「壁にあった赤いランプ。あれには絶対に触らないでね。触ったらそこから溶けて食べられてしまうから。それから、多分この部屋から遠くなるにつれてこの建物はクラウドさんたちを攻撃するようになるから、出来るだけ早く動いて欲しいの。早く歩くとか…走るとか。立ち止まるのは絶対にダメ。その分、狙われやすくなるから。外に出られる道を選ぶ人にも同じことが言えるから、あまり二手に分かれない方が良いかもね」

 C−6の早口の助言。
 クラウドは勿論、隊員達も一言も聞き漏らすまいと真剣に耳を傾けた。
 説明は僅か1分程度。
 その1分ですら少女の傍らに立つ女博士は惜しんでいるようではあったが、最後まで口を挟まず黙ってじっと待っていた。

 完全に火が消えた部屋に残っている卵は……3個。


暁光 11



 何度も振り返るクラウドを、少女は女博士の隣で最後まで笑って見送った。
 やがて、金色に輝く髪が暗い壁の中に消えていった後も、C−6は笑顔のまま暫く手を振った格好で佇んでいた。
 結局、外に出る道を選んだものは1人もいなかった。
 C−6の説明からも分かるように、戦力を分散させるのは得策ではなかったことと、一番戦力外通告をされているグリートが断固として反対したからだ。
 自分1人だけが安全な場所へ退避を命じられる前に青年はこう釘を刺した。


『俺、絶対に1人だけこっちの外に通じる道を進んだら途中で殉職します。だからと言ってもう1人が俺と一緒に外に出るような命令を中佐が下したなら、その時点で俺は除隊しますからね。ま、こんな身体、使い道はないかもですけど、”捨て駒”としてなら十分でしょ?人食い壁に囲まれて、にっちもさっちも行かなくなったら、そのときには俺が食われている間に先に進んだら良いんだし。おっと、反対はナシナシ。それくらいのことはさせてもらわないと、何のために先行部隊としてここにいるのか意味分かんないでしょ?俺1人の命を優先するよりも、他の仲間たちの命を優先するべきでしょうがここは?中佐の仰りたいことは分かりますが、この場合は”量より質”じゃなくて”質より量”を選ぶべきっすよ』


 軽いジョークまで交えてそう言ってのけた部下を、シュリは小さく溜め息を吐いて諦めたようなフリをした。
 最も最善の道はグリートが言ったことそのものであり、その命令を下すにはあまりにも重過ぎた。
 部下に進んで殉職をするよう命令する上司に一体誰が心身を預けると言うのか。
 部下のジョークを受け入れるという態度を取ることで、シュリは確かに救われていた。
 そしてそれは、その場にいた全員が悟ったことだったがあえて指摘したり蒸し返す愚か者はいなかった。

 アメジストの瞳を持つ従兄弟にそっと支えられた青年隊員は、
『悪いな。でも、俺はしぶといからさ』
 そう言って、まだ毒の抜けない重く辛い身体を預けて笑った。
 従兄弟の青年はそれに対し、優しく目を細めて微笑み返したのみで、何も言わずにすぐ上司へと目を向けた。
 一刻の猶予もないからだ。

 そうして、一行は慌しく去っていったのだ。



「いい人たちだったね」

 博士の一言に少女は力強く頷いたが声には出さなかった。

「アイツも”アレ”以降、成長した…ということか」

 博士の反対隣で当然のようにいるヴィンセントが少しだけ感心したような声音で呟いた。
 そう、ヴィンセントだけがこの場に止まっている。
 少女の興味深そうな視線に気づいてヴィンセントは小さく息を吐き出した。

「1度、大切なもの全部から背を向けて逃げ出したからな」
「へぇ!そうなの?なんか信じられないなぁ」
「人間だからな。強いときもあれば弱いときもある」
「ふ〜ん、人間って面白いね。じゃあ、お兄ちゃんもそうなの?強かったり、弱かったりする?」
「さぁ、どうかな。私が強いことがあっのたか疑問だ」
「強そうだよ?」

 きょとんとする少女にヴィンセントは肩を竦めて卵の方へ顔を向けた。
 たった3個の卵がだだっ広いフロアーにある。
 その残った3個の卵のためだけにヴィンセントは残っていた。
 C−6が言うには、あの3個の卵が一番の最高傑作なので、絶対に遺(のこ)すわけには行かないのだそうだ。
 それを聞いたとき、真っ先にクラウドが残留を申し出た。
 しかし、少女は首を振ると赤いマントをクイッ、と引っ張ってヴィンセントを指名したのだ。
 驚く面々の中でも一番ビックリしたのは当の本人だったろうが、クラウド顔負けの無表情・無愛想な性分のお陰で最後までその驚きを他者に知られることはなかった。

 銃での攻撃だったら、全部ヒュドラを片付けた後、脱出するのに都合が良い。

 それが少女がヴィンセントを選んだ理由だった。
 遠距離攻撃によりバケモノを撃退。
 その直後、止まることなく速やかにクラウドたちの後を追って脱出。
 時は一刻を争う事態だ、数秒たりとも無駄には出来ない。

「それに、隊員さんたちはもういっぱいいっぱいだもん。この1週間、ほとんど寝ないで頑張ったからもう限界だよ。中でも一番頑張ってきた黒い目のお兄ちゃんは熱があるからクラウドさんが守ってあげないときっと、生きて出られない」
 そっちの珍しい目の色をしたお兄ちゃんは従兄弟のお兄ちゃんで手一杯だと思うし。

 鋭い観察眼で理にかなった分析をして見せた少女に、クラウドが”否”と言えるはずがなかったし、これ以上、仲間達の足を自分勝手な感情で引っ張るわけには行かないという責任感も働いた。
 なにより、感情だけで行動するという無様な姿を、少女に見せたくはなかった。

 恐らく、生まれた瞬間から1度たりとて裏切ったことのない”兄弟”でもあり”分身”でもある”アビー”に反旗を翻す決意を固めてくれたC−6に、クラウドは精一杯の強がりを見せることで少女の決意に敬意を表した。



「お兄ちゃん。もうすぐだよ」

 C−6が声をかける。
 ヴィンセントは目を眇めて銃を構えた。
 彼が立っているのはクラウドたちが消えた壁の穴の前。
 全ての卵を片付けたら全速力で仲間の後を追うことになっている。

「アンタが全部片付けてくれたらこっちもすぐ行動に移るからね」

 ドクター・カロリエが少女の背後で斜に構えながら視線だけ寄越した。
 もう命尽きたはずの女博士。
 神羅に属し、狂った科学にその名の通り、人生を投じた愚かな女。
 そのはずなのに彼女はどこか、映像に残っていた神羅の科学者よりも自分達にこそ近いものを感じさせる。

 守りたいものを守るために己が身を賭して戦う強い意思を持つ気高き人。

 もっとも、ヴィンセントは自分をそんなたいそうな人間だとは思っていないが、それでも仲間たちのことはそう評している。
 ユフィでさえも。
 言葉にも態度にも表しはしないが、ヴィンセントは仲間を尊敬していた。
 だからこそ、この人付き合いが面倒で仕方ない自分がここまで付き合ってしまっているのだ。

「お兄ちゃん、卵から孵って時間が経てば経つほど、ヒュドラの皮膚は硬くなるし動きは早くなるから気をつけてね」
「……そう言うことは早く言え…」

 軽く眉を顰めながら、しかし決して怒っているわけではなく不機嫌に答える。
 C−6は笑った。

「うん、ごめんね。なんか言うタイミングが掴めなくて」

 言い終わった直後、3個の卵が同時に激しく震え、ビシッ、ビシシッ!と音を立ててヒビが入った。
 ヴィンセントはスッ…と、表情を改めトリガーに引っ掛けた指と銃口が向いている先、つまり目の前の卵のみに意識を集中する。
 ヴィンセントの周りから一切の音が消え、存在が消え、己と3個の卵だけが今、この時を支配する。

 空気を引き裂くような異音を奏でながら、三匹のバケモノが硬い殻を破って飛び出した。

 まず、一匹目は卵から出た直後、大きく開いた口腔を一発撃ち抜いて片付ける。
 二匹目は天井付近まで飛び上がっていたところをすかさず胸と頭部を撃ち抜くことに成功した。
 しかし、残り一匹に発砲したヴィンセントは、耳障りなバケモノの絶叫に掻き消されるようにくぐもった鈍い音を耳にして眉間のしわを深くした。

 確かに胸を撃ち抜いたはずなのに先の二匹のバケモノのように最後の一匹は斃れなかった。
 大きく裂けた口腔を更に開き、痛みによる苦悶の叫びとそれを上回る憤怒に駆られ、ヴィンセントへ牙を剥く最後のヒュドラは、胸から血の流れを作りながらまだ動いていた。
 それも俊敏に。
 あっという間に第二射を撃とうとしたヴィンセントとの間合いを詰める。

 跳躍。

 ヴィンセントは軽やかに天井近くまで飛び上がった。
 くるりと宙で姿勢を変えると、自分を追って飛び上がってきたヒュドラと真正面から対峙するように逆さ向きになる。

 発砲。

 弾丸は寸分違わず一発目と同じ傷跡へ吸い込まれた。
 空気を引き裂くような悲鳴をヒュドラが上げた直後、ヴィンセントとバケモノの位置関係が変わる。
 ヴィンセントが床に着地し、銃を構え直すが半瞬遅れてヒュドラも体勢を直していた。
 恐るべきスピードで身体を捻るとヴィンセントの銃弾の軌道から身を逸らせることに成功する。

 信じられない神業を成し遂げたバケモノに驚いている暇はない。

 怒りと殺意の篭った赤い眼をギラギラ光らせながら、バケモノはヴィンセントへ鋭く尖った爪を武器に、腕を大きく横薙ぎに払った。
 決してギリギリに避けたわけではないのに、ヴィンセントの右目下に血の筋が走る。
 文字通り、空気を切り裂くほどの攻撃にヴィンセントの背筋に冷たいものが走り抜けた。
 しかし、こんな傷くらいで怯む”英雄”ではない。
 床に足を着けたかと思った瞬間、C−6とドクター・カロリエの頭上を飛び越えて壁に足を着き、まるで地面を踏みしめるようにして両の腿(もも)に力をグッと込め、ヴィンセント目掛けて弾丸のように飛び掛ったヒュドラを、ヴィンセントは実に冷静に見据えていた。
 今度はギリギリではかわさない。
 ヒュドラが殺気を込めた攻撃に移る前に、思い切り後方へ飛ぶ。
 ヴィンセントが立っていた床を大きく抉りながら、その姿を追い縋って奇声を発しながら飛び掛ってきたヒュドラを、ヴィンセントはまたもや今度はその身体を飛び越えて攻撃をかわした。

 宙で狂気に満ちた赤い瞳と、霜の降りた冷静な赤い瞳が交錯する。

 ヒュドラが半身を捻りながら床に着地したとき、ヴィンセントは既に準備を終えていた。
 真っ直ぐに腕を伸ばし、躊躇うことなくヒュドラのはるか頭上を打ち抜く。
 そこには、ドクター・カロリエが攻撃したときに用いた電気系統の配線が走っていた。
 バチバチバチッ!と、激しい音が鼓膜を叩く。
 しかし、先ほどカロリエが起こしたような火災は起きない。
 だが、それだけで十分だった。

 ヒュドラが驚いて頭上を仰ぎ見る。
 ヴィンセントの銃が火を噴いたのはまさにその刹那の瞬間。

 尖った耳の穴を右から左に弾丸は迷うことなく真っ直ぐ突き抜けた。
 驚愕に見開いたヒュドラの赤い瞳がスローモーションでヴィンセントを捉える。
 その両の目をもヴィンセントは冷静に二発の銃弾で撃ち抜き、最後に断末魔の叫びを上げる口腔を撃ち抜いた。

 実に見事な戦いを勝利に収めたヴィンセントに、しかしC−6もドクター・カロリエも、ヴィンセント自身ですら褒めることはなかった。

「早く!!」

 少女と女博士の声に押されるまでもなく、ヴィンセントはクラウドたちが通った穴へと身を投じた。
 一瞬。
 振り返って自分を見送る少女と女博士の姿を瞳に焼き付ける。

 2人はどこまでも真剣で、それでいて、ヴィンセントがこの部屋を無事に後に出来ることにホッとしているように見えた。

 創造者と造られし命。

 対極の位置にあるはずの二つの存在。
 重なることのないはずの存在理由が、こんな形で協力しようとしている不思議を思わずにはいられない。

 ヴィンセントは2人へなにも言葉を残さず態度にも示さぬまま、仲間の後を追うべく脚に力を込め、真っ直ぐ前へと目を向けた。



「良かった…」

 ホッとしたように頬を緩めた少女に、ドクターはフッと笑みを浮かべた。
 それを少女は不思議そうに見上げ、小首を傾げる。
 カロリエは、少し皮肉めいた笑みを浮かべるとゆっくり首を振った。

「まったく…、死刑になって然るべき人間を生かしている、と聞かされて…、『なら、私が死なせてくれ!という目にあわせてやる。いっそ、生まれてきたことを後悔させてやる!』って意気込んでこんなことにまで手を染めたっていうのに…」

 言葉を切って少女の姿をした正真正銘のバケモノを見る。

「こんな形で共闘するとは思いもしなかったわ」
「博士はなにか大切なモノを奪われたの?」

 カロリエの言い草から少女は小難しい顔をしながら言葉をひねり出した。
 女博士は軽く首を竦めただけで否定しなかった。
 変わりに少女へ向かって手を伸ばす。

「ま、そんなことは”私と1つになれば”分かることでしょ?」

 差し出されたその手を少女はニッコリ見つめた。
 大きく頷き、スッと身を引く。

「うんそうだね。じゃあ、よろしく」

 両腕を軽く広げるようにして立つ少女に、カロリエは今度は皮肉めいたもののない純粋な笑みを浮かべた。

「こちらこそ、よろしく」

 言い終わる前にカロリエの全身が煌々と輝く。
 エメラルドグリーンの神秘な輝き。
 その光が部屋を満たした直後、パッと光が消えた。

 2人の姿を飲み込んで…。


 *


 さして広くもない廊下は陰鬱な雰囲気しかなく、小走りに走る足音と荒い息遣いがその雰囲気に焦燥感という彩りを加えていた。
 誰も何も言わない。
 一言発したことにより、その声に危険を知らせる物音が掻き消えてしまうかもしれない…、と恐れているようでもあり、何か言うだけの力をも惜しんでいるかのようでもあった。
 疲労はとうに限界に達し、緊張は精神を蝕みつつある。
 果てしなく続いているかのような先の見えない廊下を前に、誰もが焦燥感と背後や頭上からの攻撃に神経を張り巡らせていた。
 なにしろ、この建物全体が敵なのだ。
 頭上のみならず、いつ足元がポッカリ大きな口を開けるか分からない。
 クラウドは前を見据えてひたすら走りながら、背後に置いてきた少女のことを思った。
 彼女を引き止めたのは正しかったのか、いまだに分からない。
 引き止めるだけ引きとめたくせに、最後の最後で守ることを放棄してしまった。
 その思いがクラウドの心にこびりついて離れない。
 例え、少女本人が望んだ結果だとしても、クラウドにはなんの慰めにもならない。
 過程ではなく結果が全てだ。
 勿論、過程も必要なことはわかっている。
 しかし、その過程はあくまで結果をもたらさなくては意味がない。
 命に関わることなら特に。

「クラウドさん。大丈夫ですか?」

 ハッと我に返る。
 隣ではシュリが前を向いたまま併走していた。
 何も言わなくても、クラウドが抱えている途方もない罪悪感を感じ取ったのだろう。
 無口なくせに人の心の機微には鋭い青年にクラウドはムッツリと無言を通した。
 この場合、何を言うべきなのか分からないし、頷くことすらもなんだか面倒だった。

「気持ちは分かる…とは言いません。俺はそこまでお人よしじゃありませんから」

 普段、口数の少ない青年にしては珍しく、これで終わらなかった。

「でも、落ち込むのは今は止めて、これが無事に終わってから好きなだけどうぞ」

 その言い草に半分ムッとして、残り半分はあまりな言い方とシュリらしい…という妙な納得から片眉をヒョイと上げた。
 シュリはそんなクラウドに構わず、腰のホルスターへ手を伸ばした。
 クラウドのみならず、走りながら隊員たちに緊張が走る。

「来る」

 一言。

 言い終わるか否か。
 突然前方の両側の壁が雪崩れるようにして崩れ始めた。
 前の方から後方へ。
 つまり、クラウドたちに迫るように壁がビッグウェーブのように崩れ、迫る。
 壁にはC−6が警告した赤いランプが無数にギラギラ光りながらその存在を主張していた。

 発砲。

 シュリのみならず、銃を持っている隊員はグリートを除いて全員が発砲した。
 正確にランプを狙って撃てている者はごく僅か。
 大半の隊員は半狂乱になってメチャクチャに撃っている。
 いくつもの弾丸が何もない壁によって弾かれ、無駄になった。
 しかし、いくつかの弾はランプに命中し、そのたびに壁が…、床が激しくうねる。
 銃弾に撃ち抜かれたランプは、まるで生き物のように撃たれた瞬間赤い飛沫(ひまつ)を上げて散った。
 立っているだけでも一苦労な足場に、クラウドはソードを抜いて突進した。
 背中からは隊員たちの弾丸が飛んでいる。
 流れ弾に当たる…というよりも、弾の軌道上にいるので当たる確立の方が高いし当たったとしても文句は言えない。
 その危険の中、クラウドは疾風のように駆け抜け、迫る壁へ向けてソードを振るった。

 渾身の力を込めて一閃する。

 バカッ!と、壁のウェーブが左右に大きく開く。

「走れ!!」

 隊員たちの方へ飛び退りながら一喝。
 シュリを先頭に隊員たちは発砲をやめてひた走る。
 切り開かれた壁はすぐに元に戻ろうとするが、そこをクラウドはもう一閃、今度はリミット技の応用で”気”を飛ばして更に切り開く。
 そうして、脂汗を浮かべて真っ白な顔をしているグリートを片腕で担ぐと、猛然と走り抜けた。
 切り開いた壁の部分を疾走する。
 背後から力を取り戻した建物が追いすがる不気味な音が聞こえるが、振り向いて確認する余裕もない。
 足がもつれそうになるがなんとか踏ん張る。

「俺を……置いて…!」

 舌を噛みそうにしながらグリートが肩の上でクラウドに訴えたが、当然無視をする。
 やがて、ひた走る一行を飲み尽くさんと、壁のみならず天井までもがうねり始めた。
 少女の言った通りだ。
 あの卵の部屋から出て遠くなるにつれ、建物の攻撃が執拗に、強くなっている。
 建物の攻撃というよりも、アビーが建物を使って攻撃する力、と表現した方が良いかもしれない。
 今や、アビーの意識はこの建物を支配しており、建物の中にいる生き物はどういう形であれアビーの腹の中なのだ。
 腹の中で色々と画策したところで、所詮、早く出なければ胃酸に溶かされ、完全に食われてしまう…。

 天井がギラリ、と赤く光った。

 ハッと顔を上げるとそれまでなかった赤いランプが両サイドの壁のみならず、天井一杯にまで広がっている。
 おぞましいその光景にゾッとする暇もない。
 突如、前方数百メートルの壁がブワッ、と膨れ上がったのが見えた。
 足を止めかけた隊員をクラウドは「止まるな!」と一喝する。
 背後からは変わらず追いすがるようにして壁が迫っている。
 立ち止まるとあっという間に追いつかれる。
 クラウドは抱えているグリートをどうするか、一瞬迷った。
 無論、捨て駒のようにするつもりはサラサラない。
 しかし、抱えていては先ほどの攻撃が繰り出せない。
 走りながら受け止めてくれるだけの余裕は、隊員たちの中には誰もいない。
 全員が自分のことで精一杯だ。
 一番頼りになるシュリやプライアデスですら、この1週間の任務ですっかり疲弊しきっている。
 だからと言って、一瞬だけでも青年を床に置いて攻撃するのはグリートの命を危険に晒してしまう。
 それも、かなりの高確率で食われるだろう。

(くそっ!)

 別れ際に見たC−6笑顔が脳裏を過ぎる。
 少女のみならず、グリートまでも切り捨てないといけないのか?

 悩んでいる時間はない。
 既にシュリを初め、隊員たちは後方と前方の敵に向けて発砲している。
 空になった弾装に弾丸を詰め、また発砲。
 しかし、効果はない。
 前方のバケモノとの距離数百メートルはあっという間に僅か百メートル未満の距離となっている。
 その頃には、壁の膨らみがただの膨らみではなく、”アビー”の分身の姿をごっちゃに浮き上がらせているのが見て取れた。

 C−6と同じ顔をした少年少女の顔・顔・顔。

 口をポッカリ開け、虚ろな目をクラウドたちに向けながら小さい手をヒラヒラ揺らし、待っている。
 自分たちの胃袋の中に完全に入ってくるのを待っている。
 決定的な攻撃をしないと全員、どっちみち終わりだ。

 焦燥感と選ばなくてはならない痛みに顔を歪め、クラウドは唇をかみ締めた。
 そして…。


 すまない。


 そう言って、グリートを離そうと口を開こうとした時。


 背後から迫っているバケモノの気配が一瞬、爆発的に膨れ上がった。
 かと思ったその瞬間、神経を引っかくような凄まじい断末魔が上がり、迫っていたバケモノが爆散した。
 文字通り、爆発して飛び散ったのだ。
 元々壁のバケモノが飛び散ったのだからたまらない。
 背中や後頭部をバチバチと瓦礫が飛んで当たる。
 思わず床に伏してその爆風と瓦礫から身を丸めてやり過ごした一行は、濛々とあがる埃に咳き込みつつ顔を上げた。

「あ…」

 思わず漏れたその声は誰のものだったろう?
 埃のカーテンを縫うようにしてはためく赤いマントに、クラウドは彼らしくない苦笑をひらめかせた。

「美味しすぎるだろ、ヴィンセント」

 ヴィンセントはクラウドの言葉にチラッとだけ視線を寄越したが、特に得意そうな顔をするでもなく、静かに銃を構えると、

「次は譲ってやる」

 彼らしくない冗談を口にして発砲した。
 続けざまの銃弾は数ミリのズレもなくアビーの分身である子供たちの肉塊に撃ち込まれる。
 身を捩って苦悶の叫びを上げるバケモノに全員が一瞬凍りついた。
 何故なら、その苦悶の叫び声が子供そものの甲高い悲鳴だったからだ。


「全員、走れ!」


 シュリの怒号が飛ぶ。
 我に返った隊員たちは力が抜けそうな下肢を叱咤し、走り出した。
 鼓膜を破らんばかりのアビーの悲鳴とヴィンセントが発する銃声が狭い廊下に響き渡る中、全員がアビーの分身の脇を走り抜けることに成功した。

 そうして。

「ここか…」

 バケモノの身体を回り込んだ先にあった部屋に駆け込んだクラウドたちは、全身で息をしながら目の前にある”それ”を見て言葉をなくした。
 そこには、樹齢千年を超える大樹の幹ほどもある太い”管”がドクドクと脈打ちながら床から天井へと伸びていたのだった。