私は、一生『恋心』を知らずに生きていくんだと思ってた…。
恋心 1
『彼』との出会いは、他の人と比べて、特別でもなんでもなかった…。
私の実家は、小さな宿を営んでいる。
私は、その日もいつもと変わらずその手伝いをしていた。
『彼』との出会いも、『宿のフロント係』と『宿の客』だった。
いつもと変わらない接客業…そのはずだったのに……。
『彼』が他のお客さんとは違う…、そう印象を受けたのは、私だけだった。
ただ、『本当に綺麗な顔』をした男の人…。私以外の皆はそう思っただけだったらしい。
私は、『彼』が宿の扉を開けて、少々ふらつきながらフロントまで来た瞬間から、『彼』がどこかおかしい事に気がついた。
彼は、大きな武器を腰からぶら下げ、少々頬を赤くさせていた。
『疲労が溜まっている』『体調が悪い』そんな感じだった。
もちろん、ここには疲労困憊してやってくるお客さんは多い。だから、他の人と比べて特別な事など何もなかった。
それに、ここは北国だから、外気にさらされて屋内に入ると、皆、赤い顔になる。
だから、彼だけが赤い顔をさせていたわけでもなく、他のお客さんもそうだったから、特に気にする事でもなかったはずなのに…。どういうわけか、本当に一目見た瞬間から、『彼』にひどく引き寄せられる感じだった。
『彼』は、私のいるフロントまで重い足を引きずるようにしてやってくると、「部屋は空いてますか?」と、少々かすれた声で尋ねてきた。
その彼の声を聞いた瞬間、私は今まで感じた事のない衝撃を受けた。
上手く言葉に表せないけど…、ずっと待っていた声を聞いた感じ…。
そして、体中に電気が走った様な、それでいて甘い感じ…。
一瞬、ボーっとなってしまった私の代わりに、隣にいた母が
「ええ、空いてますよ」
と、応対しながら怪訝な目で私を見つめた。
その視線に、ハッと我に返ると、私はいつもの営業用の笑顔を顔に貼りつかせ、彼を部屋へと案内した。
部屋に着くまでの僅かな間、『彼』も私も無言だった。
接客業を生業としているくせに、私はあまり話が上手ではない。
その事を、いつも両親に嘆かれているけど、正直、この時までは別に気にもしてなかった。
……本当は気にしなくちゃならないんだろうけど…。
でも、この時は初めて『もっと話し上手だったら良かったのに…』そう思わずにはいられない自分がいた…。
その事に、我ながら少し驚いたけど、それよりも私の後ろを歩いている彼が気になって仕方なかったから、自分の気持ちに深く考える余裕なんか少しもなかった。
『彼』は部屋に着くと、すぐベッドに腰を下ろした。
その姿があまりにも辛そうだったので、声をかけずにはいられなかった。
「あの、大丈夫ですか?お医者様をお呼びした方が…」
「ああ、大丈夫だ。問題ない」
彼はたった一言、そう口にしただけだった。
でもそう言った割には、全く大丈夫じゃない事が、痛いくらいに伝わってくる。
きっと、ベッドにすぐにでも横になりたいんだろうけど、私がいる限り決してそうはしない、そう直感した私は、退室する際のお決まりの台詞を口にし、早々に部屋を後にした。
すると、扉が閉まったその後すぐに、予想に違わず彼がベッドに倒れこんだ物音が微かにドアから伝わってきた。
私はすぐにフロントに戻ると、他のお客の相手をしていた母に、そっと小声でお医者様の手配をする事を伝えた。
母は一瞬驚いた顔をしたけど、私の真剣な表情に、何も説明しなくてもすぐ納得してくれた。
何故なら、私は『視る』事が得意だから。
『見る』ではなく『視る』という表現が相応しい…、いつだったか亡くなった祖父が私をそう評価してくれた事がある。
私は、どうも他の人より観察眼に長けているらしい。
だから今までも、他の人より先に何かに気がつく場面が多かった。
だからと言って、決して自慢になる事ではなく、かえって私にとって観察眼が長けているが故に、苦しい目に合う事の方が多かった。
だって…、見たくない、知りたくない事まで勘付き、見えてしまうのだから…。
でも、今回は違った。
『彼』のおかげで、初めて自分の観察眼を褒める気持ちになれた。
きっと、私が気付かなければ、彼の体調不良は誰にも気付かれず、そのまま放置されていたに違いない。
そして彼は、恐らく自分から医者を呼ぶよう、要請はしなかっただろう。
何故かは分からないけど、『彼』を見た瞬間から、彼がそんな人なんだろう、と妙な確信を持ってしまっていた。
『彼』が、自分の身よりも他の人を優先させる人、そんな人なんだってどうして思えたのか自分でも不思議だけど、決してこの考えは間違いではなかった。
まさしく、『彼』はそういう人だった…。
お医者様が到着されたのは、それから十数分後だった。
お医者様はうちの宿のすぐ傍に住んでおられる為、本当に助かってしまう。
長旅で体調を崩されるお客が意外と多いものだから。
お医者様を伴って、再び私が『彼』の部屋に入った時、彼は武器を外しただけで力尽きた、そんな感じでベッドに臥せっていた。
部屋に入ってきた私達を、『彼』は少し潤んだ紺碧の瞳に怪訝そうな色を浮かべ、ベッドから起き上がろうとした。
それを押しとどめつつ、私の要請でお医者様が往診に来た事を簡潔に『彼』に伝えた。
『彼』は、何か言いたそうな顔をしたけど、よほど体が辛かったのだろう…、納得したように枕に頭を沈め、大人しくお医者様の往診を受けた。
その間、私は『彼』の頭を冷やす物と、軽いけど温かい毛布を準備して、往診が終わるのを部屋の前で待っていた。
やはり、往診中に部屋の中にいる事なんて出来ないし…。
待つ間、宿の他の従業員が不思議そうな顔で私を見ては通り過ぎる。
彼女達、そして彼らは決して話しかけようとはしないし、私も話しかける事はなかった。
それが、私と他の従業員の普段の姿。
私はあの人達に興味はないし、あの人達も私には興味がない。
『あの人達を私は見下している…』。そう感じているのよ、あの人達は…。
別に見下してなんかいないけど、私が何でも先に気がつき、対処してしまうのが面白くないと思うと同時に、きっと気味が悪いんだろう…。
そう、小さい頃からこんな感じで育ってきたのだ…、この村で。
だから、『この場所』には親しい友人は存在しない。
もちろん、他の土地になんか行った事ないから、この世界のどこにも、友人と呼べる人はいない事になる。
別にそれで良いと思ってた。
だって、仕方ないでしょ?
人よりも観察眼が長けている為、その人の長所も短所も簡単に『視えて』しまうのだから…。
もちろん、人は不変な生き物ではなく、私の予想を遥かに超えて意外な人が意外な人と仲良くなってしまったり、それこそあり得ないカップルが登場してしまう事もよくある話。
だから、決して彼らが思っているような『人を何でも理解していると思い、見下している女』なんかではあり得ない。
だって、そんな人の心の変動まで分かる筈がないじゃない。確かに、ある程度の変化は分かってしまうけど…。
でも、そう勘違いされてても別に良い、そう思った。
だって、そうでしょ?
勝手に彼らは『私』という人間を理解してもいないのに、勝手に彼らの中で『私』を作り上げてしまったんだもの。
そんな人達と、仲良くなりたいだなんて、思えるはずもないわ。
やがて、『彼』の部屋からお医者様が顔をのぞかせ、診察が終わった事を伝えてくれた。
お医者様は、ベッドに赤い顔をのせている彼を見ながら「あまり良くないね。疲労が溜まっている上に、風邪をこじらせているから、完全に直るのは時間がかかりそうだよ」と言い含めるように言葉に重みを置くようにして、一言一言をハッキリと言った。
「いや、しかし…。」
彼は、何か言おうと思わず身体を起こしかけたが、お医者様は「何なら一週間くらい私の病院に入院しなさい。ハッキリ言って、こんな状態で良く生きてたね」と呆れ口調で彼を見た。
彼はお医者様の言葉に溜め息を一つしただけだったけど、私はギョッした。
そして、思わず「そんなに悪いんですか!?」とお医者様に詰め寄った。
お医者様は、あまり見ない私の切羽詰った様子に目を丸くし、珍しい物でも見るような目で私を見つめると、急に笑い出した。
「先生!笑い事じゃないですよ、どうなんですか!?」
笑い出したお医者様の本心が分からず、私はムッとしながら再度尋ねる。
お医者様は、お腹を抱えるようにしてひとしきり笑うと、今度はにっこりと優しく微笑んで私を見た。
「いや、ファシーナがそんなに他人の事で必死になる姿、初めて見たからな、つい可笑しくて」
そう言ったお医者様は、にこやかな顔で、私と『彼』を交互に見つめ、含み笑いをした。
「ファシーナが呼んでくれなかったら、危ない事になってたのは本当だな。あんた、クラウドさんだっけ?無茶しないで、仕事が仕事なんだから。ああ、ファシーナ、さっき私が言った、『こんな状態でよく生きてたね』って言うのはね、クラウドさんが、『ここに来る前にモンスターに囲まれて、散々てこずった』、って話してくれたからなんだよ。こんなに高熱出してるのに、モンスターと戦って、挙句の果てにバイクに乗ってここまで来ただなんて、死んで当然だって事なのさ。分かったい?」
こんな吹雪いている中を…?
バイクで…?
しかもモンスターを倒さなければならない状況に陥った?
あまりの事実に、開いた口が塞がらないって、この事ね…。
茫然自失の私を、さも面白くて仕方ないと言わんばかりの表情をしつつ、お医者様は部屋の扉のノブに手をかけた。
「そうそう、クラウドさん。貴方の家に連絡して、近ければ迎えに来てもらったらどうかな?少なくとも、バイクでこの雪原地帯を走るのはお勧め出来ないね、元気な時でも」
「いえ、別の大陸から来てるから……」
「あ〜、その『配達』の仕事でこの土地に来たのか…。と言うことは、ファシーナ、今日からしばらくクラウドさんは君が看てやってよ」
「「え!?」」
突拍子もない言葉に、『彼』、クラウドさんと、私の声が同時に上がる。
そんな私達を面白そうに眺めながら、「本当は、入院してもらいたいんだけど、実は生憎ベッドが満床でね…。それに問題は風邪もあるけど、それ以上に疲労だよ。クラウドさんに一番必要なのは、風邪薬と抗生剤、それに2・3日の絶対安静だ。だから、ここで2・3日安静にしてくれたら、入院は、まあ必要ないだろう。でも、完全に良くなるのは1週間はかかると、覚悟しておくようにね」
そう言い残して、お医者様は帰ってしまった。
後に残された私とクラウドさんは、何となくお互いの顔を見つめて、同時に苦笑した。
「何か、面白い先生だったな」
「ええ、いつも突拍子も無い事言っては、皆を楽しませてくれる、良い先生です」
「それにしても、あんたとはまともに話すらしてないのに、どうして分かったんだ?」
赤い顔のクラウドさんが、綺麗な紺碧の瞳を熱の為、少し潤ませてじっと私を見つめた。
私は、その瞳に胸がドキドキと高鳴っていくのを感じた。
な、何でこんなに胸がドキドキするの!?
私は少々落ち着かない気持ちになりながらも、「えっと、私、人のそういう事に気付きやすいので」としどろもどろになりながら、ようよう答える事が出来た。
クラウドさんは、「ふーん、凄いんだな」と、感心した声で一言口にしてくれた。
クラウドさんの頭に冷えたタオルを置き、ひとまず部屋を出ようと腰を浮かせた時、クラウドさんが「あ、言うのを忘れてたけど…、今日は本当に助かった、ありがとう」と、少々洗い息遣いの下、そう言ってくれた。
彼のその一言が、今まで沢山の人からもらった『ありがとう』の中でも一番嬉しく感じた。
私はその気持ちに戸惑いながら、ぎこちなく頭を下げて退室した。
部屋を出てから、そっと胸に手を当ててみる。
心臓が物凄い速さで鼓動を打っている。
今まで、こんな気持ちになった事はない。
これは…、一体何?
こんなに胸が高鳴って、こんなに甘くて胸がジンとする気持ちは、一体何?
しばらく彼の部屋の扉の前で、この感情について考えていた私の耳に、彼が咳込むのが聞こえ、私はハッと我に帰った。
そう、今はこんな事で時間を取られている場合ではなかったんだったわ。
私は、出来る限りのスピードで歩いてフロントまで帰り、(廊下は走ってはいけない決まりになっている)フロントにいる母に、お医者様が仰った事を伝えた。
つまり、私がクラウドさんの看病を2・3日する、と言う事を…。
母は今度こそびっくりした顔で私をまじまじと見つめた。
母も、私が他人に関して無関心な事を知っている為、いくら医者に言われたからといって、そんな役を引き受ける人間じゃない、その事を知っているから。
母は、何かを言いたそうにしていたが、結局彼の看病をする許可をくれた。
その瞬間、私は自分でも驚いたけど、本当に嬉しくて、だから…。
自然と『笑顔』になっていた。
母は、営業用でない私の笑顔に、心底びっくりした顔をしたけど、それからすぐに複雑そうな表情になった。
私はその時ちゃんと、『その時の母の気持ち』が、分かっているつもりだった。
私がクラウドさんに心惹かれ始めてしまっている事が分かってしまったんでしょう…?
だから、複雑な顔をしたんでしょう?
大丈夫。私もちゃんと分かってるから…。
彼が『客』なんだって事、『旅をしている人』なんだって事を。
すなわち、彼はこの土地に止まる事無く、別の場所に彼の帰るべき場所があるんだって事…。
でも、本当は分かっていなかった。
母の複雑な表情の『本当の意味』を。
でも、その時の私の心は、クラウドさんの傍にいたい、それだけだった。
そして、その気持ちに付随して起きる沢山の疑問で頭が一杯だった。
だから、『その時の母の複雑な表情』を深く考えるゆとりなんか少しもなかった。
どうして会ったばかりの、それもほとんど会話らしい事を何一つしなかったのに、こんなに心惹かれてしまうのか…?
彼の容姿に惹かれたのだろうか?
彼の醸し出している、陰のある雰囲気に引き寄せられたのだろうか?
でも、それでも良い。
今だけは、彼の傍にいて彼の為に何かしてあげたい!そう、強く思ってしまうの。
どうしてそう思ってしまったのか、本当に不思議。
他人に興味を全く持たなかった、この私がこんなに心揺さぶられるだなんて…。
自分の心なのに、この感情を制御出来ない。
それが生まれて初めて、私の中に芽生えた『想い』だとは、この時はまだ意識していなかった。
あとがき
出ました!オリキャラ設定話(すみません)
今回は暗め路線、おまけにあまりクラティ要素が非常に少ないので、苦手な方は
オススメ出来ません。本当にごめんなさい(汗)。しかもまたオリキャラですしね(苦笑)
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