恐怖との対峙(後編)








 カウンターの中に立つ彼女を前に、頭にドクドクと血が上る音がする。
 気配を読むことに長けている彼女が、傍に俺がいても気づかないことがなんと多かったことか。
 今もそうだ。
 手は機械的に夕飯を温めているのに、心がない。
 心は……どこに置いてきたんだ?
 もう…もうダメなのか!?

 ダメ…という可能性に気を失いそうになる。
 踏ん張った足の下で床が鳴った。
 ティファがようやっと俺に気づいて青くなる。

「び、びっくりした。クラウド…どうしたの?お風呂、早かったね?」

 取り繕うように変な顔で笑ったティファに、俺の中で何かが切れた。
 濁流のように溢れ出る感情に押され、大股でティファに近づく。

「ティファ…これはどういうことだ?」

 突きつけたナップサックに、ティファはとうとう仮面を剥がした。
 俺や子供たちの前でずっとかぶり続けていた仮面が、音もなく消える。

 無表情。

 ガラス玉のような目、どの感情も宿さない表情。
 真正面から彼女のこんな状態に対峙したのは実は初めてで、ここ数週間悩んでいた『どうして良いのか分からない』を軽く越えてくれた。
 焦燥感に駆られるまま、
「どういうことだって聞いてるんだ!」
 ティファの足元にナップサックを投げつける。
 それでもティファの顔は変わらない、無機質なままで、焦りに混じって絶望がジワリ…と広がった。

 いやだ、認めない!
 もう手遅れだなんて認めない!!

「ティファ!」

 彼女の細い肩を掴んで揺さぶる。
 しかし、転がったナップサックを見ているだけで少しも俺を見ようとしない。
 心臓がやかましいくらいに自己主張する一方で、胸が締め付けられて鋭い痛みを刻んでくる。

「ティファ、最近ずっと変だった!一体、なにが不満なんだ!?」

 止まらない激情に流されて声を荒げる。

「なんでなにも言わない!?言ってくれないと分からないだろう!!」

 頼むから…、もう1度チャンスをくれ!

「俺、また何かしたのか!?ティファ!!」

 このまま、何も分からないまま失うなんて…絶対にイヤだ!!

「こっち見ろ、ティファ!!」

 いつまでも見てくれない彼女の顎を掴んで無理やり俺の方へ向ける。
 どんな色が彼女の目に浮かんでても良い。
 俺を見もしないでいなくなるなんて…絶対に認めない!

 カチリ。

 ティファの薄茶色の瞳が俺を見る。
 焦点が合った。
 その途端、彼女の唇が微かに震えた。
 唇だけじゃない、無機質な顔に小さく震えが走る。

「……なして…」
 震えた声で聞き取れない。
「ティ「離してって言ってるのよ!!」
 聞き返そうとした俺を遮り、ティファは今まで聞いたことのないヒステリックな声で叫んだ。
 ギョッとして思わず手が緩んだ瞬間、ティファが手を振り払って飛び退(すさ)った。

「ほっといてよ、もうほっといて!私のことはほっといて!!」
「ティファ…!」
「どうせ醒めちゃうんだからほっといて!!無駄な期待させ続けないで!」

 狂ったように声を荒げるその言葉の意味が分からない。
 さめる…とはどういう意味だ!?
 気持ちが冷めるって言ってるのか!?
 誰の気持ちが?!
 俺の気持ちか!?

「なに言ってる?なにがさめるんだ?無駄な期待って」
「ほっといてって言ってるじゃない!」

 狭いカウンターの中、ギリギリまで俺と距離をとろうとしているから壁に背をつけているティファ。
 今までずっと押し込めていた激情を吐き出して苦しむ彼女の姿。
 最後のこの台詞を吐き出しても尚、息を荒げて喘ぐ彼女の双眸から銀色のしずくが零れ落ちた。
 それを見た瞬間、俺の中の全部が吹っ飛んだ。
 彼女を失いたくないとか、どうしたら良いのか分からないとか、そういったここ数週間の悩み全部が吹っ飛んで、代わりにとても単純な言葉が浮かんできた。

「ティファ…」

 ごめん。

「ティファ…。ティファの言っていること…俺には分からない……ごめん…」

 ごめんな、ティファ。
 最初からこう言えば良かったんだ。

『俺には分からない』って。

 ウジウジ考えて二の足踏んでる間に、こんなにもティファ、キミが追い詰められてるなんて思いもしなかったんだ。
 なぁ…、これからはちゃんと素直に言葉にしていくから。

「ティファ……ごめん、ティファに泣かれるとどうして良いか分からない…」

 な、こうやって、『どうして良いのか分からない』と思ってるんだってことをちゃんと言葉にするよ。
 だから…、どうか拒まないで欲しい。
 涙を拭うことを…、キミに触れることを…どうか…。

 そっと伸ばした手が情けないくらい震えていたけど、ティファは逃げなかった、拒まなかった。
 むしろ、指先が涙に触れた途端、ハッと目を見開いて驚いた。
 あぁ…、ティファ。キミは、自分のことですら『分からなく』なってたんだな。
 泣いていることすら気づかないくらい、心が磨り減ってたんだな。
 心を隠してるんじゃなく、自分でも気づかないくらい磨り減って…疲れてたんだな。

 ごめんな。
 ごめんな、ごめんな。

 ボロボロ泣きながら一気に脱力し、ズルズルとその場にしゃがみ込んだティファを慌てて抱きとめる。
 ティファは突き放すこともなく、逆にしがみついて泣いてくれて…。
 不謹慎かもしれないが、腕の中で泣いてくれる彼女が愛しくて、嬉しくて、力の加減をすることなく抱きしめた。


 *


「夢を見るの…」
「夢?」
「幸せで…絶対に目を覚ましたくないって思うくらいの夢…」

 場所を移してベッドの中。
 目いっぱい泣いて少し落ち着いたらしいティファは、ようやっとここ数週間、溜めに溜め込んでいたものを話してくれた。

「クラウドもいて…、子供たちもいて…。皆いてくれてね、でも…気がついたら皆、笑ってるのにその輪に私…入れないの。皆が楽しそうに笑ってる輪に入りたいって思うくせに、私が入ることで皆が笑わなくなったらって思って、怖くなってね…結局、私はずっと輪の外から皆を見てるの。そうしたら、気がついたら目が覚めてて…」
「…ティファ…」

 輪の外から眺めるしか出来ない辛さは痛いほど分かる。
 そんな夢を見てしまうティファが悲しくて、抱きしめる腕にまた力を入れた。

「クラウドは私といてもいなくても全然幸せで、デンゼルとマリンもそれぞれ大きくなって…やっぱり私はいなくても元気いっぱいで、クラウドが大好き!って…楽しそうなの…」

 ギュッと心臓が締め付けられる。
 なに言ってるんだ。
 そんなわけないじゃないか。
 でも…。

「……それは…夢の話か?」

 弱っている彼女を追い詰めるようなことは言いたくないから、逆に問いかける。
 彼女の夢なのか、それとも現実世界の話で彼女にはそう見えているのか…。
 ティファは頭を振った。

「……分かんない…分かんないの、クラウド…。夢なのか…被害妄想なのか…。でもね…」
「…うん?」
「私がいなくても幸せになれるのは…夢でも被害妄想でもないんだってことは分かってる」

 小さい小さい声で、怯えるように紡がれた言葉に折角取り戻した冷静な心が一気に波立つ。

「そんなことない!」

 なぁ、どんな言葉で罵っても良いから、頼むからティファ、『いなくてもいい存在』だなんて思わないでくれ!
 どうやったら伝わるんだ?俺がこんなに必要としていることが。
 どうやったら…!

「ティファ…。俺は言葉が足りない。それは分かってる。だけど、ここ最近ずっとティファが何かに苦しんでいることは分かってた。でも…でもな。それに対してなにも言えなかったけど、だけどずっと俺も悩んでたんだ。なにが一番ティファに良いことか分からなくて…。下手な言葉をかけてさらに傷つけたり、掻き乱すくらいなら黙ってようって思ったんだ…。聞けないことは…苦しかった……」

 頭の中で色々考えた言葉じゃないからおかしなことを言っている自覚はある。
 だが、全部本音だ。
 ティファが苦しんでいることも、聞きたくても聞けずに俺も苦しかったことも…全部。

「ティファ…俺はティファになにも気の利いたことは言えない。でも…これだけは…」

 少し腕の力を緩めて彼女の両頬を包みこむ。
 逸らすことなく茶色の瞳が見つめてくれている。
 ガラス玉でも、死んだ魚の目でもない、『ティファの瞳』で。
 それがこんなにも嬉しい。

「ティファに全てを押し付けて消えてしまおうとした俺を許さなくて良い。許さなくて良いから、自分を消してしまうことはしないでくれ。ティファを愛してる人を疑わないでくれ」

 精一杯の言葉。
 口にして初めて気づいた、彼女に伝えたかった本当の言葉はこれだ。
 だが…、ティファは不思議そうに瞬いた。


「…私を……愛してる……人……?」


 なんと言えばいいんだろ、この気持ちを。
 心臓が止まるほどの衝撃?それとも頭を思い切り殴られたようなショック?どう言えば良い?
 まさか…。
 まさか、ティファがここまで…!!


『ティファ、ぜ〜ったいに無理してると思う。今は大丈夫でもこれから先、アンタがホイホイ軽率に家出したことがティファにとんでもないことを思わせる可能性があるんだからね。1度捨てられた人間は、自分なんか価値がないって思い込むもんなんだから。そのときは、ガッツリとティファを掴まえるんだよ!?分かった、クラウド!?』


 家に戻ったばかりの頃、遊びに来たユフィがティファたちに内緒でそう耳打ちしてきたことがあった。
 それを思い出す。
 ユフィ…。
 お前の言ったことは正しかった。
 俺はなんてバカだったんだ。
 ティファ…ティファ!


 胸が張り裂けそうに痛い。
 もう…ダメだ。


「……クラウド……」
「信じられないって分かってる…分かってるけど…でも……」

 堪えきれない痛みがそのまま我慢していた涙腺を刺激する。
 こんなに近くにいるのにティファが霞んで見えない…。

「ティファ…キミが誰よりも愛しい…!」


 どうか、どうか!
 信じられないかもしれないけど、どうかこの言葉だけは疑わないでくれ!


「…わ…たしも……愛してるよ……!」


 祈るようにティファの反応を待っていた俺の耳に、彼女の震えた声が届けられて…、呼吸が止まった。
 ティファ…。
 ティファ、本当に…?
 にわかには信じがたい奇跡で、間抜けにもボーっとしてしまう。
 なぁ、本当に?
 俺の願望が呼び寄せた幻聴…?


「…ご…めんなさい、クラウド…!!」


 信じられなくて何も言えなかった俺に、ティファが少しだけ空けた距離を一気に縮め、しがみついた。
 息が詰まりそうなほどの幸福感。
 押し寄せる『愛しい』と言う気持ちをそのまま行動に移す。
 思い切り抱きしめて、泣きじゃくるティファと一緒に泣いて。
 何度も口付けを交わして、身体を重ねて、温もりを分け合ってまた口付けて。
 本当に、本当に久しぶりに心と身体が満たされた幸福感に酔いしれた。

 そうして。

「………あ……」
 夢うつつに彼女の洩れた声が聞こえる。
 …起きた…んだろうか、ティファ。

「……クラウド…」

 優しい呼び声。

「ごめんね…」

 小さな謝罪。
 バカだな、謝らないといけないのは俺なのに。
 あぁ、起きないと。
 だけど、あまりにも幸せだからつい、この温もりにまだまどろんでいたいと思ってしまって…。

 ふいに唇に灯った温もりに、心臓が跳ねた。

 ティファ…?
 なぁ、今…もしかして…。

 頬に彼女の手を感じる。

「…温かい…」

 ポツリと呟やかれた彼女の声。
 そして。


「…私を…諦めないでくれて…ありがとう…」


 あぁ。
 至上の至福とはこのことだ。


 なぁ、ティファ。
 俺をこんなに幸せにしてくれるのはティファだけなんだ。
 だから、どうかもう二度と消えてしまおうとしないで。
 自分を殺してしまおうとしないで。
 傍にいて、傍にいることを許して。


 眠ったフリをしている俺にティファはもう1度口付けてくれてから、擦り寄るようにして身体を寄せた。
 だから、そっと彼女に回したままの腕に力を入れて、ティファの髪に頬をうずめた。
 子供たちがもうそろそろ起きてしまうなぁ…と思いながら、もう少しだけこの幸せに浸ることを許して欲しいと願いつつ…。




 あとがき

 40万ヒットキリリク第一弾です。
 リク内容はこちらをご覧下さいませvv
 いやぁ、それにしてもなんでしょうね、このヘタレ野郎!!(ノ▼皿▼)ノ
 はい、ほんっとうにごめんなさい。
 それなのに、暖かいお言葉本当にありがとうございます♪
 舞々様へお捧げいたします〜vv(あ、返品か可ですよ、勿論…/アセアセ)