どこをどう歩いたのか分からない。

 頭の中はたった今、目撃してしまった衝撃のシーン。
 愛しい人が自分以外の人に……。


 夢見心地で歩く。
 勿論……悪夢だ。

 気が付けば……。
 彼女は自宅兼店に戻っていた。



Fairytail of The World 38




 暫くはボーっと店の椅子に腰掛け、窓の外を眺めていた。
 シン…と静まり返った店内はやけに広く…そして冷たく感じられる。

 頭がボーっとする。
 グルグルと脳内を駆け巡るのは同じシーン。
 同じ顔。


「エアリス…」


 意識せずに洩れた親友の名前。
 ズキズキと痛んでいた胸は、新たな痛みを生む。
 彼女は自分にとってもクラウドにとっても…特別な人だった。
 ただの『仲間』というだけではない。
 それ以上に…もっと…、もっと深いもの。


『恋敵(ライバル)』


 少なくともティファはそう感じていた。
 いや…ライバルになるには自分はあまりにも……『役者不足』だった。
 彼女と張り合えるものは……………なにも持ってない。

 だからこそ、彼女がクラウドに好意を示していると感じるとき…。
 彼が穏やかに微笑む姿を見せるとき…。

 二人の輪に入っていくことが出来なかった。
 他の仲間達は普通にその輪に入っていっていたのに…。

 いつも元気一杯なユフィ。
 少しだけ幼く、甘え上手で優しいナナキ。
 ぶっきらぼうで一直線、曲がった事が大嫌いだけど人を思いやる心に熱いバレット。
 口は悪いが人が好いシド。
 デブモーグリを操りながら、星の為に神羅と自分達の間で苦しみ、そして決断した心の強いリーブ。
 そして。
 寡黙でその胸には癒えることのない傷を負っているが故に、大切と思うものをなによりも守ろうとするヴィンセント。

 二人の輪に、仲間達はいつも自然に笑顔で加わり、自分が遠巻きで見ているのに気付いて手招きしてくれていた。
 二人は…そんな仲間達にようやく自分を思い出して……笑顔を見せてくれたのだ。

 そう。
 いつも…一歩も二歩も…距離が空いていて……。
 目に見えない壁が間にあるような気がしていた。
 その壁を張り巡らせていたのが他ならぬ自分だったと気付いたのはいつだっただろう…?

 気が付いたら……気付いていた。

 変な表現だが、これが一番しっくりくる。
 ただ、気が付いた時には、彼女は星に還っていたということだけがハッキリと分かっている。
 だから…というわけではないが、彼女への思いはただの『ライバル』という言葉では到底追いつかないものがある。
 もっともっと、自分から彼女に積極的になれば良かった。
 勿論、これ以上ないくらい『親友』として信頼していた。
 いや、今もしている。
 年下のユフィとはまた違った意味で、彼女の事を大事な『親友』だと…。
 だが、それ以上に…もっとこう……。

 魂の繋がり。
 血を越えた繋がり。

 そういうものを彼女に求めても良かったのに…と思う。

 同じ人を愛した女として…。
「あぁ…でも、エアリスはクラウドの中にザックスを見てた…って言ってたっけ……」
 ライフストリームからクラウドと共に帰還した後、彼がそう言っていたことを思い出した。


 ― だから、エアリスは本当の俺に会う事は一度も無かったな… ―


 彼の寂しそうな声が蘇える。
 その時は、自分を取り戻したクラウドを彼女と一緒に祝いたかった…と思った。
 だが今は?
 本当にそう思える?

 公園のベンチでエアリスに瓜二つの女性と一緒にいたクラウドを目の前にした今、当時思ったように『一緒に祝いたい』と思える?


 否。


「無理……だよ……」

 言葉にして、胸の傷がいっそう疼く。
 それでもティファはボーっとした表情を変えなかった。
 虚ろな瞳に夕陽が差し込むが、夕陽を映してはいない。
 何も……見ていない。
 心からは確実に血が流れているのに、彼女は力尽きたようにただただぼんやりと窓の外を眺め続けた。

 どれくらいの時間が経ったのか…?
 ふいに、店の電話が大音量で鳴り響いた。
 ビクッと身体を震わせて我に返る。
 大音量に聞えた電話の音は、実際はいつもの音量と変わっていない。
 ドキドキと一気に鼓動が早くなるほど驚いたのは、店内が静まり返っていたことと、ティファがどれほど現実から離れたところに心を飛ばしていたのかという証明でしかない。
 慌てて椅子から立ち上がった。
 が、その直後に両膝に激痛が走り、派手に転倒する。
 ジーンズの膝部分が左右両方とも酷く破れており、そこから乾き始めている血が布地にしみこんでいた。
 店に戻るまでにどこかで転倒したのだ。
 よく見れば、買ったばかりのカットソーの裾にも泥が跳ねていて汚れていた。
 そのことに今更気付いたことに、軽く驚く。
 どれだけぼんやりしていたのだか…。
 そんな事をのんびりと考えている余裕はない。
 床に転がり、起き上がるのに悪戦苦闘している間にも電話は鳴り響いていた。
 苦痛で顔を歪めながら、ヨロヨロと歩き、電話を取る。
 途端。

『あ〜!!ティファが出た〜〜!!』
『本当!?』
『よ、よ、良かった〜〜!!』

 マリン、デンゼル、リリーの歓喜の声が耳を直撃した。
 思わず顔を顰めて受話器を離す。

「なに?」
『なにじゃないよー!!全然携帯出ないから心配したんじゃないかーー!!!』

 息子の叫び声に、アレ?と自分の周り、そして店内を見渡す。
 いつも着ていた服の入った紙袋がない。
 今着ている服を買ったときに、着ていた服といっしょに携帯やバックを入れていたのだ。
 ただ、車のキーと一緒になっていた自宅の鍵はジーンズのポケットに突っ込んでいた為、ドアの前で締め出しを食らわなくて済んだのだと気づく…。
 財布も……当然だがなくなっていた。

「あ……ごめん、車の中に置きっぱなしだったわ」

 咄嗟についたウソがいつまで続くだろう…?
 ぼんやりとそんな事を思いながら、未だに電話の向こうで自分の身を案じていた子供達の泣きそうな声を聞いていた。

『もう!本当に心配したんだからな!!ってちょっと待てよ〜!』
 デンゼルがまだ文句を言い足りない…と言わんばかりに声を上げていたが、次に聞えたのは、
『もうダメ!交代!!』
 というマリンの高い声。

『ティファ、本当に大丈夫!?』
「うん、大丈夫。ごめんね心配かけて」

 全然大丈夫なんかではないくせに、口から出た台詞と声は、自分でも驚くほど淡々としていて明るく、本当に何でもないかのような響きを持っていた。

『もう、すっごく心配したんだから!!』
「うん、ごめんごめん」
『それで、忘れ物は見つかったの?』

 マリンの質問にドキッとする。
 そうだった。
 忘れ物を取りに帰る…という理由でカームを飛び出したのだ。

 ……クラウドの後を追うかのように……。
 まぁ、実際クラウドの後を追いかけていたわけだが…。

 そこまで考え、ティファの心がまた軋んだ。
 脳裏に、公園での愛しい人と親友に瓜二つの女性の姿が蘇える。

『ティファ?』

 不審そうな娘の声。
 ティファは慌てて「なんでもないよ。実はまだ見つからないの」と、これまた咄嗟にウソをついた。
 下手に『見つかった』と言ってしまったら、すぐにでもカームに戻らなくてはならなくなる。
 まだ……子供達の顔を見ることは出来ない。
 まだ……子供達に自分の顔を見せることは出来ない。
 それだけの余裕など…取り戻せていない。

『なにを忘れたの…?』

 打って変わった静かな声。
 マリンは鋭く…そして聡い。
 恐らく、咄嗟に付いた嘘を見破っているのだ。
 そして、小さな胸を不安で一杯にし、一刻も早く戻ってきて欲しいと願っている。
 ティファはその気持ちを察しながらも、
「うん…前に撮った家族写真。折角だから部屋に飾りたいじゃない?それに……」
『それに…?』
「実は二人には内緒にしてたんだけど……へそくりをちょっとね」
 おどけた口調でそう返す。

 へそくりは本当だ。
 子供達の将来の為に、クラウドと二人でコツコツと貯めていた貯金。
 それを取りに来た…というのは勿論口実だが、こうなってしまったらバラしてしまったことを許してもらいたい。

『へそくり〜!?』

 案の定、マリンは素っ頓狂な声をあげ、その後ろでデンゼルとリリーの驚く声が聞える。

「だって、暫くはクラウドの配達の稼ぎだけで生活するわけでしょ?そりゃ、生活に困る…ってこともないけど、やっぱりいざって時にある程度手元に無かったら困るじゃない?」

 この説得は力があった。
 マリンは『そっかぁ…じゃあしょうがないよね』と、渋々ながらティファがエッジへ舞い戻った理由を受け入れた。
 ティファはホッとした。
 これであとは…。

「今日はもう帰るには遅いから、ここに泊まるね」

 途端に上がった抗議の声。
 この問題をクリアしたら思う存分これからの事を考えられる。
 これからの……彼との生活を…。

「だって、気がついたらこんな時間だし。今すぐカームに向かっても夜中よ?」
『あ……』
 ティファが言わんとしている事に気付いたマリンが小さく声を漏らす。
『そっか…そうだよね。うん、危険だよね』

 沈んだ声をする娘に…そしてそれと同じ位苦しんでいるであろう息子に、言いようもない罪悪感が胸を締め付ける。
 でも…。
 可愛い子供達を傷つけると分かってても……帰りたくない。
 ティファは虚ろな目をしている人間が発するとは思えない程、明るく言った。
「うん、だからここにいた方が安全だし。それに、クラウドがカームに帰るでしょ?だから二人の事は心配してないしね」
 一息入れて言葉を続ける。
「あ、それからクラウドには私がエッジに忘れ物取りに行ったって言うのは内緒にしてて」
『え〜!?そんなの無理だってば〜!!』
『どうやって説明すんだよ!!』
 続け様にデンゼルの抗議まで聞こえてきたということは、携帯に耳を寄せて今の会話を聞いていたことになる。
 二人仲良く、顔をくっ付けて話を聞いている姿を想像し、薄く笑みが浮かんだ。
「大丈夫よ。今日はWROの医療施設に行ったことにしておいて。退院してから一度もまだ行ってないし」

 じゃあ、お願いね。


 子供達の返事を聞かずに受話器を置き、ティファは薄い笑いを浮かべたままズルズルとしゃがみ込んだ。
 カウンターの柱に背を預け、膝を抱え込む。
 膝は曲げても伸ばしても痛みを主張し、『生きている証』として精一杯自分の存在をアピールする。
 だが、膝を抱えて小さく床に蹲り、もうピクリとも動く気力は……なかった。

 酷く空虚だった。
 子供達と言葉を無事に交わしたのは、一種の『習慣』のようなもの、『条件反射』のようなものだ。
 ティファの顔をもしも見ることが出来ていたら、子供達は絶対に騙されなかっただろう。
 だが、不幸なのか…それとも幸運か。
 ティファの周りには……誰もいなかった。
 一人きり…。
 さして広くもない店内だが、一人には……広すぎる。
 そして何より…心が寒い。
 寒くて痛くて、苦しくて悲しくて、ただひたすら『己の存在』を呪った。


「エアリス…」


 亡き親友の名を呼ぶ。
 決して、公園で見た瓜二つの女性ではない…本当の親友の名を…。

 エアリスはザックスを愛していた。
 恐らく、ザックスもエアリスを想っていただろう…。
 二人は……相思相愛。
 そして二人共、悲劇的に人生の幕を下ろした。

 似たような……二人。
 二人共、太陽のような人だった。
 誰もが惹き付けられずにはいられない…そんな二人。
 その二人にクラウドは心惹かれた。
 ザックスには信頼を…。
 でも…エアリスには……?


「分かってたことじゃない…」


 力なくこぼれた言葉。
 静まり返った店内には大きく響く。
 ティファの顔に自嘲気味た笑みが広がった。


 そう…分かってた。
 彼の心には彼女がずっといたのだと…。
 エアリスを失ったクラウドの心には大きな空洞が出来た。
 その穴を埋めようと……一生懸命頑張った。
 彼に幸せになって欲しかったから。
 彼の幸せが、自分の幸せだから。
 でも………。

 その穴は、結局三年以上経った今でも埋めることが出来なかったのだ。
 その証拠が先ほど見た光景。

 三年以上、ずっと傍にいたのに…。
 ずっとずっと、誰よりも傍にいて、彼を見て、彼を想って、彼を愛して…。
 それなのに…。

 たった数日前に出会った女性に彼の心は奪われた。
 そう、それはもうあっさりと。


「ふふ……バカみたい……」


 涙は出ない。
 悲し過ぎたり、大きなショックを受けると涙すら出ないのだと初めて知った。

 ティファは小さく笑い続けた。





「なぁ、ちょっとおかしくないか?」
 シエラ号の艦長室で、シドが首を捻りながら仲間に声をかけた。
「なにが〜…?」
 疲れ切った声をしてユフィが気のない返事を返す。
 皆、疲れ切っていた。
 旧・ミディールでのミッションを終え、今はエッジに向かっているわけだが、先ほどの衝撃的過ぎる場面に頭と心が全くついていけていない。
 唯一説明できるはずの人間は、あの衝撃的なシーンの直後から意識を失ってしまい、まだ目を覚ましていない。
 というわけで、仲間達は自分達の想像できる範囲であぁだ、こうだと討論し、結局どれもこれもしっくりこないことばっかりで疲れきって口を閉ざしたのだった。
 しゃべり疲れたシドが、何気なくパソコンをチェックして投げかけられたのが今の『ちょっとおかしくないか?』なのであるわけだ。

 普段、あまり使わない頭を使ってすっかりやる気のなくなったユフィを尻目に、ナナキは新しい問題勃発か!?と、軽快にシドの元へと駆け寄る。
 そして、シドの膝の上に前足を置いてパソコンの画面を覗き込んだ。
 ナナキの隻眼が点になる。

「な?おかしいだろ?」
「うん……どういう意味、これ……?」

 首を捻る仲間達に、元来好奇心旺盛であるユフィも気になった。
 けだるそうに椅子から立ち上がり、二人の元へと向かう。
 そして…。


「なに……これ……?」


 ナナキよろしく、目が点になる。



 ― そちらの事情は分かりました。任務を続けて頂く方向で結構です。ですが、出来ればそちらの人数を割いてエッジの応援に回して頂けないでしょうか?恐らく、ティファさんに何も知らせない状態で我々だけで身辺警護をすることは難しいでしょう。検討を願います。  リーブ・トゥエスティ ―



「えっと……。これってさぁ、リーブはおいら達がエッジに帰ろうとしてること、知らないってことだよね?」
 躊躇いがちに言うナナキに、シドが眉間のシワを深くした。
「十中八九、そうだろうぜ…」
「え…?でもさぁ、これっておかしいじゃん!アタシ達が任務を遂行する…ってリーブに連絡したみたいになってない?それに……ティファが狙われてる…っていう事もリーブに教えたって感じが……」
 混乱しているためかいつもよりも声が上ずるユフィに、シドはイライラと席を立った。
「シュリは『闇が介入するから携帯もコンピューターも使えない』って言ってた。だから、ヴィンセント達が先にエッジに戻ったんだ。それなのに……俺達の動きが読まれてやがる!!」
「「 !! 」」

 シドの言葉に、ユフィとナナキはギョッと身を震わせた。
 シドは落ち着きなく艦長室をウロウロと動き回る。
 咥えたタバコの灰が、ポロポロと床に散る。

「だーーっ!くっそ、どうしたら良いんだよ!!」

 床を蹴りつけるように踏み鳴らし、頭を掻き毟る。
 既に、シエラ号はこれ以上ないほどのスピードでエッジに向けて飛んでいる。
 これ以上のスピードは出ない。

 ユフィもナナキも、言葉もなくパソコンの画面を見つめ続けた。
 まるで、メールの文字が変わってくれるのを願うかのように…。


 時間がのろのろと過ぎていく。
 シエラ号で仲間達が焦燥感と不安に駆られている時、ティファは冷たい店内の床で膝を抱えて座り込んでいた。
 そして、そんなティファの元に…。


 コンコンコン…。


「ティファさん…、こんなところにおられたんですか…」


 安堵の表情を浮かべ、WROの隊服に身を包んだ隊員が一人、セブンスヘブンを訪れた。




Back   Next   Top