分かってる。 ”とき”が永遠じゃないことくらい。 だから、いつまでも今のような幸せが続くとは思ってなかった。 思ってなかった。 だけど。 こんなにも早く、終止符を打たれることになるとは思いもしなかったの。 時の剥落 2クラウドはカウンターのいつもの席に腰を落ち着けたまま、良く働く家族の姿を見るとはなしに見つめていた。 さして広くない店内は、今夜も大勢の客で溢れており、沢山の笑顔、笑い声で賑わい、その賑わいを突っ切るようにして店主や看板娘や看板息子を呼ぶ声が飛び交っている。 クルクルと良く働く家族の姿からは、いつも誇らしさとほんのちょっぴりの疎外感を与えられてしまう。 自分も家族なのに、手伝おうとすると家族はいつも「うん」と言ってくれない。 勿論、配達が休みの日は手伝うがそもそも自分がお休みの日は店も”臨時休業”になることが多いため滅多に手伝えない。 だから、クラウドが店の手伝いをしたことはあまりなく、慣れない作業は足手まとい以外の何者でもないと分かってはいても、忙しそうにしている時などはついつい腰を上げそうになる。 たとえ断られるのが分かっていたとしても。 「旦那、不貞腐れてんのか?」 面白そうな声で呼びかけられたが、クラウドはそれを無視するようにグラスを呷った。 隣に座っていた中年の男は、そんなクラウドの態度に気を悪くすることなくカラカラ笑った。 「ま、確かになぁ。毎回毎回、手伝おうとすると『クラウドはいいから座ってて!』って言われちゃあ、男の立つ瀬がねぇってもんだよな 分かったような台詞を口にする中年の男に、だがクラウドはムッと眉根を寄せはしたものの黙ったまま黙々とティファの手料理を口に運ぶ。 「まぁ腐るな腐るな。そのうちマジで手が足りなくなったら『手伝って〜』って可愛くおねだりされるからよ」 可笑しくて仕方ないと言わんばかりにそう言ってジョッキを呷った男に、クラウドはそっぽを向いて小さく溜め息を吐いた。 そしてそんなクラウドをティファはちゃんと見ていた。 見て、聞いていた。 2人のやり取りを。 そうして、妙にホッとしている自分に気がつき、ティファは微笑んだ。 クラウドは大丈夫。 私がいなくなっても、人付き合いが苦手でどうしようもなかったあの”村一番の嫌われ者”ではない。 ちゃんと苦手なりに人と付き合って、そうして生きていくことが出来る。 クラウドが大丈夫なら、子供達も大丈夫。 元々、クラウドや私よりもうんと人付き合いが上手で、生きることに前向きで、歳の割りにしっかりした子供達…。 クラウドにはデンゼルとマリンが。 デンゼルとマリンにはクラウドが、そして仲間のみんながついている。 だから大丈夫…。 大丈夫…なのに、どうしてこんなに胸が痛いの? ティファは大丈夫、と心の中で繰り返すごとに感じる痛みに戸惑った。 「どしたのティファちゃん?」 それまでティファへ熱心に話しかけていた客が話しを切り、不思議そうに小首を傾げる。 ティファはただ、微笑んだまま首を振った。 今日こそ。 今日こそちゃんと話そう。 ちゃんと話して、そして、遺された時間を大切にするために、家族みんなで一緒に考えよう。 そして、精一杯の思い出を作ろう。 シャワーのコックを捻り、ティファは大きく深呼吸した。 熱い湯に打たれ、1日の疲れと汗、迷いを洗い流した。 あとは部屋で待っているはずのクラウドに昨日話せなかった話しをするだけだ。 大丈夫。 大丈夫、ちゃんと話せる。 クラウドもちゃんと話しを聞いてくれる。 彼は決してはぐらかしたりする人じゃないから。 だから。 今、話そう。 震えそうになる足に喝を入れ、そっとドアを押し開く。 「お疲れ」 ベッドに腰掛けたクラウドが微笑みと共に出迎えた。 昨日とは逆だ。 昨日はティファがクラウドを出迎えた。 ティファは「うん」と小さく頷くとそっとドアを閉めた。 後ろ手で閉め、クラウドの顔から目を逸らさないでゆっくり足を進める。 クラウドが怪訝そうに小さく首を傾げた。 「どうしたんだ?」 「え?」 「なにか心配事か?」 ドキッと心臓が跳ね、足が止まる。 心の奥底まで見透かしてしまいそうなアイスブルーの双眸。 その視線に耐えかねて思わず目を伏せる。 折角固めた決意が脆くも崩れそうになり、ティファは唇を噛みしめた。 ダメ。 これ以上先延ばしにしてはダメ。 今、ちゃんと話しをしなかったらきっとこれから先、ズルズルといつまで経っても話せないままになってしまう。 ギリギリまで黙ってしまうことになってしまう。 そうなったら誰が一番傷つくか…考えなくても分かる。 だから、逃げてはダメ。 「ティファ」 ティファはギクッと身を強張らせた。 伏せた視線の先にクラウドの靴先が映った。 いつの間にベッドから立ち上がったのか全く気づかなかった。 それほど動揺していたのか、と自分で自分が情けなくてギュッと拳を握り締める。 「あのね!」 思い切って顔を上げ口を開いたティファは、だが突然優しく抱きしめられて言葉を失った。 「ティファ」 心を揺さぶるほど優しい声音に、ただ目を見開く。 クラウドはそっと数回、ティファの頭を慈しむように撫でながら名を呼んだ。 「ごめんな、気づかなくて」 ティファは鋭く息を吸い込んだ。 まさか、クラウド、私の体のことを知ってる…!? 一瞬、あの若い医師の顔が脳裏に浮かんだ。 医師がティファの意思よりも医者としての使命を選び、クラウドに病のことを告げてしまったのではないか?と怒りとも恐怖とも言える感情がゴチャゴチャに胸を支配する。 しかしクラウドはそんなティファを抱きしめる腕に力を込めると「大丈夫だから」と言った。 「ティファ、大丈夫だ。そのうちきっと出来るから」 「え…?」 ティファは目を瞬(しばたた)いた。 なにが”出来る”と言っているのだろう…? クラウドはティファの疑問をよそに、ポンポンとあやすように彼女の背中を叩いた。 「その…デンゼルとマリンから聞いた。今回は…残念だったけど、きっとそのうち出来るよ……子供」 ハッと息を飲む。 同時に体中に入っていた力がドッと抜けた。 抜けて、抱きしめてくれているその腕の中に完全に寄りかかった。 あぁ…そうだった。 一昨日まで子供が出来たかもしれない、と勝手に勘違いしていたんだった。 二度と戻ってこない暢気(のんき)とも言える日々。 それが急に現実に迫ってきて、ティファは胸が押しつぶされそうだった。 涙腺が刺激され、とうとう堪えきれずに嗚咽が喉の奥からこみ上げる。 しゃくり上げるようにして小さく震えると、より一層、抱きしめてくれる腕に力が入った。 「大丈夫…大丈夫だからティファ。大丈夫」 クラウド、ダメなんだよ。 大丈夫じゃ…ないんだよ。 「ティファ、働き過ぎなんだ。疲れが溜まってるんだよ。だから、体調を崩したんだ」 そうじゃない。 そうじゃないんだよ、クラウド。 違うんだよ。 「ほら、そんなに泣くな。大丈夫、ティファは基礎体力あるからすぐ風邪も治る。そしたら…子供もすぐに出来るさ」 ダメなんだよ、クラウド。 私は産めないんだよ、アナタとの子供を。 産めないまま、私は…。 温かくて優しく、そして最も残酷な言葉をかけ続けるクラウドへ返す言葉は、だが全て嗚咽に変わってしまった。 結局ティファはどれ1つ言葉にして返すことが出来ないまま、優しく背を叩いてくれるクラウドの胸の中で泣き続けた。 ねぇ、エアリス。 ”あの時”、クラウドはアナタにどんなことを話していたの? 私やデンゼルやマリンに言えないことを沢山話したんでしょうね。 ”あの時”。 星痕症候群に犯されてしまったとき…。 ティファは陽の光を受けて輝く水面を見つめながら心の中で亡き親友に語りかけた。 聖なる泉のほとりに膝を抱えて座り、虚ろに目を水面へ注ぐ。 『まだ、ご家族にお話し出来ないままなんですね?』 若い医師の静かな言葉が耳に蘇る。 診察室へ現れたティファを、医師は責めるでもなく、落胆するでもなく、ただ事実を事実として言葉にした。 ティファはうな垂れ、頷くしかなかった。 『どうします?私からお話しましょうか?』 医師は医師が出来る精一杯の優しい声音で提案した。 それが若い医師の人柄を表し、今後、大きく医者として成長していくであろう一端を垣間見せた気がした。 もっとも。 それをティファが見届けることはない。 そしてティファは、その優しい言葉に頷くことが出来なかった。 『ご家族に内緒でご入院されたとしても、いずれは…』 言葉を濁し、医師は遠回りに家族へきちんと話すよう勧める彼に、ティファはうな垂れるしかなかった。 このまま黙っていられたら、と確かに逃げ腰になっていた。 だがしかし、そんなことは何の解決にもならないばかりか、いずれ訪れる己の死により家族にはバレてしまうということもちゃんと分かっていた。 どちらにしてもバレてしまう。 ならば、真実を語るのは早い方が良い。 そうすれば、家族にも自分の”死”を受け入れる準備をすることが出来るだろう。 だけど。 ティファは清らかな水面から目を逸らすようにして膝に顔を埋めた。 つい小一時間ほど前に終わった診察の後、看護師へ無理を言って病棟を見せてもらった。 いずれ遠くない将来、自分も過ごすことになるその生活の場を前もって見ておきたいと思ったのだ。 だが…。 「見なきゃ…良かった」 ポツリと呟いた言葉は、くぐもって膝の中で不快に篭った。 建てられてから時間のあまり経っていない真新しい病棟。 明るく開放的で、陽の光りをふんだんに取り入れることの出来る広い窓。 柔らかなピンクと水色を基調とした廊下と天井は、従来の病院にあるはずの陰気さがなかった。 働く医療スタッフも生き生きとして明るく、廊下ですれ違う多くの患者たちも笑顔の者が多かった。 もっとジメッとした雰囲気が流れ、自然の陽光はほとんどなく人工の照明の明かりが病棟内を照らしているのかと思っていたティファは、素直に自分が抱いていたイメージとのギャップに驚いたことを看護師に話した。 自分が抱いていた病棟のイメージがいかに古臭いか。 案内した看護師がクスクスおかしそうに笑う姿を見て気恥ずかしくすら思った。 ここならば、自分が最期を迎えるにしてもさほど惨めなものとして家族の目に映らないのではないだろうか? 淡い期待のようなものが胸に宿った。 だが、その儚い想いはすぐに掻き消された。 目の前の病室のドアの上で光るランプが突然点滅した。 ナースコールだ。 看護師はティファに一言詫びを入れ、その病室へ向かった。 ノックし、ドアを開けた途端、病室内から数人と思われる呻き声と医師を呼んで欲しい、という金切り声が廊下に響いた。 心臓が冷たい手で鷲づかみされかのような苦悶に満ちたその呻き声と金切り声、それに医師を呼べという懇願。 それらが指すものは1つしかない。 足が竦み、根が生えたように動けなくなったティファを後ろから足音も荒く、白衣を着たスタッフ数名が追い抜いた。 そして、その病室へと吸い込まれていく…。 ここからすぐに立ち去るべきだ、とティファの中で冷静な自分がせっついた。 だが、ピクリとも足は動いてくれない。 ならば、せめて目を閉じ、耳を塞げ、とまた冷静な自分が急きたてた。 しかし、手もかじかんだように動かず、目も爛々と己の意思を聞かないまま、目の前の病室を見つめ続けた。 どれほど時間が経っただろう? 1分? 2分? それとも…ものの数秒だったのかもしれない。 病室から洩れ聞こえてきた、か細く高い泣き声に、ティファは全身の血が凍りつく思いがした。 あぁ。 誰かの大切な人が亡くなったのだ。 今、ここで。 目の前の病室で、愛する人たちを置き去りにその魂を星の流れに委ねてしまったのだ。 激しく胸が締め付けられる思いに襲われ、居たたまれない気持ちを味わったティファの耳が男性のものと思しき慟哭をも捉えた。 その瞬間、ティファは唐突に悟った。 本当にそれは唐突過ぎて、ティファ自身、激しく動揺した。 所詮、どんなに装っても家族を置いて逝ってしまうことに変わりは無い。 どんなに足掻こうが、どのように虚飾で飾り立てようが、そこにある歴然とした事実になんの変わりは無く、意味は無い。 自分はもうすぐ死ぬ。 クラウドを。 マリンを。 デンゼルを。 仲間を。 そして。 これからも続くであろうこの星に生きるモノ、想い、時間、その全てを置き去りにして、それらのモノたちが営む”流れ”から切り離され、そして…取り残されていく…。 時の流れに自分と言う存在は風化していくのだ。 その事実が突然、具体的なものとして襲い掛かってきた。 同時に今の今まで見ようとしなかった自分の死後が、大波となって襲ってきた。 家族や仲間が嘆き悲しむのはほんの数ヶ月、よくて1年くらいだろう。 その後は? ティファ・ロックハートという存在は彼らの中で良い思い出として生き続けるだろう。 そしてティファを過去とし、ティファのいない現実を現実として受け入れ、受け止め、前を向いて生きていくのだ。 ティファを置き去りにして…。 目の前が真っ暗になった。 ねぇ、エアリス。 私はね、あの旅の最中、早く笑えるようにならなくちゃ、って思ってたの。 いつまでもアナタのことを懐かしんで、守れなかったことを悔やんで、そして、アナタと共にもっともっと同じ時を過ごしたかったって、引きずった思いを抱き続けるのはアナタを悲しませるだけだ…って思ってた。 でも…、初めて気がついたよ。 「それは…とても悲しいことだったんだね」 いつまでも自分を思って嘆き悲しんで欲しいとは思わない。 だけど、いなくなっても平気になんかなって欲しくない。 なんて矛盾してて、なんて愚かで、なんて自分勝手な願いだろうか。 自分がいなくなった後、他の人と笑っているクラウドを想像するだけで胸が張り裂けそうに痛くて、苦しくて、息が出来なくなる。 だが、同時に自分がいなくなった後、いつまでも嘆き悲しみ、慟哭する家族を想像しただけで気が狂いそうなほどツラくてツラくてたまらない。 どうしろと言うのだろう? 家族に、クラウドに、どうあって欲しいというのだろう、自分の死後。 「分からない…」 ポツリと洩れた声は震えながらコロリ…と転がり落ち、あたかもその悲哀の言の葉が揺らしたかのように水面を揺らめかせた。 分からない。 分からない、分からない。 分からないんだよ、エアリス。 自分がどうしたいのか、家族にどうあって欲しいのか。 その答えが出せないうちは動き出せない。 もう自分に残された時間は僅かしかないと言うのに、ティファは己の心を計りあぐねるばかりだった。 心が引き裂かれ、血を流し、小さな小さなカケラの集まりになってしまったような思いがする。 風が吹けば簡単に壊れ、宙に舞って散り消えてしまうような…そんな脆い脆い存在に成り下がった気がした。 ねぇ、ティファ。 難しく考えることはないんだよ? 柔らかな春の陽射しのようなその声音に、ティファは鋭く息を吸い込み、勢い良く顔を上げた。 目の前に広がるのは清らかな水面と、白と黄色の花々。 崩れた教会の天井に散乱したままの椅子、柱…。 なんら変わりのない光景に、だがティファは立ち上がり、辺りを見渡した。 エアリス?と、震える声で呟き名を呼びながら、グルリ、グルリと教会を見回す。 だが、そこにいるはずのない人影はやはりなく…。 それでも、ティファは急に自分の体がフワリ、と温かくなったのを感じた。 まるで、後ろからそっと柔らかく抱きしめられているかのように…。 それと気づいたとき、またティファの耳に懐かしい声が響いた。 ティファならちゃんと出来るよ。 ちゃんと。 ”こっち”にくるための準備を、後悔無く…ね。 だから、悲しんでもいいけど、情けないとか、惨めには思わないで。 とても難しいかもしれないけど…大丈夫、ティファなら出来るよ。 それらの言葉が心に染み渡る。 スーッと温もりと彼女の気配が離れていったのを感じたとき、微かな笑みを湛えた頬に幾筋もの雫が滴(したた)った。 「……ありがとう…」 小さく小さく、泣き声で謝意を口にすると、ティファはゆっくりと教会を後にした。 その背を花々が柔らかく揺れ、見送った。 |