今夜も無事にセブンスヘブンの営業を終え、クラウドとティファがお互いの一日の働きを労い合い、珈琲を楽しんでいる深夜。
 カタン…、と物音がして、ティファとクラウドは揃って顔を上げた。


お休みなさい、良い夢を



「どうしたの、マリン!?」
 とっくに休んだはずのマリンが、階段からおずおずと店内を覗き込んでいる。
 その瞳は何故か不安げに揺れ、透明の雫が零れ落ちそうになっていた。
 クラウドとティファは、マリンの普段見せないその表情に驚いて席を立った。
「どうしたの?何か嫌な夢でも見た?」
 ティファがそっと顔を覗き込むと、マリンは俯いてゆっくりと首を横に振った。
 しかし、その仕草からクラウドとティファは、マリンが小さな嘘をついた事に気がついた。
 いつも、明るく、何事にも前向きでハキハキとしているだけに、今、二人の目の前で沈んだ顔をし、大きな瞳を潤ませているマリンに、胸が痛む。

「マリン…」
 クラウドは、驚かさない様にそっとマリンを抱きかかえると、心配そうに見つめているティファに微笑みかけ、自分達の座っていたソファーに連れて行った。
 そして、マリンを抱きかかえたままソファーに腰を下ろす。
 マリンを膝の上に座らせて、黙って優しくその小さな背をポンポンと叩くその姿は、小さな胸に抱えている大きな不安、もしくは恐怖を和らげようとしている様に見える。
 そして。
 まさにその仕草は、大きな背を持つ父親のもの…。
 ティファは胸に込上げる温かな感情に頬を緩め、カウンターに入り、ホットミルクを作り始めた。

 クラウドは暫く何も言わず、マリンを優しく抱きしめポンポンと背を叩き続けた。
 マリンも黙ったままクラウドのシャツを握り締めて、その胸に頬を押し付ける。
 シンと静まり返った店内に、カウンターからホットミルクを作る小さなコトコトという心地良い音だけが響いている。
 やがて、ティファが出来たてのホットミルクと自分達の為の新しい珈琲をお盆に乗せてやって来た。
 クラウドは、そっとマリンの顔を覗き込むと、「大丈夫か?」と、穏やかな眼差しで見つめた。
 マリンはうっすらと目の淵を赤らめてはいたが、こっくりと頷き弱々しく微笑んで見せた。
 クラウドは口元を緩ませ、マリンをそっと自分の隣に腰掛けさせ、ティファの差し出したホットミルクを手渡した。

 マリンは、ティファとクラウドにはにかんだ笑みを向けてから、そっとカップに口をつけた。
「美味しい…」
 ポツリとこぼした一言に、クラウドとティファはそっと安堵の溜め息を漏らす。
「それで、一体どんな夢を見たんだ?」
 ティファから珈琲を受け取りながら、さり気ない口調を装って訊ねるクラウドに、マリンは困ったような、恥ずかしがるような顔をして俯いた。
「マリン、恥ずかしくは無いのよ?私だってこの前、すっごく怖い夢見て飛び起きちゃった」
 ティファがおどけた口調で言った言葉に、マリンが大きな目を更に大きくする。
「そうだぞ。その時のティファは、今にも泣き出しそうでこっちがハラハラ、ヒヤヒヤしたんだ。まるで、小さな子供みたいだったな」
「あ〜!それは言わない約束だったじゃない!」
「あ…、すまない…つい…」
「もう!」
 うっかり口を滑らせたクラウドに、頬を膨らませたティファを見て、ようやくマリンは強張った顔を緩めた。

「あのね…」
 ポツポツと話し始めたマリンに、クラウドとティファはふざけた雰囲気からガラリと変わり、父親、母親の顔になって、マリンを見つめた。
「あのね…、クラウドとティファが喧嘩する夢見たの…」
「「喧嘩?」」
 声を揃えて驚く二人に、マリンは恥ずかしそうに頷いた。
「うん。それでね……」
 言いづらそうな顔をしながら、チラリとクラウドを見る。
 クラウドは、マリンを穏やかな眼差しで見つめ、そっと微笑んだ。
 無言のうちに、先を話すように促す。
 クラウドの穏やかな表情に後押しされ、マリンは再び口を開いた。
「それでね…。クラウドが、また家を出てっちゃうの…。そしたらね…」
 今度は恐る恐るティファを見る。
 ティファもまた、クラウド同様穏やかな眼差しを向け、先を話しても大丈夫だと無言のうちに伝えた。
「そしたら…、ティファがとっても悲しんで…それで、……ティファ…病気になっちゃうの…。それで、私とデンゼルがクラウドを探しに行くんだけど、クラウド…どこにもいなくて……。夢の中で、父ちゃんや、シドおじさんや、リーブおじさんや、ヴィンセント、ナナキ、ユフィお姉ちゃん…皆にクラウドの事を聞くの。でも、全然駄目で……。諦めて家に帰ったらね…そしたら、ティファが……あの…、ね……」
 そこまで言って、マリンは目に一杯涙を溜め、俯いた。
 クラウドとティファは、それ以上話を聞かなくても分かった。
 俯くマリンの肩に手を置いて、それ以上話さなくてもよい事を伝えようとするが、マリンは顔を上げて淡い笑みを浮かべると、口を開いた。
「そこでね、私、目が覚めたの…。起きたら、夢が本当になってるような気がして…、それで……」
「それで、下りてきたのね?」
 ティファの言葉にマリンはこっくりと頷いた。
 クラウドとティファは、顔を見合わせ困った様な、悲しい様な顔をした。
 それは、自分達の事でマリンが不安になっている事への申し訳なさ、更にはクラウドが家を出た時の自分達の子供達へのあり方を後悔させるものからきていた。
 クラウドは、家出をした事自体を、そしてティファは、クラウドが家を出ている間の弱い自分を今でも強く後悔し、情けなく思っている。
 しかしそれでも、最近ではクラウドもすっかり以前の様に…、否、以前よりも更に良い父親として、またティファの隣を歩く者としてセブンスヘブンでの生活を過ごしていた。
 それに伴い、ティファも以前よりもうんと良い母親として、またクラウドの隣を歩く者としてセブンスヘブンで子供達と笑いながら生きている。
 その為、子供達に確かに負わせてしまった心の傷は、今ではほとんど癒されたのではないか…二人はそう思っていたのだ。

 しかし、現実は違ったようだ。
 子供達が昼間見せている笑顔は確かにその時は本物であるが、今、マリンが見せた心の暗闇もまた、子供達の中に確かに存在している…。
 二人はその事実に衝撃を受けた。
 もっと、子供達が心から笑える様な…、頼ってくれる様な、そんな親になりたい!!
 そう強く感じる出来事だった。

「あ、あの…、変な事言ってごめんなさい。私、もう大丈夫だから寝るね?それから、クラウドとティファの事、責めた事なんか一度も無いんだよ?だから…!!」
 二人の表情から、二人の心情を正確に読み取ったマリンが慌てた様にソファーから立ち上がり、一気に言い放った。
 その健気な姿に、ますます二人は申し訳なくなる。
 今、またマリンに気を使わせてしまったのだから…。

「マリン、まだホットミルク残ってるだろ?それに、俺達に気を使わなくて良いから。折角起きて来たんだし、もう少し一緒に話をしても罰は当たらない」
 慌ててマリンの小さな肩に手を置いて、クラウドが苦笑する。
 マリンは、少々躊躇っていたが、優しく微笑む両親にこっくりと頷き、再びソファーに身を沈めた。

「マリン、この前私が見た怖い夢、何だか知ってる?」
 軽くクラウドを睨みながら、ティファが声をかけた。
 クラウドは真顔になって首をブンブン振っている。
 その光景に、マリンは顔を綻ばせると「ううん、聞いてないよ」とはっきりと答えた。
 そんなマリンに、クラウドは頭を撫でて微笑み、ティファは吹き出した。
 クスクス笑いながら、口を開く。
 その目は悪戯っぽく輝いていて、マリンは胸がワクワクする気持ちになった。
「あのね。その夢は、マリンと少し似てるのよ?」
「え!?そうなの?」
 大きな瞳をまん丸にするマリンに、クラウドとティファはニッコリと笑った。
「うん。私の見た夢はね、クラウドがまた黙って家を出て行っちゃうの。それで、マリンと同じ様に、私も一生懸命夢の中でクラウドを探すんだけど、どこにもいないの。セブンスヘブンに帰ったら、マリンとデンゼルが待っててね。『クラウドは?』って聞いてくるの。私が首を横に振ったら、二人共私の事を置いて、お店を飛び出して探しに行っちゃうのよ!もう、クラウドには出て行かれるし、マリンとデンゼルには置いてかれるしで夢の中で泣きそうになっちゃった!」
 おどけた口調で語るティファに、マリンはクスクスと笑い出した。
「それじゃ、クラウドって私達の夢で家出ばっかりしてるのね」
「そうよ!本当に懲りない人なんだから!」
「おい、頼むから夢の中まで俺をズルズル人間だっていう設定はやめてくれないか…」
 明るく言ったマリンの一言に、ティファは手に腰を当て、軽くクラウドを睨んで見せた。
 クラウドは、笑えない話の展開に冷や汗を浮かべながら少々身を反らす。
 そのクラウドとティファの姿に、マリンはとうとうお腹を抱えて笑いだした。
 クラウドとティファも、マリンに釣られて拭き出すと、店内は三人の笑い声で明るく彩られた。



「ごめんなさい、お話聞いてくれてありがとう。それから、夢のお話してくれて嬉しかった」
 マリンを抱えて子供部屋に戻ったクラウドが、マリンの小さな体をそっとベッドに下ろすと、目をキラキラさせた可愛い我が子がそっと囁いた。
 隣のベッドでは、デンゼルがかけ布団を跳ね飛ばして良く眠っている。
 その二人の子供達に、クラウドとティファは穏やかな眼差しを送り、そっとマリンの額にキスをそれぞれ贈った。
 そして、ティファはデンゼルに布団をかけ直してやりながら、その額にそっとキスを贈る。
「お休みなさい」
「お休み、マリン」
 口元まで布団を引っ張り上げ、微笑みながらマリンが言った。
「お休みなさい、良い夢を」
 ティファとクラウドは、もう一度ずつその額にキスを贈ると、頭を撫でてから子供部屋を後にした。



「マリン、いつもはしゃんとしてるからびっくりしたわね…」
 自分達の寝室に戻り、ティファが沈んだ声で呟いた。
 クラウドは、そっとティファの肩に手を置き、黙って頷くと紺碧の瞳を伏せて、
「ごめん…」
と、一言口にした。
「クラウド…。クラウドの事、責めてるんじゃないのよ?」
 静かな声音で囁くティファに、クラウドはゆっくりと頭を振りながら「分かってる…」と答えた。
「分かってるんだ。ティファ達が俺の事を責めてない事は。でも、俺がした事によって傷ついたのも事実だろ…?だから、ティファ達が責めていなくても、俺自身が俺を責めずにはいられない…」
 苦笑すら浮かべて思いを吐露するクラウドに、ティファは悲しそうな顔をするとそっと自分の肩に置かれている彼の手に、自分の手を重ねた。

 その手は、本当に温かく…。
 冷えた心に温もりを与えてくれる、そんな優しい手…。

「クラウド…。きっと私がこんな事を言ったらますますクラウドは自分を責めるのかもしれないけど…」
 そう前置きするティファに、クラウドは無言のままじっと次の言葉を待った。
「クラウドが出て行ってる間、私、子供達に甘えてばかりだった…。勿論、お店の事とか日常の事とかは私がやりくりしたよ?でも、そんな事じゃないのよね。子供達がいたから、今の私がここにいるの。クラウドが出て行って、物凄く辛くて、悲しくて、腹も立ったけど、マリンやデンゼルがいてくれたから、あの時を過ごす事が出来たの。でもね、それってつまりは、デンゼルとマリンに私が頼ってたって事になるでしょ?と、言う事は、私が頼っているが為に、子供達は一番身近にいた私に頼れない…そんな状況だったと思うの…」
 ポツポツと語るティファの言葉に、クラウドはただじっと耳を傾けていた。
 ティファの方に置かれていた彼の手に、じんわりと熱がこもる。
 ティファは、その温もりに心が軽くなる気がした。
「だから、今夜みたいにマリンが弱いところを見せてくれると、とっても嬉しいんだけど、それと同時に何だか情けなくなるの…」
「……何故?」
 少し驚くクラウドに、ティファは困ったように微笑んだ。
「だって、今までそういう姿を見る事が出来なかったって事は、子供達にとって私が頼れる存在じゃ無かった…そう感じちゃうの…」
「それは…!」
「うん、分かってる。そんな風に思ってないって事も、私の事をとっても大切に思ってくれてるって事も、ちゃんと分かってるよ?」
 思わず大きな声を上げたクラウドの口にそっと手を当て、苦笑する。
 そんなティファにクラウドは胸に何かが詰まるような、苦しいような気持ちが込上げてきた。
 そして、悲しげに微笑むティファを優しく抱きしめ、その艶やかな髪に頬を埋めた。
「ティファ…。俺は、ティファの事を悪く思う奴は許せない…。それが、ティファ自身だとしても…」
「クラウド…」
「だからさ…。少しずつで良いから、自分に自信を持って欲しいんだ…。ま、俺が言えた事じゃないけどさ」
 小さく笑うクラウドに、ティファは笑みをこぼすと、ゆっくりとクラウドの背に手を回した。
「ありがとう…。でもね…」
「ん?」
「それ、私がクラウドに言える事なんだって、気付いてる?」
「え?」
 ティファは顔を上げ、首を傾げるクラウドに目を細めると再びその胸に頬を埋めた。

「クラウドの事、悪く思う人は許せない…。それがクラウド自身だとしても…。クラウドに、もっともっと自信を持って欲しいと思ってるんだよ?私達にとってかけがえの無い人なんだって事。デンゼルにとっても、マリンにとっても。それに…、私にとっても…」

 優しく囁くティファの言葉に、クラウドはゆっくりと目を閉じた。
 心の中で温もりに溢れた言葉を反芻する。
 腕の中にいる愛しい人も、そして、同じ屋根の下で眠る可愛い子供達も…。
 本当に自分にとってかけがえの無い大切な宝物だ…。
 改めてその幸福をかみ締める。

「ティファ…」
「うん?」
「俺達…、似た者同士…だよな?」
「フフ、そうだね…。いつまで経っても自信が持てなかったり、子供達に心配かけちゃったり…ね」
「ああ。だけどさ…、二人ならきっと大丈夫だよな?これから一緒に頑張っていけるから…さ」
「うん!」


 将来の不安や心配は尽きはしない。
 それでも、クラウドとティファはそれらを抱えても大丈夫だと言える『今』を幸せに思った。
 一人じゃないから…。
 頼りになる仲間達がいる。
 可愛く、しっかり者の子供達もいる。
 そして…。
 誰よりも愛しい人がいる。
 だから…。

 また、新しい一日を迎える事が出来る。


「お休み、クラウド」
「お休み、ティファ。良い夢を」
「クラウドも…、素敵な夢を…」


 新しい一日を迎える為に、二人はゆるゆると眠りに落ちていった。



 お休みなさい、良い夢を…。




あとがき

はい、何だかありがちネタのお話です(汗)。
きっと、マリンは自分でも意識していない内に、心に沢山の思いを抱えてしまうんじゃないかと
思うのです。それが、悪夢と言うかたちで表れてしまうんですが、マリンには素敵な家族がいますから、きっとこんな風にクラウドとティファの温もりに包まれて休めるのではないかと…。
ど、どうでしょうか!?

お付き合い下さり、有難うございました!