人は『音』が醸し出す旋律によって心が静められたり、逆に鼓舞されたりと感情が左右される。
 だからこそ、太古の昔から『音楽』は何かしらの形で子孫たちに伝えられたり、真新しいものが生み出されているのだ。
『音』を子孫に残していくそれは、人間だけではなく生き物全部に当てはまるのかもしれない。
 しかし、多種にわたる『楽器』を操って心を大きく揺さぶる術を見出したのはやはり人間だけだろう。
 そしてその生み出された音楽は、様々な人々を『共感あるいは感動』『無関心』『反発』この三つに分類させる。
 人によっては、
『音楽なんかに興味ない』
 という評する者も沢山いる。
 だが、ある『音』を耳にしてふいに望郷の念が沸いたことが一度もないと言い切れる者はそんなにいないのではないだろうか?
 それが、たとえ小さな小鳥のさえずりであったとしても…。
 雨音だったとしても…。
 川のせせらぎという小さな音だったとしても…。

『音楽』は人の心に何らかの作用をもたらせる。

 そして、その『音楽』はその人個人によってもたらせてくれる『力』は様々で、取るに足らない音と認識すらされない『ごく普通の音』であることなど珍しくも無く…。







音色







 トントントン。

 階下から聞こえてくる微かな音でクラウドは目を覚ました。
 一瞬、自分がいる場所が分からなくて視線を180度ゆっくりと巡らせる。
 見覚えのある天井に部屋の模様。

(あぁ、そうか…。戻ってきたんだっけ…)

 第三者が聞いたら間抜け以外の何ものでもない感想が真っ先に浮かぶ。
 次いで、幸せな気持ちと勿体無い気持ちが心を支配した。

 そう、ここはセブンスヘブン。
 自分が捨てた『家』。
 自分のことをずっと待ち、案じ、心を配ってくれた愛しい人達の住む場所。
 かつて、自分の居場所と信じた場所。

 だが、不治の病とされる星痕症候群に自ら侵されてしまった瞬間に自分の居場所ではなくなってしまった、愛しくて…、尊い場所。
 決して自分の『穢れ』で汚すわけにはいかない大切な場所。

 それが今、こうして心身共に優しく、強く包み込んでくれている。

 エアリスの教会で雨露を防ぎながらただ時間を過ごしていた日々が、なんだかやけに遠く感じる。
 何度も携帯が鳴った。
 家族からだったり、仲間からだったり。
 だが、そのどれをも取らずに留守番電話に残されたメッセージを聞くだけ…。
 自分から返事は絶対にしない。
 彼らと関わって、彼らが汚されないように…という恐怖心とも配慮とも取れる愚かな行為は、だが結局、『独りになるのはイヤ』という小さな自分を偽っていただけのものであることが、しっかりバッチリとバレていた。
 流石だ…と思った。
 ティファにズバッ!と言い当てられて言い訳1つまともに出来ない不器用な自分にただひたすら凹んだ。
 だが、そんな自分をどこまでも信じて、まさに叱咤激励してくれた彼女。
 そして、小さい身体をはるかに上回る強い心を持った子供達によって、こうしてまた戻ってこれた。

 幸福すぎて、もしかしたら自らの願望が見せている夢なのではないか?などと、バカな妄想に駆られて苦笑した。

 ジュ〜〜…。
 カタン、コトコト…。
 トン、トン、トン…。

 先ほどから聞こえてくるその音は、ティファが朝食を作っている音だ。
 家出の直前、もうこれで聞き納めだな…と妙な感傷を引き起こされた音だ。
 今、こうしてベッドの中で聞いている音とあの頃とでは、こんなにも気持ちが違うものか…と思うと、なんだか自分がとっても簡単で単純な人間なんだなぁ…と、呆れるやら、情けなくなるやら、恥ずかしいやら…。
 でも、そんな自分もやっぱり悪くないな…と思ってしまう辺り、ティファやデンゼルやマリンの存在がいかに大きいかと思い知らされる。

 今度は絶対に離れない。
 投げ出さない。
 逃げない。
 必ず、一番近くにいて守ってみせる。

 そう強く己に誓う。
 そして、誓えることを幸福に思う。

 だが…。

(……なんか…重い…)

 目が覚めてから既に15分は経過している。
 いつもなら、大欠伸をしながらもちゃんと着替えて、仕事に出かけられるよう身支度を整え、穏やかな心地で朝食を食べに階下へ向かっているはずだ。
 なのに…。

(……頭が……痛い…?ような気がする……???)

 なんとなく、頭痛がする…ような気がする。
 なんとなく、という表現が実に相応しい今の自分の状態に、心のどこかで『ヤバイ…』と焦っている自分がいた。
 こんなにハッキリしない思考状態で出かけて大丈夫だろうか…?
 いやいやそれよりも今日は仕事が入っていたっけ?
 ん?
 なんだっけ?
 なにか忘れている気がする…。

 などなど、ボーっとした頭で考えながらも、『とにかく身体を起こさなくては』、と思う自分と、『なんだか全部どうでも良いじゃないか…』と思ってしまう自分がせめぎ合う。

(いやいやいや、ダメだろう、それじゃ)
 頭を上げて上半身をノロノロと起こす。
(ちゃんと働いて今度こそ家族を守っていくと誓ったばかりじゃないか!)
 肘をついて上半身を起こすことに成功、と思ったら、何かが額から胸元に落ちた感触と、
(…あれ…?)
 クラリ。
 揺らぐ視界。
 窓、カーテン、壁、天井。
 それらが歪んで遠くに霞んでいく。

 ボスン。

「…
…………?」

 ボーっとする視界を凝らし、自分が枕に逆戻りしたことをノロノロとした思考がようやく理解した。
 思わず零れた間抜けな一言。
 その声が異様に低く、掠れていた事実に気づいたのはその半瞬後。

「……
んん〜ん?…、あ〜〜……」

 …。
 ……。

 クラウドは自分の喉がヒリヒリと痛むことにようやく、ほんっとうにようやく気がついた。
 そして、自分の身体の異常に気づくと同時に記憶が戻ってくる。
 寝室のドアがノックされたのはその時だった。

「クラウド、具合どう?」

 お盆に1人用の土鍋と湯のみを持って現れたティファに、クラウドはゆっくりと顔を向けた。

大丈夫…」
「じゃないわね」

 クラウドの声にティファは苦笑しながら、ベッド脇のローテーブルに盆を置いた。
 土鍋のふたを開けると、なんとも良い香りが部屋に満ちる。
 温かな湯気を揺らめかせながら現れたのは、五目粥。
 卵と三つ葉の彩りが見た目からしても食欲をそそる。
 蓮華を添えてティファは椅子に腰掛けた。

「身体、起こせそう?」

 心配そうに覗き込むティファの瞳。
 茶色の瞳に映る自分の姿のあまりの頼りなさにほとほと凹んでしまう。

あぁ起きる……」

 たった今、身体を起こそうとして失敗したことなどすっかり忘れ、チャレンジして…。

「クラウド!?」

 失敗。
 みっともなく枕に逆戻りしてしまったクラウドに、ティファが慌てて手を添えた。
 慌てた彼女の表情が嬉しくもあり、自身の不甲斐なさを思い知らされて苛立つやら、実に複雑な気分になる。

ごめん
「いいのよ、謝らなくて」

 苦笑しながら首を振ったティファに、もう1度小声で謝った。

「クラウド、昨日帰ってきたときよりも確実に悪くなってるわよ。病院に行ったほうが良いんじゃない?」
「……やだ
「やだ、じゃないでしょう?」
「………」
「もう、子供じゃないんだから」

 呆れたように微笑みながら、両手を腰に当てたティファをなんとなく見上げつつ、
病院は思い出すから
 弱気な一言を口にして、ハッと口を閉ざした。

 …遅かった。

 出てしまった言葉はしっかり、ばっちりティファの耳に届き、彼女の表情をサッと強張らせてしまった。
 ニブルヘイムでのビーカー漬け事件は、彼女にとっても非常にショックなものだった。
 なにしろ、彼女も殺されかけたし、目の前で家族や故郷の人達を失い、ふるさとを奪われたのだから。
 そんな彼女に、今の一言は絶対に言ってはいけなかったのに…。

「ごめんなさい…、無神経だった…」

 謝ろうと口を開いたが、一瞬早く彼女にその言葉を奪われる。
 クラウドはゆっくりと首を振って溜め息をついた。
 喉がヒリヒリと痛む。

「クラウド、じゃあお医者様に来て頂くのはどう?」

 気を取り直すようにそう提案したティファに、クラウドは少しだけ考えたものの、結局首は縦にふれなかった。
 正直、白衣に対しても嫌悪感があるのだ、いまだに。
 いつかこのトラウマから抜け出せる日がくるのか分からないが、当分は無理だろうなぁ…と思っている。
 ティファはそんなクラウドの心情を察したのだろう、もうそれ以上勧めようとはしなかった。
 だが、整った眉を困ったように八の字に寄せている彼女の表情は、なんとかして晴らしてやりたい、と強く思わせるには充分で、その手段を自ら拒否してしまったくせに何を都合の良いバカなことを考えているんだか、と自身に対してまた苛立った。
 気持ちがウロウロしてしまう今の自分が、どれだけ体力的にも精神的にも『風邪』によるダメージを受けているか、それに気づいていないこと自体がオオゴトだ、ということには気づかない。

「クラウド、食べられそう?」

 再度顔を覗き込んできたティファに、今度は首を縦に振る。
 正直、胃袋は『なにも受け付けない!』と訴えているのだが、嗅覚は幸いにも無傷なようで、『大丈夫、美味しいから、元気になるから!』と切々と胃袋を説得してくれている。
 それになにより、ティファにこれ以上心配かけるわけにはいかない。
 今度はティファに手伝ってもらいながら上半身を起こすことに成功した。
 サッと背中にクッションを差し込んだティファの手際の良さに、高熱でボーっとした頭でも感心してしまった。

(やっぱりティファはすごい…)

「なぁに、ジーッと見て。私の顔になにかついてる?」

 少し焦ったように頬や額をぺたぺたと触る彼女の仕草に風邪菌で萎えていた心が少し浮上する。

いや、すごいなぁ…と思って

 正直な気持ちを口にするが、肝心のティファはキョトンとしただけだった。
 そして、
「なぁにそれ?」
 ふふっ。
 パッと花が咲いたように笑った。
 クラウドの鼓動が思い出したように高く跳ねるには充分な威力を持ったその笑顔。
 頭や喉の痛みを一瞬忘れる。

「はい、じゃあ…」

 そんなオトコゴコロを知らないティファは、ニコニコ笑いつつ蓮華を手に取って…。

「あ〜ん」

 差し出された蓮華。
 そのすぐ向こうにあるティファの笑顔。
 クラウドは、突然の『はい、あ〜ん』という美味しいシチュエーションに固まった。

「?どうしたの、クラウド?やっぱり食欲ない?」

 心配そうに蓮華を下げて覗き込んできたティファに、慌てて首を振る。
 少し強く首を振り過ぎた。
 視界がまたくらんで、うっかり横に倒れこみそうになり、腹に力を入れて踏ん張る。

(危なかった…)

 これ以上の醜態は見せられん!
 男の意地にかけても!!

 などなど、アフォなことを考えているとは露ほども知らないティファは、ホッとしたように微笑んだ。
 その微笑にまたもや心臓が大きく跳ねる。

「はい、じゃあ、あ〜ん」

 差し出された蓮華。
 立ち上る湯気と馨しい香り。
 そして、蓮華の向こうの愛しい人の笑顔。

 クラウドは躊躇いながらも口を開け、彼女の手で作られた彼女の力作である五目粥を彼女によって口に運んでもらった。

 ティファに憧れている男性達がこの光景を見たら身もだえして悔しがること間違いなしだろう。

 そのことを思いながら、密かに『勝った!』とガッツポーズなんぞしながら、ゆっくりを咀嚼する。

「…うまい
「本当?味、ちゃんとする?」

 少し嬉しそうにしながらも、用心深く自分の表情を探ってくるティファに、
(あぁ、俺が気を使ってウソをついてないか心配してるのか…)
 気づいて自然と頬が緩んだ。
 どこまでも気遣ってくれる彼女が愛しい。
 愛しくて嬉しい。

本当にうまいよ、ティファ

 改めて真実を伝える。
 一瞬、茶色の瞳がハッと見開かれたように思ったのだが、すぐにホッとしたように微笑まれた。

「良かった、じゃあ、はい」

 差し出された新たな粥に、クラウドは今度は躊躇うことも無く素直に口を開けた。
 そうして、結局最後までちゃんと全部食べさせてもらったクラウドは、ゆったりとした心地で枕に頭を戻した。
 額には新しい濡れタオルが乗せられている。

「クラウド、何かあったら呼んでね?携帯のボタンは押せるでしょ?」
あぁ
「本当に無理しないで、ちゃんと呼んでね?」
うん、分かってる
「本当かなぁ?」

 何度も念押しするティファに、クラウドは苦笑した。

俺って本当に信用ゼロだな
「うん、クラウド自身のことに関したら私もデンゼルもマリンもクラウドのこと、信じてないから」

「だって昨日帰る前にくれた電話では『大丈夫、なにも変わりない』って言ったでしょう?」
 まったく、どこが大丈夫なんだか。

 クスクスと笑うティファに、クラウドはベッドの中で小さく肩をすくめた。
 彼女に勝てる気が全くしない。
 事実、今でも惨敗だ。

…悪かった…
「良いの、早く良くなって元気になってくれたらそれだけで」
…努力する…
「はい、そうして下さい」

 クスクスクス。
 本当におかしそうにティファは笑いながらドアを開けた。
 閉める寸前に、後ろ髪惹かれるような表情で見つめてくる。

「クラウド、私達がいるんだから…忘れないでね?」

 そうして、クラウドの返事を待たずにティファはドアを閉めた。
 ゆっくりと彼女が階段を下りる足音が遠のいていく。
 それは、クラウドをなんともモヤモヤとした気分にさせた。

(いや、モヤモヤ…じゃないな…。寂しい……か?)

 自分の感情を冷静に分析しようとして、はじき出された結論に我ながら恥ずかしい奴だ…と赤面する。
 しかし、その気持ちも階下から聞こえてくるティファが食器を洗っている物音でゆっくり薄らぎ、やがては消えた。

(…心地良い音…だな)

 どこかホッとする音。
 彼女が家事をしている音がホッとする。
 まるで幼少時代に戻ったようだ。
 幼い頃、まだミッドガルに行く前、母がこんな温かい音を立てながら自分を育ててくれたことが思い出された。
 少しだけ感傷に浸る。
 だが、それもまた、幸福の証だ、と惚気てみたりして…。

(しみじみ、俺って奴はダメだなぁ…)

 額に乗せられたタオルをひっくり返して、冷たい感触をジンワリ味わいながらそう呟いて…。
 ゆっくりと目を閉じる。

 耳にはティファが子供達になにやら言っている声が遠くから聞こえる。
 きっと、子供達に自分の様子を伝えてくれているのだろう。
 そう言えば、デンゼルとマリンの明るい笑い声を聞いていない。
 きっと、大きな声を出さないように気を使ってくれているのだ。

(早く…良くならないとな)

 揺るやかな眠りに落ちながら、そう思った。
 早く良くなって、デンゼルとマリンをフェンリルに乗せてやりたい。
 買い物に連れて行ってやりたい。
 一緒に食事を食べたい。

(大丈夫…すぐ良くなる)

 なんとなく、そう思う。
 身体のだるさは相変わらず。
 頭痛と喉の痛みも相変わらず。
 だが、それでもすぐに治ると思えるのは…。


 トン、トン、トン…。
 カタン、コトン、トコトコ…。


 温かい音が家中に満ちているから。


(今度は…一緒に…)


 家中に満ちている温かい音色を立てる家族の輪の中に入る。
 一緒に優しい音色を奏でたい。
 だから、今はゆっくりと身体を休めて…。


 クラウドが眠ってから5分後。
 そっと様子を見に来た子供達とティファは、ベッドで安らかな寝息を立て、穏やかな顔で眠っているクラウドに微笑み合った。
 きっと、この次目を覚ました時、彼は今よりも元気になっているだろう。
 そのことを確信してそっとドアを閉める。


「クラウド、早く良くなってね」


 閉める直前、彼の寝顔に向かってそう呟いたティファの言葉は、きっと夢の中のクラウドにも届いただろう。
 優しい音色を一緒に奏でるために、彼が回復するまであと少し…。



 あとがき

 なんとなく最近お話しが書けなくなっちゃって、リハビリ感覚で書いてみました。
 おう…クラウドがまたヘタレてるよ…((__|||)
 でも、やっぱりこういう温かい家庭があるって良いなぁ…とか思いながら書いてみたりして…。

 お付き合い下さって感謝ですvv