「あ……」

 ゆっくりと近付いてくるその隊員に、ティファはぼんやりと顔を向けた。



Fairy tail of The World 39




 自分に安堵の表情で近付いてくるベージュの隊服に身を包んだ若い男性。
 ティファはその顔に最初、ピンと来なかった。
 だが、相手は全く躊躇せず、
「本当に良かった…。携帯の電波を走査していたのですが一箇所にずっと止まってるから何かあったのかと心配しましたよ」
 人懐っこい笑顔で近付いた。

「え…?」

 掲げられた彼の手には、見たことのある紙袋。

「道端に落ちてました。もう、本当に肝が冷えましたよ」
 肩から溜め息を吐いてみせる隊員に、ティファはそれが自分の落とした紙袋だと漸く気付いた。
 のろのろと立ち上がり、
「ありがとう…」
 緩慢な動作で手を伸ばす。

 と…。

 スッとその手は避けられ、代わりに隊員が突然ティファを抱きしめた。
 あまりの唐突なことに頭が着いていかず、真っ白になる。

「ティファさん…」

 耳元で聞える、聞きなれない男の声。


 ゾクッ!!


 ティファの全身に寒気が走った。
 思わず鳩尾に一発入れそうになるティファに、隊員は益々ギュッと力を込めて身体を密着させる。

「な、ちょっと…!」
「ティファさん、俺にもチャンスをくれませんか?」
「え……?」
 カッとなった頭が急速に冷めるその台詞。

『チャンス』とは…なんのこと…?

 ピタリ…と、動きを止めたティファに、隊員は続けた。

「ティファさんはいつもクラウドさんに一生懸命尽くしておられた。俺は…ずっとそんなアナタを見てきました。勿論、ティファさんが俺の事を全く見ていなかったことくらい分かってます」

 僅かに身体を離して、目を見開いているティファを見る。
 ティファは硬直したまま青年を見上げた。
 悲しそうに歪められた顔には……確かに覚えがある。
 だが、どこの誰でいつ会ったのかは……思い出せない。

 うろうろと青年の顔を彷徨うティファの茶色の瞳に、隊員は苦い笑いを浮かべた。

「俺は…WROの通信士です。リーブ局長の傍で何度かお会いしました」
「あ……」

 言われてティファは、いつもリーブの後方で黙々と任務をこなしている青年の姿を思い出した。
 名前は………知らない。
 青年は小さく溜め息を吐いた。

「すいません、本当は…気持ちを打ち明けるつもりは無かったんです。でも……」

 言葉を切って再びティファを抱きしめる。
 ティファは僅かに身を捩り、逃れようとしたが身体に力が入らない。
 いくつものショックな出来事に、身体を動かす神経が麻痺してしまったかのようだ…。

「いつもクラウドさんの事を一番に想って頑張っておられるティファさんに……今回のクラウドさんのされたことはあんまりだ!!」

 ビクッ!!

 青年の悲痛とも言える叫びに身を震わせる。
 まるで…自分が怒鳴られたような感覚がする。
 そして、それと同時に何とも奇妙な感情が胸に込上げてくるのを抑えられない。


 どうして…?
 どうして…私じゃダメなの…?


「ティファさんはいつもクラウドさんしか見ていなかったのに…」


 私は…クラウドしか目に入らないのに…。


「いつもいつも、クラウドさんのことを一番に優先させて、自分の事は後回しにして…」


 私にとって…クラウドは私自身よりも大切なのに…。


「それなのに、たった数日前に会ったばかりの女性にあっさり乗り換えるだなんて!!」


 ……クラウドにとって…私は……。


「そんなのあんまりだ!」


 エアリスの代わり……なのね…?
 私よりもエアリスの代わりに相応しい人を見つけたのね……?



 ポロポロポロ。

 ティファの頬に涙が伝う。
 唇からは小さな嗚咽。
 青年はハッとして身体を離すと、見開かれたままのティファの目からこぼれる涙に顔を歪ませた。
 そっと頬を指で拭い、再び抱きしめる。
 抵抗は無かった。

「ティファさん…俺にもアナタの隣を歩くチャンスを下さい。俺には…貴女以外の女性は目に入らないんです。どうか…お願いします」

 切実で誠実な青年の言葉。
 だが、どこか自分に酔ったような……その台詞。
 ティファはただ、虚ろな目を大きく見開いたまま涙を流し、無言のままだった。
 隊員はティファが大人しく自分の腕の中に収まっていることに、少し気を大きくしたらしい。
 そっと身体を離し。
 いまだ涙を流し続けるティファに顔を寄せて……。


 ドンッ!!


 隊員はモロに突き飛ばされて床を何回転か転がった。
 まともに突き飛ばされ、受身も取る暇が無かったため、強かに身体中を打ち付けた隊員は、顔を思い切り顰めながらふらふらと立ち上がった。

「……あ…」

 彼女へ顔を戻し、隊員はすぐに激しい後悔の念にかられた。
 カウンターの壁に背を押し付け、怯えたように自身の腕で肩を抱きしめ、震えている……一人の女性。
 これまでこんな弱い彼女を見たことがない。
 隊員は…心のそこから後悔した。

「すいません!!」

 深く頭を下げる。
 ティファは目の前で頭を深く下げる隊員に、何も言えなかった。
 口付けをされそうになったその刹那、ハッと我に帰った。
 自分がクラウド以外の男性に暫く抱きしめられたという事実。


 クラウドの事……言えない……。
 私…今……なにをしたの…?
 何をされてたの?
 ねぇ…ねぇ!
 私は……!!


 激しく混乱するティファに、隊員はグッと唇を噛みしめた。
 そして、躊躇いがちにそろそろと後退する。

「ティファさん……俺は……貴女がクラウドさんを諦められる日まで…待ってます」
「……」
「ティファさんが優しいから、クラウドさんの事を許すって…きっとそうなるんだろうとは…分かってます。だけど…」


 ……優しい…?
 私が…?
 こんなに醜く嫉妬する私よりも…。
 こんな私なんかよりも…クラウドの方がよっぽど…!!


「だから、俺は諦めません!貴女の心からクラウドさんが消えるその日まで」

 隊員は言い捨てると、クルリと背を向けてドアの向こうに消えていった。



 店内に一人残ったティファは、ぼんやりと俯いた。
 その視線の先には…隊員が持ってきてくれた紙袋。
 横倒れになっており、中から携帯電話と…クラウドとお揃いのパスケース。
 そのパスケースが開いた状態で紙袋からはみ出している。

 クラウドが…子供達に微笑みかけている姿が覗いている。



 あぁ……。
 そうよね。
 クラウドは……優しいから。
 誰よりも人の痛みが分かる人だから。
 だから…。

 私がいる限り……『彼女』のところには……行かない。
 行けない。

 私が悲しむと分かってるから。
 クラウドは…私の事を少なくとも『他人』よりは愛してくれている。
 ううん。
 仲間の皆の中でも一番想ってくれている。

 だから……そのうちクラウドは新しい『恋』に蓋をするだろう。

 今は…抑えられない気持ちをもてあまし、こうして自分が傷つかないように気を使ってこっそりと会うしか出来ない。

 それは…クラウドにとって幸せなことなの?
 私は……そんなことをクラウドにさせて……幸せ?

 幸せなはずがない!!


「エアリス……エアリス………」

 小さな小さな声で何度も呟く親友の名前。


 ねぇ、エアリス。
 クラウドはね。
 貴女を愛してたのよ。
 誰よりも……誰よりも……。
 だから、星痕症候群に侵された時、貴女の教会に逃げたのよ。
 だから……分かったの。

 私じゃ…ダメなんだって…。

 いくら私がクラウドを愛しても…。
 クラウドの傍にいても…。
 貴女の代わりには…なれないみたい。
 彼の心の穴を…私では埋めてあげられない。

 子供達に微笑む彼は本当に良い顔をしてるでしょう?
 子供達にとっても…クラウドにとっても、お互い欠かせない大切な宝なの。
 でも、それは私も同じ。
 私も…子供達がとっても大切。
 あの子達はきっと、私がいなくなったら……悲しむわ。
 クラウドも心配してくれるでしょうね……。

 ねぇ…どうしたら良い?

 黙って子供達とクラウドの前から姿を隠して何年か経ったら、クラウドは新しく見つけた恋に踏み出せるかしら?
 …ううん、きっと……無理よね?
 何かを察して、私が姿を消した理由に行きついてしまうでしょうね。
 だったら、私の方からいっそ打ち明けて…。
 ……。
 ううん。
 やっぱりダメ。
 クラウドは…私が『彼女』に気付いたって分かったら、本当に苦しむはずだもの。
 彼は…優しいから…。

 ねぇ、エアリス?
 私は…どうしたら良いの?
 あの隊員さんのところに行けば良いの?
 でも。
 ……無理だよ!!
 私はクラウド以外の人を愛せない。
 他の人のものになるなんて…耐えられない。

 それに…。
 あぁ、ごめんなさい!
 私は……こんなにも醜い!
『彼女』に狂わんばかりに嫉妬してる。
 クラウドを誰にも取られたくないって…心が悲鳴を上げてる。
 ねぇ、エアリス、お願い助けて…。
 本物の貴女なら…私は諦める事が出来たのに。
 それなのに…。



 ― 彼の心…アナタにまだありましたか? ―


 唐突に蘇えった言葉。


 ― 折角、彼のところに戻ったのに…ね… ―
 ― 苦しくないですか…? ―
 ― もしも苦しかったら…私のところへいらっしゃい ―


 まるで。
 こうなる事が分かっていたかのような……呼びかけだった。


 ― 大丈夫。アナタは私のいるところが分かってるから… ―

 ……あなたが誰だか分からないのに…?

 ― アナタは私を知ってる ―


 ティファはフラリ…と立ち上がった。


 あぁ…。
 そうね。

 私は……知ってる。



 ― 「ミコト様?」 ―
 ― 「そう、ミコト様!何でも凄い占い師なんだってさ」 ―

 ― 「最近、市場の裏で如何わしい奴らがうろついてるって話し、聞いた事無いか?」 ―

 ― 「そいつらが、女・子供を売買してるって専らの噂だったんだけどよ。その連中、何でも最近では仲間割れしてるらしいぜ」 ―

 ― 「何だか突然現れた女に不気味な事言われた連中の一人が、本当にそうなっちまってさぁ。他の仲間達がビビッて逃げ出したって話だろ?」 ―



 ふらふらと、頼りない足取りでドアまで歩く。
 カタカタと震えるのは……噛み合わない歯。
 震えているのは口だけではなく全身。
 小刻みに震える指先を伸ばし、ドアノブを掴もうとする。


 ピリリリリ…ピリリリリ…!!


 突如、鳴り響いたその音にビクッと震え、勢い良く振り返る。
 床に落ちたままの紙袋から携帯が無機質な音を立てていた。
 足が床に縫い付けられたように動かない。
 どうにもタイミングの良すぎるその呼び出し音に、ティファの脳は凍結してしまったかのようだ。
 凍りついたようにピクリとも動けず、床に転がっている紙袋を凝視するだけ。


 ピリリリリ…………。

 …シーーン…。


 どうやら留守電に切り替わったらしい。
 ボソボソと誰かが話している声が聞える。
 だが、それを聞き取るにはあまりにも距離が空きすぎている。
 男なのか、それとも女なのかすら分からない『人の声』は、すぐにやんだ。

 ティファは暫くボーッと鳴り止んだ携帯の入っている袋を見つめていたが、やがてのろのろと紙袋へと足を向けた。
 床にしゃがみ込んで紙袋の中を漁る。
 その際、ポロリ…と、パスケースが床に落っこちたが、それにはあえて目を向けないようにした。
 指先が目的の感触を探し当て、それを手の平に包み込んで紙袋から手を引き抜く。
 硬質な感触の携帯を、暫く握り締めて深呼吸をする。
 誰からの着信なのか…。
 確かめたいような……確かめたくないような…。
 その相反する気持ちの間で心が揺れる。

 意を決して携帯を開こうとしたその時。

 プルルルルル……プルルルル……!!

 またしても絶妙なタイミングで今度は店内の電話が鳴った。
 ビクリ!と、身を竦ませた反動で、携帯を落としそうになる。
 慌てて手の中にそれを掴まえ、バクバクと激しく打ち付ける心臓に頭がクラクラする。
 恐らく、急激に血圧が上昇しているのだろう。
 逆に酸素は……急降下中。
 息の仕方を忘れてしまったかのように、半開きの唇からは浅い息遣い。
 店の電話を凝視する茶色の瞳は見開かれ、怯えともいえる色を浮かべていた。

 早く…出なければ、また切れてしまう…。

 凍結した頭の一部が、やけに冷静に現実を見てそう己に言っている。
 だが、身体が全く言うことをきいてくれない。
 強張った身体は完全に動く事を拒否していた。

 プルルルル……プルルルル……!!

 急き立てるように鳴り続ける電話。
 僅かに残っている冷静な部分が、『早く、早く出て!』と言っているのに…。


 プルルル……『ただいま、留守にしております』

 とうとう留守電に切り替わる。
 その機械音を耳にした瞬間、ティファの身体が突然動き出した。
 留守電に切り替わったのをきっかけに、身体が自由を取り戻したかのようだ。
 ガバッと立ち上がり、カウンターに飛びつく。
 手を伸ばして…受話器を取り上げようとする。

 が…。


 ピー。


『ティファ、俺だけどいないのか!?』

 ドックン!!

『子供達から連絡をもらったんだ。店に忘れ物を取りに行ったって言ってた』

 ドクン、ドクン!!

『本当に…いないのか…?』

 ドクン、ドクン、ドクン…。

『これを聞いたら電話をくれ。迎えに行くから』


 ズキン!!!


 ピー。


 切羽詰ったような口調から始まり、最後は縋るような声音で…訴えるように…懇願するように自分へ語りかけられた彼の言葉は、留守電に残された。



 力が抜けたようにティファは床に再びしゃがみ込むと、両膝を抱え込んで…。


 泣いた。






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