誰かが……話をしてる……。

 誰?

 この声……聞き覚えがある……。


 懐かしい……。


 胸が……苦しい……。



 アナタに………………逢いたい………。




Fairy tail of The World 55





「彼女の身体がライフストリームに耐性があるというのは、非常に私にとっては好都合なんですよ」

「何しろ、『私に耐えられる器』は存在しないんですから…」

「ですから、他の人間に比べたら…まぁマシでしょうね」

「ライフストリームに耐性のある身体なら、私が入り込んでもある程度『崩壊しないで済む』時間があるでしょう…」


「崩壊……って……」


 口の中がカラカラに干上がっている。
 言葉を発するのが難しい。
 目の前の白い顔を凝視する。
 白と黒のコントラスト。
 彼女の顔半分以上は闇に溶け込んで見えない。
 毒々しい赤い瞳が二つ、闇に浮いているようで……ゾッとする。


「私の力はとても強いんですよ。だから、普通の身体では受け入れられないんです」
 そのお蔭でこうして魂のまま彷徨ってるわけですが…。

 軽く肩を竦めるミコト様に、クラウドは頭がついていけなかった。

 魂のまま彷徨っている…?
 では今、こうして目の前にいる彼女は一体なんだと言うのか!?

 後から後から、疑問と不安、恐怖がない交ぜになって溢れてくる。
 しかし、それを止める術を…クラウドは知らない。


 彼女はゆっくりとティファへと向き直り、クラウドから視線を外した。
 彼女の顔が月明かりに照らされて先程よりも見えやすくなる。
 しかし、長い漆黒の髪が彼女の表情を完全にはクラウドに見せなかった。


「それでも…ティファさんの身体でも……充分じゃないんですよ。私を受け入れられるほど、この身体も強くない」

 まるで、失敗作であるとでも言わんばかりのその言葉に、クラウドのガチガチに固まっていた身体が動いた。
 頭にカッと血が上る。
 理不尽な恐怖が振り払われ、代わりに愛しい人を闇に陥れた憎しみが噴き出した。



なら、今すぐティファを返せ!!!!



 一閃。

 怒鳴ると同時に女に剣戟を叩き込む。
 だが…。


「さっきも言った様に、彼女は自分から進んでここに来たんです」
「 !? 」

 はっとして振り返る。
 飄々とした態度で彼女はそこに立っていた。

 ザッ…!と、向き直って力強く踏み出し、再び一閃を叩き込む。
 が…。

 スッ…。

 まるで穏やかな風のようだ。
 クラウドの攻撃が…まるで届かない。
 無駄な動きが一つもない。
 重力というものを感じさせない彼女の動き。
 クラウドは戦慄した。


「それに、彼女をここに来るよう追い詰めたのはアナタですよ…」

「クラウド・ストライフ」


 ドックン!!


 名を呼ばれた瞬間、鼓動が激しく脈打ち、次いで全身の筋肉が硬直する。
 振り払ったはずの恐怖が再びクラウドを支配した。
 何が怖いのか明確には分からない。
 自分の攻撃が全く利かないことは……勿論怖いし、衝撃だった。
 しかし、それ以上に……。
 ミコト様に名を呼ばれると、自分の全てを見透かされてるかのような……自分の命を握られているような、そんな恐怖を感じる。
 ジワリ…。
 全身から汗が滲む。

 クラウドの魔晄の瞳には確かに恐怖が浮かんでいただろうに、それを見つめている女は、全くそんなものには関心が無いようだ。
 蔑んだり……嘲笑する気配がまるでない。
 仮にクラウドが目の前で息絶えようが、逆に仲間達が駆けつけてクラウド側が優勢になろうが、そんなことは全くどうでも良い、そんな感じがする。

 他者の存在はおろか…。
 自分の存在ですら…どうでも良い……そう言い出しそうな………闇の女帝。


「ティファの身体を手に入れて何をするつもりだ…」

 肩で息をしながら声を押し出す。

「さぁ…何だと思います?」

 無表情のまま、淡々と応える。

「世界征服……とかじゃないみたいだな……」

 クラウドは何となく思った事を、なんとなく……本当に何となく口にした。
 そして…。


「よく分かりましたね」


 初めて見る……片眉を少しだけ上げた極々軽い驚きの表情にクラウド自身が驚いた。
 もっとも、相手はすぐにもとのマネキンに戻ったのだが…。


「世界征服なんて、面倒なだけです。征服した後の事を考えるとゾッとしますね」

 心底くだらないことだと思っているのだろう。
 溜め息混じりにそう呟いた彼女に、
「なら……どうして、ティファの身体が必要なんだ!ずっと命の世界に止まるためじゃないのか!?」
 拳を握り締めて叫ぶ。
 ミコト様はゆっくりと首を横に振った。

「いいえ、残念ながら違います。私の望みは今も昔も唯一つ…。恐らく現在(いま)、命の世界で蠢いている『闇達』にも…いいえ、むしろ蠢いている『闇達』ほど、理解出来ないものでしょう」

 クラウドの眉間に強くしわが刻まれる。
 彼女がこれから一体何を言うのか…さっぱり分からない。
 分からないのだが、彼女が何を言ったとしても、おぞましいものでしかないだろう。
 それだけが分かる…。
 だから……何を聞かされるのかが…怖い。

「闇達…って、お前の僕(しもべ)達じゃないのか」

 弱い自分に負けまいと、目の前にいる女を睨む。
 彼女は「フゥ…」と溜め息を吐くいた…。

 クラウドを見つめる能面のような表情が、再びクラウドの背筋を冷たく凍らせた。







 バチバチバチバチッ!!

 遠くから電気が弾けるような…そんな音が聞える。
 遠く……まさにグリートとシェルクが向かう先から聞えるその音は、二人の焦燥感を煽った。
 自然と足が速くなると同時に、警戒心が強くなる。
 段々、重くて暗い、全身を纏わりつく不快な気配が濃厚になる。

 邪悪とか邪気とか…そういったもの。
 人間のソレではない、それらの陰の気に二人は自然とチラッと互いを見た。
 黙って頷き、壁に背を押し付けて目的地であるアイリの病室を窺う。

 バリバリバリバリッ!!
 ビリビリッ!!
 パチパチッ!!
 バシーンッ!!!!

 電流が大気を駆け巡る音と共に…。

 ガシャーンッ!
 グルルルルル…。
 グオオォォォオオオンッ!!
 ズシッ!!

 病室の窓ガラスが粉々に割れる音、シャドウの唸り声。
 そして…。

『なんだ…今の『ズシッ!』という床がめげるような音は……』

 グリートは逸る気持ちを抑えながら、そっとドアを押し開いた。
 スライド式のドアを数センチだけ開く。
 シェルクとグリートは、その隙間から見えた光景に目を見開き、息を飲んだ。


 アイリの入ったカプセルの周りに張り巡らされた雷(いかづち)のような結界。
 歪に(いびつに)迸る(ほとばしる)電流のような粒子。
 そしてその周りで歯噛みするように取り囲み、何度も攻撃を加えているのは、数体のシャドウと……。

『『バケモノ!!』』

 バレットよりも一回りもデカイそいつ。
 頭髪はないのにツルンとしていない頭部は、まるで出来損ないの土人形のようにデコボコとしている。
 耳はどちらも崩れたような形をしており、それこそ土人形が長い間風雨に晒された結果のような醜さだ。
 太過ぎる首は、大きな顔と同じくらいの幅を持っており、まるで肩に顔が埋もれているように見える。
 そして、そのバケモノの出で立ちといえば、ボロボロの布切れを身に纏い、手には野太い槌のような漆黒の武器。
 先端にはギザギザの刃が仕込まれており、あんなもので力一杯殴られでもしたら、一生消えない傷が残るか…即死だ。
 分厚くどんな弾丸でも弾き返してしまいそうな筋肉に覆われた巨漢のバケモノは、悔しそうに耳元まで裂けた口から唸り声を漏らしつつ、

「おのれ……小癪な小娘め…!!」

 呪いを込めて槌を何度も振り下ろす。
 その度に…。


 バリバリバリバリッ!!!!


 アイリを守っている結界が眩い光の粒子を撒き散らしながら、その攻撃を阻んでいた。

 グリートとシェルクは改めて戦慄した。
 ありえない。
 これまで、幾体ものモンスターと対峙してきた。
 まだ実際には退治したことのないモンスターも勿論存在するが、WROの記録として保管されているので一通り目は通してある。
 だが、対峙した中にも保管されている記録にも、目の前のようなバケモノはなかった。

 そして、別の事にも度肝を抜かれていた。


 アイリだ。


 彼女がまさかこんな能力を持っていたとは夢にも思わなかった。
 リーブからメールを受けたとき、本当は何かの間違いだと思っていた。
 実際、こうして目の前でバケモノの攻撃を阻む彼女の姿を見るまで、そう思っていた。
 それなのに、彼女はバケモノ達を引き寄せるだけ引き寄せ、敵意の的になってはいるが、その攻撃の餌食になっていない。
 攻撃が利かないから、バケモノ達は躍起になってアイリにのみ意識を集中させ、ドアの隙間から覗いている二人には全く気付いていなかった。


 グリートは信じられない気持ちで一杯だった。
 その信じられない気持ちは、シェルクも同じだろうがグリートの方がより強かった。

 アイリと出会ってから今日まで、彼女が自分の意志で行動したのはミディールの療養所からプライアデスと共に歩むことを決めたとき。
 その時と…あとはほんの数回、彼女からプライアデスに向けて手を差し出したときだけ。
 それだけ……なのに…。

『なんで……こんな事が出来るのに……どうして今まで何も応えてくれなかったんだ!』

 親友でもある従兄弟を思い出す。
 彼がどんなに心血注いで彼女を守ってきたのか。

 従兄弟がWROに入隊したのも、本当はアイリが理由だった。
 既に最善の手を尽くし、もう何も彼女にしてやれないことを知ったプライアデスは、最新の情報が手に入るというWROへの入隊を即決した。
 彼の両親と兄は驚きはしたが止めなかった。
 だが、止めなかったからと言って、諸手を挙げて歓迎したのかといえば…そうではない。
 心配もしたし、本当は反対だっただろう。
 だが、それまで自分の意見を主張しなかった息子に、彼の家族は黙って見守る道を選んだのだ。

 そうして、従兄弟は入隊手続きを済ませた。
 グリートはそんな従兄弟を傍で見守るため…、そして自身も何かを手にする為に入隊した。
 ずっと……傍で見てきた。
 プライアデスがアイリを大切にしている姿を。
 どんなに心尽くして接しても、得られる反応は極々薄い。
 それでも、小さな一つ一つの事に彼は喜んでいた。
 そして…。
 そんな彼を見て、自分も妹も喜んだのだ。


 それなのに…!


 本当は……応えることが出来たのだ、彼女は。
 応える力があったのに、今まで何も返してくれなかった。

 グリートの胸に悔しさとも、悲しさとも言える感情が込上げる。
 息が苦しくなって……思わず大声で叫びだしたくなる。
 反射的に武器を持っていない方の手で口を覆う。
 シェルクがビクッとして『どうしたんですか!?』と、目だけで聞いてきたが、それに答えるだけの余裕は無かった。

 命がけでここに舞い戻ったのは、アイリが大切だから。
 だがそれ以上に、従兄弟が悲しむ姿を見たくないからだ。

 グリートは急にバカらしく思えてきた。
 裏切られた気持ちが込上げる。

 守らなければ死んでしまうか弱い存在が、そうではなかった。
 それどころか、自分の身を守るだけではなく他人の命まで守れる強者だったとは…!
 なんと言う間抜けな話し。
 これまでの十年という時間が急に色褪せて見える。

 グリートは脱力した。

 一体…なんの為に自分の命を賭けてまで英雄達と妹の反対を押し切ってここに来たのか分からなくなった。

「はは……なんて間抜けな話しだ…」

 思わずこぼれたその言葉。
 聞きとがめたのは…。


誰だ!!


 アイリにのみ意識を向けていたシャドウとバケモノが一斉にドアへ振り向く。
 シェルクは短く声を上げた。
 思わず後ずさる。

 振り返ったバケモノの顔は、鼻がつぶれ、眉がなく、ボコボコとした頭部をそのまま顔面に持ってきたような醜い顔。
 耳まで裂けた口から覗く歯は、まるでサメのようにギザギザで上下共に二重になっていた。

 グリートは自分達に向けられた殺気に、漸く己が犯したミスに気が付いた。
 ハッと顔を上げ、反射的に銃を構えて後方に飛びのくと同時に発砲する。


 ギャーーーーーッ!!!!!


 シャドウが一頭、黒い霧となって消えた。


「ここまで来るとは……愚かな人間共め…」

 地獄の底から呻きを上げる亡者のような声。
 二人の全身に戦慄が駆け抜けた。

 ズシン………ズシン……。

 一足動くごとに床が震える。
 完全にドアを開け放った状態で、グリートとシェルクの二人は、バケモノ、数体のシャドウと対峙する形になった。

「丁度良い。小娘の目の前でお前達を処刑してやろう。そうすれば、少しはこの小娘も己の分を思い知るだろう…」

 舌なめずりをするように二人を見て……嗤うバケモノ。
 そのバケモノの足元では、シャドウも同じ様に低く喉元で唸った。
 嘲笑しているとしか思えないその唸り声に、二人の全身から冷や汗が噴き出した。

 銃を構える腕が震えそうになる。
 シェルクも、銃を手にしながらギュッと唇を噛み締めた。

 ジリジリとにじり寄る闇の化身達に、グリートとシェルクも自然と後退する。

 だがその時。



 カッ!!



 眩い閃光が走ったかと思うと、同時に突風がその場の存在全てを取り囲んだ。
 淡いエメラルドグリーンの光。
 温かな風。
 それらがあっという間にグリートとシェルクを包み込む。
 眩しさのあまり、咄嗟に顔を腕や手で覆った二人は全く状況がつかめない。

 ゴワンゴワン……と、強い風の音に掠れて、

おのれ……小娘が、小癪なー!!

 バケモノの怒声とシャドウの断末魔が遠くから聞える。

 突風に目を眇め(すがめ)ながら状況を見定めようとする。

「「 !? 」」

 驚いて声も出ない。
 アイリとバケモノ、そしてシャドウが『足元』にいるのが見えた。
 突風に包まれて二人は天井すれすれまで『持ち上げられて』いたのだ。
 決して『巻き上げられた』のではない。
 何故なら、二人の身体は旋回していないのだから。

 轟々と唸る強い風の音。
 その強風からは信じられないほどの……柔らかさ。
 確かに風は強く、はっきりと目を開けていられないくらいなのに、自分達をクルクルと回す事無く上空に上げる不可解な風。
 その風の正体を不思議に思う間もなく、二人は見た。

 アイリを守っていた結界が跡形も無く消えているのを。

 シャドウはもう消えている。
 だが…。


愚かな小娘め。我らが主に逆らいし罪、その身で受けるが良い!


 勝ち誇ったようなバケモノが強風の中、大きく槌を振り上げながらカプセルに浮かぶ少女に着実に近付いている。


「「 やめろ(て)!!! 」」


 強風に二人の叫び声が掻き消された。




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