消失のとき 6(完結)







 ミッドガルの教会の、出来たばかりの白い墓石。
 その前に立つジェノバ戦役の英雄たちとセブンスヘブンの子供たち、クラウドを良く知る常連客たちは一様に涙を流し、早すぎる死を悼んだ。

 ティファは子供たちと共に仲間にがっちりとその周囲を守られるようにして立っていた。
 薄茶色の瞳はただ、白い墓標にのみ向けられている…。

 やっぱりダメだった…。

 今の心情を一言で表すとそれに尽きる。
 あの日。
 リーブが吉報をもたらしてくれた日。
 デンゼルとマリンを伴い、仲間に付き添われて駆けつけたWRO系列の病院で、子供たちはクラウドに一言、名を呼んでもらえたらしい。
 しかし、ティファは…。


『ティファ!クラウドがなんか変!!』
『ティファ!!クラウド…クラウドが……急に苦しそうにしたと思ったらすぐ…息しなくなったー!!』


 主治医からの話を聞き終えたティファが、不安と期待で胸をいっぱいにして訪れると、泣き叫ぶ子供たちに出迎えられた。
 仲間と共に駆け寄ったベッドの上には、信じられないほど美しい寝顔のクラウドがいた。
 最後に見た頃よりもうんと白くなったその肌は、まるで精巧なガラス細工そのものだった。

「クラウド…」

 呼びかけても、彼は拒絶するかのようにピクリとも動かない。
 ユフィが頭を掻き毟りながら泣き叫ぶ。
 バレットが泣きじゃくるマリンとデンゼルを抱きしめ、呆然と入り口付近で立ち尽くす。
 ナナキが…シドが…、ただ眠っているだけにしか見えないクラウドに駆け寄り、その肩を…、腕を掴んで揺らす。
 呼びかけ、性質の悪い冗談は止せ。ふざけるな、目を開けろ!と必死に声をかける。
 ヴィンセントは1つ、勢い良く息を吐き出して、すまない…、と謝罪を口にしたっきり、泣き叫ぶユフィをまるで傷つき惑う己を抱きしめるかのようにきつく抱き寄せた。

 ティファは…ただ黙ってそれらを見つめていた。
 まるで、1つの風景のようにただ眺めていた。

 胸いっぱいにあったはずの色づいた思いの全てが一瞬にして消し飛び、砂を噛むような無味乾燥の空虚感が一気にティファの中を占領した。

 子供たちが…。
 仲間が…。
 声を大にしてクラウドの死を嘆き、泣き叫んで悲しむ中、ティファはただただ茫漠とその光景を眺めるだけだった。

『ティファ!あたしたちがついてるからね!』
『おうとも!俺様も油田開発しながらマリンやデンゼルの面倒、ガッツリ見るぜ!』
『シエラが意外と子供好きでな。なぁに、皆で頑張りゃ苦労は少なくて済まわ〜』
『ティファ……泣いて良いんだよ。今は…泣いて…ヒック』
『ティファさん…本当に…、申し訳ない!』

 仲間たちの精一杯の言葉を聞きながら、ティファは静かだった。
 口元には淡い笑みすら微かに浮かべてそつなくそれに応えた。
 ただ1人、ヴィンセントだけがそんなティファに何も言わず、黙って寄り添っていた。

 そうして今。
 花を添えなくとも白と黄色の花が咲き乱れるこの場所で、子供たちが小さい体を震わせながら街で買った色とりどりの花束を添える姿を、ティファは淡い笑みを浮かべながら見守っていた。
 ユフィがしゃくりあげながらそれに続く。

 それらをどこか遠い目をして眺めながらティファの頭の中は同じことばかりが繰り返されている。


 こうなってしまったのは全部自分のせい。
『2度』犯してしまった罪が招いた結末。
 1度目は、クラウドの目の前で客の男に抱きしめられたとき。
 2度目はヴィンセントにさせてしまったあの虚言の実行。


 そう、ちゃんとティファは気づいていた。
 あの時、クラウドが2階から降りてきていたことに。
 きっと、水を飲みに降りたのだ、とたやすく見当もついたが、目の前にいる若い男の客をあの時のティファには拒否する気持ちが何故か起きなかった。
 それは、心がどうしようもなく疲れていて、ほんの少しでも良いから温もりが欲しかったからだとティファはとうとう今になっても気づいていない。
 だから、ティファは自分自身でも知らない、気づかない間に己を最低の人間だと責め続けている。

 あの頃、クラウドのために必死になっていたティファの全てをクラウドは拒絶した。
 どう接したら良いのか分からないまま、日々が無為に過ぎていくのが耐えられなかった。
 クラウドの身体が日々、病に蝕まれていくその姿に恐怖を覚えない日はなかった。
 だから、必死になってクラウドに苦言を呈する。
 拒否されて無理をされる。
 病状が進行したように見える。
 苦言を呈する。
 拒否…。

 その悪循環の繰り返し。

 どうして良いのか分からない袋小路に放り込まれ、ティファは途方に暮れていた。
 クラウドを愛しているのに、彼のために出来ることが何一つない。
 それがどれほど歯がゆく、苦しく、情けないことか。
 誰にも相談出来ないということも苦悩の日々となった要因の1つ。
 クラウドの病気のことは、本人の意志を尊重してリーブ以外、仲間にすら打ち明けていなかった。
 だから誰にも相談出来ない。

 それなのに、あの若い男にクラウドの状態が良くない、と客たちが噂していると言われて心底驚いた。
 その『皆知っている』という言葉に怯み、軽くパニックになった。
 ドアの向こうでクラウドが息を潜めてこの場を見ていることに、焦燥感が駆け抜けた。
 これ以上、クラウドを惨めにさせたくはない、そう思った。
 しかし、その次の瞬間には、久しぶりすぎる他人の温もりに包まれていた。

 嬉しかった…。

 それが例え、クラウドの温もりとは違っていても。
 それほどティファは疲れていた。
 目を閉じたら、自分を包み込んでいる腕はクラウドのものだ、と思うことも出来た。
 そして、頭の片隅ではズルイ考えが浮かんでいた。


 クラウドは嫉妬してくれるだろうか?…と。


 この姿を見て、嫉妬してくれるかな?
 もしかしたら、『俺の女に何をする!』って、飛び出してくれないかな?
 ううん、そんなことはテレ屋だから言えないよね。でもならせめて、たった今降りてきたってフリをしてドアを開けて入ってきてくれないかな…?

 一瞬でこれらの期待が胸の中を満たした。
 しかし、与えられたのはクラウドの拒絶。

 彼は気配を殺して2階へ上がってしまった。

 ティファは落胆した。
 そして、恥じた。
 とてつもなく恥じた。
 恥ずかしくて…情けなくて…そしてとても悲しかった。

 クラウドにとって、ティファは『口うるさい女』でしかなかったのだ…と思い知らされた。

 誰よりも愛していて、誰よりも守りたくて、誰よりも近しい存在になりたかった。
 あぁそれなのに…!
 こんなに思ってるのに、クラウドにとって自分はそういう存在についになれなかったと現実を突きつけられた。
 死にたくなるくらい惨めだった。

 大人しく抱きしめられていたままのティファに気を良くした若い男を思い切り突き飛ばし、店の外へ追い出した後、ティファは2階の寝室へ戻るだけの勇気がなく、店のソファーで一夜を明かした。
 泣きながら眠った。

 そうして、夜が明ける。
 洗っても尚、泣き腫らしたと分かる顔を氷で冷やし、何食わぬ顔をして家族の朝食を整えた。

 昨夜の過ちを打ち消すためにも新たな気持ちで頑張ろう、と無理やり自分を鼓舞した矢先、クラウドから告げられたのはこれ以上ないほどの残酷な別れの言葉。

 あの時、ティファの心の大半が死んだ。

 生まれて初めて泣いて縋った。
 それを真正面から拒絶され、そうしてクラウドは去った。

 そのことで、残っていた心が僅かなカケラを残して死んだ。

 もう絶対に彼と交差する道はない、と絶望に叩き落された。

 帰宅した子供たちが呆然と店内の床に座り込んだままのティファを見つけるまで、ティファは虚ろに宙を見つめたままだった。
 立ち上がることすら出来ないまま、ただただ壊れてしまった心を虚しく抱きかかえて座り込んでいた。

 そうして、その日の夜にはシドを急き立てたバレットが到着したのだ。

 自分の手に負えない、と判断したバレットとシドにより、あっという間に仲間が全員揃った。
 そして、ティファはポツリ…ポツリとクラウドのことを打ち明けた。

 皆、激怒した。
 何故言わなかったのか…と。
 水臭いにもほどがある…と。

 そう言って、クラウドとティファを詰った後、仲間は皆、クラウドをこの『家族』の元に取り戻そうと決起した。
 しかし、全ては徒労に終わった。



「ティファ…」

 涙で濡れた声を震わせたユフィに己の殻からフウッ…と意識を現実に戻す。
 そうして、促されるまま手にしていた花束を墓石に添えた。
 真新しいその墓石に刻まれているのは、クラウドの名前と生まれた年、そして亡くなった日付。
 それから、仲間と子供たちが考えたクラウドへのメッセージ。


 ― 真の英雄ここに眠る いつでも心はすぐ傍に ―


 ティファは嗤った。
 心の中だけで嗤った。

 いつでも心はすぐ傍に。
 よくもまぁ、上手い具合に考えたものだ。

 クラウドの心は自分の傍にはついになかったというのに、この自分の心はクラウドが持って逝ってしまった。

 そっと墓石に指先で触れる。
 ひんやりとした感触は、最期の最後、クラウドに触れたときと同じ。
 冷たく、温もりを一切感じさせないその感触は、堅くティファを拒んでいるようにしか思えない。


 そんなにイヤだった?

 ティファは心の中で問いかける。

 そんなに私は口うるさいだけだった?
 私が心配するのは迷惑だった?
 クラウドへの気持ち、ほんの少しだけでも受け止めてはもらえないものだった?
 はいはい…分かってる、そうだったんでしょ?
 だから最期のとき、私を待ってくれなかったんだよね。
 子供たちに最期会えただけで良かったんだよね。
 満足したんだよね。
 だから、2人の名前を呼んで、抱きしめて…、それだけでもう未練はなかったからさっさとエアリスとザックスのところに逝っちゃったんだよね。

 酷いなぁ…。

 それでも私、精一杯のことしてきたのに。
 そりゃ、クラウドはいつも『邪魔するな』とか『必要ない』って言ってたけど、それでもご飯作ったり、洗濯したり、そういう家事は普通にクラウドの助けになってたでしょ?
 ねぇ、だからせめて最期の一瞬くらい、私にくれても良かったんじゃない?


「クラウド…私、クラウドのこと本当に好きだったんだよ」


 ポツリとこぼれた言葉。
 参列者の涙をより一層誘うティファの本音の一部分。
 子供たちとユフが感極まって抱きつく。
 ティファは抱きつかれながらも墓石を見つめたまま小揺るぎもしない。
 そうして…。


 薄っすら微笑んだ。


 その笑みは、ティファを慰めようと擦り寄ったナナキと、ティファを何よりも心配していたヴィンセント、リーブをゾッとさせた。
 他の者は気づいていない。
 ティファもまた、ヴィンセントたちが見ていることに気づかないまま、墓石に顔を寄せ口付けを落とした。

「なぁに?ヴィンセント」

 立ち上がり、顔を上げたティファが小首を傾げる。
 それはいつものティファそのもの。
 ヴィンセントはぎこちなく首を横に振ると、誤魔化すように手にしていた花束を墓石に添えるべくティファと位置を変わった。
 花を添えて立ち上がると、既にティファは子供たちとユフィを両脇に教会のドアに向けて歩いていた。
 その背が、急速に遠くなっていくような錯覚に陥る。
 言い知れない焦燥感を抱えてナナキがヴィンセントとリーブを交互の見た。

 仲間の不安な視線を背中に感じながらティファは微笑んだまま教会を後にした。
 頭の中ではこれからの段取りを組み立てている。


 まずはシエラさんに手紙かな。
 次は…どこで手に入れようかな、それともあるもので済ませようかな、どっちが良いかな?


『ティファ…!』

 懐かしい声が遠くから聞こえる。

『ダメ!絶対にダメ!!』

 しかし、ティファはそれに応えない。

「ティファ、ダメ!!」


 よりリアルに聞こえた懐かしい親友の必死に引き止める声。
 ティファは微笑んだまま振り返った。

 目の前に広がる光景は、見慣れた帰路ではなく一面の花畑。
 両脇にいた子供たちとユフィの姿はない。
 自分が一瞬でこんな見たこともない…、この世とは思えない場所にきたことですら、ティファにはどうでも良かった。
 だから、3歩の距離しかないところで涙を浮かべながら立っているエアリスを見ても、ティファは動じなかった。

「ティファ、絶対…絶対に自殺なんかダメ!!」
「どうして?」

 微笑んだまま優しく問うと、エアリスは深緑の瞳を見開き、絶句した。
 ティファはそんなエアリスに尚も問う。

「ねぇ、エアリス。私、頑張ったよね?」

 ゆっくりと身体を完全にエアリスへ向き直らせる。

「クラウドが望んだこと、出来るだけ叶えようって頑張ったんだよ、私」
「知ってる……知ってるよ、ティファ。ずっと見てたんだから!」
「だったら、私が最期の最後までクラウドに振り回されてた…って知ってるよね?」
「ティファ!!」

 悲鳴のようなエアリスの叫び。
 ティファはそれでも微笑を崩さない。
 口元に浮かんだだけの『寂寞とした笑み』。

「だからね、もうクラウドが望んでることってなんだろう、とか、クラウドのためになることはこうかな?って気にするのやめる。自分のしたいことをしたいようにする」
「だからって絶対にダメ!」

 3歩の距離を一気に縮めてエアリスがティファの両腕を掴む。
 眉間に寄せられたしわ、下がった眉尻、潤んだ瞳…。
 エアリスの顔を久しぶりに見たのにこんな顔かぁ…、とティファは少しだけ残念に思った。
 どうせなら、あの旅でいつも見ていた花が開くような笑顔が見たかった。

「ティファ!生きたくても生きられなかった人って沢山いるんだよ!それなのに、生きることを放棄するなんてその人たちに失礼じゃない!?ティファのお父さんやお母さんにも申し訳ないでしょ!?それに、子供たちはどうするの?クラウドのことで傷ついてるのに今度はティファが傷つけるの!?」
 だからお願い、考え直して!

 エアリスの必死の説得の間もティファの表情は変わらなかった。
 やんわりと、だがしっかりとした力でエアリスの手を引き離す。

「ごめんね、エアリス。許してくれなくても良いの。きっと、クラウドも私を許してくれないだろうけど、それでも良いわ。私はクラウドがいない世界に興味ないんだもの」
「ティファ!!」
「さよなら、エアリス。きっと自殺する私はエアリスと一緒のところに逝けないと思うけど、大好きだったよ」
「ティファー!!」


 優しすぎる親友に背を向ける。
 それは、まさに『生』に背を向けた瞬間だった。


「ティファ?」
「ティファ、どうかしたか?疲れたか?」

 スーッと流れるように我に返る。
 不安そうに瞳を揺らめかせて見上げてくる子供たちに微笑みをより一層深くして、ティファはゆっくり首を振った。

「大丈夫だよ」

 そうして額にキスを落とす。
 ユフィがグシグシと鼻を鳴らして空元気に笑った。

「そうだよ。アタシもいるし、皆もいる!だから、ダイジョブダイジョブ!これから一緒にガンバロ!」
「うん、そうだね。頼りにしてるからよろしくね」

『大丈夫』
『頼りにしているからよろしく』

 その言葉の本当の意味を悟れないユフィは顔を赤くして嬉しそうに笑った。
 子供たちも泣き顔で笑った。
 ティファも……嗤った。



『やめろ!』

 クラウド?

『やめてくれ、ティファ!!』

 ふふ、ダ〜メ。

『頼むから…ティファ!!』

 お説教なら後で聞くわ。
 すぐに…ね。



 クラウドの葬儀から僅か3日後。
 ミッドガルの教会にある真新しい墓石にもたれかかるように事切れているティファをシエラとシドが発見することになる。
 その顔はとても満ち足りた幸福そうな笑みを湛えていた。



 ごめんね。
 でも、どうしてもイヤだったの。
 失いたくなかったの、クラウド。
 だから、クラウドが消えてしまった世界で生きていくのはイヤだったの。



 だったら…。
 俺もそっちにいくよ…ティファ。
 今度こそ、ずっと傍に…大切にするから…。



 自殺した魂は星を廻れない。
 2人の魂は延々、闇に堕ちたまま。
 しかし2人一緒ならあるいは…。


 2人にとって真に正しい答えは2人にしか分からないが、本人以外の者で分かることが1つだけある。
 それは、伴侶を失ったとき比翼の鳥は堕ちて死ぬしかないということ。


 その『とき』を迎えてしまったら…もう…。


 ミッドガルの教会にある真新しい墓石。
 その墓石には2つの名が刻まれ、教会の花がまるで守るかのように咲き乱れている。