深い深い海の底。
 そこには人間が知らない、素晴らしい世界がある。
 その世界を統べているのは海の王、ポセイドン。
 ポセイドンには彼の愛して止まない娘たちがいた。
 彼女たちは見目麗しい人魚。
 その美しさは見るものを魅了し、その歌声は心を奪う。
 そして、彼女たちの奏でる竪琴は、海に生きるもの全てに心からの至福を与えた。
 人魚たちも海底の世界で何不自由なく、楽しく幸せに過ごしている。
 自分たちの竪琴、歌声を喜んでくれる仲間たちに喜びを感じ、自分たちの役目を果たそうという強い使命感を持っていた。
 だが、たった一つ、不満に思っていることがあった。
 海の王を父に持つ人魚たちは、決して海の楽園から出ることはなく、生涯を過ごすことがしきたりだったのだ。
 だから、海の世界から外の世界へ…。
 いわゆる、陸の世界に行くことはありえない。
 そう…。
 ありえないのだが…。






人魚姫の恋 1







「いまどき、そんな古臭いしきたり、守ってられるかって〜の!」

 勢い良く海面に顔を出して黒髪の少女が快活に笑った。
 続いて海面に顔を現したのはエメラルドグリーンの瞳を持ち、豊かな大地を彷彿とさせる茶色の髪。
 ウェーブがかった長い髪を無造作にかき上げ、黒髪の少女に笑いかけた。

「ユフィ、本当に海の上が好きなのね」
「もっちろん!エアリス姉さまも好きでしょ?」
「へっへ〜!当然だよぉ♪」

 この2人こそ、現ポセイドンであるバレット王の愛娘である人魚姫だ。
 2人の上半身は人間の女性。
 しかし、おへそから下にかけては魚の尾。
 しなやかなその姿を見る者がいれば、目を見張るほどの美しさだ。

「そっれにしても、ほんっとうに良いお天気だねぇ」

 仰向けになって波に身をゆだねるユフィを見ながら、エアリスはクスクス笑いながら真似をした。
 本当に良い天気だった。
 海底の楽園、つまり、彼女たちの住んでいる海底王宮も素晴らしい景色が広がっている。
 色鮮やかなサンゴ。
 他の人魚たち。
 そして、鮮やかな色を持つ友達の魚。
 何不自由なく海底で過ごせるし、退屈もしない。
 だが、この2人の人魚姫はとてもとても好奇心が旺盛だった。
 友達である魚たちの目を盗み、姫付きである侍女の人魚の隙を突いてはこうして海面に顔を出して、海底では味わえない風や空の青さ、真っ白い雲、空を飛ぶ鳥、そして太陽の光を存分に楽しんだ。

 と…。

「もう、姉さまたち、また私を置いてったー!!」

 小さく波しぶきを上げて顔を出したのは、末っ子のマリン姫。
 頬をパンパンに膨らませて拗ねている。
 2人の姉姫は顔を見合わせて苦笑すると、スイスイと妹姫のところまで泳いでいった。

「ごめんね、マリン」
「でもさぁ、あんたまだ小さいから見つかったら大変じゃん?アタシたちみたいにまだ早く泳げないっしょ?捕まったらアタシたちまで大目玉だっつうの」

 宥めるエアリスと違い、ユフィは置いていったことをまるで悪びれない。
 途端、ポカリ!とエアリスの拳がユフィの頭に落下した。

「こ〜ら、ユフィ!マリンをいじめるんじゃないの」
「だってさ〜、エアリス姉さまだって置いてったじゃん、それってそういう理由じゃないわけ〜?」
「ユフィ姉さま、ひっどい!もうだいっきらい!!」
「なぁにがだいっきらい!だよ。まったくもう、お子様はお子様らしくお昼寝の続きをしてりゃいいじゃん」

 ギャーギャーと口喧嘩を始めた2人の妹姫に、エアリスはスーッと大きく息を吸うと、

「いい加減にしなさい!!」

 途端、ピタリ…、と2人の妹姫は口喧嘩が止まった。
 この一見、おっとりしたようにも見える姉姫が、実は怒らせると一番怖い。
 父王であるバレットよりも怖い。
 海底王宮を取り仕切っている陰の実力者を敵に回すとどうなるか…。
 考えるだに恐ろしい。
 しかし、それ以前に2人の妹姫はこの姉姫が大好きだ。
 だから、エアリスを怒らせたり、困らせたりしたくない。

「「 ごめんなさい… 」」

 シュン…とうな垂れる2人の妹姫を、腰に手を当てて見ていたエアリスだったが、2人が本当に反省しているのをすぐさま見抜くと、打って変わってニッコリ微笑んだ。

「うん、よろしい2人とも。本当に可愛いんだから」

 そう言って、2人の頭をポンポンと撫でる。
 途端、2人はパァッと顔を輝かせて満面の笑顔になった。
 それこそ、人魚姫と呼ばれるだけの心が吸い寄せられるような笑顔。

「ごめんね、マリン。すごく気持ちよさそうに寝てたからそのままそっとしておこうってことにしたのよ」

 3人で仲良く泳ぎながらエアリスは末娘に置いていったことを謝った。
 マリンはその言葉ですっかりご機嫌だ。
 ニコニコ笑いながらじゃれるようにエアリスの周りを泳ぐ。
 まだ小さいとは言え、人魚は人魚。
 泳ぎは呼吸をするくらい自然で、ユフィの言うような『まだ早く泳げない』ということはないように見える。
 そうして3人は暫くじゃれあいながら青空の下、楽しいひと時を過ごした。

 楽しい時間はすぐ過ぎる。
 エアリスは後ろ髪引かれる思いをしながらも、妹姫たちの手前毅然とした態度で海底宮殿へ戻るように声をかけた。
 2人ともまだまだ遊び足りないようだったが、素直に従って宮殿に戻る。
 途中、気味の悪い岩場を通り過ぎながら、ユフィがそっと小声で言った。

「ここの洞窟にさぁ、昔っからイカの魔法使いが住んでるって言うよね。その魔法使いの魔法ってさぁ、ちゃんと効くのかなぁ?」
「ユフィ姉さま、気味の悪いこと言わないで下さい!それに、ここの魔法使いのこと、お父様は大嫌いだっていつも言ってるじゃないですか〜」
「まぁね。でもさぁ、単純な父様が言うこと、イチイチ真に受けてたら本当の世界なんか分からないまま一生終わるよ?ねぇ、姉さま」

 話をふられ、エアリスは苦笑しながら巨漢の父王を思い浮かべた。
 直情的で融通が利かない性格ではあるが、実直で情に厚い父王。
 母親はマリンを産んですぐ亡くなった。
 だからだろうか?
 歴代の王たちよりも子煩悩で本当に心から愛してくれて、大事にしてくれている。
 そんな父王をエアリスは愛していた。
 勿論、口悪く言っているユフィも、父王に一番なついているマリンも心から愛している。
 そんな父王についてこう問われると、ちと困る。

「ま、昔何があったのかよく分からないし、父様の仰ることに反対しても仕方ないじゃない?」

 そう言って、エアリスは笑いながら妹姫たちに、
「さ、そんなつまんないこと言ってないで、宮殿まで競争!急がないと侍女たちに怒られる〜」
 と、妹たちの競争心を煽ってスピードを上げた。
 妹たちはエアリスの気配りを知ってか知らずか、笑いながらその後に続いた。

 仲の良い姉妹は、そのまま宮殿へと戻った。
 当然のように、3人の姫を探し回っていた侍女にはかなりしぼられたが、それでも父王への報告だけは免れた。
 侍女たちだって、単純ですぐ激情する王に率直に報告して怒りは買いたくなかったし、この3人の姫君たちを愛していた。
 だから、たまに海面へ上がっても良いだろう…と思っていたのだ。
 海底の宮殿に押し込められなければならないというしきたりは、古いと思っていのだ。

 だから…。

「ほおら、マリン!どう?どう?」
「すっごーい!ユフィ姉さま、なんで知ってたの?」
「へっへ〜。昨夜散歩に出たときにもここらへんで停まってたんだ〜。んで、その時に話してる声が聞こえたからさ」
「へえ!」

 2人の人魚姫は今、夜の波間に顔を出している。
 いつもならお天気の良い昼間に遊びに来ることが圧倒的に多いのだが、ユフィは元々自由奔放な性格。
『思い立ったら吉日』という座右の銘をもつ持つ彼女は、ちょくちょく夜の宮殿を抜け出してはこうして暗い波間を漂うって楽しんでいた。
 空を見上げると、昼間には見られない満天の星が瞬いている。
 その幻想的なまでに美しい星空を、ユフィはいつか姉姫や妹姫にも見せてやりたいと思っていた。
 ただ、妹姫はまだ幼く夜はぐっすりと眠ってしまうし、姉姫は第一王位後継者であるため忙しい。
 極々たまの休憩の時に昼間、連れ出すことが精一杯だ。
 夜はしっかり休ませてやらないと倒れてしまうだろうし、夜中まで執務が溜まっていることも珍しくない。
 というわけで、今日までユフィ1人が夜の星空を楽しんでいたのだが…。

「あのおっきなものって、『船』ってやつでしょう!?」

 興奮して目の前の大きな物体を見つめるマリンに、ユフィはエッヘン!と胸をそらせた。

「そう!あれこそが私達人魚みたいに自由に泳げない人間が開発した『船』って乗り物だよ。すごいっしょ!?」
「すごいすごい!」

 大きな大きなその船は、沢山ある窓からキラキラと灯りを零している。
 海底宮殿にはこのような大きな物体はない。
 強いて言えば、宮殿そのものが『大きな物体』……だろうか。
 人魚には特別、『道具』というものなど必要ないのだから当たり前と言えば当たり前なのだが…。

「ねぇねぇ、これ、エアリス姉さまにも見せてあげたいね!」

 興奮して目を輝かせながら見上げてきたマリンに、ユフィは「ん〜…」とポリポリ頭を掻いた。
 実は、本当はエアリスも誘おうと思っていたのだ。
 だが…。

(困ったなぁ…)

 エアリスは今日も今日とて執務が溜まっている。
 しかし、それだけならユフィはエアリスを強引にでも誘っていた。

 実はまだマリンには知らされていない話しがあった。

 つい昨日、エアリスが父王に内々に呼び出された。
 それをほんっとにたまたま通りがかっていたユフィは、持ち前の好奇心で盗み聞きをするというはしたないことをしてしまったのだが、その時の会話が…。


(姉さまが結婚……ねぇ…)


 エアリスも、もう22歳。
 結婚してもおかしくない年だ。
 それに、エアリスは長子。
 男のいない今の王族では、早く長子であるエアリスに婿を迎え、世継ぎを、という声は前々から上がっていた。
 しかし、バレット王はずっと取り合わなかった。

 娘には娘の想う相手と結婚させたい。

 それが王の口癖だった。
 だが、それももう限界だったのだろう。
 エアリスが恋をする気配はないし、家臣たちの意見をはねつけ続けるにも限度がある。
 家臣の意見を拒み、王としての権威を振りかざして好きなようにし続けるということは非常に危険なことだ。
 家臣の心は離れ、民の生活は苦しくなるばかりか、クーデターが起こっても不思議はない。
 それは、姫として生まれたユフィにもちゃんと分かっていた。
 バレット王が異例なのだ。
 歴代のポセイドンにはない『子煩悩』『愛情』をバレットは持ってくれている。
 だからこそ、自分たちはこれまでの人魚姫たちにくらべ、のびのびと自由に育てられていた。
 もっともっと、窮屈な生活になっていただろうに、それをバレットがそうならないように守ってくれていたのだ。
 だから…。


『はい、承りました、お父様』


 苦しそうな顔をして頭を下げた父王にエアリスはいつものような笑顔を見せた。


 その大事な時期に、エアリスを連れ出して良いものだろうか?
 エアリスは顔には出さないが、きっと心の中は暗く、重いはず。
 そんな時に、いつものようなのんきさで『遊びに行きましょうよ!』なぁんて言っても…良いものか否か…。

「ユフィ姉さま?」

 小難しい顔をして考え込んだユフィに、マリンがキョトン…と顔を覗く。
 ユフィはガシガシと髪を掻き毟ると、
「あ〜!もう考えても分からん!分からん時は思ったとおりのことを行動せよ!!」
「へっ!?」
 ビックリする妹姫を置き去りに、勢い良く海に潜った。
 慌てて末姫も後を追う。
 後を追いながら必死に姉姫の奇行を問うが、
「多分、もうこれがラストチャンスだから!」
 と、さっぱり意味の分からないことを言い捨てるだけで、猛然と宮殿へ向かうのみだった。

 マリンが息を切らせながらようやく宮殿に戻った時、ユフィとユフィに手を引っ張られて目を白黒させているエアリスに裏口で鉢合わせた。
 危うく正面衝突寸前で、間一髪ユフィが避ける。
 避けながら、「危ないじゃん、マリン!」と、理不尽な一喝を喰らわせ、後は戻った時同様猛然と今度は海面目掛けて泳ぎだした。
 マリンはアッという間に小さくなる2人の姉姫の背中を呆然と見送っていたが、ハッと我に帰って頬をパンパンに膨らませた。

「も〜〜〜!待ってよぉ!!!」

 憤然としながら、姉姫たちを追いかけようとして…。

「おい……どこ行くんだよ」
「うひゃっ!!」

 背後から声をかけられ、マリンは飛び上がった。
 茶色のふわふわした髪の少年が怪訝そうに眉根を寄せている。
 ホッと胸を撫で下ろすとマリンは唇を尖らせた。

「もう、びっくりさせないでよデンゼル」
「それはこっちの台詞だって。ユフィ姫がエアリス姫をどっかに連行したけど、あれって良いわけ?王様にバレたら大目玉だろ?」

 マリンはグ…と言葉に詰まるとプイッとそっぽを向いた。

「知らないもん。だって、ユフィ姉さま、私になにも説明してくれなかったんだから」
「ふ〜ん」

 マリンの言葉に、デンゼルは不信感タラタラと言った顔で壁に寄りかかった。

「それでもさぁ、お前、最近しょっちゅう海底の楽園(ここ)から抜け出して海の上(上の世界)に行ってるだろ」

 ギクギクッ!

 そっぽを向いたままマリンは顔を引き攣らせた。
 そして、潔く向き直ると両手を合わせた。

「お願い、このことお父様には内緒にしてて!」
「…はぁ…。まぁ言うつもりはないけどさぁ」
「本当!?」

 パッと顔を輝かせたマリンに、デンゼルは溜め息をもう1つ零した。
 ポリポリと頭を掻く。

「それでもさ、もう少しバレないようにしろよ。俺、一応王室付き小間使いなんだから、目を瞑るにも限度があるんだぞ?」
「分かってるって!本当にありがとうデンゼル!」

 満面の笑みで嬉しさのあまり、マリンはデンゼルに抱きついた。
 すぐにパッと離れると、
「じゃ、バレそうになったらなんとかごまかしておいてね!」
 硬直しているデンゼルに全く気づくことなく姉姫たちを追いかけ、海面目指して泳ぎ去った。

「…ったく…、こっちの身にもなってくれよな…」

 取り残された形の少年は、片手で胸を押さえ、もう片方の手で口元を押さえながら真っ赤になっていた。


 マリンが海面にたどり着いたとき、2人の姉姫は先ほどの豪華な船に見入っていた。
 色とりどりの灯りが窓や甲板から溢れている。
 まるで、夜空の星が船に集まったかのようだ。

「素敵ね…」

 ポツリ…とエアリスが言った。
 マリンは、姉姫たちに追いついたら文句を言ってやろう!と思っていたのに、その一言で、
(ま…いっか)
 と思い直した。
 そして、肩を並べて豪華な船を見つめる。
 幻想的にまで美しいその光景に心奪われる。
 甲板には、何人もの人間が美しい衣装を身に纏い、音楽に合わせて踊っていた。
 人魚とは言えやはり女。
 エアリスもユフィも、そしてマリンも女性が身に纏っているドレスを遠目から見つめ、溜め息を洩らした。

「あのヒラヒラ、フワフワした服、とても素敵…」
「姉さまならなに着ても似合うわ。アタシは見る分には良いけど、自分が着ようとは思わないなぁ」
「姉さま、私は似合うかな?どうかな?」
「ふふ、勿論似合うわ。それに、ユフィもそんなこと言ってるけど、案外似合うと思うわよ?」
「え〜…そっかなぁ…」
「あ〜、ユフィ姉さま、照れてる〜」
「うっさい!子供は早く帰って寝なさい!」

 ギャーギャーと騒ぐ妹姫たちを、エアリスは嬉しそうに、しかしどこか寂しそうに見つめて、また視線を船に戻した。
 ユフィは視界の端でそんなエアリスをちゃんと見ていた。

(あ〜…やっぱり、いきなり『結婚』って言われて、へっちゃらなはずないよねぇ…)

 長子と言う重い責任を持つ姉に、ユフィは胸を痛めながら、それでもそれが顔に出ないよう、努めて明るく振舞うしか出来ないこともちゃんと分かっていた。

 …せめて。
 このひと時だけでも、楽しい時間を…。

 3人の人魚姫は船を見ながら夜の海を楽しんだ。
 どれほど経ったことだろう。

 それに気づいたのはエアリスだった。
 ハッと顔を上げ、険しい表情になる。

「…嵐がくるわ」

 その一言で、ユフィとマリンはピタッと口喧嘩を止めると、空を見上げた。
 先ほどまで見えていた星が完全に隠れている。
 暗いから良く分からないものの、分厚い雲に覆われている空は、それだけで十分不気味だった。
 それに、波も高くなっている。
 波間を漂うことが普通の人魚でも、この波の高さは危険を感じた。
 いつの間にやら船から音楽も聴こえなくなっている。
 船は高波のために大きく揺れ、今にも壊れてしまいそうだった。
 近くにいたらこちらまで巻き込まれてしまう。

「姉さま、危ないから戻りましょう」

 いつもお調子者のユフィが真剣に言った。
 マリンも緊迫したこの状況に小さくなってユフィにしがみついている。

「そうね。早く戻りましょう」

 妹姫たちを守らなくては。
 エアリスは妹姫たちを先に促して海に戻ろうとした。
 が…。


「なに、今の音!?」


 背後からなにかが落ちた音がする。
 船から何人かが身を乗り出して必死になにやら叫んでいる。
 だが、もうこの頃には風が強く吹き付けていて何を言っているのか聞こえない。
 エアリスは甲板の人間が指差し、叫んでいる方へと首を回した…。

 そして…見た。

 黒い人影が、必死にもがいているのを。

「「 姉さま!! 」」

 咄嗟にエアリスは動いた。
 荒れ狂う海の中、人魚であるエアリスは素晴らしいスピードでたどり着くと、必死になって体を押し上げた。
 つい先ほどまでもがいていたのにグッタリと意識がない。
 どうやら部分的に破損した船の木片で頭を打ちつけたようだ。
 失神していてとてもじゃないが1人では運べない。
 そこへ、妹姫たちが追いかけてきた。
 何も言わなくても聡い妹姫たちは、背後を振り返って絶望的な顔をした。
 船が自分たちとは反対側に流されようとしている。
 潮の流れが微妙に違うのかもしれない。

「とにかく、岸へ!」

 エアリスの言葉に従い、3人は力を合わせて人間を運んだ。
 途中、何度も諸共に沈みそうになりながら、必死になって頑張った。

 やがて…。


「は〜、は〜、は〜…」
「ぜ〜…ぜ〜…ぜ〜…」
「はっ、はっ、はっ、はっ」


 息も絶え絶えに、3人はなんとか溺れていた人間を岸に引きずり上げることに成功した。


 高波がなんとか届かないところまで運んだ3人は、暫くものも言えないくらいの疲労っぷりでグッタリと砂浜に横たわった。
 やがて、一番体力のあったエアリスはゆっくりと身体を起こした。
 嵐はまだ続いている。
 風も強く、雨も酷い。
 だが、もうこれ以上はこの人間をどこかに運ぶだけの力が残っていなかった。

(どうしよう…このままじゃ、この人凍え死んでしまう…)

 硬く目を閉じて真っ青な顔色の青年を改めて覗き込む。
 その時、エアリスはようやく気づいた。
 彼がとても整った顔立ちをしていることに。

(…キレイ…)

 潮に濡れた金髪をそっと撫でると、エアリスはそのまま自然に彼の上に身体を重ねた。
 ユフィとマリンはギョッとしたが、エアリスが青年を凍え死にしないよう、温めているのだとすぐに理解した。
 そうして、2人も青年を風雨から守るようにひしっ!と抱きしめた。

(…温かい…)

 抱きしめた青年から命の鼓動を感じ、エアリスは胸がポッ…と温かくなった。
 言いがたい感情がわきあがる。
 それは、ユフィやマリンも同じだったらしい。

「へへ…これが『母性本能』ってやつかな」
「あはっ。そうかもしれないね、姉さまたち」

 笑いながら青年を自分と同じように温め、なんとか助けようとしてくれる妹姫たちにエアリスは誇らしさでいっぱいになりながら、青年の顔を見つめた。


「死んじゃだめ。絶対に生きて」


 やがて。
 疲れ果てていた3人の人魚姫は、温めながらいつしか眠りについていた…。