛けるティファの肩に、クラウドは額を乗せて大きく息を吐いた。
「知ってたんだ…『彼』の事は『彼女』にとってはどうでもいい人間の一人だって…。色々な男からの贈り物を届ける度に、その贈り物を軽蔑した目で見てた。どれもこれも、『自分には当たり前』もしくは『自分には相応しくない物を贈りつけてきて…!』そんな目しかしてなかったんだ。当然、『彼』からの贈り物だってそうだった。はっきり言って、あんな女には『彼』は勿体無いくらい、誠実で優しい男だったんだよ…。それなのにこれっぽっちも『彼』の事なんか想っちゃいなかった…」
「いくら依頼主とその配達人という立場でしかなくっても、あの女の生活は目に余る。沢山の贈り物を届ける度、必ず違う男が一緒にいた…。だから、『彼』があの女に贈り物を俺に依頼してきたとき、何度警告してやろうかと思った事か…」
「でも、『彼』はあの女を信じてたんだ。それにあの女には他に男がいるって知ってたから…。だから、自分の生活を切り詰めて必死になって贈り物をしていた。」
「いつか、必ず自分だけに心を開いてくれる…ってさ…」
「周りから見たら、『性悪の女に引っかかったバカな男』なんだけどさ…。でも……そこまで人を好きになれるって…すごい事だと思ったんだよな…」
「だから、どうしても言い出せなかったんだ…『あの女は止めとけ』って」
「それに、どこかで期待してたんだ。『彼』に感化されてあの女も人並みに真っ当になるんじゃないか…ってさ」
「でも…結果はこの通り…」
いつになく多くを語り、自分の胸の内を吐露したクラウドは、再び深い溜め息を吐いた。
その彼の頭を優しく包み込むと、癖のある金糸に指を絡ませ、優しく撫でる。
「クラウド…それでも、やっぱりそれはクラウドのせいじゃないよ…?きっと、『彼』にクラウドが警告していたとしても、同じ事になってたんじゃないかしら…。そこまで一途だったんでしょ?周りの意見を聞き入れてくれたとは…考えにくいじゃない…」
「………そうだな」
「この事でクラウドが負わなくちゃいけない事は何も無いよ…」
「…………」
「クラウド?」
黙ったまま返事をしないクラウドに、ティファはおどけたように名前を呼んだ。
しかし、いつもなら苦笑しつつ顔を上げて「分かった」と言ってくれる彼は、今夜はそうじゃなかった。
顔をティファの肩口に埋めたまま、黙ったまま口を開こうとしない、顔を上げようとしない。
まだ何かあるのだろうか?
彼が心の中に抱えているものが、まだ何か……。
店内を再び静寂が支配する。
時計の音だけが静かに二人を包んでいた。
ティファは、クラウドの重みを肩で感じながら、そっと目を閉じた。
彼が辛い思いをしている事は確かに悲しい…。
でも、それ以上に彼が甘えてくれるこの一時がたまらなく愛しく感じてしまうのは、酷い事なのではないだろうか…。
それでも…自分は…。
「ねぇ、クラウド…。私に出来る事…何かない?」
静かに問いかけられたクラウドは、ゆっくりと体を離した。
ティファの静かな眼差しが、真っ直ぐに注がれている。
「ティファ…」
「クラウドの抱えている重荷を背負ってあげる事は出来ないと思う…。でも、少しはその助けになると思うの…。って言うよりも、助けになりたい…かな…?」
ドギマギしながら…それでも普段の彼女からは考えられないほど、頑張って恥ずかしい台詞を口にするティファに、クラウドは今夜何度目かの眩暈を感じた。
彼女の一生懸命な姿に…心癒される。
口許が自然に緩み、彼女に触れる手が熱くなる…。
「ありがとう…」
そう言って、そっと力を込めて優しい人を抱き寄せる。
ティファは、いつも見せる照れ隠しの抵抗を今だけは押し殺し、黙って静かにクラウドに身を寄せた。
そうする事で、彼の痛みを少しでも和らげるかのように…。
「『彼』は弱かった…どうしようもなく…。あの女に溺れている『彼』は、必死に己を保とうとしていたんだ…彼女を振り向かせようとする事で…さ。その姿が…まるで……」
言い澱んだクラウドに、ティファは初めて理解した。
依頼主の『彼』をクラウドは『自分』と重ねていたんだ…と。
いつの頃からかは分からないが、『彼』の弱さを『自分』の中にある弱さと重ねて見ていたんだ。
だから、こんなにも己を責めて苦しんでいる…。
「クラウド…」
「俺は幸せ者だな…。こうして抱きしめてくれる人がいる…」
そう呟くように口にして、そっとその腕に力を込める愛しい人に、ティファは黙ったまま彼の背に回した手に力を込めた。
誰もが強いわけじゃない…。
むしろ、強い人など世の中にはいないのではないだろうか…?
それでも人が生きて己を全う出来るのは、己を受入れてくれる存在があるからではないだろうか…?
この考えは、自分が弱い人間だからだろうか…?
例えそうだとしても、別に構わない。
自分にはこうして抱きしめてくれる人がいるのだから…。
抱きしめるべき人がいるのだから…。
「ティファに話せて良かった…」
暫くしてクラウドのこぼした言葉に、ティファは心からホッとした。
「そう?なら良かったわ」
おどけた口調でこぼした本心からの台詞に、ティファの表情が自然と明るくなる。
クラウドがこんなにも内面を見せてくれることは滅多に無い。
それだけに、今夜の事を彼に後悔して欲しくなかった。
少しでも彼が今夜の事を悔いずにすむように…。
それだけを念じ、ティファはクラウドの隣にいたのだ。
そして、クラウドもその事を肌で感じていた。
ティファが彼に注ぐ想いの丈に感謝しつつ…。
心の中でそっと呟いた…。
『あの事は…絶対に言えないな…』
― ありがとう、助けてくれて… ―
― 全く、身の程知らずにも程があるわよね… ―
― ねぇ、良かったら私の部屋に寄って行かない?命の恩人だからタダで良いわよ ―
― 大丈夫よ。私、子供が産めない身体なの…。だから、そんな心配無用よ。それに、彼女にわざわざ告げ口する気も無いしね… ―
― 何よ!カッコつけてんじゃないわよ! ―
― 男なんて、女はそんな風にしか見てないんでしょ!?今更綺麗ぶってんじゃないわよ!! ―
逮捕された元・依頼主の彼が想いを募らせた女は、本当にどうしようもないあばずれだった。
事細かくティファに説明したら、もしかしたらティファは自分とは違う見解を口にしたかもしれない。
しかし、今のクラウドにはそんな気は全く無かった。
このまま静かに…。
愛しい彼女の腕の中で時を過ごしたい…そう思った。
そして、ティファはそんなクラウドの気持ちを察したかのように、黙ったまま彼を抱きしめ続けた。
自分の隣にいる人が、こんなにも慈愛に溢れた人で良かった…。
心からそう思う。
だからこそ、だれよりも愛しく想うのだろうが…。
なぁ、母さん、父さん。
それに、エアリスにザックス…。
俺はこんなにも幸せだよ…。
本当に、こんなにも素晴らしい人が隣にいてくれている。
でもさ…良いのかな…?
俺には勿体なさ過ぎないか?
勿論…。
今更『駄目だ』って言われても、離す気も無いけど…。
出来れば、このまま…。
穏やかに彼女と…彼女と子供達と一緒に生きていきたいんだ。
駄目かな…?
ねぇ、パパ、ママ…。
私の大切な人は、こんなにも繊細で優しい人なのよ…。
だから、こんなにも私は幸せなの…。
でも、本当に良いのかしら…。
私がこの人の隣を歩いていて…本当に許されるのかしら…?
でもね…。
もしも『駄目だ』って言われても、もう無理よ…?
この人がいなくなったら『私』は『私』として生きていけなくなっちゃうんだもの…。
だから、どうか見守って…。
エアリス、ザックスも…。
クラウドが…、彼が優しさ故に壊れてしまわないように…。
どうか…お願い…。
私達に力をちょうだい…?
いつかあなた達のところへ還る時には、胸を張っていられるように…。
一生懸命生きることが出来るように…。
共に生きる人を持てる幸福をかみ締める二人を、夜の闇が静かに優しく包み込んでいった…。
あとがき
今回は暗めでいこうと思いまして…。
私のACイメージは以前にも書きましたが、物凄く不安定な世界情勢なのです。
まだまだ復興途中のエッジも勿論、世界中が必死になって生きている…そんな世界なのです。
ですから、作中の彼女のような人生を送っている人も溢れているわけで…。
そんな人達の姿をいつかは書きたいなぁ、と思っておりました。
そのなかで、ティファとクラウドがお互いの存在を再認識して、より強い絆で結ばれる…、そんな話を書きたかったのですが、何とも不完全燃焼です(苦笑)。
はい、ここまでお付き合い下さり、有難うございました!
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