ほら…。 もう少し…。 あと少しで……。 長年の望みが叶う……。 Fairy tail of The world 30「なぁなぁ…」 「……シーッ!」 「でもよぉ…」 「ああ…」 その日のセブンスヘブンは何かが違っていた。 ひそひそと交わされるやり取り…。 盗み見る眼差し。 そして…。 好奇の視線。 それは全て、セブンスヘブンの女店主とその恋人に注がれていた。 ティファにはその好奇の視線に曝される理由が思いつかない。 そして、クラウドはその視線に気付かない。 ただ…。 いつも以上に浮かれているように感じたのは…。 ティファと子供達だけでないことは確かだった。 いつもなら絶対に見せない笑みを、注文を聞いてきた女性客に薄っすらとだが浮かべて見せたり…。 料理を運ぶ足取りも……注文を聞くその姿勢も……。 どこかいつもよりも楽しんでいるように見えるのだ。 『なにか良い事あったのかしら…?』 ティファはその程度にしか思っていなかったが、客達はそうではないらしい。 クラウドのいつにない愛想のよさ。 それが更に客達のひそひそと囁く……居心地の悪い……ねとつくような空気(視線)へと拍車をかけた。 「ねね…どうしたのかな…?」 「うん……なんか……感じ悪いよね」 「ああ……」 子供達は顔を歪め、カウンターの中のそっとティファを見上げた。 ティファは、子供達の不安そうな視線にも、客達のチラチラと盗み見る好奇の視線にも当然気付いていた。 しかし、子供達の手前、また自分には全く心当たりがないことからそれらを無視する以外に他に手は無く…。 「ティファ、今夜は店を閉めましょう」 「え?」 ふいに声をかけられて驚いて振り返る。 薄茶色い短髪を翻し、シェルクがドアノブに『CLAUSE』の看板を引っ掛けに行く後姿があった。 「シェ、シェルク!?あの……ちょっと…!」 ティファの慌てた声にシェルクは全く止まる事なく、さっさと店の隅に置いていた看板を手に取った。 ティファを盗み見ていた客達は、当然だがティファが慌ててシェルクを追いかける姿を見ており、新しい看板娘が店を閉めるつもりなのだと気が付いた。 それと同時に、自分達へ射るような彼女の視線も…。 「あ〜っと…」 「今夜は俺っち用事がぁ…」 「あ、俺も〜」 「「「「「俺も〜」」」」」 「わ、私も……もうお腹一杯かな」 「私も…」 「クラウドさん、お勘定お願いします」 それからは慌ただしかった。 勘定を申し出る客が続出し、子供達とクラウドはフル回転でレジを回し、呆気に取られるティファを尻目にセブンスヘブンにはあっという間に閑古鳥が鳴いた。 「シェルク……」 「これ以上、あんな視線に曝される必要はこれっぽっちもありません」 諦めたように肩をすくめるティファに、シェルクはバッサリと切って捨てた。 ティファは「いや、まぁ…そう……かもしれないけど…」と、口の中でゴニョゴニョ呟いたが、ホッとした顔をする子供達に気付き、 『ま、いっか』 と、同じくホッとしたように微笑んだ。 正直、今夜の常連客達はこれまでのことを振り返ってみればみるほど、信じられないくらいに感じが悪かった。 いつもならさっぱりとしていて人当たりの良い客達が、誰もかれも『歯の間に何かが挟まったような』話し方をしたり、ジッと何かを探るような目で見てきたり…。 そのくせ、ティファと目が合うと慌てて逸らすのだ。 まるでそれは…。 自分がなにかやましいことをしているかのような……それを客達が好奇心から知りたがっているような…。 そんなイヤな気分にさせるものだった。 だが、だからと言って店主である自分が店を閉める……それらの視線から率先して逃げ出す事は出来ない。 シェルクがサッサと行動に移してくれて本音を言えばとても助かった。 クラウドはまだ分かっていないようで戸惑ったようにシェルクとティファ、更には子供達へと視線をめぐらせていたが、 「ま、たまには良いよな?」 両手を腰に当て、やはり機嫌良くカウンターの中に入っていった。 子供達が怪訝そうにその後に続く。 カウンターの中には、丁度作り終わった料理が(注文の品)が何品か湯気を立てていた。 「これを俺達の夕食にしようか」 「「賛成!!」」 デンゼルとマリンが笑顔で片手を上げて見せる。 子供達の頭を嬉しそうにポンポン叩いて、皿を手渡し、自分もグラスや飲み物を運びだした。 シェルクも黙ってそれらを手伝う。 ティファだけは、その気持ちの切り替えについていけず、困ったように立ち尽くす。 「ほら、ティファ」 「え……あ、うん」 自分を呼ぶクラウドがいつになく優しい目をしている様な気がして…。 ティファは自然と頬を緩めた。 その姿にシェルクも口元に笑みを浮かべ、クラウドを見た。 魔晄の瞳同士が合わさり、優しく細められる。 子供達がそんなクラウドとシェルクに少し驚いたような顔をしたが、すぐに笑顔を浮かべて嬉しそうに笑った。 その日の夕食は…。 店を営んでいる時に感じた『居心地の悪さ』を完全に払拭してしまうほど、幸福に満ちた時間だった。 ずっと…。 こうして生きていけたら…。 誰もがそう思えるような幸せがそこにはあった。 確かに……あった……。 「ずるいじゃねぇか…」 「………」 「あんなに良い女の心を手に入れてるのに、別の女にまで……」 「………」 「俺が……俺が一体どんな思いでティファを諦めたと思う!?」 「………」 「あんな…、あんな野郎だとは思わなかった!くそっ!!何が『ジェノバ戦役の英雄のリーダー』だ!!」 とっくに日付も変わった深夜。 夜の闇よりも深い闇。 月や星の明かりが届かない路地裏で、二つの影が闇の中にあった。 激昂する一つの影。 悔しそうに喚き散らし、地面を蹴りつける不快な音が路地裏に不気味に響く。 対するもう一つの影は、男の怒りなど全く関係ないかのように静かに……まるで彫像のようにそこに『在った』。 「お前…何でも出来るんだろ?」 イライラとうろつきながら男が先ほどから身動き一つしない『影』に向かって声を投げる。 「誰がそんな事を言いました?」 初めて聞くその声は、シンと冷えた感触を耳に与えた。 「誰…って、噂だよ、噂!」 心が萎えそうになるその女性の声音を払いのけるように大声を上げる。 しかし、怒鳴られた女性はこれっぽっちも動じない。 確かに目の前にいるのに、透明の壁が二人の間を隔てているかのようだ。 女性………『ミコト様』と呼ばれている女は青白い顔を半分闇に溶かすようにして、廃材の木箱の上に片膝を抱えるようにして座っていた。 「俺に払えるものは…何でも払う!だから…」 「『何でも』だなんて、軽々しく口にするべきではありません」 色で例えるなら『赤』と『青』。 激情に飲まれている男と、冷静な女。 興奮している男には、目の前で無表情に淡々とした態度を崩さない女の言葉など通じない。 「軽々しくなんかねぇ!ここに来るのに生半可な覚悟で来れるかよ!!」 自分の怒り。 自分の覚悟。 自分の想い…。 それらを全て否定されたような気がして、男はカッと怒鳴りつけた。 それでもやはり、『ミコト様』の態度は崩れない。 「あなたが払える『何でも』というものは、私にとっては価値がありません」 「な…!?」 「そんなに簡単に『払えるもの』などに、一体どんな価値があるというんです?」 「っ!!」 「『簡単に払えるもので、彼女の全てを手に入れる』など、虫の良すぎる話ですね」 「そ…!!」 「自分で何かをしようとしないで私のところに来ることが、『覚悟』なんですか?」 「そ…れは…」 「『ここ』に来る事自体は…まぁ、普通の人なら『ある程度の覚悟』が必要でしょう。それは認めますよ」 でもね…。 「あなたの望み。『ティファ・ロックハートを自分の女にする』ことを切望している男性が、どれだけエッジにいると思ってるんですか…?その人達の中で、彼女の心を手にする為に私の下を訪ねたのは……あなただけです」 他力本願とは…。 本当にくだらない……あなたという『人間』は……。 『ミコト様』の最後の言葉に、男はわなわなと震えると、 「この…よくも!!」 真っ赤な顔をして腕を振り上げた。 羞恥心と怒りに流されるまま、目の前の不遜な女を殴りつけようとする。 が…。 メキッ! 鈍い音が男の腕から響く。 それと同時に上がった絶叫。 地面をのた打ち回って折れた腕を押さえ、泣き喚く男を『影』は冷ややかに見下ろしていた。 「ほらね。中途半端な『覚悟』で『ここ』に来るからですよ」 激痛のあまり、意識が遠くなる。 鼓膜に身体中の血液がドクドクと脈打っている音が響く。 そんな中でも、その女の声は冷ややかに……しっかりと聞えてきた。 身体中から脂汗を噴き出させ、喘ぎながら見上げる男が意識を飛ばす寸前に見たもの。 それは。 遠くを見るようにほんの少し空を仰ぐ……紅玉の瞳。 「あぁ…、もうすぐですね…」 ポツリと呟かれたその言葉を最後に、男の意識はプッツリと切れた。 翌日。 シェルクは再びプライアデスと会っていた。 紫紺の瞳を困惑気に揺らす青年に、 「『ミコト様』にお願いするのは諦めましたが、アナタの手伝いをやめたわけではありません」 すっぱりそう言い切った。 「いや…でも……」 困りきってサラサラの黒髪を掻く青年にクルリと背を向けると、 「じゃ、行きましょう」 振り返って一言言うと、昨日同様さっさと路地裏に向かって歩き出す。 「いや…、本当にもう僕一人で…」 「ダメです」 「いや、ダメって言われても……シェルクさんに何かあったら大変ですから」 「自分の身は自分で守れます」 「えぇ…まぁ、お強いことは知ってます。でも…それとこれとは…」 「『違いません』し『別問題』でもありません」 「いや……あの……」 全く取り付く島もないシェルクに、完全に主導権を握られている。 プライアデスは天を仰いだ。 そんなプライアデスにシェルクは突然足を止めると真っ直ぐ見上げてきた。 「ライ」 「え!?」 突然名前で呼ばれたことに、プライアデスは仰天した。 これまで、彼女からは『バルト中尉』としか呼ばれていなかったからだ。 「ライ、アナタが私を心配してくれているのと同じ様に、私もアナタを心配しています。それに、きっとこんなことをしているとクラウドやティファが知ったら……デンゼルとマリンが知ったら……他の友人が知ったら、きっと同じように心配するはずです」 「シェルクさん……」 「でも、彼らは知らない。極秘任務ですからね。彼らは知らせてもらえないでしょう」 「……ええ…そうでしょうね」 「だから、彼らの分まで私が心配して、アナタを助けるべきだと思うんです」 「………でも…やっぱりそれは」 「もしもクラウドやティファ、それに英雄の皆が知れば、絶対に手助けをするでしょう。ノーブル兄妹が知ったら、リーブの命令を無視して一緒に調査をしてくれるはずです。アナタの傍を離れないはずです」 「……」 「でも、それは彼らには出来ない。その分、私が彼らの思いを受け継いでライの傍で手助けをしたいんです」 こんなに長くシェルクが話すのを聞いた事は一度もない。 しかも……。 こんなにも自分の感情を表してくれたのも…。 ましてや自分の事を大切だと…、友人として思ってくれていると告白してくれたことは一度もない。 胸の奥から熱いものがググッと込上げ、涙腺を刺激しそうになる。 慌てて俯いて、 「ハッ……なんて言うか……もう……」 そのまま声をなくしてクルッとシェルクに背を向けた。 勿体無い…。 その思いで一杯になる。 そこまで自分の事を心配してくれている人がいてくれる…。 その事実に……幸せすぎて……涙が出そうになる。 暫しの沈黙。 その間、シェルクは黙ってプライアデスの背を見つめていた。 やがて、両腰に手を当てて吹っ切ったように大きく息を吐き出し、シェルクへ向き直ったプライアデスは、深々と頭を下げ、 「至らぬものですが、今回の任務、よろしくお願いします」 そう言った。 顔を上げた青年が見たものは、魔晄の瞳をキラキラと輝かせ、口元に笑みを浮かべた可憐な少女だった。 「それにしても…」 「はい?」 「昨日のクラウドの事なんですが…」 路地裏を歩きながらシェルクが話を切り出した。 プライアデスは「ああ、あの事ですか」と、手をポンと打ち鳴らした。 「どうも……私達以外にも見ていた人がいたみたいなんです」 「…………………え…」 明るい顔から一転。 ビシッと青年の表情が固まる。 「そ、それは……」 「ええ、昨日のお店にその人達が来てました。」 「……ティファさんは大丈夫でしたか…?」 心配そうに眉根を寄せるプライアデスに、 「ええ、ティファはまだ良く分かってないようでしたし、昨日私達が見た『例のこと』はまだ耳に入ってないようです」 「……でも…時間の問題ですよね…」 「そうなんです。それが問題なんですよね……」 困ったようにシェルクは溜め息を吐いた。 「いっそ、ほとぼりが冷めるまでティファを他のところに移そうか…って思うんですが…」 「他の所…って、セブンスヘブン以外のところに住むってことですか?」 シェルクの提案にプライアデスは目を丸くした。 だが、すぐに「それが良いでしょうね」と同意を表明する。 「なんなら、僕の実家で過ごして頂いても構いませんしね」 「そうですね。ライのご実家なら沢山お部屋があるでしょうから、クラウドとティファ、デンゼルとマリンの四人くらいは大丈夫でしょう?」 「ええ、問題ないです」 あっさりと頷いた大財閥の子息は、次の瞬間顔を曇らせた。 「ということは、やっぱりシェルクさんは……」 「私はWROの姉のところに行く事にします」 これまたあっさり、シェルクはプライアデスの考えを肯定した。 ようするに、絶対に何が何でも青年の任務の手伝いから手を引くつもりなど、爪の先ほどもないらしい。 青年は苦笑はしたが、先ほどまでのように溜め息を吐くことは無かった。 そんなやり取りをしながらいつしか二人は、『ミコト様』が現れるという場所までやって来ていた。 ガランとした路地裏にポッカリと出来た空間。 そこにはいつも、廃材の木箱や要らなくなった家電製品、そして薄汚い建物の壁やその壁にスプレーで乱雑に描かれた絵とも文字とも取れない意味のない落書き。 本当に…いつもならそれしかないというのに…。 「「!?」」 廃材の木箱の前で、一人の男が倒れていたのだ。 二人は何も考えずにその男に駆け寄ると、まず脈を取る。 幸い、右腕の骨折だけで他には外傷がないようだ。 ただ、右腕の骨折の激痛で気を失ったらしい。 シェルクが携帯でWROの姉に連絡し、隊員と救急車を手配してくれるよう依頼している傍で、プライアデスは腰に巻いていたポシェットから治療セットを取り出し、一先ず傷の手当を試みる…。 しかし、右腕の骨折を調べているうちに、段々とその表情が困惑に曇ってきた。 「どうしたんですか?」 青年の表情にシェルクが眉を寄せる。 プライアデスはホトホト困りきったような顔で見上げた。 「ないんです、外傷が…」 「…え!?」 「どうやって…折れたんだろう……」 青年の呟きが重たく落ちる。 それでも落ちていた木切れで患部を固定し、包帯を巻くという処置はした。 その間、男が意識を取り戻す事は無かった。 この処置は激痛を伴う。 それなのに、目が覚めないということは……おかしい。 プライアデスはもう一度脈を取った。 傷を負っているため、若干その脈は速いが、乱れている事もなくしっかりしている。 呼吸も……まぁ荒いが正常だろう。 「どうなってるんでしょう…」 シェルクの困惑した声が少し震えているように感じたのは気のせいではない。 おかし過ぎる。 何故こんな所で、外傷も無く骨折!? かすり傷一つ無く骨折する意味が分からない。 と、その時。 プライアデスの脳裏に一つの可能性が閃いた。 この目の前の男…。 もしかしたら……。 その考えを口にすべきかどうか、青年が迷っている間にシャルアが手配してくれたWRO隊員と救急車が近付いてきたというサイレンの音。 シェルクは身を翻して隊員達を誘導すべく路地裏へと駆け出す。 結局。 プライアデスは話す機会を失ってしまった。 |