怯むな…。 進め…。 逃すな…。 必ずや…かの者共を皆殺しに…。 我らが主の為に…。 Fairy tail of The World 48WRO本部は広い。 旧ミッドガルの一つのプレート並みの広さがある。 故に、軽いジョギング程度では、到底本部全部を一時間やそこらで廻ることは不可能だ。 仮に、全力疾走していたとしても、現在のリーブ達のように回り道を繰り返していたら、目的地に到着するのに一時間では済むはずがない。 メールの指示に従ってシャドウからの追跡をかわしつつ、三人が本部内を駆ける事、既に小一時間になろうとしている。 本当ならば、もうとっくに着いても良い時間。 それなのに、未だ半分もその距離は縮まっていない。 理由は…。 ピーッ。 「また……ですか………?」 肩で息をしながら、大将が呻く。 シャルアが額の汗を拭いもせずに携帯パソコンを開いた。 ― 右から『闇』が来ます。 メールの着信音が聞えたと同時に発砲して下さい。 ― これまでにない指示に、シャルアが息を飲んで真っ青になった。 覗きこんでいた二人も勢い良く顔を見合わせ、既に手に持っていた銃を右に構える。 右。 そこは丁度職員食堂。 ガラス張りになっているその食堂には、特に何も異変はない。 ならば、シャドウを迎え打つよりも今までのように走って逃げた方が良いのではないか? 三人がそう疑問に思う間もなく…。 ピーッ! 間髪いれずに発砲したのは大将。 続いてリーブとシャルアが同時に発砲する。 まだ、肉眼では何も無い空間に向かって……。 だが…。 ギャーーーーー!!!! 発砲と同時に『ガラス張りになっていない壁』をぶち破って現れたシャドウが、おぞましい断末魔を上げて黒い霧状になり、砕け散った。 三人はゾッとした。 ガラス張りになっているのは、あくまで『職員が食事をするフロアー』だけ。 その隣の厨房部分は他の建物同様、向こう側が見えない壁になっている。 厨房のシェフの希望で、その壁だけが木製であった為、簡単にシャドウが突き破ってきたのだ…と、気付いたのは再びメールの指示に従って逃げ始めた後。 確かに、今の距離では逃げていただけでは簡単に背後から襲われていただろう。 「なんか……バケモノに…襲われて………建物内を……逃げ回るだなんて……ゲームみたい…ですね……」 息を切らせながら軽口を叩く局長に、大将は笑いでもって返そうとして失敗し、顔を引き攣らせるだけに止まった。 「ゲームなら……ハッピー……エンド……なんですけど……ね……」 「はぁ……はぁ……ったく……二人共………余裕……だね……」 二人のやり取りに、シャルアが呆れたように参加する。 だが、彼女の場合は二人と違って体力があまりない。 言葉を発するだけでも一苦労だ。 「シャルア…。ソレ……持ちましょうか……?」 リーブが気遣わしげに彼女の抱えているパソコンを指す。 シャルアは一瞬躊躇ったが、結局リーブに渡した。 正直、もう体力が限界だ。 軽いはずのパソコンが鉛のように重く感じられていた。 それに、彼女以外が操作出来ない複雑な作業は、今のところ必要ないらしい。 一瞬、大将は自分が持つように申し出ようかとも思った。 だが、彼には上司と科学者を無事に脱出させるという任務がある。 手が荷物で塞がっていたら、それもままならない。 リーブもシャルアもそれをちゃんと分かっている。 三人は再び走り出した。 三人全員、もう息が上がっている。 人並み外れた気力でもっているようなものだ。 だがそれも限界がある。 ひたすらメールの指示に従って、真っ直ぐ、道を逸れずに走っている。 途中でいくつもあった、目的地の飛空挺の離着陸場への近道。 何度もそちらに足を向けたいという誘惑と戦った。 実際、今ひたすら真っ直ぐ進んでいる先にあるのは、厚さ30センチは軽く越える厚い壁。 メールでは、通れるように開けておく…とあった。 だが一体どうやって開けるというのか? テロ対策として、戦車や核爆弾にも対応出来るように設計されているというのに。 だが。 ここまでの経緯で、大将の心境に変化が生じていた。 メールの送信者については、魔晄中毒末期患者だとは未だに信じていないが、それでも送信者が自分達の味方であるといつしか信じるようになっていた。 今だって、何もない壁に向かって発砲するように指示があり、一番に発砲した。 その結果、彼の上司と科学者は助かった。 もしも送信者が指示をくれなかったら…。 仮に指示をくれたとしてもそれを鼻先で笑い、『食堂にはなにもないじゃないですか。先を急ぎましょう』とでも進言して取り合わなかったら? 確実に自分達は死んでいた。 大将は、目に見えない味方にいつしか己の魂を委ねている自分に気がつきつつ、それを情けないとも、恥ずかしいとも思わなかった。 「局長、博士。急ぎましょう」 二人を先に行かせ、WROの敏腕隊員は背後を守ることに専念した。 空にいつしか月が昇っている。 ゆっくりと…ゆっくりと月光の下を歩く一つの影は、この場所には非常に神秘的で、もしも見る者がいたら、彼女を『月光下の女神』と呼んだかもしれない。 だが、この教会にはティファ一人。 ただ…独りだけ。 「エアリス…」 奇跡の泉の水面に向かって呼びかける。 あたかもそこに、親友がいるかのように。 「エアリス、私ね。あなたのこと……本当に大好きだったの」 そう独白するティファの口元には優しい微笑み。 茶色い瞳には…穏やかな色。 纏っている雰囲気は………柔らかで………そして、例えようもなく儚い。 「でもねエアリス。私、あなたの事がずっと羨ましかった…」 「クラウドの心はずっと、あなたを求めてた…」 「もしもあなたが生きていたら、きっとクラウドはあなたと一緒に生きる事を選んだと思うわ…。とっても…苦しみながら……」 「だって、クラウドは私の事も大事に思ってくれてるんですもの。だから、私を選ばないであなたを選ぶことにすごく罪悪感を感じてたと思うの」 ― …ファさん ― 「でもね…」 ― ティ…さ ― 「やっぱり」 ― ティ…ファ…さん ― 「クラウドは」 ― ティファさん ― 「私じゃなくて」 ― ティファさん! ― 「あなたを選ぶわ」 ― そんなことないです!!! ― 噛み締めるようにゆっくり口にする間、絶え間なく心に直接響いてくる女性の悲痛な叫び。 その声に、罪悪感が込上げる。 だが、ティファはゆっくりと頭を振って悲しげに微笑んだ。 「ごめんね、アイリさん。あなたの想い……無駄にしちゃう。……でも…」 私は……クラウドを誰よりも愛してるの…。 だから…。 彼には世界中の誰よりも幸せになって欲しい…。 誰よりも…。 身勝手なことだと充分分かってる。 でもね。 これだけは譲れないの。 やっと、クラウドが本当に幸せになれる方法が見つかったの。 エアリスは…もういない。 だから、クラウドが本当に幸せになれることってないと思ってた。 私が彼を幸せにして上げられたら良かったのに…出来ないから。 私じゃ……ダメだから。 だけど、エアリスと同じくらい、クラウドの隣に立つにふさわしい人が見つかったの。 だったら…。 私が取る道って……一つしかないよね? だから…。 「ごめんね」 サァァァァ…。 風が黄色と白の花々を揺らす。 その花々の中に月光を浴びて立つティファは、一枚の絵のようで…。 青白く照らされた彼女の姿は、そのまま大気に消えてしまっても不思議ではない程、幻想的なもの。 もう、自分を生かすために魂を捧げてくれた少女の声はティファの心に届かなかった。 別れの言葉を口にしたティファは、おもむろにそっとしゃがみ込んで、水面を覗き込む。 穏やかな顔をした自分の姿に、ティファは笑みを深くした。 うん。 私。 幸せだった…。 ゆっくりと立ち上がり、静かに教会を後にする。 教会を出る一歩手前で流れるような動作で振り返り、口を開いた。 呟くように言葉を発する。 「さよなら、エアリス。さよなら、アイリさん。こんな私で…本当にごめんね」 そうして…、ティファは教会を去った。 旧ミッドガルからゆったりとした足取りで遠ざかる。 その彼女の頭上を飛空挺が猛スピードで過ぎ去った。 こうして、プライアデスを連れたシェルクは、ティファとすれ違った……。 「ライ、着きました。もう少しです、頑張って!」 隊員に抱きかかえられた青年にシェルクは必死に声をかける。 慌ただしく飛空挺を降りたシェルク達の後ろからは、プライアデスの叔父と叔母が躊躇いながら着いて来た。 誰もそれを咎めないし、気にもかけない。 暗くて足場の悪い旧ミッドガル。 その路地を躊躇う事無く先頭を行くシェルクに従い、隊員達は若い同僚であり上司を抱えて足を動かした。 旧ミッドガルの教会に直接飛空挺で乗り込むことは出来ない。 その為、旧5番街の外れで飛空挺を降り、徒歩にて目的地に向かっている。 その目的地もほんの僅かしか離れていない。 僅かの距離…なのに、数キロも離れているように感じる。 シェルクは唇を真一文字に結び、隊員達を夜目の利く目を最大限に発揮して誘導した。 早く! 早く!! 急ぎながらも慌てないで…。 プライアデスを運んでいる隊員が足を取られて転倒したりすることが無いように。 出来る限りのスピードで進む。 隊員は何度か足を取られそうになったが、無事に転倒する事無く最後までプライアデスを運ぶことに成功した。 一行が到着したのは、屋根もドアも、そして長椅子ですら壊れたまま放置されている廃墟同然の教会。 その教会は、不思議な気配で満ちている。 破れた天井から洩れる月光。 幾筋か注がれている青白い光が、丁度奇跡の泉にも注がれていた。 泉に注がれている月光は、どこか力強くすら感じる。 シェルクはその幻想的な光景に見惚れがちになっている隊員を睨みつけた。 ハッと我に返った隊員が、慌ててシェルクの元へ小走りで駆け寄り、泉の淵に身を屈める。 そして、戸惑いながら少女を見上げた。 シェルクは隊員の迷いに共感しながらも、リーブから伝えられたシュリの言葉を思い出し、隊員の腕からそっとプライアデスを預かり受けた。 そのまま、意識のない青年と一緒に泉に浸かる。 プライアデスの叔父と叔母が困惑気に顔を見合わせ、隊員達も戸惑った表情で見つめる中、シェルクは水の浮力を借りて青年を泉の中央まで運んだ。 泉の深さは丁度シェルクの胸元上辺り。 中央に近付くにつれ、徐々に深くなっていく。 中央に差し掛かったとき、少女は伝言どおり青年の身体から手を離した。 祈るように……ゆっくりと……。 もしも、プライアデスの身体が完全に沈んでしまったら溺死してしまう。 その恐怖がある為、シェルクはプライアデスの身体から手を離しながらも、すぐに助け出せるように身構えていた。 ゆっくりと……プライアデスの身体が沈む。 水の浮力によって、スローモーションに……。 胸元が…。 耳が…。 頬が…。 そして…鼻先までもが水に沈んだ。 泉の傍らで見守っていた者達が息を詰める。 シェルクも緊張で張り裂けそうになりながら凝視していた。 完全にプライアデスの身体が沈んで数秒。 たかが数秒、と人は言うかもしれない。 だが、見守っている全員がもう耐えられなかった。 何しろ、全く意識がない状態で水に沈められたら、たとえほんの僅か数秒だとしても肺に水が入り込み、肺炎を起こしたり、下手をすると溺死してしまうではないか! シェルクは水の中からプライアデスを引き上げようと身を屈めた。 劇的な変化が起きたのはその時。 何の前触れも無く、突然泉が眩いばかりの光を放ち、大きくうねった。 あまりの眩しさに見守っていた全員が目を覆い、悲鳴をあげ、ある者はバランスを崩して倒れこみ、またある者は咄嗟に拳銃に手を伸ばした。 そして…。 「キャッ!!」 泉の中にいたシェルクは、大きなうねりに飲み込まれ、完全にその姿を水の中へと消してしまった。 だが、眩い光の為に誰もそれを見ることが出来ない。 更には、自分達の悲鳴によって、シェルクの短い悲鳴すら耳に届かなかった。 誰も…シェルクが泉に引きずり込まれたことに気付かなかった。 ザァァアアアアアッ!!! 巨大な滝の急流に叩き込まれたかのようだった。 シェルクは水の強い流れに翻弄され、不規則にクルクルとその身を捩らせられる。 その中で、シェルクは見た。 エメラルドグリーンの光が青年を柔らかく包み込むのを。 そして、シェルクは聞いた。 《 死なないで… 》 《 どうか今度こそ… 》 《 今度こそ……生きて… 》 《 アナタの人生を…どうか……今度こそ……全うさせて… 》 《 愛してるわ……私の可愛い…「 」 … 》 ズシャッ!! シェルクは大きな波によって泉から弾き飛ばされた。 強かに身体を地面に打ちつける。 受身も何も取らないで打ちつけたため、涙が滲むほどの激痛が走った。 顔を顰め、呻きながら身体を起こしたシェルクを、漸く視力を取り戻した隊員達が助け起こす。 そして。 彼らは固まった。 目を最大限に見開き、口を開けたその表情は驚愕と言うよりも……恐怖。 シェルクはゆっくりと背後、泉を振り返った。 そこには。 「……ライ……!」 泉の中央に巨大な水球。 その水球を、泉の水が絶えず真新しい水でもって潤し、水の舞いを披露している。 そして、その水球の中には、まるで母親のお腹の中にいるかのように身を丸くしたプライアデスの姿があった。 青年は漆黒の髪をゆっくりと揺らめかせながら、水球の中でたゆとうている。 例えるなら、『母なる水に抱かれている』とでも表現すべきであろうか? 淡い金色の光を煌かせながら水球を作り出している泉。 その泉に近付くことは何人たりとも許されない。 そんな厳粛な気持ちにさせる光景だった。 言葉無く見守る隊員達と彼の叔父と叔母。 彼らはただただ非現実的な現象に言葉を無くしていたが、シェルクは驚きながらも考えていた。 泉で聞えた声を。 女性の懇願した言葉の意味を。 ― 今度こそ 生きて 今度こそ アナタの人生を どうか 今度こそ 全うさせて ― その言葉の意味をシェルクのみならず、皆が知ることになるまで…。 あと……少し。 |