「ティファ!」
「ティファ、お帰りーー!!」

 良く朝早く帰宅したティファは、子供達の熱い歓迎に出迎えられた。

 その後ろには、クラウドが少し微笑みながらティファを見つめていた…。






瓦解の音が聴こえる…。9







 エニスは約束した通り、セブンスヘブンまでティファを送り届けた。
 事前にそれなりの事情を話していたのだろう。
 子供達とクラウドは特に何も突っ込んで問いただすことはなかった…。

 ティファを送ったその足で、エニスは名残惜しそうにしている子供達とティファを残し、WROへと戻って行った。

 ― 『まだまだ仕事があるんです。また食事に来ますね』 ―

 そう約束して…。

 ティファは一晩中心配かけてしまったことを子供達とクラウドに詫び、いつもよりも豪華な朝食を手早く作った。
 せめてものお詫びに…と。
 時折、クラウドを盗み見て罪悪感が顔を覗かせたが、それでも昨夜のエニスとのやり取りのお陰か、心が大きく揺れることはなかった。

『私はやっぱり…クラウドしか選べない…』

 満足感を伴うその確固たる想いに、ティファは心の傷がどんどん塞がっていくのを感じていた。
 やはり、エニスは凄い人だ…と思う。
 何が一番ティファにとって必要なことなのかを、間違いなく選択させてくれた凄い人。
 きっと、あんなに出来た人間はいないだろう…とすら思う。
 そして、それは決して大げさな評価ではないと思った。

 子供達の笑顔。
 クラウドの微笑み。
 完璧に整った『幸せ』に、ティファは昨夜、道端で死のうとした己を心底滑稽だと思わずにはいられなかった。
 こんなにも幸せなのに、一人で勝手に悲劇のヒロインを演じ、あろうことがのたれ死にしようとするとは。
 それによくよく冷静に考えたら、一晩雨に濡れて地べたに転がっていたくらいで死ねはしない…。
 ティファの基礎体力は普通の人よりもしっかりとあるのだから…。

『よく、あんな間抜けな私をエニスは笑わなかったわねぇ…』

 内心でそう呟く。
 恥ずかしさがこみ上げてきたが、結局、見つけてくれたのがクラウドではなくエニスで良かった、と思ってしまうのだから、本当に自分という人間はどうしようもない…と自嘲するしかない。
 もしも発見したのがクラウドなら、あのように冷静に自分と向き合うことは出来なかっただろう。
 クラウドもティファ同様、弱い人間だから…。


 楽しい食卓も終わり、子供達はティファを手伝って後片付けを買って出た。
 クラウドも配達の仕事を全てキャンセルし、明後日から活動を再開する、と言い切った。

 魔晄の瞳がいつもよりも真剣に光っている…。

 その瞳にティファはチクリ…、と胸が痛むと共に大きな幸せを感じた。

 チクリ、と痛んだのはエニスに惹かれてしまったという罪悪感。
 大きな幸せは、エニスによって『自分が間違った道を選ばなかった』という充足感と、クラウドを必要以上に傷つけずに済んだという安堵、そしてしみじみと自分は恵まれた環境にある、と再確認という、諸々の理由から感じたものだ。


「ティファ、少し横になった方が良い」

 一通り片づけが終わり、子供達が遊びに行った後、クラウドがそう声をかけた。

「ふふ、大丈夫よ」

 にっこり笑って振り返ったティファは、目の前にあるクラウドの表情に笑顔をスーッと消した…。
 真剣な瞳。
 何か他に言いたいことがあるのを物語っているような雰囲気。
 真っ直ぐ見つめてくる魔晄の瞳の中には…。

 大きな不安。

 ティファは胸がキュッ、と締め付けられるのを感じた。
 それは、クラウドへの愛しさと自身への嫌悪感が複雑に絡み合った感情からもたらされた。


「クラウド…」


 ゆっくりと歩み寄る。
 そっと手を伸ばす。
 微動だにせず、ただ黙って見つめるクラウドの胸板に手を添え、そのままゆっくりと身体を預けた。
 おずおずと、彼の腕が上がり、ティファをそっと抱きしめる。

 は〜…。

 思わず漏れた溜め息は、ティファの口から…。
 幸福だと思う。
 昨夜、エニスに抱きしめられた時とは違い、すっかり自分に染み込んだクラウドの感触と香りは、心を落ち着かせてくれる。

 エニスに抱きしめられたことを思い出し、クラウドへチクリ…と罪悪感を感じたが、それでもやはり、間違った選択をしなかった喜びが大きい。


「クラウド…心配かけて…ごめんね…?」


 囁くように口にした謝罪。
 クラウドはティファの頭に頬を摺り寄せて、ゆっくりと首を横に振った。
 そのまま無言で抱き合い、お互いの温もりにホッ…としていると…。


 ピリリリリリリリ、ピリリリリリリ。


 携帯の着信音。
 二人ともビクッと身を竦め、その拍子に離れる。
 ちょっぴり空いた空間に、二人はお互いの顔をポカン…と見ていたが、すぐに噴き出し、苦笑した。

 クラウドは胸ポケットから音の原因を取り出すと、
「はい」
 いつもの無愛想な声で応じた。
 クラウドが電話先の相手とやり取りをしている間、ティファは、たった今までぬくもりを感じていた余韻に浸り、一人頬を染めていた。
 視線をそわそわと店内に走らせ、ふとした拍子に見ないようにしていたクラウドを見た。


 ドックン!


 蒼白な顔。
 見開かれた瞳。
 小刻みに震えている身体。

 何か大変なことがあったに違いないその張り詰めた雰囲気に、ティファも顔をこわばらせた。

 クラウドはティファの視線に気づいたのか、ノロノロと目を合わせた。
 無言でクラウドに何があったのかを問うティファに、クラウドは何も応えず、

「分かった……すぐ行く」

 素っ気無い一言を口にし、電話を切った。


「何があったの?」

 携帯を切り、手をダラン…と垂らして微動だにしないクラウドに、ティファはジリジリと焦燥感に駆られながら身を乗り出した。
 クラウドは応えない。

「クラウド!」

 思わず上がった大きな声に、クラウドの眉間がギュッと寄る。
 しかし、彼は結局それに応えることなく、
「ごめん、急用が入った…」
 そう言い残し、逃げるようにして勢い良く外へ飛び出した。

「クラウド…」

 あっという間に巨大バイクが小さくなるのを、ティファは唖然として見送った。
 胸がザワザワと不安に覆われる。
 なにがあったというのか…?
 昨日のティファの態度を問うことも、責めることもしなかったクラウドが、慌てて飛び出したその理由は…?

 ティファはしばしの逡巡の後、唇をかみ締めながら店のトラックのキーを握り締め、セブンスヘブンのドアを施錠した。
 子供達には携帯で簡単に説明し、昼食までには戻ってくるから、と伝える。
 エンジンを吹かし、勢い良く走らせる。

 心臓は先ほどから不規則にリズムを刻み、ティファを言い知れぬ不安に突き落としたままだった…。

 ハンドルを握り締め、運転に集中しているかのようなティファだが、頭の中は昨夜の自分の醜態でいっぱいになっていた。

 エニスに惹かれていたという事実。
 クラウドを一瞬とは言え、拒絶してしまった事実。
 そして、あろうことか、二番目に愛してしまった男性のところに、何もなかったとは言え、一泊してしまったという事実。

 間を置いて自分のしたことを見てみると、とんでもないことをしてしまっている…。

 クラウドがよくも怒らなかったものだ…と改めて思った。
 今朝、子供達とティファが、仕事に戻るエニスを引き止めたときも…。
 エニスと一緒に車から出てきたときも…。
 そもそも、エニスから連絡を受けたクラウドが、エニスに対して敵対心を抱かなかったことも…。

 全てが不自然だ。

 ティファは、息を呑んだ。
 そう、不自然すぎる。
 何故、クラウドは怒らなかった?
 何故、エニスに苛立ちを見せなかった…?
 何故、昨夜のことを問い詰めなかった?


 いくら、エニスが上手にごまかしたとしても、それを鵜呑みにするような人間ではないのに…。
 クラウドは!


 ティファの中で、警鐘が大きくなった…。


 *


「え……ここ……って……」

 ティファは辿り着いたその建物を前にして、呆然と立ち竦んだ。
 クラウドの後を追い、道行く人達や、お店を経営している人達の目撃証言を頼りにここまでやってきた。
 やってきた場所は…。

 WROエッジ支部。

 エニスが勤めている場所だ。

 身体が震える。
 足元から自分の立っている場所が音を立てて崩れてしまうようだ…。
 先ほどの電話。
 あれが誰からのものかは分からない。
 だが、血相を変えてクラウドがここにきたことと、昨夜、エニスに世話になったことは無関係だろうか?

 残念だが、そうは思えない。

 ティファは走り出した。
 守衛の前を通る時、ティファは前を阻もうとしたWRO隊員に、
「ティファ・ロックハートよ。リーブに呼ばれて来たの。どいてちょうだい」
 と、初めて『英雄の肩書き』を利用した。
 当然、リーブに呼ばれてなどいない。
 もしも本当にリーブがティファを呼んだのなら、その旨守衛達にも連絡が入る。
 だが、それを突っ込んで押さえることは残念ながら誰もいなかった。
 ティファの鬼気迫る表情に、圧倒的な気迫の違い。
 呆然とする隊員達を半ば突き飛ばすようにしてティファは駆け出した。
 広い広い廊下を、数名の白衣を着た人間が忙しそうに歩いている。
 そのうちの一人を捕まえ、ティファはエニスの居場所を尋ねた。
 そうして…。




「え……」




 厚いレンズのメガネをかけているヒョロリ、とした科学班の人間から聞かされたその言葉に、ティファは言葉を失った。


 *


 その男に案内され、フラフラと歩く。
 時折、『グシッ…』と鼻を啜る音が男から聞こえてきた。

 泣いている。

 ティファの耳に、それはどこか違う世界の出来事のようにしか感じなかった。
 いくつもの曲がり角を曲がり…、広くて長い廊下をひたすら進む。
 途中で、数名の白衣を着た女性隊員や、男性隊員とすれ違った。
 女性隊員はハンカチに顔を押し付け…。
 男性隊員は目元を真っ赤にしながら…。
 いずれも、彼らは『科学班』に籍を置く者達ばかりだった。
 胸につけられている身分証明書のバッチ。
 それは、エニスも身に着けていたものと同じ…。

 足元がフラフラとして、頭の中は空っぽだ。


「ここです」

 ヒョロリ、とした科学班の男は、横開きのドアを開けて促した。
 彼は入るつもりはないのだろう…。
 辛すぎて…悲しすぎて…、もうイヤだ…と、言っているかのようだ。

 ティファはゆっくりとその部屋に入った。

 大きなガラス張りの向こうに見えるのは、手術台。
 数人の『医師』『看護師』と思しき人達が、忙しそうに動いている。
 と…。


「ティファ!?」
「クラウド!?」


 壁に寄り添うようにして、中を見つめていた人影が、驚いたようにティファを見た。
 クラウドがいたことに気づかなかったティファもビックリして裏返った声を上げる。
 そうして、その次の瞬間、ティファは察した。
 大股でガラス塀に近づく。
 俊敏な動きでクラウドがティファの前に立ちはだかった。


「ダメだ!!」
「…どいて…」
「ティファ、ダメだ…!」
「お願い…」
「ティファ、良いか、よく聞いて」
「どいてよ、お願いだから!!」


 クラウドの必死の説得を真っ向から拒否し、ティファはクラウドの手をすり抜けてガラス塀に手を当てた。


 そして…見た。



 先ほどまで、笑っていた青年の死体を。
 青年の骸を切り開いて臓器を取り出している場面を。



 ティファは絶叫した。



 *


『クラウドさん、ちゃんと聞こえましたか?』
『……あぁ…』
『彼女、幸せにしてあげて下さいね』
『………』
『さ、彼女にばれないうちに戻って下さい。デンゼル君とマリンちゃん、心細い思いをしながら待ってると思いますから』
『…あんた…』
『はい?』
『なんで……、なんでティファを連れて逃げようとしなかったんだ……』
『…僕はね、ティファさんを本当に愛してるんです。だから、僕じゃダメだって分かるんですよ』
『だが…』
『それに、実はクラウドさんも気に入ってるんです』
『………』
『さ、戻って下さい。あ、大丈夫ですよ、絶対に変なことはしませんから』
『……そういう心配をしているわけじゃ…』
『あれ…?違いました…?ふふふ、まぁ、そうですよねえ、彼女に腕っ節で勝つわけないですし』
『…そうじゃない…。俺はあんたを信用してる。だが…』
『クラウドさん、僕はずっとこの想いを伝えることなく死ぬつもりでした。だから、ちょっと計画とは違っちゃいましたけど、彼女に気持ちを伝えられただけで満足です』
『………』
『それにね、一番の理由は…』
『 ? 』
『僕は長くないからです』
『 !? 』
『元々心臓が弱かったんですけど、星痕症候群のワクチン開発で無理をしましてね、この前大きな発作が起きたんですよ』
『な…そんな身体で大丈夫なのか!?』
『ふふ、大丈夫じゃないですよ。だから、僕は彼女を幸せには出来ません。あと1回…。あと1回、大きな発作が起きたら、僕は死ぬでしょうね』
『そんな淡々と…』
『仕方ありません。それが僕の寿命なんですよ。あ、そうそう。お願いがあります』
『…なんだ…?』
『僕は、死んだあと、臓器や角膜をドナーとして、残った身体を『献体』とするように表明しています』
『……つまり……』
『僕は死んだあと、棺の中に入れられた時に顔を見せることが出来ません。顔の皮膚移植にも同意していますから』
『な…!あ、あんた……』
『だから、僕が死んだら、絶対にティファさんには言わないで下さい。『ボーン・ビレッジ』に転属された、とかなんとか上手い具合にごまかして下さいね』
『………』
『彼女はあなたを一番に愛している。でも、その次に僕をも愛してくれているんです。だから、僕が死んでしまったと知ったら、何かしらの悪影響が彼女に起きるでしょう。そうなったとしたら……』


『僕は自分が許せない』


『だから…お願いです。隠して下さいね。絶対に僕の『死』を、彼女には知られないようにして下さい』


 *


「ティファ、ほら、今日も教会の花は綺麗だよ」
「いい匂いだよなぁ、ほら、ティファ」

 子供達が明るい声でベッドの上の人に花を見せる。
 クラウドは傍らに座っていたが、そっと立ち上がると子供達をベッドの端に座らせた。

「今日、すごくいい天気だよ〜」
「風も気持ちいいもんね」

 笑いながらそう声をかける二人の顔が、段々泣き顔になっていく。
 クラウドは子供達の頭を数回撫でると、手にしていたその花々をそっと、ティファの漆黒の髪に差してやった。

「うん、良く似合うよ、ティファ」

 そっと声をかける。
 彼女は応えない。
 子供たちは最近ではティファが何かしらの反応を見せてくれるかもしれない、という期待を持たなくなっていた。
 クラウドはそれが辛い。
 だが、こうなってしまったのも…みんな……。


「さ、二人とも。今日はハンバーグだったな」
「「 うん! 」」


 子供達を促しながら、そっと病室を出た。
 ドアの前で足を止め、振り返りながら声をかける。

「ティファ…また明日」

 カーテンがゆっくりとたなびくだけで、ついに彼女は今日も何の反応もくれなかった…。


 重い足取りでWROの広い廊下を歩く。
 子供達がわざと明るい声を上げながらじゃれ合っているのがとても辛い。


『なんで…、ねぇ、なんで!?』
『ティファ、落ち着け!』
『あたし…、あたしのせい…?あたしのせいで…エニスが…』
『違う!そうじゃない!!エニスは元々心臓が弱かったんだ、ただそれだけだ!!』
『あぁ…あたしが……あたしが……』
『ティファ、こっちを見ろ!』
『い、いやぁあああ!!!!』


 脳裏に浮かぶ彼女の苦悩の表情。
 耳に残っている甲高い悲鳴。


 それらをクラウドの記憶に刻みつけ、ティファは止まった。
 精神の過度のストレスにより、外界の情報を一切遮断している状態だという…。

 WROの局長、リーブの計らいで、この星一番の治療が受けられる幸運も、今のところティファには効果がない


「ティファ、明日は今日よりもよくなってると良いね」
「うん…」


 壊れてしまった人形のようにベッドに横たわり、虚ろな目を宙に漂わせているティファ。
 必死になってもとの元気なティファに戻ってくれるよう、毎日見舞って祈る子供達。


「大丈夫さ、ティファは今、ちょっと疲れてるだけだ」


 潤んだ二人の瞳がクラウドを見上げる。
 胸が締め付けられる…。
 クラウドは片腕で、子供達をそれぞれ抱き上げた。


「さ、帰ろう」
「「 うん 」」


 ギュッとしがみ付く子供達に、クラウドは重い足に力を入れた。



 これ以上、自分のせいで『家族』を壊すわけにはいかない。
 だが…。



 振り払っても、振り払っても。



 聞こえてくるのは…。



 瓦解の音。



 ― 『ズルズルズルズル。ねぇ、もう許してあげたら?』 ―



『俺は…許されたい…。でも……許されるわけにはいかないんだな…』



 大切にしなくてはならなかった『家族』を捨てた大罪が、代償を迫っている…。
 どうしてもそう感じずにはいられない。



 WROの医療施設を後にする三人の影が、地面にひょろ長く伸びる。

 もうすぐ、一つの季節が終わろうとしていた…。




 あとがき

 すごくすごく、暗い、というか痛い話になりました。
 真面目だからこそ、選択肢が少ないティファと、彼女を守りたいと願う男性二人。
 この話は救いのない終わり方をしていますが、こういう終わり方しかないだろうな、と思っています。
 エニスが死んだことをいつかはティファも知るでしょうし、それが遅いか早いかの違いではあるので、『心が死んでしまう状態』になるのは少しやり過ぎた感が否めませんが、愛しい人が目の前で解剖されているのを見ると、発狂してもおかしくないでしょう。
 特に、ティファは彼に沢山の恩があるわけですし…。

 クラウドはこれから子供達を守りながら、支えながら『家族』がこれ以上壊れてしまわないように頑張ります。
 全身全霊かけて守ろうとします。
 しかし、過去に犯した『家出事件』は、決してクラウドを離さないし、許さないでしょう。

 いつも甘くてハッピーエンドばかりの拙宅にとって、異色のお話し、これにて完結です<(_ _)>