「ハッチ、開けます!」 パイロットの声に、グリートは銃口を自分のこめかみに当てたままハッチに向かった。 「リト…」 「リトよぉ…」 曇った声で英雄達が声をかける。 だが、若い隊員は振り返らない。 「兄さん」 凛とした…妹の声にのみ…。 「行って来ます」 背を向けたまま一言残して………去った。 Fairy tail of The World 54飛空挺から見下ろした自分の命を預けている組織本部に、グリートは鋭く目を細めた。 あちらこちらから煙が上っている。 所々では未だに火が消えていない様だ。 小さく炎がチラチラと見え隠れしている。 おまけに…。 ポンッ。 飛空挺から見ると、小さな小さなその爆発は、『ボンッ!』という迫力が無いように見える。 だから『ボンッ!』ではなく『ポンッ』。 「なんか非現実的だな…」 一言呟き、こめかみに当てていた銃を漸く腰のホルスターに納めた。 そして、強風に挑むように………、大空を自由に飛び回る鳥のように恐れる事無く身体を宙に投げ出した。 両腕を身体にピッタリとくっつけ、空気抵抗を最小限にして滑空する。 パラシュートはこの高さでは必要ない。 目指す着地地点は唯一つ。 飛空挺の甲板からでも見えた、医療施設の重厚な壁に大きく開いた穴。 隔壁が内側から何やら大きな爆発があったらしいその壊れ具合に、グリートの胸に焦燥感が拍車をかける。 バクバクとうるさい心臓は、決して着地の恐怖からではない。 そんなもの、最初から存在しないのだから。 見る見るうちに眼前に迫るコンクリート。 グリートはそこで初めて大きく両腕、両脚を広げ、空気抵抗を起こす。 そんなもので落下速度が落ちるものでもないが、それだけで彼には充分だった。 ボフッ! 隊服が空気を大きく含み、一瞬身体が空気に呷られてバランスを崩しそうになる。 再び両腕を身体にピッタリくっつけると今度はクルリと宙で回転する。 一回…二回…三回…。 体操選手のように体幹を真っ直ぐに、何回転かしている間に両腕を胸の前で交差させ、美しいフォームで宙を回転する。 ダンッ、トントトトンッ!!! 地面に着地し、大きな衝撃で何度かたたらを踏むが、そのまま勢いを殺さないで目的地に向けて走り出した。 「な、今のは…!?」「誰だ!?」「え、ちょっと…!!」 リーブ、スライ大将、そしてシャルアが同時に声を上げた。 確かに目の前で隊服に身を包んだ『誰か』が本部に……正確には医療施設に向かって飛び降りた。 しかし、四人が今いる場所からは、医療施設に無事彼が着地したかどうか確認できない。 「 !! 」 「え…?」 シャルアは呆然と隊員が飛び降りた地点を見つめていたが、自分の脇を一陣の風が走り抜けるように駆け出した妹に咄嗟にかける言葉を持たなかった。 「シェルク!!」 悲鳴のような声は、既に豆粒ほどになった彼女の背には届かなかった。 慌てて走り出そうとするシャルアをスライ大将が止め、自分が代わりに呼び戻そうと提案する。 だが、それを遮るように…。 ピーッ! メールの着信音。 駆け出してもう見えなくなったシェルクと抱えているコンピューターを、おろおろと見比べながらリーブは画面を開いた。 ― 彼女達の事は私が守ります ― 記されたたった一行の文字に込められている意図を正確に感じ取り、リーブは髪を掻き毟った。 要するに、リーブ達はさっさとこの場から撤退しろ、と言っているのだ。 シャルアがそれに納得するはずもない。 押さえ込むスライ大将から身を捩り、罵りながら妹を助けに行こうとする彼女の姿、そして、目の前に迫っている危機に途方に暮れるしかなかった…。 が…。 「行きますよ……」 歯を食いしばるようにして決断を下す。 猛然とシャルアが反対したが、スライに目だけで彼女を担ぎ上げるように指示する。 肩の上で暴れるシャルアをなんとか押さえ込みながら、三人はシェルクの乗っていた飛空挺に乗り込んだ。 隊員達が慌てて三人を迎え入れ、大急ぎで上昇する。 それらの指示を出しながら、更にリーブは回線を開くようにパイロットに指示をした。 『スライ大将の残していた飛空挺と隊員達を撤退させた…とメールが届いた時にはどうなることかと思いましたが…』 回線が繋がるまでの間に心の中でアイリの根回しに唸る。 何度となく彼女からもたらされたメールの指示は実に的確、且つ迅速だった。 いずれの指示も、人命を第一に考えられているものだった。 だから…。 ― スライ大将の部下の方々には、申し訳ありませんがWRO局長の名前で撤退を指示させて頂きました。でも、心配しないでそのまま進んで下さい。代わりの迎えを準備しています ― 恐らく、あのままスライの部下達が発着場にいたら、彼らの命は無かったのだろう…。 発着場を後にするとき、リーブは明らかに飛空挺の離着陸以外の傷が地面に穿たれているのを見た。 あの大きさ。 傷の深さ。 かなりの大物が現れたに違いない。 だからこそ、心配だった。 医療施設に駆け出してしまったシェルクも……飛び降りた隊員のことも…。 「局長、回線繋がりました!」 パイロットの声に、リーブはハッと顔を上げた。 『リーブか…?』 「ヴィンセント!?」 スピーカーから聞えてきた仲間の声に、リーブは目を見開いた。 見知った施設内が気味悪く変色している。 グリートは走りながら背筋を悪寒が駆け抜けるのを止められなかった。 従兄弟と妹、そして、妹の親友とよく訪れた医療施設が、無残にも破壊されている。 薬品、医療器具、そして各部屋のドアガラスが不気味に廊下に散乱している様は、まるでホラーゲームのようだ。 『この先に…アイリが!』 先走る気持ちを抑えることなく突き進む。 直感で感じる。 一瞬の迷いが命取りになると…。 まだ、シャドウの影は見ていない。 だが、そこかしこにバケモノがいたという痕跡がある。 廊下や壁に残っているこすれたあと。 大型のバケモノがのっそり…のっそり…と、この先を歩いていく様が目に浮かぶようだ。 この先には…! 「リト!!」 突然、サイドから現れたその少女に、グリートはギョッとして飛びずさった。 そのせいで、背中を強かに壁に打ちつける。 クラクラと目の前が歪み、顔を顰めて痛みに耐えるグリートに、シェルクが驚き慌てながら駆け寄った。 「な、なんでここに!?」 若干痛みのため涙目になりながら呻くグリートに、シェルクは両腕を引っ張り上げながら 「ここに……リトが……飛び降りるのが…見えたから…!」 息も絶え絶えにそう答える。 「いや…まぁ見えたかもしれないけど、だから…って……」 冷静にそう言いながらもグリートの胸中は嵐に見舞われている。 いきなり過ぎる彼女の介入。 自分ひとりでいいと思っていた環境がこれで一変してしまったのだから。 無論、無駄死にするつもりなどサラサラ無かった。 だが、自分ひとりでアイリの元に辿り着き、アイリを助け出すのと、アイリの元に『二人』で向かって姫を救出するのでは全く違う。 頼もしい仲間が増えたのならいざ知らず、確実に助かるという確約はどこにもなく、むしろ犬死する可能性のほうが色濃い自分の今回の作戦。 誰も巻き込めるはずがない。 なのに…。 「さぁ、早く行きますよ!でないとアイリさんが危ないじゃないですか!」 華奢な身体には全く似合わない気迫。 グリートは軽いめまいに襲われた。 同時に、強張っていた精神と神経が同時に緩む。 決して悪い意味で緩んだのではない。 良い意味で…。 『なんとかなる!』 そう思えたのだ。 まったく……何という事だ。 こんな展開、想像していなかった。 「俺……博士に殺されるな…」 苦笑交じりに呟くと、 「なに言ってるんですか。大丈夫、軽い人体実験で許してくれます」 冷静な顔でそう返された。 グリートは目をパチクリとさせ、隣を走る少女をマジマジと見つめて…。 プッ! 「リト…笑ってる場合じゃないですよ…」 「クックック……あ〜いや、ついな…」 「まったく……お気楽ですね」 「そうだな、シェルクの次に気楽だな」 「な!私のどこが気楽なんです!?」 「その説明は無事に帰ってからおいおい…。さ、もうすぐだ」 釈然としないシェルクを追い越し、グリートはスピードを上げた。 全身が総毛立つ気配が濃厚となる場所に向けて…。 「そんな…こと………」 「不可能だと言いたいのでしょうけど、可能なんですよ」 信じ難いとは思いますが…。 冷たい口調で淡々と語る女に、クラウドは笑い飛ばそうとして…失敗した。 ティファが自分の幸せの為に姿を消そうとしたことは分かる……認めたくはないが。 だが、それだけではティファが予想したとおり、絶対に自分は幸せにはならない。 幸せになど…なれはしない。 そこまでちゃんと理解した上で……。 「記憶を消すだなんて……」 片手で口を覆う。 そこまで彼女を追い詰めていた自分に吐き気がする。 胃の腑から苦いものがせり上がってきて、思わず吐きそうになる。 「時間はかかりますが可能です。星に生きる人間の記憶を軽くいじるだけで済むんですから」 軽く…本当に軽くそう言ってのける目の前の女に、クラウドはついていけない。 まったく…なにを言ってるんだ!? 人の記憶を操作するなど、そんなことが出来る筈がない! 出来る筈が……ないのに……。 完全に否定の言葉を口に出来ないのは何故だ? クラウドは必死にミコト様を否定する言葉を思い浮かべようとした。 だが、それが出来ない。 むしろ、逆のことが脳裏に浮かぶ。 そう。 彼女の言うことが本当だと…認めてしまう自分がいる……。 何故…? 何故…否定出来ない? 何故、否定どころか、彼女の言うことが可能だと認めてしまいそうになる? それは…。 「貴方自身、体験したでしょう?自分が信じていた『過去』が『ニセモノだった』という経験を」 ドックン。 心臓が鷲掴みにされたようだ。 忘れたい……でも忘れてはいけない……『過去』。 彼女と…ティファとミッドガルの駅で再会した時、瞬時にジェノバ細胞によって造り上げられた偽の記憶と自分。 その為に、どれだけ彼女を不安にさせ、傷つけたか…。 だが、あれがあったからこそ、彼女と自分の距離は縮まった。 結果論ではあるのだが…。 しかし、それは…。 「それは……俺の中にジェノバ細胞が植え付けられてるから……」 「そうですね。ジェノバ細胞が引き起こした現象でしたね」 あっさりとクラウドの言葉に頷く。 そう。 この星に生きている人間の大半がジェノバ細胞などを植え付けられていない。 かつてのソルジャーや、人体実験をされた人間だけ…その極々少数の人間だけがジェノバ細胞を今も体内に宿したまま生きている。 だから、ミコト様が簡単に『可能だ』と言っている事は『不可能』ではないか。 大半の人間にジェノバ細胞が植え付けられていないのだから…。 「でも、別にジェノバ細胞がなくても人間の記憶は操作が可能なんですよ」 ゾクッ!! 背筋に悪寒が走り抜ける。 ミコト様から特別に殺気が放たれたわけでもない。 いや、むしろ本当に目の前の存在しているのかどうかすら怪しいほど、その気配を…存在を感じない。 それなのに、彼女の一言一言がクラウドの心臓を…心を闇に引きずり込む。 「人間は自分の都合の良い様に記憶を修正しようとする特性があります」 興味のなさそうな……やる気のない口調。 実に面倒だ…と言わんばかりに彼女は言葉を紡ぐ。 「記憶を修正するのは、主に自分の精神を安定させるためです。心が壊れないため……自分自身を守る為に記憶を修正し、過去を捏造するんですよ」 無意識にね。 「だから、人間のその特製をほんの少し利用したら結構簡単に記憶を改ざん出来るんです」 「ただ少し厄介なのは、心と魂に深く刻み込まれた記憶ほど、改ざんに時間がかかるということと…」 「記憶の改ざんだけではフォロー出来ない『物的証拠』を隠蔽すること」 「それに少し時間がかかりますね」 悪夢を見ているかのようにただただ彼女の紡ぐ言葉を聞く…。 言わんとしていることは……分かるつもりだ。 要するに、今から…いや、もう既にティファに関する人々の記憶の改ざんが始まっているのだ。 そして、記憶をいじるだけでは到底隠しきれない『物的証拠』というものがミコト様を困らせている……ということ。 いや、実際、そんなに困ってもいないのだろう。 彼女の表情からはなにも分からない。 困っている…わけでもないし、勿論愉しんでいるわけでも、面倒がっているわけでも……ない。 分からない。 何故? 何故ここまでティファに固執する? 「何故だ……」 「はい?」 「何故、そこまでお前はティファに執着する!」 震える声を叱咤するように大声を上げる。 大声を上げることで、弱い自分を振り切るように…。 ミコト様は「あぁ、その説明を忘れていましたね」と、クラウドの激情には全く関心が無いように、淡々とした口調を崩さなかった。 「さっきも言いましたが、彼女は特別です」 「だって…」 「生身の人間でライフストリームに落ち、無事に帰還出来た人間は…」 「彼女だけなんですよ」 あっさりと言われたその言葉は、死刑宣告のように大きな暗い衝撃となってクラウドの耳に響いた。 「一体どれくらいの人間がライフストリームに生きたまま落ちたか…貴方は知らないでしょう」 「意外と少ないんですよね」 「でも、その少ない人間達の中で、彼女のように何の影響も受けずに『命の世界』に舞い戻ったのは…」 「ティファ・ロックハートだけなんです」 「その事実は、ライフストリームに還った数多の命の中で『奇跡の命』として知らない者は誰もいません」 「なんの影響も受けなかったということは、彼女の身体には『ライフストリームに対し、抵抗力がある』という事に他なりませんよね」 「だから…私にはこの身体が必要なんです」 クラウドの手の平が汗でジットリと湿る。 言いようの無い恐怖感がジェノバ戦役の英雄をジワジワと包み込んでいた。 |