青年の名はエニス。
 クラウド・ストライフが家族の前から姿を消している時に常連客の一員となった若者。
 そして。
 ティファを『英雄視』しなかった数少ない人間の一人…。







瓦解の音が聴こえる…。2







「ご無沙汰しています、ティファさん。お元気そうですね」

 フワッ…と微笑むその青年、ティファは胸がドキドキとしてくるのを感じた。

「え…えぇ、本当に」

 平常心を保たなくては。

 そう思うのに、声はほんの少し上ずり、出てきた言葉はなんとも拙いものだった。
 子供達はニコニコと久しぶりに訪れてくれた常連客の青年を見上げている。
 ティファの様子には気づかない…。
 カウンターのスツールや店内の椅子に座っている男性客達の数名が、なんとも面白くなさそうな顔をした。
 それにも子供達は気づかなかった。
 いつもの聡い子供達なら気づいたであろうその反応も、目の前に現われた馴染み客への歓びでいっぱいになっており、意識が完全に青年のみに注がれているため、気づかない。
 そして、それは子供達だけではなかった…。

「兄ちゃん、こっちこっち!」
「席がいっぱいだから、こっちに座って!」

 デンゼルとマリンが手を引き引き連れて行ったのは、カウンターのスツール。
 一番端の『特別席』。
 家族である青年しか座ることを許されない席だ。
 常連客達の間で、またもや不穏な空気が蠢(うごめ)く。
 青年は戸惑ったように女店長を見た。
 この席が大切なものであることを知っているからだ。
 だが、ティファもまた、子供達同様、青年にその席についてもらうことに何の抵抗もなかった。
 いや、むしろこの青年だからこそ座っても良い。
 そう思えたのだ。
 クラウドだってエニスが座ったのなら怒らない。
 何故かそう確信を持った。

「気にしないで、座って?」

 はにかんだように微笑むティファに、エニスは恐縮しながらも、そっと腰を下ろした。
 そして、傍らに控えている子供達をゆっくりとした動作で見つめる。

「デンゼル君、本当に元気になったんだね。手紙で読んだ時には本当に驚いたよ」
「へへ〜」

 柔らかいその口調に、デンゼルが照れくさそうに…、得意そうに笑う。
 マリンもニッコリ笑って、
「そうでしょう?もう本当に良かった!」
 明るい声を上げた。
 エニスはスカイブルーの瞳を優しさでいっぱいにしながらスーッと細めた。
 まるで、眩しいものを見るかのように…。

「マリンちゃんも少し見ないうちにすごく可愛くなったね。なんだか損した気分だよ」
「???」

 青年の言わんとしていることが分からずに首を傾げる幼子達に、青年はポンポン…と、頭を軽く叩いた。
 そう。
 まるでいつもクラウドがしているように…。
 愛しさをいっぱいに込めて…。

「マリンちゃんとデンゼル君が大きくなっていく姿を今日まで見守れなかったのがとても勿体無い」

 パッ!
 二人の顔が輝く。

「しょうがないって。だって兄ちゃんは忙しいんだろ?」
「うん、そうだよ。えっと、なんだっけ……、『遺伝子工学』のお勉強してるんだったっけ?」

 ちょっと考えてから言葉にしたマリンに、
「正解。よく覚えてくれてたね。ありがとう、嬉しいよ」
 青年はニコニコと微笑みながら、またマリンの頭を撫でた。

 ゴホン。

 店の端に位置するテーブルからわざとらしい咳払い。
 ティファと子供達はハッ…、と我に返った。
 店内をそろそろ…と見渡すと、なんとも白けた顔をした客達。

 すっかり仕事を忘れていた。

「じゃ、じゃあ、メニュー考えといてよ」
「すぐにおしぼりと浸けだしを用意するね」

 バタバタと慌てて仕事に戻る幼い子供達の背を、エニスは微笑みながら見送りつつ、ゆったりとスツールに座りなおした。
 数少ない女性客達が恍惚とした眼差しで青年を見つめる。
 恋人同士で来ているはずの女性までもが、彼氏そっちのけで青年に見入っており、彼氏の機嫌を著しく損ねていた。
 それほどの存在感。
 だが、それはティファや子供達の反応からも分かるように、決して『セブンスヘブン』に不快なものではなかった。
 むしろ…。

 とても相応しい温もりを醸し出している。


「はい、お待たせしました」


 ティファが『ホッコリコース』を運び、そっとカウンターに置いた。
 青年はちょっと驚いたような顔をしてティファを見た。
 その表情は『どうして何も頼んでいないのに分かったの?』と問うているようだ。
 いや、実際彼はそう思っていたに違いない。

「ふふ、いつもそれを頼んでくれてたでしょう?」
「あ〜…覚えてくれてたんですね」
「ふふ、勿論よ」
「ありがとうございます」

 照れたように笑う青年に、ティファは心がホッとするのを感じずにはいられなかった。
 ティファにとって、この青年は…特別だった。
 容姿が綺麗なことが…ではない。

 容姿と同じように、内面がとても綺麗な青年………エニス。

 彼はWROの科学班に所属している。
『遺伝子工学』を学びながら、この星にとって最善の『エネルギー』を探しているのだ。
 日々研究に明け暮れているのだが、とても清潔感があり、お人よし。
 自分の少ない給料の中から出来るだけ孤児院へ寄付をしたり、休日返上をして研究に心血を注いでいる…。
 全ては、この星の未来のために…。


 ― 「今日は妹の月命日なんですよ…」 ―


 そう言って、初めてこの店に訪れたのはもう半年も前になる…。


 *


「そういう言葉を口にするのはいかがかと思います」

 突飛なその台詞に、賑わっていた店内が水を打ったように静まり返った。
 金糸の髪をおしゃれに遊ばせ、心の奥底まで見透かしそうなスカイブルーの瞳。
 整ったその顔立ちは、ティファやクラウドと同年代。
 おとぎの国に登場しそうな王子様の風貌は、店に現われた瞬間からティファや子供達、更には女性客達のみならず、男性客達の気を引かずにはいられなかった。
 引き寄せられるのは、彼が際立って美しいからだけではない。
 内面からも、彼の高貴なオーラが滲み出ているようだった。
 だからこそ、ティファとデンゼル、マリンはこの青年をなんとなく気にしていた。
 だが、この一言が三人の中で青年のランクをはるか上位に位置づけることとなった…。

「あんだよ、兄ちゃん」
「そうだ、なに言ってんだ?」
「お前、もしかして知らないかもしれないけどなぁ、ティファちゃんはあの『ジェノバ戦役の英雄』なんだぜ?」
「だから、ティファちゃんはすげぇ人なんだよ」

 自分達の賞賛の言葉を否定されて頭に血が上った男達が、顔を歪めて青年に詰め寄る。
 だが、誰も手を出そうとはしない。
 そんなことをすれば、自分達が讃えている『英雄』にたたき出されることは分かり切っているからだ。
 それに、口喧嘩で済むところを暴力で訴えるのは、『軟弱者』で『狭量な男』に成り下がってしまう要因の一つでしかない…。
 一方(ひとかた)ならぬ想いを抱いている異性の前で、そんな無様な姿を晒すのは愚か者のすることだ。
 そんな下心を抱きながら、ティファをさりげなく持ち上げつつ自分達の品性を保とうとする。

 浅ましい…。

 青年はにじり寄られても全くひるまなかった。
 見かけは華奢で喧嘩などとは無縁に見える。
 だが、もしかしたら見かけだけで、クラウド・ストライフのように凄腕なのかもしれない…。
 男達がそんな思いを抱いたが故に、暴力沙汰にならなかったのも事実だった…。
 エニスは形の良い眉を寄せ、眼光鋭く男達を睨みつけた。

「ティファさんは確かに『ジェノバ戦役の英雄』です。ですが、それでも彼女は普通の女性です。それなのに、あなた方の言葉は、そんな彼女の存在を否定している」

 はっきりとそう言い切ったエニスに、男達は一瞬呆けた顔をした。
 そして次いで爆笑する。
 腹を抱えて笑う男達に、他の客達も苦笑したり、首を振ったりしていた。
 興味津々に見つめていた女性客達が、そんな男達を睨みつけたり、青年がこれ以上辱められないか心配しながらハラハラと見守っている。

 その時、ティファは…。
 カウンターの中で動けないでいた。


『 本当の自分を見てくれている人がいた。 』


 その驚きでいっぱいだった。
 そう。
 本当は青年のその言葉がずっと欲しかったのだと、その時初めて気がついた。
 雁字搦めに、我武者羅に…。
 無我夢中で頑張って頑張って。
 目いっぱいまで張り詰めていた『糸』が、その時ようやく『プッツリ』と切れる前に緩んだのだ。

 ティファは…嬉しかった。
 本当にとても嬉しかった。
 だから…。


「げげっ!ティファちゃん!?」


 店内に衝撃が走る。
 カウンターの中で、女店主がポロポロと涙をこぼしたからだ。
 子供達はビックリしてカウンターの中に飛んで行き、青年に詰め寄っていた男たちも慌てふためいて、飛んでいく。
 彼らはカウンターの中には入れないので、カウンター越しに身を乗り出した。

「大丈夫か!?」「あの兄ちゃんのせいだな!?」「大丈夫だ、俺達がついてるから!」

 矢継ぎ早に言うと、いきり立って青年に向き直る。
 青年もティファの様子にビックリして目を見開いていた。

「てめぇ!ティファちゃんを泣かすとは良い度胸じゃねぇか!」

 青年に詰め寄っていた客達の中でも一番気の短い男が大股で近づいた。
 そのまま、勢いに任せて胸倉を掴む。
 そしてこぶしを握って大きく振りかぶり…。


「待って!!」


 ビクッ!
 こぶしを止めた男は、次の瞬間視界が一転した。
 宙にフワッ、と浮く感触は一瞬。
 続いて背中と後頭部に鈍い痛み。
 目の前が一瞬、真っ白になり、視界がようやく戻った時に一番最初に見たのは鋭く睨み据える茶色の瞳。

「お客様、お引き取り下さい。当店では喧嘩をされる方を認めていません」

 背筋が凍るような気迫。
 床に投げ飛ばされた男と、その男と一緒に青年に詰め寄っていた客達は、顔を青くしてあっという間に去って行った。
 テーブルに残ったギルは、今夜の酒代には少し足りないが、そんなものはどうでも良かった。
 その時のティファは、勘定が足りないことよりも青年への感謝の気持ちでいっぱいだった…。

 クラウドが何の前触れもなく姿を消し、どんなに自分が極限の状態で頑張っていたのか…。
 それを彼は気づかせてくれた。
 それだけではなく、自分を『一人の人間』として見てくれた。
 それがたまらなく嬉しくて…嬉しくて…。
 だから、ティファはクラウドがいなくなってから…初めて涙をこぼしたのだ。
 デンゼルとマリンにとって、ティファが涙を流したのは初めてのこと。
 初めて見たティファの涙は、とても……綺麗だった…。
 そうして思い知る。
 自分達が気づかない間に、ティファはギリギリまで自分自身を追い詰めていたのだということを。
 そして、ティファがこうして泣くことが出来たことにより、『最悪の事態』を免れることが出来たということを、まだ幼い少年と少女は悟った。
 きっと、あともう少し、ティファが気を張り詰める生活をしていたら、きっと彼女は壊れていた。
 幼すぎるが故に相談することも出来ない自分達の存在が酷く情けなくも感じた。
 だが、同時にこの青年の存在を心から感謝した。
 自分達では、どう頑張ってもクラウドの代わりにはなれないのだから…。

 そうして。

 騒然とする店内が落ち着きを取り戻した時、ティファは感謝の気持ちをいっぱい込めて腕を振るった。
 彼が注文したのは『ホッコリコース』という、温かい主食、温かいスープ、豆腐と豚肉をコトコト煮込んだもの。
 そして、やはり温かい飲み物。
 飲み物の場合は『緑茶』『コーヒー』『紅茶』から選ばれる。
 だから、酒の出るこのセブンスヘブンでは酒の飲めない女性客には人気が高かった。
 だが、青年はあえてそのメニューを頼んだ。

 先ほどのお礼に一杯おごらせてもらいたい…というティファの申し出を、青年は申し訳なさそうに断った。
 そのときの台詞が…。


「今日は妹の月命日なんですよ…」


 彼が初めて店にやって来た時。
 先にも述べたようにクラウドは家出中だった。
 だから、当然デンゼルはまだ星痕症候群に苦しんでいる時でもあった。
 青年は、デンゼルがまたもや発熱して子供部屋にマリンと一緒に戻った後、ティファにだけそっと告白したのだ。

「妹は…星痕症候群で亡くなりました」

 まだ亡くして一ヶ月。
 彼のその心の痛み、心の傷はいかばかりであろう?
 ティファは…胸が締め付けられる気持ちで一杯だった。
 自分も、同じ病で苦しんでいる子供を抱えている。
 傍で見ているしか出来ないことの悔しさ。
 辛さ。
 そして…。
 この目の前の青年は、それ以上に『最愛の妹を喪ったという悲しみ』を背負っている。

 沈痛な面持ちで青年の話しを聞いているティファに、エニスはフッ……と微笑んだ。
 その微笑にティファの鼓動がまたもや高鳴る。

「ありがとう…」

 唐突過ぎる青年の言葉。
 ティファは目を瞬いた。
 自分はなにもお礼を言われるようなことはしていない。
 むしろ、ティファは自分こそがお礼を言うべき立場にあると思った。
 だからこそ、彼の感謝の言葉は胸に突き刺さり、咄嗟に言葉にならなかった。
 青年はそんなティファを見て、悲しそうに……、困ったように微笑んだ。

「そんな顔をしないで下さい。あなたは妹の死を悼んでくれた。それだけで充分です…」

 悲しげに微笑んで、そっと俯く青年に、ティファは胸が締め付けられるような思いでいっぱいになり、息が苦しくなった。
 もしも…。
 もしも、デンゼルも同じように死んでしまったら…?
 言い知れぬ恐怖に背筋が凍る思いがする。
 エニスは、ティファの心を正確に理解したらしい。


「大丈夫ですよ」
「え…?」

 またもや突然の言葉。
 ティファはその日、何度目かの驚きに見舞われた。
 エニスという青年ただ一人によって…。

「今、WRO研究室で『星痕症候群』について研究しています。一日でも早く、ワクチンを作るように努力しています。ですから、どうか成果が出るまで待って頂きたいのです」

 ティファは目を見開き、軽く息を止めた。
 そんな動きがWROの内部で行われているとは知らなかった。
 リーブからは全く聞いていない。

 教えてくれても良かったのに…。

 青年への感謝の念が、仲間への不満に押しやられる。
 エニスは笑った。

「局長からはきつく『口外するな』、と命じられているんです。ぬか喜びさせるわけにはいかない…って…」

 たった一言。
 その一言だけで、ティファの中のリーブへの不満は霧散した。
 確かにそうだ。
 助かるかもしれないという『希望』を持たせておいて、ワクチンがどうしても出来ない、という結果になったなら、『希望』は『絶望』に変わる。

「…リーブは…本当に賢明ね…」

 ティファは溜め息を吐きながら呟いた。
 エニスは「本当に申し訳ありません」と、呟くようにうなだれる。
 しかし、すぐにシャンと顔を上げて真っ直ぐティファを見る。

「ですが、僕は諦めません。これ以上、妹の死を無駄にはしないためにも…」

 ティファは…その真摯な表情に胸が高鳴るのを抑える術を持たなかった。
 真っ直ぐに見つめてくるスカイブルーの瞳には、一点の曇りもない。
 ただ、真っ直ぐ前を…未来を見据えて頑張っている『男の目』。

「ティファさん」
「あ、はい!」

 エニスが真っ直ぐ見つめたままティファの名を呼ぶ。
 ティファは、ドギマギしながら上ずった声で返事をし、慌てて店内を見渡した。
 他の客達の反応が怖かった。
 だが、幸いにも、先ほどの無頼漢をたたき出してから、客達はめいめい自分達の話に戻っており、ティファと青年を注目してはいなかった。
 ホッと肩の力を抜く。

 と。

「ぷっ…っくっく…」
「……え…?」
「ふふ…ははは…」
「あの…?」

 突然クスクスと笑い出した青年に、ティファはオロオロと困ったようにそわそわする。
 エニスはスカイブルーの瞳を細めて、穏やかな表情を浮かべた。

「やっぱりティファさんは噂通り、素敵な方でした」
「は…、…え!?」

 突然の褒め言葉。
 しかも、他の客とは違い、純粋にティファを賞賛していることが分かるその言葉。
 ティファは真っ赤になった。

「じゃあ、また来ます。今度は…そうですね、来週の今日来られると思います」
「え……あの…」



 もう、帰るんですか…?



 ティファは危うく言いかけたその言葉に愕然とした。
 だがしかし、どうしても胸が高鳴るのを止められない。
 クラウドとは全く違うキャラをしているのに、心が揺れる。
 ティファは大きく動揺していた。
 辛い毎日だった。
 どうして何も言わずにクラウドは出て行ったのだろう?
 出て行く前に見せてくれたあの笑顔はなんだったのだろう…?
 まだ小さい子供達を置き去りにして、たった一人で何の相談もなく…。
 今だってそうだ。
 デンゼルが苦しんでいるのに、彼は帰ってこない。
 自分一人で、どうやってあの幼い子供達を養っていったら良いと言うのか…。

 ― あんまりよ…、クラウド… ―

 ずっと封印していた言葉が、突如、心の奥底から噴き出してきた。
 そう。
 ずっと平気な顔をしていたが、ティファは本当に苦しかった。
 辛かった。
 だけど、それを周りの人間に見せることは許されなかった。
 誰も彼もが、自分を『英雄』としてしか見てくれない。
 もしも『英雄』という仮面を剥ぎ取ったとしたら、彼らはどうするだろう?
 助けてくれるだろうか…?
 一緒に頑張ろう!って言ってくれるだろうか?

 否。

 きっと、彼らは『ただの人間』になったティファを蔑んだり、『所詮はただの女か…』と嘲笑するに違いない。
 いや、もしかしたら心の隙に付込んで取り入ろうと画策するかもしれない。
 だからこそ、ティファは絶対に弱いところを見せないように頑張っていた。

 無意識に……。

 それなのに、とうとう現われてくれたのだ。
 真っ直ぐに『ティファ』を『ティファ』として見てくれる人間が。
 心が揺れないはずがないではないか。
 本当に一番、傍にいて欲しい人は黙って家を出てしまっており、何度携帯にかけても必ず留守電になるのだから…。
 きっと、自分のメッセージを彼は聞いているだろう。
 配達の仕事がスムーズに行われているところから見ても、それは間違いない。
 だったら!

 どうして、彼は帰ってきてくれない?
 あんなに『どこにいるの?』『なにかあったの?』『お願い、帰ってきて…』と、何度も留守電に入れたのに…。

 そうして気づく。


 あぁ。
 自分達は…、いや、自分は彼に捨てられたのだ……と。


 そんな境遇のティファにとって、突如現われた青年に、惹かれずにいられようか?

 ティファは揺れる心をグッとこらえながら、
「はい、ではまた来週ですね」
 ニッコリと微笑んだ。
 そして、クルリ…と背を向けて勘定を始める。
 そんなティファに、青年は眉を寄せた。
 そうして…。

「ティファさん、辛い時には泣くことが一番のクスリなんですよ」

 ドックン。

 ティファの手からギルが零れる。
 カタカタと震える身体に、そっと青年が手を伸ばして……結局力なくパタリ、と落とした。
 店の客達が、ギルを落としたティファにビックリして一斉に振り返り、じっと見つめている。
 青年は床に落ちたギルを丁寧に拾い集め、そっとティファの手に渡した。
 青年の手に包まれるようにしてギルを手渡されたティファは、その手の温もりにハッ!と顔を上げた。
 穏やかなスカイブルーの瞳が優しく微笑を浮かべていた…。
 心にジンワリと染み渡るような……微笑だった…。

「これで結構ですよ。お釣りはデンゼル君とマリンちゃんのために使ってあげて下さい」

 そう言って、青年は流れるような動作で背を向けると、ティファが引き止める暇を与えないまま、エッジの宵闇の中に溶け込むように消えた…。