― 「誰にだって、触れられたくない過去があるだろう!?」 ― 血を吐くようなその言葉。 その台詞に一瞬とは言え、気をとられたのが運の尽きだった…。 薄れ行く意識の中で、そう自嘲する。 あぁ……帰らないといけないのに…。 翳む視界に広がるのは、重く垂れ込めた雨雲だけ。 顔を横に向ければ、赤茶色の荒涼たる大地が見えただろうが、その力も無い。 先ほどから身体の隅々まで冷たい雨が叩きつけている。 どんどん体温が奪われていくのが、イヤでも分かる。 分かるのに、不思議と寒くない…. そうして、そんなどこか落ち着いている自分を滑稽に思う自分がいることに、金髪の青年は唇の片端を軽く持ち上げて…笑った。 最期に……会いたかったな…。 花が咲くような笑顔の女性を思い出し、青年はスーッとそのまま意識を手放した。 築く者 壊す者 1どこかで重い音がする。 鉄が擦れる音だ。 ティファ・ロックハートは冷たい石の床に身を横たえたまま耳をそばだてた。 決して自分の意識が戻ったことは気取られてはならない。 コツコツコツ…、と靴音がじめじめした地下牢に響く。 恐らく足音の持ち主は、自分の牢に来るはずだ。 その判断が正しかったと証明されたのは、それからかっきり10秒後だった。 背後で耳障りな音を立てながらドアが開く。 ティファはドアに背を向けるようにして横たわったまま目を閉じ、静かに呼吸を繰り返した。 まるで『彼等』の盛った薬が効いているかのような振りをする。 そっと自分を覗き込む気配と、ジロジロと確認する眼差しを感じる。 ここで呼吸を乱せば、作戦が無駄になる。 ティファは素知らぬ振りを続けた。 そっと…。 自分の頬に指が這わされる。 ティファはそのまま眠った振りを続けた。 その指が、徐々に顎のライン、首筋、胸元まで下りてくる。 胃の中がザワザワと不快感で一杯になる。 だが、グッと堪えてなにも気づかない振りを続ける。 これくらいで取り乱してはいけない。 演技か、それとも本当に薬で眠っているのかを見極めようと、探るような鋭い視線が突き刺さっている。 心臓の音までも乱してはならない。 無礼な指が胸を触り、ウエストラインにまで下りてきた。 だが、それでもティファは眠った振りを続ける。 正直、気持ち悪くて仕方ない。 出来る事なら、今すぐ目を開けてこの無頼漢を殴り飛ばしたい。 だが……ダメだ。 それに、これくらいは覚悟の上。 昔、コルネオの館に単身、潜り込んだ時のことを思うと、これくらいどうってことはない。 相手は、ティファが本当に眠っているかを確かめるため、わざときわどいラインで触れてくるのだ。 そうでなくば、敵はとっくに女性が最大の屈辱としている行為に及ぼうとするだろう。 その判断は正しかった。 無粋なその手は、スッとティファから離れ、先程よりも緊張を解いた気配を感じさせた。 「大丈夫だ、眠っている」 「そうか…」 そのたった一言のやり取りに、ティファは僅かに驚いた。 安堵した男の声に、若い女の声が答えたからだ。 てっきり、男ばかりがいるものだと思っていたのだが…。 「油断するな。相手はジェノバ戦役の英雄だ。念には念を入れておく必要がある」 女が命令口調で男に言うのをティファは演技を続けながら聞いていた。 男が「分かってる」と、素直に従う振りをしながら小さく舌打ちをしたのも、しっかりと聞いていた。 やがて、背後でドアが閉まる音がし、足音が遠ざかった。 そうして、もう一度、廊下の端にあるドアの開閉の音が遠くから聞えてきた時、ティファはようやくそっと身を起こした。 「…ったく…サイテー」 忌々しそうに男の触れた箇所を擦る。 立ち上がり、何度か身体を屈伸させて緊張感で固くなった筋肉をほぐす。 意外にも、拘束されなかったことに一抹の不安を感じた。 しかし、改めてここまでの経緯を思い出し、不安要素がないことを素早く確認する。 スーッと姿勢を正す。 てっきり、眠っている演技の時に後ろ手に縛られるのかと思ったが、何もされずにドアを施錠されただけであることを改めて感謝した。 「さて…と」 伸び上がって天井近くを見上げる。 4メートルはあるであろうその高い場所に、小さな小さな窓があった。 格子窓だ。 ガラスは嵌っていない。 元々、この牢屋自体が古い時代に使われていたものなので、現在の科学技術が詰まった『監視カメラ』『盗聴器』類は一切しかけられていなかった。 それが、今回の敵のミス。 しかし、彼等のミスを誘うべく迅速に行動したティファ達の作戦勝ちでもあった。 ティファは何度か膝を屈伸させ、アキレス腱を伸ばす。 そうして…。 ヒュッ!! 風を切って跳躍した。 ガッ! 小さな物音を1回立てただけ。 その格子に飛びついて自分の身体を限界まで持ち上げる。 残念ながら、小さなその窓は換気用に取り付けられただけで、受刑者が万に一つも逃げられるような大きさは無い。 ティファも同様だ。 生まれたての赤子なら通れるだろうが…。 ティファは、足を壁につけて踏ん張り、窓から辛うじて目と片手を出した。 シュッ! 風を切る音がして、正確にティファの手の中に『モノ』が投じられる。 それをしっかり受け取ると、ティファは『Vサイン』をしてから床に降り立った。 ストン…。 実に上手く膝でクッションをして、着地音を消す。 そうしてティファはそのまま先ほどと同じ様な格好で横になった。 そのままで作業する。 手の中に投じられたのは、ファンデーションのケースくらいの小さな薄い箱。 中を開けると、蓋の部分がコンピューターの画面になっていた。 本体部分には、万が一のために『万能薬』が一つ。 あとは…。 『……ジジ…ジ…さん…聞えますか……ティファさん…』 横になって寝ている状態で、下側の耳にイヤホンを押し込む。 そのまま、ティファは片手だけで本体部分のキーを入力した。 ― OK ― ほどなくして、 『…良かった。なにも……れて……んか…?」 恐らく『何もされていませんか?』と聞いているのだ。 電波が悪い。 仕方ない。 恐らく、相手も妨害電波を流しているのだろう。 そして、その妨害電波を掻い潜り、敵にばれないギリギリのラインがこの状態なのだ。 ― OK ― またそれだけを入力する。 ほどなくしてノイズ交じりに安堵した仲間の声が聞えてきた。 『良かった。…は……から……ますので』 聞き取れない。 ティファは、 ― 理解不能 ― と、四文字だけを入力し、転送する。 少しのタイムラグの後、ノイズ音も消えてしまった。 目を細めるティファに、 ― C 成功 ― との一文が画面に入った。 『C』とは『クラウド』のこと。 クラウドに課せられた任務が無事に成功しているとの報告だ。 ティファは小さく息を吐き出して目を閉じた。 自分の置かれている状況は決して楽観視出来るものではないが、彼が無事に任務をこなしていることに安堵せずにはいられない。 今回の作戦は、大まかに言うとティファが囮役となって捕まるところから始まる。 ティファが先に捕虜となり、WRO隊員に手足が出せないような状況を作り上げる。 その時、捕虜となっていたはずのティファが直接反撃するのだ。 動けないはずの捕虜からの攻撃に動揺するその隙を突いて、内部をかく乱し、一気に仕留める。 最小限の犠牲で任務を完了するためには、この方法が最善かと思われた。 問題点は、ティファがあの『ジェノバ戦役』として名が知られた『格闘家』だということ。 その力を敵は封じに来るはず。 手を折るか、足を折るか。 そうなると、ティファが捕虜になった際、身動きなど取れるはずもなく、作戦に尽力するはおろか、リーブの迷惑にしかならない。 そうならないためにも、ティファは『無傷』で捕虜とならなくてはならなかった。 敵も彼女の能力を充分分かっている。 力で押してくるような愚行はしないだろう。 それが、リーブの判断だった。 そして、それは見事に証明された。 ティファは、敵がよく現れると言う居酒屋に一人で飲みに行った。 案の定、『クラウドさんはどうしたんだい?』と、見知らぬ男性に話しかけられた。 ティファの記憶には全く無い顔。 その事を彼女は正直に話した。 相手は困ったような顔をしながら、『まぁ、あれだけ沢山お客がいたら、たった1回通っただけじゃ覚えて無くても無理ないよね』と、寂しそうな顔を作って食いついてきた。 ティファは、内心ほくそ笑みながら、『まぁ、本当にごめんなさい』と謝罪をし、 『今度、是非また……』 わざと言葉を切って、俯いた。 『クラウドと……喧嘩したの…』 ポソリ…と呟いた彼女に、敵の目が歓喜に光ったのをティファは見た。 その後は、計算通り。 男はティファがトイレに席を立っている間に新しく飲み物を注文していた。 …薬入りの。 ティファは、その可能性を知った上で(ある意味、薬が入っているように祈りながら)そのカクテルを口に運んだ。 そして、暫くはクラウドの愚痴をこぼしたり、自分がいくら尽くしても報われない…と涙ぐんだりして、敵に心を打ち明けている演技を続け…。 やがて、緩やかに睡魔が襲う。 ティファは心のそこでほくそえみながらその眠りに心を委ねた。 彼女は…。 敵が思っているよりもうんと早くに覚醒したのだ。 トイレに言っている間、興奮剤を半分飲んでいたからだ。 そのお蔭で、カクテルに混入された薬の効果が半減されたというわけだ。 先ほど確認に来た男はまさに自分のカクテルに薬物を投入した男。 だから、あんなにもあからさまにホッとして……上からの口調で命令されたのが気に入らなかったのだろう。 何しろ、自分がしっかりと薬を入れて彼女は全て飲んだのだから。 ここまでは…非常に順調。 捕虜となったティファが反撃するそのチャンスに恵まれた時、迅速に行動出来なくてはならない。 そして、それにはもう一人、『隠密』として仲間が潜行し、敵の仲間と成り済ます必要がある。 その敵を欺く潜入役は、当然のようにクラウドが買って出た。 ― 『ティファ…頼むから無茶するな』 ― 何だか泣きそうな顔をしてそう言ってくれた愛しい人の姿が蘇える。 口元に自然と笑みが浮かぶ。 冷たい地下牢に横たわっている身体に、ほんのりと温もりが戻って来たような気がした。 大丈夫。 私は大丈夫。 だから、クラウドこそ…無茶しないで…? 彼に言った言葉をそっくりそのまま胸中で呟く。 ― 続行 ― 画面に映し出された最後の二文字を確認し、ティファはそっと蓋をした。 ポケットの中に押し込んで目を閉じる。 * 「おい、あっちの様子はどうだ?」 「問題ない」 くぐもった声で会話を交わす。 顔を黒い覆面で覆っているため、お互いに見えるのは相手の目だけ。 ギラギラと、血に飢えた目が光っている。 「へへ、いよいよWROに…、いや、リーブ・トゥエスティに復讐出来る日がやって来たわけだ」 クックック。 くぐもった笑いに、仲間達が呼応するかのように笑い声を漏らした。 陰惨な笑み。 ジェノバ戦役の英雄の1人であるティファ・ロックハートを人質に取ることに成功した時点で、彼らは舞い上がっていた。 「まさか、クラウド・ストライフと喧嘩して家出してるとはなぁ。英雄とは言え、所詮ただの女だったってわけだ」 彼女を誘拐するという大役を見事に果たした男が、自慢げにその当時の話をする。 彼女のカクテルに薬を盛った経緯、彼女をここまで運んだ途中でモンスターの群れに囲まれてどれだけ苦労したか、ということなどを大袈裟に表現する。 その自慢話は突如、 「黙れ」 という女性の声によって中断された。 一斉にそちらへ顔を向ける。 不快そうに剣呑な目つきで睨みつけている…紅玉の瞳。 男達に緊張が走った。 「問題はこれからだというのに、今から成功した気分でいてどうする」 静かな声音。 淡々とした口調。 だが、その奥底に秘められている怒り。 彼女の逆鱗に触れる一歩手前だと痛感する。 男達は押し黙った。 「お前達が勝手に死ぬのは結構。だが、私の足を引っ張るな」 荒くれ者達を相手に、彼女はカツカツカツ…と、ブーツの踵を軽く鳴らして歩み寄る。 堂々としているその姿は、彼女の力が荒くれ者達をまとめるに充分足るものだと語っていた。 事実、彼女がいつの間に自分達のところへ合流したのか、感知した者がどれだけいることか…。 彼女はそのまま男達の間を通り抜け、部屋の窓に歩み寄った。 荒れ果てたこの古びた古城で、この部屋は一番高い場所にあった。 窓にガラスはない。 ポッカリとその部分には穴が開いている。 そして、その穴からは漆黒の闇が広がっていた。 今が、夜だという証拠。 彼女はその穴を足で蹴り広げた。 ギギ……。 耳障りな擦れる音と共に、窓枠が外へ倒れる。 大きく開いたその窓の向こうへ、彼女は足を踏み出した。 窓の外は広い広いテラスになっている。 漆黒の宵闇へ身を沈めるかのように、彼女は躊躇う事無く足を進めた。 完全にその宵闇に染まる直前、男達をチラリ、と振り返る。 「私の足を引っ張る奴は、WROに捕まる前にここで殺してやる」 男達の背筋を冷たいものが走りぬけた。 誰かが喉を鳴らす。 凍て付くような冷たい眼差しに硬直する男達を、彼女はつまらなそうに眺めやり、宵闇へ消えるようにテラスへ出て行ってしまった…。 真っ暗な中で、彼女の輪郭が薄っすらと浮かんでいるのが見えるばかり。 男達は、小さな灯りを陰鬱な気分で眺めるとはなしに眺めやった。 長い夜は始まったばかりだ。 |