Fairy tail of The World 13




 どこからか声が聞える…。
 混濁した意識の中で聞えるその声は…。
 どこか遠い…遠い……はるか昔に置いてきてしまった大切な人達の声に似ているような気がする。
 ティファに語りかけるように聞えてくるその声は、ティファをゆっくりと…ゆっくりと現実の世界に誘った(いざなった)。

 その夢とも現とも知れない狭間の中。
 現実の世界に戻るその束の間、ほんの刹那の一瞬だけ、ティファは一面の花畑に立っていた。
 あまりにも美しいその光景。
 しかし、ティファは感動するでもなく、驚くでもなく、ただただぼんやりと白と黄色を基調とした花畑を眺めていた。
 現実ではないと頭のどこかで冷静に判断している自分がいたからだろう。
 じきに目が覚めることも身体がちゃんと分かっていたからでもあるだろう。

『…綺麗ね…』

 無感動に…ただそれだけ。
 常の彼女なら、『子供達にも見せてあげたい』『彼と一緒に来たいな』と思うだろうに。
 しかし、今のティファにはそう感じる心が無かった。
 酷く疲れていたのだ。

 もう…どうでも良い…。

 そんな風に投げやりな感情に支配されていた。
 自分の身に起こった出来事を振り返る余裕すらない。
 ただ……もう疲れたのだ。
 グッタリと身体も……心も……酷く重くて……。
 どうしようもなく……疲れてしまった。


 ― 何に? ―


 ぼんやりと流されるまま、力なく心を漂わせるティファに、その声は突然ハッキリと話し掛けて来た。
 しかし、ボーっとしているティファは別に驚く事も無く、むしろサラリとその声に答える。


 ……分からない……


 ― 分からないものに疲れたんですか? ―


 尚も問いかける姿無きその声は、どこまでも澄み切った青空のような爽やかな印象を与えた。
 ティファの重い心が少しだけ…本当に少しだけ、その声によって力を取り戻す。


 ……うん……そうかも……


 ― 本当に分からないんですか…? ―


 ……ううん。…本当は… ―


 そう、本当は分かってる。
 シュリが見せた驚愕に見開かれた目を見る前にも感じていた。
『自分は本当に……生き残って良かったのだろうか…?』と。
 明らかに何かを隠している仲間達と……世界で一番大切な人の……よそよそしい態度。
 意図的に反らされる話題。
 自分が助かった…命を失わずに済んだ…それを本当に喜んでくれているのだろうか…?

 不安と疑惑。
 そして……恐怖。
 もしも、自分が本当に必要とされていなくて…。
 あのまま死んだ方が彼にとって良かったのでは…?そう込上げる恐怖と戦うことに…。
 皆のよそよそしい態度に、不安を押し殺す事に…。


 ……疲れちゃった……。


 ― でも……。『彼』が貴女に『愛している』と口にした言葉は…ウソじゃないって本当は分かってますよね? ―


 …………。


 ― 確かに…貴女は優しいから………優し過ぎるから、だから皆さん貴女に隠し事をしてしまうんですよね ―


 …!?知ってるの?何を隠してるのか…… ―


 ― …はい。でも、それが何かは…私からはお教えできません。だって… ―


 だって…?

 ― ……… ―


 アナタも…教えてくれないの?


 ティファはいつの間にか極々自然に姿なき『彼女』と普通に話をしていた。
 それも…。
 あたかも昔から知っている友人と話すように、本心を打ち明ける事になんの躊躇いも無く…。
 姿なき『彼女』は、ゆるりと微笑んだようだった。
 そんな気配を感じる。


 ― 私がお教えしたら、皆さんが何の為に必死になって我慢しておられるのか…意味がなくなっちゃうじゃないですか ―


 ……そう…かもしれないけど……でも、やっぱり隠し事されると…特に今回みたいによそよそしい態度を取られたら……


 ― 不安…ですか? ―


 …うん。それに…


 ― それに…? ―


 ………本当に死なずに生き残ってしまって…それで良かったのか……皆、喜んでくれてるのか……自信が無い…


 ― ……そうですね。不安になりますよね… ―


 ………うん…


 ― でも… ―


 ……?


 ― まだ……頑張れますよね? ―


 ……どうかな……


 ― 大丈夫ですよ 貴女なら… ―


 ……そうかな……


 ― ええ だって… ―


 ……『だって』…なに…?


 ― 貴女は…独りじゃないでしょう? ―


 ………


 ― 独りじゃないって…本当は分かってらっしゃいますよね?


 ……………………うん。


 聞きたかった言葉。
 欲しかった言葉。

『独りじゃない』

 その言葉を……祝福を受けたティファの心が一気に光を取り戻す。
 意識が黄色と白の花畑から現実へ向けられる。

『帰ろう』

 仲間の元へ。
 親友の元へ。
 家族の元へ。
 そして…。
 愛しい彼の元へ。

 ぐんぐんと浮上する意識の中。


 ― どうか 光の 祝福が あらんことを ―


 穢れなき少女を髣髴とさせる女性の声…。
 その言葉を最後にティファの心は現実に戻った……。




 目が覚めて一瞬、自分がどこにいるのか分からなかったティファは、ボーっと天井を眺めていた。
 造られて間もない真新しい病室の天井には、今のところシミ一つ無い。
 そこで初めてティファは自分が入院中である事を思い出した。
 そして同時に、眠る直前の出来事も……。

 あの…。
 漆黒の瞳を無機質に向け、自分が生きていることを『ありえない』と言い切った……青年の姿を。
 ゾクッと背筋を冷たいものが走る。
 しかし、ティファはつい先程耳にした『声』を思い出し、頭を振った。

『負けられない』

 一体何に負けられない…というのか…?
 ティファはそう自分に言い聞かせた直後に自分の考えに突っ込みを入れたものの、負けられない相手が他ならぬ弱い自分である事を認めて苦笑した。

 ふと枕元を見ると、見慣れた文字が小さなメモ用紙の上で踊っているのを発見した。
 お世辞にも上手いとは言えない彼の文字は、


【シュリを送ってくる。すぐ戻る。   クラウド】


 本人をそのまんま表したかのように素っ気無い一言だけを残している。
 ティファは苦笑すると同時にホッと胸を撫で下ろした。
 正直、今はシュリに会うだけの余裕が無い。
 もう一度、あの『自分の存在を否定』するかのような眼差しに曝されるのは遠慮したかった。
 それが親しく思っていた相手だけに尚更だ。

『いつかは……また前みたいに話したり出来るようになれるのかしら…』

 ズキン…と痛む胸を押さえながら、ティファは一つ溜め息を吐いた。
 ゆっくりと窓に目をやると、空はもう既に暮色に染まっている。
 鮮やかなオレンジと赤紫色のコントラストが実に美しい。

「綺麗…」

 素直な感想が零れる。
 暫し窓から見える夕映えに心奪われ、時を忘れる。

 ふと、そんなティファの耳に病室のドアの外から誰かが話している声が届いた。
 勿論、WROの医療施設なのだから誰かがいてもおかしくない。
 しかし、何となく聞えてくる声に覚えがある。
 そっとベッドから降り立つと、ティファはドアに近付いた。
 横開きのドアを開けようと手を伸ばす。

「……だから、どうして大佐殿がおられるんですか!?」

 聞えてきた女性の声に、ティファはビクッと手を引っ込める。
 ドクドク…と心臓が早鐘を打つ。

『ラナ…さん…?』

 病室のドアの外にいる人物が、馴染み客であり友人でもある女性であったことに、ティファは激しく動揺した。
 いや、ラナがいる事に…ではない。
 ラナが『話をしている相手』に動揺しているのだ。

「…ティファさんの見舞いに来た帰りだが…?」

 いつもの冷静で落ち着いた口調の低い声に、汗が噴き出す。

『シュリ君…まだいたの……!?」

 ドキドキと脈打つ鼓動を抑えるように胸を押さえ、枕元に置かれていたメモを思い出す。
 クラウドの【シュリを送ってくる】というメモ。
 いつ書かれたのか分からないが、それでも二人がこの部屋を後にしてそれなりに時間は経ったはずなのに、まだシュリが残っていた事に、ティファは混乱した。

『なんで…?それに…まだシュリ君が帰ってないなら、クラウドは今どこにいるわけ…?』

 わけが分からない。

 ドアのまん前で硬直してしまったティファは、否が応でも続けられる会話……といよりも、シュリへの非難とも取れるラナの言葉を聞く羽目になった。

「ティファさんのお見舞い……ですか…。その割りに、大佐殿は向こうから来られたみたいでしたが?ティファさんの病室はここですよね?」
「ラナ、やめろ…!」

『リト君まで…!?』

 ラナをたしなめる男性の声に、ティファの鼓動が一層早くなる。
 ラナとグリートが自分の病室の前でシュリと何やら険悪なムードになっている。
 それがイヤでも伝わってきたのだが、だからと言ってこのドアを開け、両者の間に入るなど考えただけでゾッとする。
 両者の間に入るということは、シュリの前に立つ……という事に他ならないのだから。
 まだ今のティファにはシュリに会うだけの勇気がなかった。
 ドアの前で悶々と悩む間も、ラナの攻撃は続けられていた。

「大佐殿。もしも大佐殿がライを傷つけるような事をお考えなら…それ相応の御礼をさせて頂きます」
「ラナ!」
「兄さんは黙ってて!ライがどれだけ苦しんでるか分かるでしょう!?」
「分かってる!分かってるけど「だったら黙ってて!!」

 必死に宥めようとするグリートにピシャリと言い放つラナの声に、ティファはおっかなびっくり首を竦めながら、新たに湧き上がった疑問に眉を顰めた。

『ライ君に……何かあったの……?』

 何となく…。
 本当に何となく、イヤな予感がする。
 これ以上ここに突っ立ってないで、ベッドに潜り込み、頭からシーツを被らなくては…!!
 そんな言い知れない警告めいたものが頭の中でしきりに点灯する。
 しかし…。
 そんな頭の片隅で、このまま三人の会話に耳を済ませなくてはいけない…という相反する考えがその存在を主張していた。
 そして、ティファの脳が的確な指示を出す前に、シュリの溜め息が聞えてきた。

「まったく……。どうして俺がバルト中尉を傷つけなくてはならないんだ?」
「『どうして』……ですって…!?」
「ラナ!」


「大佐がライに異様に執着してるのは分かってるんです!!」


『はい!?!?』

 耳に飛び込んできた言葉に、ギョッとする。
 ややうろたえたティファを助けるように、シュリの声が聞えてきた。

「その言い方は甚だしく誤解を招くのでやめてもらおうか」

 冷たい青年の言葉に、何となく胸を撫で下ろす。
 しかし、ドアの外にいる友人はティファとは違うようだ。

「隊の中では有名ですよ!今更言い訳なんか聞きたくありません!!」

 ピシャリとラナが言い放つ。
 ラナの隣にいるであろうグリートは何も言わない。
 ティファの胸に再び暗雲が立ち込める。

「今回大佐が就いてらっしゃる任務、あれにライを強引に引っ張りこんだって専らの噂です!」
「噂を鵜呑みにするのは愚者のする事だと思うが…?」
「火の無いところに煙は立たぬ…とも言いますよね」

 恐らくドアの外ではラナとシュリの間には火花が散っているだろう。
 そして、それをグリートが困ったようにどう間に入ったものかとオロオロしてるに違いない。
 ティファはじっと息を殺してドアの外の気配に神経を尖らせた。

「もしも……もしも大佐殿がライを『北の大空洞探査チーム』に引っ張り込んだりしなければ…」

 ラナの震える声に、ティファは目を見開いた。


 北の大空洞探査チーム。


 初めて聞くその任務に、全身から汗が噴出す。
 あの忌まわしい決戦の地。
 今は何も無いといわれているその地を何故今更探査しなくてはならないというのか…!?

 リーブの疲れ切った顔がフラッシュバックする。


 ― 本当に、この星で一体何が起きてるんでしょう… ―


 しかし、そのリーブの顔もラナの台詞の前に掻き消えた。

「ライは普段、アイリが治療している間は絶対に傍から離れなかった…。だから……だから!!」



「アイリがティファさんの身代わりに死に掛けるなんてことには絶対にならなかったのに!!」



 ……え…?
 いま、かのじょは、なんといった…?

 ワタシノ……ミガワリニ……ダレガ………?


 アイリ……サンガ………シニカケテ……………!?



 バンッ!!!



 突然開かれたドアに、三人の隊員がギョッと身を竦ませた。
 たった今耳にした事実に恐怖で心を一杯にしたティファの蒼白な顔に、ラナは自分の失言を全て目の前の彼女に聞かれていた事を知った。
 グリートもシュリも、驚き過ぎて言葉が出ない。

「ねぇ、どういうこと…!?」
「あ……ティファさん…」
 震える声で小刻みに震えるラナの肩を強く掴む。
 ラナは真っ青になって唇をわななかせるばかりだ。
「あの、ティファさん。落ち着いて…」
「ねぇ!今のどういうこと!?」
 ティファは自分の肩に手を置いて宥めようとするグリートに向き直り、ラナから手を離して詰め寄った。
 その気迫にグリートは完全に気圧されている。
 気の利いた……この場をしのぐ台詞が何一つ思い浮かばない…。

「ねぇ!!アイリさんが私の身代わりになって死にかけてるって、どういうことよ!!」

 何も明確な言葉で持って説明してくれない三人に、ティファは恐怖のどん底に突き落とされた。
 何も言葉にしては言っていないが、彼らのその表情と焦燥感に駆られた態度が雄弁に物語っているではないか…。


 その時、ティファの中でこの三日間、感じていた不安と疑問がピタリと音を立てて当てはまった。


 フラフラと後ずさり、ドアに背をつく。


「だから……なのね…」
「ティファさん、あの…」
 何か言おうとするラナの声がやけに遠い。
「だから……皆……私に必死になって隠してたのね……」
「ティファさん、落ち着いて…」
 自分自身が落ち着いていないのに、そう宥めてくるグリートが……やけに遠い…。
「私が死ぬはずだったのに……アイリさんが身代わりになったから……、だから皆…!!」

 視界が歪む。
 激しい動悸に胸が苦しい。
 息が出来ない。
 今、立っているのかそれとも宙に浮いているのか……自分と言う存在は何なのか……。
 何もかもが……とても危うくて……不明瞭で……脆くて……霞がかかったようで……。



 全てが分からない…!!



「ティファさん!!」
 バシッ!!


 突然、頬に痛みが走り、ティファはハッと我に返った。
 目の前には、驚愕に目を見開くノーブル兄妹と、厳しい面持ちのシュリがいる。
 ティファは無意識に引っ叩かれた頬に手を当て、自分を現実に引き戻した青年を見つめた。
 どこまでも彼は……悲しそうだった…。
 その彼の漆黒の瞳に、胸が疼いた。


「すいません……手を上げてしまって…。でも…、クラウドさんに半殺しにあっても構いません。ティファさん、貴女が自責の念に駆られるのは間違っている」
「……でも…」
「貴女が自分を責めるのは仕方ないのかもしれない、貴女は優しいから…。でも、彼女は貴女にそんな風に感じてもらう為に自分の人生を差し出したんじゃないんですよ!」



 自分に対して声を荒げる青年に、眠っている時に聞えた少女のような女性の声を思い出した。



 ― どうか 光の 祝福が あらんことを ―



 ティファの目から銀色の雫が溢れ…。
 頬を伝って……こぼれ落ちた。





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