地平線のはるか彼方が薄っすらと明け白んでいく。
 その様を、シエラ号の艦長は鬱々とした気分で眺めていた。
 夜の闇が新しい一日の始まりに染め上げられていくその壮大な様は、彼にとって胸躍らせるものであるはずなのに…。
「夜明けだね」
「ああ…」
 赤い毛並みの仲間がポツリと呟いた。
 その声が自分の今の気持ちと全く変わらないほど暗く沈んでいる事に、何故かほんの少し慰められる。
「今日も……昨日みたいになるのかな……」
 質問ではないその言葉に…。
 シドは黙ったまま空を見つめ続けた。



Fairy tail of The World 25




 朝食を摂る為に食堂に集まった仲間達を見て、自分と同じ様にほとんど眠っていない事をシドは見て取った。
 あのお元気娘のユフィまでもが、ボーっとして目の下には薄っすら隈の様なものが浮かんでいる。
 バレットもどこか心ここにあらずといった状態で、シリアルにミルクをかけ損ねて慌てて汚れたテーブルを布巾で拭いていた。
 ヴィンセントは……いつもの無表情振りが更に輪をかけてマネキンのようだ。
 デナリもむっつりと黙りこくってコーヒーを不味そうに啜っている。
 若き隊員の兄妹は…。

「兄さん、ダメよちゃんと野菜も食べないと」
「食べてるっつうの!お前は母さんか!?」
「お母さんの目を盗んでピーマン捨ててた前科を持ってるんだもの、信じられないわ」
「お前……何年前の話だよ……」
「そうねぇ。兄さんが十歳くらいまではそうしてたから……十四年くらい前かしら?」
「……そういう意味じゃねぇよ……」

 なんとも……。
 微笑ましいのか……緊張感に欠けるというか……。
 シドは呆れて中途半端に口を開けた。

「シド艦長。航行は順調…なんですよね?」
 ふいに声を掛けられ、シドはデナリを見た。
 実直な性格の中将殿は、兄妹のコントのようなやり取りを完全にスルーしている。
 そしてまた、コントのようなやり取りをしていた兄妹も含め、仲間達の意識が自分に向けられたのを知った。
「ああ、予定通りだ。このままだと、今日の日付が変わる頃には『古代種の神殿跡地』に着くだろうな」
「夜中……か…」

 ボソリとバレットが呟いた。
 陰気なその声に、場の空気がズンと重くなる。
 いつもならここでユフィがおちゃらけて無理にでも明るくしようとするのだが、今日はどうも無理らしい。
 同じ様に全身に真っ暗なオーラを漂わせている。

「夜中に行動するのは流石に自殺行為だと思われますので、明日の朝一番に任務に移ろうかと思うのですが…」
 控えめなその提案に、ラナとグリートがホッと顔を見合わせたのが視界の端に映る。
 その表情から、この場にいないミッションのリーダーが不調なのだ、と悟る。
 出来れば…。
 もう少し時間が欲しかった。
 シュリは時間がない、との一点張りだ。
 だが、星の危機にある…というその切迫した空気、臨場感が『ジェノバ戦役』と『オメガの事件』で感じられたほどには感じないのは…自分が鈍いからだろうか…?
 シドは大きく溜め息を吐いた。
「当然だな。シュリが強引に任務に突入しようとしたら、その時はかなり荒っぽい方法になったとしても止めさせてもらうぜ」
「シド〜、その台詞、すっごく悪者っぽ〜い」
 ニヤッと笑ってお元気娘が片目を閉じて見せた。
 どうやら自分の台詞がお元気娘を明るくする事に成功したらしい…………図った事ではないが。
「おおよ!俺様も黙っちゃいられないな!何しろ、アイツが使い物にならなくなったら誰も代わりは出来ないんだからよ!」
 義手を大きく振り回しながら息巻く巨漢に、
「バレット……今の言い方、すっごく失礼だとおいらは思う…」
 赤い獣がジトッとした目でねめつけた。
「おっと…悪い、いやその、別に『モノ』扱いのつもりじゃなくて……その、あれだ!言葉のアヤだ!!」
 しどろもどろ、言い訳を口にする。
 ほんの少しだけ、食堂の空気が軽くなった。
 …が。
「ところで、シュリの具合だが…」
 ヴィンセントの低く静かな声が再びその空気を重くした。
「先ほど部屋を覗いたが…。いくらなんでも明日作戦を決行するのは無理だろう…」
 沈黙。
 冷静な声音で冷静な表情で……淡々と事後報告するような口調でそう言われると、どんな言葉を持って反論すれば良い?
 今回の任務は…WRO局長リーブが発足した。
 しかし、実際に動いているのは僅かに九名。
 他のWROの隊員達には…極秘の任務だ。
 故に、この作戦はWROとしてではなく、かつてのあの旅のように……『星の危機』を察知した勇士達によってなされている。
 その任務のキーとなるべき存在が動けない。
 これでは……いくら気が急いてもどうしようもない。

 本来なら、動けないこの状況に歯噛みし、焦燥感に駆られるべきであるのにデナリとヴィンセント以外の全員がどこかホッとしたのだった。
 昨日の衝撃の場面が……強く脳裏に焼きついている。
 その結果の今のシュリの状態。


 これ以上……目の前で仲間を失うのはイヤだ!!


 神聖なる神殿で宿敵の手にかかり、星に還った仲間を思い出す。
 あの時のような思いを昨日、まさに味わう所だったのだ。

「そっか……なら仕方ないよね。唯一『術』が使える人間がへばってるんだもん!」
「うん…じゃあ明後日かその翌日くらいに作戦続行…ってことで、リーブに連絡した方が良いんじゃない?」

 心なしか明るい声でユフィとナナキが皆に提案する。
 バレット、シド、そして兄妹隊員は表情を薄っすらと和らげた。
 しかし、ヴィンセントとデナリはむっつりとした顔のまま、押し黙っている。

「だって、しょうがないじゃん!シュリが動けないと私達、何にも出来ないんだし!」

 二人の表情に少しイラつき、ユフィが眉間にシワを寄せる。
 しかし、それに対してデナリとヴィンセントは謝るでもなく…かえって表情を厳しくした。
「しかし、そんな悠長なことを言ってる場合じゃないんです。こうしている間にも、小さな村を中心に『シャドウ』の……『闇』の襲撃を受けて人々の命が危険に晒されているんです」
「その通りだ。一刻も早く…出来れば到着し次第、シュリには動いてもらいたいというのが本音だ」

 冷静過ぎるその言葉は、ユフィのみならずその場の者達の怒りを買った。

「おい!!」「なんてこと言いやがる!!」

 バレットとシドが唾を飛ばしながら怒声を上げ、ナナキが尾をピンと立てた。
 ノーブル兄妹も不愉快そうな顔をしたが、英雄達に比べると若干その反応は冷静だ。
 チラリと視線を絡めて二人はそっと目を伏せた。
 その二人に……その場の誰も気付かない。
 一触即発。
 まさにそんな張り詰めた空気は、無機質な電子音で遮られた。

 ヴィンセントが黙って胸ポケットに手を入れる。

「私だ」


 実に短いその一言。
 素っ気無いにも程があるその口調に似合いのマネキンのような顔。
 仲間達は見るともなくヴィンセントの表情へ視線を注ぐ。
 ある者は噛み付かんばかりに目を吊り上げ、ある者は悲しそうな顔をして…。

 しかし、そんな視線の先で無表情だったヴィンセントの紅玉の瞳が見開かれた。

「なに…?」

 驚きを表すその一言に、皆の表情が『不安』の三文字に曇る。
 決して…良い知らせではないだろう。
 いささか悲観的過ぎるその予想は、しかし裏切られることはなかった。

 言葉少なく電話を切ったヴィンセントは、注目している仲間達に重く口を開いた。


「プライアデスが…新たな任務に就いたそうだ」


 それは。
 ノーブル兄妹を驚愕させ、デナリをギョッとさせ、そして英雄達に首を傾げさせたのだった…。





「……で、どうしてあなたがここにいるんですか……?」
 プライアデスは苦笑しながら目の前に凛と立つ少女を見下ろした。
 見下ろすのは身長の違いからであって、決して『見下して』いるわけではない。
 見下ろされたシェルクは「あなた一人では心配ですから」と一言素っ気無く返した。
 あっさり返されたプライアデスは紫紺の瞳を細めて、心底困ったような顔をした。
「えっと…まぁ、確かに僕一人じゃ心許無いというお気持ちは分かりますが、それでも今回の『ミコト様』の件は僕一人が命令を受けたわけですから…」
 言葉を選んでシェルクが傷つかないよう、そして考え直してくれるように説得を試みる。
 しかし、そんな言葉が目の前の少女に通用するとは自分自身でも信じていないわけで…。
「気にしないで下さい。自分の身は自分で守れますし、私が勝手にしているだけですからあなたがリーブに怒られる心配はありません」

 やはりあっさりとそう返されてしまった。

『少しくらい……こういう『予想』って外れてくれても良いのになぁ…』

 内心でぼやきながら、さてどうしたものかと思案する。
 しかし、良いアイディアが浮かぶ前に、さっさとシェルクは背を向けて路地裏深くに進みだした。

「あ、あの!本当にちょっと待って!!」

 慌ててプライアデスも『件(くだん)』の路地裏へと足を踏み入れた。


 ここがエッジ…。
 まるで……全く違う街に来たみたいだ…。

 プライアデスは初めて見るエッジの『裏の顔』に目を見張った。
 エッジに来たことは何度もあるが、行き先が大体決まっているので路地裏に来たのはこれが初めてだった。
 元々、エッジの路地裏に『闇組織』があるということは情報として知っていたが、自分がこれまでそれに関する任務に就いた事がなかったため、目の前に広がる光景に唖然とする。

 まるで……復興が進んでいない荒廃した街のようだ。
 じめじめした空気に陽の光がほとんど射さない薄暗さは、気分を鬱々たるものにするには十分すぎる。
 そして、何とも言えない…臭気。
 水が腐ったような…そんな不快な臭いがあたりに充満していた。
 このような場所に来る人間などいないのではないのか!?
 そう思ってしまうような……陽(ひかり)から隔絶された場所。
 しかし、そこかしこに人の気配がする。
 ジッと…息を殺して自分とシェルクを窺っている…視線。
 プライアデスはおよそWRO隊員とは思えないほど隙だらけに見える様子で路地裏を進む。
 対するシェルクは持ち前の凛とした空気を隠す事無く颯爽と歩いていた。

 半歩先を行くシェルクの小さな背を見ながら、プライアデスは彼女を引き止めることを諦めた。
 何を言っても無駄!
 そう彼女の背中が言っている。

『博士が怒るだろうなぁ……』

 眼鏡越しに眦を吊り上げるWRO一の科学者を想像し、深い溜め息を吐いた。
 それでも、目の前を躊躇う事無く歩く少女の足は止まらない。
 プライアデスは少し歩調を速めてシェルクの隣に並んだ。

「どうして…?」
「はい?」
「どうしてここまで気にかけてくれるんですか…?」

 純粋な好奇心から隣を黙々と歩く少女に問いかける。
 シェルクはチラリと見上げて再び前方へと視線を戻した。

「ティファが…」
「はい?」
「ティファがアイリさんに助けてもらったから…」
「…?」
「だから、アイリさんは私にとっても恩人。その恩人の大切な人が危険な目に合うかもしれない…いえ、その可能性が非常に高いのに、ただ黙って傍観するなんてことは出来ません」

 淡々と表情を表さないままそう応えるシェルクの気持ちは、プライアデスに真っ直ぐ届いた。
 胸がグッと熱くなる。

「……ありがとうございます」
「……いえ…」

 ぎこちない二人の間には、どこか温かい空気が流れ、路地裏にいるという不愉快な現実を少しだけ和らげてくれた。

 そのまま二人共黙り込んで黙々と奥へと突き進む。
 途中、いかにもその筋の柄の悪そうな男達が物陰から様子を窺ってきたが、結局何もしないで二人が通り過ぎるに任せていた。
 内心、プライアデスは驚いていた。
 恐喝や拉致を目的としているであろう下種な部類に属する男達が、何もしないで自分とシェルクを見逃してやっていると言う事実に。
 プライアデスは自身の容貌が決して他者を圧倒するものではないと自覚していた。
 むしろ、侮られても当然だと思っている。
 そして、隣を歩くシェルクもまた、見た目から判断すると見逃すには惜しい『カモ』のはずだ。
 それなのに、彼らは黙って指をくわえて見守っている。

 ……釈然としない。
 まるで…。
 自分達の正体がばれているかのような…そんな錯覚を覚える。

 チラリ…。

 隣を歩くシェルクに視線を落とす。
 しかし、シェルクは周囲に視線を巡らせながら『ミコト様』探しに一心不乱になっており、プライアデスの視線には気付かなかった。

『気のせい……かな……?』

 そっと首を傾げつつ、プライアデスはシェルクと共に路地裏の奥深くへと足を運ぶのだった…。



「……見事に……」
「通り抜けちゃいましたね……」

 眩しい陽の光に目を細めたのは一瞬。
 路地裏から表通りに突き抜けてしまった二人は暫しその場に立ち尽くし、ポツリとこぼした。
 正直、しょっぱなから探し出せるとは思っていなかったが、ここまで何にもなくただ通り過ぎてしまうとは思っていなかったので、プライアデスは唖然とした。
 その隣では、今回の経験を既に数回しているシェルクがガッカリと肩を落としている。
 勿論、彼女の無表情さからそれをうかがい知ることは至難の業で、プライアデスが気付くことなかった。

「それにしても……なぁんにもなかったですねぇ……」
「そうですね」

 拍子抜けもいいところだ。
 それなりに覚悟を決め、勇んで今回の『ミコト様』探査に望んだと言うのに…。
 路地裏というヤバイ世界に足を踏み入れたのに全く何にもなかった。
 あったのは胸の悪くなるような臭気と鬱々と澱んだ空気、そして自分達を監視するかのような『視線』の数々。
 それだけだ。
 殺気等が込められているという事もなく……ただただ『監視する』視線。
 正直……ここまで何にもされないとなると気味が悪い。
 路地裏から表通りに近付くにつれ、物陰から飛び掛ってくるのではないか…と気構えていたというのに…。

「どうしてあの人達は何もしなかったんでしょう…」

 首を捻るプライアデスに、シェルクは「さぁ……」と一言だけ返して小首を傾げた。
 彼女自身、不思議でならなかったのだ。
 この前……ヴィンセントに単独で『ミコト様』を探しているとバレた時にも感じた。
 何故、彼らは自分を見て何もしてこないのだろう……と。
 あの時はわりと早めに走っていたので、自分の足に追いつけないだけだと、無理やり己を納得させようとした。
 しかし、今日は違う。
 ゆっくりと……彼らが襲い掛かってこれるだけのゆとりを持って路地裏を…彼らのテリトリーを闊歩した。
 それなのに、彼らはみすみす見過ごしたのだ……故意に。

『何故…?』

 その理由が分からない。
 どう考えても『仏心』を出したわけではないだろうに…。

 チラッと隣に立って眉間にシワを寄せ、困惑している青年を見上げた。
 どこからどう見ても…彼らからは『絶好のカモ』でしかないだろう。
 それなのに…。

 物欲しそうな視線を投げつけるだけで彼らは何もしなかった。

「…誰かが私達の事を知らせたのでしょうか…」
「え?」

 呟かれた独り言は、青年をますます困惑させ、自身までも戸惑わせた。
 なんとはなし呟いたその一言が『事実』であるような気がしたのだ。
 シェルクとプライアデスの『実力』を彼らが予め知っていたら……襲い掛かるような愚行には走るまい。
 そう…。
 この経験を既に一度しているではないか。
 シェルクはその出来事を思い出し、戦慄が身体中を駆け巡った。

 暴漢に襲われそうになった女性を助けた時…。
 暴漢が口にした言葉。
 そして…彼らの末路…。

「『ミコト様』が…」
「え!?」

 驚きで目を見開くプライアデスをその場に残し、シェルクはクルリと背を向け路地裏目掛けて走り出した。
 慌ててプライアデスが追いかけてくる気配がするが、それにも頓着せず我武者羅(がむしゃら)に最奥を目指す。

 身体中が怒りで満ちていた。

 なぜ…!?
 なぜ私の前に現れてくれない!?
 彼らのような犯罪者…しかも『やむに止まれず罪を犯した』のではなく、『自ら進んで罪の世界に足を踏み入れた』人間の『願い』を叶え、『忠告』をする。
 彼らよりも自分の方が『彼女』を必要としているのに。
 それくらいのこと、『彼女』の力が本当ならとうに知っているはず!
 いや、絶対に知っている。
 でなくば、これだけ『無防備に見える』自分達に暴漢達が手を出してこない理由にはならない。
 それなのに…この前もそうだった、彼女は絶対に姿を現さない。
 影も……気配すら残していない。
 どう考えても……暴漢達より自分の『願い』の方が切迫しているのに。
 それなのに…どうして!?

 理不尽な怒りが身体の隅々にまで行き渡るような感覚に支配され、シェルクはまだ見ぬ女性に憤りをぶつけるかのように走り続けた。

「絶対に……絶対に見つけてみせる!」

 知らず知らずのうちに呟かれたその言葉は、風に乗って後方を走っているプライアデスの耳に届いた。
 その言葉に言いようのない不安が押し寄せる。

 シェルクが自分に同行してくれたのは『アイリ』が『ティファ』の恩人だからだと言った。
 そして、『アイリ』の大切な人間……つまり自分が危険な目に合うのが分かっているのに傍観するのがイヤだとも…。
 だが…。
 それだけが『同行した理由ではない』のだと漠然と悟る。

 目の前を疾走する華奢な少女の背中を見つめながら、プライアデスは不安そうに眉を寄せたのだった。





「おはようございます…と言うのも変ですね」
「「「「「!?」」」」」

 シエラ号のブリッジの扉が開き、今回の作戦のリーダーが現れた。
 驚愕で目を剥く英雄達と隊員に、シュリは青白い顔色のまま、
「あと少しで到着みたいですね。こんな時間だというのに皆さんには申し訳ないのですが、護衛をお願いします」
 自殺志願者のような言葉を口にした。

 ブリッジのモニターには、青白い月が浮かんでいた。





Back   Next   Top