本当に幸せ。
 可愛い子供達に大切な人はちゃんと帰って来てくれる。
 仕事も楽しい。

 こんなに順風満帆な人生が巡ってくるなんて、思ってもみなかった…。



 その幸せは本物ですか?
 本当の意味での幸せですか…?



 あなたの独りよがりになっていないなどと、一体誰がそう言い切れるでしょう…。





ほどけ堕ちる絆 2





 店の時計が20時半まであと少し、となった時。
 デンゼルとマリンの耳に、待ちわびた『音』が聞こえてきた。
 パッと顔を合わせ、満面の笑みを浮かべる。
 子供達のその仕草と表情に、まだかろうじて残っていた『常連客』達が、ホッ…と安堵の表情を浮かべた。
 子供達の表情の意味するところが分かっていたからだ。
 ここ数週間に及ぶ子供達の覇気のなさは、『常連客』達を変わり行くセブンスヘブンに繋ぎとめていた。
 どの『常連客』も、皆嬉しそうに頬を緩ませ、頷き合っている。
 変わり行くセブンスヘブンで、その表情を浮かべている客は、圧倒的に少ないのだが……。

 一方、デンゼルとマリンはその客達の表情に気づかず、我先に!とドア目掛けて走り出した。

 が…。

「デンゼル、マリン!」

 ビクッ!!

 幼い子供達ばかりでなく、子供達の表情にホッと胸を撫で下ろしていた常連客と、まだ日の浅い『顔馴染み』の客達が、女店長の怒りを含んだ声に驚き、固まった。
 デンゼルとマリンは、自分達に向けて怒鳴ったティファを、信じられない思いで振り返った。
 カウンターからツカツカと出てきたティファは、真っ直ぐ自分達を睨んでいる。
 先ほどの怒った声は、デンゼルとマリンの聞き間違いではなかった…。
 その事実に、デンゼルとマリンは頭が真っ白になった。
 呆然とする2人に、ティファは足早に近づくと、柳眉を逆立て、両手を腰に当てた。


「2人共、まだお仕事でしょう?それなのに、急にお客様をほったらかしにして走り出すなんて、とんでもないことよ!?」


 店内がシーン…と静まり返る。
 ティファの言い分はもっともだ、と評するのは『顔馴染み』の客達。
 対して、ティファの言い分に驚きから立ち直り、怒りすら感じたのは…今では数少ない常連客達だった。
 ドアの数歩手前で凍結したように小さく固まっている子供達の姿に、ティファへの憤りが噴出した。

「おいおい、ティファちゃん、いくらなんでもそこまで怒ることないだろう?」

 怒りを孕んだ声で客の一人が腰を上げながら子供達の弁護をした。
 それに対し、他のテーブルからは、
「なに言ってんだろうな…。当然じゃないか…」「そうよねぇ、だってお仕事の途中でしょ?」「いくら子供だっていっても、仕事をしてるうちにああいう風な行動に走るのは…ちょっとねぇ…」「子供だからって、ああいうことを容認するようじゃ、お店の手伝いは『オママゴト』程度ってことになるよなぁ…」
 と、ひそひそとティファへの賛同がざわざわと静かに上がった。

 ティファはその客達のざわめきの全てを聞きとったわけではないはずだ。
 真っ直ぐ、異を唱えた客に向き直り、
「お客様。デンゼルもマリンもこの店の『働き手』である以上、いくらまだ幼いとは言え、変に甘えたり、ダラダラとした態度を許すことは出来ません。あくまで、デンゼルとマリンは、セブンスヘブンの戦力なんですから」
「だけどよ!」
「申し訳ありません。子供達のことを思って下さるなら、どうかこの場は…」
 キッパリと言い切り、尚も反論しようとする客に向かって、有無を言わせぬように頭を下げたのは、完全に彼女自身の考えに他ならない…。

 店主自らが頭を下げる。
 ここまでされて、反論を続けることなど彼には出来なかった…。

 客は暫し唖然とした顔で頭を下げるティファを見つめていたが…。


「……帰る。釣りはいらねぇ」


 低い怒りを抑えた声音で吐き出すようにそう言うと、多めのギルをこれみよがしにテーブルの上に叩きつけ、頭を下げたまま微動だにしないティファの横を足音荒く通り過ぎた。
 ドアの前で固まっているデンゼルとマリンの前に差し掛かった時、ポンポン…と、それぞれの子供達の頭を軽く叩き、申し訳なさと悲しさを湛えた顔で見上げてきた子供達に、なんとか笑みを浮かべようとして…。

 結局失敗し、引き攣ったような苦笑いを浮かべ、去って行った。

 まさに嵐のように去って行った男性客に感化されたように、ガタン…と席を立ったのは残り少なくなっていた『常連客』達。
 それぞれ多めのギルをテーブルに置き、
「ごちそうさん…」
 と、たった一言を呟いて去って行った。
 去り際に子供達を慰めるように…、励ますようにポンポンと頭を軽く叩いて……、苦い笑みを残して…。

 鈍感な者でも分かる。
 彼らは二度と、現われないつもりなのだ…と。

 子供達の目に涙が浮かんだ。
 去って行った客達に追いすがって『行かないで』と言いたかった。
 また、『ありがとう』と謝意も伝えたかった。
 だが、ただただ2人は氷結したまま、去って行く後姿を目で追うしか出来なかった。

 店内に重苦しい空気が流れる。
 しかし、その空気を振り払うように、女店主は顔を上げると、
「皆様、大変お見苦しく、ご不快な思いをさせてしまいましたこと、心からお詫びいたします」
 今度は残っていた客達に向けて深々と頭を下げた。
 そして、さっと顔を上げると満面の笑みで、
「お詫びと言ってはまことに恥ずかしいのですが、皆様にお好きなドリンクを一杯サービスさせて頂きます」
 その一言に、店はあっという間に賑わいを取り戻した。

 デンゼルとマリンは、その盛り上がる客達に囲まれて嬉しそうに笑っているティファが理解出来なかった。
 そして、まさにこの時こそが、『ティファを理解出来ない』とハッキリ認識してしまった瞬間となった。
 ティファには…それが分からなかった。
 客達の笑顔に包まれて、仕事のやりがい、手ごたえを感じて胸が躍っていた。
 客達の歓声、次々と入ってくる注文の声。
 それがとても心地良い。
 ようやっと、セブンスヘブンがエッジの街の人達に受け入れられた、と感じられた瞬間だった。

 だから。

「デンゼル、マリン。ほら、お手伝いお願いね」

 子供達を振り返った時、デンゼルとマリンが帰宅直後のクラウドにしがみ付いて泣いている姿を見てギョッとした。
 金髪・碧眼の青年がびっくりしたように戸口で固まりながらも、しゃがみ込んで子供達を抱きしめている姿に横っ面を張り飛ばされた気分だった。


 ―『え……なんで……!?』―


 ティファの驚いた顔と子供達を抱きしめる青年の登場で、またしても店内はシーンと静まり返った。


 *


 時計の音だけが小さな店内に響いている。
 つい1時間前にはあんなに賑わっていたのに、それがウソのようだ。

 ティファは1時間前に感じた確かな手ごたえが、あっという間に指の間から零れ落ちてしまったような虚脱感を感じていた。

 グルグルと頭の中では、1時間前にクラウドが帰宅した場面が回っている。

 力一杯クラウドにしがみ付いて離れようとしなかった子供達。
 そんな子供達をオロオロしながらも、しっかり抱きしめて宥めているクラウド。
 そして…。


『ティファ…、なにしてたんだ…?』


 自分に向けられたアイス・ブルーの瞳。
 冷ややかにも感じられた彼の眼差し。
 冷たい口調。

 彼のその態度に驚愕し、固まったティファを尻目に、クラウドは店内に残っていた客達全員に『閉店』を宣言してしまった。
 代金は要らない…と一言添えて。

 その『閉店宣言』に、ティファはハッ!と我を取り戻し、猛然と抗議しようと口を開けたが、クラウドの絶対凍土の視線に射抜かれ、虚しく口を閉ざした。

 そして…。

 クラウドは店内から客が一人もいなくなると同時に、ドアノブに『close』の看板を吊るしてしまったのだ。
 その間、ティファは蒼白になりながらも締め出される客達の背中に頭を下げ続けた。
 ある客は、そんな彼女を励ますように、
『また来るから』
 と言い、またある客は、
『横暴な亭主だと大変だよなぁ…』
 と、苦笑を浮かべ、言外に『気にするな』と匂わせてくれた。
 中には、
『なんか今夜のセブンスヘブンは珍騒動ばっかだったなぁ…』
 と、イヤそうな顔を見せた客もいたが、大半はティファに同情的だった。

 そうして、クラウドに対しては酷評的だった。

 クラウドはそんな客達を前にしても少しも怯むことなく、むしろ逆に睨み殺すかのような鋭い視線を投げつけて撃退した。
 その間も、両腕はしっかりと子供達を抱き上げて離さなかったし、子供達も離れようとはしなかった。

 ティファは、よほどクラウドの頭を張り倒してやろうか!と思ったが、客達の手前、そんな暴挙に出ることも出来ず、グッと奥歯を噛み締めて怒りを堪えた。

 クラウドが最後の客を追いやり、『close』の看板を吊るした直後、ティファは溜まっていた憤りを吐き出すべく口を開いたが、またもやクラウドに冷たい眼差しで睨みつけられ、怒りの言葉の数々を封じ込められた。
 眦(まなじり)を吊り上げたまま、押し黙るティファをクラウドは睨みつけたまま、フイッ、と視線を逸らせるとそのまま2階の居住区へと消えていった。

 ほどなくして、階上から水音が聞こえてきたので、クラウドが子供達をお風呂に入れているのだと想像出来た。
 もしかしたら、クラウドも一緒に入っているのかもしれない。
 3週間ぶりの我が家なのだから、埃と汗を流したいと思うのも頷ける話だ。
 だが…。

「…なんなのよ……一体……!」

 ティファには分からなかった。
 クラウドがあんな目で睨みつけてきた理由が。
 子供達が泣き出した理由が。

 セブンスヘブンでの営業は『仕事』なのだ。
 決して、子供の『おままごと』ではない。
 だから、叱った。
 仕事中に私事で客を放り出し、店の外に走り出そうとしたのだから。
 そんな態度の店員を叱ってなにが悪い?
 そもそも、クラウドに一体なんの権限がある?
 なんの権限で客達を追い出した?
 間違っているのは自分か…?
 それとも、客達か?

 いや…。

 どう考えても子供達の態度は悪かったし、クラウドの行動は許しがたい。
 正当な理由がどこにもないではないか。
 おまけに、『代金不要』だなどと!
 クラウドの軽挙妄動のお陰でどれだけの損失が出ただろう!?
 今夜の収入がパーになった…というだけではない。
 問題は『信用』が地に落ちてしまったことだ。
 セブンスヘブンをエッジの街に住む人達の憩いの場に…、と頑張ってきたティファの苦労を、クラウドは一瞬にして地に落とした。
 それが……許せない。

「……絶対に…許せない…!」

 考えれば考えるほど、怒りがこみ上げてくる。
 ティファは感情に任せて片づけをしないよう、必死に理性をかき集めた。
 復興が進んだ、とは言え、まだまだ物資は乏しい。
 雑に扱って割ったりしたら大変だ。
 少しも無駄に出来ない。
 それに、今夜の収入がなくなってしまったのだから、余計に無駄には出来ない。
 収入がないのは、もしかしたら今夜だけではないかもしれない。
 今夜の珍騒動を街の人達が聞いたら、きっと来店者は減るだろう。

 開店しているのに閑散としている店内を想像し、ティファの全身に慄然としたものが走った。

 気を取り直して片付けを再開する。
 だが、その作業ははかどらない。
 大量に残った食べ物の皿を片付けながら、ティファの目に怒りのための涙が溢れてきた。

「…こんなに……!」

 綺麗に施されている飾り包丁のニンジンが乗っている『煮物』を前に、ティファの手が震える。
 一生懸命、心を込めて作った料理は、言ってみれば『可愛い我が子』同様だ。
 その我が子達が、大切な客達の舌を楽しませることなくゴミと化してしまった。

 なんたることか!

 ティファは歯を食いしばった。
 一口も食べてもらっていないと思しき料理の皿を持ち上げ、あまりの悔しさに視界が歪んだ…。


 2階から聞こえていた水音は、いつの間にか聞こえなくなっていた…。


 *


 ギッ…ギッ…。

 階段が軋む音が聞こえる。
 クラウドが降りてきたのだ。
 ティファはカウンターのスツールに腰をかけたまま、キツイ酒の入ったグラスを握り締めた。
 ゆっくりと慎重に降りてくる足音に、心臓がバクバクと激しく鼓動を打つ。
 決して、ときめいているのではない。

 怒りのために…だ。

 クラウドの暴挙を絶対に許さない。

 アルコールの力も借りていることもあり、先ほどのように迫力負けする気はさらさらない。
 ティファはずっと脳内で繰り返していた『謝罪させる』台詞を吐き出そうとその瞬間を待った。

 まず、クラウドが現われたら手にしているグラスの酒を浴びせてやる。
 次に、先ほどのお客様への態度を反省させる。
 その次は、もう二度と同じ過ちを犯さないように誓わせる。
 それが終わったら、開業時間中に帰宅した場合は、裏口から戻って来るように言い聞かせる。
 ついでに子供達の件に関しても一言言っておかなくては。
 遊びで手伝ってもらっているのではないのだ!と、クラウドにも分かってもらわなくては。
 クラウドが帰宅したからと言って、仕事を途中で放り出すなど言語道断。
 そのことをクラウド自身の口から子供達に言い含めてもらわないといけない。
 そして、その次は今夜の軽挙妄動な行いによって、セブンスヘブンが被った『被害』をじっくりと分かってもらう。
 失った信用は取り戻すことがいかに困難なことか、ちゃんと分かってもらわないと。

 それらのことを瞬く間に脳内で順序立て、ティファはその時を待った。

 キー…。

 階段に続くドアがゆっくりと開く。
 ティファは腰を浮かせながら手の中にあるグラスを確認した。
 あと数秒。
 もう、ほんの少しでこの中身をぶちまけてやる。
 グラスは割ってしまったら勿体無いし、後片付けが大変だから、割らないように気をつけないと…!

 スローモーションのように、ゆっくりとクラウドがティファの視界に入ってきた。
 ティファもゆっくりと腰を上げて…手首を翻そうとする。


 だが…。


 ドックン…!


 アルコールの入った頭でも分かるくらい…。
 再び視界に現われたクラウドは…。


 冷たい怒りと悲哀に満ち満ちていた。


 全ての感情を消し去った能面のような顔なのに…。
 その無表情の仮面の下に隠されている感情が痛いほど伝わってくる。
 ティファはまたしても言葉を無くした。

 一方、クラウドはティファの態勢を見て彼女が何をするつもりだったのか正確に察知したはずなのに、グラスの中身をぶちまけられたとしてもそれを避けようとするつもりはなかったようだ。
 ゆっくりとした動きをそのままに、ティファの手前数歩まで近寄る。
 店の薄暗い灯りの下、クラウドの魔晄の瞳が冴え冴えと光っている。
 ティファはその紺碧の瞳が、急に恐ろしく感じられた。

 なにか…良く分からない。
 だが、『非常に良くないこと』が起こることだけは分かった。

 怒りから狼狽に表情を変えたティファに対し、クラウドはどこまでも無表情だった。
 そうして、ゆっくりと足を止めると真正面からティファを真っ直ぐ見つめた。



「ティファ」

























「もう…別れよう…」







 紺碧の瞳を見つめたまま、ティファの中で時が止まった。