彼女が彼を避けるわけ(後編)


「お帰り!クラウド、早かったじゃん!!」
「わ〜!お帰りなさい、クラウド!!……どうしたの?顔色悪いよ?」
 帰宅予定時刻よりもうんと早く帰ってきたクラウドを、子供達が満面の笑みで出迎えた。
 そして、強張った顔のクラウドを見て眉を寄せる。
「大丈夫、クラウド?何かあったの?」
 心配そうに覗き込むデンゼルとマリンに、ぎこちなく笑みを浮かべて見せると、挨拶もそこそこにクラウドはティファの姿を探した。
「ティファなら、今、クラウドの為にお風呂にお湯を張りに行ってるよ」
 マリンがそっと耳打ちする。
 クラウドは、心配そうな子供達の頭を軽くポンポンと叩いてみせると、そのまま浴室へと向かった。


 浴室からは、浴槽を洗っている水音が響いている。
 ティファが、すりガラス越しに浴槽を掃除している姿が見えた。
 クラウドは、浴室のドアを開けようとしてその手を止めた。
 どう話を切り出して良いのか、今更ながら分からず足が竦む。
 しかし、このままズルズルと過ごしても、きっと良い結果は生まれないだろう。
 ましてや、他の誰かに取られるかもしれないなど、真っ平だった。
 そんな事、絶対に容認出来ない!
 クラウドは意を決し、浴室のドアノブに手をかけた。
 そして…。



 目の前にチカチカと無数の星が煌く。
「キャーッ!クラウド!!」
 ティファの叫び声を最後に、クラウドの世界は暗転した。



 目を覚ますと、何故かクラウドは自室のベッドの上だった。
 気のせいか、右顔面がズキズキと痛み、視界が白っぽいもので覆われている。
「?」
 体を起こそうとして視界を覆っている物に手を伸ばした時、
「あ、駄目よクラウド。そのまま横になってて」
と、優しくベッドへ押し戻された。
「ティファ?」
「気分はどう?」
 ティファの温か手が、そっとクラウドの視界を覆っていた白い物を脇にどける。
「え?」
 わけが分からず首を傾げた瞬間、ズキンッと強い鈍痛が顔面に走り、思わず顔をしかめて呻き声を上げた。
 それを見たティファは、大慌てで手に持っていた濡れタオルを洗面器の水に浸し、ギュッと絞るとクラウドの顔に乗せた。
「クラウド、浴室の前に立ってたでしょ?私、全然それに気付かなくて、思いっきりドアを開けちゃったの」
 しどろもどろ説明するティファに、漸くクラウドは自分が浴室のドアでしたたかに顔面を打ち、失神してしまった事に気がついた。
 そして、あまりの不甲斐なさに全身がカーッと熱くなる。
「そ、そうだったのか…。ご、ごめん…」
「ううん!!私が悪いの。本当にごめんなさい!!」
 恥ずかしさから顔を背けてポツリと零すクラウドに、ティファが真っ赤になってブンブンと大きく首を振った。
 その仕草に、ついつい頬がゆるむ。
 そして、訊ねるなら今しかない!そう判断した。

 そっと体を起こすと、ティファが慌ててその体を支えてくれた。
 久しぶりに間近に見るティファの顔に、クラウドは緊張を孕んだ声音で語りかけた。
「なぁ、ティファ?」
「うん?」
「あのさ。最近、俺の事避けてるの、何で?」
「え!?」
 びっくりした顔をするティファをじっと凝視する。
 ティファは、真っ赤になったがモゴモゴと口の中で何事かを呟き、俯いた。
「ごめん、何て言ったのか聞えない」
「…………」
 黙って俯いたままのティファに、クラウドは昼間に会った依頼主の男性の言葉を思い起こし、身震いする思いがした。

 もしも、彼女の口から、『他に好きな人が出来たの』などという言葉が飛び出そうものなら、どうしたら良いというのだろう!?
 そうなったら、これから先、自分の人生は死んだようなものではないか。
 勿論、このセブンスヘブンにもいられない。
 子供達とも、きっと一緒に暮らせなくなる。
 何しろ、星痕症候群に侵された時、全てを捨てた自分なのだ。
 その間、子供達を守り、育てたティファ以外に子供達はきっと着いて行かないだろう。
 いや、もしもティファの新しい相手が子供達と一緒に暮らすことを拒んだとしたら、子供達は自然と自分が引き取ることになるのだが……。
 いやいや、それよりも、もしもそんな事になったら、自分は壊れてしまう。
 今の自分を保つ事など出来ない!
 自分や子供達には、ティファが必要なのだから!

 だがしかし!
 彼女が自分と一緒にいるよりも、その『他の誰か』といる方が幸せだというのなら、一体誰が彼女を引き止められるというのだろう。

 グルグルと頭の中で考えに考え、結果、そう結論付けざるを得ない所まで来た時、どうしようもない喪失感が胸を支配した。
 冷たく、重いものが心を圧迫する。
 口の中がカラカラに乾き、舌が上手く回らない。
 それでも、ここで話を終わらせる事など出来ない。
 子供達も心配しているのだ。
 話を切り出した今夜、ハッキリとさせなければ。
 クラウドは、大きく深呼吸をして口を開いた。
 が、それよりもティファが言葉を紡いだ方が早かった。

「あ、あのね…。クラウドの負担になりたくなかったの…」
「は……!?」
 思わず素っ頓狂な声を上げる。
 クラウドは今しがた耳にした言葉を頭の中で反芻させた。

『負担になりたくない』
 そう言っただろうか?

「ティファ?それって…」
 頭がこんがらがってどうにも上手く考える事の出来ないクラウドに、ティファは蚊の鳴くような声で説明をし始めた。

「あのね、この前お店にある男のお客さんが来たんだけど…」

 その男性客は、クラウドとは少しタイプが違うが、寡黙で落ち着いた雰囲気を醸し出している若い客だった。
 そして、彼の友人達は彼とは打って変わって明るい、他のお客達と変わらない程明るく、社交的な人たちだったという。
 別に、ティファが気にしなくてはならない要因は何も無かったはずだった。
 ところが。
 寡黙な彼は友人達勧められ、アルコールを重ねていった。そして、酒がすすむにつれて、寡黙な仮面が剥がれ落ち、段々と饒舌になってきたのだという。
 それも別に珍しいケースではない。
 しかし、ティファが注目したのはそんな変化ではなかった。
 饒舌になった彼の言葉の数々に、ドキッとしたのだ。

『俺が仕事で疲れて帰ったら、いつも妻が小言を言うんだ。俺が仕事ばかりして、家庭を顧みないって…。冗談じゃないよな…。俺は家族の為に頑張ってるっていうのにさ。もうすぐ赤ん坊も生まれるんだ。金なんかいくらあっても足りなくなるって言うのに、今のこのご時勢じゃ、そんな事は尚更だろ?だから、必死になって朝から晩まで頑張ってるって言うのに、やれ帰宅時間が遅い、自分に構ってくれない、悪阻(つわり)が酷くて苦しい時は俺の声が聞きたい、そんなことばっかり言うんだ。確かに、俺だって妻の傍にいて支えていきたいとは思ってるさ。だけど、先立つ物が無ければそれも出来ないだろう?それに、俺も仕事で疲れてるって言うのに、そんな妻の小言につき合わされちゃ、堪ったもんじゃないよな。俺だって、自分の時間を持ってゆっくりのんびりしたいさ。そうしないと、気分が参っちゃうだろう?それなのに、さっぱりそんな気持ちを分かってくれなくて…』

 この男性の言葉が、どうにもクラウドの言葉としてティファの胸に突き刺さってしまったのだという。
 寡黙な男性とクラウドの面影が重なった事もあるだろうし、毎日朝から晩まで家族の為に必死に働いてくれているという姿も、クラウドと一致していた。
 その男性の言葉を聞いた時、
『私はクラウドの負担になってるのではないだろうか!?』
と、思ってしまったと言うのだ。

 そこで、ティファの取った行動が…。


 クラウドに負担をかけない為に、必要最小限のこと以外は話をしない。


 だったという。
 勿論、配達に行く時と家に帰った時は、心からの笑みと言葉を持ってクラウドを包み込もう。
 そして、家族の話も大事にしよう。
 しかし、家族の話は自分がしなくても子供達がするだろうから、子供達に何かあった時は当然、何を差し置いても話を持ちかけるが、それ以外は極力クラウドが自分の時間を持てるように配慮しよう。
 そう決心したのだというのだ。

 クラウドは、ティファのこの告白に、しばし呆然とした。
 何てことは無い。
 ただの勘違いだった。
 彼女が自分に愛想を尽かしているのではなく、彼女の純粋な自分への心遣いだったのだ。
 クラウドは、その事実を飲み込むのに少々時間が必要だった。
 完全にその事を理解した時、自然に入っていた全身の力が一気に抜けるのを感じた。
 そして、顔を真っ赤にして、バツが悪そうにチラチラと自分を盗み見るティファに、どうしようもなく愛しい気持ちが溢れ出してきた。

「ティファ……」
 そっと顔を赤くして俯いている彼女へ手を伸ばす。
 ティファは、ビクッと肩を揺らすと、不安そうにクラウドを見上げた。
 その頬をすっぽりと包み込み、コツンと額を合わせる。
「俺がティファを負担に思ってると考えてたのか?」
「……ううん、でも…」
「でも?」
 間近で見つめられ、ティファはソワソワと視線を彷徨わせた。
 そんな仕草も、今は安心して見つめる事が出来る。
「……長い将来ではどうなってるかなんて…分からないでしょ…?」
 ポツリと零したティファの言葉に、クラウドはフワッと笑みを浮かべると、自分の胸にティファを閉じ込めた。
「俺が、ティファに最近避けられてどんな気持ちだったか分かるか?」
「え……で、でもそんなに避けてなんか…」
「あれを避けてないなんて言うなよ?本当に、どれだけ心配したか」
「え!?心配って…?」
 自分の胸の中で驚き、身をよじるティファに、クラウドはそっと頬にキスを送った。
「俺の事、愛想が尽きたのかと思った」
「!?」
 目をまん丸に見開き、クラウドを見つめるティファを、クラウドは柔らかな笑みを浮かべたままそっと体を離した。
 そして、ドサッとベッドに仰向けに転がる。
「そ、そんな風に思ってたの!?」
「そんな風にしか思えなかった」
 オロオロとするティファに、悪戯っぽく笑みを浮かべて、これまで感じていた気持ちを素直に吐露する。
 クラウドは、重苦しい枷の様なものから解放された清々しい気分で、胸を一杯にした。

「本当に、どうしようかと思った…」
 はぁ〜…、と息を吐き出しながら安堵の言葉を漏らす。
 ティファはそんなクラウドを見て、これ以上はない程後悔した。

 ティファは、ただ純粋にクラウドに幸せに毎日を送って欲しいと思っていた。
 だからそれまでは、毎日クラウドにあれもこれも話したい、一緒に珈琲などを飲むだけでも良い、少しでも同じ空間にいて、同じ空気を吸い、同じ時を過ごしたい、そう思っており、それを当たり前のように彼に要求し、彼も特に拒むことをしなかった為、何も疑問に思うことも無く過ごしていたのだ。
 クラウドはこうして生活することに喜びを、幸せを感じてくれている…そうティファは信じていた。
 だが、その例のお客さんの言葉に、ティファは自分とそのお客さんの奥さんと照らし合わせ、一緒なのではないかと思ったのだ。
 一緒という事は、クラウドにとっても自分の存在が負担であるということになる。
 そして、思い返せばあまりクラウドは自分の時間を持てていない事に気がついた。
 クラウドが自分の時間と称して楽しんでいるのは、せいぜいフェンリルの微調整という名目で、フェンリルをいじっている時くらいではないか!?

 だから…。
 自分の気持ちをグッと堪え、クラウドから視線を外して話しかけることのないように我慢した。
 本当はもっともっと目を合わせて沢山話がしたいと思っていたのだ。
 それでも。
 例のお客さんのような関係になりたくなかった。
 飲みに行った席で、自分の妻のグチを語る事でしかストレス発散できない、そんな目にクラウドを追い込みたくなかった。

「ごめんなさい…」
 ションボリと肩を落とし、すっかり落ち込んでしまったティファに、クラウドはそっと手を差し伸べた。
 ティファは、戸惑いながらその手をそっと握った。
 と、その途端。
「ひゃっ!!」
 グイッと引き寄せられ、ティファはたちまちクラウドに抱きすくめられた。
「駄目、許せない」
「クラウド………」
 ティファの耳元でクスクスと笑いながら悪戯っぽい口調でそう言うクラウドに、ティファははにかんだように笑って見せた。
 彼が、決して言葉通りの事を言ってるのではないことに気づいたからだ。
「ティファ、俺にああいうこと、しなくていいから。て言うよりも、ティファは俺に対してもっとわがままになって良い。今でもティファは自分を抑えすぎた。それこそ、そんなの本当の……!?」

 クラウドはその続きの台詞を口にしようとして真っ赤になり、急に口を閉ざしてしまった。
 当然、そんな急な変化のクラウドをティファが不思議に思わないハズが無い。
 首を傾げつつ、
「………本当の?なに?」
と、話の続きを促す。
「あ〜、いや…、何でも……」
 少々悲しげに首を傾げるティファの瞳が、彼女が見当外れの想像をして一人、落ち込んでいる事を物語っている。
 クラウドがその事に気付かないはずが無い。
 顔を真っ赤にさせながら、しばらく「あ、違うから、そんな悪い事じゃないくて…」「あ〜、何て言うか、その…」と、モゴモゴとしていたが、ティファの表情が中々晴れないのを見てグッと詰まった。
 そして、大きく深呼吸すると、顔を背ける。
「だから…、『それこそ、本当の
……夫婦じゃないと思うし……
「え!?」
 蚊の鳴くようなクラウドの言葉は、ティファの耳にしっかりと届き、ティファの目を丸くさせる。
 クラウドは真っ赤になったまま壁に向かって寝返りを打つと、

いや、勿論まだ何も約束すらしてないけど……。何て言うか、世間では夫婦みたいなものだし…うん。そりゃ、順序間違えて変なこと口走ったって分かってるけど。…あんまり悲しそうな顔するから…。ああ、でもやっぱり言うんじゃなかった…
 
 などなど、恥ずかしさからブツブツ独り言を呟いている。
 その彼の背中と、真っ赤に染まった耳を見ているうちに、ティファもカーッと顔を赤らめ俯いた。
 そして、おずおずとクラウドの背に手を伸ばし、背中からギュッと抱きついてみる。
 クラウドはビクッと肩を震わせたが、何も言わなかった。
 いや、何も言えなかったのだろう。
 二人してそのまま黙ってお互いの温もりを感じあう。
 そうして…。

「「プッ」」

 同時に吹き出すと、顔を見合わせ体を震わせて笑い合った。

 なんてことは無い。
 ただ、二人共相手を大切に想っていただけ。
 心配など必要なかったのだ。
 その事実に心から幸福を感じる。
 自分達には自分達なりの相手を思いやる方法が他にあるだろう…。
 そして、ゆっくりとその方法を探して、考えていけばいい。
 何しろ、自分達はこれからずっと、一緒に人生を歩いていくのだから…。



 おまけ
「なぁ、ティファ…。明日はオムライス、作ってくれないか?」
「え?でも今日食べたでしょ?」
「ああ、食べたんだが、正直味わえる心境じゃなくて、勿体無い事をしたな…と」
「……そんなに悩んでたの……ごめんなさい…」
「あ、いや、良いんだ。今はティファの気持ちが良く分かって、その……、嬉しいから…」
「……クラウド」



「ねぇ、マリン。クラウドとティファ、大丈夫そう?」
「うん。何だか良く分からないけど、笑い声がしてたし」
「ホッ。本当に二人共世話が焼けるよな」
「まぁ、それがクラウドとティファらしいって事なんだろうけど…」
「じゃ、仕方ないから俺達だけで夕飯食べちゃおうか」
「そうね。クラウドとティファは多分、夕飯食べないんだろうし」
「そうだな。それじゃ、いただきま〜す!」
「いただきま〜す!」

 しっかりとした子供達だけで夕飯を食べ、ちゃんと後片付けをして、自分達の寝室へと引き上げていた事にクラウドとティファが気付いたのは、その翌日だったりする。
 当然、そのお詫びとしてクラウドがその日に入った後日の予約を全て断り、丸一日自由になるよう仕事を調節し、家族サービスに徹する約束をした事は言うまでもない。
 そして。
 非常に嬉しそうにその日についてあれこれ話をしている子供達の姿に、セブンスヘブンの家族の仲の良さを、改めてエッジのご近所さんお披露目する事となったとか何とか…。

 果たして、心待ちにしているクラウドオフの日はどうなるのか…?

 それは、まだ誰も知らないが、きっと子供達の顔は輝く笑顔で飾られる事だろう。


あとがき

あはは〜、予想以上に話が長くなってしまってすみません。
何でこんなに長くなったのかな〜?

最後までお付き合い下さり、有難うございました。