足掻いても……足掻いても……。
 どうしても抜け出せない。

 それが……。


 魂を包む……闇の世界。


 そんな地獄の世界を…。

 あなた方は想像出来ますか……?



Fairy tail of The World 50




「おい、なんだって!?」

 切れた携帯をボーっと握り締めたまま、硬直しているヴィンセントに焦れた様子を隠しもしないでバレットがせっつく。
 先ほど受け取ったメールの内容について話をしていたに違いないのだ。
 バレットの巨体の後ろでは、ノーブル兄妹が息を詰めて見つめていた。
 当然だ。
 自分達の所属している組織と敬愛する上司の安否のみならず、大切な『親友』がそこにいるというのだから!

 ヴィンセントは頭を数回緩慢に振ると、自分を凝視している面々、そして耳を澄ましているパイロットに向けて口を開いた。

「先ほどのメールの通りだ。WROの本部にシャドウが大群で襲撃中。目下、リーブ、シャルア、そして、あ〜、なんと言ったか名前は忘れたが大将の計三名が本部内に取り残された形になっている」

 三人とパイロットの身体が強張る。
 パイロットは操縦を誤りそうになりながら、内心冷や汗をかいた。
 ヴィンセントを凝視する三人のうち、特にノーブル兄妹の視線が痛みに歪んでいる。

「じゃあ……先ほどのメールにあったように……アイリが…?」

 震える声で訊ねるラナに、ヴィンセントは信じ難い表情を崩さないでゆっくりと頷いた。
 途端、グリートがパイロットに大股で近寄る。

「あと何時間で到着ですか?!」

 やや呆気にとられていたように見ていたバレットが、
「いや、だからあと一時間と五十分だろ……」
 とぼやく。

 しかし…。

「え〜っと……あと……………一時間未満…です………」

 段々驚愕に変わるパイロットの報告に、一同は目を見開いた。
 バッと、パイロットに振り向き、操縦席に詰め寄る。

「さっき『一時間五十分くらいだと言ってなかったか!?」

 ヴィンセントの言葉に、パイロットは慌ててパチパチとコンピューターを操作する。
 目の前のフロントガラスに、パパパッと、計算式が表示され、現在のスピードと目的地を計算している。
 そして、はじき出された数字は…。


 ― 五十五分 ―


 パイロットを含め全員が呆然とした。
 約一時間も短縮されている。

 パイロットはオロオロしながら操縦を続けながら説明した。

「どういうことかさっぱり分かりません。先ほど皆さんに告げた到着予定時刻は、シエラ号から出発してからの計算のままだったんです。要するに、再計算してないんですよ」
「…なんだって再計算してこんなに時間が短縮されてるんだ……」

 どこかゾッとするものを感じながらバレットが当然の疑問を口にする。

 パイロットはフロントガラスに内蔵されているコンピューターの数式を見ながら、一つのところで目を止めた。

「あ………」

 彼の思わず洩れた一言に全員が反応する。
 パイロットは信じ難い表情を浮かべ、メンバーを見た。



「この飛空挺にかかっている空気抵抗が信じられないほど下がってます」



 この報告に…。
 メンバーは言葉も無く立ち尽くした。

 だが、その沈黙はすぐに破られた。


「なら、予定よりも早く到着出来るなら、エッジに到着する前にWRO本部を通過することは可能ですよね」

 グリートの言葉に、彼が何を言わんとしているのか、イヤでも皆には分かった。

「リト…。気持ちは分かるが…」
「お願いします。ほんの少し、針路をズラしてもらえたら本部上空を通過し、そのまま皆さんはエッジに向かうことが出来るでしょう」
「兄さん…」
「リトよぉ……気持ちは…その…分かるけどよ……」

 バレットとラナが躊躇いがちにグリートに考え直すように言う。
 ヴィンセントは厳しい表情のまま、黙って聞いていたが、重々しく口を開いた。

「リト。悪いが、お前の案は却下させてもらう」
「………」

 ヴィンセントの言葉に、グリートは鋭い視線を投げたが、黙ったままだ。
 グリートが黙って耳を傾けてくれている事に、内心ホッとしつつ、ヴィンセントは言葉を続ける。

「リーブが心配なのは分かる。だが、リーブは大丈夫だ。あれでも『ジェノバ戦役の英雄』と言われてるくらいだからな。きっと何とかしてくれる。今はそれよりもティファのほうを優先させて…」
「俺が局長の心配をしていると…?」

 冷たい声音。
 ヴィンセントは思わず口を閉ざした。
 バレットは何か言いたそうに口をモゴモゴさせたが、結局オロオロとヴィンセントとグリートを見比べるだけで、言うべき言葉が見つからない。
 ラナは………分かっているのか、俯き加減で黙っていた。

 グリートの表情に、皮肉で彩られた笑みが浮かぶ。

「申し訳ありませんが、俺は局長の事はこれっぽっちも心配してないです。それこそ、ヴィンセントさんが仰ったように『ジェノバ戦役の英雄』ですからね。逆に、これくらいの窮地を脱してもらわないと指導者としてWROを指揮する資格なんかない」

 きっぱりとそう言いきった青年に、短気なバレットが目を剥いた。
 ヴィンセントは黙って鋭く青年を睨みつける。

「おい、なら一体何の為に本部に寄るだなんて言いやがんだ!?」

 声を荒げるバレットに、グリートはカッと目を見開いた。

「『なんで』!?なんでと言いましたか!?」

 激昂する青年に、バレットの怒りはあっという間に吹き飛ばされる。
 代わりに、自分がどんな失言をしたのか、狼狽しながら思い起こす。
 バレットが思い出すまで青年は待ってなどいなかった。
 ヴィンセントとバレットを睨みつけながら、

「本部にはアイリが取り残されてるんですよ!!!」

 大声で怒鳴りつける。
 二人の英雄はハッとした。

 確かに、リーブはメールでも知らせていた。
 そして、たった今、受けた電話での報告でも報告してくれたではないか。


 アイリが逃げ道を確保し、誘導してくれていると。
 そして、こうも報告していた。


 魔晄中毒患者療養施設を含め、医療施設は完全に遮断されてしまった……と。


 マザーコンピューターを掌握している少女のお蔭で、今、取り残された三人は命永らえることが出来ている。
 逆に、もしも本部からアイリがいなくなってしまったら、たちまちリーブ達は逃げるに窮し、最悪の場合、星に還る事になりかねない。

 グリート兄妹にとって、アイリは特別な存在だ。
 彼らの従兄弟が愛して止まない、たった一人の女性。
 その女性を、グリート達も大事に、大事に思っている。
 その彼女を陥落寸前の本部に置き去りにするなど、到底容認出来るものではないはずだ。

 ヴィンセントとバレットは、自分達が『ジェノバ戦役時代の仲間』の安否にのみ心奪われてた事実に今更ながら気づき、情けなさと目の前の青年の激昂をどうしたら良いのか…という軽いパニックに襲われた。
 当然、二人がその結論を出すのをグリートは待ちなどしない。

「皆さんは予定通り、ティファさんの捜索に向かって下さい。アイリを救出に行くのは俺一人です」
「いや、しかし本部の中はよぉ…」

 バレットがオロオロと口を開く。
 だが、そこで猛反論が起きた。
 言わずと知れた、ラナ・ノーブルである。

「兄さん!私も行くわ!一人でシャドウの大群の中に突っ込んで無事で済むはずないじゃない!アイリを助けるどころか犬死よ!!」

 カッとなって怒鳴りつける妹に、

「ダメだ。俺一人で行く」
「馬鹿な事言わないで!!」

 冷たく突き放す。
 ラナの顔が怒りに朱に染まった。
 兄妹喧嘩……にしては、内容が重いそのやり取りに、ヴィンセントとバレット、そして操縦しながらパイロットはハラハラと見守るばかりだ。

「ラナ。お前はまだ完全に回復してない。そんな人間連れて行ったって足手まといなだけだ」
「ッ!!でも!!!」

 なおも言い募ろうとするラナに対し、グリートは冷たく、
「足手まといだから来るな!」
 キッパリと言い切った。

 唇噛み締めて俯く。

 本当は分かっている。
 自分の身体が万全からはほど遠いことくらい。
 だが、だからこそ、兄がアイリを救出している間、シャドウの気を引く『囮』くらいにはなれると思っていた。
 その考えは、目の前の兄には見抜かれていたのだろう。
 頑として一歩も譲らない。
 これ以上、駄々をこねて一緒に行く!と言い張ったりしたら、鳩尾に一発入れられて失神させられる可能性が高い。
 普段は温厚で自分のわがままを聞いてくれる兄だが、ここ!と言う時には絶対に聞き入れない頑固さを兼ね備えているとラナは知っていた。
 それに。

 自分が囮になって、シャドウの気を逸らそうとしても…恐らく兄はアイリよりも囮になった自分のことで頭が一杯で、結局はアイリの救出に専念出来なくなる。

 ちょっと考えたら分かることなのに…。
 それでも、大切な従兄弟の事を考えると、自分も何かしたい。
 紫紺の瞳を持つ彼の為に……自分の初恋の人の為に……何かしたいのだ!

 黙り込んだ妹に、グリートが眉根を寄せ、申し訳なさそうな顔をしてポンポンと頭を叩く。
 これで、この兄妹の問題は解決したのだろう。

 だが…。

「ダメだ」

 硬質な響きでヴィンセントが言い放つ。
 グリートの眉がピクリ…と動き、途端に青年から殺気にも似た怒りのオーラが全身から発せられる。
 ゆっくり……ゆっくりとヴィンセントに顔を向けた青年の顔は……まるで氷の彫像。
 冷たい眼差しは痛いほどで、豪胆なバレットの背筋に悪寒が走った。

 いつも温厚な人間だからこそ、そのギャップは恐ろしいものがある。
 ヴィンセントは相変わらず持ち前のポーカーフェイスのままだったが、内心ではどうなのかバレットには分からなかった。

「理由を聞いても?」

 妙に落ち着いたその声音が、更に寒気を感じさせる。

 ヴィンセントは紅玉の瞳を細めてグリートから視線を逸らさず、

「リーブからの命令だ。本部に戻らないで少しでも早くエッジに到着し、ティファを探し出す。そうしなければ…」
「そうしなければ…なんです…?」

 射るような視線に言葉を無くす。
 自分の知っているグリート・ノーブルが別人のように見える。

 仮にも…。
 ヴィンセントもバレットも『ジェノバ戦役の英雄』と人々から讃えられ、ある意味神格化されている存在だ。
 今回の任務で多少親しい仲になれたとは言え、まだまだそこまで親しいわけでもない。

 それなのに。

 全く気後れしない青年の気迫。
 パイロットの飛空挺を操舵する手つきが怪しく震えている。
 小型飛空挺は非常に空間が狭い。
 その狭い空間が、あっという間に一触即発しそうなほどの緊張感で張り詰める。
 バレットがゴクリと生唾を飲み込み、ラナが息を詰めて兄と英雄のやり取りと見守る。

 両者、一歩も譲らない。

「グリート。お前の気持ちは良く分かる。だが…本部にはシャドウの大群が襲撃している。お前一人で彼女を救出することは不可能だ。それに……彼女は………」

 ヴィンセントは最後まで言葉を続けず、口をつぐんだ。
 これ以上、言葉にすることが憚られる。
 何を言わんとしているのか察し、ラナとバレットも何も言わずにグリートを見た。


 アイリは……ティファを助ける代償として魔晄中毒患者の末期状態に陥った。
 今も、リーブ達を誘導しているとは言え、薬液のカプセルから出ているわけではない。
 もしも、薬液から出ているなら…彼女を待っているのは『死』だからだ。
 だから、彼女の元に奇跡的にグリートが辿り着けたとしても、アイリを『生きたまま』救出するのは不可能なのだ。
 グリートの気持ちは良く分かる。
 だが、アイリの元に辿り着いても、彼女を助けることは……もう誰にも出来ない。
 助けられないのに命を危険に晒して、うようよ敵がいる本部にグリートを送り込むことなど出来るはずがない。


「ヴィンセントさん。もしも本部にいて、局長達を誘導しているのがアイリではなく、『ルクレツィア博士』だったらどうします?」


 静かな問いかけに、ヴィンセントが強張る。
 バレットも同様だ。
 ヴィンセント以上に狼狽し、ギョッと身を仰け反らせた。

 ヴィンセントの前で、ルクレツィアの名前はタブーだ。
 彼女のお蔭で、オメガの事件の際、ヴィンセントは救われた。
 最愛の人を救うことが出来なかったヴィンセントにとって、彼女の名前は軽々しく他人が口にして良いものではない。
 ヴィンセントの紅玉の瞳が怒気を孕む。
 ビリビリと空気が振動するかのような殺気。
 ラナとバレット、そしてパイロットから血の気が引く。
 バレットが慌ててヴィンセントの肩に手を置き、
「と、とりあえず落ち着け、な!」
 と、必死に宥め、ラナはラナで、
「兄さん、なに言ってるの!?」
 謝罪するよう促す。

 だが、グリートは真っ直ぐ紅玉の瞳を見返すと、フンッ、とあろうことか鼻先で笑った。

「ほらね。あなたはアイリだから見捨てようとしている。これが、ルクレツィア博士なら、たとえ助からない命だと分かっていても…、周りがどれだけ引きとめようとしても絶対に助けに行く…そうでしょう?」

 図星。

 ヴィンセントはグッと言葉に詰まると、睨みつけながらギュッと唇を引き結んだ。
 グリートは続ける。

「俺にとって、ライはかけがえのない従兄弟であって親友なんですよ。その従兄弟が大事にしてる女が死にそうになってる。アイツがこの十年以上、どんな思いでアイリを見ていたか…。もしもここでアイリを見捨てるようなことをしたら、俺はこの先あいつに顔向けが出来ない」

 ゆっくりと腰のホルスターに手を伸ばす。

 カチャリ。

 パイロットがギョッとして操舵を誤りそうになり、飛空挺が大きく傾いだ。
 ラナとバレットがバランスを崩してよろける。
 ヴィンセントとグリートは微動だにせず、お互い睨みあったままだ。


「グリート……よせ……!」


 低く、押し殺した声でヴィンセントが呻く。
 グリートは、己のこめかみに押し当てた拳銃を離そうとはしなかった。
 その目は、鋭く細められ、頑迷な意志を感じさせるには充分で、決してこけおどしではないことを物語っている。

 ここで、グリートの要求を呑まなければ、彼は躊躇わずに引き金を己の頭部に向けて引くだろう。

 暫しの逡巡。


「本部に向けて進路を変更してくれ」


 ヴィンセントの諦めたような声がパイロットに向けて発せられた。



「兄さん……」
 そっと手を伸ばして腕に触れる妹に、視線だけ流してグリートは微かに微笑んだ。

「ごめんな。俺にはこれしか出来ないんだ」

「なんで……そこまでするんだよ。おめぇ……おかしいぜ…!?」

 弱々しくそう問う巨漢の英雄に、グリートはこめかみに押し当てた拳銃をそのままにフッと笑った。

「アイリは……俺にとっても大事な『姫』なんですよ。恋愛とは全く違う意味で、俺にとってもかけがえのない人なんです。ラナと代わらないくらい、俺にとっては可愛い存在なんです」
「だからってよぉ…」
「分かってますよ。薬液から出たらアイリは死んでしまう。だけど、薬液を布に多量に含ませて身体にくるめば、ある程度はもつはず…。WROの所持する各飛空挺からのメールによると、カーム付近にも避難してる飛空挺があるらしいので、それに上手く収容してもらえたら、アイリが助かる可能性はゼロじゃない」

 グリートの説明は……夢物語だ。
 そんな可能性、ほとんどゼロと同レベル。
 助かる可能性は……。

「仮に一%としかないとしても、助けられる可能性が僅かでもあるなら………行きます」

 頑固。
 石頭。
 偏屈。

 そんな文字がパイロットを含めてその場の全員の頭に浮かんだ。

 ヴィンセントは忌々しそうに溜息を吐いた。


「もしも、お前まで死んだら、プライアデスはもっと悲しむ。それを分かってるんだろうな……?」


 もっともな意見にグリートは目を細めた。



「ええ、分かってますよ」



 それは、青年がその可能性を充分理解しながら、それでも愚かとしか思えないような行動にどうしても移らざるを得ない心境であることを語っていた。



 小型飛空挺がWRO本部に到着するまで、あと三十五分。




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