ズシン…と重い鉛のようなものがずっと胸の奥に鎮座してる。
 その感情をどう言葉にしたら良いのか分からないからずっと黙ってた。
 いつも通りに振舞ってたから気づかれてないって思ってたんだよ。
 でも、それをアナタはちゃんと気づいてくれてたんだね。

 ごめんね。
 そんなことに気づかなくて、1人で抱え込んでて、アナタに打ち明けなくてごめんね。

 本当に…ごめんなさい。






自覚したら…。(前編)







 意識が徐々に浮上する感覚。
 急速に『夢』から『リアルの世界』へ移行するその狭間の刹那、いつも私の心を支配するのは…。



「………あ」



 思わず洩れた声は、感動、落胆、安堵、絶望…。
 それらの言葉の中には含まれない。
 なんと言って良いのだろう?
 ただ、『あぁ、目が覚めてしまった』という確認を終え、納得したという印だけの『声』。
 ただ………それだけ。

 それだけなの。

「起きたのか?」

 ハッと目を見開く。
 紺碧の瞳がジッと静かに見つめていた。
 目が覚めてからちゃんと目を開けていたはずなのに、クラウドが声をかけてくれてようやっと彼が傍にいてくれていたことに気づく。

 また今朝も声をかけてくれるまで彼が見えてなかった…。

 そう…『また』になってしまった…。
 おまけにそれだけじゃない。
「うん、おはよう」
「……おはよう…」
 軽く唇を重ねて朝の挨拶を交わすのも……いつものこと…。

 いつものことになってしまった…。

 彼の唇も、髪や背を撫でてくれる手も暖かくて優しいのに、どうしてかな…?



 足りない…。
 足りないんだよ……クラウド。



 でもね。

「…どうかしたのか…?」

 そう訊ねられたら…。

「ううん、なんでもないよ。どうして?」

 そう答えちゃうんだよ。
 正直に心の声をそのまま言葉に出来たらどうなるんだろう。
『足りないんだよ…クラウド』
 って言えたら現在(いま)よりも良い風に私の気持ちは転がってくれるのかな?
 でも、私自身、なにが足りないのか分からないから…、だから結局、やっぱり『なんでもない』としか言えないんだよね。
 ねぇ、私はなにが足りないの?
 なんでこんなに『虚しい』の?

 明るく優しい子供たち。
 血のつながりはないけど、それ以上のものを感じられる関係を築けている。
 うぬぼれじゃなくて、真実だと胸を張れるほどの関係。
 こんな素敵な関係はちょっと他に考え付かないよ。

 それに、毎日ちゃんと連絡をくれるクラウドもこんなに近くにいてくれる。
 家出をした頃とは比べ物にならないくらい、とても身近に感じられる幼馴染で初恋の人。

 仕事で家に帰れないときは必ず、
『大丈夫か?デンゼルとマリンは元気か?』
 って電話をかけてくれる。
 家出の時なんか、デンゼルが高熱に浮かされててクラウドの名前を読んでるって留守電に入れても、全くなんの音沙汰もなかったのにね。
 それに比べたら考えられないくらいの成長振り。
 これ以上、クラウドに何を求めるの?
 なにも求めることなんかないじゃない。
 私はクラウドとデンゼルとマリンと家族になった。
 血のつながりはこれっぽっちもないけど、こんなにも血よりも濃い関係で結ばれている。

 じゃあ何が足りないの?

「ティファ…最近…」
「うん?なに?」

 クラウドがなにを言いたいのか分からない。
 言い出しやすいように明るく促したつもりだけど、
「なんでもない」
 結局そう言ってクラウドは目を逸らした。
「変なクラウド」
 そう言って笑ってみたけど、ちっとも楽しくないよ。
 それでも、笑顔だけは完璧だったと思うわ。
 まぁ…、クラウドは見てくれてないんだけど…ね。

 少し顔を傾けたらもう1度キス出来るくらい近い距離。
 澄んだブルースカイの瞳は躊躇いがちに逸らされたまま。

 とても近くにいるのに、こんなにも遠い。

 ねぇ、どうしてだろうね。
 私たち…て言うより、私はどうしちゃったんだろうね。
 自分のことなのに、分からないの。
 なんだろうね。
 私は…どうしたいんだろう…?



 なんかおかしいなぁ…と感じだしたのは一ヶ月くらい前になるかな?
 別になにがあった…ていうわけじゃなくて、なんとなく…なんとなく『アレ?』って思ったの。
 例えば、子供たちがお客さんに褒められて嬉しそうにしているときとか、お客さんが帰宅の遅いクラウドについて話をしているのを小耳に挟んだときとか。
 いつもなら、『家族』のことを話してるお客さんの言葉に、すごく敏感になって全身を耳にして一言一句、聞き逃さないように!って力んでたのに、フッと気づいたらもう『家族』の話題は終わってて、全然違う話で盛り上がってた。
『家族』のことをなんて言っていたのか全然分からないまま、 そのお客さんたちは帰っちゃった。
 でもね、そのお客さんたちがクラウドたちのことをなんて話してたのか、背中を見送りながら全然気にならない自分がいたの。
 その時にね、何となく分かったの。
 私の中から…何かが欠け始めてることに。
 でも、それに気づいた当時は認めたくないと無意識に思ってたんだなぁって今は思う。
 だから、気づかないフリをしていたのよね。
 でも…。
 流石にここまで時間が経って、ここまできてしまったら『見てみぬフリ』も限界。
 うん、私、限界に気づいちゃった。

 クラウド。
 デンゼル。
 マリン。

 ごめんなさい。
 私はもう…限界。



 もう解放してくれないかな。



 なぁんて言葉がポンと浮かんで、ドキッとする。
 バカな考えを振り払うために頭を軽く振って目を上げた。
 階段を降りる子供たちの足音が聞こえる。

 うん、大丈夫、まだ頑張れる。

「おはよう、ティファ」
「おはよ〜…ティファ〜」

 朝からシャキシャキしているマリンの隣では、デンゼルがまだ眠そうな顔をして目をこすっている。
 自然と頬が緩む。
 これは『作り物の笑顔』?それとも『本物の笑顔』?
 自分でも良く分からない。
 分からないまま2人の前に立つ。
「おはよう、2人とも。デンゼル、頭が鳥の巣みたいになってるわよ?」
 笑いながら手櫛で簡単に整えてあげようとすると、くすぐったいのか照れ臭いのか、
「もう、いいよ〜、俺、そんな小さな子じゃないんだから〜」
 身を捩って手から離れた。
 ほんの少し、行き場を失った手が宙ぶらりんになる感触に軽い喪失感を抱く。


 ほら、こうやって離れていく…。


「ティファ?」
 小首を傾げたマリンにたった今、胸をよぎった喪失感を覆い隠して微笑む。
「なに?マリン」
「えっと……」

 マリンはちょっぴり戸惑った顔をして、結局首を振った。

「えへ、なんでもない」
「そう?変なマリン」
「えへへ〜」

 あぁ…デジャブ。
 マリンも今朝のクラウドと同じなんだね。
 言い出しやすいようにって笑ってみたけど、全然ダメだったんだね。
 ごめんね、マリン。

 心の中だけで謝って、カウンターに戻る。
 作りかけだった朝食はもうほとんど完成してる。
 後はスープを温めてお皿を出して。

 照れ臭そうに笑ってごまかしたマリンも私に続いてカウンターに入り、極々自然に朝食の準備を手伝い始めた。
 ニッコリと見上げて笑ってくれるマリンに、釣られて笑顔がこぼれる。

 ねぇ。
 私のこの笑顔は『作り物』?それとも『本物』?

 バタバタ、という足音が聞こえて顔を向けると、もうそこには足音の主はいなかった。
「どこに行ったのかしらね?」
「デンゼル?きっと洗面所だよ」
「あ〜、髪の毛ね」
「うん。デンゼル、クラウドの髪型にすっごく憧れてるから真似っこしたいんだよ」
「あ〜…あれはしょうがないよ真似出来なくても。だってクラウドとデンゼルは髪質が違うもん…」
「だよね〜」

 クスクス笑い合いながらも手は動く。
 我ながら実に手際がいいと思うな。
 表情も完璧じゃないかなって思う。
 心がこんなに乾燥していても、人間って笑えるんだね。
 そう思うと、なんだかとても人間が不思議な生き物に思えてきて、思考がどんどん深みにはまりそうになったから、途中で遮断した。

「あ、クラウド。おはよう」

 マリンの声でハッと振り返った。
 仕事に出かける準備を整えたクラウドがいつの間にかすぐ傍に立っていた。
 …全然気づかなかった…。

「おはようマリン。デンゼルはどうした?」
「デンゼルは洗面所〜」

 言いながら、マリンは嬉しそうにカウンターから駆け出してクラウドに抱っこしてもらった。
 クラウドに抱っこしてもらってるマリンも、マリンを抱っこしているクラウドも嬉しそうな笑顔。


 ほらね。
 マリンも私から離れていく。


 私の声なき声に気づいたかのように、クラウドの紺碧の瞳がこっちを見た。
 心臓が軽く跳ねる。
 でも…。

「なぁに?」
「……いや、なんでもない」

 ニッコリ笑った私に、クラウドが返してくれたのはほんの少しの間と『なんでもない』の言葉。
 胸の奥の鉛がまた重くなる。

「そ?変なクラウド」
「あ〜、ティファまたソレ言った〜。クラウド、私にもティファ『変なマリン』って言ったんだよぉ」

 笑いながらコーヒーを準備する私に、マリンがわざと悪戯っぽく拗ねてクラウドに言う。
 ゆっくりとマリンを下ろしながらクラウドが軽く肩を竦めたのが視界の端に見えた。

「マリンはまだマシだ。俺はこれで今日二回目だぞ」
「え〜?そうなの?」
「そうなの。朝、起き掛けに言われた」
「そうなんだ〜」
「そうなんだよ」

「はいはい、2人ともずるいわね〜。タッグ組んで私を非難するなんて〜。そんな人たちにはご飯あげません」

 サラダのボウルとスープの鍋を手に茶化す。
「あ〜!ごめんなさい、ティファ〜!」
「……悪かった…」
 笑いながら駆け寄ったマリンと、頭をガシガシ掻くクラウドに笑顔がこぼれる。
 階段から派手な足音が降りてきたかと思うと、
「あ〜、おはようクラウド!」
「…デンゼル、髪の毛濡れてるぞ?なにしてた…」
「う〜、どうしても、どうしても!クラウドみたいにならない!」
「デンゼル、ヘアスプレー使って失敗したんだ〜…」
「うっ…」
 飛び込むようにして店内兼食堂に現れたデンゼルに、クラウドとマリンが苦笑した。
「ダメでしょ、デンゼル。風邪引いても知らないよ〜?」
「うぅ…だってさぁ、ティファ〜」
「デンゼルの髪型だってすごくイイと思うのになぁ〜」
「俺はヤなの」

 ポンポンと会話して、朝食の準備を完璧にやって、家族揃って食卓を囲んで…。
 他人が見たら完璧な幸せ家族の図だよね。
 なのに、心の奥の鉛が消えない。
 それはきっと、もう私が引き返せないところまで来ちゃってるからだよね?

 ごめんね。
 なんか…もう疲れたみたい。
 なにに疲れたのかいまだに分からないけど、それでも1つだけ分かってることがある。


 このまま自分の心に気づかないフリは出来ない…。


「行ってらっしゃい」
「行ってらっしゃ〜い!」
「あぁ、行ってくる。2人とも、ちゃんとティファの手伝い、よろしくな」
「「まかせて〜!」」

 子供たちに見送りの言葉をかけられて、クラウドはいつものように2人の頭をポンポンと叩いて愛車に乗った。
 フェンリルに乗ってエンジンをかけるのに時間なんかいらない。
 すぐにでも出発出来るだろうに、ここ最近、乗ってから出発するまで僅かに『ため』ているような感じがする。
 時間をもたせようとしている…と言えば良いのかしら…?
 でも、それも正直、私には『どうでもイイ』ことだよね。
 私には関係ないことのはず。
 それなのに、なぜか責められている気がするのはどうして…?

「気をつけてね?」
「あぁ…」

 仕方なく…と言えば失礼なんだろうけど、本当にそんな感じで話に水を向けてみる。
 責められている気がするのがただの勘違いならそれでよし。
 もしも本当に私に関係しているなら、一言のきっかけで話してくれるかもしれないじゃない。
 でも、ほんの少しの間を置いたクラウドは何か言いたそうな雰囲気だけを残し、やっぱりなにも言わないまま行ってしまった。

「クラウド…」
「うん……やっぱり…」

 後ろで子供たちの小声が聞こえる。
 でも小声ってことは、私に聞かれたくないことなんでしょ?
 なら…。

「じゃあ、2人とも。私はお先に〜」

 わざとおどけて先に店に戻る。
 2人の話の邪魔をするのはやっぱりおかしいでしょ?
 クラウドの様子が気になる2人と一緒に話をしても良かったのかもしれないけど、なんとなくそんな気分になれない。
 ちょっと前の私なら遠慮するよりもむしろ、子供たちを巻き込んでクラウドのことを『あ〜でもない』『こ〜でもない』って話し合って、なんとか元気出してもらおうとしただろうな。

 …?
『元気出して』もらう?

「…クラウド、元気なかったかしら…?」

 ぽろっとこぼれた疑問に首を傾げる。
 思い返してみると、確かにちょっと元気がなかったようにも見えなくもない。
 自分で呟いたことなのに、まるで自分の考えじゃなく他人の考えが口から出たみたいで、なんとなくおかしな気分がする。

「本当に…どうかしてるなぁ」

 うん。
 私はどうかしてる。
 どんどん欠けていく。
 大切だったはずのものがどんどん消えていく。
 目に見えるものはまさに完璧な幸せ。
 でも、実質的なものは……スカスカ。

「でも……仕方ないよね」

 なにが仕方ないのか。
 なにに対しての『でも』なのか、それすら分からないまま、ぶつぶつ呟きながら片づけをする。

 1人の店内に、呟き声と片付けの物音が無機質に転がるばかり。
 クラウドを見送るためだけに外に出たはずの子供たちはまだ戻ってこない…。