彼女の脳裏にまず一番最初に浮かんだことは、子供たちのことだった。

 これからどうするのか。
 だれがデンゼルとマリンを愛し、育んでいくのか。

 突然宙に放り投げられたかのような頼りなくて、決して良い夢とは言えない夢見心地なフワフワした頭は、子供達の途方に暮れて泣いている顔を描き出した。
 しかし、胸が締め付けられるような痛みを感じるその前に、泣き顔の子供たちが仲間たちに慰められる情景へとその映像を流れるように変えてしまった。

 あぁ、そうだった。
 皆がいるから大丈夫。
 どんなに悲しい思いを味わわせてしまったとしても、皆がいてくれるから子供たちは孤独ではない。

 彼女は知らずのうちに冷静を保っているフリをしながら、実は信じられないほどの衝撃を受けていたことを知った。
 目の前では白衣の男が淡々とした表情を崩さないようにしながらも、メガネの奥では彼女をつぶさに観察し、かけるべき言葉を必死に探している。
 その一生懸命に医師として徹しようとしている姿は、ともすれば告知を受けた患者へ底知れぬ恐怖を与えるものだったろう。
 しかし、その未熟な姿は逆に彼女にとって、冷静さを取り戻させた。

 彼はまだ医師として働きだしてから日が浅い…。
 この場にいるのは医師と彼女の2人きり。
 彼女こそが慰め励まされるべきであるのに、生来のお人好しが無意識に彼女の顔に微笑を刻ませた。


「先生、それで私はあとどれくらいですか?」


 若い医師はその一言と彼女の微笑みに、少しだけ身じろぎした。
 明確な表現を避ける配慮も、柔らかく包み込むような言葉も必要ないのだということを悟った。
 居住まいを正すように軽く座り直すと、医師は口を開いた。


「あと半年です」


 彼女は鳶色の瞳を一瞬だけ揺らめかせたあと、微笑みながら頭を下げた。

 それが、ティファ・ロックハートに残された命の時間だった。





時の剥落 1






「おかえりティファ!病院どうだった?」
「あれ?どうしたのそのお花?」

 駆け寄り矢継ぎ早に声をかけるデンゼルとマリンに、ティファは手にしていた植木鉢をカウンターの端に置きながら微笑んだ。

 帰りに買った植木鉢。
 小さなそれは、薄紫色の花弁を持つ釣鐘の形をした小さい可憐な花だった。
 帰路の途中、たまたま目を向けた先で売られていたその花を、ティファは何気なく手に取りそのまま買い求めた。

「ん〜、なんとなく」
「なんとなく?」
「そう。なんとなく目に止まったから」

 本当に特に理由はない。
 ただ、目に止まったから…、気がついたら財布を取り出していたから…、ただそれだけだ。

「ふぅん。でも可愛いよねその花」
「って、そうじゃなくてさ!」
「そうそう病院!どうだったの?」

 不思議そうに小首を傾げるデンゼルと気に入ったらしいマリンは、しげしげと植木鉢を眺めてから当初の質問を思い出した。
 期待に溢れる目を向けられ、ティファは胸の奥底から抉られるような激痛を覚える。
 しかし、ティファの表情は穏やかな笑みを湛えたまま小揺るぎもしなかった。

「残念ながら風邪が胃に来ただけだって」

 途端、2人は心底ガッカリした顔で声を揃えた。

「え〜〜〜…」
「そうなの〜?」
「うん、ごめんね期待してたのに」
「そうだよ〜」
「残念〜…」

「折角赤ちゃんのこと、友達とかに色々聞いてみたのにさ」
「近所のおばさんにも何が赤ちゃんに必要なのか情報収集したのに」

 一瞬。
 本当に一瞬だけ、ティファの瞳がユラリ、と揺れ、頬がピクリと引き攣った。
 だが、それは本当に一瞬にして過ぎ去り、人の心の機微に鋭い子供達の目を誤魔化した。

「うん、私もすごく残念」

 声が震えないよう腹の底に力を入れて、困ったように笑いながら肩を竦めて見せると途端、子供達はハッと口をつぐんだ。
 そして、慌てたようにフォローに回る。

「そうだよな、ティファが一番がっかりだよな」
「うんうんごめんねティファ」
「でも大丈夫だって、そのうち赤ちゃん出来るから」
「そうだよね。ティファもクラウドも元気だからきっと元気で可愛い赤ちゃんが出来るよ」

 元気付けるような笑顔で自分達の思いつく限りの励ましを贈ろうとする子供達に、ティファは笑った。
 笑ってしゃがみ込み、2人を抱き寄せる。
 デンゼルとマリンは少し驚いたものの、ティファのスキンシップには慣れっこなため、大人しく抱かれながらポンポンとティファの背や肩を叩いた。

「どんまいだよ、ティファ」
「ティファ、ガッカリしないで?」

 優しい優しい子供達に心が引きちぎれそうになる。
 潤んだ瞳からとうとう堪えきれずに一滴(ひとしずく)涙が頬を伝った。
 子供たちを抱きしめたまま、サッと頬に伝った雫を指先で払うとティファは今の自分に出来る最高の笑顔を顔に貼り付け、立ち上がった。

「ごめんね、ありがとう2人とも」



 話さなくては。
 きちんと話さなくては。

 何度も自分にそう言い聞かせ、暗くなった寝室でティファは待っていた。
 ギシ…ギシ…と彼が階段を上がってくる音が聞こえる。
 段々近づくその足音に、鼓動がどうしようもなく跳ね上がり、胸が締め付けられ息苦しくなってきた。
 頭の中ではちゃんと言葉の準備が出来ていた。
 医師に告げられたあの瞬間から、何度も何度も考えた台詞、何度も何度も練り直した告白の言葉だ。

 そうして、もうこれ以上相応しい言葉はないと思えるものを用意し、いまやクラウドが現れるのを待つばかりだった。

 だと言うのに。

 あの時。
 医師に告げられた時、『あぁ、そうなんだ。しょうがないよね』と妙に達観した気分だった。
 それは、自分が犯し続けてきた罪の代償だとすんなり思ったのだ。
 だから、自分が死ぬことは怖くない。
 怖くないのに、クラウドに告げることが恐ろしくて恐ろしくて仕方ない。
 ティファはベッドに腰掛けた状態で膝の上に置いていた両手を握り締めた。
 手の震えを止めることが出来ない。
 深呼吸をして気持ちを落ち着けようとするが息が出来ない。
 喘ぐように浅い息を繰り返すので精一杯だ。


 どう…思うだろう。
 どんな顔を…するのだろう。
 この身に巣食う病魔を告げたら…、残された時間を口にしたら…。

 脳裏に一瞬、消し去りたい映像が過ぎる。
 それは、今日訪れた病院での光景。
 医師に告げられるその前に、たまたま目にした一組の家族の姿。

 すすり泣く若い女。
 その女を支えるように体に手を回していた若い男は、きっと彼女の兄か弟だろう。
 良く似た面立ちの2人は、嘆き悲しみながらフラフラと廊下を奥へと歩いていった。
 その姿があまりにも痛々しくてティファは目が離せなかった。
 だからつい、引き寄せられるようにフラフラとその後姿を追ってしまった。
 2人の男女は廊下を曲がり見えなくなったが、ティファはその背をおずおずと躊躇いながら追い、そして後悔した。
 兄妹と思しき2人に小走りに駆け寄ったのは、廊下のソファーにうな垂れ腰掛けていた老いた男だった。
 男はそのまま2人を抱きしめ、声を上げて泣いた。
 泣きながら老いた男は子供たちを伴い部屋に入っていった。
 消えたその先にあった部屋がなんだったのか、ティファには良く分からなかったものの、恐らく処置室かなにかだろう、と察することが出来た。

 それきり、あの親子がどういう顔をして部屋から出てきたのか、自分の診察順を告げる看護師の声に待合へと戻ったティファは知らない。
 あの部屋に消えた親子を気にする余裕など、診察室で医師から己の身に巣食う病魔について告げられた瞬間、綺麗に消え去った。

 それなのに、今。
 こうしてクラウドへ己の身に起こった事実を告げようと覚悟を決めているその時に、何故か昼間の情景がくっきりと浮かび上がり、離れようとしない。

 あの嘆き悲しむ姿こそ、これからクラウドや子供達に襲い掛かるものではないだろうか?
 血を吐かんばかりの父親の慟哭。
 魂の悲鳴のような女のか細く、高い、小さな小さな泣き声。
 悲しみに打ち震えながら、それでも家族を守ろうと懸命に己の感情を押し殺し、抱きしめ支えていた男の姿。

 あの3人の姿はそっくりそのまま、近い将来、愛する家族に訪れる姿そのもの。

 ティファは喘ぐような息を繰り返した。
 クラウド、デンゼル、マリン。
 1度家族を失ったティファにとって、2度と失えないかけがえのない家族。
 この身を差し出し、八つ裂きにされようとも守りたかった愛する家族、大事な人たち。
 3人にはいつも笑顔でいて欲しいと本気で思っているのに、悲しみと絶望に叩き落すのが他でもないこの自分とは。

 あまりのことにティファは頭を掻き毟りたくなるほどの苦悩に襲われた。
 そして、もう数歩分しかないであろうクラウドと部屋の距離に、恐ろしさがこみ上げる。
 このままベッドの中に潜り込み、頭までシーツをすっぽりかぶって自分のみっともない姿を隠してしまいたい。
 こんな…、恐怖に震えて青褪めた姿など見せたくない。

 だが、強すぎる恐怖はティファを雁字搦めに縛りつけ、身動き1つ出来ないように押さえつけてしまった。
 そして、無情にもドアがティファの目の前でゆっくりと押し開けられた。


 最初、クラウドは疲れたような顔を僅かに俯かせていた。
 その疲れたアイスブルーの双眸が僅かに瞠目したのは、ベッドに腰掛けて微動だにしないティファを見つけたときだ。

「…ティファ。起きてたのか」

 驚いたような顔は一瞬。
 次には淡い笑みのようなものがクラウドの整った顔に浮かぶ。
 一見、本当に笑(え)んだのかどうか分かりにくい彼の表情に、だがティファは胸を押しつぶされそうな切なさを覚えた。
 大好きな彼の、大好きな笑顔。
 仲間達ですらクラウドのこの笑みは『笑顔じゃない』と言って認めないくらい、本当にささやかすぎる微笑み。
 しかしティファにとっては、無表情が服を着て歩いていると言っても過言ではない彼にとっては十分すぎる微笑みと言えた。

 この笑顔を見ることが出来るのも…あと半年だけ…。

 喉の奥から震えが走る。
 思わず吸い込んだ息が震えてしまっていないかどうか、ティファには自信がなかった。

「ティファ?」

 何も応えないティファにクラウドが訝しげに眉根を寄せる。
 大好きな微笑みもそのせいで消えてしまった。
 ティファは笑った。
 笑って「なんでもない」と言った。
 怪訝な顔をして疑うような眼差しを向けつつ近づいてくるクラウドに、「クラウドの顔が見たかったから」と言って、誤魔化した。
 ”顔が見たかった”などと言ってしまえば、テレ屋なクラウドは追求するはずの言葉を失い、「そうか」と照れ隠しに顔を逸らすであろうことは分かっていた。
 分かりきっていた。

 それは、クラウドに対してこれ以上はないほど完璧に言葉を封じる台詞。

 そしてクラウドは、予想通りティファの目から照れ隠しに顔を逸らした。
 勿論、これは計算してのことではなく咄嗟の発言。
 いつものクセのようなものだ。
 そしてその”クセ”によって、ティファは話すタイミングを自ら手放してしまった。
 取り繕い、居住まいを正して今、真実を語るべきだと分かっている。
 だが、1度怯んでしまった心を引き締め、決意を新たに結ぶことは非常に難しい。

(…明日。明日話そう)

 そう自分に言い訳をして、ティファは照れた顔を戻したクラウドへ笑みを向けた。



 そうして。
 医師から告知を受けた翌日。
 ティファは仕事へ出かけるクラウドを子供達と見送るべく玄関先に並び立っていた。
 
「それじゃあ行ってくる」
「「いってらっしゃーい!」」

 子供達の明るい声にクラウドが唇の端を持ち上げる。
 サングラスをかけているため、その奥で光るアイスブルーの瞳がどこを向いているのかははっきり分からない。
 もしかしたら、顔は子供達に向いていても目だけはティファに向けられているのかもしれない。
 ティファは震えそうな膝に力を込め、一睡も出来なかった顔に笑みを貼り付けた。

「いってらっしゃい、気をつけてね?」
「あぁ、行ってくる」

 落ち着いた低い声。
 無愛想とすら言える素っ気無い一言。
 だが、それがクラウド。
 いつもの彼。
 いつも通りのクラウド。

 アクセルを吹かし、相変わらずの猛スピードで走り去ったその背中をティファは見送った。
 見送って、見えなくなったときに初めて全身の力を抜いた。
 いつの間にかガチガチに力が入っていたらしい。
 全く気づかなかった自分のその状態にティファは臍を噛む。
 こんなことでどうするのか。
 まだなにも言っていない。
 まだまだ、本当の苦しい日々はこれから始まると言うのに…。
 そっと手を開くとジットリ濡れていた手の平にザワリ、ザワリと胸の中が重く波打った。

「ティファ?」「どうしたんだ?」

 棒立ちになっていたティファにデンゼルとマリンが小首を傾げる。
 ティファはハッと我に返ると、さりげなく後ろ手に両手を回した。
 ヒラヒラと後ろで手を振り、汗を飛ばしながら子供達にわざと身を屈める。

「さぁ、どうしたんだと思う?」

 悪戯っぽく訊ねてみると、いつもとは違う切り替しをしたティファに子供達は目を丸くした。
 そして可愛い額にシワを寄せるようにして一生懸命考える。

「ん〜…クラウドがスピード出しすぎて事故らないか…とか?」
「クラウドが船酔いしないか心配した!…かな?」

 窺うようにして見上げてくるデンゼルとマリンに、愛しさが爆発的にこみ上げてきてうっかり涙腺を刺激しそうになる。
 ティファは慌てて背筋を伸ばし、クルリと背を向けた。

「ふっふ〜ん。さぁて、どうでしょう〜?」
「あ〜、なんだよそれ!」
「ティファ、なんかズルイ!なんか、上手く言えないけどズルイ!」
「ふふふふふ。そう、私はズルイ大人なのよぉ。デンゼルとマリンはこんな大人になっちゃダメよ〜?」
「なんだよそれ〜!」「なによそれ〜!」

 笑い声を上げ、おどけながらティファは店へと駆け込んだ。
 その背中をピッタリと子供達が追う。
 笑って追いかけてくる子供達に、更に笑いを誘われた。

 もうあと少しでこの笑顔が見られなくなる。

 その現実に、切なさと悲しさで胸が張り裂けそうになりながら…。



「それで…ご家族にお話は…?」

 医師の言葉にティファは顔を伏せた。
 力なく首を横に振るティファに、若い男の医師は一瞬、言葉を探すように間を空けた。

「お気持ちは分かります。ですが…少しでも早く治療を始めなければ…」
「…はい」

 蚊の鳴くような声の返事。
 ティファは自分の弱い姿に打ちのめされる思いだった。
 本当なら昨日の時点で入院をしなくてはならなかった。
 しかし、家族の話をする…、と言ってやや強引に帰宅したのだ。
 今日、もう1度病院を訪れたのは勿論入院するため…。
 だが、なんの準備もしないまま現れたティファに、医師や看護師は事情を察したのだろう、驚いた顔もせず、ただ淡々と言葉を紡いだ。

「ティファさん、確かに治療をしたから治る…というのではありません。ただ…あなたの望みである『少しでも長く』を実現させるためにはい分一秒でも早く、治療をしなくては…」

 ティファは黙ってうな垂れたまま医師の言葉をかみ締めた。
 昨日告知を受けたとき、ティファは問うた。
 自分の残り時間はいつまでなのか…と。
 その時、少しでも長くその残り時間を伸ばしたい、と。
 それは、死が恐ろしいというよりも、残してしまうことになる子供達や家族に、少しでも何かを遺したいという思いからだった。
 しかしそのためには治療を受けなくてはならず、その治療は通院でなんとかなるものでもなかった。
 入院し、朝から晩まで、それこそ24時間体制で治療に当たらなくてはならなかった。
 そうすることでなんとかティファが望んでいる『余命半年よりもほんの長い時間』が手に出来る。

 だがしかし…。

「ティファさん…。ご家族にティファさんからお話しするのが難しいようでしたら私から」
「いえ、先生」

 医師の言葉を遮るようにしてティファは顔を上げた。
 鳶色の瞳はまるでヒビが入ったガラスのように痛々しく歪められていた。

「私が…先生、話します」

 医師は、張り裂けんばかりのティファの表情に痛ましそうな眼差しを向け、頷いた。



 かみ締めるようにして家路を歩く間、医師に言われた言葉がグルグル頭の中を廻っていた。

 今日。
 もしもまたご家族へ話が出来なければ、私からお話させて頂きます

 ゆっくりとそう言い切った若い医師。
 ティファはその言葉に黙って頷いた。

 きちんと自分の口で告げなければならない。
 だがまさか、自分の命の時間を家族に告げる日が来るとは夢にも思わなかった。

 フッ…と。
 クラウドのことを思い出す。
 クラウドのことをというよりも、1年前、彼が家出をしたときのことを思い出した。
 あの時はただただ、自分は彼に捨てられたのだ…ということばかりを思っていた。
 どうして?なんで?
 なにも言わずに出て行ってしまった彼の心が分からないと、そればかりを考えていた。
 そして、噂で聞いた彼の居場所。
 ミッドガルの崩れた教会にいるという話。
 それを聞いたとき、あぁ、そうか。と、1人で納得した気になっていた。

 結局、私じゃダメだったんだ…と。
 彼女でなくてはダメだったんだと、何も知らないくせに知ったような気になって、勝手に完結させてしまった。
 もしもあの時、マリンに強請られなかったら絶対に教会へクラウドに会いに行こうとはしなかっただろう。
 その時点でティファはクラウドを理解しようとすることを放棄したのだ。
 それなのに、マリンという架け橋があったからこそ真実を知ることが出来た。

 黙っていなくなった理由、彼が星痕症候群に犯されていると知ることが出来た。

 そして今。
 ティファは遅まきながらようやっと、当時のクラウドの心境を知るに至った。

 不治の病。
 足掻きようのない運命。
 望みもしない差し迫った漆黒の未来を突きつけられて尚、それまで通りに過ごすことなど出来やしない。
 ましてやクラウドは、というよりも自分達にはこの星に対して負い目がある。
 この星に生きる人たちに対して引け目がある。
 生きて幸せになる資格があるのだろうか、と、ふとした時に考えてしまうような自分達が、回避出来ない未来を突きつけられたなら。

 その時は…。

「戦うなんて…無理」

 ポツリ、呟いてティファは足を止めた。
 戦うなんて…出来ない。
 病を治す、克服するために全身全霊賭けて戦う。
 そんな前向きなラストスパートをかけることは…出来ない。

 あぁ、当然の報いなのだ、とどうしても思ってしまう。
 そして、クラウドはそう思ったのだ。
 思ったからこそ、家族に囲まれて静かに、幸福に、最期の時を迎えるという選択肢を自ら手放した。
 手放すことでティファや子供達がどんなに案じ、苦しみ、不安と焦燥感に苛まれるか想像しなかったとは思えない。
 家族がそうなると知りながら、それでもどうしても打ち明けられずに1人、彼女の元へと逃げ出した。
 かつて、あの苦しい旅の中でいつも花のような笑顔を向けてくれた心のよりどころだった…エアリスのところへ。


 立ち止まったティファに道行く人たちがぶつかりそうになって苛立った顔を向ける。
 中にはあからさまに舌打ちをする者もいる。
 しかしティファは、そのまま放心したように道の真ん中で棒立ちになっていた。

「失ってから気づく…か」

 ポツリとこぼれた言葉は雑踏の中、呟いた本人であるティファの耳だけがかろうじて拾い上げた。
 思わず唇が自嘲に歪む。

 誰が一番最初に言った言葉かは知らないが、全くその通りだ。
 失ってから気づく。
 二度と手に入らないようになってから、その価値の大きさを思い知る。
 二度と手に入らないもの。

 子供達が大きく成長していく姿を見ること。
 仲間達とのたわいのない時間。
 クラウドと歩く日々…。

「…クラウド…」

 クラウドの名を口にすると、瞳が潤む。

 本当に愚かだった。
 あのときの自分は本当に薄情で愚かだった。

『デンゼルは頑張ってるよね?』
『一緒に頑張ろうよ』
『家族じゃないから…ダメか…』

 良くも言えたものだ。
 自分自身に起こった今、こんなにも臆病になっているくせに。

「…ごめんなさい…」

 ポツリと呟き、フラフラと歩き出す。
 雑踏の波に流されるように力なく、フラフラと歩きながらごめんなさい、と繰り返す。

 ごめんなさい。
 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。

 アナタの苦しみを知った気になっていてごめんなさい。
 温もりを必要としていたアナタに、棘(言葉)を突きつけてごめんなさい。
 逃げないで、とエラソウに言ったくせに現在(今)、逃げててごめんなさい。

 …おいていってしまうこと……ごめんなさい…。


 ティファとすれ違う人々のうち、数人がギョッと振り返った。
 その人たちの視線に気づかず…、己の頬に伝うものに気づかず…、ティファはフラフラと足を動かし続けた…。