望んでいた言葉。 望んでいたシミュレーションが現実に起こったら…。 あなたはどうしますか? 瓦解の音が聴こえる…。8「温まりましたか?」 シャワーから出てきたティファは、こっくりと頷いた。 エニスが貸してくれたスウェットの上下に身を包んでいるのが、どうにも気恥ずかしく、同時にとても後ろめたい…。 エニスはティファの心情を正確に読み取ったのだろう。 「大丈夫ですか?」 「……あまり……」 「でしょうね」 素直に答えたティファに、青年はクスリ、と微笑むとあっさり頷いた。 「さ、約束ですから足、診せてくださいね」 ティファに椅子を勧め、その前に腰を下ろした。 小脇には救急セットが置いてある。 ティファがシャワーを浴びている間に準備を整えていたのだ。 「でも、エニス…さんもシャワー…」 「あ、僕は良いです。もう着替えましたし、暖房も入れてるし」 「でも…」 「僕のことよりも、ほら、早く座ってください」 穏やかな口調の中に、絶対に折れない芯を感じ取り、ティファはまた小さく溜め息を吐いて言われる通り、椅子に腰掛けた。 そっと青年の手が足に触れてビクッ…と震える。 エニスは苦笑した。 「すいません、すぐに終わりますから」 申し訳なさそうに頭を下げた青年に何と言えば良い? 言いたいことは沢山あるはずなのに、何一つとして言葉にならない。 ティファは口を開きかけたものの、結局は何も言わずに首を横に振った。 エニスの処置は非常に早かった。 手際の良さに感心する。 「はい、終わりましたよ」 ニッコリ笑って見上げた青年に、ティファはホッとするのと、残念に思うのと…、両方の感情に複雑な念を抱いた。 エニスの手は、ティファを治療した時同様、救急セットをテキパキと片付けている。 大きな手だ。 クラウドとどちらが大きいだろう…? そう考えて、ティファはまた、新たな傷を自身で作った…。 「ところで、ティファさん」 棚に救急セットをしまいながら、肩越しに振り返る。 「熱、出てるみたいですけど大丈夫ですか?」 「あ…、…そう…?どうりで身体がだるいと思った…」 ティファの応えに青年は苦笑した。 「まったく…、ご自分のことでしょうに…」 「うん…ごめんなさい…」 「いえ、謝るならデンゼル君とマリンちゃん、それにクラウドさんにして下さい」 ドックン! クラウドの名前を聞いた途端、ティファの心臓が激しく跳ねた。 ちょっと驚いた顔をして自分を見るエニスに、思わず縋るような顔をする。 エニスは笑った。 「大丈夫、約束ですからね。クラウドさんにティファさんがここにいる…とは言いません」 デンゼル君とマリンちゃんにも教えてないので、心苦しいですけど…。 青年の言葉にティファは今度こそ、ホッ…と身体から力を抜いた。 エニスはベッドの傍に置いていた椅子に座り直すと、 「さ、少し横になって下さい」 優しく促した。 ティファは躊躇った。 どう考えても、青年のアパートにあるベッドは目の前のやつしかない。 ということは、青年はどこで今夜、休むのだろう? シャワーを借り、今またベッドまで…。 本当ならば、家に帰るべきだろう。 それがベストなのだ。 そう分かっているのに、どうしても今夜は帰りたくなかった。 いや、帰りたくないのではない。 クラウドの顔を見るのが怖いのだ。 身勝手な感情。 クラウドを愛しているのに、目の前の青年にも心を奪われている。 どちらかをとらなくてはならない。 その選択を迫られるのが…怖い。 先延ばしにしていても、遠くない将来、ティファはけじめをつけなくてはならない。 分かっている。 分かっているのだが…。 「ティファさん」 「…はい…?」 「クラウドさんと上手くいってないんですか?」 いつまでも椅子に座って動こうとしないティファに、青年は唐突に質問を投げかけた。 ティファはビクッと肩を震わせたが、劇場に駆られることなくむしろ、その問いかけを青年がしても当然だ、と理解した。 今夜の自分の態度を見たら、そう思わないはずがない…。 ティファは迷った。 上手くいってないわけではないのだから。 自分が自身の感情に鈍感だったせいでこうなってしまっただけの話…。 クラウドに不満があるとか、そういう問題ではないのだ。 むしろ、感謝しているくらいだ。 家出から帰ってきたクラウドは、それはそれは、子供達と自分のことを大切にしてくれている。 今もきっと、必死になって探してくれているだろう…。 だが…。 「…私が悪いの…」 「…そうなんですか?」 「…私が……」 喉の奥に何かが引っかかったように、言葉が途切れて続かない。 エニスの穏やかな顔を見ていられなくなり、そっと視線を逸らした。 そう。 全て自分が悪い。 二人の男性を愛したなど、おぞましくて言葉にならない。 「ティファさん、自分を追い詰めるのは良くないですよ」 ティファの心の中の葛藤を、エニスはまるで見透かしたかのような言葉。 ティファは青年から視線を逸らしたまま、 「…私は皆に心配してもらったり、優しくされる資格なんかないの…」 呟くように心の中に溜まった膿を吐露する。 心底そう思う。 なんと弱く、惨めな存在か。 こんな情けなく、みっともない自分など、消えてしまったら良い…。 それきり黙りこんだティファに、エニスは……。 「じゃあ、誰も幸せになれないってことですね」 ティファは目を見開いた。 ビックリして青年を見る。 スカイブルーの瞳には、穏やかな微笑みが浮かんだままなのに、口にしたその言葉はなんと重いことか…。 「どうしてそうなるの…?」 囁くように訊ねたティファに、青年は目を細めた。 「だって、あなたは『人間として』苦しんでるでしょう?『英雄』という肩書きを持っていたとしても、『一人の人間』として今、苦しんでいる…。違いますか?」 サラリ、と流れるように口にされた言葉は、まさにティファが欲しかったもの。 ティファは黙ったままじっ…と青年を見つめた。 口を開けば、嗚咽が漏れてしまいそうだった…。 そして、エニスはそんなティファの心境を正確に理解していたようだった…。 「『人間として悩み』『人間として苦しみ』『人間として足掻いて』いる。それは誰もが経験することでしょう?悩んだり苦しんだりする原因は人それぞれでしょうが、ティファさんが今、悩んで苦しんでいるのは、決して許されないことじゃないと僕は思います」 「でも…!」 「ねぇ、ティファさん」 思わず反論しようとしたティファに、エニスは微笑んだまま優しく遮った。 「僕は大切な妹を亡くしました。妹は僕にとってたった一つ残された最後の生きがいでした」 言葉を切ってローテーブルを見た。 そこにある物に、ティファは目をやった。 写真だ。 青年と同じ瞳、同じ髪を持つ愛らしい少女が写っている。 両脇には彼の両親だろう。 四人とも、とても幸せそうに微笑んでいた。 今の青年の微笑みは、両親から受け継いだ賜物だということを、ティファはこのとき初めて知った。 「僕の両親は医者でした。モンスターや人間に傷つけられた人々を癒す日々でした。誰もが両親を慕い、温かい言葉をくれました」 「葬式の時にね」 驚愕に目を見開くティファに、青年はちょっぴり悲しそうに微笑んだ。 「ある組織の人間が、一般の患者の振りをして受診に来ました。両親は彼の傷を癒すには、数日間の入院が必要だと判断しました。彼は小さな診療所でもあった我が家に入院し、両親は彼を他の患者と同じように誠心誠意を込めて治療しました。彼は、両親が目を見張るほどの回復力を見せ、無事に退院しました」 「僕と妹の目の前で両親を射殺して…」 驚き過ぎて、声にならない。 『冗談です。びっくりしましたか?』 そう青年が言ってくれるのをティファは待ったが、青年はその希望に応えはしなかった。 「僕は妹と一緒に寝室のドアの隙間から見ていました。男は両親を射殺したその足で、僕達も口封じに殺そうとしたみたいですけど、男の追っ手がやって来て、彼はその場で殺されました」 「追っ手達は僕達の存在を知らなかったのか…、それとも時間のロスを恐れたのか、早々に立ち去りました」 「あの日から、妹は笑わなくなりました」 「笑わない妹を笑わせるため、本当に沢山勉強しましたよ。精神学とか…ね」 「その勉強が役に立って、WROに入隊出来たんです」 「妹は、僕が『科学班』に籍を置くことが出来た、と報告したら、とても喜んでくれました」 「やっと、見せてくれた笑顔でした」 「そして、それからすぐ、星痕症候群で両親の元に逝ってしまったんです」 話し終わったエニスは、胸を押さえるようにして少し顔を顰めた。 言葉にならない。 なにを言っても、ティファの胸に競り上がっている熱い思いは、決して正確にそれを表すことは出来ないだろう。 だから…。 「ティファさんは、そうやって『他人』のために涙を流せる優しい人。そんな人が『幸せになる資格がない』のなら、一体誰に幸せになる資格があるんですか?」 微笑みながらそっとハンカチを差し出したエニスに、ティファはボロボロと大粒の涙を流し続けた…。 そして、心の中で必死に否定する。 自分は優しくなどない…と。 そして…。 エニスは『他人』ではない…と。 もう、既に青年の存在はティファの中から消すことの出来ない大きな存在となっている。 彼の存在を消して、『ティファ』という人間は存在しない、と思ってしまうほど…。 そうして、こうも思っていた。 自分を大切に…、愛しく思ってくれているのなら、それを言葉にして欲しい…と。 そうしたら…。 そうしたら…? もしも、エニスが想いを告げてくれたら、自分はそれに応えるのだろうか…? 「あぁ……本当に……」 「ティファさん…?」 「私は……サイテー……」 上ずったか細い声に、心配そうに寄せられる形の良い眉を見て、ティファはもう一度「サイテー」と、こぼした。 彼が想いを伝えてくれたら…。 連れて逃げたい、と言ってくれたら…。 きっと……。 「ティファさん。このままここに…僕の傍にいてくれませんか…?」 突然のその言葉。 驚愕が全身を走り抜ける。 真摯な眼差しにティファは彼が冗談でその台詞を口にしたのではないと察した。 察すると同時に甘美な感情が駆け抜け、めまいを感じた…。 「ティファさん。僕は貴女を愛してます」 甘い言葉。 曇りも、迷いも一切ない真っ直ぐな瞳。 心が吸い寄せられそうになるそのスカイブルーの色に、ティファは何も言えなかった。 『YES』 そう言いたい。 言いたくない。 相反する気持ちが心の中で激しく争っている。 だが、何故かとても心地良い。 欲しかった言葉をくれたからだろう…。 そして、たっぷりと時間をかけて…、ようやっと…。 「……ごめんなさい…」 やはり…。 「私は……」 口に出た言葉は…。 「やっぱり……クラウドが…」 否定の言葉。 震える声でそう告げる。 それすら、何故かとても心地良かった。 胸にぽっかりと大きな穴が開いていたのが、スーッと埋まるのを感じる。 青年は、たった一言。 「はい。分かってました」 にっこりと微笑んで、あっさりと頷いた。 まるで、良い返事をした子供を褒める親のような…そんな微笑み。 ティファは、 『あぁ……本当にこの人には敵わない…』 改めてエニスの存在の大きさを知った。 わざと、こうしてティファに言葉を出させたのだ、この青年は。 自分が動揺していることを察して…。 一体、何がティファにとって必要で、絶対に手放せないものかを選択させたのだ。 壊れてしまう前に…。 「エニス…さん……」 嗚咽で言葉が途切れる。 「はい」 にっこりと微笑んだまま、ゆったりと頷く。 「私…どうして…」 貴方を選べないんだろう…。 続くはずの言葉は、だが言葉にならず、ティファの心の中でころり…と転がった。 エニスは微笑んだまま、ゆっくりと腰を上げた。 「ティファさん、ちゃんとゆっくり休んで下さい。陽が昇ったらセブンスヘブンへ送りますよ」 「エニスさん…」 ドアノブに手をかけて、エニスはゆっくりと振り向いた。 「大丈夫。隣の部屋にいますから」 何かあったら声をかけて下さいね。 穏やかな声音と微笑を残して、青年はドアの向こうへ消えた…。 ティファの心に癒しの光を灯して…。 |