消失のとき 1まず一番最初におかしいと感じたのは、食欲がなくなったことだった。 胃がもたれて仕方ない。 水を飲んだだけでもどうにも重く感じてしまう…。 「クラウド…大丈夫?」 心配そうに眉を顰めるティファに、クラウドは生来の無愛想な顔を更にむっつりさせながら、「あぁ、なんか…重いんだよな…」と憂鬱そうに答えた。 「クラウド、最近お酒もあまり飲まなくなったよね…」 ティファがそう言うと、一緒に食卓を囲んでいた子供たちが目を丸くした。 「え?そうなの?」 「キツイお酒、好きだったのに飲まなくなったのか、クラウドが?もしかして、これまでの飲みすぎで胃に負担がかかったんじゃない?」 賢しげにそう言ったデンゼルに、クラウドはそうかもな…と気の無い風に相槌を打ち、重い胃を宥めるように腹を撫でた。 「クラウド…病院に行った方が良いんじゃない?」 心配性のティファが言いそうな言葉にクラウドはゆるりと首を振った。 ここ暫くは配達の予約がいっぱいだ。 病院に行く余裕などない。 そもそも、クラウドは病院が嫌いだ。 神羅屋敷の地下でカプセル浸けにされていた経験がトラウマになっている。 薬品の匂いや白衣がどうしても受け付けられない。 そんな子どもじみたことを言って極力病院に行かないようにし、自力でいつも体調不良を治してしまうクラウドに、ティファはあまり強く言ったことはなかった。 クラウドの過去をよりよく知っているからこそ…。 「そう…。でも、せめて新しく予約を受け付けることはしないで?少し働きすぎなのよ、クラウドは」 「あぁ」 まだ心配そうに眉尻を下げているティファから顔をそむけるようにしてクラウドは立ち上がった。 心配してくれる人がいることは有りがたいことだと分かっているのに、ティファに心配されるのはあまり嬉しくないとクラウドは感じている。 それは、自分がまだまだ彼女にとって頼りない男だと言われているような気がしてしまうからなのだが、そこまで正確にはクラウド自身も不愉快になる理由が分かっていなかった。 ティファにとっては尚更分からない。 だから、こういう風に鬱陶しそうに顔をしかめて背を向けられると、ティファはいつも胸が痛くなるのだ。 それでも心配せずにはいられないし、口うるさいと分かっていても言わずにはいられない。 「クラウド、早く帰ってきてね?」 それには応えず、クラウドはデンゼルとマリンの頭をポンポンと軽く叩くと、仕事へ行ってしまった…。 * 「クラウドさん、なんかちょっと痩せたか?」 胃の不調を感じるようになって約1ヶ月。 相変わらず胃が重い。 胃が重いから食欲も湧かない。 食欲が湧かないから自然と体重も減るし、体力も落ちる。 しかし、まさか自分に限って病気になるとかは考えられない。 なにしろ、自分の取り得は健康だけなのだから。 もっとも、今となってはその取り得の健康も怪しいものになっている。 「あぁ、ちょっとな」 久しぶりに店に顔を出すと、気心の知れた常連客にそう言われた。 …そんなに痩せただろうか?それとも久しぶりに会ったから尚更そう見えるのだろうか? 「元々細いんだからしっかり喰えよ?でないと、夫婦喧嘩で負けちまうぞ?」 そう言ってカラカラ笑う客に苦笑する。 ふと視線を感じて目を転じると、心配そうに顔を曇らせたティファと目が合った。 咄嗟に視線を逸らして自分の指定席に腰掛ける。 子供たちがすぐに駆け寄り、クラウドの分の夜食を手際よくテーブルに並べた。 「クラウド、これだったら胃に良いからな?ちゃんと食べろよ?」 「はい、こっちはね、ティファ特製の豆乳鍋なんだよ。お豆腐と白菜、大根に卵が入ってるからね」 デンゼルの用意してくれた生姜湯とマリンが示した鍋を見て何とも言えない感謝の気持ちが湧いてくる。 自然と頬を緩めて心配そうに見上げてくる2人の頭を軽く叩き、 「ありがとう、2人とも」 そう言うと、いつもなら笑顔を返してくれる子供たちは心配そうな顔に少し縋るような色を滲ませた。 「クラウド…私たちにお礼は良いから」 「ティファにもちゃんと言ってやってくれよ?」 ハッと息を呑む。 そっと視線をティファに戻すと、彼女はもう他の客を相手に笑っていた。 その姿に一瞬、ムッとするが、すぐに思い返して反省する。 確かに、ここ最近ティファに対してちょっと子ども過ぎた。 必要以上に心配されると、妙に意地になってしまっていた。 しかしそのことでデンゼルとマリンに心配かけてしまっているのは不本意極まりない。 それに…中々素直になれないがやはりティファにも申し訳ないと思う。 「そうだな、悪かったよ、2人とも」 目を細めて素直にそう言うと、ようやっと2人はホッとしたように表情を緩ませた。 しかし、結局クラウドは2人が用意してくれた食事を半分も食べることが出来なかったし、ティファに謝るタイミングを最後まで掴み損ねた…。 おかしい。 本当にどうしたんだろう…? 常に身体が重いし何となく息切れしやすくなった気がする。 いくら寝ても疲労が取れず身体が鉛のようで頭痛もするようになった。 なにより時々意識が遠くなることがある。 この前など、フェンリルの運転中に意識が飛びかけて危うく大事故を引き起こすところだった。 寸でのところで回避したが、全身から冷や汗が噴き出すほど肝が冷えた。 流石にそのことはティファにも…誰にも話せていない…。 余計な心配をかけたくないというのは勿論だったが、病院へ行け、と彼女に保護者のような台詞を聞かされるのがイヤだった。 身体に異常を感じながら、それでもクラウドは相変わらずの生活を続けていた。 病院にも行っていない。 ティファには何度も病院へ行くように言われた。 その都度、ムッとした顔で拒否の態度をとった。 こんなに体調がおかしいのに、それでもまだ、クラウドは自分が病気になるとは思っていなかった。 たまたま、調子が少しおかしいだけ。 ちょっと不調な状態が続いているだけ。 今だけだから。 そのうち良くなるから…。 なにしろ、自分の取り得は健康だけなんだから…。 「危ない!!」 ブレーキ音と誰かの悲鳴が一瞬聞こえた気がしたが、瞬きをする間もなく刹那の瞬間、クラウドは意識を手放した。 それは、配達で立ち寄った新しい街での事故。 いつものクラウドなら絶対に巻き込まれなかった自動車事故。 それなのに、横滑りしてくるその車を避けることはおろか、車体が突っ込んでくることにすら気づかず通りを行く人たちの悲鳴で初めて事故に気がついた。 いや、気がついたと言ってもいいのかどうか。 なにしろ、自分が巻き込まれたと知ったのは病院のベッドの上で目を覚ました時なのだから。 あれだけイヤがっていた病院にこういう形で世話になるとは夢にも思わなかった…と、クラウドはベッドの上でぼんやり窓の外を眺めながらそう思った。 目を覚ましたとき、丁度点滴やモニターをチェックに来ていた看護師に話を聞けたので、見慣れない天井に混乱することはなかった。 肋骨の一本にヒビが入っているとの説明に、クラウドは目を丸くした。 たかが事故くらいで骨にヒビが入るとは、なんと軟弱になったことか…と思ったのだ。 しかしクラウドの内心など知る由もない看護師は、クラウドが『その程度で済んだのか?』とビックリしたのだと勘違いした。 クラウドの運動神経や丈夫な身体を褒め、後で医師が詳しい説明に来る、と言い残して退室した。 看護師がいなくなってからもクラウドの頭の中は自分がどういう状況にあるのかということで一杯だった。 正確には、自分の身体の状態だ。 意識を失っていた時間はさほどではない、というのが看護師の説明だったが、それでも運び込まれたことや事故に巻き込まれて肋骨にヒビがはいった瞬間を全く覚えていないのだから結構な時間が経っているはずだ。 それが情けない。 これではまるで一般の人たちと同じではないか…。 曲がりなりにもクラウドは『ジェノバ戦役の英雄』と呼ばれている。 その肩書きを喜んだことは一度もないが、それでもその肩書きに相応しい人間になろうと気負っていた。 だから、情けないし恥ずかしい…。 実は、クラウドのほかに巻き込まれた人たちはいなかった。 いや、いたのだがかすり傷程度だった。 重傷を負ったのはクラウド1人。 その事実をクラウドは知らない。 知らないが、もしも知ったとしたら十中八九、平静ではいられなかっただろう。 だから、その事実を知らないまま、クラウドは情けないと感じる程度で済んでいる。 もうすぐ家族がくる、と看護師が言っていたので余計惨めに感じ、言いようのない焦燥感に駆られているに止まっているのだ。 ティファの泣きそうな顔を想像しただけで憂鬱でむしゃくしゃして仕方なくなってしまう…。 「…くそっ!」 舌打ちをしてゴロリ、と寝返りを打つ。 当然のように胸に激痛が走り、顔をしかめたがそれも全部無視するようにして無理やり横を向いたまま痛みが引くのを待った。 腕に刺さっている点滴が鬱陶しい。 点滴というものが身体に刺さっているというだけで、怪我人ではなく病人になった気分がしてやり切れない。 そもそも、事故を避けられなかったのは体調が万全でなかったからだ。 ここ最近は特に身体が重くて、時折目が霞む。 おまけに、胃の不快感はごくたまに鈍痛を伴うようになっていた。 いや…本当に胃なのだろうか?と思うこともある。 それほどまでに感じられる体調不良。 だからこそ、余計に点滴のせいで自分が本物の病人になってしまったような錯覚を抱いてしまう。 引っこ抜いてやろうか…。 一瞬、自棄になる。 点滴のチューブに手を伸ばし、グッと握る。 しかし、結局諦めたように手を開いて深いため息を吐いた。 そんなことをしても仕方ないことはクラウドがよく知っていたし、あまり聞き分けのないことをしてガキ臭い己を晒すのはもっと恥ずかしい、と思ったのだ。 これ以上、ティファに幻滅されたくない…。 ふと脳裏を過ぎった一言に、クラウドはギョッとした。 「幻滅されたくない…ってなんだよ…それ」 わざわざ口にして自分の考えをバカにしてみても、それでももう無視出来ない。 そう、これ以上ティファに幻滅されたくないのだ。 心配そうに曇る顔も、病院へ行けと口うるさく言っては保護者のような顔をする彼女を見たくなかった。 ティファに心配されなくてもちゃんとやっていける。 それどころか、自分の方こそがティファのことを心配してやれるだけの器を持った男だと思いたかった。 彼女にとって、頼りがいのある大人な男に…。 しかし、実際はどうだ。 エッジから離れた土地で事故に巻き込まれ、病院に運び込まれて入院しているとは。 情けなさ過ぎる自分の本当の姿に苛立ちが募りそうになったとき、ドアをノックする音が聞こえた。 自分の内側に閉じこもりそうになっていたところへの外からの介入。 クラウドは内心ホッとしながら返事をした。 入ってきたのは白衣を着た医師。 一瞬、神羅の科学者を思い出してゾッとした。 しかし、温かな色合いのブラウンの瞳にかろうじて警戒心を表に出さずに押し込める。 「クラウド・ストライフさん…」 「…はい」 妙に緊張した医師の声音に、自然とクラウドも緊張する。 何だというのだろう? 肋骨にヒビが入っていることは既に看護師に聞いて知っている。 それなのにこの重苦しさ、圧迫するような緊張感。 たかが肋骨のヒビだけで。 それ以外に何かまだあるのか? クラウドはハッとした。 そう。 それ以外の何かがあるのだ。 それも重要何か。 自分がこれまでまともに向かい合おうとしなかった体調不良。 それを突きつけられるのだ、今から。 魔晄の瞳が見開かれたのを見て、医師はクラウドが何かを悟ったと分かった。 分かったからこそ、自分が告げなくてはならないことの重大さに苦悩しているかのようだ。 しかしとうとう医師は口を開き、己の務めを全うした。 * 「「 クラウド!! 」」 まず駆け込んできたのはデンゼル、半歩遅れてマリン。 ティファはその後に続くのかと思ったが、マリンの後から入ってきたのはシドだった。 クラウドの事故を聞き、ティファがシドに助けを求めたのだろう。 燃料を莫大に喰ってしまうシエラ号を惜しげもなく飛ばして駆けつけてくれたのだ、と想像するに難くない。 「なんでい、生きてやがんじゃねぇか」 子供たちに抱きしめられているクラウドを見て、シドはホッとしたように顔を緩ませた。 口から出た悪態も、それだけクラウドのことを案じていた反動だと受け取れる。 「クラウド、大丈夫?痛い?痛いのやっぱり?」 聞きながら、自分の方こそが痛みに耐え兼ねない!と言わんばかりに涙を目に浮かべたマリンとデンゼルに、クラウドはぎこちなく笑みを浮かべて首を振った。 ごめんな、心配かけた。 大丈夫だ、この程度の怪我ならすぐ治る。 ありきたりな言葉を口にしつつ、クラウドは自信がなかった。 ちゃんと、子供たちが不安にならないように…、賢しいこの子達に自分の抱えているどうしようもなくやり切れない思いがバレないように取り繕えただろうか…? 「おめぇ、本当に大丈夫か?なんかよぉ…、久しぶりに見たせいかちょっと痩せたか?」 眉根を寄せたシドに、クラウドは『余計なことを言うな』と言いそうになってグッと飲み込んだ。 シドに向かって適当な逃げを口にしようとしたが、 「最近、食欲がないんだよ。な?クラウド」 デンゼルが鹿爪らしい顔で助け舟を出してくれた。 感謝しつつ、小さく頷く。 「なんでい、過労か?無茶すんなよ〜?」 やれやれ、仕方ない奴だ…と言わんばかりに肩を竦めたシドから目を逸らし、未だに心配そうに見上げてくる子供たちへ視線をやる。 「2人とも…悪かったな」 改めて謝ると、子供たちはようやく安堵の表情を浮かべた。 しかし、クラウドの心は少しも晴れなかった。 子どもたちやシドと話をしている間も、ティファはまだ現れない。 それが何を意味するのか想像してクラウドは胸が掻き毟られるようだった。 今頃、彼女は主治医に話を聞かされているのだろう、自分にされた説明と同じことを。 いや、もしかしたらより詳しく聞かされているのかもしれない。 そうだとしたら…ティファは今頃主治医の前で泣いているのかもしれない。 きっと泣いている。 そして、この病室を訪れる頃には泣いたことを微塵もうかがわせないよう完璧な仮面を被って現れるに違いない。 人一倍気を使う彼女のことだ、絶対に子供たちや、ましてや当事者である自分の前では泣かないだろう…とクラウドは思った。 それが…とても苦しい。 『クラウドさん、率直に申します。あなたの身体ですが、もう数ヶ月しかもたないでしょう…』 『どこが原因…というわけではないのです。強いて言えば、あなたの体細胞が急速に破壊されているんです』 『この減少は、元ソルジャーで尚且つ星痕症候群に罹ったことのある人のみ…ということしか分かっていません』 『いつ、どうやって何が原因で発症するのかも判明出来ていません』 『ですから…』 『治療法がないんです』 『おまけに…その、あなたの場合、身体の不調を感じてからかなり経っておられるはずです。しかし、こんな状態になるまで放置しておられた…。身体がもう限界になっておられる』 『生きていくために必要な栄養を身体が細胞レベルで吸収することが出来なくなっています』 『今すぐ…というわけではないでしょうが、進行具合には個人差があります』 『ですから…』 『大切な人との時間を出来るだけ大事にして下さい』 それは、まさに死刑宣告だった。 |