― もう二度と同じ過ちは犯さない ― ― もう二度と離れたりしない ― ― もう二度と悲しませたりしない ― ― 今度こそ守ってみせる ― そんな固い決意も、時が経てば廃れてしまう。 それが人間。 その危険性に気づいている人間が一体どれほどこの世に存在するというのだろう…。 ほどけ堕ちる絆 1「行ってらっしゃい、気をつけてね」 「あぁ、行ってくる」 「「 行ってらっしゃーい! 」」 セブンスヘブンの前で巨大バイクに跨った青年を、美しい女性と愛らしい2人の子供が笑顔で見送った。 青年もちょっとはにかんだように微笑んで、ゴーグルをしっかりと装着してエンジンを噴かせる。 いつもと同じ光景。 いつもと変わらぬ微笑ましい家族。 美しい女性が、愛車に跨った青年に軽くキスを送った。 彼もそれを当然のものとして受ける。 それはそれは、とても絵になる光景だ。 通りを歩く通行人が、道の向こう側や、同じ側から羨ましそうに横目で見ながら歩き去る。 それもいつものこと。 青年は軽い微笑みを残して、猛スピードで駆け去った。 濛々と上がる砂煙は、すぐに風によって吹き消される。 子供達はあっという間に小さくなった青年の背中を名残惜しそうに見送っていたが、女性は青年が発進すると同時に家に入った。 急ぎ足であることから、彼女にはやらなくてはならない家事が山とあることが窺い知れる。 だが…。 「「 …… 」」 2人の子供達にはそう思えなかったらしい。 女性が小走りに自宅に戻ったその後姿をゆっくりと振り返った。 だが、青年を最後まで見送っていた子供達は、既に家に入ってしまった女性の背中をとらえられず、虚しく閉じてしまったドアだけしか見ることは叶わなかった…。 言いようのない不安が、小さな胸にこみ上げる。 ある意味、何らかの予兆を感じ取っていたとも言える。 人間の第六感。 それは、幼少時代に際立っている…という専門家もいるようだが、ティファはそんなこと知らないし、子供達自身も知らない。 だがこの時、小さな胸に湧き上がった不安は、少し前からくすぶっていたものだった…。 そして、それをティファは知らない…。 * 「ティファちゃん、最近旦那、見ないね」 今夜も盛況なセブンスヘブン。 ティファは忙しくクルクルと働きながら、客のその一言に微笑んだ。 「えぇ、デリバリーの仕事がとても忙しくて中々自分の時間がとれないみたいです」 「でもさぁ、それってクラウドさんにとってキツイ状態じゃない?」 他の女性客が心配そうに話に加わった。 店内で同じように忙しく働いていた子供達が、その会話にピクリ…と反応する。 だが表向きは、何も気づいていない風を装った。 ティファがなんと答えるのか…。 それがとても…気になって仕方ない。 子供達は不安に思いながら、空いた皿を下げたり、注文をとったりしながら耳を傾けた。 「大丈夫ですよ、だってクラウドは体力だけが取り柄ですもの」 子供達の顔から色がなくなる。 この時、店にいた大多数の客達はそんな子供達に気づかないまま、それぞれ自分達の話題に花を咲かせていた。 だが、ティファと話をしていた客はそうではなかった。 「まぁ、そうだけどさぁ…」 「そういうんじゃなくて、精神的に辛くないか…と思うんですけど…」 不満とも受け取れるささやかな反論を口にした。 デンゼルとマリンは、にこやかな営業スマイルを浮かべつつ、ティファの台詞に耳を傾け続ける。 そんな子供達の気もちなど露ほども知らないティファは、明るい笑い声を上げた。 「大丈夫ですよ。クラウドは強いから」 その言葉に、デンゼルとマリンは胸に鈍い痛みと強い不安、そして不満を持った。 確かにティファの言うとおりクラウドは強い。 だが、同時にとても弱い。 脆いのだ。 精神的に彼は弱い。 家族を守るためならなんだってしてくれる。 その身を挺して守ってくれるし、全身全霊かけて闘ってくれる。 だが、今の話題ではそれは当てはまらない。 クラウドは……自分のために気持ちを奮い立たせることにはとても弱いのだ。 デンゼルとマリンに分かっていることが、ティファに分からないはずがない。 だから、ティファが客にそう答えたのはあくまで『建前』であると言えないこともないが…。 『『 ティファ…本気で言った… 』』 デンゼルとマリンは気づいた。 ティファが本気でそう言ったのだということに…。 客相手にクラウドの本当の姿を語る必要はない、と言われればそれまでだ。 だが…、あまりにも軽く、そして明るく答えたティファの姿に、子供達は心の中で蒼白になった。 ティファの心が…分からなかった…。 子供達の目から見て、近頃のティファは何かが違っていた。 そう、『何か』…なのだ。 その『何か』が分からない。 分からないから余計に不安になる。 そして、『何か』が分からないから、相談出来ない…。 「デンゼル…」 不安そうに見上げてくる妹に、少年は不安を堪えながら、寄り添ってきた小さな手をギュッと握った。 子供達が不安に感じていると気づいている客もいた。 その客こそが、ティファにクラウドのことを話しかけた客だった。 彼だけではない。 彼と同じテーブルに着いている客や、その隣のテーブルの客達も、子供達を案じていた。 更には、最近姿を見せないこの店のもう一人の住人をも心配していた。 ティファが言ったように、クラウドは強いので配達先で何かしらのトラブルに巻き込まれ、命の危険が…ということを心配しているのではない。 そうではなく、クラウド・ストライフの居場所がこの店にまだあるのか…ということを心配していた。 自分の居場所がないと感じているからこそ、青年は働きづめになっているのではないか…と、案じているのだ。 その大きな原因となっているのは、言うまでもなくこの店の女店長。 ティファの想いがクラウドから離れている…とは言わない。 だが…。 何かが違うと感じる。 そして、その直感とも言えるその不安は、そっくりそのまま子供達が感じている不安と同じものだった。 子供達の場合は、『家庭の崩壊』を意識下で案じているので、その言葉は浮かんでいないが、客達は人生経験が子供たちよりもあることから、『家庭の崩壊を子供達が不安がっている』のだと分かっていた。 だからこそ、子供達の前でその不安を『取り越し苦労』だとしてやりたくて、わざとティファにクラウドの話をふってみたというのに、見事に作戦は失敗し、逆効果となってしまった。 客は引き攣った笑いを浮かべながら、失敗を挽回しようとはしなかった。 ティファは忙しい。 これ以上引き止めることは限界だったし、何より挽回出来る自信がなかった。 子供達以上に、客達はショックを受けたからだ。 『『『 …まさか……な(ね)… 』』』 生き生きと楽しそうに働いているティファの姿を見つめながら、慄然とした思いを味わう…。 そう、まさか…な。 まさか…ティファに限って…。 クラウド・ストライフの存在が『どうでもいい』というものには…。 なりはすまい…。 そう…信じたい、と強く思いながら、客達は暗澹たる気持ちでグラスを空けた。 * 「ティファ…」 「な〜に?」 「俺達…そろそろ…」 「あ、そうね」 鼻歌を歌いながらメニューを作っているティファに、デンゼルが暗い声で呼びかけた。 ティファは時計を見てその時間に軽く驚きながら、包丁を握っている手元に視線を戻した。 「ごめんね、今夜はもう良いわ。2人共ありがとう」 「「 …… 」」 子供達へチラッとだけ視線を投げただけで、ティファはすぐに料理作りに没頭した。 今、彼女は飾り包丁を施している。 ティファの好きな調理法だ。 心底楽しそうに仕事をしているティファに、デンゼルとマリンは何か言いたそうに口を開き…。 諦めたように口を閉ざした。 その姿に、子供達を案じていた客達の胸がズキリ…と、痛んだ。 「お疲れ、デン坊、マリンちゃん!」 「本当にお疲れ様、良い夢見てね」 2階に向かう子供達の小さな背中に精一杯の言葉をかける。 子供達はその声にニッコリと微笑んで頭を下げ、二人揃って階段へと消えていった。 向けられた笑顔が今にも壊れてしまいそうなほど弱々しく…。 客達は子供達が消えたと同時に、深い溜め息を吐き出した。 そうして、視線は自然とカウンターの中に向けられた。 子供達の気持ちに全く気づいていない…『母親代わり』。 ティファは嬉しそうな顔で料理を作っている。 客達の目にその姿はとても幸せそうに映った。 それがまた…とても悲しい。 以前のティファだったら、子供達の気持ちに敏感で、何を差し置いても子供達を優先させた。 それに、クラウドのこともそうだ。 以前のティファなら、クラウドの話題を出されると、ほんのりと頬を染めて、恥ずかしそうに…、時には大いに動揺しながらクルクルとその表情を変えていたのに、今では全く…だ。 クラウドのことを誰よりも愛しているはずなのに…。 そして、そんな彼女とクラウド、子供達の姿が何よりも励みとなっていたのに…。 それが『セブンスヘブン』の魅力だったのに…。 一体何が起こっているというのか…。 セブンスヘブンの変化を案じているごく一部の客達は、子供達が寝室に向かったそのわずか一分後に店を後にした…。 それぞれ、帰路についてはいるが途中まで道が同じということもあり、かたまって一緒に歩く。 その足取りは重い…。 「『ありがとうございました』…か…」 「…なに…?」 「いや…。ティファちゃんの嬉しそうな顔が…さ…」 「あぁ…。なんか…違ぇよな…」 「…うん…」 「…なんで…かな……」 「……さぁ…な」 「ティファちゃん…最近変わったよな…」 「そうだな…」 「変わるってことは、必ずしも悪いことじゃねぇけど…」 「…そうだな…でも…」 「……あぁ…なんか…やりきれねぇな…」 「…坊主と嬢ちゃんのこと、見てなかったな…」 「…あんなティファちゃん…俺は……」 「…そうだな…」 知らず知らずのうちにこぼした溜め息が夜気に溶け込む。 客達の心とは裏腹に、星明りと月明かりの素晴らしい夜だった…。 この常連客のやり取りを知る者は、当然だが当事者達以外はいない。 そうして、この常連客達はこのやり取りを境に、セブンスヘブンに来なくなった…。 その事実にいち早く気づいたのは…子供達だった…。 「今夜も…来ないね」 「ん…。そうだな…」 月明かりの見事な晩から一週間が経った頃、デンゼルとマリンはいつものようにクルクルと良く働きながら、ドアベルの音に心を弾ませ…、次いで落胆するという気持ちの浮き沈みを味わっていた。 少しずつセブンスヘブンに来る客層が変わっている。 そのことはティファだって分かっている。 分かっているのだが、新顔が徐々に『常連客』となりつつあるセブンスヘブンの客質が悪いのか…、と問われると『否』だった。 むしろ、以前の常連客よりも今、『常連客』となりつつある顔馴染みの客達の方が、身なりもちゃんとしているし、明るくて楽しい雰囲気を持っている。 以前の客層は、言わば『日雇い労働者』が多かった。 そのため、一日の過酷な労働で心身ともに疲れ果てており、時折、客同士でいさかいを起こすことがあった。 今の客達にはそれがない。 身なりがいい、というのは『今のファッション』を身に纏っているという意味合いだ。 日雇い労働者が、汗とタバコのヤニの臭いを漂わせていたのに対し、『今のファッション』を身に纏っている客達が香らせているのは、嫌味のない程度に効かせている『コロン』が多い。 日に焼けていない肌、明るい笑顔、穏やかな気質。 それが、今のセブンスヘブンの客層にとって変わりつつあった。 肉体労働で一日中汗水たらして働いている中年男性達は、日に日に変化していくセブンスヘブンの客質に、段々と足が遠のくようになった。 自分達の労働を『恥』とは思っていない。 むしろ、汗とタバコの臭いは『勲章』だとさえ思っている。 星の復興のために頑張っているという証なのだから…。 だが。 どうしてもついつい我が身と、精錬された服装の客達とを比べてしまうのは、人間として自然な心理ではないだろうか…? 別に、ティファやデンゼル、マリンがそういった客達と自分達を比較して接しているということはない。 断じてない。 だがしかし、やはり気になってしまう。 そして、一度気になりだすとどうしても気になって仕方なくなるのが人間の弱いところだ…。 そうして、一人、また一人と、少々気は荒いが性根は真っ直ぐで、デンゼルとマリンをこよなく可愛がってくれていた客達が消えていった…。 時代の移り変わりだと言ってしまえばそれだけなのかもしれない。 しかし、忘れていい…ということではないはずだ。 デンゼルとマリンは、言い知れない不安を抱えながら、営業スマイルを張り付かせて今夜も接客にいそしんだ。 父親代わりが一刻も早く帰って来てくれることを祈りながら…。 今夜、クラウドが3週間ぶりに帰って来ることになっていた。 今の2人には、それだけが唯一の心の支えだった。 チラチラと店の時計に目を走らせる。 帰宅予定時刻は20時半だった。 現時刻20時丁度。 あと30分で帰って来る。 子供達にとって、この3週間は本当に長かった。 毎日電話で話をしているが、それでも顔が見たかった。 クラウドは相変わらず無口だったので、心が不安で一杯になっている今、どうしても『慰め』が足りなかった。 もっと確かな慰めが欲しかった。 安心させてもらいたかった。 ― 『大丈夫だ、心配するな、2人共』 ― そう言って、ちょっとはにかむように笑って、頭を撫でて…。 抱き上げて欲しかった…。 だがそれも、携帯の向こうからだと叶わない願いだ。 言葉少ないクラウドから、不安を宥めるのはもう不可能だった。 何度も不安をぶつけたくなったが、その度に傍らでニコニコ笑っているティファを憚(はばか)り、叶わなかった…。 「あと少しだね…」 「あぁ…!」 ほんの一瞬、すれ違った時にマリンがデンゼルに囁いた。 その声音が弾んでいる。 デンゼルの心も弾んでいた。 しかし、心の奥の方では、今夜、ティファが店を開けたことが『言い知れない何か』に対する不安を大きくさせてもいた。 以前、クラウドが長い間家を空けて帰宅した際には必ずと言って良いほど臨時休業としていた。 それがいつしか臨時休業しなくなった。 最初は臨時休業するかどうかの相談が子供達にあったのに、今ではそれすらない…。 ティファは今、当然のように店を開けている。 それが、デンゼルとマリンの不安に拍車をかけていることをティファは知らない…。 デンゼルは落ち込みそうになる気持ちを奮い立たせ、 「ご注文、お決まりですか?」 笑顔で新しい客へ声をかけた。 そんなデンゼルを、マリンは『私も頑張れ!』と、自身を鼓舞してしゃんと顔を上げたのだった…。 |