壁に背をつけ、静かに深呼吸をする。 ズキン! 今朝から続いている頭痛が、遠慮という言葉を知らないと証するかのようにまた強い痛みをもたらした。 そっと唇を噛んでそんな弱い自分を叱咤する。 見過ごすわけには行かない。 いよいよ、その場の空気がヤバい雰囲気のそれになってきた。 閉じていた目をカッ!と見開いて、一気に飛び出した。 手を伸ばして届くなら…その日、いつものごとく配達の仕事に精を出していたクラウドに、 ― 『クラウドさん、今すぐエッジに戻って下さい!』 ― というリーブの切羽詰った電話がかかってきたのは、まさに晴天の霹靂だった。 クラウドに連絡をすると同時にシドにも連絡をしたリーブの配慮によって、クラウドはほどなくしてシエラ号に拾われ、一路、エッジに向けて舞い戻った。 駆けつけた病室には、浅い息を繰り返しているティファの姿と、ベッドの傍らに涙を浮かべて佇んでいる幼い子供達がいた。 クラウドの姿を認め、抱きついて泣き始めたデンゼルとマリンを強く抱きしめながら、クラウドは視線をティファから逸らせずにいた…。 信じられない。 一言で言えばそういうことになる。 一週間前に配達に出かけた時はあんなに元気だったのに…。 今朝のモーニング・コールもいつもと変わらなかったのに…。 「痴話喧嘩の仲裁に入った…と本人は仰ってるんですが…」 言いにくそうにそう告げたリーブに、クラウドは柳眉を逆立てた。 たかが喧嘩でこんなにティファが傷つくはずがない。 その気持ちはシドも同じだった。 わざわざ口に出さずに、視線だけで『なに言ってやがる!』と睨みつける。 まるでリーブがティファをこんな目にあわせた張本人のように…。 無論、リーブが酷い目にあわせたわけではないのだが、そんな分かりきったことをはるかに超えた憤りに感情が支配されていた。 元凶である人間をはっきり言わないリーブに、僅かながら苛立ちがあったことも、激しい憤りに達した理由になるかもしれない…。 事実、リーブは元凶であるその『痴話喧嘩』をしでかした人間を明かそうとしなかった。 クラウドが積極的に犯人を求めなかったからかもしれないし、元凶である人間の所在を知らせると逆上したクラウドが報復に赴いてしまうと危惧したのかもしれない。 仮にクラウドが元凶である『痴話喧嘩』を起こした人間を問いただしても、彼は答えなかっただろう。 そう。 リーブは嘘をついた。 とても分かりやすい嘘を。 だが、クラウドは問い詰めなかった。 不安と心配で泣きじゃくる子供達を前に、声を荒げることは出来なかった。 そしてまた、シドも奥歯をかみ締めてこらえているクラウドの手前、問いただすことはしなかった。 結局。駆けつけたクラウドとシドは、不得要領のままティファの回復を待つこととなった。 ティファの怪我は一見大したことはなさそうだったが、彼女は中々目を覚まさなかった。 浅い呼吸を繰り返して苦しそうに眉根を寄せている。 WROの医療施設に入院させてもらったティファは、明らかな特別待遇を受けていた。 個室を宛がわれたからだ。 仲間の好意にクラウドは黙って甘えることにした。 いつもならきっと、断っただろうが、今回はことがことだけに個室に入院させてもらえたのはありがたかった。 子供達とシドも一緒に泊まることが出来たからだ。 個室とは言っても、ホテル並みの広さがあり、ソファーも備わっていた。 簡易ベッドを二つ借り、一つにデンゼル、もう一つにマリン。 ソファーにはシドが寝ることになり、クラウドはとてもじゃないが今夜は眠れない、と辞退した。 子供達は心配そうな顔をしたが、 『あの頃の旅と比べたら楽勝だから心配すんな』 というシドの言葉に大人しく従った。 デンゼルとマリンもかなり遅い時間まで起きていたが、流石に日付が変わる頃には簡易ベッドの世話になっていた。 「それにしても…」 子供たちが熟睡してから、クラウドは重い口を開いた。 話したくて仕方なかったことがあった。 だが、それは子供達には聞かせられないことだったため、子供達が寝るのを待っていた。 そしてそれはシドも同じだった。 二人とも分かっていた。 リーブがどうして分かりやすい嘘をついたのか。 それは、子供達には聞かせられないからだ。 ティファがどうして怪我を負い、入院する羽目になったのかという真実が…。 「ティファは何に巻き込まれたんだ…」 「……さぁな…」 ガシガシと頭を掻きながら、陰鬱な声でシドは答えた。 怪我のせいからか、ティファは高熱を出していた。 頭部を冷やし、片腕には点滴のチューブが刺さっている姿は、痛々しくて仕方ない…。 クラウドは胸の奥からこみ上げてくる怒りを、どうにかなだめていた。 ここで一人、怒り狂っても仕方ないし、逆に不利益なことにしかならない。 折角寝付いた子供達が目を覚ますかもしれないし、ここは病院だ。 他の部屋にも闘病生活を送っている入院患者が多数いる。 ティファが目を覚ました時、彼女の意識がない間に自分が常識はずれなことをしでかしたと知ったら、ティファはどれほど自分自身を責めるだろう? 決して、クラウドを責めたりせず、『喧嘩の仲裁』で怪我を負い、入院する羽目になった自分を責めるはずだ。 そんな彼女の姿が自然と目に浮かび、クラウドはギリリ…、と奥歯をかみ締めた。 それにしても…。 疲れ切って簡易ベッドに丸くなって眠っている子供達を見る。 病室に駆け込んだ時の二人の表情…。 普段は大人顔負けにしっかりとした子供達が、年相応に不安がり、泣きじゃくっている姿は心を抉られるような痛みを与えるものだった。 これ以上、子供達を辛い目には合わせられない。 クラウドは必死に苛立ちと強い不安に耐えた。 きっと、彼女は明日になれば目を覚ましてくれるはず…。 医師や看護師が状態を診に来たり、点滴や体温のチェックのために病室を訪れるたびに子供達は必死な顔で、 『ティファは本当に大丈夫なの?』 『なぁ、いつになったら目を覚ますんだ?』 『本当に、本当に…大丈夫なの?』 『俺……本当のことを教えて欲しい』 そう切実に訴えた。 その度に、医師と看護師は、 『大丈夫だよ』 『今はまだショック状態だから眠ってるけど、一晩ぐっすり眠ったら起きてくれるわ』 『彼女は基礎体力がしっかりしてるから、回復も早いはずだよ』 『特に骨折とか内臓に傷を負ったという大変なことは一切ないから、心配だろうけど…安心して良いよ』 そう言って、優しい微笑と温かい言葉を与えてくれたのだから。 クラウドがこうして冷静にシドと話しが出来るのも、医師と看護師の影響が大きい。 眉根を寄せて眠るティファを見つめるのは、なんとも胸が痛くて仕方ない。 『俺が替わってやりたい!』 強くそう思う。 そして、彼女が何に巻き込まれたにしろ、その現場に自分がいなかったことが悔しくて仕方ない。 もしも今日の配達がなかったら…? もしも彼女がその喧嘩の現場にいなかったら…? そこまで考えて、クラウドはフッと疑問が湧いた。 「なぁ、シド」 「あん…?」 「ティファはどこでこの怪我を負ったんだ?」 「…あ………」 二人して顔を見合わせる。 ティファが怪我をして寝込んでいるという信じられない大事件を前にして、肝心の『どこで』怪我を負ったのか、聞くのを忘れていた。 二人は互いに顔を見合わせて首を捻った。 そう…。 おかしい。 確かに、『どこで』怪我をして『どういうルート』でWROのリーブがティファの怪我を把握したのか…。 おまけに運ばれた病院はWROの医療施設。 ― 『……なんでWROなんだ…?』 ― WROの医療施設は確かにエッジ近郊にあるので、さほど不思議に思う必要はないのかもしれない。 だが、WROの医療施設は素晴らしく、その絶大な力はこの星の中でぬきんでている。 それゆえに、医療施設で治療して欲しいと望んでいる病を持つ者達は、こぞってWRO本部に入院許可を求めていた。 しかし、膨大なその患者全てを受け入れるなど、到底出来ない。 それに、元々WROの医療施設は、WRO隊員を対象として存在していたのだ。 だが、その素晴らしい医療技術をWRO隊員のみに使い、一般の人達が傷病により苦しんでいるそれを放っておく事など、倫理に反する。 と言うのは、『あらゆる星の敵と戦う組織』ことを理念として掲げているWROにとって、矛盾することとなるからだ。 だから、WROの医療施設は『難病』と称される疾病を抱えている人達の受け入れを専門的に行っていた。 それなのに。 「なんで…WROの医療施設に…?」 考えれば考えるほど、イヤな予感する。 二人して黙り込み、視線を交わした。 お互い同じことを想像したのだと分かった。 「…本当にこの姉ちゃんは…」 シドは溜め息をついたが、その溜め息の中には仲間を誇りに思う温もりと敬愛の念が込められていた。 一方、クラウドはシドとは対照的だった。 自分が予想したことが仮に事実だとして、それを自分はシドのように『相変わらずだなぁ』とか『お人よしだなぁ』と思うことは出来ない。 クラウドの胸の中に、今あるのはたった一つ。 「……なんでもっと、自分を大切にしない……!」 シドがギョッとしてクラウドを見た。 そして、クラウドの顔を見てまたもやギョッとする。 うっかり、思ったことが口に出てしまったことにようやく気づいた。 クラウドはバツが悪そうにシドから顔を背けた。 紺碧の瞳を苦渋の思いで一杯にし、形の良い眉を寄せて…。 苦悩と悔しさの入り混じったその横顔。 シドはフ〜ッ…と息を吐き出すと、唇を引き結んでこわばった顔をしているクラウドの肩にそっと手を置いた。 「でもよ。それがティファのティファらしさ…だろ?」 おめぇだって分かってんだろ? 付け加えられた最後の台詞に、クラウドは危うくシドの手を振り払うことをぐっとこらえた。 「……分かってるさ……分かってる……」 力なく繰り返すクラウドに、シドは少し強く肩を叩いた。 「大丈夫だ。それよりも、ティファが起きた時、あんまりティファを怒るじゃねぇぜ?」 「………分かった……」 シドは渋々承諾したクラウドに、ニッ、とニヒルに笑うと、ソファーにゆったりと身を横たえた。 ほどなくして、シドはいびきを掻き始めた。 子供達が目を覚ましてしまうかもしれない、と最初は心配したクラウドだったが、バレットほどではないということと、子供達自身も疲れ切っているらしく、良く眠っている姿にホッと安堵の溜め息をついた。 もしも子供達が目を覚ましそうな気配が少しでも感じられたら、シドには悪いが起きてもらうつもりだった。 「……ありがとう…」 ソファーで眠っているシドの寝顔を見ながらポツリと呟く。 彼自身、急な集合で疲れていたはずだ。 それを、文句も言わないでこんな時間まで付き合ってくれた。 少しだけ落ち着いたのか、ようやっとそのありがたみに気づき、胸が温かくなる。 それにしても…。 クラウドは視線をティファに戻した。 ベッド脇の椅子を引き寄せてそっと腰を下ろす。 ティファはどこで怪我を負ったのか…。 それに、怪我のための発熱にしては、熱が高すぎる気がする…。 あの旅の最中、幾度も怪我を追い、その度に皆、微熱を出したり、時には宿屋で何泊かしなければいけないような事態になったことはある。 だが、ここまでうなされたり、高熱で苦しんだことがあっただろうか…? クラウドはそっと手を伸ばして、汗で張り付いたティファの前髪を額からそっと払った。 …と。 「 !? 」 ゆっくり瞼が動いた。 そのまま、息を殺して凝視するクラウドに応える様に、ゆっくり…、ゆっくりと目が開いた。 「ティ…!」 思わず大きな声が出そうになり、クラウドはハッ!と口をつぐんだ。 手で口を覆い、虚ろな目で自分を見上げるティファを見つめる。 ティファは高熱のためか、それとも長い時間眠っていたせいで頭がはっきりしないのか、ぼんやりと天井、ベッド周り、そしてクラウドへと視線を彷徨わせた。 「…クラウド……?」 か細いその声に、不覚にも涙が出そうになる。 クラウドはティファの瞳一杯に自分が映るように顔を近づけた。 ティファの熱い吐息が鼻先に当たる。 「………良かった…」 一言。 その一言が震えて上手くならない。 だが、ティファにはちゃんと伝わったようだ。 ゆっくりと点滴の刺さっていない方の手が持ち上がり、クラウドの頬を撫でる。 震える指先は、とても熱かった…。 「ごめんなさい……私……」 「…良いんだ…」 こみ上げてくる熱い想い。 愛しい人が無事に目を覚ましてくれた歓喜の念。 クラウドはそのまま、そっとティファに口付けた。 * 「……それでね。どうしても私…、見て見ぬふりは出来なかったの…」 目を覚ましたティファは、ポツリポツリと真相を話した。 クラウドは、もう一度眠って朝になってから改めて話を聞く、と言ったのだが、ティファは淡く微笑みながら首を横に振った。 そして今。 真相を知らされたクラウドは、ティファの『ティファらしい行動』に怒って良いのやら、嘆いて良いのやら分からず、眉根を寄せて黙りこくった。 ティファはクラウドの複雑な胸のうちを察したのだろう。 悲しそうに眉根を寄せて、 「…ごめんなさい…」 何度目かの謝罪の言葉を口にした。 クラウドはティファが話し終えてから暫し、両膝の上で組み合わせた手を額に押し付け、苦悩の様を見せていた。 だが、数回目のその謝罪の言葉に、ノロノロと顔を上げた。 その目には、怒りも悲しみも苛立ちもなかった…。 静かな湖面のような……温かなブルー。 「ティファ…」 そっと彼女の名を呼んで、再び腰を上げる。 彼女のベッドに腰をかけて、覆いかぶさるようにして柔らかく抱きしめた。 ティファも、クラウドの背に片腕を回して手を添える。 少しの間、そのまま互いの鼓動を聞いていた二人だったが、やがてクラウドは少しだけ体を離した。 至近距離でティファを見つめる。 ティファもクラウドから目を逸らさなかった。 「ティファ。俺はティファの気持ち、とても良く分かる。俺がティファでも同じことをした」 ティファは黙って続きを待った。 「でも…」 クラウドは言葉を切って、少し目を伏せた。 言葉を探しているのだ…。 再び目を上げて、ティファの茶色の瞳を真っ直ぐ見つめる。 「頼むから、今度からはやめて欲しい。勿論、体調が万全で充分闘えるなら問題ない。ティファの格闘技に太刀打ち出来る人間なんかそうそういないからな。だけど…」 そっと彼女の燃えるような頬に手を添える。 ピクリ…と、ティファは震えた。 それは恐れや、悔恨の念ではない。 クラウドの想いが大きくて、その歓びゆえに震えたのだ。 「今日みたいに風邪を引いて高熱が出ている時は、すぐに警察やWROに連絡をしてくれ。間違っても、無頼漢相手に大立ち回りをしないで欲しい」 俺や子供達のためにも…。 クラウドの切々と訴えるその言葉に、ティファの目から涙が零れた。 「うん……ごめんなさい」 「…良いんだ…」 「うん……」 「……本当に……ティファが無事で良かった…」 そして、二人はもう一度、誓いの儀式のように口付けを交わした。 * 『朝から熱が出てて…。でも、解熱剤を飲んだら大丈夫かと思ったの』 『ドラッグストアに行く途中で、ひ弱そうな男の人がガラの悪い人達に囲まれて裏路地に行くのが見えて…』 『なんだか凄くイヤな雰囲気がしてたから…気になって…』 『それで後をつけたら、案の定、恐喝されてたの』 『私…、どうしても我慢出来なくて…』 『だって、私なら助けられるって思ったの。熱が出てても…、頭が痛くても…。それにどうしても我慢できなかったの…』 『だから……』 『結局、ガラの悪い連中は前々からWROが張り込みしてた人達だったから、すぐに駆けつけてくれたんだけど…』 『頭は痛いし、目は焦点が合わないしで、気がついたら後ろに回りこまれてて…』 『大丈夫。なんとか防いだから。でも、それから後のことがあまり記憶になくて…』 『ごめんね、クラウド。デンゼルやマリン、それにシドにも心配沢山かけちゃったって分かってる。でもね…』 『手を伸ばして、それが届くなら…』 『私は…やっぱり助けたい…』 クラウドは今、少し熱が下がってきたお陰で安らかな寝息を立てているティファを見て、感じずにはいられない。 彼女の本当の強さを。 そして。 彼女の弱さを。 自分の体調が万全でないのに、戦いに身を投じるなど言語道断だ。 だが、それでも『見殺しに出来ない』と強く思ってしまうのだ、ティファは。 そういう人だ。 だからこそ、クラウドはティファに惹かれている。 彼女の強さと優しさに。 「手を伸ばして届くなら……か」 じっと自分の手を見つめてクラウドは呟いた。 この手で、何が出来るだろう? この手で出来ることはたかが知れている。 だが…。 「守ってみせる」 強く握り締めて、そう己に再度誓う。 今度こそ、自分の出来る精一杯をかけて、大切な者達を守ってみせる。 眠るティファの額に口付け、クラウドは己自身にそう誓いを立てた。 ― 手を伸ばして…それが届くなら…。― ― 決して躊躇わずに守ってみせる ― あとがき ティファはなんだかんだ言って、かなり無茶をしそうな気がします。 そして、それはクラウドもそうだと思うんですよね。 やっぱり、ジェノバ戦役の英雄達は、大切な仲間を目の前で失ったという辛い経験を持っているので、自分が不利になると分かっても、突っ込んでいくと思います。 そんなお話しを書いてみたくなりました。 |