私は、一生『恋心』を知らずに生きていくんだと思ってた…。
『彼』に出会うまでは……。
恋心 2
クラウドさんの容態は、命に関わるものではなかったけど、高熱と咳を伴う辛いものだった。
看病初日の夜、私は高熱に苦しむクラウドさんの寝顔を、いたたまれない気持ちで夜通し見つめていた。時折、彼の額の濡れタオルを交換したり、端正な顔に浮いた汗を拭くのを忘れない。
そうして、彼の顔をまじまじと見つめていると、どうしようもなく胸が高鳴るのを抑えられなかった。
女性の様に、肌理の細かい肌、すっきりと通った鼻筋、長い睫毛…。
そのどれもが私の視線を釘付けにする。
『何て綺麗な顔立ちの男の人なんだろう』
男性に『綺麗』だなんて印象を受けたのは、生まれて初めてだった。
そして、こんなにも気になって仕方がない人に出会ったのも…。
ねぇ、クラウドさん。
貴方はどんな暮らしをしているのですか?
貴方はどこから来たのですか?
貴方が今まで見てきた景色は、どんな景色なんですか?
貴方が好きなものは一体どんなものですか?
熱に浮されながら眠る彼を眺め、気付けば私は繰り返し心の中で問いかけていた。
そして……。
貴方の笑った顔は、どんなにか素敵でしょうね…?
貴方が素顔を見せる事の出来る人は、もういるのですか?
貴方のその笑顔を独占出来る人が、もう存在するのですか…?
貴方の心には、もう誰かが住んでいるのですか…?
心の中での問いかけが変化したのを自覚した瞬間、私は愕然としてしまった。
一体、今、私は何を考えた……!?
初対面で、相手の事を全く知らないのに…!?
それなのに…!?
そこで彼が苦しそうに顔を動かし、私の思考は一時途切れた。
動いた拍子に、額のタオルが落ちてしまった為、そっとタオルを洗面器の冷水に浸して絞り、再び彼の額に乗せる。
その時…。
「……ティファ?」
うっすらと瞳を開いて、彼がぼんやりと私を見上げながらポツリとこぼした。
その一言が耳に届いた瞬間、体が硬直する。
今、何て言ったの…?
強い衝撃を受けた私の視線と、彼の霞がかった瞳が合う。
怪訝そうな表情で、クラウドさんは私の顔をまじまじと見つめる。
まるで、『自分の中』にいる『誰か』の面影を私の中に探している様だった。
そして、漸く彼は自分の状況を思い出せたらしい。
「あ、すまない、ファシーナさん…だっけ?」
次いで、私に看病されていた事に気づき、慌てて身体を起こそうとする。
「……すまない。今、何時…?」
「!?駄目ですよ、横になってて下さい!」
「…こんな時間!?俺はもう大丈夫だから、あなたはもう休んでくれ。こんな事までしてもらって……」
「私の事は大丈夫です。ですから、さぁ、横になって下さい」
「いや、しかし…」
「それに、これはクラウドさんだけの問題じゃないんです。早く良くなってもらわないと、こっちが困るんです、他のお客さんに移ったら大変なんですから!」
「……あ、そ、そうか。そうだな…」
私のきつい口調にクラウドさんは、「すまない…」、そう呟き、大人しく身を横たえた。
違う、本当はそんな事を言いたかったんじゃないの…。
私は、彼が眠っている間に感じていた『気持ち』とは、かけ離れた『感情』に、胸が苦しくて仕方なかった。
でも、そんな事、彼に言えるはずもない……。
「クラウドさん、喉、渇いてないですか?」
「ああ、少し水をもらえるかな?」
「はい、どうぞ」
「すまない…」
ぎこちなく言葉をかける私に、クラウドさんは素直に応えてくれた。
きっと、彼が『あの言葉』を口にしなければ、私にとってこれは本当に心躍る出来事だったに違いない。
でも…、この時は別の事で頭が一杯だった……。
「…クラウドさん…」
「え…、何…?」
「…ティファさんって…?」
「え?」
「今、目が覚めたばかりの時、そう言いましたよね?」
聞かなきゃ良かった…。
どうして聞いてしまったのだろう…。
そう私は激しく後悔する事になった…。
彼が…、クラウドさんが本当に幸せそうに微笑んで「俺の家族」って、そう言ったから…。
自分自身の感情なのに、心は私を離れて勝手にどんどん転がっていく…。
転がる先に待っているものは、決して『幸福』ではないと分かっているのに…。
それなのに、それを止める術を持っていない私に出来る事は、何もなかった…。
ただ、まるで第三者のような顔をして、その転がる様を見つめている他なかった…。
締め付けられる胸の痛みを伴いながら……。
その後、クラウドさんはすぐ再び眠りに落ちた。
もともと基礎体力がある人らしく、目を覚ます前よりも体が楽になっている様だった。
荒かった息遣いは落ち着き、寄せられていた眉間のシワも今は見られない。
その様子に、私は今夜はもう自分の看病は必要ない、そう判断した。
もしかしたら、それは『逃げ』の感情から来たものかもしれなかったけど、クラウドさんの容態が落ち着いたのは事実だった。
私は、そっとクラウドさんの部屋を後にした。
時刻は明け方近い4時半過ぎ…。
どうせ今から横になっても、眠るなんて事出来そうになかった。
でも、する事もこれと言ってない。
そこで仕方なくとりあえず自室に戻って横になる事にする。
今日も私はいつもと変わらず仕事をしなくてはならないのだから…。
クラウドさんの看病をしているからといって、仕事を休めるはずもない。
自室に着くと、少々だるくて重い身体をベッドに投げ出す。
一人部屋で本当に良かった…と、変なところでホッとした。
他の従業員仲間は、皆、相部屋なのだ。
これは、この宿の経営者である両親の娘である、私の唯一の特権の様なもの。
でも、一人部屋をあてがわれている事以外は、他の仕事仲間と全く変わらない処遇に身を置いている。
ぼんやりした頭の中は、先程のクラウドさんの幸福そうな笑顔と「家族」という言葉で一杯だった。
分かってた。
彼には、帰るべき場所がある…。そう、ここではない別の土地に…。
彼だけではない。宿を利用してくれるお客さん、皆が帰るべき場所を持っているのだ。
中には、行く当てもなく彷徨い歩き、行きついた先がこの宿だった…、そういう人もいたりする。でも、そんな人は本当に極々稀なケース。そして、その人達もやがてはこの宿を後にしてしまう。そのままこの土地に住み着く人なんて、本当に希少な話だ。
それなのに、彼には帰るべき場所、帰りを待っている人がいる事を彼自身の口から確認した時、どうしようもなく自分が惨めな存在に感じられた。
別に、惨めに思う必要などどこにもない事くらい承知している。
それでも……。
大きな溜め息をついて、ベッドの上で寝返りを打つ。
私はこんなにも、湿っぽい性格だったろうか?
もっと、何に対してもドライな感情しか抱かなかったはずなのに…。
それなのに、たった一人の人との出会いで、私のこれまでの人生を根底から覆すような事が、私の中で起こっている…、そういう感じて仕方がない。
正直、そんな話は三文小説や映画の中での話しだと思っていた。
仕事仲間が、話題の純愛小説の話を楽しそうにしている姿を、昨日までの私は冷ややかな目でただ眺めていただけだったというのに。
『一体何がそんなに面白いというのだろう…?』
本当に我ながら、今の自分の状況ほど滑稽な事はないと思う。
まさに今の自分は、同僚が騒いでいる純愛小説の…、『三文小説』だと小馬鹿にしていたまさにその世界の、中心人物になっているではないか!?
じっと天井を眺めている私の視線が、滲んでかすれていく…。
どうして私は彼と出会ってしまったのだろう…?
どうして私はこんなにも弱い人間になってしまったのだろう…?
どうして私は自分を今まで強い人間だなどと思えていたのだろう…?
本当はこんなにも弱いのに…。
そのまま私は、予想通り眠れないまま朝を迎える事になった。
あとがき
かなり、あれですね。暗いお話ですね(苦笑)。
彼女の辛い気持ちはどうなるのでしょう…?
では、オリジナル設定、オリキャラ大丈夫な方は次回作をご覧下さい。
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