イヤ…。
 イヤ……。
 どうか……。
 連れて行かないで……!!



Nightmare




 遠くなる…。
 広い背中に手を伸ばす。
 伸ばしても…伸ばしても…、届かないその背中。
 見慣れた金色の髪が、風に揺れて……。
 そのまま、風と一緒に遠く……遠く……離れて行く。


「待って!!」


 私の悲鳴のような声にも彼は振り返ってくれない。
 こんなに一生懸命走ってるのに……。
 全然その距離は縮まらない。


 ああ…もう、その背中すら闇の中に消えてしまった…。
 周りを見渡しても、真っ暗で何も見えない。
 たった今まで、目にしていた彼の背中だけが、唯一目にする事の出来たものだった…。


「デンゼル!」
 暗闇に向かって叫んでみる。
 何も……音がしない。

「マリン!」
 自分の荒い息遣いだけが、唯一暗闇の中で聞える音…。

「クラウド!!」
 悲鳴を上げるように……彼を呼ぶ。
 いつもなら…『大丈夫だよ、ティファ』って言ってくれる『唯一の人』。
 その彼の声も…この暗闇の中では聞えてこない。



『だから…言ったでしょ』



 突然聞えてきた女の人の声…。
 ゾッとするその声音に、全身が総毛立つ。
「誰!?」
 グルリと見渡しても……何も見えない。
 真っ暗な闇が自分を取り巻いているだけ。
 暗すぎて…、自分の身体でさえ見えない。

 それなのに……。



『もっと素直にならなくちゃ…って言ったでしょ?』



 またもや聞えてくるその声。
 カタカタと身体が震える。
「な、なに言ってるの…?」
 身体をギュッと抱きしめながら、姿なき相手に言葉をかける。
 本当は、もっと強い声を出したかったのに、口から漏れたのは自分でも驚くほど弱々しい……力の無い声…。

 どうして……?
 どうしてこんな事になったの……?

 頭の中は真っ白で……。
 全身を覆う寒気は到底振り払えるものではないくて……。
 何よりも…。
 視界から完全に見えなくなってしまった彼の背中が……どうしようも悲しくて…。



『ちゃんと素直にならないと……こうなるって言ったじゃない』



 また声が聞えた。
 どこか笑みを含んだその声音…。
 ただでさえ、真っ暗闇に一人ぼっちで心細くて…。
 悲しくて…。
 寂しくて…。
 泣き出しそうなのに……。
 そんな私を嘲笑っているその女の人の声に、心までが震える……。



『ねぇ……本当に分からない…?』



 クスクスと笑っている。
 どこから聞えるのかさっぱり分からない。
 遠くからなのか…。
 すぐ近くからなのか…。
 トンネルの中で話しかけられているみたいに、声が奇妙に反響している。

「何の事よ…?」

 グルグルと周りを見渡しながら、必死にその声の主を探す。
 それなのに…。
 目に映るものは何も無い。
 一条の光すら……ここには存在しない。
 まるで、話しに聞いた事のある『死の淵』に立っているみたいだ…。



『私が一体誰なのか……』



 声の主の正体が分からない私を、その声は不思議そうに…可笑しそうに…私に問いかける。

 分からない。
 分かるはず無い。
 だって…会った事ないじゃない!



『本当に…?』



 言葉に出していない私の心を読んだかのように、その声が私に問いかける。
 その声に…その言葉に……。
 どうしようもない恐怖感に襲われる。
 カチカチと奥歯がなる。
 身体の震えが止まらない。
 心の底から『この場から逃げ出したい』と叫びたくなる。
 でも…。
 もう…声すら出ない。
 怖過ぎて…。
 寒過ぎて…。



『どうして気付かないの…私の事』



 どうして?
 だって……知らないんだもの。
 それに…。
 声の主の正体に気付いたら…。
 それと同時に気付きたくない事に気づいてしまう…。



『うん…そうよね。気付いちゃうよね。でも…知らないままで良いの?』



 知りたくない。
 絶対に……知りたくない…!!
 自分が一体何をしてしまったのか、なんて……。



『ねぇ…。本当に良いの、知らなくて…』



 無理…。
 絶対に無理…。
 だって…知ったら……、知ってしまったら……。



『知っちゃったら…壊れちゃうかもね……心が』



 ズクリ…。
 心に何かが突き刺さる。

 深く…。
 深く……。
 心から血が流れるのなら、きっと今頃私の心は血で濡れている…。



『でも、彼の方がうんと血を流してるじゃない…。だから、離れちゃったんでしょう?』



 冷たい笑みを孕んだその声音に…。
 私の心が更に深く抉られる。

 ええ…そうよ。
 私は卑怯者。
 彼の苦しみから目を背けて…。
 かりそめの幸せに浸ろうとしていた臆病者…。
 だから…。



『だから…仕方ないじゃない。彼が他の女の人の所に行っても』



 やめて。
 それ以上、言わないで!!



『自分ばっかり庇っている人に、彼は相応しくないじゃない。それくらい…分かってるでしょう?』



 分かってる。
 分かってたわ。
 でも…それでも……。
 彼なら…。
 彼ならきっと…。



『そうね。彼は優しいからそれでも子供達の為には……傍にいる事を選んでくれる…。そう思っても不思議じゃないわよね。でも…』



『彼が子供達を連れて出て行くって…どうして思わなかったの?』



 イヤ。



『子供達が自分から離れないだなんて…どうしてそんな都合の良い事を信じられたの?』



 イヤ…!



『子供達と彼にもっと相応しい人がいるって…どうして思わなかったの?』



 やめて…!



『バカね。だからこうなる前に、素直になってれば良かったのに』



 やめて…!!
 もう…これ以上何も言わないで!!



『無理よ、そんな事。だって…』



 だって…、なに?




『私はあなただもの』




 漆黒の髪。
 茶色の瞳。
 そして……。
 口の両端を吊り上げて笑っている醜い女は……私……。

 突然目の前に現れた声の主の姿に、私は悲鳴を上げた。




「…い、おい!!!」
 突然激しく身体を揺さぶられて、私の意識は一気に浮上した。

 霞む私の視界に、魔晄色に染められてる彼の瞳がうっすらと見える。
 心配そうに歪められた彼の顔…。
 それを見た瞬間…。
「イヤ!!イヤ!!!」
「ティファ!?」
 もう…無我夢中で彼にしがみ付いた。

 突然すがり付いて泣き喚く私に、クラウドはすっかり狼狽している。
 何とか身体を離そうとする彼に、私は更に力を入れて彼の服を握り締めた。
「ごめんなさい、ごめんなさい!!」
「ティファ、大丈夫か?何謝ってるんだ?」
「ごめんなさい、クラウドが…クラウドが苦しい時に…何も……何も出来なくて……!」
 泣きながら謝る私に、クラウドの身体がビクリと震えた。
 そのまま黙ってしまった彼に、私の心が悲鳴を上げる。

 もう…手遅れなの?
 謝っても…もう、ダメなの?

「クラウド…ごめんなさい…、ねぇ、もう……もう…遅いの?ダメなの?ねぇ…私…私は…」
「ティファ!!」
 顔を上げて彼の顔を縋るように見つめた私に、クラウドがこれ以上ない程、悲しそうな顔をして…。
 私を力一杯抱きしめてくれた。

「ティファ…落ち着け…」
「イヤ…。イヤ…、クラウド…お願いだから…」
「ティファ!ちゃんと話を聞いてくれ!!」

 私の言葉を遮って、クラウドが声を荒げる。
 ビクッと震える私を、クラウドは抱きしめたまま背中をさすってくれた。
 そのお陰で段々ざわめき立っていた心が落ち着いてくる。

「ティファ…良いか?今、ティファは風邪でかなり熱が出てる。そのせいで、悪い夢見てたんだよ」
「え……夢……?」
「ああ…。あんまりうなされてたから起こしたんだ…」
「夢………?」
「そう、全部夢だから…。だから大丈夫だ」
「あ…あ……夢………」
「そう…。俺が分かるか?」
 そう言ってそっと身体を離して、私の顔を覗き込んできたクラウドに、私は漸く目が覚めた。

 荒い息をしていた私が落ち着いてきたのを見て、クラウドはホッと息を吐くと、もう一度今度はやんわりと私を包み込んでくれた。

「大丈夫か?そんなに怖い夢、見てたのか?」
 耳元でそっと囁かれた優しい彼の声に、再び涙が溢れてくる。
「……ぅ…ふぅ…っ……」
「ティファ…もう大丈夫だから。帰ってくるのが遅くなって…ごめんな」
 クラウドの言葉に、私は堪えきれずに声を殺して泣いた。
 その間、ずっとクラウドは私を抱きしめて、背中をさすってくれていた。
 彼の大きな手が温かくて。
 彼の心配してくれる言葉が嬉しくて…。
 心に突き刺さっていた不安と恐怖が、スーッと消えていくのを感じる。



「なぁ、ティファ?」
「…うん、なに?」
 すっかり落ち着いて再びベッドに横になった私に、クラウドが濡れたタオルを交換してくれながら声をかけてきた。
「俺が家を出たのは…ティファのせいじゃないから」
「…………」
「俺が弱かったせいだから」
「…………」
「それに、もう二度とあんな事しないから」
「…………」
「俺は…子供達も勿論だけど、ティファが大切だから」
「…………」
「だから、絶対にもうあんな真似して、悲しませたり苦しませたりしないから」

 そう言って、悲しそうに…苦しそうに微笑んだクラウドに、私は再び心が痛んだ。

 そう。
 いつだってそう。
 彼は…そうやって自分のせいにするの。
 そして、私が目を背けていた事を許してくれるの。
 私はずっとそれに甘えていたの…。



『本当に良いの?』
『ちゃんと素直にならなくちゃ…』



 夢の中で聞いた自分の声が再び聞える。

 ああ…。
 ダメ。
 このままじゃダメ。
 彼は、こんなにも真正面から立ち向かってくれているのに、私がそれに甘えてばかりいるだなんて…。
 こんな私は彼に…。
 彼の隣に立つに相応しい人間じゃない。

「クラウド…違うの」
「え?」
「私…ちゃんと向き合おうとしなかった。だから、クラウドが悪いんじゃないの」
「ティファ…違う。そうじゃない」
「ううん!クラウドは今、こうして向き合ってるじゃない、弱い自分と。それなのに、私は逃げてたの、弱い自分から。だから……あの時も……今も…」
「ティファ…」
 少しだけ呆れたような顔をしながらも、彼の瞳が優しくて。
 だから、また私の視界が滲んできた…。
「クラウド…ごめんね。あの時、一緒に苦しんで上げられなくて……ごめんね?」
「ティファが謝る事じゃないだろ?」
 そう言いながらも、彼は優しく私の目元を指で拭ってくれた。

「私……これからはクラウドと一緒に悩んで…苦しんで……何でも一緒に背負って生きていきたい」

 ようやく自分の心を素直に面と向かって彼に告げた私に。
 クラウドは驚いたように目を見開いて…。
 そして…。
 綺麗な瞳を細めて嬉しそうに笑ってくれた。
 そして、優しく私の髪を撫でながら、
「それ……俺の台詞…」
 テレながらそう言ってくれた。


 彼のその言葉に、やっと私は心から安らいだ気持ちを手にする事が出来た。
 そして…。
 そのまま、再び眠りに落ちていった。


 彼の温もりに包まれながら…。



 きっと今度見る夢は、色のある幸せな夢…。




 あとがき

 暗いですね(苦笑)。
 時間的にはクラウドが家に帰ってきて落ち着いた少し後くらい…って感じです。
 何かフッと思いついたんですよね。
 帰って来た直後はやっぱり色々ドタバタしてたと思うんです。
 お店の常連さん達に納得させる事とか…配達のお仕事を軌道に乗せる事とか。
 んでそういうドタバタが落ち着いた時に、心が緩んで…って感じかなぁ(汗)。
 きっと、ティファはクラウドと同じ位罪悪感を感じていたと思うんですよ。
 クラウドが苦しんでいる時に力になれなかったことに対して。
 それを癒してくれるのは、やっぱりクラウドだけかなぁ…と。

 ティファには可哀想なお話しになりましたが……最後はちゃんと幸せな括りにしたつもりです(苦笑)