― ほら、聞えますか? ―

 …何が…?

 ― 『音』が聞えるでしょう? ―

 …音?

 ― ええ 素敵な『音』 ―

 ……何も聞えないけど……

 ― 本当に? ―

 うん。キミには何が聞えるの?素敵な『音』って…なに?

 ― ふふ… ―

 …笑ってないで教えて欲しいな…

 ― こんなに素敵な『音』なのに ―

 …やっぱり何も聞えないけど……なんの『音』?



 ― 『世界が壊れる音』 ―



 プライアデスは跳ね起きた。



Fairy tail of The World 22




 紫紺の瞳を大きく見開き荒い息を繰り返す。
 病室のソファーの上で目を覚ましたプライアデスは、悪夢から現実の世界に戻って来たと自覚するのに暫し時間を要した。
 青年の目の前には薬液の詰まったカプセル。
 その中には、彼にとって大切な人が『眠って』いた。
 彼女がこのカプセルに入ってから五日が経つ。
 暗い病室に、いつの間にか自分がうたた寝をしていたことに気が付いた。
 彼女に付きっ切りの生活に突入して五日目にもなると、流石に体力と気力が低下するようだ。
 プライアデスは、額にべったりと張り付いた前髪をかき上げながら座りなおし、両膝に顔を埋めた。
 今思い出してもゾッとする夢だった。
 真っ暗な空間の中、ただ声だけが聞えてきた…。
 若い…女性の声。
 どこかで聞いたことのあるような…そんな錯覚を覚えてしまう…声。

 だが、あんなとんでもない台詞を嬉しそうに口にする女性には出会った事などない。


「世界が壊れる音…か……」


 確かに……この世界は壊れかけているのかもしれない。
 WROという組織に…それも中尉という階級を持つと、色々情報が入ってくる。
 一般人には知らせられない『トップシークレット』というものも…。
 当然、危険な任務にも赴く。
 その中でも最近は『星の異変』を提唱する上司から直接命令を受けて、五つの地区を探査する任務に就いていた。
 結局、その探査の結果、特に異常は確認出来なかったが、その任務から帰る途中で……。


 瀕死の『ジェノバ戦役の英雄』を収容した。


 彼女は非常に強い女性だった。
 腕っ節は勿論、生きる姿勢も…子供達を想う気持ちも…そして、恋人を愛する気持ちも…。
 その強くしなやかな彼女が…。
 全身を緋色に染め上げ、上司に抱きかかえられて飛空挺に収容された時には欠片もなかった。
 誰もが息を飲み、目の前の光景を受け入れられずに呆然としていた。


 ― 『さっさと飛空挺を出せ!彼女を殺す気か!?』 ―


「怒鳴り声…初めて聞いたな…」

 苛立ちと焦燥感に駆られたシュリを思い出し、ポツリとこぼす。
 シュリの怒声に我に返った自分を含めた隊員が、慌ただしく行動している間、シュリは彼女の手当てをしていた。

 いや…していたのだろう……。
 取り乱していたので記憶が曖昧だが、彼女の背中の傷口に手を当てて……。
 ……手を当てて、何をしていたっけ……?

 プライアデスは、その時の情景を思い出そうとしたが断念した。
 頭がどんよりと重く、その時の詳細を思い出すのを拒んでいた。
 プライアデスにとってティファの瀕死の姿は、言いようのない大きな衝撃だった。
 いつも明るく温かな笑みを湛えていた彼女の姿からほど遠いその姿は、到底受け入れられるものではなかった。
 嘘だ!!
 そう思い込みたかった。
 しかしそれと同時に、鮮血に染まった彼女が助からないと本能的に感じ取ってもいた。
 恐らく、シュリに担ぎこまれた彼女を見た全員がそう直感しただろう…。

 だが…。

 ティファは死ななかった…。
『シャドウ』に襲われる前と寸分違わぬ元気な姿で退院した。


 アイリの犠牲によって…。


 一つ大きく息を吐き出す。
 グッタリと疲れて重い身体を起こし、のろのろと腰を上げ、ゆっくりと薬液のカプセルに歩み寄り、中を覗き込んだ。


「アイリ…」


 そっとカプセルに触れて名を呼ぶ。
 彼女は……応えない。
 何も……。
 薄っすらと開かれた瞼からは、魔晄に染め上げられた青い目が死んだ魚のように虚ろに覗いている。
 ティファを助ける前には決して見ることのなかった……死んだ目。
 魔晄中毒の発作に襲われ、苦しんでいる時もこんな目はしていなかった。
 どこかで…『生きる』という事を諦めていないと感じさせてくれる瞳をしていたのに、今はその影もない。

 カプセルに触れた手をグッと握り締める。

 折角、手にしつつあった『回復』という二文字を手放し、アイリはティファを助けた。
 どうやって瀕死の彼女の身代わりになったのかは分からない。
 ただ、アイリが身代わりになったということは、プライアデスの中ですんなりと受け止められた。
 恐らく、彼女ならそうするだろう…。
 十年以上前もそうだった。
 自分を助ける代わりにライフストリームに落ちてしまったのが、『魔晄中毒』との戦いのそもそもの始まり。
 彼女は…自分の身の危険を省みずに周りの人間を助けようとする。
 そんな彼女だからこそ、ティファを助ける手段があるならどんなことでもするだろうと思う。

 プライアデスは目を閉じた。
 この五日間、ずっと考えてきた。


 ― 『自分の今の姿をアイリはどう思っているだろう…』― と。


 自分の身を省みずに他者を思いやる。
 そんな彼女が、今、こうして何もしないで病室に篭り、鬱々としている自分を……どう感じるだろうか?
 きっと……悲しむだろう…。
 いや、もう既に悲しんでいるのかもしれない。
 だがしかし…。
 これまで彼女に自分は一体何をしてこれただろうか…?
 自分を助けたが為に魔晄中毒になってしまった彼女に…。
 ただ、見守るしか出来ないとは言え、何をして来れただろうか?
 ミディールで療養している間も、彼女の治療費を払っていたのは自分ではなく両親。
 時間を見つけて彼女の元を訪ねていたが……それだけ。
 こうして魔晄中毒の末期に戻ってしまった彼女に一体何をしてやれると言うのか?
 これまでもなんにも出来なかったと言うのに…。
 だが……。
 だからこそ!!
 こうして末期に陥ってしまった彼女を放っておくことは出来ない…。
 例え、何も出来なくても…彼女の傍に……。

 だけど…。

 それは、ただの自己満足なのかもしれない…。
 そう……。
 自己満足。
 それだけ…。
 彼女が傍にいることを望んでいるのかも分からないというのに…。


 ああ……そうか…。


 そう。
 彼女は自分が傍にいることを望んでいないかもしれない。
 その可能性に目を瞑って、目を逸らしていたのだ。
 彼女に……。
 傍にいることを否定されたら…。


 耐えられない!


 でもそれは、どこまで頑張って傍にいたとしても、彼女の看病をしようとも、自己満足で終ってしまう行為でしかなくて……。

 それで本当に良いのか?
 彼女の為…と言いながら、己に課せられた任務からも逃げ出し、こうして病室に篭って過ごす自分を彼女は認めてくれるだろうか?

 認めては……くれないだろう……。


 暫しの逡巡。

 紫紺の瞳を開いた時。
 青年の表情に迷いはなかった…。





「ティファ……大丈夫ですか?」
 カウンターの中でリーブとクラウドの様子を盗み見ていたティファは、シェルクに声をかけられて我に返った。

「え!?あ…うん。ごめんね、大丈夫」
「……」
 慌てて言い繕ったが、真っ直ぐ見つめてくるシェルクに、ティファは目を逸らした。
 魔晄に光るシェルクの瞳が、自分の心を見透かしているようで直視出来ない。
「えっと…、新しい注文が入ったの?ごめんね、すぐに作るから…」
「ティファ…」
「それとも、新しいお酒かな?シェルク、お酒は注げるよね?じゃあ、お願いしても…」
「ティファ」

 ほんの少し強い口調で名を呼ばれ、ティファの笑顔が強張った。
 だが、それでもティファはグッと胸に湧きあがった『負の感情』を飲み下した。
「シェルク…ごめんね心配かけて…」
「ティファ……」
「でも…大丈夫。ううん…大丈夫になれるように頑張るから……だから「…頑張り過ぎるのはティファの悪いところです」

 ティファの言葉を遮ってシェルクが口を開いた。
 真摯な眼差しにティファは言葉を無くす。
 シェルクは目を逸らさない。
 真っ直ぐに曇りのない魔晄の瞳を向けている。

「ティファ、ダメです。何もかも抱え込んでは。ティファは私に言ってくれました、『私達は血は繋がっていないけど心が繋がっている家族』だと…」

 シェルクの言葉が胸に響く。

「ティファ。『家族』とは、何でも分かち合って支え合うものではないのですか?」
「シェルク……」
「『友人』や『恋人』もそうだとお姉ちゃんから聞いてます。でも、『家族』はそれを越えるものだとも…」
「……」
「私達は…『家族』…ですよね?」

 目の前に立つ少女に、ティファは胸が熱くなった。
 いつの間にこんなに人間としての感情を取り戻したのだろう…?
 目頭が熱くなり、思わずティファはそっと人差し指で目元を拭った。
 そして、何度も小さく頷く。

「うん……うん!…シェルク……ごめんね…」

 小さな声で繰り返すティファに浮かんだその笑顔は、退院してから初めて見る『心からの』笑顔だった。



「それで…」
「え?」
「何を悩んでいたんです?」
 シェルクのお蔭で強張っていた心がほぐれ、いつも通り…とまではいかないにしてもかなり心の軽くなったティファを、シェルクが覗き込んだ。
 ティファは「あ…っと…ね……」、言葉を詰まらせ視線を彷徨わせたが、結局さして時間もかからずに観念した。
 シェルの真っ直ぐ注がれる視線がティファに適当な言い訳を許さない力を持っていたし、何よりも『家族』と思ってくれていたことが……本当に嬉しかった…。

「…リーブが…」
「はい…?」
「……クラウドとリーブが真剣な顔して話してるでしょ…?」
「…はい」

 ティファは大きく息を吸い込んだ。

「アイリさん……。調子……悪くなったのかな……って………」
「…!」

 ティファの悲しく歪んだ横顔に、魔晄の瞳をかるく見開く。
 無意識にカウンターの端に目を移すと、クラウドとリーブが何やら打ち沈んだ表情でカウンターの木目に視線を落としていた。

 ティファが勘違いしても仕方ないその光景に、シェルクは小さく溜め息を吐いた。
 そして…。

「え…?な、なに?」

 黙ってティファの手を取ると、そのままスタスタとリーブ達の所へ引っ張っていく。
 カウンターを出たところで丁度、新しい注文を受けたデンゼルに出くわしたが、メニューを口にする看板息子に「あとで」と、一言だけ言い残しただけでシェルクは戸惑うティファをあっという間に英雄二人の元に連れて行ってしまった。
 それをカウンターよりの客達がポカンとして見やる。
 カウンターの入り口で残される形となったデンゼルも、会計をしていたマリンも同様に呆けたようにティファを引っ張るシェルクを見た。


「クラウド、リーブ」
 肩を落として鬱々としていた二人の英雄は、頭上から降ってきたシェルクの声にビクリ…と肩を震わせた。
 すっかり自分達の世界に突入していたので、シェルクの声は現実に引き戻されるのに十分過ぎる威力を持っていた。
 二人はすっかり失念していた。
 そう。
 ここが『セブンスヘブン』だということを…。
 この『場所』に、シークレットミッションを隠している相手…、ティファと子供達がいるということを…。

 元々良くなかった二人の顔色が音を立てて青ざめる。

「な、なんだ……?」
 ぎこちなく振り返った二人に、シェルクは魔晄の瞳を細めた。
「目の前で深刻な顔をしてヒソヒソと話しをするのはやめて下さい。ティファの精神上によくありません」
「「あ……」」
 シェルクにしっかりと手を掴まれたティファがおどおどしながら視線を彷徨わせている。
 クラウドとリーブはチラッと目を合わせると、
「わ、悪い!」「す、すいません!」
「違うんだ…その…」「ええ…その…なんと言いますか…」
 同時に声を上げたが、何を言って良いのか分からず意味のない言葉にしかならない。
 そのうち、口をパクパクさせるだけで居心地悪そうに膝に視線を落としたり、スツールの上でせわしなく身じろぎしたり…。

 頭の中は真っ白な状態になった。

 シェルクは心底呆れ返って肩を竦めると、不安気に二人を見ているティファに向き直った。

「リーブが今夜来たのはティファを襲ったモンスターの調査報告です」
「「シェルク!?」」
 ギョッとして英雄二人が大声を上げた。
 客達がその大声にびっくりして目を見開いたり、口の中のものを噴き出したり…咽こんだりしている。
 店の端にいた子供達もまん丸に目を見開いてカウンターを凝視した。
 しかし、そんなことなど当の二人は全く気にならない…。
 と言うか、黙っている事に同意したはずのシェルクがあっさりとバラそうとしている事に、パニックに陥っていた。

 いや、確かに正直に話した方が良いのかもしれないが、真相を聞いた彼女が大人しくしているはずなどなく。
 結果、酷いことになる可能性が大きすぎる!!

 当然、ティファもシェルクの言葉に目を見開いて言葉を無くすほど驚いていたが、クラウドとリーブの驚きように一つの結論に至った。

「…クラウド……リーブ……」
「あ、いや…」「ティ、ティファさん、これは……その」
 言い澱む二人に、ティファはクシャッと顔を歪めると泣き笑いの顔になった…。

「二人共…ありがとう……」
「「え…?」」

 思わぬ言葉に英雄達は目を丸くした。
 思わず顔を見合わせ、再びティファを見つめる。

「二人共……私に気付かれないように一生懸命隠してくれてたんでしょう…?」
「あ、ああ…まぁ……」「いや…それは…その……」

「私のこと……心配してくれて……気を使ってくれて……それが本当に……本当に……」

 とうとう声を詰まらせ、両手で顔を覆ったティファに、クラウドとリーブはホッと肩から力を抜いた。
 どうやらティファが『シークレットミッション』の全貌に気付く前に、自分の中で『自己完結』してくれたらしいことが分かったからだ。
 チラリとシェルクを見ると、相変わらずの無表情な顔をしてティファの肩に手を置いている。
 だが、その無表情な仮面の下に、温かな笑みが隠されているようで……。

 クラウドとリーブは笑みを交わした。

 そして、クラウドはそっと立ち上がるとティファを優しく抱き寄せた。
 シェルクに目配せしてそのままティファを二階に連れて行く。
 デンゼルとマリンがほんのちょっぴり泣きそうな顔をしながら…それでいて嬉しそうに笑いながらいそいそと後片付けに取り掛かった。
 シェルクとリーブは軽く頷き合うと、思わぬ出来事に呆けている客達へ頭を下げ、今夜はもう閉店する事を告げたのだった。



「それにしても、流石にギョッとしましたよ…」
 最後の客を送り出した後、リーブがそっとシェルクに囁いた。
 カウンターの中では、子供達が手際良く洗い物を片付けている。
 リーブとシェルクはテーブル拭きと床を掃く掃除をしていた。

「私もちょっと心配でした。でも、あの時のティファを見ていたら…どうしてもこうするほかなかったので」
 淡々と事後報告するような口調であるのに、シェルクがとても人間らしい感情を表してくれているのが…とても嬉しいことに感じる。
 リーブは口元を綻ばせながら、
「ええ……ティファさんにバレない様に、とわざと店内で話しをするようにしたのですが、内容が内容なだけについ…上手くごまかす事が出来なくて…申し訳なかったです」
 シェルクに軽く頭を下げた。
「いえ。私も…クラウドの部屋に引き上げて話をするよりは今夜のやり方の方が良いと思います」
「ふっ。そうですか?」
 シェルクに褒められてリーブは目を細めた。
「ええ…。後日話しをするような内容ではなかった…のでしょう?」
「……」
 探るような視線が、リーブに気付かせた。
 シェルクが何を言わんとしているのかを。
 リーブがクラウドに持ちかけた『要請』の真偽を確かめようとしてるのだと……。

 リーブの顔から笑いが消える。
 沈痛な面持ちになり、WROの局長は一つ頷いた。

「ええ…。本当は…クラウドさんだけでなく貴女にも助けて頂きたい内容です。ですが……」
「クラウドは…断ったんですね」
「はい…」
「……では、私も断らねばならないでしょうね…」
「……ええ。そうでしょう。ですから、ここに来る前にクラウドさんにお願いしたことを貴女にお願いしなかったんです。先に貴女にお願いしたら……貴女は必ず『イエス』と応えてくれたでしょうから……」
「……本当に……私も……」
 シェルクが手を止め、ジッと指先を見つめる。
 リーブも手を止めると、シェルクの整った横顔を見つめた。
「シェルク…。貴女の気持ち、本当に嬉しいです。でも……やっぱり……」

 苦渋の決断。
 そう。
 自分はこの星の未来を担うであろう組織の一つ、WROの局長。
 だが、それなのに局長という立場よりも『仲間』としての立場に立って判断している。
 正しい判断とは……思えない。
 言い換えれば、貴重な戦力を『たった一人の人間のために』無駄にしているのだ。
 それも……二人分も!
 リーブには…自分の判断が正しいという自信がなかった。
 だが、その逆…。
 クラウドとシェルクを強引にでもミッションに参加してもらい、ティファには一人で子供達と留守を守ってもらう……、その判断の方が正しい…とも言い切れないでいた。

 未だに頭の中はグルグルと色々な考えが回っている。
 どれも不透明で……判別しにくい。
 一つ分かることは。
 今、この星を救うに当たっての戦力が圧倒的に足りないということ。
 そして、その戦力足りうる人材がもう限られていること。
 その限られた人材は、一人の女性の心を守るために、戦力として算段できないこと。

 …もう…八方塞だ。


 ピピピピ…ピピピピ…。

 その時、ふいに胸元でリーブの携帯が鳴った。

『誰から……!?』

 胸元から取り出した携帯の画面を見てリーブは目を見開いた。
 そんなリーブに、シェルクの胸がざわめく。

 リーブは慌てて携帯を耳に当てた。




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