「生きてるって不思議だと思わない?」



別れるその日まで




 閉店したセブンスヘブンの店内では、帰宅したばかりのクラウドが、ティファの煎れてくれた珈琲を飲んでいた。
 店の窓を、雨が叩く音が閉店後の店に響く。
 その音を聞きながら、ティファと静かな時を過ごしていたのだが、何の話の脈絡もなく投げかけられた質問に、クラウドは目を丸くした。
「何だ、いきなり」
「ん、何となく…」
 持っていた珈琲をテーブルに置き、前に座っているティファを見る。
 ティファはどこか遠い目をしているように見えた。
 悲しそうな…、それでいて酷く疲れているその表情に、胸が嫌な感じにざわつく。
「具合でも悪いのか?」
 思わずティファの額に手を伸ばす。
 しかし、触れたその手からは特に熱すぎることも無い、彼女の温もりしか伝えなかった。
「ん〜ん、悪くないよ…」
「じゃあ、疲れたのか?」
「ん〜、そりゃ、仕事の後だもん。疲れた…かな?」
「ティファ」
 どこかつかみどころの無い彼女の返答、そして決して自分を見ようとしない彼女に、段々不安と苛立ちが込み上げてくる。
 思わず詰るような声を出したクラウドに、ティファは漸く茶色の瞳を青年に移した。
「フフ、ごめんね、変な事言ったりして…」
 そうして、クラウドが何も言う前に席を立つと、自分のカップを持ってカウンターの中へ行ってしまった。
 彼女に触れた手を握り締め、どこか覇気のない彼女の背を目で追う。

『何があったんだ…?』

 いつもの彼女と明らかに違う様子に、何かがあったと思わざるを得ない。
 しかし、彼女は彼女自身の事に関したらどこまでも我慢してしまう。
 もっと頼ってくれれば良いのに…、甘えてくれれば良いのに…。
 そうクラウドが願っている事などティファは百も承知しているにもかかわらず、それでも彼女は己を厳しく律している。
 そして、そんな彼女だからこそ、今夜これほどまでにいつもと違う彼女になっている原因を、ストレートで尋ねても決して話してはくれないだろう。
 彼女が何か悩んでいるのか…、それとも悲しんでいるのかは分からないが、彼女が苦しんでいるなら共にそれに立ち向かっていきたいと思っているのに…。
 シンとした店内に、カップを洗う水音が響く。
 それもすぐに洗い終わってしまった為、完全な沈黙が二人の間に横たわった。

 カップを洗い終わった後も、ティファはカウンターの中でボンヤリとしていた。
 クラウドは、声をかけることも出来ず、暫し虚ろな表情の彼女を見つめていたが、やがて一つ大きな溜め息を吐くと席を立った。
「じゃ、悪いけど先に休む」
 カウンターを通り過ぎ様にティファに声をかけ、彼女の返事も聞かずに二階へ向かった。
 本当なら、彼女と一緒に寝室へ戻るくらいの配慮をするべきだと分かってはいた。
 しかし、心ここにあらずといった彼女を包み込めるだけの余裕が、今のクラウドには無かった。
 今日は、配達の仕事でいつも以上に疲れていたのだ。
 わがままな依頼主と膨大な荷物。
 それに加えて、悪天候だった今日の仕事は、心身ともにクラウドを疲弊させた。

 疲れ切った身体をベッドに横たえ、目を閉じる。
 頭の天辺から足の先まで、鉛を詰め込んだかのように重い。
 横になるとすぐ、睡魔がクラウドを支配した。


 クラウドが規則正しい寝息を立て始めた頃、漸くティファが寝室へ戻って来た。
 そっとドアを開けて中に入る。
 顔半分が見えなくなるほどスッポリとシーツに包まって眠るクラウドを、ティファが暫く無言のまま見つめていた。
 そっと手を伸ばし、癖のある黄金色の髪を梳く。
「ごめんね、クラウド…。今日は、疲れてたのにね…」
 眠る青年にポツポツと語りかける。
「でもね…、つい甘えちゃうの。クラウドの顔見たら、安心しちゃうんだ…」
 手を止め、ベッドに腰掛ける。
 ベッドのスプリングが小さくきしむが、それでも目を覚まさない。
「あのね…。今日、常連さんの奥さんが亡くなったって聞いたの。いつも明るくて冗談ばっかり言ってる常連さんが、涙で顔をグショグショにしててね…。それなのに、私、何も言えなかったのよ…。あの時と一緒ね。何にも出来ないの…。誰が苦しんでても、私は力になれないのよ…」
 そっと腕に巻いているリボンに触れ、目を閉じる。
 その姿は、未だに過去の傷が彼女を深く捕らえて離さない事を如実に語っていた。
「そんな事考えてたら、これから先、クラウドや子供達や仲間の皆とも、いつかはお別れしなくちゃいけない日が必ず来るんだなぁ…って思っちゃったの」


 だから、変な事言っちゃった…。
 ごめんね、疲れてる時にこんな話し、聞きたくなかったよね…。
 でもね…。
 常連さんを見てたら、つくづく『不思議だなぁ』って思ったの。
 どうして『命』があって『死』があるのかなぁって…。
 生まれた瞬間から『死』に向かって生きてるわけでしょ?
 『死』というゴールに向かって生きてるわけなんだよね…?
 でも、そのゴールに着いた時、それまで一緒にいた人とお別れしなくちゃいけないでしょ?
 それって、本当に寂しいな…、って思ったの。
 勿論、星に還るとエアリスやザックスや、他の先に還って行った人達とまた会える事なんだろうけど、でも生きてる人達とは、もう同じ時を過ごせないでしょ?
 そう考えると、何だかとっても憂鬱な気分になっちゃった。
 それに…。
 涙を流す常連さんを見てたら、ついクラウドの事考えちゃった…。
 私が死んだら、クラウドも……。
 フフ、バカよねぇ、私って。
 考えても仕方ない事だって分かってるんだけど、ついつい色々想像しちゃって。

 もしもクラウドが案外寂しがってくれなかったら悲しいな…とか。
 クラウドの隣に他の女の人が立つ様になったら腹が立つな…とか。
 それでも、やっぱりクラウドには素敵な人と一緒に幸せになって欲しいな…なんて考えたりして。
 あ、もしもクラウドが私より先に星に還る場合の事、考えてなかったな…。
 うん、クラウドがもし私より先に星に還ったら、私も他に素敵な人……。
 あ〜、絶対に無理!
 想像出来ない、そんな人。
 それに、きっと他の人探す余裕なんか絶対に無いわ。
 だって、私独りで子供達育てなくちゃいけないんだし!
 うん、それに…。
 寂しくて、悲しくて、病気になる可能性のほうがうんと高いわね。
 私って、周りの皆が思ってるほど強くないんだもの。
 それに、欲張りだし。
 今の幸せを知ってしまったから、これ以上の幸せを望んでしまうの。
 だから、クラウドがもし、私よりも先に還る事があったとしたら、クラウド以上の人を探そうとして挫折するわ。
 絶対に妥協なんか出来ないもの。


 静かに眠る青年の寝顔に、ポツポツと時折声を出して語りかけ、雨音に耳を澄まし、そして最後にはやんわりと笑みを浮かべた。
「今日はごめんね。明日からはいつも通りになるから…」

 そう言うと、自分もそっとベッドの中に潜り込んで目を閉じた。



 目を覚ましたら、いつも通り静かに眠る彼女の寝顔が目の前にあった。
 その事に、クラウドはホッと息を吐くと、彼女の肩にシーツをかける。
 昨夜の事が、そのまま引き続き思い起こされる。
 昨夜は自分に余裕が無かった為、いつもと様子の違う彼女を労わることが出来なかった。
「全く、情けないよな…」
 そっと眠る彼女に腕を回す。
 力を入れたら呆気なく折れてしまうのではないかと思えるほど華奢な身体に、一体どれ程の重荷を背負っているのか…。
 本当は、もっと自分がしっかりと彼女の支えになれるようにしなければならないというのに、いつも彼女に支えてもらっている。
「はぁ、全く…」
 朝から溜め息とは何ともスタートの悪い一日だが、それもこれも、不甲斐ない自分のせいなので誰にも文句は言えない。
 時計に目をやると、五時を少し過ぎた頃だった。
 まだ眠ってて良い時間だが、今から眠り込む事の出来る時間…というわけでもない。
 それに、完全に目が覚めてしまった。
 暫し眠る彼女の顔を眺めていたが、やがてその額に唇を落とすと、彼女を起こさないようそっとベッドから抜け出した。



「あれ、クラウド?」
「あ、本当だ!」
 店内に降りて来た子供達は、カウンターの中でエプロンを着け、朝食を作っているクラウドに目を丸くした。
「おはよう、二人共」
「あ、おはよう!」
「おはよう、クラウド!!」
 元気一杯に挨拶する子供達に、目を細めて二人の頭をポンポン軽く叩く。
「ティファはどうしたの?」
「ああ、まだ寝てる。って言うか、いつもよりも早いだろ?二人こそどうしたんだ?」
 皿を出しながら訊ねるマリンに、逆にクラウドが質問をする。
 時計を見ると、まだ六時半を過ぎたばかりだ。
「ああ、今朝は俺達で朝食作ろう!って事にしてたんだ」
「どうして?」
 珈琲メーカーに豆をセットしながらデンゼルを見る。
「ん〜、何だか昨日、ティファがいつも以上にしんどそうだったから」
 心配そうに眉を寄せる子供達に、昨夜のティファの様子が脳裏に甦る。
「やっぱり昨日、何かあったのか?」
「え?やっぱりって…?」
「ああ…。俺が帰ってからも、何だか『心ここにあらず』って感じだったからな」
「クラウドが帰った時もしんどそうだったんだ…」
 レタスを水で洗いながら、マリンがポツンとこぼした。
 それきり三人とも黙り込んでしまい、聞こえてくるのは朝からの雨音だけ。
 その音が、余計に物悲しく、不安な気持ちに拍車をかける。
「なぁ、クラウド…」
「ん?」
「今日も仕事なのか?」
 おずおずと見上げるデンゼルの瞳に、クラウドは憂鬱そうに頷いた。
 デンゼルの言いたい事は分かる。
 仕事を休んで欲しいんだろう。
 出来る事なら、言われなくても休みたい。
 しかし、信用第一の仕事だ。滅多な事ではこちらからキャンセル出来ない。
 それに、特に大きな理由もなく仕事をキャンセルすると、心配性な彼女の事だ。

『もう、そんなに心配しないで!お願いだから仕事に行って、今すぐに!!』

 と追い出されるようにして結局は仕事に行かなくてはならなくなるだろう…。
「「「はぁ〜〜〜…」」」
 カウンターの中で、三人の溜め息が重く吐き出される。
「ところで、昨日何かあったのか?」
「何かって?」
 気を取り直してきゅうりを切り始めたマリンがキョトンと見上げる。
「いや、ティファが何かドッと疲れる事とか…」
「「う〜〜ん…」」
 えらく抽象的な表現に、子供達は揃って首を捻る。
「何かあったっけ…?」
「私は特に気付かなかったけど…」
「そうか…」
「「「…………」」」
 再び訪れた沈黙に、弱まらない雨音が店内に響く。

「ティファって、自分の悩み、あんまり話さないもんな…」
 ポツリとデンゼルがこぼした。
 その零れた言葉の中には、寂しさが含まれている。
「そうなんだよな…」
「え、クラウドにも言わないの?」
 目を丸くして見上げる子供達に、クラウドは肩を竦めた。
「あのティファだぞ?そんなに言うわけないだろ…」
「……そうだよね…」
「でもさ、俺達に比べたらクラウドの方がうんと相談とかされてるだろ?」
 何だか慰めるように一生懸命なデンゼルに、思わず苦笑する。
「…まぁ、デンゼルやマリンに比べたらほんの少しはされてると思うが…、本当に少しだけだぞ?」
「…そうなの?」
「ああ……」
「「「…………」」」
 三度訪れた沈黙に、三人は再び溜め息を吐いた。
 珈琲メーカーが、コポコポと音を立て、良い香りを漂わせる。

「それにしても、ティファ、遅いね」
 時計を見てマリンが心配そうな声を出す。
 時間は七時を過ぎようとしていた。
 いつもならとっくに起きている時間だ。
「デンゼル、悪いがティファを見てきてくれないか?」
 自分の分のトーストを焼きながら、少々慌てて仕事に行く準備に取り掛かったクラウドに、デンゼルはコックリ頷くと二階へ向かった。

 やがて、デンゼルが困った顔をして降りてきた。
「ティファは?」
 マリンがテーブルにサラダや珈琲を運びながら声をかける。
「ん〜、まだ寝てるんだ」
「まだ!?」
「具合、悪そうだったか?」
 眉を寄せるクラウドとマリンに、デンゼルは頭を掻きながら「う〜ん」と一つ唸る。
「具合は悪そうじゃなかったんだ。おでこ触ったけど熱くなかったし。何だか只単に、疲れて寝てるって感じがした」
「…そうか…」
 昨日のティファの疲れた顔を思い出す。

 本当に、ティファには負担かけてばっかりだな。

「デンゼル、マリン。今夜は店を休むようにティファに言ってくれ。昼くらいに俺も電話するけど…」
 時計を見ながら子供達にそうお願いする。
 もう出なくてはいけない時間になっていた。
 食べかけのトーストを口に押し込み、珈琲で無理やり流し込む。
「クラウド、今日は早く帰ってくる?」
「ああ、今日は途中で仕事を請けたりしないようにするからな。夕飯までには帰れるはずだ。だから、久しぶりに家族揃ってゆっくり夕飯食べれるぞ」
「本当!?」
「ああ。ティファにそう言っておいてくれ。家族水入らずでのんびりした言ってな」
 でないと、無理して店を開けそうだからな…あの頑張り屋は…。

 そう言い残すクラウドに、子供達は満面の笑みで見送った。



「あ、あれ!?もうこんな時間!!」
 クラウドがフェンリルで走り去った直後、ティファは文字通りベッドから飛び起きた。
 久しぶりの大寝坊に、大慌てで階下へ駆け出す。
 ティファが店内に足を踏み入れた時、丁度クラウドの見送りを終えた子供達が戻って来た。
 そして、ティファの寝起きの姿を見てポカンと口を開け、次の瞬間お腹を抱えて吹き出した。
「なに、その頭〜!」
「もう、ティファってば、そんな格好で降りてこないでよ〜!頭がすっごい事になってるし、目が腫れてる〜!!」

 子供達の言葉に、ティファは真っ赤になると大慌てで洗面所に駆け込み、顔を洗った。
 戻って来たティファに、子供達はニコニコと笑顔で「おはよう、ティファ!」と挨拶をくれた。
「ごめんね、大寝坊だわ…」
 申し訳なさそうにシュンとする母親に、子供達は笑顔で首を振る。
「良いの!だっていっつもティファって無茶するんだもん。たまにはこうして甘えてくれたら嬉しい!」
「そうそう!それに、今朝は本当はクラウドが一番早かったんだ!」
「あ、クラウド…もう行っちゃったよね…」
 思わず椅子から腰を浮かせたが、すぐに彼が出ないといけない時間を過ぎている事に思い至って、力なくストンと再び腰を掛ける。
 そんな子供のようなティファに、デンゼルとマリンは可笑しそうに笑うと、クラウドからの伝言を伝えた。

「だから、今夜はクラウドの好きなものにしようよ!」
「それで、沢山おしゃべりするの!」
 笑顔でそう言う子供達に、ティファが首を横に振るはずも無い。
 釣られて笑顔になりながら、「うん、そうだね!」と、いつもの明るさを取り戻したのだった。

 ふと、カウンターに置いている黄色い花を見る。
 それは、あの教会の花。
 クラウドが時々摘んで帰ってくるその花は、一輪挿しの中で凛と咲いていた。
 まるで、星に還った友人のように。
 その花に向かって、ティファはそっと語りかけた。



 ねぇ…。
 私はこんなに弱いけど…。
 それでも、こんなに素敵な家族がいてくれるから、頑張れるんだよ…。
 見ててくれてる…よね?
 私やクラウドがいつか貴女の所へ行った時、うんと沢山良い思い出を話せるように頑張るから…。
 だから…。
 それまで、見守ってて…。



 それは、どこにでもある日常の一コマ…。




あとがき

何だか落ち無しなお話になっちゃいましたね(汗)。
実は、本当は何でもない日常の一こまを書きたかったんですよ。
ん〜、何て言いますか…トラブルのないセブンスヘブンのお話…?(何で疑問系)
落ち込むこととかあっても、一晩寝たら気分の切り替えが出来て頑張れる!みたいな…(苦笑)。
はい、こんなやまなし、落ち無しですみません(逃走!)