― おのれ 小癪な 小娘め ―
 ― どこまでも 我らの 主の 邪魔をする ―
 ― 自由を 奪った だけでは 止まらぬか… ―
 ― まぁ 良い … ―
 ― どのみち 消す 予定で あった ―



 ― 諸共に 消してくれる ―



Fairy tail of The World 46




「局長!?一体本部でなにが…」
「すいません、またこちらから通信します!」

 困惑する魔晄中毒療養病棟の総責任者の通信を一方的に切ると、リーブは右半面の本部見取り図を全画面に切り替えた。
 次々と緊急作動装置による隔壁が各ブロック・フロアーを遮断していく。
 既に、隊員宿舎と医療病棟は完全にシャットアウトされ、中からも外からも出入りが出来ない。
 この緊急装置は、以前ディープ・グラウンドの襲撃を受けてから再構築され、以前よりも強固な造りとなっている。
 仮に、核攻撃を受けたとしても、一発はしのげるほどの防御力を誇っている。
 しかし、これはあくまで最終手段。
 ここまで緊急装置が作動してしまうと、逆にある一定の時間が経たないと解除出来ない仕組みになっている。
 核攻撃を受けた際を想定している為、核汚染に備えての準備を各隊員が行えるまでの時間、何かの拍子に誤って隔壁が上がり、核汚染の脅威に曝されることが無いようにするためだ。

 だから…。

「くそっ!モスール(魔晄中毒療養病棟総責任者)の言う通りだとすると、あの中にはアイリさんが…!!」
 血の気が引く思いでそう呻くリーブとは違い、シャルアは唇を噛み締めて自分の指示を受け付けなくなったコンピューターのキーに力なく手を乗せていた。
 その表情は、焦りというよりも……何かを悟ったかのようで…。

「局長」

 科学者の静かな声に、イライラとしながら顔を向ける。
 どこかぼんやりとした彼女は、これまでの彼女を知るリーブには意外なもので、ほんの少し驚きつつ「何です?」と先を促す。
 シャルアはスクリーンの一点から視線を外さないまま口を開いた。
 その視線は、一番最初に隔絶されてた魔晄中毒療養病棟。



「この騒動。多分………アイリさんが犯人だ…」



 リーブだけでなく、黙って後ろで控えていた大将も、顔を歪めて科学者を見やった。
 二人共、その表情は似たようなものなのに、彼女の意見に対する思いは全く別だった。
 大将は、目の前の科学者に対する大きな信頼が僅かに揺らぎ…。
 彼女の上司であるジェノバ戦役の英雄は…。

「なんだってそんな……!」

 声を振るわせる局長の姿に、大将は本日何度目かの驚きに見舞われる。
 こんな風に声を狼狽し、部下を叱責する局長は見た事がない。
 叱責を受けているはずのシャルアは萎縮することもなく……相変わらず放心状態のまま、スクリーンを見つめていた。
 だが、それが思い違いであると大将は次の瞬間に気付かされた。

「アイリさん!…何を考えてるんですか!?それに…ここが危険だなんて……そんな……星の声が聞えたわけじゃあるまいし……って……!!」

 自らの発言に絶句する局長に、大将は驚愕する。
 一体、目の前のWROを取り仕切る偉大な人物たちはどうしたというのか?
 ありえないことに驚き、絶句している。
 しかも、そのありえない考えを受け入れている。

 確かに、ジェノバ戦役の英雄であるティファ・ロックハートが、アイリという魔晄中毒患者に救われた…という『噂話』があるのは知っている。
 まさか、そんな取るに足らない話をこの二人は信じているというのか…?
 大将の胸に、入隊してから初めて局長と科学者に対する不信の念がよぎった。

 その間も、リーブとシャルアの二人は大将の目からは信じられない奇行、聞くに堪えない妄言を吐いている。


「シャルア!なんとかしてアイリさんの侵入を押し戻すことは出来ませんか!?」
「そんなこと、もうとっくに試してみてる!でも……完全にネットジャックされてるんだよ!こちらのマザーコンピューターは……もう……」
「そこを何とか!せめて、医療施設の隔壁遮断だけでも解除して下さい!そうしなければ彼女は…!!」
「緊急遮断隔壁が降ろされてしまったら、最低三時間は解除出来ない造りになってる!無理なんだ……」
「シャルアの頭脳でなんとか!!」
「出来ないものは出来ない…!!」


 堂々巡りの口論。
 大将は呆気にとられてそれらを聞いていた。
 微かに指先が震えるのは……呆れのあまり。
 これまで偉大な人物だと思っていた二人が、突然愚かな人間に見えてきた。
 くだらない……実にくだらない、取るに足らない愚者。
 こんな人間がWROという巨大組織を統率していたのか!?
 言いようも無い喪失感が押し寄せる。

 と、その時。
 それまで本部の見取り図を表し、緊急装置が作動している状況を映していたスクリーン上に、文字が現れた。

 ピピピピピ…と映し出されるその文字の羅列に、大将だけではなく言い争っていたリーブとシャルアまでもがポカンと口を開けて固まった。



 ― 私の事は捨て置いてください。闇が来ます。早くここを離れて下さい。 ―









「頑張って……ライ」

 旧ミッドガルの五番街に向けて空を疾駆している飛空挺の中。
 青白い顔をして横たわっている青年の手を握り、シェルクは祈りを込めて話しかけていた。
 左半面を覆っている白い包帯。
 それが今では、どす黒く変色している。
 処置のしようがなく、ジュノン支部に駐留していた医療スタッフは、この謎の傷にオロオロしながら取り合えず簡単な化膿止めを塗布し、包帯を巻いた。
 しかし、滅菌の手袋を着用したスタッフが化膿止めを塗布しようと傷にほんの少し触れた瞬間、滅菌の手袋がイヤな臭いと音と共に焼け焦げてしまった。
 その場の全員が息を飲み固まる中、シェルクが医療道具を取り上げ、ピンセットと滅菌ガーゼを使って塗布をし、包帯を巻いた。
 その光景を、青年の叔父と叔母は青ざめて言葉無くただただ見守っていた。

 自家用の飛空挺は、シャドウの襲撃での激戦に巻き込まれ、すぐに飛び立つことが危険と判断された。
 その為、本当ならジュノンでメンテナンスが終るまで待っていれば良かったのだが、叔父、叔母夫妻は強引にくっ付いて来た。
 ただ何も言わないで自分達が蔑んできた甥を見つめる。

 今考えたら、甥のどこが蔑みの対象となっていたのか分からなくなっていた。
 あれほど堂々と敵と渡り合った青年は、讃えられこそすれ蔑みの分類には入らないのではないだろうか…?

 姉夫婦の背後に隠れておどおどしていた少年が、いつの間にか大きくなっていた。
 いつの間にか……自分達が見ていない間に…。

 夫婦の心に初めて実の甥への悔恨の念が押し寄せる…。
 それは遅すぎるものか…はたまたまだ間に合うものか…?


 叔父と叔母の視線、そしてシェルクの願いを一身に浴びながら青年は眠り続ける。
 その見る夢は、心安らぐ夢か……はたまた……悪夢か……。

 旧ミッドガル5番街教会へ到着予定まで、あと……一時間……。






 イライラと市場の中を行き来する紺碧の瞳、金糸の髪を持つ青年に、大勢の人達がぶつかってはイヤそうな顔を向けて通り過ぎる。
 市場の路地裏に通じる道。
 それが一つだけならこんなにうろつくことはない。
 だが、当然のことながら一つだけのはずがない。
 クラウド自身が認識しているだけでもその数は18。
 路地裏を根城としている人間にとっては、その数は鼻先で笑い飛ばすようなものだ。
 一見、人が住んでいないようなボロボロの家や閉店して下りたシャッターの向こうには、意外と路地裏への抜け道が存在している。
 所謂(いわゆる)目くらましだ。
 この目くらましの存在のせいで、路地裏で悪事を働いている者達を捕まえるのに警察もWROも手を焼いている。
 知りうる限りの路地裏に通じる道へ渡り歩きながら、神経を尖らせてティファの気配を探る。
 素手での格闘技を得意とするティファほどではないが、クラウドもそれなりに気配を探ることは可能だ。
 ましてや、捜しているのは自分がこの世界で一番慣れ親しみ、慈しんでいる気配。
 そうそう見過ごすことはない……と思う。
 だが、彼女が気配を殺してしまうと……。

『…ダメだ…』

 ティファは気配を殺すのが特に上手い。
 彼女が放心状態で路地裏に向かってくれているならまだ見つけやすいだろう。
 だが、警戒されて気配を殺されているとなると、この喧騒溢れる市場で彼女を見つけるのは至難の業になる。

 顔馴染みになっているいくつかの商店のオヤジや看板娘に、ティファを見かけたら連絡をしてもらえるよう頼み、携帯の番号を渡す。
 彼らはクラウドの頼みに怪訝そうな顔を見せつつも、詳しく説明を聞きだそうとしないで了承してくれた。
 クラウドの必死な表情に…心打たれるものがあったからだ。
 黙ってクラウドを励ますように頷く顔馴染み達に、クラウドは一人一人に深く頭を下げてから、足早に次の目的地へと向かった。

 こうしてあっという間に時間は過ぎ、セブンスヘブンでティファの服を見つけてから一時間が過ぎた。
 空は茜色に染まり、不安がより色濃くなる。
 ユフィから電話を受けてから…一時間。
 あれから電話はかけていないしかかっていない。
 クラウドは焦りと不安で一杯になりながら携帯に手を伸ばした。
 ピピピ…と、操作して……パタンと閉じる。
 遠く離れた仲間に一体何を言えばいいというのだろう?
 もしもティファに関する有力な情報が入ったら、真っ先に電話があるだろう。
 それに、遠い空を疾走しているシエラ号にそのような有力な情報が自分よりも先に寄せられるとは考えにくい。
 だが……誰かにこの不安を吐露したかった。
 吐き出して、少しでもスッキリしたら、気持ちを切り替えてもっとティファを見つけることが上手くいく気がする。

 クラウドはそう思った自分に吐き気を覚えた。
 口元を覆って近くの路地裏に身を隠すように飛び込む。
 薄汚い壁に背を預け、大きく何度か息を吸い込んだ。

 分かってる。
 こんなところで躓いている暇など無いことくらい。
 だが、こんなにも途方に暮れたのは…初めてだ。
 一体どうしたらいいというのだろう…?
 ティファがどんな思いでエッジに舞い戻ったのかを考えれば考えるほど、心が抉られておびただしい血を流す。

 ギリリ…。

 唇を強く噛み締め、奥歯を鳴らす。
 鉄錆の味が口に広がる。。

 顎を伝う雫を感じる。
 だが、それを拭うことすら厭われる。
 足りない…。
 全然足りない。
 ティファが受けた苦しみに比べたらこのくらいなんだというのだ?
 取るに足らないどころではない。

 きつくこぶしを握り、ダンッ!ともたれている壁を後手に殴る。
 グローブをはめていなければ、擦り傷ではすまないだろう。
 眉根を寄せ、もう一度壁を殴りつける。

 と…その時。
 ふとクラウドは一つの考えに至った。

「…もしかして…」

 一人ごちると、どうにもその『可能性』があるのではないか…?という考えに囚われ、居ても立ってもいられなくなった


 ― 『絶対にミコト様とティファが会わないようにして!!』 ―


 ユフィの悲鳴のような声が耳に蘇えり、思わず走り出そうとした足を止めさせる。
 だが、たった今浮かんだ一つの『可能性』を確かめたいという気持ちがユフィの声に勝った。


 クラウドは、携帯をパカリと開き、着信がないことを確認すると一気に駆け出した。
 途中、何人もの人間とぶつかり、中には突き飛ばすようにして押しのけながら、市場を駆け抜ける。
 そして、市場の入り口に邪魔にならないように置いていた愛車に跨ると、勢い良くエンジンを噴かせた。



 目指すはエッジの街外れにある……ジュエリーショップ。






 多くの出来事がその日、それぞれの場所で起きていた。
 大空をエッジに向けて先行している小型艇もしかり。
 遅れてフルスピードでエッジに向かっているシエラ号もまた…しかり。

 それぞれ、空を疾走する二艇の飛空挺では、WRO本部からの通信が完全に途絶えてしまったことに、ほとんどの人間がパニックに落ちていた。


「おいおいおい!冗談じゃねぇのか!?」

 浅黒い肌を紅潮させ、がなり散らすバレットを「静かにしろバレット。作業が進まん!」と、実に珍しくヴィンセントが苛立って声を荒げた。
「でもよぉ…」
 バレットは驚き、次いでシュンと項垂れながらも反論しようとする。
 しかし、痛いほど真剣な顔をしているヴィンセント、そしてノーブル兄妹、更には蒼白のパイロットを前に、口を噤んだ。
 飛空挺の助手席に席を移動したヴィンセントは、手にしている小型パソコンに目を落としながら凄まじい勢いで受信したメールを見ている。

 そのメールの数は……7件。
 いずれも、WRO本部から撤退するよう局長の指示を受けて星の各地に移動中の飛空挺からだ。
 内容は…どれも一緒。


 ― 本部が『闇』の標的になったとのことで、現在我々は本部を撤退し、ミディールに向かっております。
   そのため、現在、我が第三艦は第一、第二、第四、第五艦の計五艇で編成を組みつつミディールへ進行中。
   貴艦はWRO本部に着陸するのではなく、エッジの街近郊に着陸。
   すぐにティファ・ロックハート殿を保護し、局長の指示を仰ぐべし ―


 このようなメールが目的地や文章こそ違うが同じ内容で送信してきている。
 恐らく、これと同じものをシエラ号にも送られていることだろう。

 ジリジリとした焦燥感と脂のようにジワジワと不安が心を支配してくる。
 だが、一体どうしたというのか?
 何故、突然WRO本部が『闇』に狙われていることになってしまった!?
 そもそも、その情報源は一体どこからもたらされたと言うのか!

「これがもし、局長の指示とは無関係なものだとしたら…、非常にマズイ……!」

 冷静な声音の中に、言いようのない不安を滲ませるノーブル中尉に、妹のラナがそっと寄り添う。
 決して慰める為ではない。
 自分こそが、パニックになりかけているのだ。
 慰めの言葉など…口に出来ない。
 まだ傍らに居る兄が、狼狽した素振りを見せないからこそ、自分もギリギリのところでなんとか理性を総動員させることが出来ている。
 こんな空を飛んでいる状態で、誰か一人がパニックを起こしたら、それこそ大惨事につながりかねない。

 送られてきたメールを一つ一つ丁寧に読み進めていたヴィンセントは、最後のメールに愁眉を開いた。

「リーブからだ!」
「「「え!?」」」


 シュリが言っていた、『闇の通信機器への干渉』という考えがチラリと脳裏をよぎったが、それでもリーブから送ってこられた内容が気になる。
 そこに一体何が書かれているのか!?


 映し出されたその内容に、仲間はあんぐりと口を開け、目を最大限に見開いた。



 ― 現在、WROの本部はアイリさんによってネットジャックされています。彼女が言うには、『闇』がこの本部を狙っているため、一刻も早く重要なデーターと最低限の爆薬を積み込み、星の各地に撤去しなければ、大惨事が起こる…というのです。我々としては、彼女の言葉を信じることは難しいですが、既に彼女はWROのマザーコンピューターを手中に収め、緊急装置を発動。既に武器庫、隊員宿舎、そして医療施設は完全に遮断されてしまいました。アイリさんは……まだカプセルの中に一人、魔晄中毒療養病棟に残っています。恐らく、これから襲ってくる『闇』の襲撃を一人で引き受けるつもりなんでしょう。そして、そうすることで、ギリギリまで『闇』の意識を自分に向け、私達が『闇』の脅威から離れられるようにするつもりです…。悔しいですが、私達にはもうなすすべがありません。緊急解除装置も…彼女の手に握られています。本部は……もう、アイリさんの命令しか受け付けません。皆さん、エッジに到着したら、既に各飛空挺から送られているように、エッジ近郊に着陸し、すぐにティファさんを保護して下さい。我々には…もうそれくらいしか出来ません。 ―



「な……なに言ってんのさ……」
 震える声で言うのはウータイ産の忍。
 ここはシエラ号。
 先行隊と同時期にリーブからメールが届いていた。

 映し出されたそのメールの内容に、シドは呆然として口からタバコをポトリと落とした。
 上着が少々焦げてしまったが、それにも気付かない。

「おいおい…そんな、あの姉ちゃんは重度の魔晄中毒でもう…廃人同然だったじゃねぇか……」
「……そうじゃなかった……ってこと…なのかな……?」


 シドの苛立ちに、ナナキが呆然とした面持ちでこぼす。
 シドが苛立たしてげにナナキを見下ろし、口を開いて怒鳴りつけようと大きく息を吸い込んだ。
 が…。

 シュン…。

 ドアの開く音。
 現れたのは……。

「…何がありましたか?」

 白い顔をした今回のミッションのリーダー。
 部屋に戻ってまだ三十分しか経っていない。
 だが、恐らく何かを感じたのだろう。
 シドは黙って椅子を引いてやりながら、届いたメールを見せた。

 シュリの漆黒の瞳が……見開かれる。
 驚愕…そして絶望を宿して…。

 正直、仲間達は驚くシュリが意外で仕方なかった。
 星の声を聞き、遠く離れている部下の命の危機を知り、上司に彼を助けるように懇願する。
 そんな神業をやってのけた青年が、衝撃のあまり声をなくしてただただ呆然と画面を穴が開くほど見つめていた。

「……シュリ…、大丈夫かい?」
 ナナキが心配そうに尾で青年の背を撫でる。
 シュリはそれでも石像のようにピクリとも動かなかった。

 重苦しい空気が艦長室を圧迫する。
 息が詰まりそうなほどの重苦しさ。
 逃げ出したいのに……逃げることが出来ない。
 青年が、自分達の予想もつかないところで衝撃を受け、心に深い傷を負ったことがイヤでも感じられるのに、どうしてその青年を置いて、部屋を後に出来るものか!

 傍にいても何も出来ないが…それでも…。



 仲間達は、それぞれ、どうして良いのか分からないものの、青年の苦しみが少しでも減るようにと…。
 ある者は、そっと彼の身体にショールを掛け、またある者は肩に手を置き、そしてまたある者はそっと背を撫でて…。
 絶対にその傍を離れなかった。

 シエラ号がエッジに到着するまで…。
 あと10時間と少し。

 そうして、先行隊が到着するまであと三時間。



 仲間達が必死に無事を願っている彼女、ティファ・ロックハートは…。

 実は、まだサロメと話をしていた。
 すっかり彼女の人柄に心惹かれてしまっていた。
 亡くしてしまったかつての親友が本当に戻って来たかのようだ。
 それなのに、彼女は自分の記憶がないという。
 記憶が戻ったとしても、今の世話になっている夫婦の事は忘れたくないし、もしも忘れなくて過去の記憶を取り戻すことが出来たとしたら…その時は彼らにうんと恩返しがしたい。
 そうすることが出来てから、初めて自分の人生に向き合って生きていける…本当の意味で…。

 そう明るく言ってのけた彼女。
 ティファは胸につかえていたものがスーッと消えるのを感じた。
 そして、一つの新たな決心をする。


「じゃあ本当に今夜はありがとう」
「いいえ、本当に楽しかった!」

 店の前で握手を交わし、ティファは本日初めての満面の笑みを浮かべた。

 立ち去ろうとする華奢な背に思い切って声をかける。

「あの!」
「???」
 不思議そうに振り返った彼女…。
 本当に…エアリスのようで…。
 ティファは自然に笑みが浮かんだ。

「アナタは…クラウドの事が好きなんじゃないんですか?」

 ティファの言葉に、サロメの笑顔が凍りついた。
 微かに震える彼女の姿に、ティファは申し訳なさそうな顔をしながら、深々と頭を下げた。


「子供達と…彼をお願いします」


 口の中で小さく呟かれたその言葉は、サロメには届かない。
 その代わり、ティファの真摯なその姿に戸惑いの表情を浮かべて、何か言おうと口を開く。
 だが、サロメの言葉を待たずしてティファはクルリと背を向け、夕空と夜の闇がない交ぜになった空の下を駆け出した。
 サロメが止める暇も無い。


 雑踏に紛れて消えてしまったティファの背を、サロメは黙って見送った…。




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