あの頃の彼女は、本当に必死だった。 必死に、だたがむしゃらに。 幼い子供達を女の細腕で守るため。 そして…。 愛しい人がいつ帰ってきてもすぐ受け入れられるように抜かりない備えをするために。 毎日毎日、必死だった。 彼女の頑張りを、周りの人々は『流石ジェノバ戦役の英雄』だと、誉めそやした。 だけど。 彼女自身も忘れていることがある。 彼女は…。 ただの人間なのだ…ということを…。 瓦解の音が聴こえる…。1「ありがとうございましたー」 明るい女性の声が夜気に溶け込む。 ほろ酔い気分で数名の男達がそれぞれ我が家へと帰って行った。 また明日から頑張れる。 その幸せをかみ締めながら…。 軽やかなドアベルの音と共に、路地に零れていた店の明かりがスーッと消えた。 ティファはゆったりとした足取りで店内に戻り、まだ残っている客達へ笑顔を向けた。 もうそろそろ、閉店の時間だった。 まだ飲み足りない気分の客達、もう充分満足した客達。 皆、それぞれだったが、時計の針を確認すると腰を上げないわけにはいかない。 それぞれ、自分達のテーブルの伝票を持ち、ティファの元へ集まる。 「また長居しちまって悪かったなぁ、ティファちゃん」 「いいえ、また来て下さいね」 「はは、また来るよ。ティファちゃんの作る料理は絶品だからなぁ」 「ふふ、ありがとうございます」 「じゃ、またな。デン坊とマリンちゃんによろしくな」 「はい、ありがとうございます」 客達との会話は小気味良く弾む。 自然とティファの微笑みが温かいものへと変わる。 『営業スマイル』ではない『微笑み』。 彼女のその笑みはとても貴重なもの。 ただの客では見せてもらえない。 だからこそ、ティファに憧れている客達は彼女の元へ足しげく通う。 早く、彼女の『営業スマイル以外』の笑みを向けてもらえる存在になるために。 やがて、店内から客達の気配が消え、残っているのは後片付けをしているティファただ一人になった。 客達が完全に引き上げてしまったこの沈黙の時間は、『彼』が帰ってくる前から普通にあった。 『close』の看板をドアノブに引っ掛けた後、この店にやって来る人間は当然いない。 だから、ティファが後片付けをする水音がやけに大きく聞こえるのは珍しくもなんともなく、普通のこと。 だが、ティファはこの『空白の時間』がとても嫌いだった時があった。 それは、クラウドが家出をしている時。 独りきりになってしまうこの『空白の時間』がとても恐ろしかった。 客達がいる時は、忙しくしているし、適当に会話もしている。 だから、押しつぶされそうな不安を忘れることが出来た。 しかし、客達が帰ってしまった後の沈黙の時間になると、否が応でも『彼がいない』という現実を突きつけられている気がして、居たたまれなかった…。 正直、よくもまぁ逃げ出さなかったものだと思う。 子供達を連れて、ウータイにいる仲間の元に転がり込んでも良かった。 いや、ロケット村に行っても良かったし、バレットの油田開発事業を手伝うという名目で、子供達を連れて居住先を変えても良かった。 WROの戦闘指導員として赴任し、WRO施設に子供達と転がり込んでも良かったのだ。 色々な選択肢はあったのに、結局ティファはどれも選ばず、一人で難病に苦しむ幼子を守る生活を選んだ。 ほんの一握りの希望と、両手いっぱいの不安を抱えて…。 「ふぅ…こんなもんかな…?」 蛇口を閉めて額の汗を拭う。 寒い季節でも、やはりこうして仕事をしていると汗が浮かぶ。 ティファはそっとタオルで手を拭い、店内の照明を消した。 途端、真っ暗になる視界に、ティファは慣れた足取りで二階へと向かった。 子供部屋をそっと覗き込み、良く眠っている可愛い子供達に頬を緩ませる。 こんな店をしているが故に沸き起こる不安。 夜の商売など、子供を育てる上では決して良いとは言えない環境だ。 だが、そんな心配をよそに子供達は心身共に健やかな成長を見せてくれている。 それが本当に嬉しかった。 そっとドアを閉めて浴室へと足を運ぶ。 熱めのシャワーを浴び、簡単にその日の疲れを落とすと、濡れた髪をタオルでガシガシと拭いた。 ドライヤーを極力使わないで済むように。 ドライヤーの音で子供達の睡眠が邪魔されないように…。 それは、ティファの精一杯の配慮。 そしてそれは、まぎれもなく子供達への愛情の証。 綺麗に髪を梳かして、寝室へと向かう。 今夜は一人だ。 クラウドは他の大陸の配達に昨日から出かけている。 通常、他の大陸の配達の場合、クラウドの帰宅は一週間ほど先になる。 その大陸でまとめて配達をした方が効率が良いこともあるし、向こうの大陸ではクラウドを必要としている人間が大勢待っている。 だから、中々帰って来られない。 ティファはベッドに腰掛けると、広すぎるベッドをポンポン…と叩いた。 「もう…寝たかなぁ…クラウド」 なんとなしに呟いて、ティファは目を細めた。 ベッドを見つめると、クラウドが気持ちよさそうに眠っている姿が脳裏に浮かんでくる。 自然と頬が緩み、温かい気持ちで胸が満たされる。 そう、幸せだ。 しみじみそう思える。 彼が長い時間帰宅出来なくても、あの頃では感じられなかった安らぎを感じることが出来る。 『絶対に帰ってくる』 そう信じられることの素晴らしさは、言葉では言い表すことは出来ない。 彼は帰ってきた。 そして、誓ってくれた。 もう二度と、いなくなったりしない……と。 だから、現在(いま)の幸せがある。 子供達も本当に嬉しそうだ。 クラウドが自分達家族にとって、いかに大切な存在であることか、イヤというほど再確認させられた。 ― 『ティファ』 ― そう呼んでくれる彼の声が、耳に響く。 そっと自分を抱きしめながらティファはベッドにコロン…、と転がった。 美しい紺碧の瞳。 形の整った唇。 通った鼻筋。 輝く金糸の髪。 その全てが愛しい。 彼以外は考えられない。 「ふふ…、今度は来週かぁ…。長いわね…」 次に会える日を数え、ティファは苦笑しながらポツリ…とこぼした。 そう。 とても楽しみにしている。 次に会えるその日、その時を。 だが、一抹の不安が消せずに心の片隅で常に燻っている。 一寸先は闇。 それがこの世の実情。 もしも…、彼の体調が万全ではなく、無理をして帰宅し、帰りにモンスターの大群に運悪く出くわしたら…? 流石の彼でも太刀打ち出来ないかもしれない。 黒雲が広がる荒野。 肩で息をする青年。 容赦ない豪雨と、狂気に彩られたモンスターの群れ。 ぬかるんだ大地にタイヤをとられ、横転する彼。 その隙を逃さず一斉に躍り掛かるファングタイプのモンスター達。 霞がかっている紺碧の瞳が恐怖に見開かれて…。 「バカねぇ…ティファ」 自分の悲観的な妄想を自嘲する。 不安を拭っても拭っても、一度喪った経験を持つティファの心は『人並み』に弱い。 それを周りの人間は忘れている。 『ティファちゃんは強いなぁ』 『流石ティファさんだ。ジェノバ戦役の英雄と褒め称えられるわけだ』 『ティファちゃんサイコー!』 『ティファなら怖いものナシだろ』 『頼もしい!』 『そんじょそこらの女とは一味も二味も違う』 彼女をそう言って賞賛する。 そして、彼女自身がいつしか無意識のうちに『自分はそうあるべきだ』と暗示をかけるようになっていた。 自分は強い。 自分は泣き言を言ってはいけない。 大丈夫。 自分は大丈夫…。 それがいかに危険なことか、まだ彼女は気づいていない…。 それを警告してくれる人間も残念ながら傍にはいない…。 だから…。 * 「…え…?」 ティファは携帯を握り締めて小さく驚きの声を漏らした。 店内はいつも通り賑わっており、とても忙しい。 本当なら電話をしている暇などないくらいだ。 だが、この電話はとても大切で、無視は出来なかった。 甲斐甲斐しく働いている子供達に申し訳なく思いつつも、携帯を片手にそっと奥に引っ込んだティファに、携帯の向こうから申し訳なさそうなクラウドの声が届けられた。 『すまない、急な仕事が入ってしまって、まだあと一週間は帰れないみたいなんだ…』 もう一度謝罪する彼の言葉がとても悲しい。 すぐに返事が出来ないティファに、携帯の向こうから彼女を案じる青年の声がする。 ティファは数回深呼吸をすると、 「そう、じゃあしょうがないね。だってクラウドのお仕事は今、とても大切なんだもの」 無理に明るい声を出した。 顔は今にも泣きそうなのに、声だけ明るく出来たことを、ティファは褒めてもらいたい…とこっそり思った。 クラウドはティファの明るい声にホッとしたように息を吐き出した。 『本当にすまない。また連絡する』 「うん、気をつけてね」 『あぁ…。デンゼルとマリンによろしく伝えてくれ』 「うん、分かった」 『じゃあな』 「うん」 もしも、この時。 クラウドがティファの顔を見ることが出来ていたら、決して携帯を切らなかっただろう。 そして、全ての仕事をキャンセルして、真っ直ぐ家に飛んで帰ったに違いない。 だが、悲しいかな、携帯では顔が見えない。 現在では『TV電話』が搭載されている携帯が普及されているが、クラウド一家は通常の携帯しか持っていなかった。 今もっている携帯はまだまだ使えるし、第一TV電話が搭載されている携帯は贅沢な代物だからだ。 自分達の生活は安定しているとは言え、いつ、大金が必要になるかわからない。 それに、子供達を養うと言うのは意外と金がかかるものなのだ。 必要なものを必要なだけ手に入れる。 慎ましやかなその生活を、クラウド一家は言葉にしなくとも皆が実行していた。 だから、クラウド家では『TV電話』機能の搭載された携帯は誰も持っていない。 持っていれば良かったのだ。 そうすれば、クラウドは仕事を選ばなかっただろう。 少しだけ贅沢をすれば良かったのだ。 そうすれば、ティファは『我慢』だけが尊いものだと勘違いせずに済んだのに…。 「ティファ〜?」 「大丈夫?注文がいくつかたまってるんだけど…」 心配そうな子供達の声に、ティファは現実へ引き戻された。 一瞬で『ジェノバ戦役の英雄』の仮面を被ると、 「うん、大丈夫。ごめんね、すぐに戻るから」 明るく微笑み、心配そうな顔をしているデンゼルとマリンの頬をそっと摩った。 「クラウド、急にお仕事入っちゃったんだって。だから、帰れない…って」 カウンターに戻りながらたった今、届けられた凶報を告げる。 途端に二人からガッカリした声が上がった。 「ちぇ〜っ!つまんないの〜!」 「はぁ…クラウド、なんかこの前もそんなこと言ってたよねぇ…」 心底残念そうに肩を落とす二人に、ティファは苦笑した。 「しょうがないよ。クラウドのお仕事はとても大切だもの」 「「 それは分かってるけど〜… 」」 イジイジ、と残念そうに唇を尖らせる二人に、ティファは目を細めた。 内心、ティファはホッとしていた。 自分だけじゃなかった……と。 こうしてガッカリに思っている人間が、自分以外にも他にいたことに、何故か安堵する。 そうして、思わずにはいられない。 家族が過ごす時間を一分、一秒でも長く持ちたい……と。 自分達は『家族』とは言え、血の繋がりがない。 だから…かもしれない。 未だに、胸の奥底に『不安』が燻っているのは…。 血の繋がりは、切っても切れない『縁』がある。 しかし、自分達は…。 「ティファちゃん、生ビールお願いな〜」 ハッ…と、顔を上げる。 カウンターの常連客がほろ酔いで気持ち良さそうに笑いながら、空のジョッキを掲げていた。 「はい、ただいま」 慌てて手拭で手を拭い、ジョッキを受け取る。 慣れた手つきでビールを注ぎ、客に手渡す。 その際、その客はそっと身を乗り出してティファの耳元に口を寄せた。 数人の男性客達がギロリ…と睨みつける。 「ところで、クラウドの旦那はいつ帰って来るんだい?」 ドックン。 大きく心臓が収縮する。 ティファは平常心を保てるよう、ニッコリと笑って見せた。 「ふふ、なんだか忙しいみたいでまだ当分帰れないんですって」 聞き耳を立てていたカウンターの客達がほんの少し、唇の端を持ち上げたが、ティファと子供達はそれに気づかなかった。 耳元に口を寄せた客が、 「なぁんだ…残念」 おどけたようにそう言って、ビールを呷った。 その一言が偽りではないことを、ティファはちゃんと理解した。 この客は、クラウドのことを気に入っている数少ない常連客。 ほとんど店にいないクラウドが、極々たまに店内にいるのを見ると、いつも嬉しそうに気軽に声をかけている。 クラウド自身も、この客の人当たりの良さに気持ちを許している節があった。 だからこそ、この『なぁんだ…残念』という一言がとてもありがたかった。 だが、当然、この客のようにクラウドを気に入っている客達ばかりではない。 クラウドがいないことを『ラッキー』としか思っていない客がいる。 そして、偶然とは言え、暫く帰宅出来ないという情報に、内心で小躍りするのだ。 「じゃあ、ティファちゃん、俺も生ビール追加お願いね〜」 「俺も、俺も!」 「俺はカクテルが良いなぁ。うんと甘いやつ」 上機嫌で酒の追加注文をする客達に、耳打ちした客がイヤそうな視線を流した。 ティファはそれらに『営業スマイル』で返すと、テキパキと注文の品を作りにかかった。 そして。 チリンチリン…。 今宵、何十回目かの来客を告げるドアベルの音。 「「「 いらっしゃいませ〜 」」」 向けられる六つの瞳。 現われたのは…。 「あ……」 「こんばんは。お久しぶりですね」 優しい物腰の青年。 スカイブルーの瞳。 金糸でしなやかな髪を適当に遊ばせ、洗練された身のこなしで歩くその青年に…。 「あ〜、久しぶり〜!」 「わ〜、元気してました〜!?」 子供達がパッと顔を輝かせて駆け寄った。 「うん、本当に久しぶり。二人とも元気にしてた?」 「「 うん! 」」 ゆったりとした仕草で子供達の頭を撫でる。 青年の登場に、セブンスヘブンの雰囲気がガラリ…と変わった。 スカイブルーの瞳がティファへ向けられる。 「こんばんは、ティファさん」 ティファは言葉が出なかった。 青年の微笑みに胸がギュッとする感覚に戸惑う。 ティファの中で、時が一瞬だけ……止まった……。 |