Ordinary happiness『思ったよりも早く仕事が終わったから、昼くらいには帰れそうだ』 「本当に!?」 昨日から他の大陸へ配達の仕事へ出かけていたクラウドからティファが電話を受けたのは、丁度遊びに行く子供たちを送り出した後だった。 思わぬ吉報に声が弾み、その拍子にスイッチを切っていた掃除機のノズルが手から離れて床に落ちた。 『なんだ今の音?』 「ううん、なんでもない。それよりも」 年甲斐もなく、はしゃいでしまった音を聞かれたことが恥ずかしく、ティファは言葉を濁してすぐ話題を戻した。 「お昼頃に帰ってこれるってことは、お昼ご飯も一緒に食べられるってことよね?」 『あぁ、楽しみだ』 顔を見なくとも、クラウドがあの無愛想な顔に笑みを浮かべているのが分かった。 声音がとても柔らかく、嬉しそうだ。 ティファも顔一杯に笑顔を浮かべる。 「じゃあクラウド、なにが食べたい?」 言いながら時計を見る。 昼頃…というなら、あと2時間少しだ。 買い物に行って準備をするなら今だ。 『なんでもいいよ』 「もぉ、それが一番困るんだから」 少し拗ねたような口調で言いつつ、ティファは携帯を右耳と右肩で挟んで両手を空けた。 毎日している掃除だが、目を瞑るにためらいなどない。 掃除よりも、市場へ買出しに行くことの方が重要なミッションだ。 手早く掃除機や雑巾の入ったバケツを片付け始める。 『困ったな…。ティファの作るものは何でも美味しいから…』 軽く溜め息を吐きながら苦笑する気配と共に口にされた言葉がダイレクトに鼓膜を震わせる。 くすぐったいくらいの嬉しさが胸いっぱいに広がったが、ティファはそれが携帯越しにバレないよう、努めて硬い声を出してみた。 「はいはい、ありがと。それで、何が良い?」 しかし所詮惚れた方の負け。 声に嬉しさが滲んでしまったことを自覚する。 クラウドの口元に笑みが浮かんだような気がした。 それでも、負けて悔しい、と思わないのだからもう重症かもしれない…。 『じゃあ、この前作ってくれたチキンソテーとサラダが良いな』 「了解。それじゃあ、あとはスープとニンジンのグラッセくらいもつけようかな」 『う……』 「ダメだよぉ、クラウド。好き嫌いしたら」 『……分かってる』 甘いものが苦手なクラウドにとって、ニンジンの甘みが存分に生かされているグラッセは苦手な食べ物だと十分認識しつつ、わざとリストの1つとして挙げると、期待通り、困ったような、諦めたような反応が返ってきてティファは危うく大笑いするところだった。 それを奥歯でかみ殺し、会話の合間も着々と買い物へ行く準備をしていたティファは、店のドア 兼 玄関の鍵を手にノブを回した。 買い物へ行く準備は完璧だ。 「それじゃ、気をつけて帰ってきてね?」 携帯を片手に持ちながら鍵穴に鍵を差し込む。 『あぁ』 「モンスターには気をつけて。あと、無理しすぎないで安全運転忘れずに」 『分かってる』 クスッ、と携帯からクラウドが吐息混じりに忍び笑いを漏らした。 耳元で漏らされたかのような錯覚を覚え、心臓がドキリと跳ねる。 『ティファは母さんみたいだな』 しかし甘酸っぱい心地は、この最後の一言でパチンと弾けて萎んでしまった。 「ちょ…、誰がお母さんよ!」 だが、ティファの抗議はプツッ、ツー…ツー…ツー…という無情な機械音によって阻まれてしまった。 ティファが怒ることを察知してさっさと携帯を切ったクラウドにム〜……と唸る。 もしかしたら、昼食に苦手なニンジンのグラッセをわざとチョイスしたことへの微かな仕返しかもしれない…。 そんな考えがフッと浮び、ティファの胸に一瞬で甘酸っぱい心地が戻ってきた。 「仕方ないなぁ。グラッセはやめてブロッコリーのナムルにしてあげよう」 そうしてティファは市場へ向かうべく、弾む足取りで雑踏へと踏み出した。 * 活気溢れる市場は人の熱気と呼び込みの声、客たちの笑い声で満ち満ちている。 暖簾を突き合わせ、熾烈な客引き戦争に生き残りをかけている市場の店々は、質とサービスを互いに向上させ合う絶好の環境にあると言えた。 だから、少し遠くてもティファはこの市場に通うことが好きだった。 良質のものを納得の値段で手に入れられた時のあの達成感は言葉に出来ない。 その達成感について以前、クラウドが家出から帰ってきて落ち着いた頃、仲間達が泊まりに来てくれた際に一緒に市場へ買い物に行ったとき、話したことがある。 妻帯者のシドはシエラの姿を見ているのでなんとなく理解を示してくれたが、その他の面子は微妙だった。 ユフィにいたっては、”青春が微塵もない”と全身で吐き出した溜め息でもって吹き飛ばしてくれた…。 (この満足感が分からないなんて、むしろ可哀想なのはあっちよねぇ〜?) その時のことを思い出し、ちょっぴり小首を傾げながら手にしたブロッコリーを吟味する。 色艶の美しいグリーンは、まさに今日、ティファが買うために店の軒先で待っていたかのようだ。 「おじさん、これもらうわ」 道行く人たちへ大きな声で呼び込みをしていた店主に声をかけると、せかせかした足取りで嬉しそうに「はいよっ!」と元気な声が返ってきた。 「こっちのピーマンとニンジンはいらないかい?」 「ん〜…魅力的なんだけど…」 つい先ほどのクラウドとのやり取りを思い出し、ニンジンを手に入れることに軽く躊躇する。 あまり乗り気ではないティファに、店主はカッカッカ!と大きめな腹を揺すって笑いながら、ニンジンの隣に籠盛状態で並んでいるジャガイモを手に取った。 「安くしとくよ、なんならジャガイモもおまけに1個、つけようか?」 大きなジャガイモを目の前に差し出され、ティファは反射的にそれを手に取るとしげしげと見つめた。 ズッシリとして中々の一品と言えよう。 スープの具材に良いのではないだろうか? 「うん、ありがとう。じゃあ頂くわ」 「まいど!」 この”打てば響く”ようなやり取りがとても小気味良い。 だから、ついつい予定外の物にまで手を出してしまうのが市場では気をつけないといけないところだ…と、ティファはずっしりと重い紙袋を抱えながら改めて思った。 (まぁいっか。無駄になるわけじゃないし) 揺すり上げるようにして抱えなおすと、ティファは帰路に着いた。 11時を少し回ったところだ。 今から帰って調理に取り掛かればクラウドの帰宅にギリギリ間に合う…といったところだろうか? 「デンゼルとマリンも喜ぶよね」 クラウド大好きの子供たちが一体、このサプライズにどう反応するか。 想像するだけで顔が綻ぶ。 そう言えば…とティファは気がついた。 もしかしたら、子供たちは帰ってくるのが遅くなるかもしれない。 いや、ちゃんと昼食の頃には帰宅するだろうが、それでも最近はついつい遊びに夢中になりすぎて13時を遥かに回って帰ってくることもしばしばだ。 クラウドは恐らく、ティファの予想なのだがまともに朝食を摂らずに帰路に着いているはず。 そんな状態で、帰宅して暫くご飯をお預け…というのはやはり可哀想だ。 面と向かって聞いたことはないが、クラウドにとって、”我が家”はとてもとても大切で、いっそのこと仕事なんか行かなくてずっといたい、と思える大切な居場所になっているのだ、現在(いま)は。 だから帰路に着くとき、クラウドは結構な無茶をやる。 家路を急ぐあまり事故を起こしかけたことも実は多いと踏んでいる。 勿論クラウドはそんなこと、あまり口にはしないのだが服の汚れやフェンリルの不調等々がティファの想像が正しい、と雄弁に物語っていた。 朝食に時間をかけず、あるいは朝食を抜いて帰路に着いている可能性は非常に高い。 「電話しなくちゃね」 本当は、子供たちの顔を見て伝えたかった。 子供たちの嬉しそうな顔が大好きだから、直接見たい。 きっと、飛び跳ねんばかりに喜ぶはずだ。 そう…こんな風に…。 まず、いつものように楽しそうに、少しだけ疲れた顔をして「「ただいま〜」」と2人が帰ってくる。 そうして、いつもよりも少し豪華な昼食を準備していたティファへ2人が小首を傾げるのだ。 なにかあるのか?と聞いてくるデンゼルとマリンに、さぁ、今こそ!というタイミングでクラウドがもうすぐ帰ってくるというビッグニュースを伝える。 すると…。 きょとん…と目を丸くして…。 ティファが言った言葉を脳が浸透するのに少し時間がかかって…。 そうして、爆発的な喜びが小さな身体を駆け巡るのだ。 「本当!?」「本当にクラウド、もう帰ってくるの!?!?」 満面の笑みで見上げてくる子供たちにその通りだ、と頷いたその時。 ドアベルが涼やか鳴って、土埃で金糸の髪をくすませたクラウドが現れるのだ。 「ただいま…」 そう言いながら、ホッとしたような、嬉しそうな微笑がゆっくり口元に広がって…。 ここでティファは想像の世界から引き戻された。 突然、肩を叩かれたのだ。 心臓が口から飛び出すのではないか!?と思うほどビックリして振り返ると、そこにはセブンスヘブンにとっては数少ない若い女性の常連客が立っていた。 ビックリしすぎたティファに、彼女の方もビックリして固まっている。 過剰な反応をしてしまったことを恥ずかしく思いながら、ティファがぎこちない笑みを浮かべると彼女はようやっとクスリ、と笑い返した。 「あんまり幸せそうに歩いてるからちょっと気が引けたんだけど声かけちゃった」 そう言う女に、頬に集まった熱が更に高まっていく。 女もティファと同じで市場へ買い物に来たそうだ。 ただ、ティファと違うのはこれから買い物をするところ…ということ。 ティファの抱えている紙袋をしげしげ眺め、女は感心したように何度か頷いた。 「ティファって華奢なのに私より力あるんだ〜…。しかも、選んでるものはバッチリ完璧だし。流石だわ」 そう言いながら、標準の女性よりたくましい肉付きをした自分の腕をペシペシ叩く。 呼び捨てにされるようになってまだ日が浅いが、それでも屈託のない女の雰囲気に気を許しているティファはニッコリ微笑んだ。 「あそこの八百屋さん、すごく新鮮だからつい買いすぎちゃうの」 ティファも敬語は使わない。 ティファとユフィの丁度、中間くらいの年の女相手には特に不自然ではないことだが、ティファが仲間以外の人間相手にこういう砕けた口調で話をするのはあまりない…。 女は、その”特別”に気づいているのかいないのか…。 ニッカリ笑うとコクコク頷いた。 「うん、なるほど。分かるわ〜。でも、私はもうちょっと行ったところの八百屋の方につい足が行っちゃうのよ〜」 「どうして?」 「店主は普通のオヤジなんだけど、その息子がイケメンなの〜!あ、勿論ティファの旦那さんには負けるけど〜。まぁ、惜しむらくは、恋人が3人くらいいるってところよねぇ、私も1人に加えてくれないかなぁ?」 おどけて言うべき台詞を真顔で言うから逆に笑えてしまう。 声を上げて笑うティファに、女も表情を崩すとカラカラ笑った。 ぽちゃっ…とした身体が笑って揺れる。 しかし、屈託なく笑う姿はとても愛らしい、とティファは思う。 女はひとしきり笑うと、腕時計へ視線を落として「あ、まずい」と呟いた。 「ごめんね、呼び止めといて悪いけど、早く買い物してしまわなくては!」 「あ、彼氏さん?」 「うん、そう。正確には彼のご両親」 ここで言葉を切ってズイッ、とティファへ顔を近づけた。 反射的に少し仰け反るティファに、女は真剣な面持ちで口を開いた。 「なんと、今日これから彼のご両親に会うの!初めての顔合わせだし、お昼時にお邪魔するでしょ?だから、私の得意料理を一品、二品、三品、四品、持って行かないと〜!ってね」 「うっそ!本当に!?」 女の言葉にティファは仰け反っていた体勢を一気に前へのめらせた。 ズズズイッ!と女へ顔を寄せ、手を取り握らんばかりの勢いで詰め寄るると、女はティファが手を伸ばす前にティファの手を握り、花が咲くような満面の笑みを顔一杯に浮かべた。 「そうなの!もう、今からど緊張よ!?」 「うわ〜!おめでとう!!」 「ありがとう〜!!…って言うのはまだ早いわ。勝負はこれから1時間半後よ!!」 「うわっ!じゃあ、早く買い物して料理して着替えて化粧して!!」 「あ〜!!しまった、料理しか頭になかった!!化粧とか着替えってしないとダメだよね!?」 「うっそ本当に!?!?ダメに決まってるじゃない!!ほらほら、こんなところで油売ってないで早く早く!!」 「うん、サンキュ〜!化粧と着替えを思い出させてくれて!」 言うや否や、女はパッ!とティファの手を離すと数歩、市場へ駆け出した。 クルッと振り返り、ニッコリ笑う。 「ありがとうティファ!今日の任務の結果はまた今度、お店に行って報告するわ!」 「うん!報告、首を長くして待ってる!」 ティファが紙袋を片手で抱え直して手を振ると、女は大きく1度手を振って背を向け、あっという間に人ごみに紛れて見えなくなった。 その女が消えた方へ暫く視線を投げていたが、やがて紙袋を抱え直してティファは満足そうな溜め息と共に帰路へ着いた。 きっと彼女は彼氏のご両親と上手くいく。 そう確信しつつ、さてさて、もしも自分の父親が生きて元気だったらクラウドとどうだったろう?と不意にその考えが浮かんでちょっぴり切なくなった。 きっと、あの父のことだ。 クラウドのことを気に入らない子供という考えが抜けず、未だにギクシャクしていたに違いない。 ましてや自分のことを目の中に入れても痛くないほど可愛がってくれていたのだからなお更だ。 もしかなくても、クラウドでなくとも”恋人”として連れて行った男は誰でも気に入らなかったのでは?と思う。 (……それでも…) それでもきっと、父親に”恋人”として紹介したいと思う男はクラウドだけだったろう、と思う。 不機嫌に自宅の椅子に座る父。 その父の斜め前に設置しているソファーへ、身を固くして座っているクラウド。 2人の間には言い知れない緊張感がピーンと張り詰めており、クラウドはひたすら額に冷や汗を浮かべているのだ…。 それでもクラウドは、懸命に父親に認めてもらおうと足しげく通ってくれるだろう。 クラウド・ストライフとはそう言う人だ。 不器用だけど誠実で、逃げそうになるけれど最後の最後で踏ん張ってくれる…そんな人。 そんな彼に最終的には父も折れてくれて…。 (…ふふ、バカだなぁ私) 口元にほんのり寂しげな笑みを浮かべつつ、それでもティファの足取りは軽かった。 父の死は今でも悲しい。 だが、悲しいばかりではない。 父が慈しんでくれた記憶はいつまでも胸に深く残り、時折こうして1人で父と会話する。 これが幸せだと思えるようになったのは、やはりクラウドが傍に居てくれるからだと思う。 多くなくていい。 たった1人、大切な人が傍に居てくれるという幸せは決して珍しいことではない。 むしろ、ありふれた幸せだ。 しかし、それで良い。 それが良い。 その人のために自分が出来ることを一生懸命してあげられることだって、所詮、”ありふれたこと”なのだから。 ありふれたことを日々積み重ねて幸せだと思えることが、本当に幸せな人生だと思える。 子供だった頃からは考えられない極々平凡な人生かもしれないが。 なにしろ、子供の頃は”ピンチになったらヒーローが助けに来てくれる”ことを夢見ていたのだ。 まさに”プリンセス思考”。 マリン辺りに言わせると、”とんでもなく甘い甘い胸焼けしそうな夢”ということになる。 一口かじっただけで虫歯になりそうだ…。 そう言われると確信しているので、マリンには口が裂けても言えない。 マリンに言えないのでデンゼルにも言えないティファの思い出。 ティファとクラウドだけの、給水塔での思い出。 自分の子供時代とはエライ違いだ。 そんな、若干、『子供らしくない子供』を持つ『母親らしくない母親』であるティファは、やっぱり”お似合いの家族”だなぁ、と思うわけだ。 「おっと、いけないいけない」 マリンとデンゼルを思い出したお陰で、クラウドが早く帰ってこれるというビッグニュースを伝えることを思い出した。 携帯を操作しながら、やはり子供たちには直接顔を見て言いたかったな…と思いつつ、耳に当てる。 「あ、デンゼル?あのね」 用件を言うと、ティファは携帯を耳から少し話した。 予想通り、デンゼルの驚き、喜んだ大声がキーンッ!と漏れる。 デンゼルが傍に居たらしいマリンに報告し、2人がひとしきり騒ぎ終わったところを見計らって携帯を耳に当て直す。 「というわけだから、2人とも遅くならないで早く帰ってね?」 「「今すぐ帰る!!」」 自分の声はそんなに大声ではなかったのに、しっかりマリンにも聞こえたらしい。 デンゼルの声と同じくらい大きな声で返事が返って来た。 ティファはこみ上げてくる愛しさにクスクス笑いながら携帯を切ると、しゃんと顔を上げて前へ向き直った。 「さ。私も早く帰らないとね」 そうして大股で一歩、家に向かって足を踏み出した。 向かった先に待っているのは決して華やかな世界ではなく、どこにでもあるような平凡な幸せ。 帰る場所があって、笑ってくれる家族がいて…。 だけど、それが良い。 平凡でありきたりな幸せが良い。 毎日を”ありきたりな幸せ”で積み重ねていくことが出来ればそれは、大輪の華となっている。 だから今日も…。 「ただいま」 「「「おかえりなさ〜い!!!」」」 みんなで、”ありきたりの幸せ”を。 あとがき 意外と”ありきたりな幸せ”ってないもんですよね(笑) んで、子供の頃って”平凡”とか”ありきたり”って言葉が異様にイヤなんですよ。 ところが、大人になるに連れて”平凡”って素敵だなぁ…と思うようになってくる…。 うん、ただ単に年を食っただけ〜…とか、向上心がない〜…とかいうだけかもしれませんけどね…(−▽−;) |