ガターン!!

 隣の部屋から聞えてきた大きな物音に、ユフィは自室のベッドから飛び起きた。
 慌ててドアを開けると、反対隣に寝泊りしているデナリと鉢合わせた。
「今の物音…」
「シュリ大佐の部屋から…」

 二人は言いようの無い胸騒ぎを抑えながら、シュリの部屋をノック無しで思い切って開けた。



Fairy tail of The World 43




 漆黒の髪を持つ青年が床に倒れている。
 顔の右半分を押さえ、日頃は絶対に上げない苦悶の呻きを漏らして…。

「シュリ!!」
「大佐!!」

 駆け寄った二人に気付かないまま、シュリは苦しげに床の上で身を小さく丸め、顔の右半分を押さえて呻く。
 シャドウにやられた傷が痛むのだろう。
 ユフィはサーッと青ざめた。
 シャドウに対する治療薬など存在しないのだ。

「ど、どどどどどうしよう!!」

 慌てふためきながらも、少しでもラクになるように…と、背を撫でるユフィに、デナリも負けじとオロオロしながら、
「と、とにかくベッドへ」
 そう言って屈みこんだ。

 抱き上げた青年があまりにも軽くて、デナリは一瞬別の意味で狼狽する。
 確かにシュリは細身だ。
 だが、ここまで軽いとは予想しなかった。
 今にも…儚くなってしまいそうな…そんな漠然とした恐怖を覚え、慄然とする。

「デナリ?」

 焦れたように見上げるユフィに、デナリはハッと我に帰ってシュリを寝かせた。
 ベッドに戻されてもシュリは一向に意識を戻さない。
 相変わらず顔の右半分を覆って苦しそうに呻いている。
 額には脂汗。
 唇は……薄っすらと紫色。

 もう、誰が見ても絶不調だ。
 これではエッジに着いたとしてもティファの護衛が出来るかどうか危うい。
 いや、それよりもエッジに無事に着けるだろうか?
 最新の医療技術が揃っているWROの本部に行ったとしても、シュリの症状を緩和出来る画期的な薬が発明された可能性はゼロ。
 このまま…もしものことにでもなったりしたら……!?
 ユフィは、震える足に力を入れ、とにかく仲間を集めてくる、そう言い残して部屋から疾風のごとく出て行った。

 一人ポツンとシュリのベッド脇に取り残されたデナリは、ウロウロと部屋の中を行き来したり、時折シュリの額を拭ったり…。
 とにかく落ち着くことが出来ない自分を情けなく思うと同時に、自分の中にまだこんな風に取り乱していつもの『自分』を演じることが出来ない未熟な部分がある事に一種の驚きを感じていた。

『私も…まだまだ未熟者だな』

 苦悶の表情を浮かべてベッドに伏している青年を見つめ、ザワザワとうるさい胸の内を沈めようとする。
 そう言えば、まだシュリくらいの年の頃、自分はどんな人間だっただろう?
 ふとそんな風に己を省みてみる。
 あまり…パッとした思い出はない。
 自分がシュリくらいの年齢の時は、まだセフィロスが英雄として名を馳せ始めたころだった。
 憧れた…。
 そんな憧れの英雄が、まさかその数年後に凶行に走るとは、誰が想像しただろう?
 セフィロスが凶行に走ったとき、シュリは一体幾つだったのだろう?
 確か、シュリが入隊したのは……。

「17歳…だったな」

 17歳になる年、シュリは現れた。
 まだその時は16歳だと言っていた青年は、既に充分『なにか』を思わせるようなオーラを放っていた。
 きっと……すぐにでも大きくなる。
 それもとてつもなく大きく…。
 その予感は自分も上司であるリーブも感じていた。
 そして、その予感は外れなかった。

 数々の功績を挙げ、あっという間に大佐と言う地位を手に入れた。
 しかし、彼は全くそういう『階級』とか『特権』とか『名誉』などの類には呆れるほど無頓着で…。
 いつも授与式の時には淡々とした顔をして証書と階級章を受け取っていた。
 不満に思っている…とも取られがちな彼の無表情ぶりは、一部の隊員から反感を買うものだった。
『バカにしてる』『もらえて当たり前だと思ってる』
 そう思われていることは…残念ながら事実だ。
 だが、そうでないことはもうデナリもリーブも知っていた。
 彼がWROで欲しがっているもの。
 それは…。


 ― 星の移ろいゆく正確な情報 ―


 それだけ。

 その情報を満足に得られることが無いまま、きっと今日まで来てしまったのだろう。
 星の声が聞え、命の流れが見える。

 そんな力を持っている青年が、それ以上なにをWROの情報網を使って知りたがっているのかは分からない。
 分からないが、今回のシークレットミッションのような恐ろしい事態に備えて…というのも『知りたがっていた目的の一つ』ではあるのだろう。
 事実、数ヶ月前から彼は武器庫に足繁く通い、己の気を弾薬に少しずつ注ぎ込む…という、一般人では絶対に出来ないようなことをし続けてきた。
 そして…。
 事件は起きた。

 まだ公に公表されていない。
 シャドウによる小さな村の襲撃。
 生存者は…ゼロ。
 この頃から、シュリは休みの日にはボーっとすることが多くなった。
 今考えると、あれは星の声を聞いていたのだろう。
 だが…星は確実な答えを出せなかった。
 どこからシャドウが……闇が現れるのか、星自身も分からなかったからだ…と、後ほどシュリが説明していたが…。
 それにしても、本当にこの青年は一体なにを抱え込んでいる?
 こんなにも華奢な身体で…一体どんな重責を背負い込んでいるんだろう…?
 それを…何故、自分ひとりだけで抱え込もうとするのだろう?
 周りの人間に…例えば、さほど親しくは無いかもしれないが自分とか…。

 そう考えてデナリは苦笑した。
 シュリが心の奥底を曝け出せるような人間ではないと…。
 いや、そういう相手として自分はなれないのだと…。
 心のどこかで分かっていた。
 きっと、シュリは誰にも心を開かない……本当の意味で。
 見た目は開かれてきた。
 しかし、そのドアはあけたらもう一つドアがあって、そのドアが開けられることはない。
 その奥の開かないドアこそが、彼にとっては本当に大切な部分で…。
 だから、彼は誰も中に入れない。

「一体…なにを背負い込んでいる?」

 苦しそうに眉根を寄せる部下の額に浮いた汗を、デナリはそっと拭ってやった。



 ユフィが出て行ってからかなり時間がかかったように感じたが、実際には数分間だけであった。
 ユフィにシュリの異変を聞かされた仲間達は、怒涛の勢いでシュリの部屋に集まった。

 どの顔にも不安と心配が顔にベッタリと貼り付けられている。

「シュリ……おめぇ、無理しすぎなんだぜ…」
 顔を歪めて、シエラ号の艦長がポツリとこぼした。
「おいら達…。結局なんの役にも立ってないし…」
 ナナキが項垂れる。
 確かに…。
 今回と言い前回と言い。
 全く自分達はシュリを護衛できていない。
 前回・今回シュリを守ったのは…。

「皆、聞いて欲しいの」

 突然現れた二人の人影。
 ユラリ…と、揺らめくように現れた…大切な仲間。
 エアリスとザックスの突然の出現に、メンバーは硬直した。
 魂の契約をしたあと、こうして魂の状態で現れたりすると、その間、シュリに魂を食われてしまう。
 そう言っていたのではなかったか?

 焦るメンバーに、エアリスが凛とした声で、
「大切な話なの。それも凄く切迫してる」
 そんな風に言われて、黙らない人間がいるだろうか?
 口を閉じ、緊張感にはちきれんばかりの面々を見渡してザックスが話し出した。

「さっき、皆に参加してもらった任務、前の二つと違ったのは分かるよな?」

 皆の脳裏に数時間前起こった夢のようなひと時が色鮮やかに蘇える。
 そう…。
 あんな幻想的で素晴らしい大合奏と舞い。
 これまでの人生で一度も経験したことはない。
 恐らく、あのような素晴らしい合奏と舞いを味わえる人間は、もういないのではないだろうか…?


「あの『儀式』の場にいたことで、皆に『闇の力』を弾き返す力が少しだけだが身に付いた」


 皆の思考が混乱と共に現実に引き戻される。
 意味が分からない。

 ― 儀式 ? ―

 なんとも非現実的な体験をして尚、その言葉が脳に浸透してこない。
 困惑仕切りの皆に向かって、ライフストリームに既に還っている二人は説明を続けた。
 完全に理解するのを待つつもりは無いらしい。

「だから、これまでシャドウに対してなんの攻撃も出来なかったかもしれないけど、これからは戦えるようになった」

 ざわ…。

 ユフィ達が驚きの表情から喜びに変わる。
 パァッと顔を輝かせた皆に向かって、
「でもね」
 エアリスが水を差した。

 固まる面々に、エアリスは少し顔を歪め、つらそうな表情を浮かべる。

「でもね……完璧じゃないの。さっきの『儀式』には決定的に『足りないもの』があったから」
「足りないもの…?」

 皆の代表としてデナリが問う。
 ザックスとエアリスは眉間にシワを寄せ、苦渋の表情を浮かべた。

「ああ…」
「…絶対にあの儀式だけではなく、どの儀式にも絶対に必要な存在。その人がいなかった…」
「だから、効果は半減以下だと思って欲しい…」

 沈黙。
 ぬか喜び…。
 そう言っても良いかもしれない。
 だが、それでも……。

「ま、まぁさ。普通の効果がどれくらいなのかアタシ達、元々知らないんだし!」
「そ、そうだね、うん!少しは闘えるようになったんだから、それだけでも凄い進歩じゃない!?」

 ユフィとナナキが気を取り直す。
 他のメンバーも重苦しい表情からその言葉で少し和らいだ顔になった。

「確かに…な」
「ええ…。これまで足手まといだったのが少しは役に立てるようになったんです。幸いと思うべきですね」

 士気が高まったメンバーに、ザックスとエアリスはホッとした顔をした。
 受け入れられるかを案じていたのだろう。
 だが、そのホッとした表情もすぐに引き締めると再び口を開いた。


「それで、皆にお願いがあるの」


 再び沈黙。
 今度は決意に満ちた表情。
 どの顔にも微かな希望に彩られていた。

「シュリは…もう限界だ。それは分かるだろ?」

 誰かの喉が鳴る。
 そう…分かってる。
 これまで非常に無理をしてきた。
 今もこうして皆が目の前で話をしているのに、全く目を覚まさない。
 苦しそうな顔で硬く目を閉じている。

「シュリは…今回の任務が始まるうんと前から一人で星と対話して…今回みたいな惨事が起こらないように気を張ってたの」
「でも、結局それは全部『闇』には筒抜けだった。だから、シュリが星との対話をしていない時を見計らって密かにことを運んでいたんだ」
「それに何度も『闇』から襲撃を受けてたわ…。何度も…危なかった…」
「それでも、絶対にシュリは星に『情報』を求めるだけで『助力』は得ようとしなかった」
「理由は……もう分かってるわよね?」

 星の申し出る援助を拒んだ理由。
 それは、ザックスとエアリスの二人と魂の契約をしたときに言っていた。


 ― 自分の魂の力が強いから、契約した魂を喰ってしまう… ―
 ― 逆に、自分の魂の力が弱かったら、契約した魂に喰われてしまう… ―


 もしも後者の場合だったら、シュリは進んで契約を望んだだろう。
 しかし、幸か不幸か、シュリの場合は前者だった。
 だからずっと拒み続けて…結局一人で今日まで頑張る羽目になった。


「シュリを…信じてあげて」
「なにがあっても…シュリを信じてやってくれ」


 頭を下げるザックスとエアリスに…。
 シークレットミッションのメンバーは目を見張った。
 意味が分からない。
 二人がどうしてわざわざ現れて、こうして頼むのか…。
 自分達に頭を下げるのか…。
 それは……これから先、それも近い将来、自分達が『裏切られた』と思えるようなことをシュリがすると言うことなのだろうか?

「そ、んな…」
「二人共…止めておくれよ…」
「そ、うだぜ?おいおい、俺達がシュリを信じないわけ無いじゃねぇか!」
「………」

 狼狽しながらも必死でそれだけを伝える。
 ザックスとエアリスはそれでも頭を下げ続けた。
 だが…。


「……ッ!!!!」


 声にならない大きな…呻き。
 その場にいた全員がビクッ!と身体を震わせ、一斉にベッドを注目した。
 顔の右半分を押さえたまま、シュリが跳ね起きたのだ。

 荒く肩で息をするシュリに、慌ててユフィ達が駆け寄る。
 その時には既に、エアリスとザックスの影は消えていた。

「大丈夫!?」
「シュリ、お水飲む?」

 心配そうに背を撫でるユフィと前足をベッドに乗せて後ろ足だけで立つナナキに、シュリは暫く肩で呼吸を繰り返すばかりで答える余裕は無かった。
 ユフィの手が、シュリの汗でしっとりと湿りを帯びる。

『こんなに汗だくで……』

 心臓が不規則なダンスを躍る。
 こんなにも無理をして…一人で……。

 胸が締め付けられる…とはこのことだろう。
 ユフィは唇をグッと噛み締めながら、必死に涙を堪えた。

「…………」
「ん?どした?」

 シュリの色を失った唇から何かが洩れる。
 シドが焦ったようにシュリの顔に耳を近づける。
 デナリもグッと身体を寄せ、部下が何かボソボソ呟くのを聞き漏らすまいと必死になった。


「……んで……んな………に…」
「「「「 え? 」」」」

「…なんで…こんなことに…」
「「「「 シュリ? 」」」」

「……るな…」
「「「「 え? 」」」」


触るな!!


 突然上げられた大声。
 全員飛び上がって驚いた。
 そして、一瞬遅れて大声を上げた当の本人も驚いたように目を見張った。

「あ……」

 ようやく自分が皆に囲まれていることが分かったらしい。
 どの面々も驚愕で固まっている。

 数回荒く呼吸し、ベッタリと張り付く前髪をかき上げ、大きく息を吐き出した。


「すいません……ちょっと…イヤな夢を見て…」


 項垂れるようにして肩を落とす青年に、一行はホッと肩の力を抜いた。
 だが、完全に場が和んだわけではない。
 どことなくぎこちない空気が漂う。

 ザックスとエアリスは既にいない。
 まるで、全員が幻を見たかのような…そんな気すらする。

 誰もがメンバーの誰かが話を切り出すのを期待した。
 そして、誰もがその期待を裏切られた。
 誰も何も言えない。
 何を言って良いのか分からない。
 何となく……。
 ザックスとエアリスが現れた話しはシュリにしない方が良い…漠然とそう感じた。

 気まずい沈黙の中、まだ息の荒いシュリの息使いだけが重く響く。
 と…。

「ところで皆さんどうしたんですか?」

 シュリがようやく気がついたように声をかけた。
 ギクッ!と、全員何かしらの小さなリアクションをしたが、シュリは虚ろな目をぼんやりとさせていただけで、皆の態度に不信感を覚えなかったらしい。
 しかし、だからと言ってこのまま全員が部屋にいた説明をしないで済むはずが無い。
 ユフィとデナリは、正直にシュリが苦しんでベッドから落っこちた…と話すべきか目だけで会話をする。
 瞬時の内にその案は却下された。
 恐らく、彼は必要以上に恐縮し、何でもない振りをするだろう。
 もうこれ以上、青年の負担になることは何一つさせられない。

 と…その時、シドの脳裏に一つの話題が浮かんだ。

「あ、あぁ…そのよぉ…」
 目を逸らしながら頬を掻く。

「そのぉ…リーブからさっき変なメールが届いてさぁ」
「メール?」

 パッとナナキが顔を上げ、ピンと尾を立てた。
「そうそう。なんかおいら達がリーブに『ティファが狙われてる』ってメールしたみたいになってたんだ」
「え…?」

 ナナキの言葉に、ゆっくりと右手を下ろし、シュリは目を見開いた。
 その顔があまりにも……愕然としていて……。
 見つめられたナナキだけでなく、他のメンバーも息を飲む。
「あの……シュリ……?」
 思わず後ずさりそうになる脚を踏ん張り、ナナキは恐る恐る声をかけた。

「そのメール……見せて下さい」

 呆然とした口調でシュリが言う。
 弾かれたようにシドは部屋を出て行くと、すぐにノートパソコンを取って戻って来た。
 シエラ号に送られたメールはそのままノートパソコンで見ることが出来るのだ。


 目の前に開かれた画面。
 その画面の文面に、シュリは真っ青になった。


 そっと震える指先で画面に触れ、静かに目を閉じる。
 誰も何も言わない。
 もう何も言わなくても彼がなにかを『している』ことは分かる。
 時間にして数秒、それが数十分も時間が経っているように感じる。


 再び開かれた漆黒の瞳には……苦渋の色が浮かんでいた。


 眉間に深いしわを寄せ、目頭を押さえる。
 そのまま前髪を鷲掴んで苦悩する青年に、英雄と上司はただただ言葉もなく立ち尽くした。






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