ナナキが開けた壁の穴。
 その先には階段が続いている。
 そこ目掛けて走る一行を当然バケモノがすんなり通してくれるはずがない。
 我武者羅に武器を振り回しながら走る隊員たちに、黒い体躯のバケモノは一定距離を開けながらそれでも隙を伺っては攻撃をしてくる。
 間隙を突いたその攻撃は、まるで蛇のように鋭く柔軟で予想がつきにくい。
 一体でも大変な相手なのに、無尽蔵のように次々天井から落ちてくるバケモノに、誰も口にはしないが精神的に限界を感じていた。
 倒しても倒してもキリがない…。
 それでも止まるわけには行かない。
 怒号と銃声、殴打の音と床を駆ける足音。
 荒い息遣いとバケモノを呪う罵声。
 それらの耳を覆いたくなるような音が鼓膜を叩く。
 その中、隊員たちを率いてシドは善戦していた。
 悲鳴を上げて数名の隊員が床に倒れ、助けようとした隊員の背をバケモノが攻撃する。
 それを横合いからシドとバレットが防ぎつつ全員揃ってこの地獄絵図のような戦場から脱出しようと試みる。
 しかしここまでの激戦を繰り広げておきながら全員が無事に…などと虫が良すぎるのだろう。
 数名の隊員は既に床に伏して動かない者もいた。
 視界の端にその光景を映したバレットの口から怒りと悔しさの呻きが漏れる。

「ちくしょう!!」

 怒りに任せて機関銃をぶっ放す。
 銃弾による攻撃は敵に通用しない。
 しかし、眼前に迫る体躯を足止めし、引き離すことは出来る。
 バレットの攻撃によって足止めを喰らったバケモノの後ろでは、ナナキが天井から落ちてくるバケモノを尾で張り飛ばしていた。
 俊敏な動きにはいささかの狂いもない。
 少しでも敵を拡散させ、仲間にこれ以上の犠牲が出ないよう必死に戦う。
 嗅覚が優れているナナキには毒草による攻撃はどうしても出来ないので通常攻撃のみだ。

 そのナナキとバレットの援護により、一番先頭を走っていた班長の1人がなんとか階段に到着しようとしたその時、彼らの頭上の天井がパッカリと口を開いた。
 落ちてきた”ソレ”をみて、ナナキはギョッと目をむいた。


「ダメだ、戻って!”変異体”だ!!」


 毒植物を突き出した格好でまさに迎え撃とうとしていた隊員にその声が届くにはあまりに時間がなさすぎた。
 そのバケモノは全身を使って大きく口を開けると、突き出した武器ごと隊員をパックリと飲み込んでしまった。
 間近でそれを見ていた隊員が堪えきれずに悲鳴を上げる。


「チクショー!もう”成長”しやがったのかよ!」


 唯一効力のあった攻撃が効かない新手の登場。
 黒い光沢のある身体、ツルリとした肌はそのままに、変異体と呼んだナナキの言葉通り、そのバケモノは先ほどまでの敵とは違っていた。

 毒々しい真っ赤な瞳が2つ、のっぺりした顔に爛々と光っている。

「全員、逃げろ!もうこの攻撃は通用しねぇ」

 逃げろ、とバレットに言われるまでもない。
 隊員たちは既に悲鳴を上げて逃げ出している。
 なんとかギリギリのところで保っていた理性がとうとう切れてしまったのだ。
 完全にパニックに陥り、統率もなにもない。
 大混乱に叩き落され、恐慌状態に陥ってしまった。
 最も恐れていた事態にシドはギリリ、と奥歯を噛んだ。






暁光 10







 淡い光に包まれ、今にも消え去ってしまいそうな女性、ドクター・カロリエ。
 赤い髪は肩口で切り揃えられたストレート。
 小柄で華奢な体躯はユフィと同じくらいだ。
 年齢は40歳半ば…。
 彼女は驚きの眼差しで見つめる面々を一瞥すると、興味深そうにC−6で視線を止めた。

「ふ〜ん、これはデータにない結果になりそうね」

 顎にほっそりとした指を添え、呟いた彼女はいかにも研究者といった感じだった。
 目の前の研究対象に並々ならぬ関心を抱いているのが伺える。
 少女もまじまじとドクター・カロリエを見つめ返していた。

「私たちもびっくり。こんな風にただの人間が私たちの真似事をしてのけるとは思わなかったもの。お陰で随分苦労したけど、こうなっちゃった今は『それもまぁ仕方ないことなんだろうなぁ』って感じしかしないね〜」
「ふ〜ん…諦めが良い、と言うよりは、今の事態に順応する能力に長けている、という方が正しい…かな?」

「お話中、申し訳ないですが…」

 放っておいたら少女と討論を始めてしまいそうなドクターにシュリが控えめに声をかけた。
 カロリエはポン、と1つ手を打つと、「ごめんごめん、忘れてたわ」軽い口調でいそいそと向き直った。

「改めてこんにちは。このアビー研究員の1人、カロリエよ。残念ながら死んじゃってるわけだけど、まぁそれはこの際どうでも良いわ。時間がないから簡単に説明します」

 そう言って、チラリ、と炎を見た。
 随分下火になっている。
 一瞬のうちに燃え上がった業火は、バケモノの卵をあらかた飲み込んでいたようだったが、それでも炎の舌の合間から無事な卵の存在が確認出来た。

「この目の前の卵、あれはさっきもこの子が言っていたけどアビーが作り出したもので、この星に向けての兵器。アビーを母とし、アビーの命令しか受け付けない、まさに製作者にとっては理想の塊のようなモノね。アンドロイドの生きたバージョンだと考えてもらって結構よ」

 アンドロイド…。

 言葉は勿論知っているが、いまいちピンとこないその言葉に、隊員が口の中で繰り返した。
 ドクターはその呟きが聞こえたかのようにタイミング良く頷いた。

 だが、とクラウドの中に1つの疑問が浮かんだ。
 アビーを母とし、絶対的君主としているのなら、何故C−6を狙った?
 クラウドや隊員たちの手から少女を”救出”するという意味での攻撃だったのだろうか?
 それにしては、いささか乱暴すぎたように感じられる。
 C−6を抱えて走ったクラウドこそが少女を”災厄から守った”と確信しているのだから、これはおかしくないだろうか?
 しかし、クラウドはその質問を口にする隙を逃した。
 C−6を敵視していたとしか考えられないヒュドラの攻撃。
 それが意味するところを深く考えなくとも分かるような気がしたこともあるが、その疑問を口にしたところで今、直面している危機の打開に関してそれこそあまり意味がない気がした。
 女博士に残された短い時間を無駄には出来ない。

 ドクター・カロリエはクラウドの僅かな葛藤など露ほども気づかぬまま、腕を組むと後ろにあるコンピューターへ視線を流し、意味ありげにシュリを見た。
 トパーズの瞳と黒曜石の瞳がカチリ、と合う。

「ここは元々、囚人を触媒として星とコンタクトを取り、その流れを計算して魔晄の力を意のままに操れるように…というためのコンピューター。どうやって囚人を使って星とコンタクトをとっていたのかは、詳しく聞かないほうが良いでしょうし、時間もないし割愛するから質問しないでね。それで…、今では無用の長物となっているけど、この機械は死んでない。私のほかに扱える人間がいれば、だけどね。私はこの通り、アビーの体内と言えるこの建物の極々一部の中を”隔離”するだけで精一杯。とてもじゃないけどこれは触れない」

 無言でシュリは一歩進み出た。
 コンソールパネルを眺め、いくつかのキーを実際に触る。
 ブンッ、という低い音と共にそれまでなにも映し出さなかったモニターに光が宿り、いくつかの単語がパパパッと走る。

 口笛を吹いて満足そうにカロリエは笑うと、すぐに表情を引き締めた。

「生きてる時に会っていたら、絶対に私の弟子にしてたのに。それに、こんな切羽詰ってなかったら最期の思い出に私の持ってる知識を伝授したのになぁ、本当に残念」

 そうしてシュリにいくつかの指示を下しながら、同時に呆けたようにその場を見守っている面々を叱咤した。
 ドクターの指差す方へ顔を向けた面々は、ギョッと息を呑みながら一斉に銃を構える。
 業火の名残が完全に失せたフロアーには、焼け残った卵が不気味に震えていた。
 先ほど逃げる一行を襲い掛かってきたバケモノ、ヒュドラが孵化する直前に見せた動きと全く同じ現象。
 恐怖から小さく悲鳴を上げた隊員がトリガーを引こうとしたまさにその時。

「ダメ。卵から出たところを狙わないと効かない!」

 両腕を広げて銃口の前に身を晒して止めたC−6にクラウドたちは目を見張った。
 慌てて駆け出し、覆いかぶさるようにして床へ引き倒したクラウドの右肩を、銃声と共に弾丸が掠めて飛んでいった。
 発砲した隊員があっ!と後悔の声を上げ、ヴィンセントが慌ててその隊員から銃を捻り奪う。
 チリッと熱が走ったものの大した怪我じゃない。
 それよりもクラウドにとって、C−6が身を挺してバケモノについて教えたことの方が重要だった。

「…なんで…?」

 たった一言。
 口に出来たのは『なんで?』それだけ。
 それ以上は胸がいっぱいで、クラウドは言葉を紡ぐことが出来なかった。
 しかし、C−6はニッコリ笑っただけで何も言わなかった。
 だが、クラウドにはそれで十分だった。
 バケモノは少女にとって、兵器であり自分達を害するものから守る盾のはず。
 それなのに、バケモノの特徴を身を挺して教えてくれたその理由は、たった一つしかないだろう。

 少女にとって、クラウドやこの場にいる人間が”大切な存在”なのだと、行動にまさに示してくれたのだ。

 喉の奥で何かが詰まったような感触と共に目の奥が熱くなる。
 声が震えないように数回の深呼吸が必要だったクラウドは、その間に少女を大事に大事にそっと手を貸すと体を起こし、立たせてやる。
 少女が何も言葉をくれなかったからこそ、クラウドも『嬉しい』と言葉に出来なかった。
 その言葉に出来なかったクラウドの気持ちを、少女は汲み取ってくれただろうか?

「クラウド、その子と一緒に下がってろ」

 肩に手を置かれて顔を向けると、ヴィンセントは真っ直ぐ前を見据えたまま庇うようにして一歩踏み出した。
 構えた銃を迷うことなく発砲する。
 同時に卵からヒュドラが飛び出した。
 いや、正確には飛び出そうとして殻を破った直後にヴィンセントの銃弾を眉間ど真ん中に受け、下半身を殻の中に突っ込んだまま仰向けに倒れ伏した。

 それが合図だった。

 次々と卵が大きく震えてヒュドラが飛び出す。
 ヴィンセントの正確な攻撃が飛び出たヒュドラを銃声の数だけ斃していく。
 遅れて銃声が増えた。
 我に返った隊員たちの攻撃だ。
 クラウドは壁に寄りかかって座り込んでいるグリートの傍まで少女を引っ張っていくと、ソードを片手に攻撃する隊員たちのすぐ後ろに控えた。
 動けないグリートとC−6を庇うように控えるクラウドに、グリートが辛そうな顔のままクスリ、と小さく笑った。

「なに?」
「いや…無愛想な顔してるくせに甘いよなぁ…と思って」

 不思議そうに小首を傾げた少女にグリートが眉間にしわを寄せたまま笑う青年に、少女は「あぁ、そうだね」とコックリ頷きながら視線を金髪の英雄へ戻した。

「さっき、あの子達に狙われたとき、私を置いてけば助かるよ?って言おうとしたら最後まで言わせてもらえなかった」
「あぁ、みたいだな。ちょっと怒ってたろ?」
「うん、怒られた。なんで?」

 目を戻してジッと見る少女に、青年は苦笑する。

「それが、”大切”ってことだろ?」

 C−6は一瞬、目を丸くしたがパァーッと花が咲くような笑顔を見せた。
 少女の正体を知り、命まで狙われたグリートでもドキリ、とするほど、それはそれは純粋無垢な笑顔だった。
 そして、その光景を視界の端に映したカロリエは、シュリに指示を下しながら口元を綻ばせたが、すぐに難しい顔をした。
 シュリにそっと何事かを呟くと青年の返事を待たずに少女の許へスッと移動する。

「…アンタ、もう気持ちは決まってるんだね?」

 それは質問ではなく確認。
 思わずクラウドが振り返るほど真剣で重い口調だった。
 しかしC−6はその重々しい口調に対し、どこまでも”C−6”だった。

「うん」

 明るく、軽く。
 何の気負いもなくあっさり頷くと、少女は真剣な顔をするドクターの肩越しにクラウドを見た。
 クラウドから目を逸らさないまま、もう一度、
「良いの。私はもう”異物”だから」
 キッパリそう言った。

 C−6の言った”異物”という単語にドキリ、と不安から心臓が縮む。
 眉間のしわを深めたクラウドから少女は視線をドクターに移す。

「みんなの意識の方がうんと強いからどこまで出来るか分かんないけど、でも博士が考えてることが上手くいけばなんとかなると思うよ」
「あらまぁ、バレバレだったの?」
「うん、この部屋に入った直後に分かった」
「あ、良かった。ということは、アンタの兄弟たちにはバレてないわけかしら?」
「うん、まだ大丈夫だと思うけど…どうかな?みんな、私のことはヒュドラに任せてるみたいだから」
「『みたい』?」
「うん。博士の意識で研究室からこの”卵の部屋”まで隔離されちゃってるから、兄弟にこの部屋の中のことは分からないのと同じで、外のことは私には分からないからみんなが何考えてるのかリアルには分からない。想像は出来るけど」
「あ〜、なるほどね」
「それでも…うん。大丈夫。博士だって”私がここまでこうなってる”なんて思ってなかったでしょ?」
「まぁ…否定はしないわ。私が考えてた方法は成功する確率が25%しかなかったから躊躇したんだけど、アンタの覚悟がそこまで決まってるなら話は別。成功確立、65%くらいまで引きあがったわ」
「え〜?100%じゃないの?」
「そんな不満そうな顔してもダメよ。データは何度も計算したんだから。40%も引き上げられたのは驚異的。逆に褒めてもらいたいくらいね」
「私のお陰でしょ?」
「そ。アンタのお陰」

 ジッと互いに見詰め合ったかと思うと、カロリエとC−6は軽い笑い声を上げて笑った。
 軽いやり取りの会話も、この笑い声も、本来ここにあるはずのないもの…。
 それが、こうして銃声やバケモノの断末魔をBGMに聞いている不思議をクラウドは感じずにいられない。

「さって。そろそろマジで私のほうは時間がないわ。アビーにとって、先行部隊とアンタはヒュドラに任せることでかかりきりになってる、ってことは私たちの動きよりも3階の”食事”の方が気になる…か」

「3階…?」

 ドクターと少女の会話をグリートとクラウドは銃声やバケモノの雄叫び、断末魔の大音響で切れ切れになりながらも拾い上げていたのだが、3階、という言葉にグリートが目を眇める。
 ドクターは未だ毒のために動けない青年へ頷いた。

「そ。WROの後続部隊がいるわね。何人かは…お気の毒なことになってる」

 毒のせいで顔色の悪かった青年の顔が更に青ざめる。
 息を呑んだ後、悔しそうにフイッ、と顔を背けて俯いた青年にドクターは言葉を続けた。

「でも、まだ大勢の隊員が無事。まぁ、それも今はかなりヤバイことになってるけどね。だからこそ…」
「うん、今ならなんとかなるかな?”みんな”の意識のほとんどがお兄ちゃんたちのお友達に向かってるから」
「そのための下準備も」

 そこまで言ったドクターは、言葉を中途半端に切って顔を上げた。
 振り返った先には作業を終えたWROの中佐の姿。
 額に薄っすら汗を浮かべている青年中佐の姿にグリートのみならずクラウドも軽く驚いた。
 いつも飄々としている青年らしからぬその様子。
 ぐったりとした印象を与える青年にクラウドが一瞬意識を取られた。

「クラウド!」

 ハッと振り返る。
 ヴィンセントたちの攻撃の間隙を突いて天井付近まで高く跳躍したバケモノがクラウドに頭上からの攻撃を仕掛けていた。
 まるで魚が人間になったかのようなおぞましい顔を至近距離で初めて見る。
 手首を翻し、下から大きくソードを振り上げたクラウドの攻撃を、ヒュドラは小さな牙が細かく生えた口で受け止めた。
 サメを髣髴とさせるヒュドラの口元から生臭い匂いが漂い、クラウドは不快に顔をしかめた。
 思い切りソードをそのまま地面に払う。
 床へ叩きつけるようにしたその攻撃からヒュドラは逃げる隙を手にすることなく、口から輪切りにされて絶命した。
 勢いの良い攻撃のせいで顔の口から上が飛び、カロリエの身体を突き抜けてシュリへ転がった。
 青年は無表情のままバケモノの残骸を一蹴りして…。

 グラリ…、と上体を傾けた。

 ギョッとしてクラウドは駆け出し、倒れる直前で抱きとめたことで、初めてシュリが熱を出していることに気がついた。

「お前…いつから…」
「さぁ…」
「『さぁ』って…」

 シュリはクラウドの腕を押すようにしてすぐ体制を整え、フラツキなく立ち上がった。
 しかし、びっしり汗を浮かべた額。
 微かに震えている身体。
 まだこれから熱が上がることを予兆している症状を見せる青年に、クラウドは眉を顰めた。
 まだ戦いは終わっていないどころか、これから3階にいるであろう仲間達を助けに行かなくてはならない。
 戦局は激化する一方なのに、仲間達は確実に疲弊していっている。

「いよいよ時間がない…か」
「でも、間に合ったね」

 カロリエがクラウドの肩越しにシュリを覗き込んだ。
 彼女の隣には少女が佇んでいる。
 具合が悪いくせに精一杯なんでもない顔をしているシュリと、まだ発砲している隊員たちやヴィンセントの背中を興味深そうに見ている。

 もうそろそろヒュドラの卵も終わりに近いようだ。

 シュリはまだ心配そうに表情を曇らせているクラウドに肩を竦めて見せた。

「大丈夫ですよ、これが終わってから倒れます」
「…無茶言うなよお前…」
「無茶であろうと、そうします。でないと、残っている隊員達は全員この建物に喰われてしまう。どうやらアビーはまた変化してしまったようだし」

「変化…成長か?」

 ヴィンセントがまだ熱い銃口を一振りしながらヒュドラの卵へ背を向け、足早にクラウドの許へやってくる。
 もう、立っている卵はほとんどなかった。
 隊員たちの中には卵めがけて発砲しているものがいたが、すぐにそれが無駄だと納得することになった。
 卵は銃弾を跳ね返すばかりだ。
 弾が勿体無いだけの結果になっている。
 C−6が言った『卵から出たところを狙え』と言った意味がようやく分かった。
 ヒュドラの攻撃がひと段落着いた形になっている今が次の行動に移るチャンスだ。
 そうそう訪れることのないチャンスを逃すわけにはいかない。

「ドクター・カロリエ。指示通り、湾岸沿いの緊急ハッチは解放したし、ライフストリームを吸い上げる動力の装置へのアクセスも行った。一瞬繋がったが、あっという間にエラーにされたけどな」
「そう、上々ね」

 女博士は満面の笑みを浮かべた。
 そして、C−6を真剣な眼差しで見ると、もう一度「いいのね?」と聞いた。
 少女は迷うこともなく、重さというものを全く感じさせない軽い感じで「うん!」と笑った。
 そうして、クルリ、とクラウドへ向き直ると、出会った頃と同じ笑顔で口を開いた。

「クラウドさん、じゃあ私はここで」
「え…」
「私はここまでしか一緒にいられない」
「何を言ってる!」

 声を荒げる英雄に怯むことも躊躇することもなく少女はスッと女博士の傍らへ移動した。

「これから先、私はこの博士と一緒に行動するの。そうしないと、クラウドさんの”これから”は見られないから」
 そう言って、クラウドに反論する隙を与えずに次の言葉を紡ぐ。

「私たちはね、クラウドさん。人として生まれたかったとか全然思わなかった。だってそうでしょ?私たちはこの姿で完璧なんだもん。意に沿わないものは簡単に排除出来るだけの力はあるし、そもそも”他人”とか”ほかのこと”なんてどうでも良かった。美味しいものが適度に食べられて、誰に知られることもなくただ、曖昧な時の中を存在し続けられるだけで良かった。それなのに、私たちを作った博士達を食べちゃったことで、どんどん”足りない”って感じるようになって、この島の外の世界へ目が向いて、そしてまたどんどん”足りない”とか”私たちよりも無能な命が多いことへの苛立ち”が膨らんでいって…」


「しんどかったの」


「それが、ようやっと終わらせることが出来るチャンスが来たの、私たちが思いもしなかった方法で。そのチャンス、逃すわけにはいかない」

 キッパリと言い切った少女に、クラウドはしかし、まだ口の中で「だが…」「それでも…」と呟いた。
 どうにかして、少女を踏み止まらせたかった。
 その願い、気持ちを抑えることが難しいくらい、クラウドの中でこの少女はとても大きな存在となっていた。
 恐らく、兄弟たちに囲まれたところを救ったあの瞬間から、少女はとてもとても特別な存在になっていたのだ。

 C−6は笑った。

「ありがとう、私に”大切”ってことを教えてくれて。兄弟と一緒に居たら絶対に分からなかった…この温かい気持ち。それだけで、私は生まれてきた意味をもらえたの」


「とっても幸せ」


 そっと胸を押さえ、幸せそうに微笑んだ少女に、クラウドだけではなく少女を敵視していた隊員たちも胸を突かれた。
 クラウドは大きく深呼吸を繰り返した。
 そうしないと、叫びだしそうだった。
 時間がないことも…、少女の言うとおりにするしか道がないことも頭では理解出来ていた。
 しかし、どうしても感情が理解出来ない。
 このまま少女を見捨てて自分たちだけが助かって…、それで本当に正しいのか?と刹那のひと時で自問すると、”否”という答えがどうしても返ってくるのだ。
 その己の心に背を向けて”正しい選択”を選ぶことがどうしても出来ない。

 小さい命。
 デンゼルやマリンと同年代の少女。
 親であるはずの博士たちから愛情をもらわなかった少女。
 この星を我が物にするためだけに作り出された哀れな存在。
 しかし、出会ってから僅か半日ほどで劇的に”成長”した少女。
 このまま一緒に時を過ごせたら、きっとデンゼルやマリンと寸分違わぬ”愛しい命”になるはずの大切な存在。

 その存在を見捨てる?捨て駒にする?

 そんなこと、出来るはずがない。
 だが、他に道があるとでも?

 少女が生きている限り、アビーは生存し続けることになる。
 それは分かっているのだ、その危険性も。
 だが…!!

 C−6を見つめているクラウドに、ヴィンセントが珍しくそっとその肩に手を置いた。
 顔を向けると、紅玉の瞳が愁いを帯びて…、しかし真っ直ぐ見つめていた。

「クラウド」

 名を呼ばれただけ。
 それだけなのに、クラウドは少女の決意を受け入れるという選択へ手を伸ばした。
 罪悪感と途方もない喪失感が胸いっぱいに広がる。
 まるでエアリスを失ったあの瞬間のような…己の存在の虚無感。

 小さく震えながらC−6へ視線を戻すと、少女は笑ったままクラウドの向こうへ指をさした。
 見ると、レンガの壁としか思っていなかった一角に、小さな窪みがある。
 クラウドたちの目の前でその窪みはひとりでにガコン、と音を立てて壁の中に吸い込まれた。
 両側へ壁が吸い込まれ、大人が2人通れるくらいの穴が開く。

「そこを通ったら外に出られるよ。3階のお兄ちゃんたちもすぐに外に出られるようにしてあげるから大丈夫。あ、それから…」

 そう言って、少女はまた指差した。
 丁度、コンピューターの真隣に位置する壁。
 そこにも同じように穴が開く。

「そっちには……うん、私たちにとって大切なものがある」

 ゆっくりと頷き、真っ直ぐクラウドを見つめた少女には、強い決意の色が浮かんでいた。
 その顔だけで、その穴の先がなにに繋がっているのかが分かった。
 心臓が締め付けられるような息苦しさに、クラウドは内心慄いた。

「クラウドさんにお願いしたいな」

 C−6の最期の願いにつばを飲み込む。
 イヤだ、と言ってしまいたかった。
 2度と、大切なモノを失いたくないという気持ちが激しく胸のうちで暴れている。
 しかし、同時に少女の願いを叶えるのが自分以外のモノになることにも激しい抵抗を覚えた。
 少女を見殺しにするのだ、自分は。
 散々、外の世界に連れて行くと己に誓っておきながら、その誓いを破るのだ。
 ならば、少女の鼓動を止めるのは自分でなければならないのではないか?
 兄弟から引き離し、”生まれてきた存在理由”から引き離し、”異物”と言わせてしまうまで振り回してしまった責任を果たすべきなのではないか?
 それが例え、身を切られるような思いを味わうほど、苦痛で満ちたもだとしても…。

 クラウドは言葉なく、万感の想いを込めて頷いた。
 うっかり目が潤んだりしないよう、頷いたときに強く目を瞑った。


「ありがとう」


 少女は幸せそうに微笑みながら苦しそうに顔を歪めるクラウドを見つめた。