コンコンコン。

 チリンチリン…。

 床にへたり込んで泣いているティファの耳に、静かにドアをノックする音。
 そして、恐る恐るドアが開けられるドアベルの音がした。


 緩慢な動作で顔を上げ、ドアを見る。
 そこには…。


 亡き親友の驚いた姿があった…。


 そうして丁度その時、ジュノン港では紫紺の瞳を持つ青年が、バケモノと対峙していた。



Fairy tail of The World 42




 ゆっくり…ゆっくり…。
 ねめつけるように…視線を外さないでシャドウが動く。
 標的は間違いなくプライアデスだ。
 悠々と歩くその様は、モンスターの中の王者のようで…。

 ゴクリ。

 見守っている誰かの喉が鳴る。
 張り詰めた緊張感。
 ある者は胸の前で手を握り締め…。
 ある者は銃口を中途半端に上げたまま…。
 そしてある者は呼吸すら忘れてただただジッと見守っていた…。


 ダンッ!!


 なんの脈絡もなくシャドウが飛び掛る。
 下肢を屈め、躍動する素振りなど全く無かった。
 ありえないほどの俊敏な動きに、驚いているのは固唾を呑んで見守っている者達ばかり。
 当のプライアデスは非常に落ち着いていた。
 右に身を投げ出すようにその攻撃を避けつつ、至近距離から発砲する。
 その攻撃をシャドウはこれまた神業のように宙で身を翻して避け、ついでのように傍らに立っているシェルクへ毒爪を伸ばした。
 シェルクは持ち前の素晴らしい反射神経でそれを紙一重で避けると、プライアデスを倣って至近距離で発砲する。
 これまたシャドウには掠りもしない。
 巨大な体躯はプライアデスとシェルクを足したほどなのに、その動きの俊敏さは目を見張る。
 まるで目に見えない翼をその背に持っているかのごとく、シャドウは宙で身を捩り、二人の攻撃を完全にかわした。

 地面に倒れるようにしてシャドウの攻撃を避けたプライアデスもまた、神業のようにその体勢を整える。
 無理に体勢を取ろうとしないで、二回地面を転げ、次いで下肢を思い切り開いて踏ん張り、上肢を地面すれすれに起こしたかと思うと、銃口から発射された弾丸のようにシャドウに飛びかかかった。
 その間わずか数秒。
 シャドウが地面に脚を着けたか着けないか判断がつきかねるほどの刹那の出来事。
 手にした武器を振り上げ、身体を反転させるようにして思い切り叩き込む。
 その攻撃をシャドウはこれまた紙一重で避ける。
 宙を舞う漆黒の巨体。
 それを追う華奢な体躯の青年。
 富豪のSPは勿論、ジュノン支部の隊員ですらその動きを目で追うのがイッパイイッパイだった。


 シュッ!
 ビュンッ!
 ストンッ…タタッ!!
 ドンドンドンッ!!
 フワリ…。


 一体、どの音がシャドウの発した音か、プライアデスの発した音か判断がつきかねる。
 唯一分かるのは、プライアデスがクレイモアを駆使しつつ発砲した銃撃音だけ。
 シェルクも参戦すべく体勢は整えているが、俊敏では右に出る者がいないほどの彼女ですら、割って入ることは難しい。
 プライアデスとタッグを組んでシャドウと戦うほうが良いに決まっているが、いかんせんスピードが速すぎる。
 参戦出来ないことはないだろうが、下手に参加してプライアデスの戦闘リズムを崩しては元も子もない。
 今のところ、彼一人で互角に渡り合っている。

 シェルクはシャドウとプライアデスの一騎打ちから目を離さないで、周りの気配を探った。
 何しろ、突然現れたのだ。
 全く予兆は無かったのに、これまでにない程の大群のシャドウ。
 しかも、話に聞いているよりも数段その力が増しているとすら思えるそのパワー。

『一体…どこから……?』

 身の毛がよだつような殺気は、プライアデスが対峙しているシャドウ以外からは全く感じられない。
 今のところ、目の前の巨大な敵以外、気をつけないといけないものは無いようだ。
 だが、新たなシャドウの出現がないという保障はどこにもない。
 スッと流れるような動きであっという間にジュノン支部を案内してくれた男の隣に並ぶ。

「辺りを念のため警戒して下さい。シャドウがもしかしたらまた、突然出現する可能性、全くないわけではないのですから」


 突然出現って、まさにあんたの事じゃん!!


 支部の男は突然隣に立っていたシェルクに心臓をバクバクとさせながらも、彼女の言う通りである事に半歩遅れて気を引き締めた。
 そして、呆けたようにプライアデスとシャドウの戦いを見ている部下に向かって大声を上げる。

「くぉら、お前ら!!しっかりしろ!」

 ビクッと身体を震わせて隊員達がハッと我に返る。
 一斉に敬礼する部下達に、男はきびきびと支持をした。

「いいか!?第一隊と第二隊はジュノン港に急行。非戦闘員を速やかに避難させ、安全圏である大海に繰り出せ。行き先はどこでも構わん!とにかく人命第一だ。良いな!?」
「「「「 ハッ! 」」」」
「それから第三隊と第四隊はジュノン近辺の地区を警戒しつつ巡視。もしも大群に遭遇したらとりあえず連絡して、後はひたすら逃げろ!!絶対に対峙するな。俺達にはあのバケモノに対抗出来るだけの力はない。良いか!?絶対に対峙するな。隊から最近支給されているハンドガンで威嚇しつつ、とりあえず逃げろ!!」
「「「「 ハッ! 」」」」
「第五隊、第六隊はジュノン支部にいる全非戦闘員を保護しつつ、ジュノン港へ向かえ!それから飛空挺のクルー!お前達は大至急、メンテナンスの済んでいる飛空挺でここから離れろ。周りの小さな集落にも連絡して一緒にそこに住んでいる人間に非常事態だと宣告。有無を言わさずにすぐ回収してこのジュノンエリアから脱出させろ!」
「「「「 ハッ! 」」」」

 あっという間に全ての指示をし終えると、男に敬礼して隊員達はそれぞれの任務に就く為に迅速に行動を開始した。
 流石にWROの隊員。
 その動きには無駄がない。

 シェルクが無表情な仮面を被ったまま、内心でいささか失礼なことを思っていると、支部の男は徐に(おもむろに)富豪の夫婦へ向き直った。
「さぁ、あなた方もすぐにここから逃げて下さい!」
「あ……いや…しかし」
「なにモタモタしてるんですか!?ここにいたら戦闘の巻き添えになる可能性が高いんですよ。ほら、今の間に!」
 戸惑う紳士の背を押すようにして自家用飛空挺に押し込めようとする。
 しかし、それまで青ざめてプライアデス、シェルクがシャドウと戦っている姿を見つめていた婦人が、突然我に返ってキッと睨みつけた。

「あれだけの力があるなら大丈夫でしょう!?それに、ワタクシはやっぱり諦められません!なにが何でも捜索してもらいます!!」

 呆気にとられるとはこのことだ。
 紳士までもが、妻を呆れたように見やった。
 彼女は周りの呆れ果てた様子に気付かない。

「プライアデスは不肖ながらも甥。一時、WROの隊員からは除外してもらって『あの子』を捜してもらいます!」
「お、おい…なに言ってるんだ!?」

 驚いて婦人にそう言ったのは夫たる紳士。
 支部の男とシェルク、そしてSP達はもうモノも言えない状態だ。
 アホらしくて付き合いきれない。

 一瞬、緊張した空気が変に途切れる。
 まさにその一瞬の隙を突いたかのように、事態は激変した。



 光速で何かが飛んでくる音にシェルクは振り返り、慌てて富豪達を押し倒した。
 紳士と婦人、そしてSPを何人か道連れに飛空挺の床と、地面、階段に押し付ける。
 誰もが文句を言う暇など無い。
 それまで紳士達が立っていたところに、なんとプライアデスが突っ込んできたのだ。


 ビュンッ!!
 ズシャーーッ!!


 なんともイヤな音。
 そして、シャドウの唸り声とプライアデスの呻き声。
 それらが同時にシェルクの耳を打つ。

 富豪の自家用飛空挺に沿うようにしてシャドウにぶっ飛ばされたプライアデスアは、地面に片肘を着いて起き上がろうとしていた。
 しかし、それをのんびりと待つほど敵は情けを持っていない。
 強烈な異臭と共に獰猛な唸り声を上げて一気に襲い掛かる。
 プライアデスが飛んだ軌跡を辿るように宙を舞い、紫紺の青年目掛けて急降下した。


「ライ!!」


 シェルクの悲鳴に近い声。
 プライアデスはハッと顔を上げると、そのまま地面を転がった。
 中途半端に起き上がるよりも転がってその場の窮地を逃れる方が良い。
 だが、バケモノはしつこく追いかける。
 牙と爪で地面を抉り、時折焦れたように尾で攻撃する。

 地面を転がりながらプライアデスは冷静さを失わないよう己を保つのに必死だった。
 冷静さを失ったら……負ける。
 確実に殺されるだろう。
 おまけに、恐らくこの場にいる全員も…。
 シェルクは何とかなるかもしれないが、それ以外の人間は……。

 ふと…。
 シェルクの瞳とかち合う。
 紺碧の……魔晄の瞳。
 脳裏を愛しい女性の面影が掠めた。

『死ねない!』


 ドックン!

 心臓が大きく脈打ち、同時に身体中から力が沸いてくる。
 両足を揃えて跳ね起きる。


 ガッ!!!!


 目前に迫っていた牙をクレイモアで防ぐ。


 ガァァァァアアアア!!!!


 鼻につくバケモノの息吹。
 ヘドロのようなその悪臭にも、プライアデスは顔を背けなかった。
 至近距離で狂気に満ちたドス赤黒い瞳を見据える。
 その瞳に映る……自分の姿が何故か不思議に思ってしまう冷静な自分に、ちょっとおかしくなる。

 ググググ…。
 ギリギリギリ……。

 互いの足が地面に沈む。
 凄まじいほどの力に負けそうになる。
 だが…ここで負けるわけにはいかない。
 シャドウが苛立たしげに何度も首を振り、前脚や尾を使って攻撃を仕掛ける。
 しかし、青年は絶対に牙から己の武器を離さなかった。
 ここで間合いを取られ、また攻め込まれたら今度こそ負けるかもしれない。
 既に力で負けそうになっている。
 時折、シャドウはフッと力を抜いてこちらの隙を誘おうとしている。
 戦略……と言うと大袈裟かもしれないが、この巨大な敵は闘うことに非常に長けている。

 駆け引きや攻撃のタイミング、おまけにこちらの弱点を確実に突いてくる……目。

 プライアデスを叔父達に向けて尾で殴り飛ばしたのは、偶然ではない。
 確実に狙っていた。
 おまけに、発砲したくても出来ないように今も位置を配慮している。
 シャドウの後ろには……叔父達がいるのだ。
 少しでも狙いがそれたら大変な事になる。
 シェルクはそれに気付いているようで、必死になって叔父達を飛空挺に押し込めようとしているが、叔母が何やら錯乱しているようで上手く行かないのが視界の端に映る。

『……全く…なにやってんだか……』

 叔母がヒステリックな声を上げているのが遠くから聞えてくる。
 プライアデスはこれまで自分を蔑んできた叔父、叔母に溜息がこぼれそうだった。
 だが、溜め息をついている余裕など微塵も無い。
 もう……体力が限界だ。
 何度も力を抜いては身をかわそうとするシャドウの駆け引きは、確実に青年の体力を奪っていった。
 よろめくこと数回、爪に引き裂かれそうになること数回、尾で殴られそうになること数十回。
 それらをかわし、クレイモアがシャドウの唾液でベタベタになりながら、それでもプライアデスは余計な間合いを取らせなかった。

『あと少し…!』

 そう、あと少し横にズレルことが出来たら!!
 焦りは禁物。
 失敗は…許されない!

 そして…。

 勝負は一瞬。



「あ!!!」



 シェルクが悲鳴に近い声を上げた。
 富豪の夫婦を飛空挺に押し込めようとした隊員達とSP達が振り返る。
 紳士も……見た。

 青年が地面に倒れ、バケモノが牙をぎらつかせながら前脚を振り上げるその様を。

 ハンドガンを構える。
 だが…間に合わない。
 シェルクだけでなく、その場の人間全員が……いや、婦人以外の全員が息を飲んだ。



 ダーーンッ!!!



 白煙が上る。



 ギャーーーーーッ!!!!



 おぞましい断末魔が響き渡る。

 地面に仰向けに倒れこんだ青年の腕が、真っ直ぐシャドウの口腔内に伸びており、避けようも無い状態から致命傷を与えたのだ。
 シャドウが何度か使っていた『フッと力を抜いて隙を誘う』作戦に引っかかった振りをしたのだ。
 倒れこんだプライアデスに猛然と襲い掛かったシャドウの大きく開かれた口。
 その口に腕を突っ込むのは、正直自殺行為だろう。
 だが、その時のプライアデスにはそれしか出来なかった。
 もう少し横にそれたら普通に発砲出来たのだが、どうもこの巨大な敵はそうさせてくれないらしい。
 だから、わざと引っかかった振りをした。
 これは…賭けだった。
 絶対に負けられない賭け。
 そして、プライアデスはそれに勝利した。

『勝った……』

 遠くでシェルクや隊員達、それに叔父のSP達が歓声を上げているのが聞える。
 生と死。
 隣り合わせの死闘に、青年がゆっくりと息を吐き出して力を抜いた。

 その…一瞬の隙。
 ほんの僅かな……半瞬にも満たないような…隙。
 それを断末魔を上げてサラサラと崩れ落ちるシャドウは……見逃さなかった。

 ハッと気付いた時には遅かった。
 慌てて身を捩った青年の顔、左半分に激痛が走る。


 ジュッ!!


 肉の焼ける臭い。
 白く混濁する視界。
 激しく疼く左顔面、次いで全身に襲ってきた衝撃。
 最期の悪あがきに、シャドウが繰り出した右前脚の蹴りをまともに喰らったプライアデスは、弧を描いて宙を飛び、そして重力の法則にしたがって落下した。

 あまりの激痛と衝撃に息が止まりそうになる。

 シェルクの叫び声が聞える。
 何人もの人間が自分に駆け寄ってくる気配を感じる。
 うっすらと目を開けると、遠くでシャドウが黒い霧になって霧散するのが見えた。

『あんな…所から……吹っ飛ばされたのか……?』

 心底、よくもまぁ勝ったもんだと青年は思った。
 薄れる意識の中、魔晄の瞳が段々近くなってくるのを見てプライアデスは微笑んだ。

『大丈夫……大丈夫だから……。もうすぐまた……会いに行くから……だから……』


 泣かないで…。


 シェルクは意識を失ったプライアデスの頭を抱え込むようにして青年の名を呼び続けた。







 ピリリリリ…ピリリリリ…!

 ヴィンセントは、突然鳴り響いた自分の携帯にギョッとした。
 着信を見ると…。
「おい……誰からだ?」
「……シェルクだ」
 警戒心を露わにして訊ねるバレットに、ヴィンセントは戸惑いながら答える。
 巨漢の仲間も困惑して兄妹隊員を見た。
 グリートとラナも、困った顔を見せるばかり…。
 その間も携帯は鳴り続ける。
 躊躇いながらも通話ボタンを押す。

「……私だ」
『ヴィンセント!!』

 悲鳴のような声の少女に、眉が寄る。
 これまでこんなに取り乱した彼女は知らない。
 シュリが言っていた『闇の力』のせいで、シェルク以外の誰かが自分を謀って(たばかって)いるのだろうか…?
 だが、その疑念も…。

『シュリに代わって下さい、今すぐ!!』

 その一言で考えが遮断される。
「何故だ?」
 務めて冷静さを失わないようにしたが、果たして出来ただろうか?
 ヴィンセントは己の無表情さにいま一つ、自信が持てずにいた。


『ライがシャドウに襲われました!ジュノンで!!今、集中治療室にいますがどうなるか…。お願いです、シュリに代わって下さい!!』


 紅玉の瞳が驚愕に見開かれる。

 バレットとノーブル兄妹は不安そうに顔を見合わせた。


 エッジへ先に帰還するメンバーが到着するまで…あと四時間。




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