好きだって気持ちはどうしても抑えられないと思わない?
 だって、心は自由なんだもの…。





心の中の卵(前編)






 私には彼氏がいる。
 飛びぬけてカッコいい、ってわけじゃないけど、一緒に街を歩いているとまぁまぁ自慢にはなるかな…って程度。
 そして、私も彼氏にとってはその程度の彼女。
 彼は私の容姿が好きなの。
 性格とか、心とか…、なんかそういう人間としての根本的なものが好きなわけじゃないの。
 だけど、だからってそれが不満じゃない。
 適当に遊んで、適当に美味しいものを一緒に食べて。
 道ですれ違う他のカップルが、私達を見てなんとなくお互いに自分の隣にいる相手を見て、つまらなそうな…、ガッカリした顔を見るのが最高に心地良い。
 だって、仕方ないでしょ?
 私はそこそこ美人だし、彼もそこそこカッコいいんだもの。
 でも…。
 最近、彼氏がよそよそしい。
 私と一緒に街を歩いていても、なんか心ここにあらずって感じだし。
 流石に最初はムッとしたわ。
 私はさっきも言ったように自分の容姿に自信を持っていたから。
 でも、すぐに諦めがついた。
 だって、この彼(ひと)だけが私にとってのたった一人の彼(ひと)とか、ましてや運命の人じゃないんだもの。
 それに、こう言う風に言っちゃうと反感を感じる人達は沢山いるとは思うだけど…。
 この彼(ひと)以外にも、私を彼女に望んでくれているイケメンはまだまだ沢山いる。
 負け惜しみじゃないのよ?
 本当のことなの。
 だから、彼が私に興味をなくしてしまったのなら、他の誰か適当な人とまた付き合うだけ。
 それで良い。
 だって、まだまだ私は若いもん。
 若い間に出来ることを…、思いっきり味わって存分にエンジョイしたいの。
 若い時に色々と面白おかしく時間を使ってもいいと思わない?
 どうせ、あと10年もしたらオバサンになっちゃうんだし。
 そうなったら、男の人は私に見向きもしなくなるわ。
 だから、今の間に遊べるだけ遊んでおきたいの。
 ついでに言っちゃうと、将来の伴侶をその中から選別していくのが理想ね。
 若い現在(いま)こそが、私にとっての華やかな時代。
 面白おかしく現在(いま)を生きてるんだけど、こんな私だって勿論将来のことは考えてる。
 年をとって傍にいる伴侶が、ダサダサのおっさんだったらそれこそ悲惨でしょ?
 だから、そうならないためにも今のうちに沢山の男の人に出会って、付き合って、良い男を見分ける目を養っておかないとね。

 年をとってもそれなりにお洒落で、紳士的な振る舞いが出来そうな人が、私の理想。

 でも、そういう可能性を持っている人って、ちょっとお堅いのよねぇ。
 だから、今のところ彼氏として選ぶのにはそういう人種の男性はパス。
 だって、面白くないもの。
 色々と楽しむだけの猶予はまだまだあると思うしね。


 だから…。


 *


「俺、好きな人が出来た」

 そう言って頭を下げた彼を前に、私はなんとなく予想がついていたお陰でそれほどショックを受けずに済んだ。
 文字通り振られたわけだけど、悲しくはなかったわ。
 ただ、なんとなく『不愉快』だっただけ。

「そ。なんとなくそんな気がしてたわ」
「本当にごめん…」

 鼻先であしらうと、彼氏は…ううん、もう『元』彼氏なんだけど、深々と更に頭を下げた。
 そんな姿に、私は不快感が胸の中で膨らむのを感じていた。

 だってね。

 この目の前の『元』彼氏、人に頭を下げるような男じゃなかったのよ?
 おしゃべりも楽しかったし、デートとかの費用も景気良く出してくれて、言うことなかったんだけど、たった一つの欠点を言うと、この『元』彼氏はいつもどことなく偉そうだったの。
 何て言うか…『上から目線』って感じで。
 勿論私に対してじゃなくて、お店の人とかに…ね。
 時々、私にもなんか『ウンチクたれる』ことがあったけど、それが鼻につくかつかないかくらいのささやかなものだった。
 だから、今まで一緒にいられたんだけど、こんな風に頭を下げるなんて、一体どうしたって言うの?

『もしかして…』

 ピン、ときた一つの直感。
 元彼がこんな風に『生まれ変わった人間』みたいになったのは、元彼の心を奪った人の影響なんじゃないの?
 もしもこの『女の勘』が事実だとしたら…。



「許さないわ…」



 元彼がビクッ!と身を震わせて顔を上げた。
 表情は不安と疑問。
 私の言葉の意味が分からないのよ。
 怪訝そうで不安に細められた目をしっかり見つめながら、もう一度、
「許さないわ、絶対に」
 同じ台詞を繰り返した。
 それに対する彼の反応は面白かったわね。
 ポカン…、と口を開けたかと思うと、ザーッと音を立てるように真っ青に、次にゴーッ!という音を立てるように真っ赤になってゴニョゴニョとわけの分からない言葉を口にした。

「おま、いや……なんで…?だって、お前、俺のことなんか…その」

 彼が言いたいことは良く分かる。

 ―『お前、俺のことなんかそんなに好きじゃなかっただろ?』―

 でしょ?

 そうよ。
 好きじゃないわ、それほどには…ね。
 でも、それなりに好きじゃなかったら、彼氏・彼女としての付き合いが出来るわけないじゃない。
 私に告白してくる数人の男の人達の中から選んだのには、それなりのわけがあるという当然のことが、彼には分からないみたいね…。

 でもまぁ、仕方ないわ。
 私がそう思われてもしょうがない性分してるのは事実だし。
 でもね。
 どうしても許せないのは、私以外の女性に心を奪われた結果、『好人物として生まれ変わった』ということ。
 一体、どこのどんな女性(ひと)が彼をこんなに変えてしまったって言うわけ?
 私にも立派な『自尊心』というものがあるのよ。
 早々簡単に『私よりも優れた同性がいるのね』って認めることなんか出来ない。
 これが、TVや雑誌を通して知った『大女優』とか『モデル』なら諦めるわ。
 ううん、むしろゴミ箱に捨ててやる。
 現実を見ないで『大女優』とか『モデル』に本気で心奪われて、私から乗り換えるような男、ただ気持ち悪いだけじゃない。
 でも…。
 そうじゃないんでしょ?
 実際に会って、話して、そうして私よりも『彼女』に惹かれたんでしょ?
 私の知らない『彼女』が一体どういう女性なのか…、闘争心に火がつくと同時に、強い興味を持った。

 まだパニックになっている彼をねめつけ、
「私が納得した相手でないと、絶対に別れないわ!」
 鋭い言葉の剣に、元彼は蒼白のまま佇んだ…。


 *


「それで、なんでこの店なわけ?」

 不機嫌さを隠しもしないでツンケンとする私に、元彼は諦めたような溜め息を吐いた。

「ここに『彼女』がいるから」

 その口調に私の神経は思いっきり逆撫でされた。
 冷静さとか、私に対する呆れを意識して作っているその口調の中に、『彼女』への想いを甘く響かせる声音を聞き取ったから。
 …なにそれ。
 ふざけてない?
 私と一緒にいる時でさえ、私を『アクセサリー』くらいにしか見てなかったくせに、その『彼女』とやらには『人間としての想い』を持っているって言うの?

 …まぁ、そうでなかったら、私と別れる、だなんて言ってくるはずないし、ましてや頭を下げることなんか絶対になかったんだけど。

 どことなく、私を『彼女』に会わせたくない、という雰囲気を未練たらしく抱いている元彼を小バカにしたように半目で睨みつけ、
「そ。じゃあ行きましょ」
 ドアノブに向かって軽く顎をしゃくった。

 元彼にドアを開けろ、と言う無言の命令。
 彼は不機嫌そうに私を睨んだけど、結局大人しくドアを開け、私が通れるように身体を引いた。
 いつものデートの時のように…。

 ことさら鷹揚な態度で彼の鼻先を通り、店に入る。
 そこで見た店の第一印象は…。


「…なに、ちっさな子供働かせてるわけ…?」


 自然と低い声になった私を、元彼はどこか面白がっているような口調で、
「ま、無理やり働かせてる…とか、子供達の足元を見て低賃金で違法な労働をさせてるかは、すぐに分かる」
 そう言った。
 その口調にまたもや神経が逆撫でされる。
 この妙に『物知り顔』が憎たらしい。

 不機嫌を隠そうともしない私の顔を、元彼は余裕綽々の目で見返してきた。

 本当に腹立たしいわね。

 イライラは最高潮に達し、思わず元彼の足を踏んづけてやろうか、どうしようか迷っていたせいで、私は全く気づかなかった。


「お客様、お二人様ですか?」


 そう言って、まだ小さな女の子が笑顔で見上げていることに。
 私のようなドロドロした感情とは無縁の女の子の微笑みに気づいて、私の怒りはあっという間に焦燥感にとって変わった。
 小さい子供に、私みたいな『大人の感情』を見られたくはない…。
 そんな私の狼狽振りを横目で見ながら、元彼は笑顔で女の子に、「そう。二人。席空いてる?」、そう聞いている。
 口の端が変にひくついていることから、私の狼狽振りを楽しんでいることが伺えて、焦燥感がまたもや怒りの感情に流されそうになる。
 そんな私のドロドロした気持ちなんか、勿論この女の子は知らないし気づかない。

「はい、こちらへどうぞ」

 きびきびした動作で私達をテーブルに案内する。
 店の端からは、
「いらっしゃいませ〜」
 もう一人の子供…少年が明るく声をかけてきた。
 そっと少年を見つめると、ふわふわの髪をしたその子は、私の視線に気づいてニッコリ笑って会釈をしてくれた。
 その純粋な笑顔に、胸の奥がズキリ…と痛む。

 …私が無くしてしまった大切な何かを、この店の女の子と男の子が持っているような気がした…。

 それが一体なんなのかは分からないし、なんとなく分かりたくもないんだけど、一つだけハッキリしたことは、子供達がイヤイヤ働いているわけじゃなく、楽しんで働いているということだった。

 イヤイヤ何かをしている子供なら、絶対にこんな笑顔は作れない。
 大人なら、自分の感情を押し殺して笑顔と言う仮面を顔に貼り付けることが出来るけど、子供は自分の気持ちにとても素直だから、己の感情を押し殺して笑うことは絶対に出来ない。

 テーブルに着いて元彼を正面から睨む。
 でも、私の睨み顔に込められた怒りのオーラがさっきまでの迫力を持たず、削がれていることなんか、元彼には一目瞭然だったらしい。
 ニヤニヤ笑いながら、楽しげに私を眺めやった。
 完全に自分の勝ちだと思ってる。

 …憎らしい。

 その表情がとっても憎らしくって、思わず悪態を吐いてやろう!と口を開いた。
 まさにその絶妙なタイミングで…。


「メニュー、お決まりですか?」


 鈴を転がしたような女性の声。
 目の前の元彼の顔がパッと変わった。
 瞳は興奮に輝き、頬はなにやら上気しているのか薄っすら血色が良くなっている。
 そして…。
 姿勢を正して椅子に座りなおし、
「こんばんは、ティファさん」
 上ずった声。
 これまで聞いたことない彼の『浮ついた声』に、私は思わず目を見張って声のした方を振り返った。

 振り返って……後悔した。

 なに、この目の前の女性!?
 完璧じゃない!
 ルックスも、ボディラインも、醸し出してる雰囲気もなにもかも!

 これまで、私が『あ〜、私よりもいい女ねぇ…』と、認めた同性は雑誌とかTVの中だけだった。
 街ですれ違ったり、カフェやお店で同じ空間になった時にそう認められる女性は本当の本当にいなかった。
 それなのに。


「こんばんは。また来て下さったのね」
「お、覚えていてくれたんですか?」
「勿論です。この前は『スタミナ定食』をご注文下さいましたよね?」
「う、うわ〜、ほんっとうに光栄です!」
「ふふっ。こちらこそ光栄です。今日はどうされますか?」
「えっと…そうだな…」
「あ、ごめんなさい。メニューお聞きするのが早かったでしょうか?」
「いや、そんなことないです、すぐ決めますから!!」


 放心状態の私を尻目に、完全に舞い上がっている彼は、上ずった声で喜びを隠そうともせず、『彼女』…、ティファに言葉を繋ぎ続けた。
 彼が必死にティファを引き止めているのがイヤでも分かる。
 その時、ティファの身体越しに店の客達の視線に気がついた。
 どの目もティファを想っているように見えた。
 異性として惹かれている目もあれば、『父親目線』で見守っている感じの表情もある。
 ティファを引き止めている彼を苦々しく睨んでいたり、どこか面白がっていたりして、客達の反応は様々だった。
 どれだけティファが人気のある『女店長』なのか、雄弁に物語っていた。
 逆に、女性客達はなんとなく違う表情をしている。
 一歩引いた感じでチラチラとティファと『誰か』を見比べていた。
 それらの視線の先が気になって、そっとそっちを見る。


 見て……やっぱり後悔した。


 金糸の髪をつんつんと遊ばせている碧眼の美青年!(← 笑うところです)
 なに、あの整った顔!
 醸し出してる『イケメンのオーラ』!!(← やっぱり笑うところです)
 立ち居振る舞いは無駄がなく、ついでに愛想も全くない。
 でも、そんな無愛想な彼には抗いがたい魅力があった。
 強烈過ぎるその魅力に、私は自分の鼓動が否応なしに早められるのを止められなかった。
 口から心臓が出ちゃうんじゃない!?って思うくらいバクバクと心臓が胸の内側から肋骨を叩く。


 完全な一目惚れ…だった…。