レグルス(Regulus)
獅子の星の中で一番明るい光。意味はラテン語で『小さな王』




The fifth star




音も無く暗く沈んだ店内。
まだ昼間なのに、ひとけが無いセブンスヘブンのカウンターには、暫く使われていない様子の細長いグラスが、外から進入してくる日の光をにぶく反射している。
ブラインドからもれてくる太陽の破片が、くすんだ店の床と、天井のシーリングファンから風も無いのに時折落下する埃をささやかに照らしていた。
雑然と並んだ蒸留酒の瓶。
テーブルを拭いている途中で放置され、水分を失って干からびている小さなタオル。
花瓶の一輪の花は茶色くしおれ、花びらも落ちて元の名前がわからないただの枯れた植物として、その場に立ったまま寂しそうに店内を見回し続けている。
それはもう、ひと月以上も前から続いている光景だった。
いつもそこで笑顔を振りまいていたうら若き店の女主人は、埃がうっすらと積もったカウンターの中にその姿を残していない。
毎晩賑やかに人々を向かい入れていた人気店は、見る影も泣く闇に消えようかという様子で、一秒、また一秒と時を店中の空気の中に刻んでいく。
外からは、賑やかな街の喧噪が聞こえてきている。
だけど、ここだけはまるで切り離された廃墟の中の薄暗い一室のように静まり返っていた。




音も無く、もう一度天井から埃が舞い落ちると、ふいに、大きな震える機械音が近づいてきた。
さっきまで通り過ぎていた数々のエンジン音とは違い、それは心持ち静かに、そして緩やかに道路に音を響かせて店の前で停止した。
幼い声と複数の靴音、そして車のドアを開け閉めする音が響く。
扉が震えノブが回される。
久しぶりに開いたその店の扉は少し軋んで、だけどそれは何かの歓喜の声のようにも聞こえた。

「うわー、結構すさんでるね」
「悪い。掃除する暇も無くて」

一気に埃が外へ飛び出したような気がする。
白く煙っていた店内は、開け放した店の大きな扉から全て飛び出して行くように襲い掛かってきて、腕の中の大切なものを守るようにティファは身をよじらせた。

「みんな忙しかったもんね……、本当にゴメンね」
「いいよ。俺が後で掃除する」
「俺もやるよ!」
「私も!!」

クラウドに続けと、声を揃えて主張する子供達 ──デンゼルとマリンを見下ろすティファは、前よりも少しだけふっくらとした頬に嬉しさの色を乗せて微笑み返した。

「ありがとう、あ……」

ティファの手の中で盛大に泣き出した小さな命の塊が、自分も仲間に入れてくれと言わんばかりに小さな口から精一杯声を張り上げる。

「どうしたの、レグルスは。お腹すいてるのかな」
「オムツかもね。デンゼル、鞄持ってきてくれる?」
「オッケー!」

テキパキと手慣れた様子の女性陣とは真逆なのが、まだ何もしていないくせに、目は泳ぎ、呼吸は荒く、何故か玉のような汗が額に張り付いている、これでもこの中では一番年上の青年 ──クラウド=ストライフである。
くすんだ金髪の下の碧眼がおろおろと動き、まるで初めて都会に出てきた10代の若者のように落ち着きが無い。
手の中の赤ん坊を愛しそうに見つめ、優しく揺らしているティファ。
その美しさにますます磨きがかかったような、暖かい母親の表情に見惚れ、また胸元にいる命に目が移ると、知らない土地に投げ出されどうしたらいいかわからない子供のような表情に戻る。
デンゼルから鞄を受け取り、カウンター横のスツールで手際良くオムツを替えてやると、ティファはまた赤ん坊を抱き上げ直した。
その一連の流れるような動作を、ボンヤリと見ているクラウドは、クスクスと鈴が鳴るような声で笑うティファと目が合う。

「クラウド。疲れちゃった?」
「いや、俺は大丈夫……」

大変なのはティファの方なのに、何だか情けない気持ちが全身に広がり、ついくせで頭を思いきりかいてしまう。
その間にもデンゼルは、店の窓を全て開け放ちバケツに水を溜め、手際よくセブンスヘブンの掃除を始めていた。
マリンはキッチンでお湯を沸かし、冷蔵庫から何かを取り出したり整理したりしている。
そうやって、ただ突っ立ったままの自分が一番何もしていないような気がして ──実際、呆然としていたわけだが── ハッと気が付いたように我を取り戻した。

「なぁ、ティファ。重いだろ。そろそろ、その、寝かせたらどうだ?なんなら上のベッドに……」
「そうだね。じゃあ、お願い」

『お父さん』と、一言一言区切るように、いたずらっぽくそう笑って言うティファ。
その白い腕から差し出された、小さくて、でもしっかりとした生命力に満ち溢れている、力強ささえ感じさせる存在。
クラウドとティファの息子、レグルスだ。
『ひっ』とまるでギャグ漫画のように喉を鳴らすと、硬直したような腕を無理やりに動かし、危なっかしい手つきで『彼』を抱き上げた。

「落とさないでね」
「ん、うん……、なんだって?」

顔をこわばらせ、心ここにあらずと言った雰囲気のクラウドに、思わず吹き出してしまうティファだったが、彼の腕はシッカリとそして優しくレグルスを包み、抱きしめているのを見て安心する。
そんなクラウドは、まるで自分自身がはじめて歩き出す赤ん坊のような動きで、そろそろと二階へ向かい始めていた。
それを見てまた吹き出しそうになってしまうティファは、デンゼルとマリンに声をかけ、自分も階段を上がり始めた。




「お店、いつからやるの?」
「そうねぇ、明日からでも良いけど……。マリンも、もう料理できるし、私がいれば開店しても良いよね」

デンゼルとマリンのおかげで、すっかり元通り以上に綺麗になったセブンスヘブンのカウンター。
全て洗いなおされた食器と、力いっぱい磨かれた床は眩しいくらいに輝いている。
ソファーのカバーも洗濯済みだ。
シーリングファンに積もっていた埃も全て取り払われた。それを嬉しそうに見回すティファは、いつもは閉店後くらいにしか座らないスツールに腰掛けてマリンの入れた紅茶を飲んでいた。
レグルスは二階でクラウドが見ている。
デンゼルは、ジョニーの店へ今夜の食事を手配をしに行ってくれていた。
街はそろそろ夜の顔を見せようという時間で、時折、店の前を通りかかった常連客が、嬉しそうに顔を輝かせながら、労いの言葉と冗談交じりの冷やかしを投げかけていく。
こんな風に、ゆっくりと座ってお茶を飲むなんて何ヶ月ぶりだろう。
子供が出来たとわかってからも、暫くは店を続けていたティファだったが、家族の反対により、七ヶ月を過ぎた頃にいったんセブンスヘブンを閉める事にした。
少しだけ目立ってきたお腹の理由とともに、サービスの料理を出しながら休業宣言をした時には、店中の常連客が盛大なため息をついたものだった。
だけど、そこは陽気なセブンスヘブンの客の事。
次の瞬間には、一斉に歓喜の言葉と祝福する意味の歌を大合唱。
ちょうど帰宅したクラウドも、目を丸くしながら事情を知ると嬉しそうに顔をほころばせたものだった。
それからがもっと大変だった。
『ガキが生まれるまでみんなでうちに来い』と言うシドの提案に、人生と出産の先輩としてシエラを敬愛し慕っているティファは即答でそれに賛成する。
だが長時間の飛空挺乗船と、数ヶ月の無理がたたったのか、ロケット村に付いた途端にティファが体調を崩す事になる。
連絡を受け、激怒した主治医のカドワキの指示の元、一週間以上かけてゆっくりとエッジまで舞い戻ってきたティファは、そのまま病院のベッドに縛り付けられる生活へと突入する。
デンゼルとマリンをバレットの元に預けたはいいが、『やっぱり、クラウドだけじゃ母ちゃんを任せられない!』と即座に戻ってきた二人に、嬉しくて涙ぐんでしまったティファ。
それを見て、子供達に気を使わせてしまったと情けない気持ちでいっぱいになるが、実は内心、ティファと同じく嬉しくて仕方が無いクラウドであった。
そんなクラウドの気持ちを知らされたのは、ついさっき、ティファが一階に降りようとする直前の事。
産まれてくる子供のために仕事を増やしたとはいえ、学校へ行きながらティファの世話や家の事、それを完璧にやってのけた子供達の事を思うと、忙しく店の事にまで気が回らなかったのはやはり申し訳がない。
自分に任せろといった手前だが、クラウドもまさか、ひと月くらいでこんなにもすさんでしまうとは予想もしていなかった。
それまで、いかにティファが気を配り、店を綺麗に保っていたのかが改めて実感できた。
『ありがとう』とぽつりと呟いたクラウドは、あの頃、あの星空の下で約束しながら照れていた子供のような表情とまったく変っていなかった。




食事も入浴も済ませ、さすがに疲れきったデンゼルとマリンは早々に床についていた。
まだ10歳と12歳なのに、いつも大人以上の働きをしてくれる二人には、かける言葉が見つからないくらいに感謝している。
自分達の本当の子供というわけではないが、それ以上に大切で、いなくてはならない存在のデンゼルとマリン。
守ってきたつもりで、本当はこちらが支えられてきたのかもしれない。
そろそろ別の部屋を作ってあげないと、と考えながら、相変わらず仲良くベッドを並べて眠っている二人に順番にキスを贈ると、子供部屋の扉をそっと閉める。
クラウドはというと、入浴の時以外、片時も赤ん坊から離れようとしないで、今もベビーベッドの傍らに座り込んでレグルスの顔を見つめ続けていた。

「ティファ、こっち」
「うん」

シャワーを済ませて部屋に入ってきたティファを、笑顔で向かい入れたクラウドが、とても産後には見えない妻のその細い腰を引き寄せて傍らに座らせた。

「こんなに小さいのに……」
「ん?」
「生きてるんだな、強く。ほら」

クラウドが差し出した人差し指を、手のひらいっぱいで掴み、何故か嬉しそうにきゃあきゃあと笑ってみせるレグルスに、思わず二人してつられて微笑んでしまう。
レグルスの頭髪はくすんだ金、瞳は優しい紅茶色の光を発している。
時折子供らしくない鋭さを見せる目元は、クラウドに良く似ていた。
だけど次の瞬間にまたたくまに目じりが下がる様子は、やはり母親譲りの優しさを帯びている。
『お二人に似ているから、きっと素敵な男性になりますよ』
助産婦から言われたその一言は、両親ともども顔を真っ赤にさせる魔力を帯びているようだった。

「頑張らないとな……」
「うん?」

ぽつりと呟いたクラウド、その声色に何かの決意を読み取ったティファが、彼の綺麗な伏せたまつげを目を細めながら眩しそうに覗き込んだ。

「ティファとレグルス、デンゼルとマリンを食わせないといけないからな」
「うん……、でも無理しないでね。クラウドが倒れたら嫌だから」
「俺は大丈夫。体力馬鹿ですから」

そう、おどけて言う『父親』
その顔は、昔よりもずっと穏やかになってきている。
優しくて、柔らかくて、ずっと見つめていると、大きな手のひらで抱かれているような気持ちになる、暖かい表情。

「クラウドは細いからね。心配になっちゃう」
「もっと太ったほうがいいか」
「貫禄つけたほうがいいかもね。もう、お父さんなんだから」

そう言って楽しそうに笑っているティファは、子供を産んだようにはとても見えない、あの頃と変らない少女のような笑顔で微笑んだ。
その表情は、ベビーベッドで未だ嬉しそうにはしゃいでいるレグルスと、瓜二つの双子のように重なって見える。
(……俺も親父になったんだ)
いや、まだこれからだ。
レグルスと一緒に、自分も育っていかなければいけない。
成長し、家族を支える事が出来る立派な父親にならなければいけない。
そのためにはどんな苦労だっていとわない覚悟だ。
明日からは暫く仕事を休み ──そうしても支障が無いくらいにこの数ヶ月、稼ぎまくった── ティファとレグルスのために家に居よう。
デンゼルとマリンが安心して帰宅できるように、暖かい安らぎの空間を作り上げたい。
不器用な自分には難しい事かもしれない。
だけど、大丈夫。
ティファとレグルス、そしてデンゼルとマリンが居れば何だって出来る気がしてくる。
今日からストライフ家に加わった、五番目の星、レグルスが『きっと大丈夫だよ』と言うようにまた笑って見せた。
見上げた空のカーテンを引いていない窓に、大きな百獣の王の形をした星座が見えるのに気が付いたのは、部屋の灯りを落とし眠りに付こうとしていた時間。
それは、まだ夜が始まったばかりの大きな街、ネオンの明かりが眩しく、空が見えなくなることもしばしあるエッジではとても珍しい事だった。
ティファに呼ばれ振り向いたクラウドの背後で、無数の流星群が、まるで祝福する紙吹雪のように獅子座の一番大きな光──レグルスの周りに舞い落ちていった。














感想

何て心がホッコリする小説でしょう(;;)。もう、転載OKとの事で即ゲットしてしまいました!!
ああ、こんな幸せホカホカのクラティファミリーをぜひ映像で拝みたいものです(遠い目)。
本当に、凄く描写も細かく、素晴らしいの一言の小説をフリー配布される朱里様の懐の大きさには脱帽です!
こんな素敵な小説を、「お宝部屋」に飾れるマナフィッシュは幸せ者です(感涙)。
朱里様、本当にありがとうございました!!