本当はとっくに知っていたのかもしれない。
 だが、それを認めてしまうにはあまりにも自分は脆弱だった。
 だから…認められずにこんなところまできてしまった…。






脆弱な心(前編)







 まだミッドガルが世界で一番栄えていた頃が人生で一番幸せな時だった。
 当然のように過ごしていた幸せな時間は、突如、アバランチと言う無頼漢どもによって永遠に絶たれてしまった…。
 風采は上がらないけど、温かかった父。
 口うるさいけど優しい母。
 決して頭が良かったわけではないけど、人への気配りは素晴らしかった兄と姉。
 そして、生まれたばかりの妹。
 全部全部、愛していたのだと気づいたのは失ってからだった。

 失って初めて気づく…、だなんて言葉を実際に体験する羽目になるとは思いもしなかった。
 だから、本当に大切で、愛しくて、なによりも変えがたいそれらの貴重な時間を無為に過ごしてしまった。
 二度と戻ってこないのに…。

 家族もろともプレートから落っこちたのに、どういうわけかわたしだけが生き残った。
 勿論、無傷ということはない。
 生き残った代償として、左腕と右足首を失くした。
 額から鼻筋、顎にかけて醜い裂傷の痕が残った。
 それでもまだわたしはマシな方だった。
 何しろ、耳も目もちゃんと残っている。
 嗅覚もある。
 脳に損傷もなかったから麻痺もない。
 だから…。

 これだけ身体の機能が残っているのだから、『殺しに行ける』。

 片足首から先がないとは言え、歩けないことはない。
 今は医術も発達しているので義足も満足いくものが手に入る。
 左腕は義手をつけたらどうか?という話も医者から何度も提示されたが、その都度突っぱねた。

 ふざけるな!…と。

 何が悲しくて、仇と同じことをしなくちゃならん。
 アバランチのリーダー、バレット・ウォーレス。
 あいつも義手だ、冗談じゃない。
 あいつが世界を救った英雄だと称えられているこの世界で、同じことなど出来るものか。
 世界を救った英雄が、わたしの憎い仇。
 だが、わたしはそれを他人には一言も言わず、ずっと胸の中にしまいこんでいた。
 世界中の人達が英雄を褒め称え、その功績に感謝しているのに、わたし1人が恨み言を言ったところで、世の人達はこう言うだろう。


 ―『確かにあのプレート落下事件は悲劇だった。だけど、その後英雄が行ったことは賞賛されて当然だ。だから、失われた命よりもより多く救った英雄を許してやったらどうだ?』―


 はは、冗談じゃない!
 それがいったいなんだというんだ?
 わたしの家族を殺した事実は変わらない。
 愛しくて、愛しくてかけがえのない家族を奪った罪は消えはしない。
 あんなに輝いていて、これから先もうんと幸せになるはずだった家族の未来を奪ったアイツら…、アバランチ。
 世界中の誰が許したとしても、わたしは絶対に許さない。
 わたしだけは絶対に……絶対に許すことはない。


 わたしがこの手で殺してやる。


 ちょっと調べたらすぐに分かった。
 バレット・ウォーレスの居場所も、その下衆野郎の養女の居場所も。
 エッジの英雄仲間に預け、自分は単身油田開発にいそしんでいるそうな…。

 はっ。今更善人ぶっても無駄だ。
 お前の性根は、たった1人、生き残ってしまったわたしと同じで腐ってるんだから。
 あぁ、そうだ、わたしは腐っている。
 いつまでも許せず、同じ場所から動けないわたしは、生きる価値なんかとっくにないんだ。
 だけど、仇を討つまでは死ねない、死んでたまるか。
 まずはわたしと同じ思いを味わうといい、存分に。


「ティファ〜、買い物行って来るね〜」
「うん、気をつけてね」

 目当ての店から絶妙のタイミングでターゲットが出てきた。
 明るい声と笑顔は、自分がハイエナ(わたし)に狙われているなんて全く思いもしていない。
 少女を見送るティファ・ロックハートも同じだ。
 まさか、今、送り出している少女が狙われているだなんて露ほども想像していないだろう。

 本当にどこまで愚かなんだ。
 幸せなんか、あるとき突然フッとその掌から掻っ攫われてしまうほどこの世の中は不条理で満ち溢れているのに…。

 少女、マリン・ウォーレスは軽くスキップしながら雑踏に紛れた。
 その後をさり気なく追う。
 左袖がフワフワと揺れる。
 行き交う通りすがりの人間が、わたしの顔の傷や左腕がないことに気づいて少しだけ立ち止まったり、目で追ったりするのを感じたが、いつもみたいに喧嘩を売る暇などない。
 あと少し行ったところで、細い路地裏がいくつか点在する場所に着く。
 そこで路地に引きずり込んで『始末』する。
 始末したら、ちゃんと携帯でその記録を保存し、バレット・ウォーレスへ転送してやろう。
 娘の生まれ変わった姿を見て、奴はどうするかな?
 わたしと同じように、半狂乱になって泣き叫んでくれるだろうか?

 その様を想像して、わたしの口角が釣り上がった。
 あと少し。
 あとほんの少し。

 ジリジリしながら少女がその場所へ着くのを舌なめずりをしながら見る。
 さり気なく、少女との間合いをつめながら…。

 そしてその絶妙なタイミングの到来にクッ!と目を見開いた。

 右手を閃かせてコートを広げ、少女をコート内に取り込んで細い路地に引きずり込む。
 いや、そうしようとしたのだ。

「よぉ、マリンちゃん!」
「あ、こんにちは〜」

 あと半瞬、おっさんが声をかけるのが遅ければ、間違いなくわたしの行動は見られていた。
 結果的には助かったのだが、それでも獲物を目の前で横取りされたかのような猛烈な怒りがこみ上げる。
 うっかり殺してやりたくなる。

 そんなわたしのことなど気づきもしないで、おっさんと少女は親しげに笑っていた。

「ティファちゃんは今夜も店開けるって言ってたかい?」
「うん!今日はちょっと寒くなるから『あったか定食』を多めに用意するって言ってたよ」
「そうか!そりゃ楽しみだ。後でカミさんと一緒に食べに行くから、よろしく言っといてくれ」
「ありがとう!楽しみに待ってるね」

 そんなやり取りが聞こえる。
 少女を拉致することに失敗したので、仕方なく抜く形でそばを通り過ぎる。
 でないと、周りの奴らに不審がられてしまう…。

 わたしの目的は、あくまでバレット・ウォーレスへの報復。
 娘を殺すのもその復讐の一環ではあるが、娘を殺すだけでは到底終わらない…、終われない。
 最後の仕上げ。
 それは、あの憎い男に『殺してくれ』と懇願されること。

 通り過ぎながら、まぁ良い…、と思い直す。
 こんな小さなガキ、始末するのは簡単だ。
 今は偶然という幸運によってわたしの手を逃れたが、それも長くは続くまい。
 『買い物に行く』と言っていた。
 恐らくこの街一番の市場へ買い物に行くのだろう。
 あそこには、入り組んだ裏路地がある。
 ということは、まだこの少女はわたしの手の内にあるということに他ならない。
 わたしは一足先に市場へ向かい、そこで少女を待ち構えることにした。
 ほどなくして目当ての市場に足を踏み入れる。
 相変わらずの混雑振りだ。
 行き交う人間のほとんどが『不幸』とは縁遠い雰囲気を纏っている。
 まったく、世の中しまりがなくなった…。
 誰もが自分の『今』が崩れてしまうなど思いもしていない。
 真剣な顔をして品定めをしている横顔も、実はとんでもなく間が抜けていて隙だらけだということに気づいていない。
 ほんの少し、わたしが気まぐれを起こしたらその首は胴から離れるというのに…。

「おや、マリンちゃん。お使いかい?」

 そっと振り返ると、市場の入り口近くの八百屋で少女が笑顔で八百屋のオヤジと話しているのが見えた。
 手に持っている袋から花が覗いている。
 どうやらここに着くまでの間に誰かからもらったらしい。
 ティファ・ロックハートの人気は調べなくとも分かっていたから別に不思議でもなんでもない。
 だが、ガキを利用してティファ・ロックハートに花を贈ろうとしたどこぞのバカな男には心底呆れる。
 小心者で底が浅い。
 そんなくだらない人間がのうのうと生きていて、どうしてわたしの……。

 何度も何度も繰り返し考えてしまったその問いかけに、誰も答えをくれない。
 なのに考えてしまうことをとめられない…。
 つくづくわたしは愚か者なのだと痛感する。
 そう、愚か者は愚か者同士、仲良く地獄に堕ちようじゃないか、なぁ、バレット・ウォーレス?

 笑顔の残る顔を真っ直ぐわたしの方向へ向けた少女が軽い足取りでやってくる。

「お肉、お肉♪今日のメインは『あったか定食』でホッカホカ♪」

 即興なのだろう、ガキが嬉しそうに口ずさみながら通り過ぎた。
 へぇ…肉ね。
 もう少し先に肉屋がある。
 安い割りに上質な物を置いていると有名で人気店だ。

 人ごみの中、少女を追う。
 今度は逃がさない。
 これだけ人が多いと目撃者も多い、そう考える人間がほとんどだろう。
 しかし、意外とこういう市場では誘拐がラクに出来る。
 人間、結局は自分と自分の大切なもの意外にはあまり関心がないという証拠のように、面白いくらいに簡単だった。
 むしろ、人通りがポツポツとある程度、という道端の方こそが人々の印象として残りやすい。
 これだけ人に溢れていたら、人間の記憶はあっという間に他のものに摩り替わって真相を葬りやすくなる。

 こんなくだらなく、おぞましい事実を知るきっかけとなった仇の狂わんばかりの苦悩を思い、どうしようもなく気分が高揚する。

 そして…。


「わたしのことを恨んでも結構だ。足掻いても結構」

 唇を真一文字に結び、大きな目に涙をいっぱい浮かべながらも精一杯わたしを睨む少女が目の前にいる。
 だから言っただろう?簡単なんだと。
 ガキ1人を掻っ攫うくらい簡単なんだ、こんな風に。

 突然のことで声も出なかったであろうマリン・ウォーレスは、声が出るようになったはずの今でも、唇を引き結んでジッと耐えていた。
 中々見所のある根性を持っているらしい。
 まぁ、ここで騒がれたとしても、市場から溢れてくる喧騒によってあっけなくかき消されるから全くの無意味だ。
 しかし、ここまで気丈に振舞われるといささか面白くない。
 あの憎い男の愛娘。
 少しくらい、泣き顔を見せてくれても良いだろうに。

 シュッ。

 袖元に隠していたナイフを掌に滑り込ませて握る。
 マリン・ウォーレスの大きな目が零れんばかりに見開かれた。
 ほぉ。
 これでもまだ泣かないか。
 普通なら完全に泣き叫んでいる頃だ。
 流石はジェノバ戦役の英雄に育てられたガキなだけはある…ってことか。

 だが…。
 そういう反応もいちいち腹が立つんだよ。
 まぁ良い。
 泣き叫ぶガキを嬲り(なぶり)殺す趣味はない。

「その気丈さに免じて、苦しまずに逝かせてやる」

 少女の呼吸が上がった。
 わたしが万に一つも情けを施す気がないと分かったんだろう。
 …本当に聡い子だ。

「わたしの家族のところへ一足先に逝っていてくれ」

 恐怖に見開かれた瞳が、一瞬だけ「え?」と疑問を浮かべた。
 だが、それに応える義理はない。

 右手を一閃。
 軽々と細く、華奢な子供の首を胴から切り離す。
 それは、わたしにとって至極簡単なことだったはず。
 それなのに。


 突然襲った激痛に、息を詰まらせて身を捩り、『それ』から逃れる。
 全身の毛穴という毛穴からドッと汗が噴き出した。
 同時に、少女が「クラウド!!」と、歓喜の声をあげたのが聞こえた。

 クラウド?
 あのクラウド・ストライフか!?
 まさか、今日は配達の仕事で帰宅出来ないはずだ!

 驚愕は一瞬。
 態勢を立て直して足を踏ん張り顔を上げたわたしが見たのは、魔晄に彩られた瞳で鋭く射抜くように睨み付けている青年。
 ジェノバ戦役の英雄、そのリーダーの男だ。

「貴様…、マリンをどうするつもりだ」

 決して大声を上げたわけではないのに、腹にズシンと響くその声音に、忌々しいことだが全身の産毛が逆立った。
 これが英雄のリーダーの力…か。
 戦わなくても分かる。
 勝てない。
 そして…逃げられない。

 どこまでも忌々しい事態だ。
 ここまで幸運に恵まれた人間がいるとは、信じがたいことであると同時に、許せないことだった。
 何故?
 わたしたち家族はあっさりと星から見捨てられたのに、何故こんな奴らに救いの手が差し伸べられる?
 なんという不条理。

 気がついたら…、わたしは笑っていた。
 身体をのけぞらせて、腹の底から笑いがこみ上げてくるのを押さえられないまま、笑い続ける。
 クラウド・ストライフが怒気を一層膨らませて視線だけで射抜いてきたが、それすらもどうでもいい。
 わたしがこの3年、ずっとずっと生きる糧としていたことは、もうほんの少しで手に出来そうだったのに、あっさりと届かないところへいってしまった…。

「なにがおかしい!?」

 背後に少女を庇いながら鋭く一喝するクラウド・ストライフの闘気にあてられ、身体が半歩、後退する。
 はは、なんという力だ。
 そうだな、これくらいの力がなければ星を救うことなど到底不可能だっただろう。

「もう笑うしかないのでね」
「なに!?」

 ひとしきり笑うと、なんだかもう本当に全てがどうでも良くなった…。
 怒りに任せて叩き切りたい奔流にも似た思いを堪えているのは、一重に少女の存在ゆえなのだろう。
 幼い少女に、凄惨なシーンを見せたくない…という『親心』か。
 とことん甘い。全く、反吐が出る。

「プレートの落下でわたしから全てを奪った憎い仇。その男に少しでもわたしの気持ちと同じものを味わわせてやりたかったのですが」

 英雄が鋭く息を呑んだ。
 背に庇われていた少女も凍り付いてジッとわたしを見つめている。
 本当に聡い子だ。
 わたしの言うことをちゃんと理解している、この状況で。

「あれは…、プレートを落としたのはかつての神羅だ…」

 たった今までの荒れ狂っていた感情はなりを潜ませ、英雄が呻いた。
 清々しすら感じていた胸に、どす黒いものがジワリ、と広がっていく。
 唇をゆがめるのを止められない。

「それがなんだって言うんです?」

 グ…、と言葉に詰まった英雄を見て、胸に広がるどす黒い染みは急速に胸いっぱいに広がった。

「アバランチがいなければ神羅はプレートを落とさなかった。そうでしょう?」

 クラウド・ストライフが何かを言おうと口を開いたが、何も聞きたくなどなかった。
 これ以上、無様な様を見せ付けられるのは耐えられない!

「よしんば、星のためだったとしても、もっと上手く立ち回るべきだった。安直に魔晄炉を破壊して回って、『星のためだ』だなんて、正義を振りかざす。そんな小手先だけ、目先だけの行為なんぞ、ただのガキのたわごとなんですよ!」

 1度堰を切ってしまうと止められない。
 ずっと1人で隠していた思いを、仇として憎み続けていた男ではない人間にぶつけることを止められなかった。

「ガキのたわごとで大勢が死んだ。わたしの家族もだ!見ろ、この傷、この腕、足!全部アバランチのガキの『英雄ごっこ』のとばっちりだ!それが、今は反省していますって顔して油田開発。その傍ら孤児院への援助。は?それが一体なんになる?亡くなったものは二度と戻らないし、『傷つけられた者(わたし)』はそんな偽善行為、見たくもないんですよ!見たいものはね、たった一つ。わたしと同じところまで堕ちる姿だけなんですよ!」

 言い切った後、これまでためていたものを吐き出してしまったせいだろうか?
 またもや、胸の中がすっきりとした。
 いや、すっきりではない、妙に空洞を感じる。
 あぁ、これが『空虚』というやつか。
 興奮していた頭が急激に冷えて、自分を冷静に考えられる。

 さて。
 このまま『ここ』にはいられない、いたくない。
 失敗してしまったが、まだ最後の『悪あがき』くらいは出来る。
 目の前にいるのが憎い男でないことは非常に残念だが、まぁ仕方ない。
 きっと、クラウド・ストライフから連絡くらいは行くだろう。
 行かなくても…、まぁ良い。
 あの男の代わりに、愛娘がいるのだから。
 愛娘に父親の代わりをさせよう。

 コートをバサリ、と地面に落とすと少女の目が驚愕に見開かれた。
 ノースリーブのTシャツからは、醜い傷跡を残した左肩がむき出しになっている。
 肩から先は当然ない。
 クラウド・ストライフまで驚いて硬直しているとはなんと間抜けな。
 ここでわたしを止めておかなかったことを後悔することになるというのに。
 これがあの英雄の真の姿とは笑わせる。
 これでは、わたしと同じただの人間、小さな人間ではないか。
 …あぁ、そうか。
 英雄と言えど、やはり人間に変わりないんだな。
 だから…バレット・ウォーレスは英雄と称され、親しまれるようになったのかもしれない。

「だけど、だからと言ってやっぱり許せるもんじゃないんですよね」

 1人ごちて、固まっている2人を見やる。
 バカでかい武器を手に固まっているクラウド・ストライフと、背後に庇われている少女は、わたしが何故コートを脱いだのか理解出来ていないのだろう。
 どう行動するべきか、悩んでいるのが手に取るようにわかる。
 フッ。さぁ、しっかりと目を見開いて見届けろ。
 そして、あの男にちゃんと伝えることを忘れるな。
 特に…。


「お前の父親がわたしを殺した」


 そのことを忘れるな。
 少女の目がこれ以上ないくらい見開かれ、クラウド・ストライフがハッと息を呑み、わたしの意図を正確に汲み取って慌てて手を伸ばす。

 だが残念、惜しかったな。

 嘲笑で唇を吊り上げ、わたしはそのまま喉を掻き切った。



「お兄ちゃん!!」



 …お兄ちゃん……か。
 産まれたばかりの妹も、大きくなっていたらいつかそう呼んでくれたんだろう…。
 マリン・ウォーレスの悲鳴を最後に、わたしの意識は白くはじけた…。