「おや、ご機嫌だね、サロメ」
「ふふ。良い事があったんです」
「ほぉ…そりゃなんだい?」
「ふふ。ご恩のあるおじ様とおば様でも…今は内緒です」
「まぁ」
「おやおや、そりゃ残念だ」
「ふふふ。でもきっと近いうちにご報告します」
「「………」」
「あぁ、自分の事を思い出したわけじゃないですよ」
「あ、ああ…いや…別に私らは…」
「いや、サロメが自分の事を思い出して欲しくないとは思ってないさ…うん」
「ふふ。ちゃんと近々ご報告します」
「ああ、そうかい」
「楽しみにしてるよ」
「はい!」


 ……楽しみにしてて下さいね……。



Fairy tail of The World 31




「え…?」

 シェルクから持ちかけられた話にクラウドは途惑った。
 困ったように眉根を寄せて真っ直ぐ自分を見上げてくる少女を見る。
 強い意志を込めて見つめ返すシェルクに、中途半端な考えで『その話し』を持ち出したのではないと悟った。
 しかし…。

「どうやってエッジからティファと子供達を連れ出すんだ…?」

 困ってそう問うと、
「それは……まだ考えてませんが…」
 言葉を濁しつつも、その瞳はそらされることは無かった。

「今、ティファと子供達が『ここ』にいて良い事は一つもありません。理由は…言わなくても分かると思いますが…」
「………まさか…」
「ええ、その『まさか』です」
「………………………………」

 シェルクが重々しく頷き、クラウドは絶句した。
 大きな溜め息を吐いてドサッとベッドに腰を下ろす。
 普段はあまり使われていないクラウドの事務所にあるベッド。
 今ではティファの部屋で寝ることが多いので、この部屋で寝るのは深夜か早朝の帰宅の場合のみ。
 そんな部屋で、シェルクとクラウドはティファと子供達の目を盗むようにして話をしていた。
 子供達は外へ遊びに。
 ティファは買出しに出かけていた為、二人の行動を不審に思う者は誰もいないのだが、念には念を。
 いつ、誰が帰宅するか分からない為、こうしてクラウドの事務所で話をしているというわけなのだが…。

「参った……」
「ええ、本当に…」
「…………全然気付かなかった…」
「でしょうね…」
「…………」
「…………」

 そのまま暫しの沈黙。

「やっぱり……きちんとケジメって言うか、話しをつけないと……ダメだろうか…?」
「……私はこういう『男女間』のことはよく分かりません」
「……俺もそんなに詳しい…ってわけじゃない」
「……まぁ、そうでしょうが…」
「………大切に想っていることに変わりはない」
「…ええ、分かってます。でも、それがティファにどう伝わるかは……」
「……参った…」
「本当に…」

 またもや沈黙。

「俺は…「クラウド」
 頭を抱えて言葉を紡ごうとしたクラウドを遮り、シェルクが口を開いた。

「どんな結果になっても…私にとってはクラウドもティファも大事な人に変わりはありません。人の心は移ろいやすいもの。クラウドが今、悩んでいるのも、当然だと思います」
 私がエラそうに言える立場にはありませんが…。

 そう尻すぼみに呟くシェルクに、クラウドはノロノロと顔を上げた。

「いや……本当にすまないと思ってる。シェルクにもライにも気を使わせて…。でも……」

 苦しそうに再び俯いたクラウドに、シェルクは少し悲しそうな顔をした。

「クラウド。昨日、ライも言いましたが仕方ありません。『人の心は強くて脆い。だから、クラウドを責める事は出来ない』…と」
「…………」
「私は……。クラウドにもティファにも幸せになって欲しい。本当の意味で、幸せになって欲しいんです。だから、その為にもティファと子供達はすぐにでもエッジから離れるべきです」
「………シェルク…」

 はっきりとそう言ったシェルクに、クラウドはグッと言葉を詰まらせた。
 そして、眼を瞑って……。


「そうだな…シェルクの言う通りだ」


 再び開かれた魔晄の瞳には、いつもの強い光が宿っていた。





「よぉ、ティファちゃん。今日は一人で買い物かい?」
 エッジの市場を歩いていると、幾人もの顔馴染みが声をかけてくれる。
 その度にティファは笑顔でそれに応えていた。
 そのうちの一人がこう言ってきたのに対し、ティファはこれまた変わらず「ええ、これくらいの買い物は私一人で大丈夫だもの」と笑顔で返した。
 しかし、その八百屋のオヤジはちょっと顔を顰めると、そのまま歩き去ろうとするティファを手招きして呼び寄せた。
 キョトンとしながらそれに応じ、八百屋の軒先に入ると、オヤジは大きなお腹を軽く揺すりながら近寄り、声を潜めた。
「あのよぉ…ちょっと言いたかないんだが…」
「…?」
「その…クラウドさんとは……上手くいってんのかい…?」
「え…?」

 突拍子も無いその言葉。
 脳に届いて処理されるのに暫しの時間を要した。
 八百屋のオヤジの心配そうな顔……その表情の裏に見え隠れする『好奇心』に、ティファの脳が漸く目の前の中年男が何を言わんとしているのかを理解した。
 同時にカッと頭に血が上る。

 無言で眉を吊り上げたティファに、オヤジは慌てて手を振ると、
「違うって!ちょっと小耳に挟んだ事があったから」
 早口で弁解した。
「…なにを?」
 まだオヤジを睨みながらも、その『小耳に挟んだ話』とやらに心が騒ぐ。
 八百屋のオヤジは客を奥さん一人に押し付けるようにしてティファに続きを話した。
 オヤジの肉厚の太い肩越しに、奥さんのジトッとした目が見える。
 ティファは内心、奥さんに頭を下げながらもオヤジが話す『小耳に挟んだ話』に耳を傾ける事を選んだ。

「昨日さぁ…、魚屋のオッサンが見たらしいんだ…」
「…何を?」
「クラウドさんが……その……」
「………」

 言いよどむオヤジにイライラが募る。
 それと同時に急速に不安が胸いっぱいに広がった。
 比例してオヤジを睨む眼力が強くなる。
 冷や汗を浮かべ、オヤジはゴクリと唾を飲み込んで言葉を続けた。


「その……若い美人と一緒にいたって…」


 表情を変えなかったことを褒めてもらいたい。
 見た目は完璧に無表情を保てたはずだ。
 だからこそ、『とっておきの内緒話』を聞かせたつもりになっていた八百屋のオヤジも拍子抜けしたような顔をしたのだろうし。
 だが…。

「きっと、仕事関係の人だと思うわ。だって、エッジって美人な人多いし、クラウドだっていくら無愛想が服を着て歩いているような人でも仕事が絡むとある程度は愛想を振りまけるようにまで進歩したんだもの」

 口をついて出てくる言葉とは裏腹に、頭の中は真っ白になっていた。
 よくもまぁ、スラスラとあれだけの台詞を吐けたものだ。
 自分で自分を褒めてしまう。
 心臓が激しく鼓動を打ち、口の中が急速に乾いていく。
 手足が震えそうになり、目が泳ぎそうになる。
 それらを必死にひた隠してティファは白けた顔をするオヤジに背を向けて立ち去った。

 その後、ティファはひたすら脇目も振らずに歩いた。
 家路までの距離が異様に長く感じられる。
 そして…。
 その間、向けられる通り過ぎる人々の視線が痛い。
 気にしすぎなのだろう……そうに違いない。
 しかし…。
 そう思う一方で、昨夜の客達の反応がまざまざと思い出される。
 今なら分かる。
 どうしてあんなに皆、よそよそしい……好奇に満ちた視線で嘗め回すように見ていたのか。
 そして…。

 クラウドの……楽しそうな表情……。

 昨夜の彼の様子を思い出し、足が止まる。


 だから……なの……?
 その『美人』と会ってたから……あんなに楽しそうだったの?
 ううん、そんな事ない!
 クラウドに限ってそんな事…!!
 だ、大体、クラウドはそんなに器用じゃないし……。
 そ、そりゃ…私とクラウドはまだ…なんにも『確かな約束』を交わしたわけじゃないけど…でも…。
 でも……。
 でも…そう言えば、シェルクが家を出てからクラウドも……どこかに……。
 帰ってから…特に変わったことは……。
 変わったこと…?
 そう言えば……。


 どこか…楽しそうに口元を緩ませていた…ような気がする。
 しかし、仕事から帰宅した時に見せてくれる顔となんら変わらない。
 そう……変わらない……はず……。
 でも…本当に…同じだった?
 いつもと同じだった?
 なにも…変わってなかった?


 どんどん思考は暗くなっていく。
 一つ転がり始めたら歯止めが効かない。
 ティファはしゃがみこみそうになる足に力を入れ、グッと奥歯をかみ締めて歩き出した。


 そう、聞けば良いのよ。
 昨日、どこに何をしに行ったのかを。
 何も疚しい(やましい)事がないなら教えてくれるはず。
 だけど…まるで……。

 浮気を疑ってるみたいで……イヤだ……。
 でも…だけど……!!


 知りたい…。
 本当はどうなのか…。
 クラウドの心は……ちゃんと私に『ある』?
 ねぇ、クラウド。


 心が張り裂けんばかりに悲鳴を上げている。
 ティファはズクズクと痛む胸を周りの人間に悟られないよう、いつも通りの表情をかろうじて保ちながらひたすら足を動かし続けた。



 そうして、やっとの思いで帰宅した直後…。

「ティファ、突然だけど暫くカームで暮らさないか?」
「え…?」

 突然切り出されたその言葉に、ティファは何を言われているのかすぐには分からなかった。

 真剣な顔をして自分を見つめる魔晄の瞳が、今は何だかやけに歪んで見える。

「な…んで…?」
「いや…それがさ…」

 その後…。
 クラウドがカームに移る理由をなにやら言っていたようだが、ティファの頭には何も入ってこなかった。
 唯一理解出来たのは…。

「クラウドも…一緒にカームに移るのよね?」
「ああ、勿論だ」
「どこにも…行かないわよね?」
「ティファ?」
「私達を置いて…どこにも行かないわよね?」
「ティファ……」

 何度も何度も自分達から……自分から離れないと言ってくれるクラウドの言葉と悲しそうに歪められる顔(かんばせ)。
 そんな彼に胸が痛む。
 彼を悲しませている自分に腹が立つ。

 それでも…!

 それでもティファは繰り返し繰り返し訊ねずにはいられなかった。
 何度聞いても…不安が消えない。
 市場で聞かされた噂話しが蘇える。
 昨夜の客達のよそよそしい態度が脳裏をよぎる。

 また…。
 また、一年前みたいにいなくなってしまったら…?
 あの時は、ただもう夢中だった。
 星痕症候群に苦しむデンゼルと、今よりも幼いマリンを守る事に。
 生きていくことに……必死だった。
 それになにより、理由は分からなかったが家出をしている時、クラウドには『女の影』は全く無かった。
 不自然なほど……なかった。
 だからこそ…逆に安心もしていたのだ。

 自分に飽きたのではない……と。

 だが、今回は違う。
 もしも今度、クラウドが自分の前から消えてしまった時。
 恐らく……きっと、彼の隣には自分以外の『女』が立っているのだろう。
 それも……『とびきりの美人』が。

 そうなったら、彼は…帰ってこない。


 二度と……。


「ねぇ…クラウドも……一緒……よね……?」


 何度も同じ事を訊ねるティファを、魔晄の瞳が戸惑いながら……そして悲しそうに揺れながら見つめていた。





「俺は…間違えたのかな……」

 腕の中で眠る愛しい人を見つめながらクラウドは呟いた。
 整った彼女の眉が悲しげに寄せられている気がするのは…気のせいだろうか…?
 いつもよりも……彼女が必死にしがみついてくるのに気付かずにはいられなかった。

「こんなはずじゃ…なかったのにな…」

 そっと黒髪を撫でる。
 滑らかな頬に指を沿わせ、濡れる痕を辿る。


「ごめんな……ティファ…」


 囁かれた謝罪は、肝心の彼女には届かない。
 クラウドは華奢な身体を抱き寄せてそっと目を閉じた。

 苦い思いを胸に抱きながら…。



『ティファがアイリさんに助けられたことがどこかからバレたみたいなんだ』
『………』
『それで、ティファを物珍しそうに見に来る奴らがいるって情報が入ってさ』
『………』
『だから、ほとぼりが冷めるまで、ライの実家が所有している別宅に移ることにしたんだ』
『………』
『シェルクはシャルアさんのところに行くって言ってた』
『………』
『でも…その、俺達はそうもいかないだろ?』
『………』
『あっと…その…、アイリさんはWROの施設にいるからバカな連中は来れないけどさ、うちはそうもいかないし、子供達も危ないかもしれないし』
『………』
『あの…だから……。ちょっとの間だけ、エッジから離れないか?』
『………』
『デンゼルとマリンにはもう話してて、二人共納得してくれてる…』
『………』
『なぁ…ティファ?聞いてるか…?』
『……クラウド…』
『ん?』
『本当に…それだけ?』
『え?』
『ねぇ…本当にそれだけの理由…?』
『あの……なにが…?』
『エッジを離れる理由…』
『え……!?』
『ねぇ……クラウドは……どうするの…?』
『俺…?』
『クラウドは…エッジに止まるの…?』
『いや、俺も勿論一緒に移るよ…』
『本当に…?』
『…ティファ…?』
『クラウド…本当に…一緒にいてくれるの…?』
『…ティファ…どうしたんだ…?』
『…クラウドは…本当は…』
『…ティファ…なにか…あったのか…?』
『ねぇ、本当に…一緒にいてくれる?』
『………ティファ』
『どこにも行かない?』
『………傍にいるよ』
『もう…どこにも……私を置いて行かない…?』
『………ティファ…』
『私は……もう……置いて行かれるのは……!!』
『ティファ!!』
『いや……』
『ティファ、ごめん、悪かった…』
『ヤダ……!!』
『どこにも行かないから!傍にいるから!!』
『イヤ……ヤダーーー!!!!』
『ティファ、本当にあの時は悪かった!!』
『クラウド!どこにも行かないで…傍にいて!!』
『ティファ…』
『お願い……傍にいて……?……お願い……』
『ティファがイヤだって言っても…傍にいるから…』



 なぁ…。
 どこで俺は間違えた…?
 一体……どこで……。




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