私は……幸せだった…。 本当に…幸せだった…。 だから……もう充分…。 Fairy tail of The World 47「きょ、局長!」 「質問は後です!早く我々も撤退します。残っているのは私達だけですか!?」 WROの広い廊下を全速力で走る人影が三つ。 二人は体躯の良い男性ともう一人は白衣を纏った隻眼の女性。 紫の長衣を纏った男性の言葉に、ベージュの隊服を身に纏った白人の壮年の男性は口を噤んだ。 言いにくそうにしている部下に、リーブの眼光が厳しさを増す。 「まさか……まだ他にも!?」 「…申し訳ありません。局長と博士の護衛の為にと…入り口に部下を配置させています」 俯き加減になりながらも、その脚は遅められることはない。 どちらかと言うと、体力的にも身体的にも女性であるが故にシャルアの方が遅れ気味になっている。 彼女が小脇に抱えているノート型のコンピューターが遅れがちになっている原因の一つにもなっているわけだが、彼女以外には扱えない代物である為、替わりに持って走ることは出来ない。 何故なら…。 ピー…。 「来た!」 速度を落としながら小脇に抱えていたそれを開く。 画面には本部の見取り図が既に映し出されていた。 そして、その画面には新たに赤く点滅している部分がある。 パパパパパ。 見取り図が薄っすらとぼかされ、文字が走る。 ― そこを真っ直ぐ行ってはいけません。 目の前の角を右に曲がって、二つ目の角を左へ。 ― 「あそこを右に曲がって二つ目の角を左だ!」 言うが早いか、二人を追い抜いて角を曲がる。 リーブが何も言わないですぐにそれに従い、大将は不承不承それに倣った。 三人が角を曲がった途端。 シュシュシュン…。 隔壁が上下から現れ、完全に遮断する。 『まるで……罠に追い詰められているようだ…』 漠然とした不安を感じながら、大将は上司に警戒を促すべきか躊躇した。 確かに、現在WROのマザーコンピューターはのっとられている状態である。 謎の人物からの指示に従わないと、遮断されたフロアーに閉じ込められ、数時間は出てこられない。 そうならない為にも、その人物が送信してくる指示に従って行動する以外にはないのだが、しかしこのままではその人物の良い様に誘導され、行き着く先は……。 大将は、ネットジャックをしているのがアイリだとはこれっぽっちも信じていない。 魔晄中毒患者。 カプセルの中から出た途端、その命が消えてしまうという重篤な人間。 その人間が、どうやってネットジャックを? それを信じている上司達は正気を失っているとしか思えない。 だが、二人共その目は狂気に満ちてはいない。 むしろ、いつものように知的で、意志に溢れ、尊敬出来るいつもの二人…。 だからこそ、進言することが躊躇われる。 だが…このままで本当に良いのか? このまま…行き着いた先に待ち受けているものが罠だとしたら!? その思いが強くなり、上司に進言を!というところまで気持ちが高ぶったその時。 ドーーンッ!! ドンドンッ!! ガリガリガリ…ッ!! 背後で下りた隔壁の向こうから、何かが思い切り体当たりする音が響いた。 ビクッと三人は思わず足を止める。 何かが……隔壁の向こうにいる。 それも一つじゃない。 かなりの数が…! 「な、戻りなさい!!」 リーブがギョッとして大将を引き止める。 しかし、壮年の男はその命令が聞えないのかそろそろと下りた隔壁に近寄り、そっと耳を当てた。 聞えてきたのは、何かがぶつかる…いや、体当たりする音と引っ掻く音。 そして…。 グワァァアア!! グルルルルル…!! 「ヒッ!!」 思わず後ろへ飛びずさる。 身の毛もよだつ唸り声は獣のもの。 しかも…これまで一度もこんなに禍々しい唸り声は聞いたことがない。 彼はまだ、シャドウに出会った事が無かった。 だが直感で分かる。 クルリと踵を返すと、息を飲んでいる上司と科学者に向かって走り出した。 「局長!博士!!シャドウです!!!」 「「 !! 」」 ビクッと身を振るわせた二人は、立ち竦むみはしなかった。 一瞬顔を見合わせると勢い良く身を翻す。 三人は我武者羅に走った。 指示に従って二つ目の角を左に曲がる。 その直後、またもや背後で隔壁が降りる。 隔壁が降りきる前にチラリ…と背後を振り返った三人は見た。 何もなかった壁、床、天井から黒いシミのようなものがじわりと現れ、瞬く間にそれがジェル状になり、盛り上がって一つ一つ、形を成していくのを…。 グニャグニャとしたものが大きく伸び縮みし、うねりながら床にしっかりとその形を現したのは、筋骨隆々とした漆黒の獣。 すぐにそれらは隔壁に遮られて見えなくなったが、直後に、 ドーーーン!!!! ドン!!ゴスッ!! という体当たりする音が鼓膜を打つ。 三人の身体中からドッと汗が噴き出した。 何もない空間から現れた異形の輩。 アレが……シャドウの正体。 まさに、『闇』から生まれ、いずこともなく消え去る『闇』そのもの。 「ま、まさか……あんな……ふうに……現れるとは……」 息を切らせながらリーブが呻く。 今まで、血眼になって捜していたが、全く見つけられなかった。 見つけられなくて当然。 生息地が分からなくて当然! そもそも、『あのようなモノ』は、この世界のどこにも存在しないはずだったモノなのだから。 シュリの言っていた意味が漸く分かった。 星に尋ねても分からない…と言っていた意味が。 何故、シャドウがどこから現れてどこに消えていくのが分からないのか…。 予測不可能な所から出現するから分からないのだ。 言いようの無い恐怖が身の内から心を侵食し、身体の自由を奪いそうになる。 三人は走った。 ひたすら、広い本部内を走った。 時折、『ピーッ』というメールの着信音が鳴るたび、ビクッと身を竦ませてしまうのは仕方ないだろう。 慌てながら携帯用のパソコンを開く。 ― 次は突き当りまで走ってただひたすら走って下さい。 途中にある曲がり角や、階段に逸れてはいけません。 突き当たりにある壁は、通れるように開けおきます。 ― どうやって!? メールの指示に、三人はパニックになりかけた。 何故なら、メールが示す壁が『開閉式の壁』ではないからだ。 冗談じゃない! 大将は叫びたくなった。 だが、抗うことなど出来ない。 背後にはシャドウが迫っている。 次々と降りる隔壁の向こうから、今にもシャドウが隔壁をぶち破って襲い掛かってくるのではないか!?という恐怖心が沸いてくる。 無論、そんな易々と破られるような代物ではない。 核爆発が隔壁の向こうで爆発したとしても、破られることはないのだ。 無論…立て続けに二発、三発と爆発されたら破れるだろうが…。 それほど重厚で頑丈な……盾。 それが破られるとは……思いたくない。 だが、あの異形のモノ共は、こちらの常識の範疇をはるかに越えている。 もしかしたら…!! イヤな想像が脳裏を掠める。 大将は頭を振った。 今は、とにかくメールの指示に従って進むしかない。 そして、自分の任務を恐怖によって忘れてはならない。 自分の任務。 それは、局長と博士を守ること。 無事にこの魔物の巣窟と化してしまった本部から脱出させること。 大将は己の心を鼓舞し、疲れて足がもつれがちになっているシャルアに手を貸した。 そして、三人はひたすら走る。 メールの…………魔晄中毒末期患者の指示に従って…。 チリン…。 セブンスヘブンとは違うドアベルの音がクラウドを一番最初に出迎えた。 次いで出迎えたのは、人の良さそうな女性。 ここ数日の間で急速に親しくなった、この店の主の妻。 クラウドを見て彼女に笑みが広がった。 いつもなら、自分の母親をほんのちょっぴり重ね見てしまうところだが、今日ばかりはそんな余裕はない。 大股で彼女に歩み寄ると…。 「サロメはどこに?」 「え…?」 鬼気迫る勢いのクラウドに気圧され、女性は夫を見た。 主人もビックリして目を丸くしている。 戸惑いながらクラウドに向き直り、 「いや…それが、今日は初めてあの子から『お休みが欲しい』って言われまして……」 「!?」 「その…どこに行ったのかまでは……」 「携帯は!?」 大声で詰め寄る青年に、店内の客がギョッとする。 主人がそっとカウンターから出てきて妻と青年の間にさり気なく割り入った。 「持ってません。持つように進めたんですけどね。あの子は『そこまでお世話になるわけにはいかない』。そう言って、断ったんです。それに、あの子はまだ記憶が戻っていません。ですから、真夜中までにはここに戻ってくると思います」 言葉を切って、複雑そうな顔をする。 「あの子には…まだここしか帰る場所がありませんから……」 クラウドはグッと言葉に詰まると俯いた。 このジュエリーショップの夫婦に八当たっても仕方ない。 夫婦は、純粋にサロメを大事にしているのだから。 それに…この夫婦にとって、サロメは亡くした娘同然。 クラウドは自分を振り返り、突然店に現れて詰め寄った事実が急に恥ずかしく感じられた。 だが、そうも言っていられないのが現状なわけで、クラウドは恥じる気持ちを押し殺して再び顔を上げた。 「すいません。ただ……俺の大切な人がちょっと行方が分からなくなったものですから、もしかしたら…サロメが知っているかと……」 クラウドの落ち込んだ表情に夫婦は驚きつつ顔を見合わせた。 「その……ティファさんの…ことですか?」 黙って頷くクラウドに、夫婦は困惑しつつ口を開く。 「あの…どうしてサロメとティファさんが…?」 「サロメはティファさんと面識があったんですか?」 夫婦の疑問はもっともだ。 だが、それに一々答えている余裕はない。 クラウドは深々と一礼すると、踵を返して店を後にした。 店内には不安そうな顔をする夫婦と、怪訝そうな表情の客達が黙って取り残されていた。 「くそ!!」 愛車まで足早に歩き、足元の土を蹴り上げる。 通行人がビクッとして、遠巻きに通り過ぎる。 そんな奇異な視線など今のクラウドにはまったく気にならない。 「どこに行った……」 焦りばかりが空回りする。 やはり、市場を張るほうが良かったのだろうか? しかし、あれだけの人混み。 砂浜から一粒の砂を見つけるようなものではないか。 せめて、彼女と一緒にいると思われるサロメの行き先が分かりさえすれば、ティファの元に辿り着ける可能性が高いと考えたのだが、徒労に終ってしまった…。 苛立つ気持ちを抑えながら、再び市場に戻ろうとエンジンを噴かせる。 その時、一つの考えが脳裏をよぎった。 セブンスヘブンの店内に落ちていたティファの普段着。 ティファはいつもと違う装いでエッジにいる事になる。 では、その服はどこで手に入れた? 考えること数秒。 紙袋のロゴを思い出そうとする。 確か…。 「あそこか…!」 愛車を急発進させ、エッジの入り口に向かう。 よく通り過ぎる一軒の店を思い出した。 入ったことはないが、その店の名前が紙袋に印字されていたことを思い出したのだ。 このジュエリーショップからさほど離れていないその店にクラウドが到着したのは、ものの数分。 かなり凶悪なスピードで走ったことは言うまでも無い。 道行く人が青ざめながらフェンリルを見つめる。 刺すような視線を浴びながら、クラウドは店のドアを開けた。 媚びたようにやって来た店員に、ティファの特徴を伝える。 店員は暫し考え込んだが、 「あぁ、あの女性のお客様ですか!」 パッと顔を輝かせてティファが買っていった物と同じ服を一式カウンターの上に並べて見せた。 彼女が普段着たこともないような…服。 そして……帽子。 エッジでは珍しくともなんとも無いその服装に、クラウドは眩暈がした。 せめて、彼女が帽子をかぶっていなかったらまだ見つけやすい。 だが、彼女は帽子まで手に入れていた。 明らかに自分の行動を疑ってのことだ。 きっと……見られたんだ。 公園でサロメと会っていたところを。 全身から血の気が引く。 「彼女、本当に素敵ですよね!何を着ても本当にお似合いになるのに、こんな大量生産の物を買われてしまって、ちょっと勿体無いなぁ…って思ってたんで、すぐに分かりましたよぉ」 はしゃぎ気味に語る女性店員の言葉はクラウドの耳には届かない。 必死に記憶を手繰り寄せる。 あの時、あの公園でこの服を着た女性が近くにいただろうか? いたとしたら、一体どこから見ていたのだろう? 記憶に残っているのは…。 犬を連れた子供達とその祖父らしき人。 そして、ベンチで愛を語らっているカップル。 どこかに行く途中と思われる男性と女性が…大勢。 ダメだ! ティファらしい人がいたかどうか…分からない…!! 「邪魔したな」 クラウドはクルリと背を向けると、背後で狼狽しながら声をかける店員を無視して店を出た。 ティファが一体何を見たのかは分からない。 もしかしたら……サロメと一緒にいる『だけ』の所を見ていたのかもしれない。 いや、公園に着いたばかりの時に見られたのかも……。 もしもそうなら、彼女が勘違いをしても仕方ない。 冷や汗が背中をジットリと不快に濡らす。 「考えろ……ティファは今、どうしてる?彼女なら……どうする?」 フェンリルに両手をつきながらブツブツと呟きながら己に問いかける。 もしも。 彼女が最悪の勘違いをしたとしたら……? ユフィが言うように、『ミコト様』に接触しようとするかもしれない。 『ミコト様』 気が付いたらそこにいて、戯れのように助言し、助ける。 かと思えば、相手の大切なものを対価に要求し、相手の望みを叶える……『闇』の化身。 仮にティファが『ミコト様』に接触しようとする。 これまで自ら進んで接触を試みた人達が成功した例は少ない。 だが…。 仮にもし。 ティファが接触に成功したとする。 彼女は…一体何を望む? 危険と充分分かっている『ミコト様』に何を望む? 何を差し出して…? ジットリと手の平が汗ばむ。 言いようも無い恐怖心がねっとりと心にまとわりつく。 「考えるな!」 不吉なことは考えるな! 今は、ティファを見つけることだけを考えろ!! クラウドは再びフェンリルを走らせた。 目指すは…やはり市場。 ティファが『ミコト様』に会うべく路地裏に足を踏み入れる前に彼女を見つける。 彼女が今、身につけている服も分かった。 恐らく今も帽子をかぶっているだろう。 逆にそれが目印になる。 クラウドは自分を励ますようにそう言い聞かせながら、アクセルを噴かせた。 プライアデスを乗せた飛空挺が目的地である教会に到着するまであと三十分。 エッジ先行隊が到着するまであと二時間半。 そして、シエラ号がエッジに到着するまで……あと八時間半。 |